アーサス   作:飛鳥 螢

152 / 165
第三章 《 昏 の 国(アルティア) 》 Ⅰ —エイル(4)—

 ここ暫く降っては止みを繰り返えしていた雨を降らす灰色の雲も綺麗に消え、空はすっきりと蒼く晴れ渡っていた。

 雨に打たれて俯き加減だった花々は、久々の暖かな陽射しを思う存分浴びて美しく咲き誇っている。

 湿気を含んでじっとりとしていた空気も、軽やかに吹き抜ける風に重く湿った衣を脱ぎ捨て、降り注ぐ陽光の中で陽炎(かげろう)が踊る様に揺らめいていた。

 慈雨の月が過ぎ、ソルブレイ神の恵みが最も感じられる季節になると、暑さもそれなりに増してくる。

 ソルティアの王宮の北棟の一角にある図書室の奥、厳重に管理された書庫にはこの国が興った時からある古い書物や記録が収められていた。

 神殿の書庫を調べ終わった後エイルはここに入る許可を取り、薬師の仕事を終えてからずっと王宮の書庫でエラドラから得た記憶を元に調べ物をしていた。

「取り敢えず、こんなものかな……」

 ほっと小さく息をついて机の上に取り散らかる書物や巻物、そしてそれを写し終えた羊皮紙を見やり、エイルは軽く首周りをほぐすと、それらをまとめ始めた。

 書庫の中にある書物や巻物は全てが古く、とても貴重な物ばかりなので持ち出しは当然禁止されている。仕方なく必要な個所を書き写す事にしたのだが、思った以上に量があって一人でそれを写すとなるとかなりの苦行だった。

 更にこれを自室に持ち帰り、資料として分かり易くまとめなければならない。面倒ならばこれを口頭で済ます事もできたが、後々の事を考えると誰が見てもはっきりと分かる様にまとめておいた方がいいだろう。

 エイルは机の上に出した書物や巻物を全て書棚に戻すと、書庫を管理している文官に一言礼を述べ、図書室を後にした。

 外に出ると慈雨の月の終わりを告げる様に、乾いた風がローブの裾を揺らす。

 日陰ならまだ涼しいが、陽当たりに出ると吹く風も少し暑く感じられた。

 建物脇にある樹の梢では、木陰に入った小鳥たちが時折(さえず)りながら(たわむ)れている。

 エイルはそれを微笑ましそうに見やった。

 暫し小鳥達の囀りを聞いていたエイルは、再び歩き出して中央に向かう回廊に出ると、チラリと視線だけを後ろの建物の陰に走らせる。

 ——ご苦労な事ですね……

 物陰に隠れ、自分に気付かれていないと思っている人達に、エイルは思わず吐息を漏らした。

 以前はこちらの様子を探る様にしていたが、次第に隙を窺うような感じになり、面倒事になる前に何回か尾行を巻いてやり過ごしてきた。それが最近になって更に本格的になってきたのだ。

 その気配をエイルはよく知っていた。世話になったウィドの(むら)を旅立ち、ソルティアの辺境に入った途端何度もそういう気配を感じたものだ。

 狙った獲物を何処までも付け狙うねっとりとした気配。それは大概エイルを独り旅の年若い女性と勘違いした連中のものだった。所謂勾引(かどわ)かしを商売にしている奴等である。

 エイルは別に女装していた訳ではなく、ちゃんと一般的な男服を着て旅をしていたのだが、彼らは何故か彼の容貌から男装の麗人と思い込み、絶好のカモと思ってちょっかいを掛けてくるのだ。

 勿論エイルは丁寧に彼等に言い聞かせて手を引かせていたが、中には男でも構わないという連中もいて気色の悪い思いをしたこともあった。

 ——まさか王宮内でそんな事はないだろうけど……

 昔の余計なことまで思い出し、ちょっと暗鬱な気分になったエイルだったが、今ここで隙を見せたら間違いなく面倒な事になる。

 気を取り直し、エイルは何時も使う人気のない宮廷奥の庭園の小道ではなく、人の多い中央回廊へと早足で向かった。

 

