森の中の漆黒の闇が薄れ、
一晩中餌を探して森の中をうろついていた夜行性の獣達が、闇の濃さの変化に気付き、そそくさと
セクルスの巨大樹の森の外では空が白み出し、早起きの鳥達が口々に朝を告げている。
だが、その
そんな夜が明け始めた森の中、焚き火の灯りを頼りにショウは無心に手に入れたばかりの剣で素振りをしていた。王宮で教えてもらった剣術や、剣道の型や動きをなぞる様に、何度も何度も繰り返して剣を振り続ける。
そんな風にこのところショウは暇さえあれば剣を振り、今朝も一人早めに起きて剣の稽古をしていた。
どれも剣が無ければ、今頃殺されていただろう。自分の知らない世界を旅するのだから、何があっても不思議じゃないとはいえ、ここまで平穏とは程遠い旅になるとは思いもしなかった。
そして、この先も何があるか分からない。自分の身、と言ってもフォルドの体だが——を守り、何よりもアルフィーネ達を護る為にも、早く新しい剣を手に馴染ませ、使いこなす必要があった。
でも、こうやって早朝独りで稽古をしていると、ふと昔を想い出す。
——毎朝ばーちゃんに無理矢理叩き起こされて、眠いのに庭で素振り五百回だとか、地獄だったよな。特に雪の降る冬なんか……
しみじみ懐かしむには、かなり悲惨な過去だった。
それを振り払うように、ショウは鋭く剣を一閃させた。
「その動き、ダムアに一撃くれたヤツだろ」
不意に斜め頭上から声が聞こえた。
ハッとして、ショウが声の方を振り仰ぐと、セクルスの幹の洞からエルドが顔を出していた。
「悪い、
バツが悪そうにショウは剣を鞘に収める。
「別に、丁度起きるトコだったから」
パタパタと手を振り、エルドは数フィノ上の洞から危なげなく飛び降りた。
巨大樹の近くで燃えている焚き火の傍に腰を下ろす。
ショウも稽古を止め、その傍らに胡坐をかいて座った。
今ショウ達が居る場所は、地下水の湧き出た川近くの集落から三日程の森の中だった。ここら辺には集落が無かったので、街道近くの
誰にも見せないという条件付きで、最後に泊まった集落の宿の親父に貰った地図に記された森の拠点の一つである。
勿論タダという訳にはいかず結構ふんだくられたが、その分宿の親父が元レンジャーという事もあってかなり詳しく安全な行き方など教えて貰い、昔使っていたという道具などもエルドが交渉した結果オマケで付けて貰っていた。
お陰で見つけるのが簡単だったし、道具もあるので苦労しないで洞に登ることもできた。それに洞のある幹の周りはレンジャー達によって植えられたザルツェやヌルルの木の繁みが囲い、こうして地面に降りていても、いきなり野獣に襲われるという事も無い。
「この間から随分熱心にやってるけど、そんなにそれ扱い辛いのかい?」
ショウの新しい剣に目をやって、エルドが訊く。
「そういう訳じゃないけど……。まぁ、確かに前のより刀身の長さや幅、重さなんかも違うからな」
チラリと脇に置いた剣に視線を落とし、ショウは応えた。
あの店頭で軽く振ってみた時、何処となく昔使っていた竹刀に似た感じだったのでこれにしたのだが、やっぱり実際使うとなると所々勝手が違っていた。
「ただ慣れるだけじゃなく、使いこなせるようになりたいんだ。この世界、色々と物騒だからな」
「まぁ、近場に危険な獣が棲んでないなんて、羨ましい限りだよね」
「いや、ソルティアにだって、人里近くにヤバい
エルドはショウから聞いた元の世界のことを羨んだが、この世界にだってそうじゃない所くらいある。エルティアの環境がかなり特殊なだけだ。
もっとも今いるアルティアも、安全かと言われるとやはり微妙だが。
「へぇ? あたしソルティアって行った事ないんだよね」
ショウに言われてもピンと来ず、エルドは首を捻る。
「水が豊かないい所だよ。広い平野には見渡す限り田園が広がってて、そこに住んでる人達は皆優しくて——」
でも、それは俺をフォルドだと信じていたからだ。もし、中身が別人だと判っていたらどうだったろうか。同じように笑顔を向けてくれただろうか。それとも得体の知れない者として避けるのだろうか。アルフィーネのように——
町や村に着く度に笑顔で歓迎してくれた人々と、自分がフォルドと別人だと知った後のアルフィーネの態度を思い出し、ショウはどんよりと落ち込んだ。
「ショウ?」
「あ、いや、ちょっと……」
急に押し黙った自分を怪訝そうに見る
「アルフィーネの事考えて——」
「アルフィーネがどうかしたのかい?」
「別にどうかしたわけじゃないんだ。ただ、もうちょっと普通にしてくれないかなぁ。と思ってさ」
