王宮の中に入ると、エイルは真っ直ぐに南棟を目指し、二階の一角にある今は主の居ない部屋の侍従の間に入った。
「それで、あの後の事を教えて欲しいのですが」
それぞれ椅子に座ると、エイルは単刀直入に訊いた。
「ふむ、あの後儂等はフォルド様の身代わりを立て、日程通りフェデルの出城に着いたんじゃ」
道中町や村に立ち寄る度に皇子の行方を調べたが殆ど収穫はなかった。
「じゃが、フェデルの出城近くにあるテルヌス湖の湖畔の町で、アルフィーネらしき少女が目撃されておる」
今は隣国のエルティアと国としての国交はなくなっているが、交流が全く無いわけではない。冬期になるとヌゥートの毛織物やチャルバ等の皮を売りに来たりする。なので他の地域より他国の者が珍しいという事は無かった。だが、それはエルティアの者であって、アルティアの者を見る事は殆ど無い。
それ故にフードを被っていても、アルティアの特徴を色濃く持つ亜麻色の髪の少女はかなり目立ち、人の記憶にも残ったのだ。その少女がエルティアの地図を求めて商人に訊き回っていたのもそれに一役買っていた。
ただ、そこでも皇子らしき少年の目撃情報はなく、二人が一緒に行動しているかどうかまでは判らなかった。
「ええ、アルフィーネは今エルティアにいます。皇子と一緒に」
ロドルバンの話に頷き、エイルは懐から折りたたんだ布を取り出した。
「先日私が育ったエルティアの
テーブルの上に置いた布を丁寧に広げて、包んでいたものを見せる。
そこには色違いの二本の髪があった。エルティアの者特有の赤系統の髪色とは明らかに違う色合いの髪が。
あの後エルティアから戻って来たルークは、邑に人間は一人も居なかったと告げた。死体すらなかったと。
そして、この二本の髪を渡してくれたのだ。このままでは帰れないと、誰一人居ない邑の中を飛び回って見つけた、見覚えのある黄金と亜麻色の髪を。
「これは……」
目を見開き、ロドルバンは金色の髪を凝視した。
見間違いようもない、フォルドの艶のある黄金色の髪だった。
「どうやら皇子達はそこに立ち寄った後、更にエルティアの中央を目指したようです」
「エルティアの中央じゃと?」
「ええ、その邑でヴィルドヒルの手掛かりを教えて貰ったようです」
「ヴィルドヒルの……」
椅子の背もたれに深く体を預け、ロドルバンは小さく息を吐いた。
出城巡りに出る前に、フォルド様が唯一
「出発前にお主が言ったように、そこにフォルド様の失われた記憶を取り戻す鍵があるのじゃな」
「おそらくは」
念を押すロドルバンに、エイルは頷いた。
皇子と祖王の名を持つあの者は、闇の女王によって魂を入れ替えられた。ならばもう一人対になる者がいる筈だ。ショウ本来の体に皇子の魂を宿す者が。どうやって彼が自分の半身の居場所を知ったのかは判らないが、そこが神話で語られるヴィルドヒルなのだろう。
「ただ、そうなると何時皇子が戻られるか……」
喩えエルゼナの王宮にある書物庫の奥に置かれたフィラウェルでヴィルドヒルの場所が判ったとしても、そう簡単に辿り着けはしないだろう。
「ふむ、当分戻られぬと言う事か……。ならば、それまでフォルド様の失踪の件はなんとしても隠し通さねばならぬな」
「それなんですが、今王宮では皇子のよからぬ噂が密かに
「よからぬ噂じゃと?」
ロドルバンはピクリと片眉をつり上げた。
「ええ、その噂というのが『フォルド皇子が国も民もうち捨てて、一介の侍女風情と駆け落ちした』と言うものです」
「なんじゃとっ!?」
目を剥き、ロドルバンはテーブルの上に身を乗り出してエイルに詰め寄った。
「我等が戻ったのは今し方じゃぞ。何故そのような噂が王宮で流れておるのじゃっ!?」
しかも、フォルド様を貶めるような下劣極まりないものが。一部とはいえ事実が含まれているだけに余計いやらしい。
だが、フォルド様とアルフィーネが失踪したのを知るのは、今回の同行者とネール及びフェデルの出城の騎士団、そして王宮の一部の人間だけである。故に決してそれが他に洩れないよう口裏合わせも念入りに行なっている。さっきの到着時のセイレム様とレグナント様のやり取りもその一環だったのだ。なのに、一体何処から漏れたのか。
