アーサス   作:飛鳥 螢

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第二章 《 暁 の 国(エルティア) 》 Ⅻ —西 へ—

 背後でダーナの邑人達が、四人を追おうとする若長を始め、ウィドの邑に行った連中を取り押さえようと群がっていた。

 これ以上は流石にダーナの部族の沽券に関わる。取り敢えず取っ捕まえて、おかしなことを口走る若長や他の連中の頭を冷やすつもりなのだ。

 その隙に四人は草原の中を西に向かって一目散に駆け抜けた。

「一体どうなってるんだ?」

「判らないよ」

 走りながら疑問をぶつけるショウに、エルドは(かぶり)を振った。

 あのゴムラツハ達の変わりように、一番混乱しているのは彼女だった。こうなるとお婆様が本当に死んだのかどうかさえ疑わしくなる。

「とにかく、今は無事逃げ切れるかどうかだよ」

「え?」

 ゴムラツハ達はダーナの邑人達が何とかしてくれたんじゃ。と思ったショウの耳に、自分達以外の馬蹄の音が聞こえてきた。

 まさかと後ろを振り返るショウの目が、遠く怒涛の如く追いかけて来る一団を捉える。

 どうやら両目と鼻をやられながらも、ゴムラツハが自分達を捕まえようとする邑人全員を相手にし、ノマン達を先に行かせたようだ。

 流石にオーシグルと素手のタイマン勝負をするだけあって、邑人程度なら何人かかって来ても楽勝らしい。

 一角獣を両の足で巧みに操りながら、先頭を駆る茜色した髪の若者がエルドの弓より太くて大きい大弓を引き絞ぼる。

 あの不安定な体勢で矢を射る気だ。

 エルティアの者にとって体術同様弓もお家芸の一つだ。幼い頃から弓に親しみ、騎乗していても正確に矢を射る事ができる者が多い。

 ノマンはダーナの部族の若手では随一の大弓の名手だ。

「シグっ」

「あいよっ」

 姉の呼び掛けに、シグは一角獣の背に括り付けた荷物の中から幾つかの布袋を取り出し、その中身を後ろに向かってぶちまけた。

 軽く白い灰が、追って来る連中の視界を遮るように陽炎に乗って宙を舞う。

 次いで、掌に乗るくらいの陶器の壺を次々と地面に叩きつける。

 割れた破片と中に入っていた油が草原の中に飛び散った。

 そこへ、エルドが火矢を射た。

 ぼっと、炎が飛び散った油を伝って燃え広がる。

 弓を構えたまま視界を遮っていた白い灰の中を突っ切って来たノマンは、目の前の草原が燃えているのを見てぎょっとした。

 突然眼前に現れた炎に驚き、一角獣が棹立ちになる。

「うおっ」

 手綱を持っていなかったノマンは、一角獣を御せずに草原に投げ出された。

 彼の後について立ち込める白い灰の中を駆け抜けたダーナの連中も、突然眼前に現れた炎に驚く一角獣を御し損ねて落馬するなど大混乱になった。

 その隙に四人は、アルティアとの国境にある大地の裂け目に架かる吊り橋に向けて、一目散に一角獣を駆った。

 前方に波打つ草々の代わりに樹々が立ち並ぶ。エルティアは草原の国と言われているが、アルティアの国境沿いにはネヴィラの森のように、様々な動植物が棲む雑木林が広がっていた。