 

 王宮の中央辺りになると、今日も文官や女官達が各々仕事に動き回り活気づいている。

 人通りの多い東西南北に延びる回廊が交わる広場の一角で、ひと際大きい老人の怒声が辺りに響き渡った。

「いい加減にせぬかっ、べらべらとそのような戯言(たわごと)ばかり言いおって!」

 禿げ上がった頭上部を真っ赤に染め、ロドルバンが唾を飛ばして喚くと、目の前の中年太りの男が飛び散る唾を避けながら、ニヤリと笑みを浮かべて言い返した。

「そのように怒るとなると、やはり噂は本当ということになりますかな」

「なんじゃとっ!」

「ほら、人は図星を指されると怒る振りをして誤魔化すと言いますからな」

 怒り心頭の老人を嘲るようにマクアークが言う。

 ロドルバンはぐっと拳を握り締め、殴りたいのを必死に堪えながら言葉を返した。

「ほう、殊勝な事じゃな。お主自ら噂はただの戯言だと言いよるとはのう」

「なんですと?」

「儂は、『振り』ではなく心底怒ってるのじゃからのう」

 だから図星を指されて誤魔化したというのは見当違いもいいところだ。反対にそう言う事で自分の嘘を有耶無耶にしようとしているのだろうと、ロドルバンはやり返した。

「なっ……」

 言葉尻を捉えた思わぬ反撃に、マクアークは一瞬言葉を失ったが、すぐに憎々しげに口の減らない老人に反論する。

「——そんな、細かい事を一々(あげつら)っても事実は変わりありませんぞ」

 遠巻きに口論の行方を窺う人々の視線を集め、両者は睨み合う。

 フォルドとサウアーの侍従長。この二人がここで顔を合わせたのは全くの偶然だった。

 たまたまマクアークが見知った文官と立ち話をし、フォルド皇子の噂話に花を咲かせていた処で、やって来たロドルバンがそれを聞きつけ、猛然と抗議した処からこのような言い合いなったのである。

