アーサス   作:飛鳥 螢

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第二章 《 暁 の 国(エルティア) 》 Ⅴ ―闇との邂逅―

 天幕の外で一角獣の(いなな)く声と蹄の音が聞こえ、次第に遠ざかる。

 エラドラは天幕の中で、それが聞こえなくなっても身じろぎ一つしなかった。

 まるで(とき)が止まったかのような静寂の中、囲炉裏の燠火(おきび)に温められたポットの蓋がコトコトと音を立て、湯気がゆらゆらと注ぎ口から立ち昇る。

 瞑目するように目蓋(まぶた)を閉じ、老婆はそれらの音に耳を傾けていた。

 時折家畜の鳴き声がする以外、邑の中は静寂に包まれたまま(とき)だけが過ぎて行く。

 やがて陽が沈み、そしてまた新たな陽が昇る。

 その(とき)の移ろいの中でどの位そうしていただろうか、天幕の隙間から射し込む陽の光が朱に染まり出した頃、不意にエラドラは閉じていた瞳を開けた。

 緩慢な動きで囲炉裏のポットを手に取り、傍らの湯飲みに注ぐ。

 手にした湯飲みから立ち上る香草茶の香りをゆっくりと吸い込み、そして、一口茶を口に含んで喉を潤した。

「……そんな所に突っ立っておらんで、こっちに来たらどうじゃ」

 と、天幕の仄暗(ほのぐら)い左奥の(すみ)に向かって声を掛ける。

 誰も居ないはずの薄暗がりがゆらりと揺れて影が浮き上がる。それは次第に色を濃くし、人の形へと変貌していった。

「老いさらばえると、勘が鋭くなるようよの」

 含んだ(わら)いと共に、透明感のある凜とした女の声が天幕の中に響く。

(わらわ)の『闇』を消し飛ばす程の〈蒼の閃光(ソレイア)〉の力の放出を感じて来てみれば、〈暁の星(エルーラ)〉の力の残滓(ざんし)(まと)う者に会えるとはのう」

 つと、囲炉裏端の老婆に近づく。

 囲炉裏の燠火の仄かな光に照らされ、その姿が(あらわ)になる。黒いマントで全身を覆い、フードを目深(まぶか)に被った女が。

「百年程前に滅ぼした王都《明の都(エルゼナ)》の唯一の生き残り、ヴァンデミーネが認めし巫女エラドラよ」

「ほぉ、お主、また随分と懐かしい呼び名を知っておるのぉ」

 軽く落ち窪んだ瞳を見開き、感心したようにエラドラは黒マントの女を見やった。

 今ではもう、知っていても口にする者は殆どいない。皆『ウィドの長老』もしくは親しみを込めて『お婆様』と呼ぶ。

「滅ぼしたと言う事は、あの時の王都の人間消失はお主の仕業じゃったのかの」

 エラドラの落ち窪んだ眼窩(がんか)の奥底で、赤黒い瞳が鋭さを増す。

 さっきこの女は自分を生き残りと言ったが、それは正しくない。その時自分は姉の出産の手伝いで、ウィドの邑に里帰りをしていたのだ。

 姉の出産を無事に終わらせてからエルゼナに戻った時、王都には人っ子ひとり居なかった。今のこの邑の様に、つい先程まで人々が生活していたかのような痕跡を残して。

 王都を空けた僅か一ヶ月程に何が起こったのか。急ぎエラドラは王宮の礼拝堂に行き、その奥に安置されていた宝珠(エルーラ)の許に向かった。

 エルーラは琥珀色の輝きを放ち、自らの担い手である女神の巫女を出迎えた。そして、手にしたエラドラの要望に応え、何が起こったのかその様子を、彼女の脳裡につぶさに映して視せてくれたのだ。

