フィラウェルを前に目を見開いて固まるエルティアの少女を、ショウはバツが悪そうに見やった。
自分があんな事を言わなければ、エルドもエルーラの化身が消える前に質問できただろうに。
「ごめん、エルド。俺達ばかり訊いてしまって」
「いいんだよ。すぐに次の質問しなかったあたしが悪いのさ。それに、多分お婆様が一緒にいないから、力を温存する為に消えたんだと思う」
エルドは気落ちしながらも、謝るショウに少女が消えた
「力を温存する?」
「ああやって姿を現して受け答えするのは結構力を使うらしいんだよ」
エルドは曾祖母から聞いた事を口にした。
その為フィラウェルを使う時は常に担い手であるエラドラが傍にいて、質問に答える間エルーラに力を貸していたらしい。
だが、エラドラがいない今、宝珠の力だけでは長くその姿を保つのは難しい。だから誰も質問しないのなら、もう用が無いと判断して自ら消えたのである。そうすれば無駄な力を使わないで済む上、フィラウェルの中であれば少しではあるが、力を回復させることも可能なのだ。
「まぁ、再び現れるにも力がいるらしいから、また姿を現すには暫く時間が掛かるかもね」
それに必要な力をフィラウェルの中で蓄える為に。
「ならいいけど、暫くってどのくらいだ?」
「う~ん、そんなに掛からないと思うけど……」
今までエルーラとエラドラは常に一緒にいたから、こんな事は一度もなかったのだ。聞かれても分るわけがない。
「まあ、半日も掛かるってことはない筈さ」
根拠のない自信を持ってエルドは請け合った。弟が胡乱な
「じゃあ、それまでここから出れないって事か……」
再び現れる為の力をここで蓄えているのなら、エルーラをフィラウェルから取り出すのは流石にマズいだろう。
エルーラがないとここより出られない以上仕方ないとはいえ、困ったようにショウは辺りを見回した。
書物庫の入口とは別の壁の一つに、扉の形に切り取られたエルティア王家の紋章のレリーフがあった。その前に宝珠を置く石柱はないが、他の壁と材質も違うように見える。
「もしかして、あそこから外に出れるんじゃないか?」
「ああ、あそこは神殿からここに入る扉だよ」
ショウの言う通り、そこからなら宝珠がなくとも外に出られる。
それを見ながら、エルドは軽く肩を竦める。
「ただ、随分前に神殿の屋根が崩れて、あっち側は瓦礫で塞がって使えなくなっちまったんだ」
だから今はエルーラを鍵にした王宮側からしか出入りができないのだ。
「じゃあ、やっぱり暫くはここから出られないって事か……」
待つなら外で待ちたかった。ここは輝光石のお陰で程々明るいとはいえ、窓のない閉じた空間の中に居続けるのはどことなく息苦しく感じてしまう。
「すまないね。昔はエルーラが無くとも開けられた人達がいたらしいけど」
「へぇ、あの婆さんじゃなくて?」
「ああ、この国の祖王の直系の血筋の者達——王族だよ」
王族が健在だった頃、エルーラはこのフィラウェルの中に安置されていた。王族は王宮側にあるあの石柱の紋章に掌を置くことで、フィラウェルのエルーラが昔自分が認めた祖王の血を感じ取って書物庫の扉を開けたのだ。
そして王族の行方が分からず、神殿からここに入れなくなった事により、エラドラが宝珠そのものを鍵としたのである。
彼女自身エルーラに選ばれた者だ。やろうと思えばその血を持って扉を開ける事はできたが、自分はあくまで祖王から力の
さらりと返された言葉に、どう返していいか判らずにショウが押し黙ると、エルドはさばさばした声で提案した。
「ここで皆で雁首揃えて待ってるのもなんだし、あんた達は書物庫の方でヴィルドヒルについて調べてみたら。百年前の古ぼけた書物だけど、今に伝わらない新しい発見があるかもよ」
フィラウェルの中にエルーラがある限り、書物庫の扉は開いたままになっている。
「そうだな……、そうするよ」
