アーサス   作:飛鳥 螢

169 / 169
Ⅴ —エイル(5)—

 窓の外には、雲一つない目が醒めるような蒼い空が広がっていた。

 慈雨の月からソルブレイ神の恵みがもっとも強くなる太陽の月になると、ソルティアではこんな空が当たり前となる。

 もっとも仲の良かった妹神のヴァンデミーネの恵みもあり、東風が爽やかな清風となって吹き抜けるので、太陽が照り付ける日でもそれ程暑いとは感じない。

 とはいえ、悪戯好きのヴァンデミーネの風である。調合している間は薬を吹き飛ばされないように窓を開ける事ができず、エイルはうっすらと額に汗をかいていた。

 漸く全ての調合が終わり、今し方最後の調合を終えて出来たばかりの薬を瓶に詰め終わると、エイルは一息ついて額の汗を布で拭き、窓を開けた。

 途端に室内に、外に繁る樹々の間を縫って爽やかな風が吹き込んでくる。

 窓が開いたのを見た金茶色の鳥達が梢から飛び立ち、調合室の窓枠に降り立った。

 一斉に(さえず)早鳥(ピクト)達をクスリと笑い、エイルは彼らが順番に囀り終わるのを待って懐から小袋を取り出すと、中に入っていた赤い木の実を両の(てのひら)に乗せて窓の外に差し出した。

 囀るのを止めた鳥達が、我先にとそこに飛び移って掌の木の実を(ついば)む。余程腹が空いていたのか、それとも大好物なのか、一粒でも多く食べようと一心不乱に啄んでいる。

 エイルはそれを微笑ましそうに見ていた。

 ピクト達が木の実を粗方食べ終わった頃、不意に調合室のドアが開いた。

 その音に驚いた鳥達が、エイルの掌から一斉に飛び去って行く。

「エイル、ここは調合室なのだぞ。不衛生な野鳥など中に入れるなと何時も言っているだろう」

 飛んでいく鳥達を一瞥して若輩の薬師に視線を戻し、入って来た壮年の薬師は苦々しく眉を(ひそ)めて注意する。

「申し訳ございません、ヴェルズ師」

 素直にエイルは謝った。

 一応鳥達を中に入れないように、エイルは腕を窓の外に出していたのだが、ヴェルズにはそれが見えなかったらしい。

「今日の分の調合は終わったのか?」

 ふんっと鼻を鳴らし、調合台の上にある瓶に目を留めてヴェルズが訊く。

「はい。これが最後で、今棚に戻すところです」

「そうか……」

 今日は何時もより多かったはずだが、それを何時もとほぼ同じ時間で調合を終わらせてしまうとは。自分には多分無理だろう。

 彼我の差を見せつけられ、ヴェルズは湧き上がる言いようもない苛立ちを、硬く拳を握り締めることで押さえ込んだ。

「ならば、手の空いたお前に、薬草園からこれらを摘んで来てもらおうか。他の者はまだ忙しいのでな」

 と、一枚の木紙を出してエイルに渡す。

 それを受け取り、書かれた薬草名を見てエイルは軽く目を瞬いた。

「これらは、今どうしても必要なのでしょうか?」

 確かにどれもそこにしかない薬草だったが、一部はこの間植え直したばかりだ。できればもう少し待って、出たばかりの柔らかい新芽を摘んだ方がいい品質の物が取れるのだが。

 勿論ヴェルズもそれを分かっていて敢えて頼んでいた。

「ああ、至急必要になったのだ。悪いが急いで摘んで来て欲しい」

 そう言われてしまえば、エイルも断れない。

「判りました。では、ここの後片付けを済ませましたら、すぐに行ってまいります」

「うむ、頼んだぞ」

 鷹揚に頷き、ヴェルズは調合室から出て行った。

 エイルは薬の入った瓶を棚に戻し、調合台の上に置かれた器具を洗浄して片付けると、窓を閉めて肩紐のついた採取籠を手に取り調合室を後にした。

 隣接する医薬所では、今日も何かしら王宮内に努める人達が怪我や体調不良で訪れ、担当の薬師達が診察して薬を処方している。この季節になると多くなるのが、暑気やられによる体調の崩れか、食事に関連する腹痛や吐き気などだ。