 邑の周りにある柵や天幕の支柱などは、こういった雑木林から調達したものだ。

 そして、問題の大地の裂け目のある国境はその先にあった。

 雑木林の中を通る道を駆け抜けると、唐突に樹々が消え、目の前に底の見えない深い大地の割れ目が現れる。

 その大断層に架かる吊り橋は、幅三フィノで長さは六十フィノ以上もあった。

「あたし等、あいつ等が追って来れないようにするよ」

 エルドはショウとアルフィーネを先に行かせ、自分は弟とエルティア側の吊り橋の(たもと)に残る。

「油は後どのくらい残ってる?」

「一つかな。姉ちゃんは?」

「七つってとこかな」

 荷物の中から掌サイズの壺を取り出し、エルドは幾つか弟に渡す。

「じゃあ、盛大にやるよ」

 にっと笑い、エルドは弟と手分けして準備にかかった。

 吊り橋を支える(かなめ)の綱はもとより欄干用の綱や下に敷いた橋板に満遍なく油を撒いていく。

 袂から数フィノ程に油を撒き散らし、最後に火を()けた。

 油を掛けた綱や板が勢いよく燃えて、炎の壁を作る。

 飼い慣らした一角獣は火を見てもそんなに怖がらないが、炎の中に入るのは本能的に恐れる。足止めには十分なるだろう。

 とはいえ、景気よく橋を燃やした事に、吊り橋を渡り切って様子を見ていたショウ達は驚いた。

「おい、エルドっ」

 すかさず一角獣に飛び乗って走って来る朱毛(あかげ)の少女に、大声で呼び掛ける。

「火なんか点けて大丈夫なのか?」

「大丈夫なわけないだろ」

 渡り切ったエルドは一角獣から飛び降りると、アルティア側の吊り橋を支えて()り合わせた太い要の綱の一方にも残りの油を全部振り掛けた。そして躊躇なく火を点ける。

「ホントは吊り橋全体を燃やしたかったんだけどね」

 持ってきた油が足りなくてそれができなかった。

「こっちは手で切るしかないしね」

 エルドは自分の短剣を手に、燃えてないもう一方の太い要の綱を切り出す。

「ほら、あんた等も手伝っておくれ」

「いや、だから、ここってエルティアとアルティアを繋ぐ重要な吊り橋なんじゃないか?」

 完全に落としたら、ここを利用する人達に迷惑をかけることになる。架け直すにしてもあれだけの深い裂け目だ、簡単にはいかないだろう。

「仕方ないだろ。このままだとあいつ等何処までも追って来るよ」

 エルーラとソーレスを手に入れるまで決して諦めないに違いない。ゴムラツハ同様おかしくなっているあいつ等に何を言っても無駄な以上、物理的に追えなくするしかないのだ。

 一応エルティア側に火を点けてきたものの、綱も橋板も堅くて油を撒いても燃えにくい。完全に燃え落ちる事はないだろう。

 それにゴムラツハの無茶ぶりに付き合える連中だ。一角獣は無理でも自分で走って数フィノ程度の炎の中を突っ切るくらいやりかねなかった。

 少なくとも吊り橋を支える要の綱を一本切って容易(たやす)く渡れなくするまで、安心はできない。

「——確かにそうだな」

 エルドの言い分に一理あると思ったショウは、アルフィーネに邑で買った短剣を渡し、自分は腰の折れた剣を手にした。

 既に太い要の綱を切ろうとする姉の手伝いをしているシグの脇に立ち、反対側から切っていく。

 と——

 不意に聞こえた風切る音に、エルドはばっと飛び退いた。

 さっきまで彼女が立っていた空間を切り裂き、傍に居たショウの横を掠めてビンっと吊り橋を支えている柱に突き刺さる。

 とうとうダーナの連中が吊り橋に辿りついたのだ。

 燃え盛る炎の向こうで要の綱を切ろうとする四人を見て、ノマンがそれを阻止するために向こうの崖上から射たのである。