暫し考え込んで頷いたショウは、アルフィーネを連れて書物庫の方に戻った。
空調がしっかりしていて埃っぽさは感じないが、何しろ百年もの間きちんと管理されていない代物だ。背表紙など薄汚れていて文字が殆ど読めない。
試しに書棚から一冊取り出してパラパラとページを捲ってみた。一応読めはするがエルティアの
そっと元の場所に戻し、ショウは嘆息した。
部屋の中に迷路のように並ぶ書棚の中から、表題も判らず闇雲にヴィルドヒルに関するものを探すのは流石に骨が折れすぎる。
一応エルーラの化身から答えは貰ったのだからと、ショウはあっさりと探すのを断念した。
とはいえ、何もしないのも手持ちぶさたで落ち着かない。
何となく書棚の書物を眺めながら歩いていると、書棚の迷路の奥の一角、輝光石が嵌め込まれた壁の下に石で作られたベンチが置いてあるのを見つけた。ちょっとした休憩スペースのようだった。
ずっと立ちっぱなしだったから丁度いい。
「アルフィーネ、ここに座って休まないか?」
早々に探すのを諦めた自分と違い、熱心に書物に目を通していた亜麻色の髪の少女に声を掛ける。
「あ、はい」
書物から顔を上げて返事をしたアルフィーネは、それを閉じて手にしたままショウの許に行き、勧められるままベンチに腰を下ろす。
ショウも隣に座って彼女の手にする古ぼけた書物を見た。
「これは?」
「まだ読み始めたばかりですけど、エルティアの歴史書のようで、最初の方に創世の逸話らしいものが書かれているみたいなんです」
「へぇ、そんな物があったんだ」
よく見つけたなとショウは感心した。
自分と違ってアルフィーネはくじ運がいいらしい。それとも、それだけ必死だという事だろうか。
「なあ、アルフィーネ。一つ聞いてもいいか?」
「はい、なんでしょうか?」
また読み出した書物から視線を上げ、アルフィーネは隣に座る黄金の髪の少年を見る。
そのセピア色の瞳に映る自分の顔に、複雑な思いを抱きながらもショウは
「その、君とフォルドはどういう関係だったんだ?」
「え?」
「あ、いや、随分と熱心だから。その、フォルドとの間に何かあるのかなと思って——」
訊いた途端表情を硬くしたアルフィーネに、ショウは慌てて言葉を継いだ。
この危険な旅に付いてきた時もそうだった。記憶を取り戻す手伝いをしたいと、元のフォルドに戻って欲しいと必死だった。そこまでするのは単に皇子に憧れて想いを寄せる侍女というだけでない、何か特別な
「……皇子——フォルド…様は、最初会った時、泣いているわたしを慰めてくださったんです」
ショウに言われ、手にした書物を膝の上に置くと、アルフィーネはふっと目を伏せ、昔を思い起こしながらぽつりぽつりとその
事故で唯一の家族である父親を失い、身寄りのなくなったアルフィーネは、君の父親に生前頼まれたからと、エイルに引き取られて王宮に連れて来られた。
アルティア近くの辺境の村から華やかな王宮への環境の激変に、父親を失ったばかりのアルフィーネは途惑った。その上頼りのエイルは仕事が忙しく、殆ど一緒にいる事はなかった。
その心細さと哀しさに堪え兼ね、ある時王宮の庭園の外れで人知れず泣いていた時に、アルフィーネはフォルドと初めて会ったのだ。
繁みを掻き分けて突然自分の目の前に飛び出して来た鮮やかな黄金の髪をした少年に、アルフィーネが一瞬泣くのを忘れて呆けていると、少年は彼女の頬が濡れているのに気づき、不思議そうに尋ねてきた。
『どうしてこんな所で泣いているの?』
『どうして……』
少年の問いに自分が泣いていた
『こっちに来て。いいモノ見せてあげる』
そう言って、少年は庭園の更に奥の噴水のある池まで、アルフィーネを連れて行ったのだ。
そして、『ほら見てごらんよ』と、池の中を指差す。
その指差す先には、水の中で水面すれすれに光を浴びて、キラキラと虹色に輝く大倫の花が咲いていた。
『どう?
