アーサス   作:飛鳥 螢

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第二章 《 暁 の 国(エルティア) 》 Ⅺ —囚われの皇子(3)—

 何処までも蒼く澄んだ空が、緑深い森林の上を覆っていた。

 遠く鳥や小動物の鳴き声が、森の静寂(しじま)をすり抜けて微かに聞こえてくる。

 時折爽やかに風が吹き渡り、澄んだ清冽な湖面を緩やかに揺らしていった。

 そんな湖の真ん中に、名も無き島がぽつんと一つ浮かんでいた。

 全体を緑なす絨毯に覆われたその小島の中央にある緩やかな丘の上には、(いにしえ)より在り続ける巨木が島を覆い隠さんばかりに枝葉を広げている。

 はらりと木の葉が一枚枝より離れ、落ちた水面(みなも)に小さな波紋を作る。それは揺れながら輪を広げ、また元の凪いだ湖面へと還っていった。

 フォルドは頭上の枝葉の隙間から微かに漏れる陽の光を頬に感じながら、表情(かお)を曇らせて嘆息した。

 ——彼は今、何処まで来ているのだろう……

 流れる悠久の時の中で、ここだけ時を刻むのを忘れたかのように変化に乏しかった。

 フォルドはあの銀髪の女に、自分の半身が姿を(くら)ませたと告げられた時から、彼に呼び掛けるのを止めていた。

 一度だけ半身と意識が繋がったあの時、受けた〈蒼の閃光(ソレイア)〉の力に堪えられなかったこの半身の肉体(からだ)の影響は精神(じぶん)にまで及んだ。気が付いた後も暫くは酷い頭痛と吐き気が続いたのだ。

 もっともそれは、この体を縛める鎖に繋がる〈命の樹(エリオス)〉によって癒されたが、それでもその力を過信する事は出来ない。自分のメッセージが届いていたと判れば、これ以上心身に負担の掛かる事をする必要はなかった。

 それに、あの時どの位気を失っていたのか。彼女がその事を知らなかったのは幸いだった。何時現れるか分からないあの女に、気絶などしてこれ以上隙を見せるわけにはいかない。

 ただ、日課のようにしていた呼びかけを止めた所為で、益々時の感覚が曖昧になってしまっていた。

 この〈命の樹(エリオス)〉の加護のお陰で、何も口にしなくとも喉の渇きも餓える事もなく、体力の衰えも感じない事がより一層それに拍車を掛けている。

 最初フォルドはここが〈生命の丘(ヴィルドヒル)〉だというあの銀髪の女の言葉を疑ったが、この体の状態からすぐにその考えは捨てた。

 同時に、この場所は神話に出てくる場所だ。誰もが知るような分かりやすい場所に、あの狡猾な女が自分を捕えたまま放置しておくのはおかしい。おそらくここは今神話で語られている場所にはないのだろう。

 そう思い、フォルドは何度か彼女にそれとなくこの場所の位置を聞き出そうとしたが、巧みに話をはぐらかされてしまっていた。

 自分が知れば、ソレイアを介して半身にその情報が伝わると思っているのだ。

 今の自分にこの場所の位置を知る手立てがない以上、後はその半身の彼に任せるしかなかった。とはいえ、彼の許にはエイルがいる。薬師とは思えないほど膨大な知識を持つあの知恵者が。

