アーサス   作:飛鳥 螢

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第二章 《 暁 の 国(エルティア) 》 Ⅻ —荒れ地からの帰還—

 何処までも続いた赤茶けた大地が後方に流れ去り、緑なす草原が眼前に広がった。

 そして、そのまま緑の海原を三日程駆け抜けた先に、小さく猛獣の頭が乗っかる(むら)の柵が見えてきた。

「やーと帰って来たぁ」

 一角獣の背でシグが意気込んで宣言する。

「おいら邑に着いたら、ご馳走たらふく食ってやるんだ」

 あの荒れ地では殆ど獲物もなく、持って行った食料を節制して食べなければいけなかったのだ。しかも水はともかく、火の方は薪を節約する為に持って行った油を、ジャルガとの一戦で景気よく使ってしまって足りなくなり、ここ数日は夜以外の食事は水でふやかした干した穀物と乾燥肉、乾酪(チーズ)くらいだった。

 食いしん坊のシグのさっきの宣言は、それから解放される歓喜の一声だった。

 頭の中では早速食べたい料理の数々を思い浮かべている。

「俺はベッドの上でゆっくり休みたいよ」

 同じくシグに並ぶようにして葦毛の一角獣を駆るショウも、ほっとしたように呟く。

 荒れ地やその近くの草原は獲物が少なく殆ど肉食獣がいないとはいえ、あのジャルガの襲撃の事もあり、万が一を考えて夜通し獣を警戒しながら寝ていては、気が休まらなくて眠った気がしなかった。

 あの獰猛なご面相の剥製を懐かしいと感じたくないが、とにかくこれで安心して休めると思うと感慨もひとしおだ。

「そうですね」

 斜め後ろからアルフィーネが、控えめにショウに同意の声を上げる。 

 荒れ地では熱気で体調を崩していた彼女だったが、草原に戻った事で調子を取り戻し、今は一人で一角獣に乗れるまで回復していた。

 そんな風に三人が各々ダーナの邑に着いた後の事を話している間も、先頭を走るエルドは黙々と栗毛の一角獣を走らせていた。

「まだ怒ってるのか?」

 ジグの一角獣に自分のそれを寄せ、ショウが小声で訊く。

「今回は特に根が深くてさ、もう全然だよ」

 ちらちらと姉の方を気にしながら、シグは首を竦めて囁いた。

 あれからもう十日余り経っているのに、まるで態度が変わらない。

 やっぱり逃げたのがいけなかったのか、あの後二手に分かれて何とかエルドを撒き、彼女が落ち着いた頃を見計らって戻ったのだが、二人を迎えたのはエルドの白眼視だった。いきなり殴りかかって来なくなった分、根深く怒っているのだ。

 アルフィーネが何とか執り成そうとしたのだが、ショウ達が触らぬ神に祟りなしとばかりに近寄らないものだから、余計エルドが意地になってしまってどうにもならなかったのである。

 そのまま気まずい雰囲気を引きずって、ショウ達はここまで来たのだ。

 程なくして四人がダーナの邑に着く。

 邑では昼の仕事を終えた女達が彼等を出迎えた。

「あれ、若長は?」

 シグがキョロキョロと辺りを見回した。

 あの姉びいきのゴムラツハが、帰って来たと知って飛び出して来ないのはおかしい。

 栗毛の一角獣から降りたエルドの眉がピクンと跳ねた。

「若長なら、まだウィドの邑から戻ってないのよ」

 出迎えた女の一人、薄桃色の髪をした二十代の女がすまなそうに答える。

 彼女は荒れ地に行く前も何かとショウ達の世話をしてくれて、名をエネメといった。

「まだ? 確かゴムラツハはお婆様をここに連れて来るって言った筈だよ」

 不機嫌そうにしていたエルドが、慌ててエネメに聞き返す。

 ウィドの邑と王都なら、邑の方が断然近い。とっくにお婆様を連れて戻っていると思っていたのだ。

「ええ、そう言ってはいたんだけど……」

 エネメは表情を曇らせて口籠った。

 あれからエラドラを迎える準備を済ませて待っているのだが、若長からは何の連絡もないのだ。エルドの頼みなら何をおいても迅速に終わらせる若長にしては珍しく、遅れている夏場の邑場所への移動準備もしなければならないのにと、邑の者達も困惑していた。

