巨大な赤褐色の幹が立ち並ぶ森の中、硬く踏み固められた道が二つに分かれた三叉路に五人の二十代の若者が
一目でソルティアの者と判る金髪の男三人と、焦げ茶色と明るい茶髪のアルティアの男達だ。
エルティアに行く筈だったサウアー達とゲッシュは、森の猛獣バルザーム等に追い掛け回された末、危ない所をアルティアの
そのレンジャーの一人、アルベロはゲッシュに事情を聴いた後、怪我をしているクノックとアガスの為に自分の集落に四人を案内し、怪我が治るまでの間の住居まで世話をしてくれたのだ。
従者二人に噛み付いた中型肉食獣のディクスは森の残飯漁りと言われ、肉であれば
噛まれた後手当てもせずに逃げ回っていた従者兄弟は、助けられた後その所為で傷が膿み、高熱を出して生死の境を
思い掛けず医療の知識を持っていたゲッシュの適切な治療のお陰で、二人は何とか膿んだ手足を切らずに命を拾ったものの、完治するまで長らく寝込む羽目になったのだ。
お陰でゲッシュは怪我人の世話だけでなく、従者がいなければ何もできないサウアーの世話までしなくてはならなくなったのである。
当然あの鼻持ちならないソルティアの王族の要求などゲッシュは完全に無視し、必要最低限の事しかしてやらなかったが、人生最大の苦行だった事には違いない。
やっと従者兄弟の傷が癒え、再び当初の目的に戻れるとあって、顔には出していないが、ゲッシュは久しぶりの解放感に浸って機嫌がいい。
「世話になった」
「いや、二人の怪我が治って良かったな」
少し離れた所にいるソルティアの者達の一人、尊大な態度で不機嫌そうに自分達を睨み付ける長身の男をチラリと見やり、アルベロは
「それで、本当にソルティアではなく、エルティアに行くんだな?」
「ああ、そこに捜している奴がいるからな」
流石に本当の事は言えない。殺す為にソルティアの皇子の行方を追っているとは。
それでゲッシュは盗まれた物を取り返す為、あの傲慢なソルティアの者の手伝いをしていると、事情を聞かれた時そう説明していた。
「じゃあ、あの道を真っ直ぐ行けば、エルティアとの境の大地の裂け目に架かる吊り橋に出る」
アルベロは二方に分かれた道の右側を指し示した。
「ただ、この時期だと吊り橋は渡れない可能性があるんだ」
「渡れない?」
「ああ、エルティアの者が皆北の方に移動して、吊り橋を使わないからな」
その間にアルティアでは吊り橋の点検をし、痛んだ箇所を補修するのだ。勿論双方が利用する吊り橋なので、エルティアの方はそれに参加しない代わりに、戻って来た時にそれ相応の対価を修繕した者達に渡す事になっていた。
今年は数年に一度の大々的な補修工事をする予定なので、その間吊り橋は完全に通行不能になるのだ。
「だからエルティアに行くなら裂け目沿いに北に向かい、五つ目の吊り橋を渡るのがいいと思う」
その辺りから北に移動したエルティアの者達が、新しく
「成程……」
耳寄りな情報に、ゲッシュは小さく頷いた。
「助言、感謝する」
「いやまぁ、頑張れよ」
ゲッシュの連れに視線を向け、アルベロが励ましの言葉を掛ける。
彼の気難しい雇い主が、今にも爆発しそうな表情をしている。これ以上待たせたら後が怖そうだ。
軽く片手を上げて最後の挨拶をすると、アルベロはそのまま
それに背を向け、ゲッシュは面倒臭そうにソルティアの主従の許に向かう。
「この道を行くとエルティアとの境にある大地の裂け目に出るそうだ」
「大地の裂け目……、あの伝説に出て来るソーレスが大地を割った
さっきまでの不機嫌はどこへやら、興奮してサウアーは目を輝かせた。
ソルティアの祖王が残した数々の伝説の中で、唯一自分の目で実際にその偉業を確かめられる大地の傷痕。ずっと見たいと思っていたのだが、他国にある為自分の思い通りにできず、今まで叶わなかったのだ。