 彼が姿を(くら)ましたのも、おそらくはエイルからの助言を貰っての行動だろう。

 だとすれば、彼はいずれここに辿り着ける筈だ。とはいえ〈陽の剣(ソーレス)〉の加護もなく、あの女の妨害を無事やり過ごす事ができるかが心配だった。

 何もできず、ただ待つことしかできない我が身が呪わしい。

 これもあの女の狙いの一つだと判っていても、フォルドは心穏やかにはいられなかった。

 唐突に周囲の気配が変わった。心地よかった清風が一瞬にして総毛立つ程の冷気を纏って吹き抜ける。

 ハッとして、フォルドは表情を消した。

 (いにしえ)の巨木の幹に四肢を繋がれた黒髪の少年以外誰も居なかった丘の上に、突如黒いローブを纏った銀髪紅眼の女が姿を現す。

 相変わらず何の反応も見せずに無表情を貫く黒髪の少年を、アルビナの女は可笑しそうに(あか)い唇の端を歪めて見やった。

「何時まで無表情(そのまま)でいられるかのう」

 嘲るような笑みを浮かべたまま巨木の下に戒められた少年に近づく。

「其方の半身——今は祖王の名を名乗っておるようだが、中々の無軌道者じゃな」

「………」

 ——祖王の名…彼はショウと名乗っているのか……

 確かに「フォルド」と名乗っていては色々と面倒だろう。それにしても祖王の名を名乗るとは中々豪胆な性格をしている。

 でも無軌道者とは一体、彼は何をやったのだろうか。

 フォルドが内心で訝しがっていると、銀髪の女は少々呆れを滲ませた声で言葉を継いだ。

「全く何を考えておるのやら、お陰で捜すのに苦労したぞえ」

 水晶球(オーブ)を使った遠見や転移の術は距離にも()るが、それらを使うにはかなりの力がいる。またその力を蓄えるのにも時間が掛かる。おいそれと使えるものではなかった。そこで自らの目としてアルビナの女は、世界(アーサス)の各地に自ら産み出した黒き獣を放っているのだ。

 皇子の半身がこの場所を目指すなら、まずは国境のダルの森を抜けるだろうと、何時来てもいいようにそれとは別に、わざわざ特別に産み出した黒き獣を森に放っておいたのに、まさか近寄りもしない臆病者だったとは。

 折角(むご)たらしく殺してその屍をこの皇子の目の前に(さら)し、自分の浅はかな考えの末路を見せつけてやろうと思ったのに。黒き獣が待ち惚けを喰らわされて、何とも興醒めだった。

 それがまさかダルの森に放った黒き獣によって、東に追いやられた森の蛮人(オーシグル)どもを蹴散らしてエルティアに入るとは。しかもヴァンデミーネの力の宝石(いし)の担い手と接触するなど予想外もいいところだった。

 もっともそれで力の宝石(いし)の興味深い使い方を知る事ができたのは僥倖だった。あの傀儡(くぐつ)どもが首尾よくあれらを手に入れたら色々と試してみるもの面白そうだ。

 ()にも(かく)にも、色々と人の思惑を外す難物だが、それ故踏みにじる(たの)しみも増すというもの。

 退屈凌ぎの変わった玩具を見つけた子供のように、銀髪紅眼の女は邪気のない笑みを浮かべながら、ローブの懐からオーブを取り出す。

「あの者が今何処におるか、其方も気になるじゃろう?」

 片方の掌に乗せた透明なオーブの上にもう片方の手を(かざ)し、アルビナの女は口の中で何やら小さく呟く。

 女の額飾り(サークレット)の中央に嵌め込まれた(あか)い宝石が怪しく輝き、透明だったオーブが闇に染まった。

 それは夜のようだった。今というより、昨夜以前の映像らしい。

 その中央に焚き火を背に険しい顔をして剣を構える、見覚えのある黄金の髪の少年の姿があった。

 夜の闇に覆われてそこが何処なのかは判らない。焚き火に照らされた範囲から赤茶けた岩の多い場所らしいという事くらいだ。

 オーブの中に映し出された少年はその場に留まり、次々と襲い掛かって来る四つ足の獣を撃退していた。

 ——何故そんな戦い方をしているんだ?

 確かに闇の中より明るい場所の方が戦い易いが、多勢を相手にするなら、そこより離れ過ぎずに常に自分に有利な位置取りをしなければ、すぐに追い込まれてしまう。

 動きから戦い慣れているようだから、そんな事くらい分かっているだろうに、何故そうしないのか。

 表情(かお)に出さずにフォルドが不審がって見ていると、チラリと少年の背後に人の姿が見える。

 ——誰かを護ってるのか?

 旅の途中で知り合った者だろうか。同行者の存在にフォルドは興味を覚えた。

 また一人、オーブの中に燃えるような(あか)い髪をした少女が、弓を手に少年の傍らに立った。

 半身の少年の窮地に駆け付けてきたのだ。髪の色からしてエルティアの少女のようだった。

 ——この場所はエルティアなのか……?

 遊牧の民が住む草原の国と聞いていたのだが、赤茶けた岩しか見えないのでそんな風には見えない。

 少女が獣に矢を射掛けながら、何やら背後の者に指示を出している。

 それを受けて一旦奥に向かったその者は、壺のような物を持って戻って来た。

 そして、岩場にその中身を撒き始めた。

 その姿を見た途端、フォルドは驚愕に大きく目を見開いた。

 ——アルフィーネっ!?