「お婆様の事だから、きっと邑に残るって言い張ってるんだよ」

「それはそうかもしれないけど……」

 口を挟んだ弟の言う事は有り得ない話ではないが、今一釈然としない。

 それならそれで、何かしら連絡をくれてもいいだろうに。

「さあさあ、荒れ地での長旅は疲れたでしょう」

 考え込んでしまったエルドの背をエネメが押した。

「若長もそのうち戻って来るから、取り敢えず荷物を置いて、水浴びでもして汗や埃を落としてさっぱりしなさいな」

 と、アルフィーネと共に出かける前に使っていた天幕の方に引っ張っていく。

 ショウとシグもそれに倣い、一角獣の世話を邑の人に頼んで自分達の天幕に荷物を置くと、周りが布に覆われた洗い場で体の汗と埃を洗い流してさっぱりとした後、夕餉(ゆうげ)まで少し休む為にまた自分達の天幕に戻った。

 簡素ながら久しぶりのベッドの上に寝転がってシグは安堵の息をつく。

「これで何とか姉ちゃんの機嫌直ったかな」

 やっぱり怒りを解くには、他に気を逸らすのが一番だ。

「まあ、エルドだってホントはもう怒ってなかったろうしな」

 ただ意地になり過ぎて、態度を変える切っ掛けが掴めなかっただけだろう。

 ベッドに腰かけ、ショウは寝転がるシグに視線を向ける。

「お前達はこれからどうするんだ?」

「兄貴達は?」

 ショウの問いにシグが問い返す。

「俺達は《昏の国(アルティア)》か《宵の国(ナイティア)》に行こうと思う」

 ヴィルドヒルが河の源流にあるのなら、河のないエルティアにいても仕方ない。

「そっか……」

 きっぱりと言い切ったショウの言葉に少し淋しそうな表情を見せたが、シグはすぐに気持ちを切り替えてわざと明るい声で言葉を継いだ。

「おいら達は、お婆様次第かな。ウィドの部族はもうおいら達三人だけだから」

 足腰立たない老婆と自分達二人だけではウィドの邑は維持できない。多分何処かの部族の邑に厄介になるのだろうが、それを決めるのは長老であるお婆様だ。

 口調とは裏腹に、それはエルーラの化身の言葉を呑み込み、もう邑人は誰も戻らないのだと、残った三人で生きていくしかないのだと覚悟を決めた言葉だった。

「そうか……。大変だろうけど頑張れよ」

 部外者であるショウには、それ以外に掛ける言葉が思いつかなかった。

「兄貴もね」

 ニヤリと、シグは口の端を吊り上げた。

「お邪魔虫のおいら達が居なくて嬉しいだろ。アルフィーネとも仲直りできて、これからは二人っ切りになれるんだから」

「なっ、ばっ、そんな訳ないだろっ」

 しんみりとした気分を一気に吹き飛ばしてくれたシグに、ショウは狼狽(うろた)えて言い返した後に、額に手を当ててハーっと深い溜息をつく。

「——俺は、お前達がいてむしろ助かってたよ」

 今回の旅を思い返せば、エルドのお節介や能天気なシグに随分と救われていた。自分達だけだったら、きっとどうしていいか分からずに、気まずい思いをずっと引きずったままだったに違いない。