溜息混じりにショウは胸の内を吐露する。
「《
「そういえば、そうだね」
初めて気付いたように、エルドが呟く。
出会った時からそうだったので、今まで特に気にならなかったのだ。
「それって、そんなに気にする事なのかい?」
「するよっ。なんか仲間外れにされてるみたいで嫌だろ。普通にっ」
と力説し、ショウは
煌めく黄金の髪に深く澄んだ蒼い瞳の端整な容貌。鍛えられた長身の体躯は均整が取れ、どこを取っても非の打ち所のなく、気品すら感じられる大人びた雰囲気の少年だ。
それが、こうやっていじけて愚痴る姿を見ると、年相応の何処にでもいる少年となんら変わらない。そのギャップが激し過ぎて、思わず笑いが込み上げてくる。
「くっ、ふふっ……」
とうとう堪え切れずに、エルドの口から笑い声が漏れる。
「な、なんだよ」
ムッとしてショウは
「別に、今のあんたはどう見たって皇子様には見えないよ」
くくっと喉を鳴らし、エルドは請け合った。
腰に括り付けてある小袋の一つを取り、中から一・五フィア程の乳白色の何かの種のような物を取り出すと、幾つか焚き火の傍に置いて棒で炎に寄せる。
「なんだ、それ?」
「まあ、見てなって」
興味を示したショウの問いに答えず、エルドは満遍なく焼く様にそれを棒で転がす。
暫くそうやって実を炎で炙っていると、不意にパチッと小さく爆ぜる音がした。
実の乳白色の殻が炎に焼かれて割れたのだ。
更にパチッ、パチッと続けざまに殻が割れる。
「ほら、ショウ。ちょっと手をだしてごらん」
エルドに言われるまま手を出すと、そこに彼女はカラが少し黒く焼け焦げた乳白色の種を乗せる。
「あっつっ」
あまりの熱さに、ショウは思わず手を引っ込めた。
折角エルドが渡した種が、ころころと転がっていく。
「ほら、気を付けないと、火傷するよ」
「先にそれを言えよ」
文句を言いながら、ショウは地面に転がった焦げた種を、今度は熱くないように気を付けながら拾う。
ひび割れた殻の間からほんわりと湯気が上がり、何やら嗅いだことがある様な無い様な、何とも言えない独特の匂いが鼻孔をくすぐる。
「殻を割って、中身を食べるんだよ」
エルドに言われたように、ひびが入った所から割ってみると、中から薄黄緑色の中身が顔を出し、匂いもさっきよりも強くなった。
食べてみると何とも言えないねっとりとした歯触りに、形容しがたい味が口の中に広がる。ちょっとクセがあるが意外と美味い。
「なんだこれ?」
「何だと思う?」
訊いたのに反対に訊き返えされ、ショウはう~んと唸った。
確かにこれに似た匂いを何処かで嗅いだように思うのだが、何処だったが曖昧でやっぱり思い出せない。
「分からないかい?」
焚き火から遠ざけ、少し冷めた種を差し出してエルドが訊く。
それを受け取り、ショウはむすりとニヤニヤしている
「ああ、勿体振らずにいい加減教えろよ」
「いいけど」と一旦言葉を切り、エルドは思わせぶりにゆっくりと言った。
「これ、実はヌルルの実の種なんだ」
「へっ!?」
ヌルルって、あのオーシグルも真っ青の悪臭の権化のような代物じゃあ……
思わずショウは手の中の焦げた乳白色の種を二度見し、慌ててエルドを見る。
「嘘だろ」
「ホントだよ」
驚くショウにエルドは悪戯っぽい笑みを浮かべて応える。
「
確かに、この種の何とも言えない独特な匂い。あのとんでもない臭いを何十倍にも希釈したらこんな感じになるかもしれない。道理で何処かで嗅いだことがあると思った。
ショウは微妙な表情になった。
「元々ヌルルの実は、この種を食べる為に採ってたらしいよ」
アルティアの人達は、昔からこのヌルルの実の臭い果肉の部分を削ぎ落し、乾燥させた栄養価のある種を
それが、何時の頃か現れるようになったオーシグルが、ヌルルの木には決して近づかない事に気付き、その原因がこの臭いにあると判ってからは、果肉の方も捨てずに利用するようになったのである。
「あ~、姉ちゃん達。人に内緒で何喰ってんだよ」
不意に頭上から声が飛んできた。
ハッとして声の方に顔を向けると、シグが鼻をひくつかせながら、セクルスの巨大樹の洞から寝惚け
眠っていた筈が、どうやら焚き火で焼いたヌルルの種の微かな匂いを嗅ぎ付けて起きたらしい。
「ったく、食い意地だけは張り捲ってるんだから」
呆れたようにエルドは呟き、焼けたヌルルの種を全部布で包んだ。
「待ってな、今持ってってやるから」
「やったぁ」
漸く完全に目が覚めたシグが喜びの声を上げる。
