天幕の外で一角獣の
エラドラは天幕の中で、それが聞こえなくなっても身じろぎ一つしなかった。
まるで
瞑目するように
時折家畜の鳴き声がする以外、邑の中は静寂に包まれたまま
やがて陽が沈み、そしてまた新たな陽が昇る。
その
緩慢な動きで囲炉裏のポットを手に取り、傍らの湯飲みに注ぐ。
手にした湯飲みから立ち上る香草茶の香りをゆっくりと吸い込み、そして、一口茶を口に含んで喉を潤した。
「……そんな所に突っ立っておらんで、こっちに来たらどうじゃ」
と、天幕の
誰も居ないはずの薄暗がりがゆらりと揺れて影が浮き上がる。それは次第に色を濃くし、人の形へと変貌していった。
「老いさらばえると、勘が鋭くなるようよの」
含んだ
「
つと、囲炉裏端の老婆に近づく。
囲炉裏の燠火の仄かな光に照らされ、その姿が
「百年程前に滅ぼした王都《
「ほぉ、お主、また随分と懐かしい呼び名を知っておるのぉ」
軽く落ち窪んだ瞳を見開き、感心したようにエラドラは黒マントの女を見やった。
今ではもう、知っていても口にする者は殆どいない。皆『ウィドの長老』もしくは親しみを込めて『お婆様』と呼ぶ。
「滅ぼしたと言う事は、あの時の王都の人間消失はお主の仕業じゃったのかの」
エラドラの落ち窪んだ
さっきこの女は自分を生き残りと言ったが、それは正しくない。その時自分は姉の出産の手伝いで、ウィドの邑に里帰りをしていたのだ。
姉の出産を無事に終わらせてからエルゼナに戻った時、王都には人っ子ひとり居なかった。今のこの邑の様に、つい先程まで人々が生活していたかのような痕跡を残して。
王都を空けた僅か一ヶ月程に何が起こったのか。急ぎエラドラは王宮の礼拝堂に行き、その奥に安置されていた
エルーラは琥珀色の輝きを放ち、自らの担い手である女神の巫女を出迎えた。そして、手にしたエラドラの要望に応え、何が起こったのかその様子を、彼女の脳裡につぶさに映して視せてくれたのだ。
それはエラドラが王都に戻る前日の夕暮れ時の事。夜の闇よりも更に濃く深い漆黒の「闇」が人々を襲い、呑み込んでいく。とてもこの世のモノとは思えない情景だった。
「そうじゃ、なかなかの見物であったぞえ」
そう言いながら、女は自分の足許に
この「闇」に
「あれで、
この国の王族全てが、
だが、それは上手くいかなかった。
難を逃れたエラドラが、女神の力の
そして、彼女はエルーラが視せた、王都の人々消滅の真相を自分一人の胸にしまい込み、王不在の間は全部族による合議制を提唱したのである。年一回廃墟となった王都に集まり、部族間の情報交換と交易を行なって、エルティアの者同士の結束を深める為に。
これにより、辛うじてエルティアは国としての体面を保っていたのだ。
「全く、其方も余計な手間を増やしてくれたものよ」
お蔭で、今のように一つ一つ邑を潰して回るしかなくなった。
恨みがましそうな声音で、女は不満を口にする。
「それはすまぬ事をしたのぉ。——〈
「其方、知っておったのかえ」
声に軽い驚きの響きを滲ませ、女は黒いマントからほっそりとした白い手を出し、優雅に被っていたフードを取った。
月の光を映したような銀糸の髪が、さらさらとフードから
凍てついた冬の月光に照らされ、冴えた輝きを放つ氷の彫像のような壮絶なまでの美を
「エイルが伝えてきた通りの、凄絶なまでの美しさじゃの」
ほうっと、エラドラは嘆息して銀髪紅眼の女を見やる。
その言葉に、ピクッとアルビナの女が反応した。
「其方、何故ソルティアの宮廷薬師の名を——」
今までずっと人に知られずに全て事を運んできた。姿を見せたのは自分の企みに利用する者にだけで、それもこの顔を見せた事などなかったのだ。あの男が自分のフードを払うまでは。
一瞬、にこやかな笑みを浮かべ、自分を邪魔した優美なソルティアの男の顔が脳裡をよぎり、女の美麗な顔が怒りに歪んだ。
「なに旧知の仲でのう。王の相談役も務めておるようでな。たまに儂に
その時、王と共にアルビナの女に襲われた事を知らせてきたのだ。
ゆっくりと湯飲みの香草茶を
「そうそう、エイルは何時お主が『借り』を返してくれるのか気にしておったのう」
「あの男……」
きゅっとアルビナの女は形の良い唇を噛んだ。
何処まで人を
妖艶な女の体に纏わり付く「闇」がざわりと揺らめき、その濃さを増した。