アーサス   作:飛鳥 螢

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第三章 《 昏 の 国(アルティア) 》 Ⅰ —失意と不満—

 不意に扉を叩く音がする。

「どうした?」

「薬師殿が午後のお薬をお持ちいたしました」

 扉越しの答えに、もうそんな時間かとセイレムとカムラスは顔を見合わせた。

 随分と話し込んでいたらしい。

「判った。入れ」

 王が頷くと、近衛の長は姿勢を正して入室の許可を出した。

「失礼いたします」

 声と共に扉が開き、外に控えていた侍従や騎士達に続き、ローブを着た四十代位の薬師の男と薬を乗せたトレーを持つ薬師見習いの若者が入って来た。

 侍従の一人が薬師見習いからトレーを受け取り、ベッドの脇机の上に置く。

 小さな水差しのようなガラス製の容器の蓋を取って中の薬をコップに(そそ)ぐと、老齢の侍従はそれをベッドの上で上半身を起こしている王に差し出した。

 それを受け取ったカムラスは、微かに顔を(しか)めたものの覚悟を決めたように一気に飲み干す。

 その表情はとても不味そうだった。良薬口に苦しと言われるが、今飲んだのがまさにそれである。

 無言で干したコップを差し出すと、老齢の侍従は代わりに口直しの蜜水を手渡した。

 それも一気に飲み干して漸く王が一息つくと、今度はベッド脇でその様子を観察していた宮廷薬師の男が王に体調などを尋ね、それを薬師見習いの若者が持ってきた羊皮紙に書き記していく。

 診察を受ける王を眺めながら、セイレムはそっとベルトに付けた物入れ袋に手を添えた。

 そこに中身を抜いた鳥の卵の中に別の液体を入れた物が入っていた。成分は判らないが植物由来の物で、元々気候が暑くなるこの時期に発生する害虫駆除用に調合されたものらしく、かなりの刺激臭がする。

 これはエイルの使いの者から、王の護衛に着く近衛の騎士全員分を渡されていた。

 あの日、王宮を旅立ったフォルドが最初の目的地であるネールの出城に着いた時分、突然この部屋に飛び込んで来たピクトの(さえず)りを聞いた王が、突如人払いをしてエイルと二人この部屋に籠った。

 その後暫くしてセイレムだけが呼ばれ、そこで彼はつい先程窓から入って来た賊に襲われたことを聞かされたのだ。

『馬鹿な、私はずっと扉の前にいたのだぞ』

 賊が侵入したのなら、いくら隣室に居ようともその気配くらい感じ取れる。なのに、何の物音も気配も確かに感じなかったのだ。

『ええ、でも襲って来た賊は只者ではなかったのです』

 驚き、食って掛かる近衛の長を宥めるように応えたエイルは、やんわりと問い返した。

『セイレム様は〈白き者(アルビナ)〉をご存じでしょうか?』

『アルビナ?』

 セイレムは眉根を寄せた。

『はい、生まれつき色素を纏わぬ銀髪紅眼の者の事です』

 エイルは王にしたように近衛の長にもアルビナについて説明した。人にない特殊な力を持つ稀有な存在であることを、他者と魂を取り換える能力があるという部分を除いて。

 そして、気配に敏感な近衛の長が気付かなかったのは、その者の能力によるものだと。

『そのような者が本当に居るのか?』

 淡い金髪(ペールブロンド)の薬師の話は(にわ)かに信じられるものではなかった。

 だが、「エイルの話は本当の事だ」とベッドの王が肯定したことで、セイレムは一応納得した。

『では王よ、今後いかなる理由があろうとも、身辺から護衛の者を排する事はおやめください』

 苦言を呈し、セイレムはカムラスにしっかりと釘を刺してジロリと若い薬師を睨んだ。

 同じ人払いして二人で話し込むにしても、王が病臥に伏す前は屋外の東屋など人目のある所だったのでまだ良かったのだが、王がベッドより動けない今、同じようにしばしば護衛の騎士さえも締め出しての密談は、あまり外聞が良くなかった。

