「やめろっ!」
怒気を
あの後シグを放り出したショウは危険を顧みず、地面から噴き出す高熱の蒸気の中を一気にここまで駆け抜けたのだ。
蒸気の熱を防いでくれたマントは全体がびっしょりと濡れ、肩で荒く息をついたままショウは険しい目付きで金髪の男達を睨み付ける。
それを見たサウアーが双眸を軽く細め、ニンマリとほくそ笑む。
思った通り、向こうから勝手にやって来た。
「これは、我が従弟殿」
満面に笑みを浮かべて呼び掛ける。
「あの森で会った以来だが、元気そうで何よりだな」
「お前もな」
荒い息を無理矢理整え、ショウは心底嫌そうに応えた。
どうしてこいつ等がここにいるのか分からないが、こんな所まで追って来るフォルドの従兄の執念深さには恐れ入る。
「二度と会いたくなかったけどな」
「つれないな。貴様が姿を
親しげにサウアーが言う。
「そうかい。お前は俺がいなくなって清々したんじゃないかと、俺は思ってたんだけどな」
言葉の応酬を続け、さり気なくショウは距離を詰めようとする。
途端に一転してサウアーは鋭い声でそれを制した。
「動くなっ! 貴様の大事な侍女の顔に傷を付けたくはないだろう?」
抜いた剣先をアルフィーネの顔すれすれに突き付ける。
「………」
仕方なくショウはその場で足を止めた。
アルフィーネとエルドが向こうの手の内にいる以上、今は言う通りにするしかない。
「そう、それでいいんだ」
悦に入り、サウアーが頷く。
「さあ、フォルド。〈
「返す?」
ショウは怪訝な表情になった。
ソーレスはフォルド皇子の物だ。「返す」ではなく「寄越せ」の間違いだろう。
だが、サウアーは至って本気だった。
「そうだ、貴様が正統な持ち主であるこの俺から盗んだソーレスを、世継ぎの資格共々全て返して貰おう」
「正統だって?」
女子供を襲うしか能のないこんな奴が、ソルティアの正統な世継ぎだなんて。冗談にも程がある。
何処かで頭でも打ったのかと、ショウはつい哀れむ様にフォルドの従兄を見やった。
「何だその目はっ! 貴様侍女がどうなってもいいのかっ」
何故か同情の目を向けられ、カッとなったサウアーはアルフィーネの腕を掴んでぐいっと引っ張り、立たせた彼女の首筋に刃を押し当てる。
「さあ、貴様の持つソーレスを寄越せっ!」
「ダメっ、渡してはっ!」
「煩いっ!」
叫ぶフォルドの侍女に怒鳴り、サウアーは血走った目を従弟に向けた。
「侍女の命が惜しいなら、さっさとソーレスを寄越すんだっ」
刃を押し当てたアルフィーネの首筋から、じんわりと血が滲む。
サウアーは本気だ。素直に従わなければ、顔に傷どころかアルフィーネの首が飛ぶ。
「——分った」
奥歯を噛み締め、ショウは背負っていたソーレスのベルトを取った。布に包んだままのそれを差し出す。
すかさずクノックが彼の手からそれを奪い取る。巻いてある布を引き剥がして中身を確かめ、主君の許へ持って行く。
アルフィーネを突き飛ばし、サウアーは剣を鞘に収めるとそれを手に取った。
すらりと鞘からソーレスを抜き放ち、恍惚とした表情でその刀身に見入る。
ショウの手によってよく手入れされた刀身は一点の曇りもなく、柄の
「……漸く、漸く我が許に戻ってきた。これで後は——」
サウアーは自分を睨む従弟に視線を向けた。
「フォルド、貴様を始末すれば全てが俺の物になる」
狂気に満ちた笑みで顔を歪ませ、ゆっくりとショウに近づく。
その後ろで従者兄弟に捕まる少女二人を見やり、ショウはぐっと拳を握り締めた。
