寝泊まり用だけあって家具などはなく、簡易ベッドのような物が二台あり、その上にヌゥートの毛で作られた寝具が置かれてあった。
片方は既にエルドが使っていて、ちょっと寝具が乱れている。
「荷物はベッドの脇に置いて、そこに座りなよ」
自分が使ったベッドに腰掛け、エルドはもう一方のベッドの脇を指差して言った。
「まず水浴びして体を綺麗にしたいだろうけど、ちょっと話があるんだ。いいかい?」
「え、ええ……」
何の話だろうと小首を傾げ、アルフィーネは空いているベッドの脇に荷物を置いて座った。
「今日はここでゆっくり休んで、エルゼナには明日の朝に出発するつもりだけど、あんたここに残らないかい」
「え?」
突然の提案に目を
「エルゼナはこの国の中央辺り、荒れ地の真ん中にあるんだよ」
当然荒れ地に入ってしまえば邑などない。夜は外で野営する事になる。草原と違って動物もあまりいないので、ジャルガのような大型の肉食獣も寄りつかないが、全く危険がないわけでもない。そんな中気を張って幾日も旅をするのだ。馴れていないと大人でもキツい。
「荒れ地を知らないあんたじゃ、酷だと思うんだよね」
「いいえ、大丈夫よ」
慌ててアルフィーネが首を横に振る。
ここで置いて行かれる訳にはいかない。
そんな亜麻色の髪の少女に、エルドは嘆息しながら訊いた。
「でも、あんた今ショウと気まずいんじゃないのかい?」
「そ、それは……」
言い淀み、アルフィーネは
エルドの言う通りだった。ヴァンデミーネの巫女に皇子の
それなのに、自分の葛藤をよそに、シグやエルドはまるで昔馴染みのようにショウと接している。そんな三人を見ていると、自分だけが取り残されたみたいで、焦って余計どうしたらいいか分からなくなるのだ。
「あんたさ、最初にショウに言われてたんだろ。自分は皇子じゃない、別人だって」
「………」
「なのに、今頃それで気まずくなるって変じゃない?」
「でもショウは、王宮に居る時はずっと皇子の振りをしていて、わたしも記憶がないだけだと思っていたから……。だから、今更別人だと言われても、すぐに受け入れられる訳ないでしょう」
ばつが悪そうにアルフィーネは言い募った。
「皇子の振りをするのではなく、別人だという事をもっと強く言ってくれていれば——」
「信じたのかい?
ベッドから立ち上がり、エルドはアルフィーネの前に立って見下ろした。
「あたしだったら信じないね。何馬鹿言ってんだって相手にしないよ。それどころか、頭がどうかしたんじゃないかって心配するさ」
実際お婆様がエルーラを使って断言したから信じたのだ。もしそれが無かったらこんな眉唾物の話、ショウに本当の事だと言われても担がれていると思うだろう。
「………」
まさにエルドの言う通りだった。
反論できずに押し黙って俯くアルフィーネに、エルドは更に言葉を継いだ。
「ショウはバカじゃない。そう主張した処で無駄だって悟ったから、早々に諦めたんだろ。皇子の振りをしてたのも、それが王宮で暮らすのに最善だったからさ」
「………」
「あいつ、あたしがその
——今までずっと自分の存在を認めて貰えなくて、よっぽど辛い想いをしたんだろうね」
「………っ」
エルドの言葉にアルフィーネは息を呑んだ。
エスカーの森での事が蘇る。
以前の記憶を取り戻した方がいいかと訊いてきた皇子に、アルフィーネは勿論だと即答した。その時一瞬皇子は酷く傷付いたような淋しそうな表情をしたのだ。どうして皇子がそんな
——あの時、知らなかったとはいえ、わたしはショウの事を否定してしまっていたんだわ。彼の存在を……
アルフィーネは膝の上に置いていた両手をきつく握り締めた。
自分の事ばかりで、ショウの気持ちを全然考えていなかった。傷付けていたのも気付かずに、なんて身勝手だったんだろう。すごく恥ずかしくて今すぐ消えてしまいたい。
「なのに、あんたにあんな態度取られても、ショウはあんたを気遣って何も言わないでいるんだ。気まずいまま荒れ地に行って、これ以上ショウに迷惑掛けたくないだろ」
エルティアでは邑の中以外で安全な所はあまり無い。だからこの国ではいざという時女子供でも戦える様に幼い頃から体術を習う。最低限自分の身は自分で守れるように。
でもアルフィーネはそんなモノは習ってないだろう。そして、ショウは自分で身を守れない彼女を、何があっても護ろうとする。危険な目に遭っている人間をほっとけない性分のようだから。