「そうじゃ、いくらフォルド様を貶めようとした処で、三年前ソーレスにサウアー様が選ばれなかったのは紛れもない事実じゃ」

 マクアークに厳然たる事実を突きつけ、ロドルバンは口の端を吊り上げる。

「そういえば、このところ何時も王宮内をうろついていたサウアー様の姿をお見掛けせぬが、今までの愚かな行いを恥じて姿を(くら)ませたのかのう」

 例の噂話で失踪したと言われているのは、フォルド様ではなくサウアー様の方では。と暗に揶揄(やゆ)する。

「貴様——」

「おや、何やら人集(ひとだか)りが出来ていると思ったら、お二方でしたか」

 ぎりぎりと歯を軋らせて唸るマクアークの声に、人垣の間から出たのんびりとした声が重なった。

 ハッとして振り返ったロドルバンが顔を綻ばせる。

「おお、エイル殿」

「お久しぶりです。お元気そうですね」

 人垣の隙間を縫うように前に出て来たエイルは、にこやかに皇子の侍従長に挨拶した。

 同じ王宮に居ながら、働く場所が違うと会えないことの方が多い。彼がロドルバンと会うのは、ネールの出城巡りの一行が帰還した時以来だった。

「何やらお取り込みのようですが——」

「私はこれで失礼する」

 エイルの言葉を遮って憤然と吐き捨てると、そのままマクアークは乱暴に人垣を押し退けて行ってしまう。

 エイルが現れた事で更に形勢不利と見做したのだろう。怒った振りをして追及を逃れたのだ。

「ふん、調子よく逃げよって」

 ロドルバンが鼻を鳴らす。

 片方が去って行ってしまった事で、集まっていた野次馬も自分の用事を思い出し、そそくさと先を急いで早足に去って行く。

 いつの間にかその場にはエイルとロドルバンの二人だけになっていた。

「何故このような事に?」

「あの腹黒古狸めが。フォルド様がおらぬのをいい事に、ソーレスに相応しくないなどと悪し様に好き勝手言いよるもんでな、少し懲らしめてやったんじゃよ」

「少しですか……」

 皇子の悪口を聞いて黙っていられるようなご老人でないのは判るが、()りに()ってこんな公衆の面前でやり合うとは。少しどころの騒ぎでは済まないだろう。

 こういう醜聞はムキになって否定すればする程、かえって逆効果になる事が多い。漸く少し落ち着いてきたあの噂話が、また王宮内で再燃しかねない困った事態である。

 こうならないようにロドルバンに釘を刺しておいたのだが、全く意味がなかった事にエイルは頭が痛かった。

 得意げに自慢するフォルドの侍従長を、エイルは疲れたように見返した。

「まぁ、済んだ事は仕方ないですが、皇子の為にもあの噂については、あまり人の関心を集めぬようお願いします」

「勿論じゃよ」

 ロドルバンは胸を叩いて調子よく請け合うが、皇子の事となると見境なく暴走するこの性格では、とても期待できそうにないエイルだった。

 これ以上何かしでかされる前に、それから気を逸らせる必要がありそうだ。

 そうエイルが思案し始めた時だった。

 今まで聞こえていた行きかう人の(ざわ)めきが不意に途切れ、カツカツとヒールの音を響かせて複数の足音が響き渡る。

 その足音が段々近づいてくるのを感じ、エイルとロドルバンは思わず足音の方へ顔を向けた。

 取り巻きを連れた蜂蜜色の髪の少女が、折角の綺麗な顔を怒りに満ちた形相で台無しにしてやって来る。

 暫く王宮で姿を見なかった宰相の娘のベルティナである。

 出城巡りに出たフォルドを追って行ったものの、会えないまま漸く王宮に戻って来たらしい。

 そして、その鬱憤を晴らすためにこの場に来たのだろう。

 ロドルバンは煩わしげに顔を(しか)めると、これから起こる面倒事の張本人に後始末を任せて他人の振りをする。

「これはベルティナ様、いかがなされましたか?」

「いかが、ではないわ、この大嘘つきっ」

 にこやかに声を掛けて来た淡い金髪(ペールブロンド)の薬師をギッと睨み付け、ベルティナは憤然と怒りをぶつけた。

「後から追って行っても、全然フォルド様と会えないではないのっ」

「それはおかしいですね」

 予想通りなのだがエイルはそれを(おくび)にも出さず、不思議そうに軽く首を傾げた。

「出城巡りの日程は、ベルティナ様もご存じと思っておりましたが」

「ええ、分かっていてよ。でもわたくしが着く前に、フォルド様は先に行ってしまってるんですわ」

 出城に着く度に何日も前に一行は出発したと聞かされ、どんなに腹立たしい思いをしたことか。

「わたくしが後から来ると知っていながら、待ちもせずに——」

 言い募るにつれてフォルドに対する新たな怒りが湧き起こり、ベルティナは思わず手にしたレースのハンカチを両手でぎゅっと引き絞る。

「ですが、出城では道中の疲れを癒すために、三日程滞在するよう日程が組まれていたと思いますが?」

 少女の憤りを気にも留めず、エイルは旅の日程を思い出しながら言葉を返す。

 待つには十分な日数だと。

 もっともそれには先行したフォルド達と同じ速さで移動する必要がある。何台もの荷馬車を引き連れたゆっくりとした速度で、道中何度も休憩していたベルティナには無理な事は、勿論エイルも判って言っているのだ。

