しかし生まれ変わった私は誰よりも才能を持った魔法使いになっていて、これなら私も許されるのだと思いこんだんだ。
日の光が当たって眩しい。曇っていれば別に悪くはないんだ。この席。退屈な授業でも外の風景を見ていれば気が紛れる。しかし今日のような晴れの日は、時間によってはとても眩しい。
よく窓際の席は日の光が暖かくていいとか、眠くなるとか、そんなことを言ってるやつは羨ましいよ。多分彼らは光を感じる機能に問題があるんだろうな。
いや、むしろ私がおかしいのか?だからずっと雨でも降っていればいいのにな、なんて馬鹿なことを思ってしまうんだろうか。
「ウイカ・バナグリア」
名前が呼ばれた。私の名前だ。後ろからいきなり撃たれた、ぐらいの驚きが私を襲ったがそれを表に出すことは私の性格上許せない。
思考から引っ張り出された意識が現実を認識して、周りがこちらに注目していることに気づく。私の顔や動作に驚きが出ていないことを祈りながら教師の方を見た。
筋トレが趣味ですと言わんばかりの大きい体の上に乗っている教師の笑顔が逆に怖かった。いくら魔法が使えるといえど、私がいくら優秀といえど、罰としてあの体で襲われ、殴られたら抵抗できない。さすがにそんなことはしないだろうが、怖いものは怖い。
「今回のテストの学年一位は君だ。いつもすばらしいね。」
私の心の内はバレていないのか、と思って安心する間もなく教室が少しざわついた。
「おぉ、すげ」
「流石バナグリアさん。」
「天才はいいよな」
まばらな声が聞こえてくる。単純に感心してる声もあれば、嫉妬の声もある。いずれにせよ、その声が耳に入ってくる度に、これ以上ない幸せが私を包み込んでいくんだ。前世では、こんな経験したことがなかったからその分まで脳内麻薬が分泌されている。人から能力を正当に評価され、注目されるのがこんなに気持ちいいとは思っていなかった。
「はい静かに。」という教師の声が響いて、すっとそのざわつきが収まる。
「今回は結構難しく作ったから平均点は低めなんだけど…この授業はその解説に使うから…」
そんな風に授業は続いていくのだが、私は幸せの余韻を感じ続けていて、授業があまり耳には入ってこない。脳内に流れるのは過去だ。現在との対比。
前世、私は魔法使いの良家の一男坊として生まれた。そこに生まれたというだけで過度な期待をされて私はそれに押し潰されそうになっていた。客観的に見て私の才能は中の上あたりというか。すごいんだけど思ったより…という皆の反応には見慣れてしまうぐらいに微妙で、実力はあるのに正当に評価されない。上がり切ったハードルが私の人生を邪魔し続ける。
それに加えて私には弟がいた。魔具に頼らなければ日常生活もままならない愚図の弟だ。その弟のせいでさらに私の家の評価が落ちていく。バナグリア家には期待外れと道具がなければ何もできない出来損ないがいるだけだと。
両親はそんな現状に対して、時に嘆き、時に悲しみ、時に癇癪を起すようになっていく。家にも外にも居場所がなかった。だから唐突に始まった隣国との戦争に逃げ、戦い、戦死した。正直あのクソッタレな世界から逃げられるんだから死んだ方がマシだと思っていて、実際マシだった。
次に目を覚ました時、世界の様子は大きく変わっていた。戦争は終わり、魔法文明は進み、生活水準が大きく上がっている。
私は未来のバナグリア家の長女として生まれ変わっていた。あの愚図が家を建て直した事実は正直未だに受け入れられないが、それでも今世の私は誰もが羨む美貌も魔法の才能も頭脳さえも持っている。前世我慢した分の苦しみが、今世の幸せに変換されているようだった。
だってここには気分を害する家族も周りの目がない。代わりに真っ当に評価して優しくしてくれる両親と、私の自尊心を再生させる賞賛や嫉妬の声。あぁ、なんて素晴らしい人生なんだろうか。私以外のカスは黙って私の人生の贄となっていればいい。これこそが世界のあるべき形だったのだ。
チャイムが鳴って、いつの間にか授業が終わり帰りのホームルームの時間になっていたことに気づく。そしてそれも10分程度で終わって、教室から人が出ていき始める。
別に待っているわけではないが窓からぼーっと外を見続けていた。
「ウイカちゃん。帰ろ。」
後ろから声が聞こえる。聞き慣れた声が。そうでなくとも私にこんな風に話しかけてくるのは1人しかいない。
「シュラか。」
確認してわかってなかったフリをしたことに別に意味などなかった。