なのに、助けようと伸した手を気まずさから拒絶されて何かあったら、ショウだけでなく全員に危険が及ぶのだ。
「………」
ショウの負担になっている自覚があるだけに、エルドの言葉はアルフィーネの心に深く突き刺さった。
無理を言って付いて来たのは、ただ心配して待っていたくはなかったから。少しでも自分のできる事で皇子——ショウの役に立ちたかったからなにの、役に立つ処か足を引っ張ってばかりいる。そんな自分が情けなかった。
——エルドの言うようにした方が、ショウの為になるのなら……
自分はいない方が良いのではと、アルフィーネが思い出した時だった。
「エルド、アルフィーネ、居るか?」
天幕の外から呼びかける声がした。今まさに話題にしていた少年の声が。
ビクンっとアルフィーネは体を震わせ、顔を強張らせた。
それを横目で見やりながら直ぐさまエルドが返事を返す。
「ああ、ショウ。どうしたんだい?」
体を返して入り口へと向かう。
「水浴みの準備ができたから、お前達を呼んできてくれって頼まれたんだ」
天幕の入り口から顔を出した
「おいら達はもう済ませたんだぜ。その後夕餉だってのに、姉ちゃん達が何時までも来ないから、おいらもうお腹ぺこぺこだよ」
ショウの後ろから、ひょっこりと顔を出してシグが
「この先エルゼナまで荒れ地が続くって話だから、今日はもうゆっくり休んで明日の出発に備えないとな。アルフィーネも」
ショウがエルドの肩越しに天幕の中にいる少女にも声を掛ける。
「え、ええ……」
思わず返事を返したものの、動揺しているアルフィーネはすぐには動けなかった。
服の下にある胸のペンダントを押さえ、何とか気持ちを落ち着かせてベッドから立ち上がり、皆が立ち話をしている天幕の入り口に向かう。
漸く出て来たアルフィーネが、何か思い詰めたような表情をしているのに気づき、ショウは訝しそうな顔になる。
「アルフィーネ?」
「あの、わたしはエルゼナには行かないで、ここで皆が帰って来るのを待ってます」
意を決して告げる。
そのアルフィーネのいきなりな発言に、ショウは思わず目を瞬かせた。
「え、どうして?」
「わたしが付いていっても、何の役にも立ちそうにないですから」
「役に立たないって訳ないだろ。怪我の手当なんて上手いし」
ショウは怪我をした右腕を示した。アルフィーネの手当が良かったお蔭で、今は殆ど治っている。
「それにあの婆さんは、アルフィーネにエルゼナへ行くように言ったんだぞ。なのに行かなかったら意味ないだろ」
「で、でも、荒れ地は危険らしいですから、戦えないわたしが行っても足手まといにしかなりませんし……」
「そんな事ないさ。アルフィーネにだってできる事はあるだろ。もし何かあっても、その時は戦える奴が戦えばいいんだから」
「いいのかい、それで」
呆れたようにエルドが黄金の髪の少年を見る。
それで一番負担が増すのはショウなのに全然判っていない。だから先手を取ってアルフィーネに自分の意思で残るように仕向けたのに。
「いいも何も、皆が自分のできる事をやればいいだけの話だろ」
「………」
——ダメだこりゃ……
自ら苦労を
「姉ちゃん、仕方ないよ。兄貴はこういう奴なんだよ」
額に手を当てて盛大に溜息をつく姉に、シグは妙に悟り切ったように慰めの言葉を掛ける。
「おい、シグ。俺がこういう奴ってどういう意味だよ」
何となく
そんなショウに、シグはニヤリと笑った。
「いやぁ、結局兄貴も男ってことだよな。連れてってアルフィーネにいいとこ見せたいって事だろ」
「え? な、ばっ、そんな事言ってないだろっ」
思ってもみない事を言われ、
チラッと天幕の入り口に立つ亜麻色の髪の少女を見る。
唖然としていたアルフィーネはそれに気付くと、その視線を避けるように目を逸らした。
——うわぁ、シグの馬鹿野郎っ。もっと気まずくなったじゃないか。
「と、とにかく。早く水浴みして、その後夕餉にするって邑の人が言ってたから」
早口でそう伝えると、ショウはそそくさと逃げるようにその場を後にする。
慌ただしく去って行くその後ろ姿を見やり、シグは頬をポリポリ搔いて呟いた。
「えっとぉ、兄貴って意外とウブ?」
「バカっ」
余計な事を言った弟を、エルドは思いっ切りど突いた。