アーサス   作:飛鳥 螢

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第一章 《 陽 の 国(ソルティア) 》 Ⅲ ー忘れ(やまい)(3)ー

 話が一段落したところで、遠慮がちに微かに軋んだ音を立てて扉が開く。

「皇子の様子はどうですか?」

 部屋に入ってきたアルフィーネに、エイルが訊いた。

「ポタージュとネリアの薬湯をお飲みになって、今は落ち着いてベッドで休んでおられます」

 ネリアとは薬草の一種で、根をすり下ろして煎じたものは興奮を静める作用がある。

 アルフィーネは主侍医のエイルの指示で、目が覚めたフォルドに滋養があって胃に優しいポタージュとそれを飲ませたのだ。

 空きっ腹が満たされ、薬湯が効いた所為なのか、再び目覚めた直後は高ぶっていた気も、それらを飲んだ後は大分フォルドも落ち着きを取り戻していた。

「ご苦労だったね」

 アルフィーネの労をねぎらい、エイルはテーブルの向かいに座る二人の老人に向き直った。

「お会いになりますか? 皇子に」

「良いのか、会っても」

 ロドルバンの歓喜に満ちた声に床の上に倒れる椅子のけたたましい音が続いた。

 エイルからフォルドの容態を聞かされて、今日は会えないと諦めていただけに、この申し出は椅子を蹴倒す程のものだった。

「少しだけなら大丈夫だと思います。但し、くれぐれもお静かにお願いします」

 逸る皇子の侍従長を(なだ)め、エイルはゆっくりと席を立った。

 アルフィーネの入ってきた扉から皇子の部屋の居間に出、そこを横切って寝室に向かう。その後にロドルバンとオラトリオが続き、最後にアルフィーネが付いてきた。

 そっと開けた寝室の扉の向こうに、ベッドの上に上半身をクッションにもたれかけて天蓋の聖母の絵を眺めるフォルドの姿があった。

 その姿は、落ち着いてくつろいでいるというより、ただぼんやりと目の前にあるものを見ているだけのようだった。

 とはいえ、日が()つに連れ、もしかしたらこのまま永遠に目覚めぬかもしれないと、不安が黒いシミとなって胸中に広がりかけていたロドルバンにとって、たとえ全てを忘れ果ててしまっていようとも、今こうしてフォルドの目覚めた姿を見られただけで満足だった。

「——…フォ…ルド様」

 喜びに声が震える。ロドルバンは遠慮がちに声を掛けた。

 が、フォルドは反応しない。

 もう一度呼んでみたが、やはり同じだ。フォルドは返事どころか見向きもしない。

「エイル殿、これは一体——」

 話では、フォルド様はこれまでの記憶を無くしてしまったという事だったのに、これでは精神(こころ)まで手放してしまった様ではないかっ。

 失望と新たな不安とを顔面中にまぶし、ロドルバンは優美な薬師の男に振り返った。

 その疑心に満ちた眼差しをやんわりと受け止め、エイルはさり気なくフォルドに声を掛けた。

「皇子、聞こえているのでしょう? 十八歳にもなってそのような子供じみた事をして。御自分で恥ずかしくお思いになりませんか?」

 ごく穏やかで親しみさえ感じられる口調だが、内容は辛辣そのものである。

 途端にフォルドの表情(かお)が、それと判るほど険悪になる。

「俺は皇子なんかじゃないっ。フォルドって奴でもないっ!」

「では、『ショウ』様とお呼びすればよろしいのですか?」

 フォルドはエイルの言葉に、今度は酷く傷ついた表情になった。

「俺は…、俺は—…」

 弱々しく呟き、両の手で頭を抱え込む。

「お願いだ、……俺を…俺を一人にしておいてくれ…」

「判りました。ゆっくりとお休みになってください。アルフィーネを隣の部屋に控えさせておきますので、用があれば声を掛けてください」

 そう言うと、エイルは苦悩するフォルドを一人残し、去り難そうにしている他の三人を促してこの場を後にした。

 そして、従者の控えの間に戻るや否や、ロドルバンは憤然と主侍医の男に詰め寄った。

「エイル殿、病のフォルド様に対してあの言いよう。いくら何でも、あれはあんまりではないかっ」

 どんな時にも弱音を吐いた事の無いフォルド様が、エイルの一言であのように弱々しい姿を人に見せるとは。長年侍従長として仕えてきたロドルバンが、それを看過出来るはずもなかった。

「申し訳ありません。あのままでは埒があかないと思いまして、手っ取り早く皇子の今の容態を判って頂く為にしたのですが、どうも配慮が足らなかったようです」

 ロドルバンの気持ちが判るだけに、エイルも自身の非を素直に詫びた。

 

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