 それはエラドラが王都に戻る前日の夕暮れ時の事。夜の闇よりも更に濃く深い漆黒の「闇」が人々を襲い、呑み込んでいく。とてもこの世のモノとは思えない情景だった。

「そうじゃ、なかなかの見物であったぞえ」

 そう言いながら、女は自分の足許に(かすみ)のようにたなびく、天幕の薄暗がりより更に濃い「闇」を愛おしそうに招き寄せた。

 この「闇」に(おのの)き、逃げ惑い、泣き叫ぶ人々を。絶望の表情を浮かべて「闇」に呑み込まれていく姿を。闇に紛れて女は全てが終わるその時まで、愉悦の笑みを浮かべながら見ていたのだ。

「あれで、エルティア(この国)(つい)える筈であったのにのう」

 この国の王族全てが、(まつりごと)の中枢を司る臣下と共に一夜にして姿を消したのだ。(かなめ)である者達がいなくなれば国は立ち行かない。まとめようにも部族ごとに分かれて住まうこの国では統制が取れず、いずれバラバラになるだろう。そうなれば、後は部族間に不和の種を蒔いて(いさか)いの炎を燃え上がらせるだけでよい。エルティアの者同士が勝手に潰し合うように。

 だが、それは上手くいかなかった。

 難を逃れたエラドラが、女神の力の宝石(いし)の許にエルティアの全部族を招集したのだ。

 そして、彼女はエルーラが視せた、王都の人々消滅の真相を自分一人の胸にしまい込み、王不在の間は全部族による合議制を提唱したのである。年一回廃墟となった王都に集まり、部族間の情報交換と交易を行なって、エルティアの者同士の結束を深める為に。

 これにより、辛うじてエルティアは国としての体面を保っていたのだ。

「全く、其方も余計な手間を増やしてくれたものよ」

 お蔭で、今のように一つ一つ邑を潰して回るしかなくなった。

 恨みがましそうな声音で、女は不満を口にする。

「それはすまぬ事をしたのぉ。——〈白き者(アルビナ)〉よ」

「其方、知っておったのかえ」

 声に軽い驚きの響きを滲ませ、女は黒いマントからほっそりとした白い手を出し、優雅に被っていたフードを取った。

 月の光を映したような銀糸の髪が、さらさらとフードから(こぼ)れ落ちる。

 雪花石膏(アラバスター)の透けるような白い(かん)ばせに、深紅の双眸と紅い唇が造形美の粋を集めて配され、その額の中央には緋色の宝石を嵌め込んだサークレットをしていた。

 凍てついた冬の月光に照らされ、冴えた輝きを放つ氷の彫像のような壮絶なまでの美を(まと)った、長身の美女である。

「エイルが伝えてきた通りの、凄絶なまでの美しさじゃの」

 ほうっと、エラドラは嘆息して銀髪紅眼の女を見やる。

 その言葉に、ピクッとアルビナの女が反応した。

「其方、何故ソルティアの宮廷薬師の名を——」

 今までずっと人に知られずに全て事を運んできた。姿を見せたのは自分の企みに利用する者にだけで、それもこの顔を見せた事などなかったのだ。あの男が自分のフードを払うまでは。

 一瞬、にこやかな笑みを浮かべ、自分を邪魔した優美なソルティアの男の顔が脳裡をよぎり、女の美麗な顔が怒りに歪んだ。

「なに旧知の仲でのう。王の相談役も務めておるようでな。たまに儂に早鳥(ピクト)を飛ばして意見を求めてきよるのじゃよ」

 その時、王と共にアルビナの女に襲われた事を知らせてきたのだ。

 ゆっくりと湯飲みの香草茶を(すす)りながら、エラドラは思い出したように言葉を継いだ。

「そうそう、エイルは何時お主が『借り』を返してくれるのか気にしておったのう」

「あの男……」

 きゅっとアルビナの女は形の良い唇を噛んだ。

 何処まで人を虚仮(こけ)にすれば気が済むのか、何とも忌々しい。しかも、エルーラの担い手と知り合いだったとは。あの男、一体何を何処まで知っているのか。余計な事に気付く前に早々に始末しなければならないかもしれない。

 妖艶な女の体に纏わり付く「闇」がざわりと揺らめき、その濃さを増した。

 

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