アーサス   作:飛鳥 螢

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第一章 《 陽 の 国(ソルティア) 》 Ⅲ ー忘れ(やまい)(1)ー

「まこと、フォルド様はそのような(やまい)に?」

 樫のテーブルを挟んでエイルと向かい合う様に座す二人の老人は、念を押すように目の前の優美な男に問うた。

 一人は白髪に近い長い銀灰色の髪と、口と顎に見事な髭をたくわえた威厳に満ちた表情(かお)の中にも、温かい優しさを漂わせた黄金色(こがねいろ)の神官衣をまとった老人で、今一人は頭の脇を残して綺麗に禿げ上がった分口髭と顎髭が豊かな、好々爺という印象を与える老人——オラトリオ神官長とフォルドの侍従長ロドルバンである——が、今はどちらも困惑した硬い表情になっていた。

「ええ、おそらくは……」

 二人の老人を真っ直ぐに見返し、ソルティアの宮廷薬師は静かに応えた。

 あの後、池を覗いた皇子は殆ど茫然自失の(てい)だった。

『…誰…だよ、これ。違うだろ、これが…俺だなんで、どうなってるんだよ』

 と、意味不明な呻き声を上げ、水面(みなも)に映る自分の顔を拳で叩き潰した。

 そして、身を翻して走り去ろうとするフォルドを、エイル達は慌てて引き留めたのだ。

 それを振り払い、フォルドはなおもその場から逃げようと激しく抵抗した。

 それでエイルは仕方なくフォルドに当て身を喰らわせ、衛兵を呼んで皇子の部屋と続き部屋になっている従者の控えの間に一旦フォルドを運び込んだ。

 それから皇子の部屋に居座り、フォルドの帰りを今や遅しと待っていたレイミア、ベルティナ親子を言葉巧みに追い返した後で、気を失っているフォルドを寝室に運び込んでベッドに休ませたのだ。

 そして、アルフィーネにその世話を任せ、手伝ってくれた衛兵に堅く口止めをした上で、密かに司祭長とフォルドの侍従長をこの場に呼び寄せたのである。

「この忘れ病は目覚めた直後に、多少自身の記憶の混乱がみられるのですが、皇子の場合、自己否定が酷く自分は『ショウ』だとおっしゃられるのです」

「自身を〈光輝(ショウ)〉ですと?」

「祖王だと言われるのか? また、どうしてそのような……」

 二人の老人は軽く目を見開いた。

 その名はこの国では特別な意味を持つ名だった。遙か昔荒廃したこの世界(アーサス)に安寧をもたらしたと伝説に(うた)われた偉大な英雄達の名の一つであり、このソルティアを興した王の名でもある。余りにも畏れ多く、この国では誰一人その名を名乗る者はいない。その事はフォルド自身もよく知っていた筈だ。

「判りません」

 小さく(かぶり)を振り、エイルは溜息をついた。

「なにしろ、このような症例は初めてなもので……」

「それで、治る見込みは?」

 ロドルバンは身を乗り出して訊いた。それが一番肝心なことである。

「今のところ、まだ何とも言えません」

 忘れ病は心身に強い衝撃を受けた時になどに見られる病気だ。これに(かか)ると自分が物心付いてから今日に至るまでの記憶の一部、あるいは全部が欠落するという症状が現れる。それ以外は心身共に健康な場合が多く、療養中であっても日常生活を営む事が出来るが、治るまでに掛かる日数が極端で、数時間で元に戻る場合もあれば数週間から数ヶ月、もっと酷いと数年、数十年も掛かる。中には一生記憶が元に戻らない場合もある。

 特効薬がない上、想い出話や想い出の品、場所など、忘れた記憶に関するものを患者に触れさせ、ひたすら記憶が蘇るのを根気強く待つ以外になく、長引けば長引くほどに難治の病となるのだ。

 その上、フォルドのような症例は珍しく、皇子が落ち着いて暫く様子を見ないことには治療の方法も治るかどうかの見通しも立たない。

「それで、お二方にもご協力願いたいのです」

「勿論、この(わし)がお育て致したフォルド様の為なら、この老骨、命を捨てても惜しくはないですぞっ!」

 忠臣の(かがみ)とも言うべき意気込みでフォルドの侍従長は請け合った。

「それで、儂等は何をすれば良いのかな?」

 ロドルバンとは対照的にオラトリオは静かな口調で問うた。

「実は、目覚められたばかりの皇子が最初に出会ったのが、サウアー様だったらしいのですよ」

「なんと、あの虎の威を借りるだけしか脳のない無礼者の若造めに!?」

 ロドルバンはサウアーの名を聞くや否や、一息で言いにくい事を淀みなく言ってのけた。普段サウアーをどのように思っているかがこれでよく分かる。

 また、それを宮廷薬師も神官長も苦笑しただけで、敢えて(たしな)めようとしないあたり、思いは同じということか。

「私がお二人を見つけた時、(いさか)いの真っ最中でした。どうやら皇子がサウアー様を怒らせたようで……」

「大方あの恥知らずが、先にフォルド様に無礼を働いたんじゃろう」

 鼻息も荒く、ロドルバンがまた口を挟んだ。

「大体、あのサウアーめは従兄と言えども家臣の息子にすぎぬ。それをフォルド様がお優しいのをいいことに、言いたい放題やりたい放題、全く鼻持ちならぬわいっ」

 フォルドに制されて、今までずっと鬱憤(うっぷん)(つの)らせてきたのだろう。止める者が居ない今、不満が怒濤の如く髭の谷間から湧いて出てくる。

「ロドルバン殿、お主の気持ちも判らぬではないが、こう話の腰を折っては、何時まで経ってもエイル殿の話が終わらぬではないか」

 とうとう見かねてオラトリオが口を出した。

「こりゃどうも、儂としたことが……」

 諫められて、ロドルバンはばつが悪そうに禿げ上がった頭に手を当てた。

「エイル殿、続きを」

「その場は、私が何とか収めまして事無きを得ましたが……」

 オラトリオに促され再び話し始めたエイルだったが、そこでまた言葉を切ってしまった。が、サウアーの気性をイヤと言うほど知っている老人達は、エイルが言い淀んだ言葉の先を容易に想像できた。つまり、サウアーがこのままで済ますはずがない、ということだ。

 

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