 ——よう言うわい……

 見事な(とぼ)けっぷりに、ロドルバンは呆れを通り越して感心してしまった。

 そうとは知らないベルティナは、激した感情のままその言い分を撥ね付ける。

「だからなんだというの。わたくしがわざわざ行くのだから、何日だろうと待っていて当然ですわ」

「何を(たわ)けた事を。フォルド様は公務で出掛けられたのですぞ」

 ベルティナの身勝手な言い分に呆れ、ついうっかりロドルバンは口を挟んでしまった。

「お黙りっ」

 たちまちベルティナは標的を優美な薬師から傍らの老人に変え、ビシッと白魚のような指先を突き付けて糾弾する。

「そういう其方こそ、日頃忠臣(づら)しておきながら、フォルド様を置いてのこのこ戻って来るなど、恥を知るがいいわっ」

「儂とて好きでフォルド様を行かせたわけではないわっ」

 エイル殿にあの話を聞かされ、以来ずっとフォルド様から声を掛けて貰うのを待っていたのだ。けれど、とうとうフォルド様は一言もなく行ってしまわれた。

 それがどれだけ口惜しく思ったことか。それをこの恥知らずな小娘にだけは言われたくない。

 ロドルバンとベルティナはお互い一歩も引かずに睨み合い、火花が散る。

 周りにはベルティナの取り巻き以外の者も集まり出してきた。

 なるべく穏便に済まそうと思っていたのに、どうもこの元気の良すぎるご老人は、何をしても騒ぎを大きくし過ぎる。

 ——今日は厄日なのだろうか……

 額を押さえ、エイルは深く嘆息した。

 

 

 回廊の交差する広場の騒ぎが何とか一段落したのを見て、柱の陰に隠れてそれを見ていた男達は、誰にも気付かれることなくその場を離れた。

「今日も無理のようだな」

「仕方あるまい。あの者の傍にあの侍従長がいては、人知れずにはできんだろう」

 先程の広場で騒いでいた老人の姿を思い出し、鈍い金髪の男は溜息をつく。

「しかし、薬師の癖に隙が全くないとはどういう事だ?」

 あれからずっと機会を窺っているが、隙らしい隙がないのである。こちらの気配に気付いているのか、さっきのように(ことごと)くチャンスを潰してくれるのだ。異様に勘が鋭いという話だが、あれは単に勘が鋭いだけで済まされるようなものではなかった。

「これでは何時まで()っても真相を聞き出す事ができん」

 優男の薬師一人くらい、人知れず捕まえるのは簡単にできると思っていただけに、予想外の事態に男達は焦っていた。

「どうします?」

「これ以上時間を掛ける訳にもいかん。業腹だが、あの男に何か()はないか尋ねてみるしかあるまい」

 近くの樹の梢で賑やかに小鳥達が(さえず)る中、先程皇子の侍従長と言い合っていた目付きの悪い中年太りの男の顔を思い起こし、鈍い金髪の男は不本意そうに顔を歪めた。

 




 ―早鳥(ピクト)達は視ていた(2)
 ソルティア王宮のとある建物前の樹の枝で戯れるピクトの会話―
 ※人間には賑やかに(さえず)ってるようにしか聞こえない。

『やっと諦めたか?』
『どうだろう。最近ずっとだったし』
『懲りないよね。全部まる分かりだってのに』
『まぁ、人間だからね』
『でもさ、あいつらオスだよな』
『確か、前のやつらもそうだったな』
『その前のやつらもオスばっかだったぜ』
『……エイル(あいつ)って、オスだったよな?』
『オスがオスの尻、こっそり付け回して何が楽しいのかね』
『メス追っかけた方が、よっぽどいいのになぁ』
『まぁ、人間だし』
『お前、さっきからそればっか』
『何も考えてないだろ』
『酷いなぁ、ちゃんと考えてるよ』
『何を』
『言ってみろよ』
『これエイル(あいつ)に教えたら、今度はどんな美味しい(もの)くれるかなぁと』
『『『確かに』』』

 とどのつまり、ピクト達にとって人間の思惑より餌の美味しさの方が大事だった。
 こうして美味しい餌欲しさのピクト達によって、こっそり後を付けているつもりで、行動の全てがエイルに筒抜けの尾行者達だった。



 お久しぶりです。
 どうも本編の話に詰まると、無性にこぼれ話を書きたくなります。
 でも、本格的に小説の形にして書くとその分時間が取られ、ますます本編の話が進まなくなるので、会話を中心とした必要最低限の事を書くだけに留めています。 
 一応現実逃避も自重はしているんです。(弁明)

 次回からはいよいよ《昏の国(アルティア)》の奥に入っていきます。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。