シュラ・マトーグ。幼馴染で私の一番の太鼓持ちだ。とにかく私の周りに金魚の糞みたいにくっついていて、馬鹿みたいに私のことを褒めてくる。最初こそこの男の大きすぎる好意の意味がわからず恐怖を感じたが、十年以上の付き合いだ。流石にこの男のことを理解したつもりだ。
この男は私に好意を持っているのだ。私に対して性欲に塗れた下賤な視線を幼いころから向け続けている。それがこの男の言葉が他の者と違う、なにか異様な雰囲気を持っている持っていることの説明にもなる。
まぁ、私が美しすぎることに問題があるからこの男は被害者でしかないのかもしれないと最近は考えを改めた。一時期この男を避けるようになった時は凄まじく落ち込んでいたのが可哀想だったというのもある。
私の性自認は相変わらず男のままだから付き合ったり性行為というのはしてやれないが、一緒にいてやるぐらいは、その、許してやってもいい。
なによりこの男。魔法に関しては私に次ぐ才能があり、運動能力やコミュニケーション能力も高い。そのため近くに置いておくだけで利点がある。私はその利点を優先しているだけにすぎない。
「相変わらずすぐ自分の世界に入っちゃうよね。ウイカちゃんは」
「ん?あぁ。すまない。あと、ちゃん呼びはやめろ。」
「了解。ウイカ。」
「いつからお前はそんなに偉くなった?さん付けをしろ。」
「同級生だろ?俺たち。」
「そうだが」
少し時間も経ったからか、窓から見ていた時よりは人は掃けていて、グラウンドやテニスコートから声が聞こえる。
「部活気になるか?やっぱり入っておけばよかったんじゃない?」
「別に」
「そっけな」
「人がいる所では話したくない。」
「俺と話してるの見られるの恥ずかしい?」
「黙れキモい」
校門を抜けて、しばらく歩くと他の生徒がいなくなってくる。ここなら話してるところが見られない。
…私の名誉のために訂正すると、私は別にシュラと話しているところを見られるのが恥ずかしいというわけではない。私は自分の性格と口が悪いことを自負している。ただでさえ嫉妬されるレベルの私の能力にそんな要素まで追加されてしまったら攻撃の対象になる可能性が高くなるわけだ。
だから基本人とはあまりコミュニケーションをとらず、接するとしてもニコニコと適当にやりすごすだけだ。そんな理由もあって学校ではあまりシュラとも話せないし話さないというだけだ。
確かに最近は美男美女カップルとか、いつもいっしょのバカップルなんて揶揄されることもあるがそれが恥ずかしいというわけでは断じてない。何度も言うようだがそもそも付き合ってない。私の性欲の対象は女性のままだ。
「そういえばテストどうだった?」
シュラが周りを確認してからそう言った。私がさっき言ったことを気にしているのだろうか。基本素直な男で、こういうところは彼の美点だと思う。
「もちろん満点だ。」
わざとらしく胸を張ってみる。ちらりと横眼でシュラの方を見るとパチパチと拍手をしていた。嬉しくないわけではないのだが、なんというか、こいつのはやはり羨望とか嫉妬とかは違っている。なにかが違う。
やはり性欲によるものなのだろうか。私を褒められたらすぐ体を差し出す軽い女だと思っているのだろうか。そうだとしたらぶん殴ってやりたいところだが、別にこれ自体は好きなので今のところは許しておいている。
それはそうと、物足りないな。
「おい。拍手だけか?」
「…いや。恥ずかしいんだけど。」
「はやく。人が来るかもしれないだろ。」
「けどさぁ…」
「グダグダ言うな。」
渋々シュラは私の頭の上に手を置くと、それを優しくさすった。褒める時にシュラがいつもやってしまう行動だから。別におかしくないな。そもそも私の頭を触らせてあげているわけだし。口ではああ言ってもシュラも感謝してるはずだ。
「もういい。今日はこれで」
「いやだけど?」
「は?」
「俺が恥ずかしい思いをして撫でてるのにウイカだけ満足して終わるのはおかしいから」
「撫でさせてるわけではない。お前は私の頭を触っているだけだ。満足なんてしてないし」
「そうだよな、逃げないからまだ物足りないんだよな」
「違う」
そもそも幼馴染で格下の男から「逃げる」必要なんてない。そんなに私に触っていたいのか。図に乗るなよ変態が。私がその気になればお前なんて。
しかし、動けない。シュラめ。どんな手を使っているかわからないが私を拘束している。顔のあたりが火照っているということは炎魔法に関係しているのか?