 さっき急に退出を命じられて隣室で待機していた者の中に、度々寝所で同じ薬師と二人だけになる王に疑問を持ち、「もしかして——」と口走る者もいたのだ。

 無論すぐさま睨み付けて黙らせたが、疑念が消えた訳ではない。

 王が王妃亡き後かなり()つのに未だに再婚せずにいる事や、エイルが男の癖に浮世離れした美貌を持っているのも、あらぬ誤解を招く要因になっているのは間違いなかった。

 このまま放置していては、いずれフォルドの噂以上に厄介な事になるだろう。

 それが判っているのかいないのか、当事者の一人であるエイルは穏やかな笑みを浮かべて頷いた。

『確かに、セイレム様のおっしゃる通りだと思います。先程はたまたま持っていた害虫駆除用の液玉をぶつけて撃退できましたが、王の安全を考えると、当分私はここへは近付かない様にした方がよろしいでしょう』

『そういう意味で言ったのではないぞ』

 セイレムは慌てた。部屋で王と二人切りになるのがマズいのであって、優秀な薬師を部屋から締め出すつもりは毛頭なかった。

『いえ、先程のアルビナの女はとてもプライドが高そうだったので、私に「借り」を返すまで王には手出ししないと思われます』

 少し煽っただけで、こちらの思惑通りに標的を自分に変える程だ。去り際の捨て科白(ぜりふ)には既に王など眼中になかった。

 エイルがここに近づかないと言ったのは、王を自分の巻き添えにしない為である。

『ですが、万が一の事を考えて、後程セイレム様護衛の騎士の方々に、私が撃退に使った液玉をお渡しいたしましょう』

 あくまで持っていたモノで賊を撃退したとして、エイルはセイレムに自分の能力を隠した。元よりあの襲撃がなかったら、一生誰にも知られずに済ますつもりだったのだ。

 それに、この近衛の長が宰相とも親しい間柄である以上、用心するに越したことはない。

 そんなエイルの思惑に気付かず、セイレムは自分の腰の剣を示して言葉を返す。

『いや、そのような気遣いは無用だ。我等には剣がある』

『あの者は遠くからでも力が使えます。その場合残念ながら剣は何の役にも立ちません』

 先に剣の間合いの外からあの力を使われれば、いくら剣技に優れていようとも意味はない。力を使われる前に相手を無力化する事が肝要だった。

『………』

 きっぱりと言われ、セイレムは言葉に詰まった。

 反論したいが、賊と相対したエイルの言葉には重みがあった。

『それでは、今日中に使いの者にそれを持たせてお渡ししますので、後の事はよろしくお願いいたします』

 と、頭を下げて去って行ったまま、言葉通りエイルは今まで一度もここに顔を出した事はなかった。時折ピクトを使って王と何やらやり取りをしているくらいである。先程のフォルドの情報もそうやって王に伝えられたものだった。

 伝え聞いた話では、王より頼まれた調べ物をして忙しいらしいが、それでも自分がエイルを追い出したように思え、セイレムは何とも気まずかった。

 できれば今すぐ会って(わだかま)りを解きたかったし、一度断られたが賊がエイルを狙ってくる可能性がある以上、護衛の件も再度話し合いたい。それにフォルドの事も直に彼の口からもう一度詳しく聞きたかった。とはいえ、そのような私事で王の傍を離れるわけにもいかない。

「まだ、エイルは来られんのか……」

 思わず嘆息しながら小さく呟く。

 それを聞きつけた薬師の額にくっきりと(しわ)が寄る。が、すぐにそれを消し、何事もなかったように男は薬師見習いの若者から受け取った問診を取りまとめた羊皮紙に目を通していく。  

 そして、それを薬師見習いに返すと深々と辞去の礼を取り、王の部屋を後にした。

 奥棟の一角にある南棟を出て、薬師の二人は来た通路を引き返していく。

 薬師の男は見習いに薬の容器を洗う様に指示を出して別れると、自分は問診の結果を師である宮廷薬師の長に渡すべく中央の棟へと足を向けた。

 途中人気のない場所に出ると、男は何を思ったのか、いきなり持っていた羊皮紙で回廊の柱を叩きつけた。

「ったく、エイルでなく、私が来たことがそんなに不満かっ」

 先程ベッド脇に立っていた近衛の長の呟きを思い起こし、薬師の男は苛立たしげに吐き捨てる。

 自分も好きでエイルの代わりをしているわけではないのだ。それを毎回期待外れのような顔をされ、あまつさえあんな呟きを聞かされては、自分としても不満なだけに余計腹が立つ。

 とはいえ、この役目が嫌な訳ではない。むしろ名誉な事だ。宮廷薬師の長にも王にも信頼されている証なのだから。だがそれも代理ではなく、最初から自分に任されていたのであればだ。

