セクルスの巨大樹の森を
その為、森の中まで鳥の
森の中が明るくなってすぐの早朝にも関わらず、ファレスがあんなにも人で賑わっていたのは、そういう理由からなのだ。
ショウ達はモームに乗ってレンジャーの拠点を出発すると、街道の方には戻らず、真っ直ぐにその更に奥にあるという、拠点の中でも特に古いものの一つを目指した。
今朝いた拠点からは、モームに乗れば昼前には着ける距離だ。バルザームなどの猛獣が活発に活動するまでには余裕を持って行ける。
そこには、何時の頃誰が見つけたのか定かではない、熱い水がこんこんと湧き出る泉があった。
その周辺は他よりも地熱が高く、温泉を中心にして所々地面から高熱の水蒸気が吹き出ている事もあって、獣などはそれを嫌がってあまり近づかなかった。
そこを更に念の為ザルツェとヌルルの木で補強して安全を確保した上で、レンジャー達はその泉を利用していたのだ。
周囲の薄暮がより一層明るさを増した頃、堆積した腐葉土のあちこちでごつごつとした大きめの石が顔を覗かせるようになると、森のセクルスの巨大樹の幹が心持ち二回りほど小さくなったように見えた。
そして、本来なら殆ど届かない木漏れ陽が、所々微かに地上まで届いていた。これはセルクスの枝葉がそれ程重なり合っていないからだ。
おそらく腐葉土の下にある岩石の地層の所為で、セクルスが十分に根を張れなくて枝葉もその分他より育ちが悪いからだろう。
セルクスの上空を吹き抜ける風に、さやさやと揺れる葉擦れの音と共に薄黄緑に色付いた陽の光がゆらゆらと地面を照らす。
そんな中をモームに乗って更に進むと、先方が薄っすらと白んで見えた。それも進むにつれてだんだん濃くなってくる。
「ねぇ、なんだか視界が悪くなってないかい?」
「なんかやけに暑いし」
「多分水蒸気の所為だろ」
馴染みのない現象に警戒するエルティアの姉弟に、ショウが言う。
多少木漏れ陽が届くものの枝葉は相変わらず頭上を覆っている。そこに地面の石の隙間から噴き出た蒸気が籠り、霧のように辺りに立ち込めて視界を白くしているのだ。暑さもその所為である。丁度湯気で一杯になった浴室の中のような感じだ。
不意にモームが先に進むのを嫌がるように足を止めて首を振る。
耳を澄ませば、あちこちで何かが噴き出ている様な音がする。
「宿の親父の話じゃ、熱い泉の周辺には所々高熱の水蒸気が地面から噴き出てるみたいだからな」
うっかりその水蒸気を浴びたら火傷をしてしまう。そうなったら温泉どころではない。
「シグ」
「ほいよって、おいらがやんの!?」
姉の声に思わず何時ものように応えたシグだが、腰の革袋を手に取った処でハッとなった。
あちこちで勢いよく何かが噴き出る様な鋭い音がするのに、白く視界が遮られてどっちに行けばいいのか分からないのだ。こんな中モームの先導なんてしたくない。
「大丈夫だ。確か宿の親父が地面の白い石を辿ればいいって言ってたから」
「えぇっ、どうやってそんなの見つけんだよ」
周りが白く
「やっぱ行くのやめるかい?」
危険を冒してまで行く価値があるとはどうしても思えない。
「何言ってるんだよ。後少しなんだぞ」
後ろ向きなエルドに、ショウは慌てて言い返す。
宿の親父に聞いてからずっと楽しみにしていたのだ。それを今更諦めるなんて冗談じゃない。
「シグが出来ないなら、俺がやる。それでいいだろ」
「まぁ、いいけど……」
アルフィーネにモームを任せ、弟から匂い袋を受け取って前に出るショウを、エルドは呆れたように見やる。
「あいつ、そんなに湯浴み好きなのかい?」
「ええ、王宮に居た時は汗を掻く度に入ってたわ」
エルドに訊かれ、アルフィーネは懐かしそうに笑みを零す。
