アーサス   作:飛鳥 螢

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第二章 《 暁 の 国(エルティア) 》 Ⅵ —託された記憶—

 エイルは突然襲った頭の激痛に(さいな)まれながらも、何とか談話室(サロン)のある北棟から東棟の北側に通じる回廊を抜けて、二階に上がる階段の処まで来た。

 しかし、そこでとうとう堪えきれずに頭を押さえて体を壁に寄りかからせた。

 まだここで倒れる訳にはいかない。

「くっ……」

 気力を振り絞り、寄りかかった壁を支えに階段を上がり切る。

 後もう少し。

 頭の激痛は治まるどころか、更に痛みを増していく。

 あの時突如襲った衝撃に、エイルは身に覚えがあった。けれど、これほど酷いのは初めてだった。

 ゆっくりと歩を進めて、やっとの事で自室の扉の前に来る。

 部屋に入ると鍵を閉め、エイルはずるずると扉に体を預けてその場に座り込んだ。

 やっと落ち着ける所に戻れてほっとするが、同時に頭が割れるような激痛に、気が遠くなりそうになる。

 だが、まだ気を抜く訳にはいかない。

 精神(こころ)を研ぎ澄まし、エイルはこの頭の中で激しい痛みを引き起こしている(モノ)に意識を集中していった。

 頭の中で暴れ狂っていたモノが、徐々に鮮明になっていく。

 唐突に、ある情景と共に懐かしい老婆の声がエイルの脳裡に響いた。

『——こりゃ面白いのぉ。肉体(からだ)(こころ)の輝きの違う人間がいるとはの。しかも(こころ)の方はこの世界(アーサス)の何処にも属さない色合いをしておる』

 〈暁の星(エルーラ)〉を通して見た黄金の髪をした少年の姿が、不思議な異なる二つの色合いに輝いていた。

 ——お婆様……

 やはりこの頭の激痛は、直接脳にエラドラの記憶を流し込まれた所為だったらしい。

 脳内に膨大な量の他人の知識や記憶を一気に受け入れると、脳がそれを処理しきれずに激しい頭痛を起こすのだ。馴れないと高熱を出したり気を失ったりする事もあり、最悪脳が焼き切れる。

 直接脳への記憶の受け渡しは、慎重にやらなければならない事はエラドラが一番よく知っていた筈だ。今回のこれは自分なら大丈夫だと信頼してやったのだろう。

 確かに、皇子の事で何か判明したら知らせて欲しいと頼んではいたが、まさか直接脳に記憶(じょうほう)を送って来るとは思わなかった。

 でも、それならそれで先に知らせて欲しかった。そうすれば、レイミアや女官達の前であのような醜態を(さら)すことも無かっただろうに。

『——成程のう。確かに異なる世界の言の葉のようじゃ』

 少年が告げた名を吟味した老婆の呟きが聞こえる。

 エラドラの目線の為、声は聞こえるが、彼女自身の姿は視れない。

 そして一方的に流し込まれた記憶故、視るものを自ら選らぶ事もできない。

『……鍵を握るは「闇を統べる女」と「黄昏の乙女」じゃ』

『それは、どういう意味なんだ?』

『お主、何の為に頭がついておるんじゃ。それくらい自分で考えるんじゃな』

 その言葉に憮然とする少年の姿を視て、エイルはクスリと笑った。

 いかにもお婆様らしい対応だ。視えないがそう言ったエラドラの姿が容易に想像できて、相変わらずな養い親にエイルは苦笑した。

『でも、後一つ、後一つだけ教えてください』

 声と共に必死に懇願する亜麻色の少女の姿が視える。

 ——アルフィーネ……

 エイルはホッと安堵の息をつく。

 エラドラの目を通して視た処、怪我もなく元気そうだった。

 実はずっと不安だったのだ。(みち)を示して皇子を送り出したものの、まさかアルフィーネが付いて行ってしまうとは思わなかった。あの祖王の名を持つ少年の実力が未知数なだけに、果たして()の少年は自分だけでなく、アルフィーネも護って無事エラドラの許に辿り着けるだろうかと。