「おや、ヴェルズ殿ではないですか」

 柱を叩いた鋭い音と共に苛立つ男の声を聞き付けた者が一人、驚いたような顔をして薬師に近づいてきた。

 五十代の、所々白髪が混じるくすんだ金髪の中年太りの男——サウアーの侍従長である。

「これはマクアーク殿、とんだところをお見せしまして」

 誰も居ないと思っていたヴェルズは、バツが悪そうな顔になった。

「いやいや、エイル殿の事で何やら問題事でもありましたかな?」

 そう言いながら、マクアークは心配そうな表情(かお)を薬師の男に向ける。

「いえ、別に……」

 ヴェルズは思わず言葉を濁す。

 さっきのは単に癇癪(かんしゃく)を破裂させただけだとは、流石に恥ずかしくて言えない。

 そんな彼に、マクアークは訳知り顔で溜息混じりに若い薬師の事を口にした。

「エイル殿も困ったものですな。王の名を使って好き勝手するなど」

「いや、それは——」

「エイル殿は本来自分がすべき事を、王の名を盾に忙しい貴方に押し付けて、自分は好きな事をしているのでしょう?」

「っ………」

 畳み掛けるようなマクアークの言葉に、反論しかけたヴェルズはハッとしたように目を見開いた。

 言われてみればその通りだ。本来なら王に日々薬を届け、問診するのはエイルが任されていた仕事だ。それを長のリヤルド老師が、忙しいというエイルの言葉を受け入れて自分にそれをやらせたのだ。こっちもそれ程暇ではないというのに。

「先達である貴方に当然のように自分の仕事までやらせるとは、本当にやりたい放題ですな」

「ああ、そうだ。何時も何時もあいつは自分勝手に振る舞って、薬師の仕事を何だと思っているのだ」

「全く薬師の風上にもおけませんな」

 男の言葉に大きく頷き、マクアークは更に話し続けた。

「自室にしても一人だけ宿舎ではなく、今はもう王家の交流はないとはいえ、エルティア王家用の棟の一室を我が物顔で使用して、王侯にでもなったつもりなのでしょう」

 エイルが王宮に来た当初、他の者同様王宮の宿舎に入っていたのだが、鳥の出入りがあるエイルの部屋の窓下には鳥の糞が大量に落ちていて臭い。との苦情が周りの部屋の住人から上がったのだ。

 その結果、人に迷惑を掛けずに鳥と交流するに適した所として、自然を生かした林に面した今は使われていない棟の一角にエイルは追いやられたのだが、そこら辺の事情を知らなければ、確かに一人だけ特別扱いされているように見える。

「ああ、あいつは上に取り入るのがうまいのだよ」

 何を調べているか知らないが泊りがけで神殿まで行って。そんな事は薬師の仕事とは何の関係もないだろうに、我が老師はそれを王命だというエイルの言葉を鵜吞みにして容認しているのだ。

 自分の方が長年宮廷薬師としてリヤルド老師に師事してきたのに、新参者の癖にエイルは瞬く間に師の信頼を勝ち取り、今では王にも重用されている。

 エイルが部屋を移動した理由をヴェルズも知っていた筈だが、心の奥底に埋もれていたエイルに対する妬みを言葉巧みに煽るマクアークに乗せられ、薬師の男は益々エイルへの恨みを募らせていった。

 今やヴェルズは、自分が王の許へ行く代わりにエイルが彼の仕事の大半を肩代わりしている事や、それらの仕事を終えてから王に頼まれた調べものをしている事も、エイル自身がいかに優秀かを自分に見せつけているようにしか思えなかった。

 こうなるともう、ヴェルズはエイルの何もかもが気に入らなくなった。

 ギリっと奥歯を噛みしめる。

 ふと手に持つ羊皮紙が目に入り、ヴェルズはハっとなった。

 問診の結果を長のリヤルド老師に届けに行く途中だった事を思い出す。

「申し訳ない。私は用があるので、これで」

「ええ、私の方こそ引き留めて申し訳ありませんでしたな」

 慌てて去って行く薬師の男の姿を見送り、マクアークは満足そうに口の端を吊り上げた。

 




 お久しぶりです。
 桜の季節がやってきました。
 やっと春が来たと思ったら、寒い……
 かと思ったら暑い……
 運動不足で体力のない自分には、どちらも徹えます。
 そろそろ本格的に体力増強を模索しないと、色々ヤバいかもしれません。
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