まだ迂闊には動けない。
近づくサウアーを睨み付け、ショウは何時でも動けるように身構えた。
不意に、シダの繁みがガサっと音を立てた。
ひゅっと立て続けに二つ、黒い塊が飛び出してくる。
それは切り株の湯船の上を越え、地に倒れ込む少女二人を上から押さえ付けている従者兄弟の体に絡み付いた。
「うわっ」
驚き、二人が悲鳴を上げる。
先端に重石を括り付けた数本の縄が腕や足に巻き付き、身動き取れない。
その隙をエルドは逃さなかった。
自分を捕まえていた従者の腹に頭突きを喰らわせて立ち上がり、アルフィーネの傍らにいるもう一方には蹴りを入れる。
「姉ちゃんっ、こっちっ!」
シダの中からシグが元気に手を振る。
サウアーの従者達を絡め取ったあの重石付きの縄——
ショウの後を追って来たシグは、絶対に見つからないと太鼓判を押していた覗き見用のシダの繁みの一等地に隠れ、ずっと姉達の救出のチャンスを窺っていたのである。
「よくやった、シグ」
ショウと珍しくエルドが手放しに褒める。
ソルティアの男達がひっくり返ってもがいている内に、エルドはアルフィーネと共に弟の隠れるシダの許に行き、それを見たショウもすぐさま腰に佩いた剣を引き抜いた。
人質が居なくなれば、もう遠慮はいらない。
サウアーも人質が逃げたくらいで動揺したりはしなかった。
既にソーレスは手に入れたのだ。後は目の前の奴を斬ればいいだけだ。
「死ねっ、フォルドっ!」
猛然とサウアーはソーレスで従弟に斬り掛かる。
それを剣で受け止めようとしたショウはある事に気付き、寸での処で大きく身を反らして斬撃を避ける様に間合いを取った。
すかさずサウアーがソーレスを返して一閃させる。
今度はそれを受け流すように角度を変えて払い除け、僅かに体勢を崩したサウアーにショウが一撃を加える。
咄嗟にソーレスを引いて受け止め、サウアーは大きく踏み込んで斬撃をみまう。
ぎりぎりそれを避け、ショウは素早く剣を横に薙いだ。
「くっ……」
サウアーが横っ飛びに紙一重でそれを躱す。
フォルドの動きがエスカーの牧草地の外れの森で闘った時と全く違う。以前はまだ完全に剣を扱い切れてないようだったのに、短期間でこれほど上達するとは。これではまるで別人を相手にしているようだ。
——いや、違う。これは以前のフォルドの動きそのものだ。自分と互角であった頃の。だが、負ける
「うぉぉっ!」
雄叫びを上げ、サウアーは一気に間合いを詰めた。
苛烈な一撃をみまう。
「くっ」
それをショウは刃を交えない様に受け流し、後ろに大きく跳び退いた。
チラリと自分の剣の刀身を見やり、奥歯を噛み締める。
やはりこの剣でソーレスの相手をするのは心許無い。ケリアの
担い手でないサウアーにソーレス本来の力は使えないだろうが、それがなくとも切れ味抜群の剣なのだ。ソーレスの重い斬撃とまともに打ち合ったら、あの折れた厚みのある太い剣ならまだしも、この細めの刀身では最悪折られてしまうかもしれない。
——何とかしてあいつからソーレスを取り返さなくては……
ショウは強く剣の柄を握り締めると、いきなり身を翻して白霧の中に駆け込んだ。
「待てっ、フォルドっ!」
逃がすものかと、サウアーが後を追う。
ショウは地面から勢いよく吹き出る水蒸気に注意し、走りながら辺りを見回した。
白い石混じりの通路から外れた蒸気の白霧の中に、スポットライトを浴びたように一際明るい場所があった。そこには十五フィア程の高さに赤黄色の石が積まれ、その中央から低く棚引くように白い蒸気が漏れ出ていた。