それが見られるとあって、サウアーは少年のように浮かれた声を上げた。
「ならば行くぞ。さっさと来い」
全員を
——ガキが。
共に行動するようになって初めて見た上機嫌なサウアーに、ゲッシュは心の中で吐き捨てた。
ずっと薄暗かった頭上から降り注ぐ木漏れ陽が増え、周囲の様子が多種多様な樹々が立ち並ぶ雑木林へと様変わりすると、道の両脇に植えられていた棘のあるザルツェより、ヌルルの木の方が目立つようになってきた。
ソルティアの従者兄弟は、枝のあちこちに房状に付く若草色した楕円の実を、嫌そうに見やっては距離を置いて
ゲッシュはその更に後ろで周囲を窺い、時々ヌルルの木の枝の先を折って臭いを放つ白い樹液を出しながら付いて行った。
そうやってどのくらい歩いただろうか。行けども行けども目的地に辿り着かない苛立ちに、サウアーの機嫌がどんどん急降下していく。
そんな中、唐突に視界が開けた。
目の前の繁みの向こうに、大地を裂いた巨大な割れ目が開いていた。それは左右に真っ直ぐ何処までも延び、崖下の方も真っ暗で底までどのくらいあるのか判らなかった。
「おぉっ、これが、これがソーレスの真の力かっ」
念願の大地が裂けた
「この力さえあれば、もう誰も俺を馬鹿にはできまい」
三年前
だから奴からソーレスを取り返し、それを我が物にした時、ソーレスの真の担い手が誰かを皆思い知ることになるのだ。
宝剣を手にした自分の前に
その様子をくだらなそうにゲッシュは見ていた。
「おい、何時までそうしている気だ」
ゲッシュは興奮するサウアーを無視し、自国の祖王が成した偉業の痕を前にして呆ける従者二人を現実に引き戻す。
「行くぞ、これ以上道草食う暇などないのだからな」
この二人の傷が中々癒えず、予想外に時間が掛かってしまったのだ。これ以上時間を無駄にする気はゲッシュにはなかった。
皮肉たっぷりに言い放つと、返事も待たずにさっさと先へと行ってしまう。
「ま、待て」
クノックは仰天した。
右も左も判らないこの地で、彼に置いて行かれたら困るのは自分達だ。
「サウアー様。サウアー様の願いを叶えるには、まずエルティアに行きませんと」
自分の制止を無視し、どんどん先に進むアルティアの男に焦りながらも、クノックは妄想に
「判ってるっ」
いい気分に浸っていたのを妨げられ、むっとしたサウアーだったが、確かにそうなので体を返して傲然と言い返す。
「遅れるな、とっとと行くぞっ」
「は、はい。サウアー様」
何とか
延々と何処までも続く大地の裂け目を横に見ながら、サウアー達は向こう側へ渡るために吊り橋を目指して進んでいた。
一つ目の吊り橋はすぐに見つかった。
あの
それを見た途端、ゲッシュがレンジャーからの助言を話す前に、ソルティアの主従は吊り橋に向かって突っ込んで行く。
「何故向こうに渡らせん!?」
途中橋板が何枚か外されて穴が開いているが、渡れない事もない。
通行を拒否され、サウアーはいきり立った。
「補修中だと言ってるだろう」
後ろに仲間二人を従える聞き分けの悪いソルティアの若造を、アルティアの男は鬱陶しそうに見る。
「それに渡った処でエルティアの
「どういう事だ?」
近くに人が住んでいるから吊り橋を架けたのだろう。こうやって吊り橋を補修するのも良く利用されているからだ。なのに、向こうに誰も居ないとはどういう事なのか。
「知らんのか? エルティアの
エルティアは、家畜の餌を求めて季節ごとに邑を移動させる遊牧の民の国だと。
「はっ、家畜ごときに合わせてるのか」
サウアーはエルティアの民の在り方を嘲笑った。
人間が家畜の都合に振り回されて暮らすとは、何とも愚かしい事かと。
そしてそれは、アルティアの民にも言えるとこだった。