とにかく動けない。
そんな私を見てシュラは嘲笑い、勝ち誇ったように言う。
「やっぱり逃げないじゃん。そういうことなんだろ?」
「お前。拘束魔法を使っといてよくそんなことが言えるな。」
「そんなの使ってないんだけど」困惑したような表情を私に向ける。何をとぼけているんだこの男は。
「嘘をつくな下種が」
「あんたたち何してんの。」
そんな私たち二人以外の声が家の方向とは逆の方向から聞こえた。
反射的にシュラを突き飛ばし、声のした方を向くとそこには母さんが立っていた。スーツのまま仕事帰りだろうか。いつも持参している畳めるエコバックの中には近所のスーパーで買ってきたと思われる野菜がちょこちょこと見える。
「い、いや。その。これは。」
「人に見せつけて自慢したい年ごろなのはわかるけどね。」
「違うから。全然違うから。」
私の反論を聞き流しこちらに近づいてきた母さんはシュラの手をとると、「ごめんねうちの娘が」と口に出した。
「いつものことなので」
と言うシュラの顔は少し笑っている。そのにやついた顔をこっちに見せるな。
私の弁明も空しく、釈然としない気分のまま、私たちは家へと帰った。
・・・・・・
私の弟は生まれつき魔力が少ない。それに加え体が弱く、酷く病弱だった。
生まれてしまったことを周知されてしまったのだから、捨てることもできない。父と母は酷く悩んだはずだ。
それが普段の生活から滲み出ていて最低限死なないように世話はするものの、ほとんどは雇った召使に任せている。
そもそも体が強かったとしてもあの魔力量では魔具なしで生きられない。それはあの時代において致命的だ。魔具を使うものは、道具に頼るような低次元な人間として蔑まれ、差別的な扱いを受けた。それは階級など関係ない。貧民でさえその認識を持っている。
世界共通のものだった。
私はそんな不出来な弟のせいで必要以上にこき下ろされ、罵倒された。当然私は弟を憎んだし殺してやろうと思ったことさえある。
あの日、私は魔法の訓練を終えた直後だった。もしも状態の悪い時の父に会うとやつあたりのような説教をくらうことになる。私は父に見つからないようにこっそりと、部屋に戻ろうとした。そんな時にすぐ横の部屋から咳き込むような声が聞こえた。
不審に思ってその部屋に入るとその部屋が弟の部屋で、声の主も弟だったことに気づいた。
弟は私が入ってきたことに気づくと何かを言おうとしたが、咳でその言葉が出ないようだった。
「おい、どうした。苦しいのか。召使はどうしたんだ。」
私がそう訊くと弟は首を横に振った。どの質問に対しての答えかはわからなかったが、とにかく苦しそうなのは伝わってきた。
「おい。俺はどうすればいい?」
そう訊くと今度は、辛うじて聞こえる声で言った。
「くすり。つくえ。」と
机の方にを見ると、その上には何もなかったが机の下には収納スペースがあった。その中に錠剤らしきものがあったのでそれを手に取る。
その時に私の脳内に声が響いた。悪魔なのか、それとも私の本音なのか。どの声かはわからないが
ここで助ける必要があるのか。
と私に語り掛けるような声だった。私の体は一度ピタリと動きを止めた。
言われただろう。私が不当な評価を受けるのはこいつのせいだ、と。結局離れただけでは何も変わらなかった。殺してしまえば。
そんな思考が脳内を数周する。
ただ、罪悪感からかすぐに私は動き出し、その薬とコップを手渡した。
弟が薬を飲んで数分経つと咳は収まり、呼吸が自然に戻ってくる。
「大丈夫か?」
「ありがとうございます。兄さん。もう大丈夫です。」
会話もできるぐらいには回復したようだ。
「それで召使はどうした?」
「わかりません。」
「わからないって…」
どう言えばいいかわからなくなった私は目を逸らした。実際に命の恩人のように見えているのかもしれないが、あまりに眩しい目線をこちらに送ってくるのでそれが嫌だったというのもある。それは死を選びかけた私に向けられるべきものではないのだ。
「兄さん?」
「いや、すまない。どうした?」
「兄さんは戦争へ行ってしまうのですか?」
「行かないわけにはいかない。」
この家から出ていくのにちょうどいいからな。とは言えなかった。
「僕が代わりに行ければいいのに」
「お前なんて行っても足手まといになるだけだ。」
「でも、」
「お前は出来損ないらしく部屋で本でも読んでいろ」
「…また昔みたいに読んでくれたらそれでもいいんですけど」
弟はいたずらっぽく笑った。苦しそうにしたり、悲しそうにしたり、笑ったり。忙しいやつだと感じた。もしかしてほとんど人と話す機会がないから話せるだけで嬉しいのかもしれない。
「子供のころの話だろう。それは。」
「正直、兄さんがこの部屋に忍び込んでくるのが楽しみでした。」
にこやかにそう言う弟の姿がまた少し眩しく見えた。同時にそれが私の後ろめたさという影を作っているようにも感じて、心の中で舌打ちをする。
私の実力がなかったばっかりにこんなことになってしまっていてそれを弟のせいにしている。この時の私でもそれぐらい自覚していた。
無理矢理造った憎しみでそれを隠していたが、やはり自分を騙し通すことなど出来ない。
「どうでもいい。疲れたから俺は戻るぞ。」
私はそう言って逃げるように背を向ける。部屋を出る直前、
「生きて帰ってきてくださいね」