——あれか。
ここを教えてくれた元レンジャーの宿の親父の情報の一つを思い出しながら、ショウは吹き出る蒸気を避けてそこに向かう。
蒸気が漏れ出る赤黄色の石塚の後ろに回り込んで身を返すと、ショウは剣を構えてサウアーが来るのを待った。
「逃げられぬと、漸く観念したか、フォルド」
白い蒸気の霧を掻き分け、従弟の姿を認めたサウアーは鼻を鳴らした。
「誰がするかっ」
吐き捨て、ショウはソーレスを手に悠然と自分を見下すフォルドの従兄を睨み返す。
「それに俺の名は『ショウ』だ」
「貴様っ、恐れ多くも祖王の御名を自分の名などと、この痴れ者めがっ!」
ここに至るまでの道中、行く先々でフォルドが祖王の名を騙っていたと知る度に、
それを面と向かって言われ、サウアーは激昂した。
それに呼応したわけではないだろうが、しゅうしゅうと周囲に噴き出す水蒸気の勢いが増す。
「自分こそがソーレスを持つに相応しいとでも言うつもりかっ」
「ソーレスは関係ない」
足許に積まれた赤黄色の石の間からボコッボコッと聞こえ出した不気味な音を耳に、ショウがムッとして言い返す。
「それが俺の元々の名だ」
名乗って何が悪いと。
もっとも目の前の従弟の
「貴様のその思い上がり——」
ギリギリと歯を軋らせ、サウアーはショウを射殺さんばかりに睨む。
「この俺が、叩き斬ってくれるわっ」
このソーレスを使って。
言うや否や、怒りのままにショウに向けて袈裟懸けにソーレスを振り下ろす。
周囲の水蒸気が噴き出す音が、一際甲高くなった。
ショウはサウアーの攻撃を避けて思いっ切り後ろに跳び
同時に赤黄色の石塚の中央にある穴から、物凄い勢いで熱湯が噴出する。
丁度サウアーの振り下ろしたソーレスの刀身に向かって。
「うおっ!?」
噴出した熱湯が勢いよくソーレスを弾き、サウアーの手からすっぽ抜ける。
そのまま宙高く放り出されたソーレスは、弧を描いて白濁する蒸気の霧の中に消えて行った。
「っう……」
ソーレスを弾いた熱湯が手に掛かり、サウアーはそこを押さえてよろける様に
反対側にいたショウは、マントで熱湯の飛沫を防ぐ。
二人の間に立ち上った熱湯の柱は、幾重にも重なるセクルスの葉の間を貫き、やがて何事もなかったように地中に引っ込んでいった。
絶え間なく水蒸気が噴き出すこの地帯には、それの他に定期的に熱湯が噴出する間欠泉があったのだ。
その昔、祖王達が国を興す前、この周辺の住民達を震撼させていた、白い霧の中に突如甲高い咆え声を上げて人に襲い掛かり、全身に重度の火傷を負わせる姿なき獣の正体がこれだ。
アルティアのレンジャー達は危険だからと、その間欠泉の周りを白霧の中でも目立つように赤黄色に染めた石で囲い、知らない者に注意を促していた。
その事をショウ達は宿の親父に教えて貰っていたのだ。熱湯が噴き出す兆候なども詳しく。好奇心旺盛なエルティアの小僧がうっかりそこに近づかない様にと。
「これまでだな」
「もう二度と、アルフィーネや俺達に手を出すな」
今まで散々猛獣相手に剣を振るってきたショウだったが、それが人間となると話が違ってくる。元の世界の倫理観が、人を斬る事を
——これでこいつが諦めてくれるといいんだけど……
祈る様な気持ちで、ショウは憎々しげに自分を睨むフォルドの従兄を窺い見る。
屈辱に身を震わせるサウアーは、怒りの余り顔をどす赤黒く染めていた。