漸くベッドから離れられるようになって、一番にショウがやりたがった事はゆっくりと湯浴み——風呂に入ることだった。それまではロドルバンがベッドの上でフォルドの体を拭いていたのだ。
病み上がりでまだ無理の利かない皇子に、アルフィーネが背中を流そうかと申し出たら、真っ赤になって物凄い勢いで首を横に振られた。
確かにショウは祖母の影響で風呂好きだったが、あの頃ゆっくりと独りになれるのは湯浴みする為の浴室だけだった。ショウにとってそこは、人の目を気にせず素のままでゆったり
暫く白く
途端に今まで嫌がってその場から先に行こうとしなかったモームが、そこから漂い出した匂いに釣られ、あっさりと動き出す。
ショウは水蒸気の霧をマントの端を掴んで
白濁した霧の中は酷く蒸し暑く、時折近くで噴き出す蒸気の音にビクリとモームの足が止まる。
その度に先導するショウは、モームの鼻先に途中で取った茸もちらつかせ、匂いと共に誘導する。
中々難儀な
水蒸気の霧を抜けた先にあったのは、セルクスの巨大樹一本分が枝葉を伸ばしたくらいの広さの空間の中央に、ぽつねんと直径三フィノ程度の小ぶりな巨木の切り株が一つだけだった。
その上にそびえ立っていた筈の幹と広がっていた枝葉は既に無く、そこから水蒸気の霧が抜けて頭上には澄んだ青空が広がっていた。
そして、高さが五十フィア程の切り株の縁から湯気を立ち上らせて溢れた湯が、石畳のように周囲に広がる大きめの石で出来た大地を濡らして地下に潜っていく。
その周りは陽の光に照らされ、ごつごつとした石の上に堆積したセクルスの枯葉の一角に、所々顔を覗かせる背の高いシダらしき植物が大きな緑色の葉っぱを繫らせていた。
「……あれが、熱い水の湧く泉なのかい?」
思いっ切り眉根を寄せ、エルドは傍らに立つ黄金の髪の少年に胡乱な目を向ける。
「た…ぶん……」
——この世界の温泉って、切り株からお湯が湧くもんなのか?
想像の
彼が思っていたのは、露天風呂みたいに掘られた地面からこんこんと湯が湧き出ているようなものであって、こんな何もない森の空き地に湯を湛えたワイルドな木製の湯船(?)がデンと置かれているようなものではなかった。
近寄ってみると、切り株の中は外側の硬い部分以外は根元まで綺麗にくり抜かれ、丸く角の取れた石の地面が底一面を覆っていた。そして、その中一杯に透き通った湯がなみなみとして湯気を上げている。
どうやら地中で沸いた湯が、セクルスの切り株の下から湧き出ているらしい。
「へぇ、こうして見ると火で沸かしたお湯と変わらないみたいだね」
「うん、十分あったかそうに見えるぜ」
思わずエルティアの姉弟は、外側の幹の根元部分を探る様に見回した。
勝手に湯が沸くとは思えず、何か仕掛けでもあるのではないかと思ったのだろう。
何よりも二人にとって、こんなに大量の湯を見るのも生まれて初めてかも知れない。
「どうしてこんな所からお湯が湧いているのでしょう?」
湯を湛えるセクルスの切り株の周りを熱心に探り回るエルティアの姉弟の姿を眺めながら、小首を傾げてアルフィーネがもっともな疑問を口にする。
「さぁ……」
自分の方が訊きたいくらいのショウだった。
セクルスの幹は相当硬いと聞いている。根の方もあの巨大樹を支えるのだからかなりのものだろう。樹の根の脇から湧いているならともかく、その根を抉って中に湧き出ているなんて……
どうしてこうなったのかは、多分きっと神のみぞ知る。という事なのだろう。
—セクルスの森の中に熱い霧が立ち込めるようになった
「
「見て判らぬか? これは水柱に我の力をほんの少し加えてみたものだ」
「で、なんでこんな物造ったんだい?」
「うむ、
