アーサス   作:飛鳥 螢

160 / 165
第三章 《 昏 の 国(アルティア) 》 Ⅲ — モ ー ム —

 セクルスの白緑色の葉は、本来光が透けて見える程に薄かった。とはいえそれが幾重にも重なると段々と光は通りにくくなる。樹齢千年以上のセクルスの枝葉は互いに重なり合い、下からは既に何層になっているかも分からないくらいだ。

 そこを通って射し込む陽光は、地表に辿り着く頃には薄暮を思わせる程に光は弱まっていた。そのため巨大樹の森の中は昼間でも薄暗い。

 ただ、遠く頭上より微かに聴こえる鳥達の(さえず)りや、枝を渡る動物達の鳴き声が、今はまだ昼中だと教えてくれている。

 そんな薄暗がりの中、棘の木(ザルツェ)沿いの道をのっそりと歩く二頭の赤褐色のずんぐりとした四足獣がいた。モームである。

 市場(ファレス)を出たショウ達は、一角獣の代わりに貰ったモームに荷物と自分達を乗せ、更にアルティアの奥に向かって進んでいた。

 力持ちだと言われただけあって、背にこれだけの大荷物を乗せてもびくともしないで、モームはのんびりと歩いている。

「っとに、あのしみったれ親父め」

 唐突に、モームの上でエルドが不機嫌全開で吐き捨てた。

 自分に言われたわけでもないのに、ビクリと後ろに乗るシグが首を竦める。

「あれって結局まけて貰えたんだろ。何が気に入らないんだ?」

 呆れてショウは斜め前を行くモームに乗る朱毛(あかげ)の少女に声を掛けた。

 どうもあの露店の親父との値段交渉は満足いくものではなかったらしく、ファレスをでてからもエルドはずっと不機嫌そうにしていたのだ。

 お陰で彼女の後ろにいるシグは触らぬ神に祟りなしとばかり、軽口も叩かずに大人しくしている。

「あたしは百銅貨二枚にするつもりだったんだよ。それがあのクソ親父、あれ以上一銅貨だってまけられないって言い張ってさ」

「けど、その分オマケを付けて貰ってなかったか?」

「そんなの当たり前じゃないか」

 ショウに振り返って当然の如くエルドが言う。

 でなければ、あれで手を打ったりしなかった。もっと時間があれば絶対こっちの言い分全て呑ませたのに。

 バトロムとの約束時間が迫ってなければと思わずにいられないエルドだった。

 そこへ今まで大人しく黙っていたシグが、焦ったように声を上げる。

「姉ちゃん、前っ」

 同時にぐんっと体が勢いよく横に引っ張られる。

 見ると、のんびりと真っ直ぐに進んていた筈のモームが、いきなり道の脇に生えているザルツェの繁みに頭を突っ込んでいた。

 慌てて手綱を引くが止まらない。ぐいぐいと更にザルツェの中に入って行く。

 ショウ達が乗っているモームもだ。

 ザルツェの繁みの向こう、少し離れたセクルスの根元に卵色した茸の群生が見えた。

 モームはそこに行こうとしているのだ。

 セクルスの森の中に棲むモームは目より鼻の方が利く。人間には分からないほんの微かな茸の匂いでも簡単に嗅ぎ付ける。

 そして、好物が近くにあると気付いた以上、食べないという選択肢はモームにはなかった。何時天敵の肉食獣が襲って来るとも限らない森の中で、生きていく為に食べられる時に食べるのはモームにとって当然のことだ。

 とはいえ、体毛がセクルスの外皮に似て硬い為、ザルツェの棘が刺さらないモームはいいが、乗っているショウ達は下半身が服ごと串刺しになってしまう。中々抜けない棘の痛みに悩まされるのは御免だった。

「くっ、シグ、袋っ」

「早くしろっ」

「あいよっ」

 モームの動きを少しでも抑えようと必死に手綱を引きながら、()き込んで叫ぶエルドとショウに応え、シグはモームの背中から飛び降りた。

 モームが進むザルツェの繁みの反対側に立ち、手に持っていた厚手の革袋の口を大きく開く。

 おが屑を樹液に漬け込んで発酵させたような、なんとも言えない臭いが辺りに漂い出した。

 途端にモームがザルツェに頭を突っ込んだまま前進を止めた。

 おもむろにずぼっと棘の繁みから頭を抜き、何かを探すようにふんふんと鼻を鳴らす。

 茸の匂いよりも、不意に漂ってきた更に美味しそうな匂いに惹かれたのだ。

 そして、シグが持つ革袋に向かってととっと足早に歩き出す。

 ハーっと、四人は安堵の息をついた。

 大人しく、性格も穏やかで扱いやすいモームだが、唯一の欠点がこの生存本能というか、とんでもない食いしん坊である事だった。とにかく好物の匂いを嗅ぎ付けた途端、途中の障害物(ザルツェ)を物ともせずにそこに向かって突っ込んで行くのだ。