——このような姑息な
しかも宝剣に熱湯を浴びせた挙げ句、放り投げて地に落とすなど、祖王を冒涜するに等しい所業だ。そんな奴がソーレスの担い手などであろうはずがない。
何としてでも今ここでフォルドを斬り、ソレイアの思い違いを正してみせる。
自分こそがソーレスに相応しい——と
「ふんっ、貴様余程あの侍女に御執心なのだな」
「え?」
いきなり思ってもみなかった事を言われ、ショウが呆気に取られる。
「殊更侍女の名を出して手を出すなとは。随分と気に入ったものだ」
畳み掛けるように言いながら、サウアーは下卑た笑みを浮かべた。
「そんなにあの侍女の体は抱き心地良かったのか?」
「なっ、そ、そんな——」
思わずさっき想像してしまったアルフィーネの濡れ肌を思い出し、ショウは顔を真っ赤にして
その隙を、サウアーは
腰に佩いた自分の剣を抜き放ち、一閃させる。
ハッとして、ショウは寸での処でそれを躱し、後ろに飛び退く。
それを追い、サウアーは更に痛烈な一撃をみまう。
避けきれず、ショウは正面からそれを迎え撃った。
相手があの切れ味抜群のソーレスでなければ、細身であっても刀身を折られる心配はない。
臆することなくショウは剣を振るってサウアーの剣を弾いた。
噴き出す水蒸気の音に混じり、激しい剣戟の音が響き渡る。
また、周囲の噴き出す蒸気の音が甲高くなる。
そして、一際甲高い音と共に熱湯が地面から勢いよく噴き上がる。
辺りに撒き散らされる熱湯を避け、二人はバッとその場から大きく跳び退いた。
白くたなびく霧の中、肩で息をつきながら二人は対峙する。
殺す気満々のサウアーと違い、その気が全くないショウの方が押され気味だった。
とはいえ、技量が拮抗している所為で、サウアーも攻め切れないでいた。
「さっきの話だが」
不意に、ぼそりとサウアーが声を上げる。
「なんなら俺があの侍女を貰い受けてやってもいいぞ」
「なに?」
貰い受けるって……何を言ってるんだ、こいつ?
サウアーの言葉に、一瞬ショウの気勢が削がれる。
そこを狙ってサウアーが斬撃を叩き込む。
反射的に身を捻り、寸での処でショウはそれを回避した。
慌てて距離を取る。
——危なかった。もう少しで斬られる処だった。
けれど、アルフィーネの事を言われると、どうしてもショウは平静でいられない。
尚もサウアーが揺さぶりをかけてくる。
「さっき見たが、貴様の侍女は中々そそる体付きをしていたな」
動揺を隠せない従弟に鋭い一撃をみまう。
地面から噴き出す蒸気が邪魔で避けられなかったショウは、剣でそれを受け止めた。
がっきと両者の剣が交差する。
そのまま激しい
その最中にも、サウアーは従弟の動揺を誘う言葉を投げ掛ける。
「まぁあの侍女も貴様に気があるようだが、それでも一度抱いてしまえば気も変わる」
女とはそういうものだと、愉悦に
平静を保とうと、ショウはひたすら意識を剣に集中させた。
そこに、サウアーはいい事を思い付いたと、嗜虐的な笑みを浮かべて言葉を継ぐ。
「ああ、そうだ。どうせなら貴様の今わの
実際自分に可愛がられる侍女の姿を見れば、貴様も安心して逝けるだろう——と。
「貴…様ぁっ!」
どれほど
その怒りのままに、ショウは思いっ切りサウアーの剣を弾き飛ばした。
お久しぶりです。
今は6月の筈が、毎日4月から7月頃の気温を行ったり来たり。
6月は何処に? めっちゃ寒くて暑いです。
この後今度はうだる様な暑さが続くかと思うと、ハァ……