 ジャルガとの戦いの時などもそうだ。エルドの助けがなかったらどうなっていたか分からなかった。

 そう思うと、ソーレスの力を扱えない自分が、これから先一人でアルフィーネを護って無事ヴィルドヒルに辿り着けるのか、一抹の不安を拭えないショウだった。

 ふと視線を落とした先に腰の剣があった。

「…——と、そうだ。剣」

 ジャルガの(かしら)と戦って折られた剣の事を忘れていた。

 用心の為にここに着く直前までソーレスを腰に()いていたが、今は折れた剣に替えていたのだ。身バレの元はできるだけ人前に(さら)したくない。

「シグ、鍛冶屋に案内してくれ」

「いいけど、直るかどうか分からないぜ」

 ベッドから跳ね起き、シグは気が進まなそうに応える。

 一人前の証が部族の紋章入りの短剣である事からも判るように、エルティアでは長剣——剣の類を使う者はいなかった。剣など扱った事がない鍛冶屋がそれを直せるとは思えない。

「一応聞いてみるだけだ。駄目なら別の武器を手に入れないとだしな」

 シグを促し、ショウは外に出た。

 邑の中ならまだ安心できるが、その外となると殆ど丸腰と変わらない今の状態は心許なくてしょうがなかった。

 ——俺も大分この世界に馴染んできてるよな……

 武器が手元にないと落ち着かないとか、元の世界なら間違いなく危険人物(ヤバいやつ)だ。もっとも血の臭いには全然慣れないが。

 そんな事を思いながらシグに付いて所狭しと林立する天幕の間を抜け、ショウは邑の中央寄りの一角にある天幕の一つの前に立った。

 入口の真上に紐で抜き身の短剣が刃を下にしてぶら下がっている。

 鍛冶屋の印らしいが何とも物騒だ。紐が切れて短剣が頭上に落ちてきたらどうするつもりなのだろう。

「おっちゃん、いる?」

 頭上の剣呑な飾りを物ともせずにシグは元気よく中に入っていった。

 その後に短剣の下を避けてショウが続く。

「おう、戻って来たか、ウィドの坊主」

 炉の前に座っていた壮年の男が振り返り、威勢のいい声で応えた。

 そして、顔なじみの橙色の髪の少年の後ろにもう一人いる事に気付くと、すっと目を(すが)める。

「そいつは、もしかして邑の若い娘っ子達が騒いでたソルティアの小僧か?」

「えぇと……」

 実際に今この邑にソルティアの者は自分しかいない。でもショウには心当たりがまるでなかった。

 この身体(フォルド)の見てくれは確かに極上だが、寄って来る邑の()は皆無だったし、たまに視線を感じて振り返ると、小さく悲鳴を上げて逃げる少女の後ろ姿を何回か見たことがあるくらいだ。

 それはエルドの連れという事で、誰も手出しできない所為なのだが、その事にショウは全く気付いてなかった。

「で、何の用だ?」

 なんとも答えようがなく口籠るショウを後目(しりめ)に、鍛冶屋のおやじがシグに訊く。

「兄貴の剣を直して欲しいんだよ」

「剣だと?」

「これなんだけど——」

 ショウは腰の剣を抜いて見せる。

 刃が(なか)ばからポッキリと折れている。鞘を逆さにすると、中から折れた刃の先がポロリと地面に落ちた。

 それを見た鍛冶屋のおやじは思いっ切り顔を(しか)めて嘆息した。

「悪いがワシはそういう長物は扱ったことがなくてなぁ。まあ、刃を()いで見かけだけなら直せるが、使わない方が身の為だな」

「やっぱりか……」

 予想していたとはいえ、はっきり言われると流石に(こた)える。

 仕方なくショウはここで剣を直すのは諦め、代わりに一番刃渡りの長い短剣を買う事にした。短剣というより鉈といった方がいいような、片刃で剣の三分の一程度の長さのものだ。でもないよりはマシだろう。ダーナの邑を離れたらまた腰の剣をソーレスに替えればいい。

 鍛冶屋を後にしてそのまま邑の中を歩いていると、エネメが夕餉の支度ができたと教えてくれた。旅の間粗食に堪えていたショウ達は、シグが夢見た様々なご馳走を心ゆく迄堪能した。

 その後エルドはゴムラツハ達が戻るまで起きていると言い張ったが、長旅の疲れの所為で結局四人は早々に睡魔の虜になった。

 




 明けましておめでとうございます。
 今年も読んでくれて有難く思います。
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