 マドラの男にモームを貰った時、『こいつは食いしん坊だから気を付けろよ』と悪戯っぽい笑みを浮かべ、拳大の厚手の革袋を渡されたが何のことか分からなかった。

 そしてそれが分かった時には、危うくモームにファレスで買った荷物を全部持ち逃げされる処だった。

 貰ったこの革製の匂い袋でザルツェの向こうで茸を食べるモーム達を、何とか呼び戻すことに成功し事無きを得たが、ショウ達は詳しく教えてくれなかったバトロムをかなり本気で恨んだものだ。

「シグ、そのまま暫く歩いてくれ」

 モームが茸の匂いに気を取られなくなるまで。

「判ってるよ」

 これで四回目となると手慣れたものだ。ととっと足早に近づいてくるモームを先導する形で、シグも早足で先を行く。

 その後をモームに乗ったショウ達は、道沿いのセクルスの根元に茸が生えていないか注意して進んだ。

 このようなモームの暴走は珍しくなかったが、慌てる必要もなかった。

 シグの持つモーム専用の匂い袋があれば、すぐに茸に群がるモームを呼び戻す事が出来るからだ。それに雨季が過ぎても湿度が高いこの季節は至る所に茸が生え、モームの餌の心配がないのでエルティアの者達は助かっていた。

 もっとも一度荷物を持ち逃げされかけた四人にとって、このモームの暴走は厄介以外の何ものでもなかった。

「シグ、そろそろいいぞ」

「はーっ、やっと乗れる」

 ショウに言われ、シグは革袋の口を匂いが漏れないようにしっかりと締める。

 途端にモームの速度が遅くなり、元ののんびりとしたものになった。

 それに走り寄り、シグが姉に手を貸してもらってモームの背中に乗る。

「いいよな、兄貴達はずーっとモームに乗っててさ」

 ずっと小走りし続けて疲れたシグは、ほっと息をついたついでにぼそりと愚痴を漏らした。

 それを聞き付け、エルドが肩越しに皮肉っぽく鼻を鳴らす。

「じゃあ、今度モームがザルツェに突っ込んで行ったら、あんたが手綱握るのかい」

 エルドやショウでも茸に驀進(ばくしん)するモームには力負けして、足止めも僅かにしかできないのだ。シグだったら、足止めすらできずにザルツェに全身ハリネズミにされてしまうだろう。

