アーサス   作:飛鳥 螢

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第二章 《 暁 の 国(エルティア) 》 Ⅵ —女官達の談話室(サロン)(3)—

 用意された椅子に座ったレイミアに促され、エイルも椅子に座り直す。

「それで私に訊きたい事とは、何でしょうか?」

「ネールの出城からフォルドが失踪したという噂についてよ」

 周りに控えていた女官達が息を呑んだ。サロン内に緊張が走る。

 だが、レイミアは構わずに話を続けた。

「それも、国も民もうち捨てて、一介の侍女風情と駆け落ちしたというではないの」

 と、刺すような視線を目の前の優美な若者に向ける。

「その侍女と言うのが、其方が養っていたアルフィーネとかいう小娘の事ですけれどね」

「これはまた……」

 意外なことを言われ、エイルは目を丸めた。

「一体何処からそのような話が?」

「誰でも知っている事ですよ。ここにいる女官達だって、知らぬ者はいないでしょうよ」

 (とぼ)けたエイルの物言いに、レイミアは苛立たしげに言い放つ。

 エイルはちらりと周囲に視線を走らせた。緊張した面差(おもざ)しの女官たちの中、偶然目の合ったファーナが慌てて目を逸らす。レイミアの言うように、噂は周知の事実と言う事らしい。

 エイルは嘆息し、困惑したように口を開いた。

「どうしてそのような噂が立ったのか判りませんが、皇子は予定通りネールの出城を出て、今はフェデルの出城に居る頃かと思われます。そして、アルフィーネですが——」

 少し言いにくそうにエイルは言葉を継ぐ。

「皇子の健康管理の為に同行したのですが、おそらく今は一緒ではないかと思われます。その、皇子の許しを得て里帰りをしていまして……」

 ネールの出城からアルフィーネの育った故郷は近かった。エイルに引き取られてからずっと故郷に帰っていない事を知っていたフォルドは、折角なので父母の墓参りに行ってはどうかとアルフィーネに勧めたのである。

 最初固辞していたアルフィーネだったが、熱心に勧めてくれる皇子に根負けして生まれ故郷に里帰りする事にしたのだった。それが済み次第皇子達一行の後を追う事にして。

 一応一人で一角獣には乗れるが、それでも彼女の故郷からフェデルまではかなりある。皇子の日程は変更できない以上、アルフィーネが一行と一緒に王宮に戻るのは難しいだろう。

「では、ネールの出城から慌ただしく使者が来たのは、フォルドの失踪を知らせに来たのではないというの?」

「はい、使者は皇子がその事に付いて知らせる為に寄越したのです」

 勝手に予定を変更して医療の心得の有る者を伴わずにフェデルの出城に向かう事を。

 そして、その後フェデルの出城に着いたフォルドは、エルティアに居ると言う自分と同じ力の宝石(いし)に選ばれた者に会いに隣国に向かうのだ。

 護衛にはフェデルの騎士数人を連れて行くので、出城巡りの一行と一緒に王宮には戻らない事になる。

 それが、王がネールの出城の使者の話を聞き、取り決めた表向きの筋書きだった。既にフェデルの出城にもそのように対応するよう早馬を出している。

 王宮内でもそれを順次周知させるようにしてあった筈だが、何処から皇子とアルフィーネの失踪が知れたのか。それも駆け落ちしたなどと言う悪意のある噂として。

「それなのに、その使者からどうしてそのような噂が立ったのでしょうかね。レイミア様?」

 嫣然と微笑みながら、赤味がかった(すみれ)色の瞳で宰相夫人を静かに見詰め、エイルはやんわりと尋ねる。

 向けられる視線も口調も物柔らかなのに、レイミアは思わず息を呑んだ。

 誤魔化しは一切許さない。知っている事を全て言って貰おう。

 言外にエイルはそう言っていた。

 親であっても自分に命令など絶対に許さない傍若無人なレイミアだったが、言葉に出さずに自分を問い詰める生意気な薬師に憤慨するよりも、凄まれるより恐ろしい微笑みに気圧(けお)されてしまっていた。

