柱や壁に優美なレリーフをあしらった白亜の廊下に、開いた窓から心地よい風が吹き込む。
そこを騎士見習いの少年の後について歩く、暗めの金の髪を短く刈り上げた男の顔に懐かしそうな表情が浮かぶ。
実際彼が王宮に足を踏み入れたのは三年ぶりだ。「継承の選儀」で次代の王に決まったフォルドへの祝いに、ネールの出城の責任者として顔合わせに来た時以来だった。
男を連れた騎士見習いの少年は、廊下の突き当りの扉の前で立ち止まると、その脇に控えていた若い騎士に敬礼する。
「ネールの出城の騎士団長グレント様はお連れ致しました」
「ご苦労」
騎士が
「セイレム様がお待ちです」
後を引き継いだ若い騎士が敬礼してそう告げると、
中は落ち着いた雰囲気の執務室だった。右手の壁には書類などが納まった本棚が並び、左側には来客用のソファとテーブルが置かれていた。
そしてその中央奥の窓の前には重厚な造りの執務机があり、明るい金髪の壮年の男が片手を顎に添えて机上の書類を捲って目を通していた。
扉の開く音に、書類から視線を扉の方に向けたセイレムは、そこに立つグレントの姿を認め、嬉しそうな笑みを浮かべて立ち上がった。
「よく来たな、グレント」
「お久しぶりです、セイレム様」
親しげなセイレムに対し、グレントは慇懃に挨拶を返す。
セイレムは近衛の長であると同時に、全騎士団を統括する立場でもある。二人は同年代でかつての学友でもあるが、立場上セイレムはグレントの上官になる。
そうでなくとも、セイレムは建国以来の重鎮の家の出で、グレントは地方の地主の三男坊だ。本来の身分にしても雲泥の差があった。
「お忙しい処、すぐの面会感謝いたします」
「いや、丁度休もうと思っていた処だったからな」
セイレムは執務机上の書類をそのままに、立ち上がってグレントに来客用のソファを勧め、自分もその向かいに座る。
二人が向かい合ってソファに座ると扉が開き、先程グレントをここまで案内して来た騎士見習いの少年がワゴンを押して入って来た。
テーブルの上に香草茶を
全てを終えてワゴンを押して少年が部屋から出て行くと、カップを手に一口飲んでからセイレムは口を開いた。
「で、どうだ、最近ダルの森は?」
「最近では黒い獣の噂も聞かなくなり、
問われて答えたグレントは、次いでこれからの方針を口にする。
「そこで、そろそろ公路の封鎖を解除しようと考えております。商売に支障が出ている商人達からの苦情も後を絶たず、これ以上押さえておくのは難しいので」
「そうか……」
グレントの苦労を思い、セイレムは小さく息をついて頷いた。
「だが、少なくともこちらから向かう商隊の安全には、万全を期さねばならんだろう」
あんな惨劇があった後である。落ち着いたと言っても相手は野獣だ。襲って来ないという保証は何処にも無い。
ダルの森を抜ける道はアルティアとの重要な公路である以上、その安全を図るのは西方警備を預かるグレントの騎士団の役目である。
「ええ、その点は既にタイランドが手掛けております」
副団長の名を出し、グレントはそれに付いての説明を加える。
ダルの森の公路に関して、これまでは定期的に公路を巡回して道の整備や安全を確保し、野獣の襲撃に関しては商隊任せにしていた。そこまで手が回らないという事もあるが、今まではヌルルの匂い袋や商隊が雇った護衛の者達で十分対処できていたからだ。
だが、今回の事があり、グレントは公路を封鎖すると同時に、それを解除した後の事を見据えて対策を取っていた。
まず苦情を言って来る商人で隣国に詳しい者達に、オーシグルなどの危険な獣に対するアルティアの対応を教えて貰い、それをこちらでも取り入れる事にしたのだ。
つまり、それらの獣除けに使われているヌルルと
その為にまずその二種類の苗木の確保から始まったのだが、どちらもソルティアでは野生でも殆ど見掛けない種類で公路が封鎖された現状では入手するのは困難だった。
そこでグレントはタイランドに命じ、アルティアと取引のある商人達から彼等がヌルルの匂い袋用に育てているヌルルの木を買い取った。次いで新たに苗木を育てれば同じく買い取ると通達しておいたのだ。
それらを公路の所々に植え、様子を見ながら順次増やしていく予定で、ザルツェの方は封鎖を解除した後、商隊に頼んでアルティアから取り寄せるつもりだった。
「それで、これがその為に必要な経費になります」
と、グレントは持って来た書類を目の前に座る明るい金髪の上官に差し出した。
それを受け取り、目を通したセイレムが思わず顔を
「こんなに金が掛かるのか?」
「ええ、それでもタイランドが頑張ってここまで値引かせたのです」
自分達の為でもあるのに、最初商人達はこちらの足許を見てかなり吹っ掛けて来たのだ。