 どんなに気を付けていても、大勢人が集まる所では毎日何かしら体調不良を訴えて来る者はいる。

 大昔ソルティアで未知の(やまい)が国内に蔓延した時、治療薬がまだなく大勢の民が死んだ。それを機に各地で薬草が栽培され、薬の調合が盛んにおこなわれるようになった。

 とはいえ、地方の寂れた所では正式に薬学を学んだ者が居ない為、民間療法や素人が聞きかじった知識を許に独自に調合した薬に頼る者が多かった。

 その所為で従来の薬が効きにくい流感が流行った時など、地方で品質の違う薬を飲んで亡くなった者が多く出たのだ。

 民の命に関わるので、その後王都では薬の品質を一定にする為に、薬の調合は王宮の薬師が一手に引き受ける事となった。

 地方に関してはそこを治める者の推薦を受けた者が、王宮内に新たに建てられた「薬師の棟」に研修に来て徹底的に調合を叩き込まれる。そして地方に戻ったその者達が造る薬以外使わないようにさせた。

 この面倒な制度を推し進めたのが宰相になったばかりのルゴスで、それを承認したカムラスは王として各地に散ったかつての学友達に頼み、関係各所が納得して協力してもらうように働きかけたのだ。

 そのお陰で民達は国内何処に住んでいても、王都で出回るものと同じ品質の薬を手に入れられるようになり、質の悪い薬の所為で亡くなる者が激減した。

 そして、王宮の薬師達は地方から学びに来た薬師見習いを受け入れて教育する傍ら、日々(やまい)により良く効く新しい薬の開発にも熱心に取り組んでいるのだった。

 ヴェルズがエイルに頼んだのは、その研究中の新薬を作るのに必要な薬草だった。

 採取籠を肩に掛けたエイルは薬師の棟から外に出て、王宮の裏手の方に足を運んだ。

 薬師の棟の増築に伴い、王宮の外れにある余った土地に薬草園が造られ、研究に困らないように国内はもとより、他国の珍しい薬草もそこで栽培されているのだ。

 ただ、余っていた土地だけに、薬師の棟からは結構遠い。

 近道の整備された庭園を抜け、野趣溢れる雑木林の小道を行くと、何処からともなく橙色の(くちばし)をした金茶色の鳥が飛んできた。エイルが「ルーク」と呼んでいるピクトである。

 すいっと淡い金髪(ペールブロンド)の頭上を一回りすると、ルークは翼を羽ばたかせて器用にエイルの肩に留まった。

 そして、一頻り(さえず)ると、何かをねだる様にエイルの髪を(くちばし)で引っ張る。

「ったく、お前は……」

 呆れたように呟き、エイルは懐から木の実の入った小袋を取り出した。

 喰いつくような勢いで、ルークの体が前のめりになる。

 エイルが中から赤い木の実を一粒指で摘んで出すと、ばっと奪うように(ついば)んで喉の奥へと呑み込み、またパカッと嘴を開く。

 もっと欲しいというのだろう。

 苦笑してエイルは小袋の口を大きく広げてピクトの前に持ってくと、嬉しそうにルークは小袋の中に首を突っ込んで木の実を啄み始める。

 そんなピクトを肩の上に乗せたまま足を進め、エイルは雑木林を抜けてその先にある薬草園に辿り着いた。

 蔓性の薬草を這わせたアーチ状の門を抜けると、そこは一面色とりどりの花が咲き乱れる花畑だった。

 一瞬別の場所に来てしまったのかと錯覚しそうだが、薬草は何も葉っぱだけじゃない。花も咲けば実も種も()る。特に今の時期は太陽の光をたっぷりと浴びて、葉も花も艶やかに生い繁っていた。

「さあ、ルーク。もう終わりだよ」

 エイルが声を掛け、木の実の入った小袋をピクトから遠ざけて懐にしまう。

 不満げに翼を羽ばたかせて囀るが、エイルが肩に掛けた採取籠を降ろし、手近の薬草の葉と花を摘み出したのを見て、ルークは諦めたように肩から飛び立ち、薬草園の門のアーチの上に留まった。

 木紙に書かれた薬草の名を確認しながら、エイルが一種、また一種と薬草を摘んでいると、複数の足音が薬草園の外から聞こえてきた。

 王宮の者でも薬師以外誰も来ることのない場所である。だが聞こえて来たその足音は、明らかに薬師のそれとは違う重々しいものだった。

 こんな場所に誰だろうと、薬草を摘む手を止めてエイルは門の方に振り返った。

 そこには二人の部下を従えた鈍い金髪の騎士がいた。

「これはレグナント様。このような所に、なんの用でしょうか?」

 慌てて立ち上がり、驚いたようにエイルが尋ねると、レグナントは険しい表情のまま口を開いた。

「貴様に聞きたいことがある」

「私にですか?」

「そうだ」

 目を瞬いてエイルが訊き返すと、重々しくレグナントが頷いた。

 見ると、背後の二人の騎士が自分に向ける眼差(まなざ)しも、とても友好的とは言えない代物だった。

 彼等が王宮に戻って来てからずっと、自分の後を隠れて付けていたのには気付いていた。正確にはピクト達が教えてくれたのだが、姿を現して直接聞きに来るとは。とうとう痺れを切らしたらしい。