 あの二年半前の一件以来、誰が自分を狙っているかはっきりするまではと、今までずっと遠ざけていたのに。

 なのに、どうして彼女が自分の半身と一緒にいるのか。フォルドは理由(わけ)が分からなかった。

「ほう……」

 ——しまった……

 咄嗟にフォルドは表情を取り繕ったが、もう遅かった。

 にんまりと、アルビナの女は口元に嗜虐的な笑みを浮かべてフォルドを見ていた。

 オーブの映像は、黒い巨大なジャルガに黄金の髪の少年が手に持つ剣の刀身が、嚙み砕かれたところで終わっていた。

 結果を見せない事で、よりフォルドの不安を煽るつもりなのだ。

「中々良い見世物であったよの」

 紅い唇の端を吊り上げ、満足そうに黒いローブを纏った女が呟く。

 何時もの戯れて寄っただけが、思わぬ収穫が得られた。

 このソルティアの皇子は、ソルブレイの力の宝石(いし)に選ばれただけあって自制心も中々のものだった。色々と(つつ)いてみたが、今回のように動揺した表情を見るのは、伯父の話をした時以来の事である。しかもその度合いは伯父以上のようだ。どうやらあの少女は皇子にとって余程大切な者らしい。

 また一つ愉しみが増え、銀髪紅眼の女は上機嫌でこの場を後にしようとした。

 それをフォルドは呼び止めた。

「待って欲しい。貴女に聞きたい事がある」

「なんぞえ?」

 珍しい事があると、アルビナの女は振り返った。

 フォルドは女の深紅の瞳を見据えて静かに尋ねた。

「貴女のそのサークレットの宝石、以前は違う色をしていたのではないか?」

「ほう、其方判るのかえ」

 感心したように応える女に、フォルドはやはりと微かに顔を曇らせた。

 あれから自分なりに考えて導き出した答えだったが、何かの間違いであって欲しかった。

 そして、それなら尚更彼女の真意が知りたいと思った。でもアルフィーネに目を付けられた以上もう黙ってはいられない。

「何時まで、貴女はこのような愚かしい真似をし続けるつもりなのだ?」

 心を落ち着かせてフォルドは問い掛け、慎重に最後の一言を口にした。

「——力の宝石(いし)に選ばれた者でありながら」

 途端に銀髪紅眼の女の纏う空気が激変した。

 一気に膨れ上がった怒りで大気が荒れ狂い、エリオスの枝葉が悲鳴を上げて(ざわ)めいた。

「好きで選ばれたわけではないわっ」

 ぎっと黒髪の少年を睨め付けて吐き捨てる。まるで忌まわしき物を吐き出すように。

 額のサークレットの中央に嵌め込まれた(あか)い宝石が禍々しい光を放つ。

「じゃが、力の宝石(いし)(わらわ)を選んだ以上、それをどう使おうと妾の勝手じゃ」

「っ………」

 (はげ)しすぎる憎悪の籠った声に息を呑み、フォルドは返す言葉を失った。

 そんな彼をアルビナの女の冷酷な視線が鋭く刺し貫ぬく。

「そこで己が非力を呪いながら待っておるがよいわ。其方の祖国の滅びの時を」

 傲然と言い放ち、銀髪紅眼の女は言霊(ことだま)を唱えてその場から姿を搔き消した。

 その場を支配していた粟立つ気配が緩み、元の穏やかなものへと戻っていく。

 独り残されたフォルドは茫然と彼女の消えた空間を見ていたが、暫くして詰めていた息を吐き出した。

 自分というより力の宝石(いし)を憎んでいるように感じてはいたが、まさかあれ程とは思わなかった。

 ——一体彼女と力の宝石(いし)、そしてソルティアとの間に何があったのだろうか……

 思い止まって欲しかったが、あれではどんな言葉も彼女の心に届きはしないだろう。

 ならば、彼女をこれ以上好きにさせるわけにはいかない。力の宝石(いし)はこの世界(アーサス)の平和を願って神々から贈られた物なのだ。その力をソルティアを滅ぼす為に使うというのなら、ソルブレイ神の力の宝石(ソレイア)の担い手としてどんな事をしてでも阻止しなければ。

 その為にもソーレスが必要だった。

 ぐっと拳を握りしめ、フォルドは頭上を振り仰いだ。

 先ほど見せられたオーブの映像。彼を不安にさせる為に途中で切れていたが、フォルドは全員無事でいる事を疑っていなかった。

 そうでなかったら、彼女は必ず無残に傷ついた彼等の姿を自分に見せつけるだろう。自分が後悔に(さいな)み、絶望に打ち(ひし)がれる姿を存分に堪能する為に。

 湖まで張り出た枝葉の隙間から、相も変わらず柔らかな木漏れ陽が降り注ぐ。

 それを暫し眺めていたフォルドの顔が、不意に愁いを帯びて歪む。

 ——ショウ、君がアルフィーネを巻き込んだのか。それとも……

 オーブに映し出された自分の半身と一緒に旅する亜麻色の髪の少女に遣る瀬無い想いを抱き、フォルドは今までにない激しい焦燥に駆られていた。

 

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