そんな弟の声が聞こえたが、私は返事をせずドアを閉めた。
・・・・・・
夢か。
朝の陽ざしで目が覚める。授業の時は鬱陶しいだけの光も朝になればありがたいものだ。目覚ましいらず。不快な夢までかき消してくれる。何も余計なことを考えないようにひたすら無心で、朝食を食べ、準備をし、学校へ行き…気づけば図書室にいた。
昼時間。昼食を食べたあとはすることもない。いつものように適当に本を読んで過ごすだけだ。なんとなく歴史の本を取る。『魔具の歴史』。パラパラとめくってみても何も面白いところなどない見慣れたものだ。
私が死んだあと、具体的には戦争が終わったあとだが、魔具を使うものに対しての差別は段々と収まっていき今現在は逆に彼らに配慮するような価値観まで出来ている。私のような差別主義者はおおっぴらに意見すら言えない。時代に流され、適応出来たらどれだけ楽だろうか。
そもそもどうして私は自ら傷つきにいくような行動をとっているのだろうか。深くは考えず本を棚に戻そうとする。
「またそれ読んでるの?」
シュラが横にいて、私は動きをピタリと止める。
「図書室だぞ。喋るんじゃない。」
「少しぐらいいいじゃんか。いやはや。本当にウイカはご先祖様が好きだね。」そう言いながらシュラは本の表紙に映っている弟を指差した。
「…バナグリア家を建て直した偉大な方だからな。」
「顔が怖い。何を思ってる顔なんだそれは」
顔に出てしまっていたか。自然と出たため息が表紙のあいつに当たった。
「まぁ、ちゃんとすごいだろ。現代の魔具の基礎となる部分は大体作った。…らしいし。」
「そうだな。魔具なんて作る必要があるかどうかは疑問点が残るが。大体道具を使わない方が偉いだろう。普通に考えて。」
「どうしてこう危ない発言ばかりするかね。ウイカは。」
「そもそもこの本の内容が正しいのかどうかすら怪しい。この本でのサブト・バナグリアは様々な障害に負けず勉学に励み続けた大変すばらしい人間のように書かれているが、実際のサブトは体調に負けてばかりの泣き虫で、本だって読み聞かせてやらないとページを開きすらしない大馬鹿者だった。」
しばらく間が空く。シュラは目を大きく開けてこちらを見ていることに気づいた。
「…だったそうだ。」
私がそう付け加えてもシュラはその表情を変えずこちらを見続ける。まずい。失敗してしまったか。
目を逸らして、本を棚に閉まってみたもののごまかせている気はしない。
「父さんから聞いた話だ。」悪あがきにも近い言い訳を続けてみる。
「そう、なんだ。」
納得したのかしてないのかわからないような、困惑が非常に伝わってくるような感じで目を細くしてシュラは言った。
「5限は魔法学の実習だ。成績に大きく影響するぞ。」
「おう。」
「クラスの合同演習だからお互い早く行って準備をしないと。それじゃあ。」
シュラが何も言う間もなく、逃げるように背を向けて図書室から出た。正直、誤魔化すのも面倒だったからしょうがない。
少し時間が空いて5限目。実習の時間だ。前世から研鑽を積み、戦争という修羅場でも魔法を武器として使い続けた私が普通に考えて学生レベルで収まるわけがない。さらにこの体は前世と比べて魔力量も格段に高い。
必要以上に目立ってしまっては面倒くさい事柄に巻き込まれる可能性もあるので、魔力量をセーブする…なんてことはしない。私がスペルを唱え、指を差すと数メートル先から他の者とは比べ物にならない火柱が上がる。圧倒的魔力量から繰り出される、圧倒的威力の魔法。準備運動のシンプルな魔法だが、私が行うとそれだけでパフォーマンスになってしまう。例えるなら柔軟運動中にバク宙を始めるような浮き具合になってしまう。
だがそれがどうした。貴様ら。私の魔法を褒めて、称え、崇めるのだ。
「今日炎魔法使わないのに…」
「流石に飽きた」
「今日もバナグリアさんのドヤ顔は可愛いわね」
「ラジオ体操でもしてろ」
まぁ、こういう日もある。いつもなら指を鳴らして魔法を収めるところだが、今日はなんとなく、いや理由はわかりきってるが、静かに火を消した。今日は火が大きい分消すのに時間がかかってその分羞恥心も大きいように感じる。逆に考えよう。この威力を出せる今日は調子がいい、と。
不意に、後ろから肩をつつかれた。後ろを振り向くと例のごとくシュラが立っていてタオルを差し出してきた。
「ありがと」
「大丈夫か?汗すごいけど」
「炎魔法は使うだけで熱いからな」
「それにしても異常な汗の量だって。息も荒いし。体調悪いなら保健室連れてこうか?」
シュラは心配そうにいったが、どうしてそんなことを言うかがわからなかった。私は別にどこも悪くないしむしろ調子が良いくらいだ。
「別に体調は悪くないぞ。お前の気のせいだ。」
「いや、けど「肩慣らしは終わったみたいだな。実習を始めるぞ。」
先生の大きい声がシュラの声に被さり、遮る。妙に心配そうなシュラの肩を叩いて彼が安心するように笑顔を見せてから私はそのまま女子の組の方へ向かった。
実習の内容は土魔法で握りこぶしぐらいの人形を数体作り操るというもの。複数の魔術式が絡んでいることからそれらを扱う知識と緻密な魔力コントロールが必要だ。だが、何度も言うように学生レベルではそこそこ難しいというだけで私には簡単に出来ることだ。