『……《明の都(エルゼナ)》の王宮にある書物庫の奥に置かれた〈知識の泉(フィラウェル)〉に尋ねるがよいじゃろう』

 ——お婆様は、二人にファラウェルを使わせる気か……

 あそこはエルティアの中央近い荒れ地の中にある。二人が戻るのはまだ先のようだった。あの噂の沈静化は二人が居ない以上、かなり難しい事になりそうだが仕方ない。

 エラドラの記憶をなぞって自分の記憶(もの)にした事で、頭の激しい痛みは幾分柔らいだ。

 だが、まだ残っている。

 脳裡の奥底で(くすぶ)るしつこい痛みが、じわじわと激しさを増して再び美貌の薬師を(さいな)み出した。

「……っ」

 エイルは頭を押さえ、表情(かお)を歪める。

 ——あれで終わりではないのか……

 いくら何でも限度があるだろう。辛うじて何とか全て受け止められたようだが、もし脳が焼き切れていたら良くて廃人、悪くて死んでいる。

 ——人を殺す気か、お婆様は。

 心の中で容赦の無い養い親に盛大に文句を言いながら、エイルは再度精神を集中させる。

 不意に、エラドラのしわがれた声とは違う、透明感のある凜とした声が脳内に響き渡った。

(わらわ)の『闇』を消し飛ばす程の〈蒼の閃光(ソレイア)〉の力の放出を感じて来てみれば、〈暁の星(エルーラ)〉の力の残滓(ざんし)(まと)う者に会えるとはのう」

 ——この声はっ。

 驚きに集中が途切れ、途端に頭が割れるような激痛に見舞われる。

「——っ」

 心の動揺を押し殺し、エイルはもう一度脳裡の奥底に渦巻く痛みの源に意識を向けた。

『——お主のような〈白き者(アルビナ)〉はもうおらぬと思っておったよ。《宵の国(ナイティア)》は既に人の住めぬ地となってしまったからの』

 妖艶な銀髪紅眼の美女を前に、エラドラは臆することなく言葉を紡いだ。

『なにゆえエルティアに仇なし、ソルティアを狙うのじゃ、闇の女王よ』

『因業深き故、その報いを与えただけのこと。……ソルティアの皇子の(こころ)を入れ替えたのもその為よ』

 ——闇の女王……。やはりこの女が皇子の(こころ)を……

『エルーラを手放すとは、愚かな事をしたものよ』

 自分の体に纏わり付く「闇」を乗せた手を、アルビナの女は老いた巫女に向けた。

『これは(わらわ)心の闇(・・・)。それが具現化したモノ。老いさらばえたその身では、また(・・)取り残されるのは辛かろう』

 艶然と(わら)う壮絶な美を身に纏った女から離れた「闇」が(にじ)り寄り、目の前の全てを漆黒に覆い尽くす。

「お婆様っ」

 思わずエイルは叫んでいた。

 脳裡に鮮明に映し出されていた記憶の映像もぷっつりと途切れ、吐き気をもよおすほどの頭の激痛が嘘のように消えている。

 ——あの後どうなった!?

 渡せる記憶は送り手が視たものだけだ。勿論渡す記憶を限定することもできる。

 だが、これは——

 もう一度、取り込んだ養い親の記憶を探るが、闇に覆い尽くされた後の情景を思い浮かべる事は出来なかった。

 いや、それよりもあの老体でこれだけの情報量(きおく)をエルティアから飛ばすのに、どれ程の力が必要だったのか。文句を言う前にまずその事に気付くべきだった。

 エイルは焦燥に駆られ、立ち上がるのももどかしげに窓に取り付き、勢い良く開け放った。

 指笛を吹く。

 それを聞きつけてか、暫くして一羽の金茶色の鳥が窓際の枝に降り立った。

「ルーク、お婆様の所へ行ってくれ」

 何時もと違う徒ならぬ様子のエイルに、早鳥(ピクト)は驚きに眼を見開いた。

「早くっ、今すぐにっ!」

 とても鳥使いが荒いと、文句を言えるような雰囲気では無かった。

 一声(さえず)ると、ルークはバッと羽を広げて舞い上がり、慈雨の中一直線に東に向けて飛び立っていった。

 




【アーサス豆知識⑧】
 記憶の共有は言葉で伝えるよりも、自分の得た情報を受け取り側の認識の齟齬なく、より正確に相手に伝えられる。
 〈暁の星(エルーラ)〉の担い手として、心話と共に必須の能力。
 これにより、エラドラは王都(エルゼナ)の人間喪失の際、その場にいたかのような五感を伴う鮮明な映像(きおく)をエルーラから渡されて真相を知る。
 素質のあったエイルに、エラドラは自分の全ての知識を渡す為、彼の幼い頃より問答無用で(しご)いてコツを叩き込んだ。
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