その後ろから、アルフィーネが慌てた様に顔を出した。
「ごめんなさい。わたし寝過ごしてしまって」
「いや、大丈夫だ。俺達の方が早すぎただけだから」
騒がしかったのか、アルフィーネも起きてしまったようだ。
腰を上げ、ショウとエルドは焚き火をそのままにセクルスの巨大樹の下に行く。
火を消してしまうと、まだ暗くて足元が覚束なくなるのだ。周りの枯葉を避けたので近くに燃えるモノは無い。明るくなり、ここを出発する時に消せば大丈夫だ。
二人は幹に刺さる革紐の付いた小さなナイフの柄を足掛かりに洞に登った。これも元レンジャーの宿の親父から貰った拠点の利用に必要なものの一つだ。これがないと地上からでは剝がれやすい外皮を足掛かりに洞まで登るのは困難を極める。
そしてナイフの柄に付いた革紐は、登った後にそれを引っ張ってナイフを回収する為のものだった。そうすると獣が登って来られなくなり安心して過ごす事が出来る。
皆が起きた事で、四人は少し早いが朝食を取る事にした。
入口付近にある耐火性の高い石を敷いて作られた小さな炉は、元々夜洞の中を照らす灯り用のものだが湯を沸かしたり、簡単な料理などもそこで作れた。
チーズや乾燥ソーセージなどを薄く切って固焼きパンのようなものに乗せ、串に刺して炙る。暫くすると食欲をそそる何とも美味しそうな匂いが辺りに漂い始める。
その匂いに釣られてか、
そうやって煩く吠えていれば、隠れている獲物が怯えて巣穴から飛び出して来ると思っているのだろう。それとも根元に居るモームを威嚇して、ザルツェの繁みから逃げ出すのを待っているのかもしれない。
そっと洞の入り口から下を見ると、セクルスの幹に擬態しているモームはここが安全と判っているのか、あれだけ吠え声が煩い中我関せずにピクリとも動かない。中々に根性が座っている。
「なんか、落ち着かないな」
「さっさと食べた方が良さそうだね」
食べ物の匂いがする限り、ディクス達は居座り続けるだろう。
——そう言えば、森の食事は陽が完全に登ってからした方がいいと言ってたっけ……
元レンジャーの宿の親父の言葉を思い出し、こういう事なのかと納得したショウ達だった。
「それで、本当に行くのかい? その、熱い水が湧き出る泉に」
まだ外が多少煩いが、食事を終えてエルドが言い出しっぺのショウに訊く。
「ああ、行く」
決意を込めてショウは力強く断言した。
この世界に来た時分、向こうの世界と同じように、ソルティアの王宮で当たり前のように入っていた風呂が、実は贅沢の最たるものだと知った時の衝撃は今でも忘れられない。
ネールの出城を抜け出し、殆ど逃亡者のように人目を避けての道行では、風呂に入るなどという事は勿論できなかった。精々水に濡らした布で体を拭くくらいだ。
何とかエルティアに入れて、やっと人心地つく事ができたケリアの邑で、今までの旅での汚れを落としてさっぱりとしたくて体を洗いたいと言ったら、何故か井戸の所に連れて行かれ、桶を渡された。
そう、この世界の多くの人は、桶や
特に水や薪が貴重品であるエルティアでは、たっぷり湯を使って体を洗うなど言語道断の所業だった。夏場である今なら尚更だ。
以来ショウは風呂に入ったことがない。勿論毎日濡れた布で体を拭いて清潔にはしているが、それでもたっぷりとしたお湯に浸かってのんびりしたいという気持ちは、どうしても捨てきれない。むしろ、入れないから余計その気持ちは強くなっていた。
でも、それが無理である事も
それが、地下水が湧き出た川の近くの集落の宿で、風呂なるものが存在したのだ。
即座にショウは入りたがったが宿代とは別料金で、それが思いの外高かった。贅沢には違いないので仕方がないとはいえ、それが宿代より遥かに高いとなると話は別だ。
エルティアの姉弟だけでなく、アルフィーネにも難色を示され、ショウは泣く泣く諦めたのである。
そんな彼の打ち
その情報にショウは歓喜して飛びついた。教えて貰った河と同じ方向にあり、しかも天然の温泉だからタダだ。これなら誰にも文句は言われないで、ゆっくりと存分に湯に浸かれる。
実は今日ショウが何時もより早く目が覚めたのは、興奮してよく眠れなかったという事もあったのだ。
漸く諦めたのかディクスの吠え声が聞こえなくなると、ショウ達は火の後始末をきちんとし、モームに乗って熱い水の湧き出る泉に向かって出発した。
お久しぶりです。
サクラ咲く……
今年は各地何時もより開花が早いそうです。
そして、自分は花より団子。
さくら祭りの屋台巡りはなかなかに楽しいです。