なに?低いレベルで威張り散らかすなんて人生2回目だと思えないレベルの人間性だ。だと?ふむふむ。そう言う意見もあるか。…黙れ。消し炭にしてやろうか。
「バナグリア。君の番だ。」
先生から呼ばれ、前へ出る。一度深呼吸をして、周りを見る。皆が私に注目し少しの私語もきこえない。すぐ側に人はいるのに誰もいないと錯覚してしまうほど周りが静かだ。
私は圧倒的でいたい。誰かに常に高く評価されるぐらい圧倒的でいたいんだ。あの頃に戻らないように。学校の授業だろうと失敗は許されない。
結果次第で苦しみにも幸せにもなりうる目線を背後に置きながら、冷静に体内の魔力を繋ぎ、魔術式を構築していく。教科書通りに、丁寧に紡ぐ。
ボコボコ、そんな音を立てて前方の土が盛り上がっていく。あとはこれを人に模ったあと、動かせば終わり。終わりのはずだったが 簡単な作業をするだけなのに土はどんどん高く盛り上がっていくのみで、形を作るどころか、膨張していく。
術式が間違っている?いや、魔力のコントロールが利いていない。私の才能が暴走している。このままでは私の魔力が尽きるまで、この土塊は大きくなり続け周りに被害を及ぼす。
汗が止まらない。自然と呻き声が漏れる。私はどうしてしまったんだ。
クラスメイトたちが目に入る。多分この時の私は助けを求め、縋るような負け犬の姿をしていたんだと思う。圧倒的でなければいけない私が、そんなことも忘れて周りに助けを求めるほどに異常な事態だった。
しかしそれが周りにも伝わると、危険を感じた私に近かった生徒はその被害から逃げるように距離をとり、それに流されて後ろにいた者もさらに距離を取る。
私は積極的に他人とコミュニケーションをとってない。そんな人間がこんな時だけ助けを求めるなんて甘いんじゃないのか。失敗したら私は独り。そんなのわかりきってたことだ。
わかりきっていたことなのに、どうしてこんなに苦しいんだろうか。
ウイカ
シュラの叫び声が聞こえた。皆が離れていく中、ダッシュでこちらにきたあいつは私の魔力が集まっている右腕に触れた。
「なんで、来た。早く私から離れろ」
「お前が苦しそうな顔してるから。というか、やっぱり調子悪いじゃないか。」
「…ごめん」
「謝んないでよ。ウイカらしくない。とにかくあとは任せな。」
触れられた右腕からシュラの魔力が入り込んでくるのがわかった。構築された術式がそれによって破壊されていく。すると、土塊と私の右腕から放出され続けていた魔力もピタリと止まった。とりあえず、周りを巻き込むことはなくなったらしい。
なくなった、が。私は失敗した。今まで調子に乗ってきた分の罰が、前世と同じ扱いが待っている。何もわかっていない他人に罵倒され、舐められ、陰口に怯える生活がまた始まる。
「ウイカ?」シュラがこちらをまた心配そうに見つめてくる。
「すまない。助けてくれてありがとう」
シュラには感謝を伝えなければいけない気がしたのでそう言ったが、口から出てくる言葉とは全く関係のない感情や思考が私の脳内を支配する。
今回もだめになってしまった。怖い。他人も、圧倒的でなくなった私が置かれる環境も、全部が全部。怖くてたまらない。
気付けば私は膝をついてうずくまってしまっていた。息をするのもままならない。
このまま死んでしまえばまた逃げられるな。マイナス思考な希望に縋っている私の意識は暗闇に落ちて、すぐに何も感じなくなった。
・・・・・・
「こんなことも出来ないのかお前は」
「ごめんなさい。」
「謝れば許されると思っているのか。どうしてこんな出来損ないたちが私から…」
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
私と父だ。多分10歳ぐらいの時だろうか。父の厚意で直接魔法を教わっている場面だ。
バナグリア家はその昔世界一の魔法使いと呼ばれた祖先から始まっている。貧民から魔法の腕だけで成り上がったバナグリア家において他人より魔法の腕が劣ることは許されない。ましてや弟があんな状態だから長兄の私が弟の分までバナグリア家を支えなければいけない。
しかし、私には飛びぬけた才能などなかった。魔法を学ぶ学校に行って周りの天才たち植え付けられた敗北感は周りの嘲笑、失望ですくすく育つ。寮から久々に帰れば父の激励が待っている。涙が出るほどありがたい言葉だ。悪意と絶望に塗りたくられた私の学校生活。
そんな私にとってそこは唯一の仲間が、信頼できる家族がいる場所で恐怖から逃れられる場所だった。もっとも、そこは人があまり来ない場所だったが。御付きが一日に三回、様子を見に来るだけ。薬とご飯を置いていく。
その時間を避けてお土産を胸に抱えながら私はそこに忍び込む。
「兄さん」
部屋に入るとそんな明るい声が私を出迎えて、少し許されたような気分になるんだ。
あまり長い時間そこにいるとバレてしまうのでいそいそと私は彼の方に近づく。
本を土産として持っていくと喜ばれるが決まって最初は私に読むようにせがんでくる。手のかかるやつだと思いながらも頼られて嬉しい私がいた。
あと、弟は好奇心旺盛でよく外の話を聞きたが。私としてはそこがあまりいい場所に思えていなかったから話したくないのだが、ここで話さないと私がうまくやれてないと心配しだすので、多少脚色を加えて話してやる。
「やっぱり兄さんは自慢の兄さんだ」