 以前ザルツェの棘に刺さった時の事を思い出し、シグはうっとなった。

「なんなら、俺が代わってやろうか」

 狼狽(うろた)えるシグを面白がり、ショウがエルドに乗っかった。

「モームと力比べするのは結構骨だからな」

「えぇっ、兄貴まで!?」

 何時ものちょっとした軽口なのに、窮地に立たされシグは情けない表情(かお)になる。

「それなら、わたしがシグの代わりに袋を持って走るわ」

「え?」

 思わぬ処からの申し出に、シグだけでなくエルドもショウも驚いて声の主を見返した。

「わたし、アルティアに入ってから、全然役に立ってないから」

 申し訳なさそうにアルフィーネが言う。

「そんな事は——」

 と言いかけて、ショウは言葉に詰まる。

 ソルティアではアルフィーネはフォルドの侍女として、色々自分の身の回りの世話をしてくれた。

 エルティアでも傷の手当てや薬作りに食事の支度などしていたが、森林の国であるアルティアは全員初めてとあって今は野宿も控えている。

 その中でそれぞれが自分にできる事をやっているわけだが、確かに今のところアルフィーネに任せているものは特になかった。

「ほら、シグ。お前が変なコト言うから、アルフィーネに気を使わせちゃっただろ」

「えぇっ、おいらの所為?」

「そうさ、あんたは文句言わずに匂い袋持って走ってりゃいいんだよ」

 ゴンっと弟の頭に拳骨を喰らわせ、エルドはすまなそうにショウの後ろに乗る亜麻色の髪の少女に声を掛けた。

「悪かったね。でも匂い袋はこいつが適任だから、取り敢えずアルフィーネは今まで通り、ショウの世話をしてくれればいいよ」

「え? 俺の世話?」

 いきなり名指しされたショウは自分を指差し、目を瞬かせる。

「そうさ、ソルティアの王宮に居た時からずっと、アルフィーネの世話になりっぱなしなんだろ」

「うっ……」

 確かにこっちの常識や習慣が判らなくて、色々とやらかしてはアルフィーネに助けてもらっていた。それをなんでエルドが知っているのか、非常に気まずい。

 バツが悪そうにショウは視線を逸らし、アルフィーネは何時も当たり前にやっている事でいいと言われ、途惑ったようにエルドを見た。

「それでいいの?」

「いいも何も、前にショウも言ってただろ。自分にできることをすればいいって」

「ああ、そうだな」

 それが自分の世話というのが、かなり情けないというか、恥ずかしいのだが。

 エルドの言葉に頷くと、ショウはこれ以上余計な事を言われる前に強引に話題を変えた。

「そろそろ話に聞いた川が見える頃じゃないか?」

「えっ、ホント!?」

 ショウの話に飛びつき、シグがキョロキョロと辺りを見渡す。

 昨夜宿で聞いた話では、ファレスを出てすぐの十字路を左に折れてそのまま真っ直ぐ行くと川が一つあるらしい。

 ショウが目指そうとしていたシャナン河の上流の河とは違うが、全ての河はフォルドのいる〈生命の丘(ヴィルドヒル)〉のある小島が浮かぶ〈聖なる湖(アクア・ヴィダ)〉に通じているのだから、そこに(こだわ)る必要もない。

 そう考えたショウ達は、まずは手近なその川を目指す事にしたのだ。

 生まれてからまだ一度も川を見た事のないシグは、初めて川が見れるとあって期待に胸を膨らませる。

「なぁ、兄貴。その川って何処にあるんだ?」

 見たところ、前に(むら)の年寄り達が話してくれた、地面にニョロニョロと流れる水のようなモノは見当たらない。

「そう()くなよ。そろそろと言っても、もうちょっと先だよ。川の近くには集落があるって話だから」

 その集落が見えれば川はすぐそこだ。

「じゃ、早く行こうぜ」

 シグはせっついたが、モームの歩みは遅かった。

 のっそりとした足取りに堪え兼ね、とうとうシグはモームの背から飛び降りる。

「ちょっと、どうする気だい?」

「先に行って、ちょっと見て来るよ」

「駄目だよ。また茸があったらどうすんだい」

 エルドが難色を示して引き留める。

 モームを誘導するシグがいなければ茸から引き離せない。

「だったら、こうすればいいだろ」

 腰のベルトから括り付けたモーム用の匂い袋を取り、シグは口を開けた。

 そこからだ漂う匂いを嗅ぎ取り、鼻をひくつかせたモームがぐいっと前に出、ととっと軽快に足を動かして匂いの許へ行こうとする。

 それに合わせ、シグも小走りに先へ先へと駆けて行く。

 遅すぎもせず、早すぎもせず、実に絶妙な間合いだ。

 ——やっぱ、こういう事はシグが一番上手いんだよねぇ。

 それをモームの背の上で再確認したエルドは、これからもやらせる気満々でその後をついて行った。

 それから程なくして、シグの念願のモノが大地を分ける様に現れ、その手前で四人はモームの歩みを止めた。

「これが川かぁ」

 初めて見た地面を流れる水にキラキラと瞳を輝かせ、シグが感嘆の声を上げる。

「まぁ、間違っちゃいないけどね」

 エルドがはしゃぐ弟を呆れたように見やった。

「川、ですよね?」

 確認するように、アルフィーネがショウを見る。

「ああ、間違いなく川だ」

 大きな吐息を漏らし、ショウは目の前を流れる川の上流に目をやった。

 情報通り、こぢんまりとした集落の近くにそれはあった。

 川幅は三フィノもなく、深さも膝下くらいしかない。小川といっていい程度の大きさだ。

その上だけ天蓋のセクルスの枝葉の重なりが薄くなっているのか、微かに波立つ水面(みなも)に薄黄緑の淡い光が揺れる。

 濁りのない清涼な流れには、小魚や水を棲処(すみか)とする虫達が、気持ちよさそうに泳いでいた。

 その流れの脇にある小岩の上で、小魚を狙う鳥がじっと水面に目を向けて佇んでいる。

 紛れもなく長閑(のどか)な川辺の風景だ。ただ難を言えば、それが二十フィノ先の上流で途切れている事だった。

 この川は地下水が溢れ出て、地上に流れを造っていたものだったのだ。

 いくら何でも地下水を遡る事は出来ない。川を前にショウが嘆息するのも無理なからぬ事だった。

「どうするんだい?」

 川に架かる木橋の欄干下から手を突っ込んで、泳ぐ小魚を捕まえようとする弟を横目に、エルドが落胆するショウに訊く。

「今日はここら辺で宿を取った方がいいだろうな」

 シグに狩場を荒らされ、諦めて飛びたった鳥を目で追い、ショウは幾重にも重なるセクルスの葉に透けて微かに赤味を増した薄闇を見やった。

 いつの間にか、鳥の(さえず)る声や動物の鳴き声もあまり聞こえなくなったように思える。

 宿代は少々勿体ないが、この森での野宿にはまだ少し不安が残る以上仕方ないだろう。それに河の情報をもっと集めなければならなかった。

 ヴィルドヒルに辿り着くには、まだまだ先は長そうだ。

 ハァッと溜息をつき、ショウはモームを連れて、皆と共に近くにある集落へと足を向けた。

 

 




 新年明けましておめでとうございます。
 今年こそは体調を崩さないようにして、頑張ろうと思います。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。