「噂の出所は既に掴んでいます」
飛び散る唾を避けるように身を引き、エイルは言葉を継いだ。
「侍従や文官、女官など様々でしたが、その者は皆マクアーク殿に近しい者達でした」
「あの悪辣な腹黒古狸めがっ!」
サウアーの侍従長の名に、ロドルバンはこめかみに青筋を立てて吐き捨てる。
「じゃが、何故
出城巡りの一行から情報が漏れたとは考えにくい。
それについて、エイルは自分の考えを口にした。
「ネールの出城、もしくは周辺にマクアーク殿の手の者が居たか、買収されたか——」
「確かに、彼奴なら如何にもやりそうじゃな」
昔を思い出し、ロドルバンは苦々しく顔を歪めた。
以前フォルドにも歳の近い従者がいたが、マクアーク——証拠はないがそうロドルバンは確信していた——に脅されてフォルドを裏切った。信頼していただけにショックも大きく、以来フォルドは従者を傍に置くことはしなくなったのだ。
「ええ、先程のセイレム様とレグナント様のやり取りで、その噂が払拭できればいいのですが、反対に皇子が戻られなかった事で信憑性が増したとみる者もいるでしょう」
そこが噂の厄介なところだ。特に醜聞などはムキになって否定すればするほど人はそれが本当だと思ってしまう。頑なに否定するのではなく根気よく情報を上書きするしかない。
「皇子が居ない以上、これから戻って来た騎士達に色々と探りを入れてくる者が多いと思います」
それを防ぐ為、戻った騎士達はこの件が何らかの決着が付くまで、人が気安く近づきにくい奥棟の警備に回される事が決まっていた。
「ロドルバン殿もくれぐれも気を付けて下さい」
老人の癖にやたらと血の気の多い皇子の侍従長に、エイルはやんわりと釘を刺した。
「判っておるわい」
フンと鼻を鳴らし、ロドルバンはふと気になった事を口にした。
「そう言えば、ベルティナ様はどうしておる?」
ネールの出城で戻ったならば、自分より先に着いているはずだ。自分達の到着の日時は知らないからさっきは居なかったが、そろそろ騒ぎ出してもいい頃だった。
「ベルティナ様は二日後に皇子を追って行った切り、まだ戻られておりませんが」
目を瞬いて怪訝そうにエイルが応える。
皇子の侍従長が、毛嫌いしている者の事を気に掛けるとは珍しい。
「おかしいのぉ、グレント様に頼んでおいたのじゃが……」
顎髭に手を当て、ロドルバンがぽつりと漏らす。
それにエイルは微かに眉を
「頼んだとは、何をですか?」
「ベルティナ様の事じゃよ。後で来るからよろしく頼むと」
「それはまた、グレント様も大層お困りでしたでしょうね」
何とも言えない
あの尊大な少女が、大人しく言う事を聞くとはとても思えない。
「やはり、無理じゃったかのう」
「それは、ロドルバン殿が一番よく判っている事では?」
母親譲りの、全てを自分の都合のいいように思い込み、人の言う事など全く聞く耳を持たない、身分を笠に着たごり押し気質の性格は。
「まぁ、そうじゃな」
「一応フェデルの出城には、ベルティナ様がいらしたら、皇子は王宮に向かって既に出発して居ないとだけ言うように頼んでありますから」
もし、皇子がエルティアに行ったなどと聞いたら、あの我が儘娘は後を追って行きかねない。
だが、あの国は
一度王宮に戻って来れば、皇子がエルティアに行ったと聞いても、流石に親が後を追うのを止めるだろう。
「また暫くしたら
ロドルバンは思いっ切り嫌な顔をして溜息をつく。
戻るのはその一騒動が終わってからと、そう思ってグレント様に押し付けたというのに。
クスリと笑い、エイルは席を立った。
「それでは、私はまだ用がありますので」
「相変わらず忙しそうじゃのう」
ロドルバンは少し残念そうに若い薬師を見やった。
できればもう少し世間話でもしたかったが、忙しいのであれば仕方ない。
「それが、私の務めです」
そう、命を賭してあの記憶を自分に託したお婆様に報いる為にも、闇の女王の正体を暴き、彼女の企みを必ず潰してみせる。
その決意を艶やかな笑みに変え、エイルは皇子の侍従長を残して部屋を後にした。