と言われるのは嬉しかったが心が痛くもあった。つまらん見栄をはる私が悪いのだが。
「兄さん。その傷は」
その日、父に殴られた痕が顔に残っていて弟は私を心配そうに見た。現代だったら体罰だなんだとなにかと子供を保護してくれるわけだが、あの時代はそれが正しいとされているんだから殴られるなんて珍しいことではない。
「あぁ、すこしな。大したことはない。」
「やはり僕のせいでしょうか。」
弟は唐突にそんなことを言いだす。
「僕が何もできないから、その分父様が兄さんに厳しくされてると聞きました。兄さんは悪くないのに。」
「誰から聞いたかわからんが、そんなこと気にする必要はないぞ。父さんが厳しいのは私に期待しているからだ。お前とはなんの関係もない。」
多分、弟は私の様子で勘付いてしまっていたと思う。私もそれが完璧に嘘とは言い切れないし、半ば事実だとも思っていて、自信のない話し方になっていた。
なにより弟は何も知らないものだと思っていたから、そんなことを言いだすとは思っていなくてそれが一層私の焦りを強くする。そして弟はそれ以上それには追及せず、ありがとうとだけ言った。少し悲し気に笑っていたのを覚えている。
それ以上何か話すと、さらにあいつを悲しませてしまいそうだと思って、私はその部屋から出ることにした。弟にあんな顔をさせてしまったということがとても気がかりで、それが頭の大部分を占めていた。だから扉の外に誰がいるかなんてなんて気にする余裕もなかった。
私がそうする前に勝手にドアノブが回った。すぐに勢いよく開いたドアに突き飛ばされし私は尻もちをついてしまった。顔を上げると今まで見たことの無いような顔をした父がそこに立っていて、見ているだけでその怒りが伝わってくるようだった。
「何をしているかと思えば、サブトと遊んでいたのか。そんな時間が今のお前にあったなんて驚きだな。」
「父さん」
何か反論をしようと思ったが、防音材でも喉に入れられたみたいに言葉は続かず音すら出てこない。このあとにされることを思うと私は身がすくみ、震えてしまう。
そんな状態の私を見て、父は笑った。唐突に。不気味に。
「けど、そうだな。そうだ。これはお前に伸びしろがまだまだあるということだな」
「伸びしろ?」小さな声ではあったが、父の狂った様子に思わず私はその言葉を繰り返した。
「あぁ。そうだ。あんな何もできないやつに構っているからお前は今まで出来損ないだったんだ。あれの近くにいたんだ。お前が伸び悩んでいるのはそのせいに決まっているじゃないか」
「そんなこと「あるんだよ。お前が今まで駄目だったのはあれのせいだ。そうでなければ由緒あるバナグリア家の人間が魔法学校ごときで躓くわけがないのだ。」
暴論にしか聞こえなかったが、父の迫力に気圧され何も言えなくなる。しゃがんで私に目線を合わせると父は続けた。
「もう学校で馬鹿にされる生活は嫌だろう。」
教室の様子が頭に流れる。馴染めず、溶け込めず、たまに話しかけられれば「良家のくせに」「才能がない」なんて悪意しかない言葉をかけてくる彼らの様子が鮮明に。
「嫌だよな?」父がもう一度私に尋ねる。
「はい」
「じゃあ、悪影響を与えるものには、例えそれが家族でも近づいちゃいけないよな。」
少し考えたあと、「はい」と答えてしまった私がそこにいた。
初めて「いい子だ」と父に褒められ、頭を撫でられた。嫌いなはずの、暴力を振るってきただけの父の手が心地よくて、「あぁ、こうすればよかったのか」と独りで納得した。
父に体の向きを優しく直されて弟の方を見させられる。あいつは泣いていた。
「そんな顔をするな。あれは愛すべき家族ではない。お前は悪くないんだ。」
「俺は悪くない」
「そう。今までお前が出来なかったのは全部サブトのせいだ。」
「サブトのせい」
そんなやりとりが何回か続いたあと私は部屋から出た。それ以降、戦争までにその部屋に入ったのはあの一回きりだ。
・・・・・・
目を覚ますとすぐそこに母さんがいて、普通に何もない朝のように、「おはよう」と声をかけてきた。周りを見ると白いカーテンや壁、駐車場が見える窓。患者服を着ていることにも気づいてようやくそこでここが病院だと理解した。
確か私は実習中だったはずだ。何故病院にいるのか。
「あんた倒れたのよ」
母さんが私の心を見透かしたようなタイミングでそう言う。
なんとなく思い出して来た。私が放った魔法が暴発して、パニックになったところをシュラに助けてもらったんだったか。それ以降の記憶がないのは気を失ったからなのだろう。
「私どれくらい寝てた?」
「3日。」
「3日。3日?」
聞き返した私の様子がおかしかったらしい。母は静かに笑った。
「いや、笑いごとじゃないんだけど」
「見えないかもしれないけど、お母さんもあんたが起きてホッとしてるんだよ。最悪の場合も覚悟してなんて言われて、処置が終わっても丸2日寝たままなんだから。」
遠くを見つめるような母の目線やあまり動かない表情が母の疲労を表しているようだった。それにしてもそれならもう少し喜んでくれてもいいものだと思ったが。
そんな母の様子が気になったが、それの原因となった私の体の容態の方も気になり、私は言った。
「私の病気そこまでなの?」
母さんは口を大きく開いて、その口を右手で覆う。「あ。」という叫びが聞こえてくるような古いリアクションだ。