『とっても綺麗……』
得意げな少年に茫然と呟き、初めて見るフィリスタームの美しさに心奪われたアルフィーネは、泣くことをすっかり忘れていた。
それから二人は毎日どちらともなくここに足を運び、色々な話や様々な事をして遊んだのだ。
当時アルフィーネはフォルドの事を現王の息子だとは知らず、二つ年上の優しい男の子としか認識していなかった。そして、慣れない王宮の中で初めてできた友達に、父親を失った哀しさや心細さを次第に薄れさせていったのだ。
それはエイルに気付かれるまでの三ヶ月の間、誰にも知られる事のない二人だけの大切な想い出だった。
「そうだったのか……」
ただの侍女にしては献身的過ぎると思っていたが、二人の間にそんな過去があったとは。
——だから、記憶を取り戻させるのに、あんなにも必死だったのか……
自分達だけしか知らない掛け替えのない想い出だから。
——そういえば、王宮の部屋のあの庭の奥の方にあった小さな池にも、その花が咲いてたな……
漸く庭に出られるようになるまで体が回復した時だ。リハビリついでにそこまで連れてってもらい、アルフィーネがその花について色々教えてくれたのである。
『このフィリスタームは、亡くなった王妃様がとてもお好きだった花です。皇子は当時お加減が悪く遠出できない王妃様の為に、わざわざ遠方の群生地まで行って取っていらしたのです。
——皇子、これを見て何か思い出しませんか?』
と、何かを切望するような眼差しを向けて。
多分アルフィーネはこの花を見せる事で、初めて会った時の事を思い出すのではと期待していたのだろう。
だけど、当然の事ながら自分にはフォルドの記憶はない。だからその時は見た事もない水中花の美しさに感動しながら、正直に思った事を自分は口にしたのだ。
『いや、悪いけど、こんな花見るのは初めてだよ。とても綺麗だとは思うけど』と——
それを聞いたアルフィーネが、どんな気持ちになるかなんて考えもせずに。
知らなかったとはいえ、王宮ではそんな彼女の想いを踏みにじるような事を言っていたのかと思うと、物凄く居た堪れない。さっきはお互い様だと言ったけど、
思えば自分が何気なく言った言葉に、アルフィーネが切なそうな
そう思ったら、罪悪感がどんどん膨れ上がっていく。そんな良心の呵責に
「フォルド様が記憶を取り戻せば、傍に居られないと判っていても、わたしは思い出して欲しかった……」
「え? 傍に居られないって?」
激しく落ち込んでいたショウは目を瞬き、思わず聞き返した。
どういう事なのか分からず、淋しそうなアルフィーネの横顔を見る。
「フォルド様が世継の君となって半年程
アルフィーネは膝の上に置いた書物の上で、硬く両手を握りしめた。
「従者の一人がフォルド様を王宮外に誘い出して殺そうとした事があったのです」
暗殺者の待つ場所に連れて行かれ、フォルドは背中に深い傷を負った。
だが、初めて解放した
フォルドはソーレスの加護のお陰で何とか助かったが、彼をここに誘い出した従者は土壇場でフォルドを庇って殺された。その時従者は今わの際に全てを彼に話したのだ。自分は脅しに屈して取り返しのつかない事をするところだったと。
それを聞いたフォルドは、自分を殺してまで次期王の座を欲しがる者達の、権力に群がる欲望の醜さを思い知ったのだ。
以来、二度こんな事が起こらないよう、フォルドは幼い頃から仕える侍従長以外誰も傍に置かなくなったのである。
「わたしが侍女となったのは、フォルド様が意識不明になった後でした」
無防備のフォルドの傍に何時裏切るか分からない者は置けない。それでフォルドの意識が戻るまでの間世話をする者として、エイルの養い子であるアルフィーネに白羽の矢が立ったのだ。
「本当ならフォルド様の意識が戻れば、それで終わりの筈でした。でも、目覚めたフォルド様は記憶をなくし、ソーレスの加護も失っていました」
そんな危険な状態のフォルドを護る為に、アルフィーネは皇子の記憶が戻るまでと、エイルに無理を言って侍女で居続けたのだ。
「………」
——ひょっとして、俺って結構ヤバかったのか?
あの厳重すぎる警備や、部屋に軟禁状態にされていたのは、忘れ
——実際にサウアーが追いかけて来て、いきなり切り掛かってきたし……
平和だと思っていたソルティアの、初めて知る王宮内部の殺伐とした事情にショウは慄然となった。