 何を聞きたいのか、返答次第では穏便には済みそうになかった。

「判りました」

 小さくそっと溜息をつき、エイルは摘んだ薬草の入った収集籠をそこに置いたまま、薬草園の外に出た。

 薬草園から十分離れた所で立ち止まり、三人の騎士に向き直る。

「それで、私に聞きたい事とはなんでしょうか?」

 時間がないので手短に頼みますと、エイルはにこやかに笑みを浮かべて訊いた。

「話とは他でもない。皇子とあの侍女は何処に行ったのだ?」

「何処にと言われましても……」

 予想通りの問いに内心で嘆息しながら、エイルは途惑ったようにレグナントに訊き返す。

「セイレム様からお話はございませんでしたか?」

「勿論聞いたが、私達は本当の処が知りたいのだ」

 そんな建前ではない真実を。

 セイレム様はうまく誤魔化していらしたが、自分達はその場で皇子を間近で見ていたのだ。うまく言い包められていた者もいたが、自分を含めた数人はその話を鵜呑みにはできなかった。皇子の失踪理由も、侍女の行方についても。

 上の連中は誰もが姿を(くら)ませた侍女は、皇子とは別行動をしていると言うが、自分達は二人が一緒にいると確信していた。

 あの旅の道中片時も離れることなく皇子を気遣っていたあの侍女が、皇子を置いて何処かに行く筈がない。同じく皇子に忠義を誓う自分達だからこそ判る。

 なればこそ知りたいのだ。世継の君として(やまい)に伏した王の代わりを務めなければならない皇子が、公務を放棄してまですべき事とは何なのか。

 その供に、何処までも皇子に付いて行く覚悟ができていた我等ではなく、何故皇子はあの侍女を選んだのかを。

 その理由を、この男は全て知っている筈なのだ。絶対に。

「さあ、貴様の知り()ることを、洗い(ざら)い喋ってもらおうか」

 レグナントは目の前の淡い金髪(ペールブロンド)の薬師に傲然と言い放った。

 同時に騎士の二人が、エイルを囲むように立ち位置を変える。

 話すまでは絶対に逃さないとでもいうように。

 それを見やり、エイルはそっと溜息を漏らす。

「本当の事を喋れと言われましても、セイレム様の話された事が全てです」

 エイルはそう言うしかなかった。

 余計な情報を与えるのは混乱の元になる。何しろ情報が細切れで、判らない事の方が多いくらいなのだ。それを今一生懸命穴埋めして繋ぎ合わせている最中なのである。教えて欲しいのは、むしろこちらの方だった。

「我等には、何も教えられぬと言うのか?」

「いえ、私ごときがレグナント様にお教えできる事など何もございませんので」

「そうか……」

 やはり簡単に口を割りはしないか……

 眉間に(しわ)を寄せ、残念そうにレグナントは呟いた。

 ここで素直に喋ってもらえれば、あの男に頼る必要もないのだが、仕方がない。これ以上の交渉は、自分達ではかなり物騒で手荒な方法しかやった事がないのだ。

「では、悪いがこれより一緒に来てもらおう」

「申し訳ございませんが、今はちょっと時間がないもので、後日にしてもらえないでしょうか?」

 摘んだ薬草は新鮮な内に処理しなければ使い物にならなくなる。

「それは聞けんな。こちらも急いでいる」

 言いながら、レグナントは視線で合図を送る。

 エイルを取り囲んでいた騎士の二人が、乱暴に彼の腕を掴んだ。

 次の瞬間、二人の騎士は立て続けに地面に伏した。

「なっ!?」

 何が起こったのか理解できず、レグナントは目を剥いた。

 




【アーサス豆知識⑫】
 エイルがピクト達に用意している木の実は、普通の木の実に色々と手を加えて味付けしたものだ。これは初代「ルーク」が味に煩くて餌をやる度に注文を付けるので、それに応えてエイルが様々な工夫を凝らして作ったからである。
 その味は他のピクト達にも好評で、野生では味わえない風味の木の実欲しさに彼等は進んでエイルに協力している。
 因みにピクト達が飽きない様に味は十数種類以上存在する。



 お久しぶりです。
 この間夜ちょっと眠れなくて、朝ならまだ涼しいだろうと窓を開けてうとうとしていたら、気が付けば室温29℃に湿度71%になっていました。
 うん、道理でだるくて何もやる気が起きないわけだ。このままだと熱中症まっしぐらですね。
 慌てて窓閉めてクーラーをつけました。
 テレビでも毎日熱中症で倒れた人の人数が発表されています。
 とうとう本格的な夏に突入したようで、ツライ……
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。