樹など切ってしまえばいいだけの事を、陽の当たる僅かな土地にしがみつき、肉食の野獣に怯えて棘や悪臭の木を植えまくった挙句、樹の幹の中をくり抜いてせせこましく暮らすなど、意気地がないにも程がある。
外は危ないからと、従者の二人が治るまで、ランプの光一つで洞穴のような巨大樹の幹の中で悶々と過ごした日々を思い出し、サウアーは顔を歪めた。
その環境に適した暮らしを選んだ両国の生活ぶりは、ソルティアの、それも王宮での暮らししか知らないサウアーにとって全く理解不能で、人間の尊厳を捨てた愚挙にしか見えなかった。
「そうだ。だから修繕の邪魔をしないでくれ」
蔑むような
いずれ輝かしいソルティアの王となる者に対し、アルティアの民達のこの態度は不遜以外の何物でもなかった。
——ソーレスを手に入れ、俺が王になった暁には、アルティアの祖王でさえ成し得なかった、この鬱陶しい巨大樹の森を全て切り払い、俺の偉大さを知らしめてみせよう。
その時になって、今日の事を後悔しても遅いのだからな。
「愚民めがっ……」
立ち去るアルティアの男の後姿に、憎々しげにサウアーは吐き捨てる。
その一部始終を、ゲッシュは離れた所で
「気が済んだのなら行くぞ」
戻って来た三人に淡々と告げて歩き出す。
「待て、何処へ行く」
大地の裂け目に背を向け、少し先の雑木林の中に入る道に足を向ける焦げ茶の髪の男を、サウアーは不審げに呼び止めた。
「エルティアの邑はもっと北だと、さっきの男が言ってただろう」
そっちに行ってはアルティアの奥に戻ってしまう。
「貴様等が寄り道ばかりするのでな。このまま先に進んだら、何もない所で野宿する羽目になる」
「それが何だというのだ。一刻も早くエルティアに行かねば、フォルドに逃げられるではないか」
「一晩中
周囲がセクルスの巨大樹から雑木林に様変わりし出した頃から、
無意識に頬の傷痕を指でなぞり、ゲッシュは忌まわしげに顔を歪めた。
たとえ周りにヌルルの木があっても単なる気休めに過ぎない。あの時もヌルルの匂い袋を各々身に着け、荷馬車にもぶら下げていたのだ。
ソルティアの警備隊は積んでいた商品の香木や香油の匂いが、ヌルルの臭いを効かなくさせたと考えたようだが、断じて違う。
あの時は臭いを飛ばすような風もなく、天候も良好だった。
それでもあの黒毛の巨大なオーシグルに引き連れられた奴等には効かなかったのだ。奴らの鼻が異常に興奮していた所為で麻痺していたのか、あるいは既に臭いに慣れてしまっていたのかは判らない。
四方八方から襲い掛かり、次々と人間に、荷馬車を引くネーメに鋭いかぎ爪と牙を突き立て、引き裂いていった。
悲鳴が上がり、血飛沫と共に肉片が飛び散る阿鼻叫喚の地獄絵図の中、ゲッシュは自分に襲い来るオーシグルを相手にするだけで手一杯で、誰一人助けられなかった。
無我夢中で剣を振り続け、気が付けば独りダルの森を抜けていた。
だがあれで、ゲッシュはヌルルの臭いさえ身に
「死にたいなら、自分達だけで勝手に死ね」
嫌悪も
常に斜に構えていたアルティアの男が初めて見せた感情的な姿に、サウアー達は呆気に取られた。
ゲッシュが去って行く背中を呆然と見送る彼らの耳に、少し傾きかけた陽光を浴びた深い森の奥より、野獣の遠吠えが尾を引くように長く何時までも木霊して聞こえた。
※追跡者(9)の従者達が寝込んでいた辺りは、時間的にショウ達がウィドの邑からダーナの邑に移動し、更にエルゼナに行っていた頃の話になります。
レンジャーに見送られて一行がエルティアに行こうとしている辺りは、ショウ達がアルティア入りする前後くらいの話です。
お久しぶりです。
九月なのに、まだ猛暑が続いています。
何処かの気象士が「今年は九月も夏です」と言ってましたが、「近年ずっとそうだよね」とツッコミを入れたい。
秋は何処へ行ったんでしょうか?