「もう少しウイカが落ち着いたら話そうと思ったんだけどね」
「死ぬの?私?」動揺を出さないように淡々と、冗談っぽく言った。
「今はもう大丈夫って先生が。ただ、ね。」
母の視線の先を追うと、私の右腕についている腕輪のようなものが目に入る。私の肌と同じ色で、出来るだけ目立たないような工夫がされているそれが右腕についていることを私は今の今まで気づきすらしなかった。
そして微かに魔力を感じるそれが魔具だということに気づくのには秒もかからず、私はそれに反射的にそれに手をかける。
「外さないで」
母の声が病室に響いた。
「ウイカ。あなたはね。それがないともう生きれないの。」
そのあとに続く母の慰めの言葉なんて耳にとても入らない。医者からそのあとされた詳しい説明もどうでもよかった。
怪我をしたスポーツ選手に「日常生活は問題ありません」って残酷なんだな。そのスポーツが出来ないことが問題なのに。日常生活に満足し生きていることに感謝できるような殊勝な人間なら、才能なんて欲さないんだこっちは。
~~~~~~
カーテンは閉め切って、光が入らないようにしている。何もせず、目を瞑って気づいたら寝ていて、寝れなくなったら何もない天井をただ見つめ続けて、すぐ寝れるようにと祈りながら目をもう一度瞑る。耳栓も必要だ。部屋の外から聞こえてくる音が怖い。
何も見たくない、何も聞きたくない、何も感じたくない。感じることは全て思考に起因する。
一見、希望に見える思考が唐突に表れたとして、その先に待っているのが絶望だ。今回の私のように行き過ぎた希望を与えられたら、それを覆う絶望は必然的にさらに大きくなる。
では、どうすればいいのか。何も考えなければいい。
最初に思いついたのは死ぬことだ。死ねば楽になれる。と、短絡的に考えたのはいいものの私みたいな臆病者は一度経験したにも関わらず死を恐れていた。
逃げる私の背中を押すように、死んでもまた生まれ変わりが発生するだけではないのかと、そんな考えが生まれる。
結局、色々考えてる自分が嫌になって自殺はやめた。
だからもうひたすら寝ることにした。感覚を出来るだけ遮断して、眠ることにだけ専念した。眠気が思考を遅くしてくれる。眠っていれば何も考えずに済む。
ただ、寝れない時間が苦痛ではあった。勝手にマイナス思考や涙が流れるので苦労する。苦労する、が希望を持つよりはマシなのでこれでいいのかもしれない。
布団の中に頭を隠してみる。暑いけど外界と遮断されるこの感覚が私を守ってくれる。
たまに聞こえる賑やかな子供の声もこれさえあればどうってことないのだ。
と安心していると、唐突に光が差し込んでくる。すーっと風が蒸れたパジャマの中を通り過ぎていくような感じがして、目を開けるまでもなく、布団が剥ぎ取られたことに気づいた。
次に何かが耳のあたりに触れるような感触が襲ってくる。その何かに私は必死で抵抗するも何かはわたしから盾をどんどん奪い去っていく。
「いい加減目開けろ」
聞き慣れた声だが、少しそれは怒気を孕んでいて、妙に新鮮味がある。ここまで乱暴な命令口調なんて初めてかもしれない。
言われた通り目を開けると、案の定幼馴染が立っている。
「またこいつかって思ったでしょ。」
「そうだな。」
「学校来なよ」
「いやだ」
「なんで」
「わからないのか」
「わかるけど来い」
「いやだって言ってるだろ。」
「またなでなでしてあげるから」
「今する話じゃない。気色悪い」
勢いでシュラの顔を見てしまった。久しぶりに人と話したから顔を見るのが怖かった。しかし「こんなのを怖がってたのか」と思ってしまうほど情けない顔を彼はしていた。
私は一度謝ってから話を続けた。
「病気で嫌ってた魔具の着用を強要されて、魔法も使えない。私に生きる価値などない。」
「そこまで「そこまでのことなんだよ。」
感情が昂って、机を叩いてしまう。もうまともに生きる気もないからどうでもいいことだが私は魔力とともに感情までコントロールできなくなったのかもしれない。そんな自分に嫌気がさして、それをシュラにぶつけるように私はまくし立てる。
「私は魔法も勉強も、なんでもできる人間だったから許されていたんだ。それが魔法は使えなくなって魔具をつけるようになったんだ。周りは馬鹿にするし、軽蔑もする。所詮私は才能に頼って生きてきた人間。才能がなくなったらもうおしまいだ。」
私の言葉に煽られたのか、シュラもイラつきを隠さずに反論してくる。
「魔具なんて今時そこらへんのおじいさんでもつけてるだろ。大体魔法使えないくらいなんだよ。いつも見た目も成績も自慢してくるくせに1つ消えたくらい」
「全部出来ないと嫌なんだよ」
「ワガママ言うなよ馬鹿」
「ワガママなんだよ私は。ワガママで、自分が楽になるために弱いものいじめするような、性格のわるいやつなんだよ。そんなやつ、能力が完璧じゃないと許されないんだ。許されるわけがないんだ。」
「俺は許すよ。」
シュラが言った。こちらの目をまっすぐに見て、私に言い聞かせるように優しく。
「魔法とか、魔具とか、確かに色々あるんだろうけど。けど、ウイカはそれよりもすごい才能がある。人に好かれる才能が。」
「人に好かれる?」
「うん。俺はさ。魔法が使えなくたって、魔具がないと生きられなくたって、好きだよウイカが。だから一緒に学校行って欲しいし、これからも俺の近くにいて欲しい。