「それで金額がこれとなると、仕方ないか……」
交渉上手なグレントの右腕である髭面の顔を思い浮かべ、セイレムは嘆息した。
ソルティアは特殊な王位継承により、それを巡って度々騒乱が起こっていた。中には内乱にまで発展した事もあったが、そのいずれもが
そして今は何代かに渡って特に大きな騒乱もなく平穏な時代が続いている。
それにより騎士団の必要性も低下して縮小され、本来なら近衛と全騎士団を統括する長は別々な処をセイレムが兼任する羽目になっていた。おかげで予算も削られてかなり懐事情が厳しいのだ。
「ええ、それとタイランドから、これはどちらかというと騎士団というより道路の公共整備に当たるので、そちらの方に回した方がいいのではないかと」
「成程……」
それなら騎士団の懐は痛まない。
「だったら、何故こっちに持って来た?」
「まぁ、その……急ぎ必要な物でしたので、セイレム様から口添えしてもらえたらと……」
そっと視線を逸らし、グレントが言いにくそうに言う。
それにピンときたセイレムは、ニヤリと面白がるようにかつての学友を見た。
「要は、ルゴスに会いたくないんだろう?」
「うっ……」
図星を指され、グレントは言葉を詰まらせる。
金額が多い場合その部署に持って行っても、最終的には宰相の認可が必要になる。
それなら元学友の
今回の場合、恐らくはルゴスも認可してくれるだろうが、セイレムの言うように、できればルゴスに会いたくないグレントだった。
その理由が分かっているセイレムはグレントを
「まあ、確かに、お前は武芸はともかく座学——特に
「仕方ないだろっ。俺は地方の地主の三男坊なんだぞ。宮廷マナーなんぞ王宮の学び舎に来て初めて知ったんだ」
思わず言い返し、グレントはセイレムを睨み付けた。
口調も身分を問わなかった学び舎時代に戻ってしまっている。
「それなのにルゴスの奴、俺達地方から来た連中の宮廷マナーが全くなってないと見るや、一挙手一投足事細かに指導を入れてきたんだ。それも一日中だぞ」
立ち振る舞いに対するルゴスの情け容赦ない指摘に、最初は王宮で普通に歩くことすらままならなかった。
「食事の時なんか特に酷かった。お蔭で俺は学び舎にいる間、何ひとつ食った気がしなかったんだ」
折角王宮の豪華で美味しい料理が食べられると楽しみにして来たというのに、味すら分からなかった。まさにルゴスのスパルタ教育の所為で、日々の楽しみの食事が地獄と化したのだ。
学び舎での悪夢を蘇らせたグレントは、頭を抱えて恨みがましそうな目をセイレムに向ける。
「お前に俺達の気持ちが解るかっ!?」
「いやまあ、俺やカムラスも止めたかったんだが、お前達の為だと言われてはなぁ」
ポリポリと頬を掻き、セイレムはバツが悪そうに視線を漂わせる。
「でも一応、もう少し優しくしたらどうだとは言ったんだぞ」
それに対してルゴスから返ってきた返事は「甘やかしてはこいつらの為にならない」だった。
そこでセイレム達は、グレント達の時間外の宮廷マナーの練習に付き合う事にしたのである。ルゴスより先に指導する事で、彼の
「まあ、それには感謝している。あれがなかったら俺達とっくに逃げ出していた」
「そうは言うが、あのルゴスから逃げられると思うか?」
当時学び舎に集められた次代の王候補生達は、皆同じ城の一角で生活していたのだ。同じ環境に居る事で王族や平民などの身分に関係なく、常日頃から互いに切磋琢磨するようにと。当然ルゴスもそこに居た。その彼の目を掻い潜って逃げるなど不可能だろう。
「………」
鋭い指摘に、グレントは更に恨めしそうな表情になった。
「まあ、もう昔の話だ。ルゴスは相変わらずだが」
「だから会いたくなかったんだよ」
グレントが苦虫を嚙み潰したような表情になる。
方法はどうあれ、ルゴスが自分達の為に厳しく指導していたのは理解しているが、あれで思いっ切り苦手意識を持ってしまったのだ。
「継承の選儀」でソーレスに選ばれなかった後、王宮に残る選択肢もあったグレントが、一も二も無く空いていた西方警備のネールの出城の次期騎士団長の座に飛びついたのはその所為だった。
「だったら何故今回お前が来たんだ? これを俺に頼む為ならタイランドでも良かった筈だ。他にも何かあるんだろう?」
「ええまぁ、それなのですが」
と、ルゴスの事で取り乱していたグレントは、取り繕う様にゴホンと咳払いをして居住まいを正し、口調を改めた。
それをセイレムはパタパタと手を振って制す。
「ここには口煩いルゴスはいないんだ。俺達の間で畏まる必要もないだろう」
身分的には大いにあるのだが、セイレムは昔からそういう処は全く気にしなかった。