 大弓を扱うだけあって、驚くべき飛距離だった。

 更に空を裂く鋭い音に、ショウ達は慌てて吊り橋の柱の陰に隠れた。

 ビンっと柱に矢が突き刺さって揺れる。

 六十フィノ以上離れている筈なのに、当たっていたら頭蓋骨くらい貫通しそうな威力だ。

 そっと顔を出した途端、ノマンは正確に射かけて来る。

 後もう少しなのに、これでは綱が切れない。

 その間に、炎の橋を突っ切った者がいた。

 こっちに向かって揺れるのも構わず駆けて来る。

「エルド、矢は俺が防ぐから、あいつの足を止めろ」

 渡り切られたら終わりだ。エルティアの男に本気で体術を使われたら、剣を持っていても勝てる気がまるでしなかった。

 折れた剣を鞘に納め、ショウは背負ったソーレスを抜いて柱の陰から飛び出した。

「シグ、アルフィーネと一緒に綱を切るんだよ」

 二人に後を頼み、エルドも弓と矢を手に飛び出す。

 飛来する大弓の矢をショウが叩き斬り、走り来るダーナの若者の足許をエルドが的確に射抜く。

 橋の真ん中で身を隠す事の出来ない男は、動くに動けなくなった。

 だが、炎を越えて来る者が一人、二人と増えてくると、エルド一人ではその全てを押さえるのは無理だった。

 徐々に距離を詰められていく。

「おい、まだかっ」

「後、もう…ちょいっと」

 焦るショウに、シグは手を止めることなく応え、そして—

「これで、終わりだいっ」

 威勢のいい声と共に、シグが最後の一振りを要の綱に叩きつける。

 ぶつりと腹に響く鈍い音がし、切れた太い要の綱が弾かれたように宙を舞う。

 同時に一方の支えを失った吊り橋がガクンと斜めに落ちた。

「おわっ」

「なっ」

 いきなり足場が大きく傾き、橋の上にいたダーナの連中は慌てて近くの欄干の綱を握り締めた。

 何とか揺れる橋から落ちずに足を踏ん張り、ぎっとショウ達を睨み付ける。

「エルーラを、ソーレスを寄越せ」

 口々に呪詛のような声を上げ、その体勢で欄干の綱を伝い一歩一歩近づいてくる。

 それを援護するようにノマンの矢が飛んできた。

 ショウがそれを斬り捨て、四人は再び柱の陰に避難した。

「どうする?」

 ショウが誰ともなく訊いた。

 一応片方の要の綱は切ったものの、相手は諦める気は微塵もない。

 エルティア側の炎はダーナの連中が消火して、もう殆ど鎮火している。

 ただ、一本とはいえ要の綱が切れた為、斜めに傾いた橋は一角獣では渡れない。ダーナの連中は一角獣から降り、次々と切れていない方の欄干の綱を伝って着実に距離を詰めて来た。

 もっとも彼らが掴んでいる綱の先は、火を点けた要の綱から燃え広がった炎で燃えている。あれなら放っておいてもここまで辿り着けないと思うが、力の宝石(いし)に対するあの執念を見せ付けられると、どうしても安心できない。

 エルドのよく知るダーナの男衆は、普段でも一度やると決めた事を途中で投げ出したりはしなかった。つまりはとても諦めが悪いのだ。だからその懸念はもっともだった。

「仕方ないね」

 大きく息をついて、エルドは弟に目配せするとショウを見た。

「あいつ等はあたし等が引き受けるから、あんたはもう一方を切っておくれ」

 あのジャルガの(かしら)の頭蓋骨を一刀両断したソーレスなら、燃えて脆くなった要の綱なら一人で切れるだろう。

「いいんだな?」

 今はおかしくなっているとはいえ、エルド達にしてみれば皆顔なじみの者達だ。もう一方を切ったらあの底の見えない裂け目に、連中を叩き落とす事になるかもしれない。それは流石に後味が悪いだろう。