「わ、(わたくし)は知らぬわ。女官達が言っていたのを聞いただけよ」

 焦ったようにレイミアが言い立てる。そこに嘘偽りはなかった。

「そうですか……」

 それを受け、エイルは周囲の女官達に視線を巡らせる。

「それでは、皆様がその噂を誰から聞いたのか教えて貰えませんか?」

「は、はいっ」

 エイルに逆らい難いものを感じた女官達は、次々に誰から聞いたかを口にした。

 騎士に文官、侍従などの複数の名が上げられる。それもある人物に近い人達の名を中心に。

「ありがとうございます。では、後で私の方からその方達に詳——」

 しくと、言いかけた時だった。

 一瞬雷にでも打たれたかのように硬直したエイルが、突然頭を押さえて椅子ごと床に倒れ込んだのだ。

 それを目の当たりにした一同の双眸が、驚きに大きく見開かれる。

 一拍して悲鳴が上がり、サロンの中が騒然となった。

「エイル、どうしたのです?」

 慌ててレイミアが声を掛けるが、エイルはその場にうずくまったまま応えられなかった。

 頭を押さえ、脂汗を浮かべて苦しそうに表情(かお)を歪めている。

 一体何が起こったのか分らないが、このままにしてはおけない。

「い、今薬師の方を呼んで——」

 女官の一人が身を翻す。

 それを、苦しげな声が止めた。

「いえ……大…丈夫です」

 エイルは倒れた椅子に手を掛け、それを支えに辛そうに顔を歪めながらもゆっくりと立ち上がった。

「——…最近…徹夜、続きなもので……、少し…疲れが、出た…ようです」

 頭の激痛を堪え、呼吸を整えながらエイルは途切れ途切れに言葉を継ぐ。

「大変見苦しい…処を、お見せ…しまして、…申し訳、ございません」

「え、ええ……」

 酷く苦しげだけど、寝不足くらいでこんな風になるものだろうか。

 釈然としない面持ちで、レイミアは詫びるエイルを見た。

「少し、休めば…治ると、思いますので、申し訳…ございませんが、これで、お(いとま)させて、いただきます」

「そ…うね、薬師と言えど人の子、体は大事にしなくてはね」

 このまま行かせてもいいものかどうか迷ったが、本人がそう言うのであれば是非もない。

 レイミアはエイルの退出を許可した。

「これに懲りてもう無理はしない事ね。女官達が五月蠅(うるさ)くて仕方ないわ」

「はい、肝に命じておきます」

 蒼白な顔に儚げな微笑みを浮かべ、礼を述べたエイルは少しふらつきながらもサロンを出て行く。

 その姿を見送り、女官達は牽制するように互いに視線を交わした。

 レイミアさえいなければ、皆我先にと後を追って行っただろう。エイルに手を貸して部屋まで付いて行く為に。

 そして、未だ誰も招かれたことのない彼の私室に二人っきりで……

 などとあらぬ妄想を掻き立てていたが、それはレイミアの咳払いであっけなく霧散した。

(わたくし)は、其方達にも訊きたい事があるのよ」

 サロン内にいる女官達をぐるりと冷ややかに見回す。

「宰相の執務室に、夜な夜な現れるという謎の美女についてね」

「っ!?」

 女官達は息を呑み、一斉に明るい金髪の年若い女官を見た。

 すっと目を細めたレイミアの青紫の瞳が、その姿を捉える。

 ひっと声なき悲鳴を上げ、ファーナはあっさりと自分を売った同僚達を恨んだ。

 レイミアは口許に当てた羽扇越しに、底冷えのする声で命じる。

「其方が知る全てを話しなさい。一つも漏らさず、全てをね」

「はい……」

 大蛇に睨まれた蛙よろしく内心でダラダラと冷や汗を流し、ファーナは自分の知る全てを話した。その噂を聞かせてくれた者の名前を含めたあらゆる事を。

 




(レイミア)が去った後の談話室(サロン)の会話―
「——薄情者ぉ……」
「いや、だってねぇ…」
「あのレイミア様に逆らえると思う?」
「………」
「夫婦仲は冷め切ってるって噂だったんだけど」
「意外と?」
「どうだろう?」
「そんな事より、エイル様のお加減よ」
「そうよ、やっぱり今からでもお部屋に行って——」
「ダメよ。エイル様の事だから、もういつも通りでいらっしゃる筈だわ」
「やっぱり、さっきのが千載一遇のチャンス……」
「ええ。レイミア様さえいなければ」
「エイル様の部屋に入れたかもしれないのにぃ」
「どうして、こんな時に限って」
「ホント、何時もなら側仕えの女官が注意しに来て終わりでしょう?」
「もしかして、レイミア様もエイル様狙い?」
「何言ってるの。ベルティナ様の為でしょう。例の噂が本当だったら大変じゃない」
「確かに。自分達で皇子とはもう親密な仲、婚姻の発表も近い。とか言い触らしていらしたし」
「あの噂の所為で、親()共々面子丸つぶれだものね」
「もっとも、誰もその話なんて信じてなかったけど」
「そうよね、大体——」
「ほらほら、貴女達。そんな事ばかり言ってると、また(・・)いらっしゃるかもよ」
「「「「っ!?」」」」

 同僚の不吉な言葉に一斉に口を(つぐ)んだ女官達は、談話室(サロン)の扉をそっと窺い見ると、慌ててテーブルの上を片付け、そそくさと午後の仕事に向かうのだった。
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