「そろそろ神殿に戻らねばならぬので、儂はこれで失礼することにしよう」
二人のやり取りを見ていたオラトリオはおもむろにそう告げると、廊下に出る扉に体を返した。
「では、私も途中までご一緒させて頂きましょう。王に皇子が目覚められた事をお伝えしなければならないので」
その言葉に、二人の老人は息を呑んだ。
三年前原因不明の
「では、ロドルバン殿、後を頼みます」
信頼を込めてそう言うと、エイルはオラトリオと連れ立って部屋を出た。
ソルティアの宮廷薬師と神官長は、暫く話す事も無く並んで歩いていたが、不意にオラトリオがエイルに声を掛けた。
「エイル殿、何か気に掛かる事でもあるのかね?」
「え、えぇ少し……」
「ふむ、王に話しにくいのならば、儂が代わりに伝えてもよいが」
「いえ、お気持ちは有り難いですが、それは私の務めですから、王には私からお伝え致します」
慌ててエイルは
「私が気にしていたのは皇子の事でして」
「フォルド皇子に何か?」
オラトリオは一瞬足を止めかけた。
エイルも神官長に合せて歩く速度を緩めながら言葉を継いだ。
「実は、皇子の『自分がショウだ』という認識が、庭園と先ほどでは全然違ったのです」
庭園ではあれ程自信に満ちて言い切っていたのに、寝室では肯定したくとも出来ずに苦しんでいるようだった。
「ふぅむ……」
オラトリオは意識するともなく片手で顎髭を撫で付けた。
「どうも、水鏡でご自分の姿を見た時から、皇子の中で何かが変化した様なのですが……」
それが何なのかが判らない。
——一体皇子は、あそこで何を見たのだろうか。
エイルは、自分が何か重大な事を見落としているのでは、と一抹の不安を覚えていた。
——と、
「オラトリオ神官長、エイル。廊下の真ん中に立ち止まって何をしている」
何時の間にか二人は立ち止まっていたらしい。腹に響くような野太い声に、はっとしてオラトリオとエイルは声のした方に振り返った。
四十歳後半の肩幅の広いがっしりとした長身の男が、二人に向かって大股でゆっくりと歩いてくる。この国の宰相ルゴスである。短く刈り揃えた髭に鷲鼻、そして鋭い双眸は、締まった巨躯と相俟って見る者に威圧感を与え、机に向かって執務を執るより、戦場で大剣を振り回している方が似合っている風格と容貌をしている。
「これは。ルゴス様こそ、このような時分に如何なされましたか?」
うやうやしく礼を取り、エイルは訊き返した。
王カムラスが病に倒れてから、実質的な政務は殆どルゴスが執っていた。何時もなら今頃は執務室で書類の山に囲まれている筈だった。
「レイミアが、フォルド皇子が目を覚まされたと騒いでおったのでな。儂も急ぎ顔を見に来たというわけだ」
「そうですか……」
エイルは内心で舌打ちした。
あの親子に口止めしておけば良かった。と、非現実的な事は考えなかった。サウアーにも知られてしまっているし、遅かれ早かれルゴスの耳に入るだろうとは判っていた。が、思った以上にルゴスの行動は迅速だった。しかし、今の皇子と会わせるわけにはいかない。
「折角足を運んで頂いたのに恐縮ですが、皇子は今お休みになられております」
そして、更にすまなそうな表情で付け加える。
「実は、皇子は私共が席を外している折に目覚められたらしく、墜落のショックで記憶が混乱していた皇子は、一人で南棟前にある庭園まで
エイルの言葉に、オラトリオは片眉を僅かに跳ね上げた。無言で隣に立つ宮廷薬師に視線を向ける。
わざわざ失態を自らバラして、フォルド皇子の看護をルゴスの息の掛かった者に替えられたらどうするつもりか。オラトリオの目はそう物語っていた。
それに気付きながらもエイルは構わず言葉を継いだ。
「それで弱った体に無理を
今後は今回のような事がないよう南棟の衛兵の数を増やそうと思っております。それに皇子が目覚められた以上、侍従長のロドルバン殿もこれからは常時部屋に居てくださるとの事ですし、何よりも皇子のご配慮を無にしないためにも、どうか今暫くご辛抱ください」
と、下手に嘘をついて後々痛くもない肚を探られて因縁付けられるより、今こうしてしおらしい態度を示しておけば後でいくらでも
「そういう
深々と
「レイミアにもその様に伝えておこう。早く元気になった皇子にお会いしたいと、そのようにフォルド皇子に伝えておいてくれ」
「かしこまりました。皇子がお元気になりましたら、真っ先にお知らせ致しますので、どうぞ心安らかにお待ちください」
「では、頼んだぞ」
鷹揚に頷いてみせると、ルゴスは踵を返し、去っていった。
それを見送ってから、オラトリオとエイルもそれぞれ目的の場所へと、各々足を向けた。