 そう念を押すショウに、エルドは琥珀の瞳に決意を込めて見返した。

「ああ、エルーラは絶対あいつ等には渡せない」

 何があっても、どんな事をしても。それがお婆様との約束だ。

「——あんたは?」

「俺もだ」

 ソーレスはフォルドの物だ。預かっている自分が好きにできるものじゃない。

 欄干の綱を伝って来るダーナの連中は、既に燃えている綱の手前近くまで来ていた。

 このままだと火傷するのも構わず、燃える綱を伝ってここまでやってきそうだ。

 もたもたしている暇はない。ショウとエルドは一斉に柱の陰から飛び出した。

 ショウが要の綱に向かい、エルドは吊り橋上の男達に矢を射かける。

 それをダーナの連中は片手を綱から放し、腰の短剣を抜いて防いだ。

 その短剣目掛け、今度は柱の陰からシグが投石具(ナルク)で小石を飛ばす。

 不意を突かれた若者の一人の手から、短剣が弾け飛んだ。

 そこへ更にエルドが矢を射かける。

 そして、要の綱に向かうのを阻止しようと飛来する大弓の矢をショウが叩き斬る。

「ぐぉっ」

 エルドの矢が短剣を振る腕に突き刺さり、悲鳴を上げてまた若者が一人短剣を落とす。

 その声に一瞬迷ったように飛来する大弓の矢が止まったが、直ぐに仲間に矢を射かける朱毛(あかげ)の少女に矢が集中した。

 ソルティアの少年が要の綱を斬る前に、仲間を向こう側に渡り切らせればいいと判断したのだろう。その為にはエルドが邪魔だった。

 にっと口の端を吊り上げ、エルドは大きく跳び退いてそれらを避けた。

 ノマンの判断は間違っていない。ただし、ショウの持つソーレスが普通の剣ならば。

 (わざ)と姿を(さら)して矢を射っていたのは、ノマンの注意を自分に引き付ける為だ。

 これでショウが要の綱を斬るのに集中できる。

 エルドの矢が止まった隙に、またダーナの連中が綱を伝って進もうとするが、それを今度はシグがナルクで小石を飛ばして妨害をする。

 エルドも矢を避けるや否や、すかさず橋の上の男達に矢を射かける。

 それを阻止しようと、更なる矢が飛来した。

 エルドはすれすれながらも何とか躱して矢を射続け、それにシグも加勢する。

 その隙にショウは要の綱の(もと)に辿り着き、ソーレスを打ち下ろした。

 切れ味鋭い刃が深々と炎を纏った堅い綱に食い込む。

 がくんっと橋板が大きく沈み込んだ。

「っ!?」

 ダーナの連中が息を呑み、掴む綱にしがみつく。

 ちらりとそれに視線を走らせると、ショウは更に渾身の力を込めてソーレスを振り下ろした。

 ざっくりと切れた要の綱が、火の粉を撒き散らして勢いよく宙を舞う。

 支えを完全に失った吊り橋の一方が、裂け目の中を大きく弧を描いて落ちていく。

 野太い悲鳴が大地の裂け目の中を、尾を引いて木霊した。

 だがよく見ると、エルティア側に垂れ下がった吊り橋の残骸にしがみつき、幾人もの人影が必死に上がろうともがいている。

 どうやらダーナの連中は、しぶとくも落ちずに済んだらしい。

 ホッとするショウ達に、風切る鋭い音と共に怒りの矢が射込まれる。

 ぎょっとして、ショウ達は慌てて柱の陰に飛び込んだ。

「これでもう追って来られないよな」

「取り敢えず、ここから離れるよ」

 矢が飛んで来るこんな所では落ち着いて話しもできない。

 エルドの言葉に、四人は吊り橋の柱を盾に一角獣が逃げ込んだ繁みの所まで行くと、怨念の籠った怒声を背に一角獣を駆ってその場を後にした。

 




—エルティアのとある邑の乱闘騒ぎ後の会話—
「やっと大人しくなった……」
「若長が下戸で、ホント助かったぜ」
「それと、最初にエルドが若長の目と鼻を潰してくれたからな」
「けど、それでも若長が勘だけで避けまくるから、酒瓶全滅だぜ」
「それくらい安いもんだろ。でなきゃ俺達今頃あの柵の上の剥製の仲間入りだ」
「まぁ、お前の顔は猛獣と同じくらい怖いからな」
「なんだとぉ」
「ほら、油売ってないで、とっとと縛っちまいな」
「お、おう」
「でもよ、これからどうすんだ? 若長がこのままだったら——」
「正気に戻るまでど突き回す」
「「「えっ!?」」」
「当然だろ。これ以上人様に迷惑かけれないからね」
「そりゃ、そうだが……。それじゃ、ノマン達もか?」
「当ったり前じゃない。しっかりお灸をすえなきゃね」
「そうそう、あたし等に手をあげたらどうなるか、きっちり判らせてやらないと」
「ふっふっふっ。あいつあたしの事突き飛ばしたのよねぇ。戻って来るのが楽しみだわ」
「「「………」」」

 笑顔で指を鳴らす女衆から目を逸らし、ダーナの男衆は黙々と全身酒を浴びて泥酔した若長をグルグル巻きに縛った。
 この時縛られたゴムラツハと、一旦エルド達を追うのを止めて邑に戻って来たノマン達の運命は、邑の女衆の手に握られた。
 ———合掌。





―お 詫 びー
 とうとう加筆修正が間に合わなくなりました。特に加筆の方が。
 元々この小説は以前書いたものをここに投稿するにあたって、少し手直ししようと読み返した際、書いてない場面(シーン)があちこち見つかり、このまま上げるのは流石にマズいだろうと、足りないシーンを書き足して投稿していました。
 それでも最初は何とかいけると思ったのですが、話が進むにつれ書き足すシーンが増えていき、ついでに段々忙しくなって書く時間が徐々に削られていった結果、結局上記のような状態に。
 なので、今後投稿は不定期になりますが、一応(あらすじ)は全部出来ていますし、一度書いた以上最後まで書き切るのが信条なので、気長に待っていて下さると助かります。
 取り敢えず忘れられない様に、最低でも月一投稿を目指して頑張ろうと思っていますが、第三章《昏の国(アルティア)》は更に書き足すシーンが増えるので、その場面を指折り数えて今ちょっと涙目になっています。
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