「へぇ~、なかなかいい案だとは思うけどさ。それが何故
「よい場所がないかと物色しておったら、上手い具合にここに湧き水が立ち上がっておったのでな。周りの森の樹が目隠しになるし、丁度良いと思ったのだ。姉上はこういう事には
「そりゃ、誰も兄者の裸など見たくはないからね」
「むう、ここには我の鍛え上げた肉体美を解する者がおらぬ」
「いやぁ、沐浴してる最中に男が素っ裸で乱入して来たら怒るよ、普通」
「しかし、何もあんなに延々と小言を言わなくともよいではないか。幾ら我等の生が悠久に等しいとはいえ、この森に棲む獣だったら一生が終わっておったぞ」
「そうだねぇ、今度もそれで済めばいいけどね」
「今度はとは、どういう意味だ?」
「兄者が熱湯に変えたこの水柱は、フェリューリアがここ一帯に散水する為に造ったものなんだよ。セクルスの樹も大きくなって水やりするのが大変になったからね」
「……」
「で、今熱湯が散水されてる訳だけど、それ浴びた樹の幹や枝葉は既に変色してるし、こりゃぁ枯れるの確定だね」
「………」
「枯れたら泣くだろうねぇ、フェリューリア。折角ここまで育てたってのに」
「っ…………」
「
「……………っ!」
「それじゃ、あたしはもう行くから」
「ちょ、ちょっと待て。待つのだっ、ヴァンデミーネっ!」
自分の制止を振り切って行ってしまった妹神を呆然と見送ったソルブレイは、慌てふためいて姉神にバレないように隠蔽工作に奔走した。
枯れそうな樹を全て引っこ抜いて始末し、熱湯柱の上に巨大な岩を埋め込んで塞いだが、代わりに湯浴みの時に足が泥塗れにならないようにと、周囲に敷き詰めた岩砂利の隙間から水蒸気や時折熱湯が吹き出るようになった。
そして、大岩では塞ぎきれずに噴き出す熱湯の上に、更に次々と岩を埋め込んでみたが、フェリューリアの力で造られた水柱を完全に堰き止める事は出来なかった。
そこで大量の岩の間を通る事で随分と
これが千何百年か後、大樹の幹の柔らかくなった中央を削って洞から流れ出るようになり、後にそれを見た祖王達が驚くことになる。
だが、このソルブレイの涙ぐましい努力は全く報われず、末の妹神に泣かれ、姉神テュルミネールによって、前回以上にこってりと油を搾られる事となった。
ちなみにその説教は、この森の獣が二回の生を終える程の長きに渡って続いた。
「何故だ? 何故バレたのだ!?」
「そりゃねぇ、こうも森の中が様変わりしてたら誰だって気付くでしょ、普通に」
【アーサス豆知識⑪】
アーサスの湖及び泉は主にソルティアとアルティアに点在しているが、所謂温泉と言われる泉はここだけにしかない。それは姉神であるテュルミネールがソルブレイに二度とこのような真似はしないようにきつく言い渡したからである。
結局ソルブレイはしこたま説教されただけで、温泉に入る事はできなかった。
お久しぶりです。
上記の話は本文に「どうしてこうなったのかは、多分きっと神のみぞ知る」と書いた時、ふと思いついたものです。
もう一つ温泉に関して祖王編がありますが、それはまた後程という事で。
決して話の続きに詰まって現実逃避して書いた訳ではありません。ただこの後書かなきゃならない重要なシーンがイメージ通りに中々書けなくて、つい……
ゴホン。
ところで、ソルブレイは唯一の男神なので、漠然と頼りになるカッコいい男をイメージしていた筈が、これこそどうしてこうなった?
書いていく内に言動がどんどん「あれ?」という感じになり、もはや修復不可能な事態に——
やはり、最初に「ぼっち神」にされてしまった影響が大きいかと。
何となく
でも、キメる時はきちっとキメてくれると信じています。
ヴァンデミーネのツッコミも中々板についてます。