色々言ってるけど多分、許せないのはウイカ自身なんだろ?だから、ウイカが自分を許せるように俺も協力する。だからさ、そんなこと言うなよ。」
そう言い終えると彼は黙ってこちらを見続けた。まるで私が答えるのを待つかのように。
そして私は笑った。
彼の顔はとても眩しく、大っ嫌いな希望に塗りつぶされていたからだ。気持ちが悪い。ため息をつき、彼を突き飛ばす。
「勘違いしないで欲しいんだけど。お前の事は嫌いじゃないんだ。『完璧な私』だったら、あのまま過ごせてたら、お前の傍で一生過ごしても良かったし、そうしたいとすら思っていた。
だからこそ、そんな全ての希望を断ち切るために言わせてもらうよ。私のことを、過去を知らないくせにそんな薄っぺらい言葉を使うなよ。軽々しく許すなんてさぁ。
今の私が許されたら、俺も、俺が傷つけたあいつも、俺らに苦しめられた父さんも母さんも、浮かばれないだろ?ふざけるなふざけるなふざけるな
絶対、絶対に許すわけにはいかない」
八つ当たりで、憂さ晴らしで、わかってもらえないことを理解しているのに私はそうやって叫んだ。前世という過去の鎖に縛られた私にしかわからない叫びだ。共感などされてたまるか。私は共感も、救いも、求めてなどいないのだから。
そしてそんな私を見たシュラは失望し、離れていくはず。それでいいんだ。
「めんどくさいなぁ。」
しかしシュラは私の予想とは裏腹にゆっくりと立ち上がって笑ったみせた。
「そうだ。めんどくさいんだよ私は。だからさ」
「どうでもいいんだよそういうの。兄さんにまた置いてかれたくないだけなんだけどこっちは。」
時間が止まったように、手足が固まる。予想しない言葉に私の頭から思考が全て抜け落ちる。あれだけ待ち望んだ思考の抜け落ちた状態だが、もたらしたのは安心感などではなく焦りだけだった。
「兄さんって?」
「あ、バレちゃった。」
わざとらしくシュラは言った。にこやかに笑う彼の顔がいつものそれには見えなくて私は一歩後ずさりをする。
「僕は隠したかったんだよ?兄さん遠慮しちゃうだろうから。けど兄さん隠す気0なんだもん。僕だってつい口に出ちゃうって。」
「お前、サブト。なのか?」
「そうだよ。兄さんのたっと一人の弟。サブト・バナグリア。」
絶句。何も言えなかった。
そこにいるのは幼馴染で、気を遣わなくてよくて、お互いに大好きで、私から言ってやらないと離れないシュラ・マトーグだったはずだ。私のくだらない過去と完璧主義に巻き込まれるわけにはいかない人間だったはずだ。
それが私の過去に唐突に変身して、今目の前に立っている。じりじりと近づいてくるそれを前に私は、距離をとって逃げるしかない。
「僕はさ。頑張っていれば兄さんに褒めてもらえると思って頑張ってきたんだ。あいつにあんなこと言わせられてたけど、兄さんは優しいから、本当はそんなこと思ってないのだってわかってたし、絶対に褒めてくれるって思ってた。
それで生まれ変わったら今度は兄さんとずっと一緒に過ごすんだって。神様は優しいね。その通りにしてくれたし、僕にはすぐわかったよ。兄さんだって。」
後ろに何かが引っかかった。振り向く前に私は押されて、ベッドに寝転ぶような形になった。
「ごめんね兄さん怖がらせるつもりはないんだ。今世でわかったんだけどさ。兄さんって甘えるのが好きだよね。ちょっとキツイところはあったけど可愛いよ」
それが私の頬を触った。恐怖で体が動かない。ぶるぶると勝手に震えるだけだ。
そんな私を見てそれは深くため息をつく。
「僕はとっくに許してるんだから兄さんにも気兼ねなく接してほしいんだけどな。産んだだけのあいつらなんて気にする必要もないし。ねえ、どうすれば兄さんは自分を許せるのかな。」
答えようと口は開けたが声は出なかった。そんな私の様子を少し見てから
「そっかぁ」
後頭部を掻きながら困ったようにそれは言った。そしてすぐに「そうだ」と表情を明るくさせる。まるでおもちゃを買い与えてもらったばかりの子供のように、隠すこともなくそれを私に向けてくる。
「ごめんね。兄さん。ほんとのことを言うと、僕まだ怒ってるんだ。許せてないよ兄さんどうしてくれるんだ。ねえ。ねえ。」
迫力と恐怖に絞られて、悲鳴に近いような声が口から出てきた。
「ごめん。」と気づけば謝っていて、涙があふれ出ていた。
「そんな兄さんが許されて、許せて、救われて、幸せになれる方法が一つだけあります。教えるからよく聞くんだよ。」
「はい」頭が回らず、勝手に口が動く。目の前のそれに父さんが重なって見えた。
「兄さんはいままで通り僕の傍にいること。僕の傍にいることで自分の罪を悔いて、償うんだ。さすれば兄さんは許される。」
「ず、ずっと傍にいます。」
「そうそう。それで兄さんは幸せになれるよ。いいんだよ深く考えなくて。大丈夫。今度は僕が兄さんを守って幸せにするから。」
不意に顔を近づけられて唇を奪われる。
「テンション上がっちゃった。ごめんな。ウイカ。」
嬉しそうにシュラがそう言う。多分これはいつも通りいろということなんだろうか。なんにせよ私にはそんなことすぐ出来そうにはない。
「明日は一緒に来てくれるな?」
「うん。」
未だに恐怖を感じ体が震えるが、ようやく動き出した思考はこう考えた。
こんなものでもそう思えるのだから希望はクソなんだ。と。