「まあ、お前がそう言うのなら……」
相変わらずなかつての学友にグレントは苦笑いし、そして表情を改めて話を切り出した。
「実は皇子の出城巡りの事件に関して、あちらでの調査が粗方終わったのでその報告に来た」
「何か分かったのか?」
セイレムも真剣な表情になって身を乗り出す。
「ああ、まずエスカーの襲撃事件だが、皇子が襲われるとほぼ同時に起こった野営地の火災は、唯一亡くなった騎士が関与していたようだ」
その辺りは出城巡りの一行が王宮に戻った頃合いを見計らい、王宮に部下を派遣して改めて随行者達から聞き出した情報で判ったことだった。
なにしろあの時ネールの出城は皇子の失踪で、エスカーの事件の事を聴取している暇がなかったのだ。
「どうやらそいつは野営の準備で忙しい他の騎士の目を盗んで、テントが燃えやすいようにあちこちに油を撒いていたらしい」
手にした報告書を捲りながら、グレントはその根拠を上げる。
「騎士見習いの少年の一人が偶然それを目撃し、何をしているのか訊いたところ、虫よけの香油を撒いていると言って誤魔化したようだが」
普通虫よけにはその香油を浸した布をテントの入り口に吊るすのだが、その騎士見習いの少年は野営は今回が初めての経験だったこともあり、あっさりとその言葉を信じて不審に思わなかったのだ。
火が出た時もその騎士が一番に騒ぎ立て、その後気が付けば行方が分からなくなっていた。そして、野営地から離れた森の一角で、死体で見つかったのだ。背後からばっさりと斬られて。
そこは皇子が襲撃を受けた場所からもかなり離れていた。
この事から襲撃者は二人以上と思われる。そして、死んだ騎士の遺体の周りに争った跡が無い事から、その者は襲撃者と顔見知りで、多分口封じに殺されたのだろう。
そこまで調べてグレントは一旦エスカーの件を打ち切り、次に行方を
「殺された部下二人は身元が分からない様に、甲冑などの装備を全て剥ぎ取られ、縛られてどちらも胸を一突きにされていた」
心臓のど真ん中に一突き。悲鳴を上げる暇もなく絶命させられたのである。
下手人はかなりの手練れであると思われた。
何故二人が殺されたのか分からなかったが、彼等の共通点からある人物が浮上した。それは去年の暮れダルの森でオーシグルの襲撃を受けた、商隊唯一の生き残りのアルティアの男だった。二人はその事件の調書を取りに、一度その男に会っていたのだ。
顔見知りであれば、二人が大して警戒せずにその男に付いて行っても不思議ではない。
そして更に詳しく調べると、部下が行方不明になった前後に出城近くの町に現れた二人の不審人物の内の一人、アルティアの者の特徴がその男と見事に合致したのだ。
その上その男の同行者であるソルティアの男も、先々月何時もの定期連絡で王宮に使いとしてやっていた部下が、似た人物をそこで見かけたような気がすると言ったのである。
「誰だ、そいつは?」
「サウアー様の従者の一人だ」
「なんだとっ!?」
セイレムは目を見開き、思わずソファから腰を浮かす。
「はっきりと見たわけではないので断定できないと部下は言ったが、あの事件で負傷したアルティアの男を保護した商人は、マクアーク殿と懇意であるらしい」
更に追跡調査をしたところ、その商人はマクアークの意向で一時保護したそのアルティアの男を完治するまで面倒を見ていたようだ。
その後の男の動向は知らないと商人は言ってはいたが、あのマクアークが無償で人助けなど有り得なかった。むしろ恩を着せ、手駒とする方がしっくりくる。
それを踏まえて考えれば、一緒にいた者がサウアーの侍従長の息子の可能性は限りなく高い。
となると行方不明だったサウアーが、その時分ネールの出城付近にいたという事になる。従者が
そしてサウアーの今までの言動を考えると、それが意味する処は一つしかない。
「………」
セイレムは声もなくドサリとソファに腰を落とした。
そこへ追い打ちをかける様に、淡々とグレントが言葉を継ぐ。
「俺はずっと腑に落ちなかったんだ。あの時皇子は襲撃者の顔はよく見えなかったとおっしゃられていたが、あの夜は雲一つない満月で森の中でもかなり明るかったんだ」
だからあの時襲撃者の牽制に、
「………」
「おそらく皇子は襲撃者を庇っておられる」
そして皇子の性格を考えて、彼が庇う相手となると限られてくる。
「やはり、そうなのか……」
「まだ確定とはいかないが、その可能性が高いとだけ覚えておいてくれ」
セイレムの心情を思うと酷ではあるが、それをはっきりさせる為に今回はとても不本意で嫌だったのだが、仕方なく自分が王宮に足を運んだのである。
「もう少し
多分今はルゴスに仕えている筈のサウアーの侍従長に相対し、全ての真実を明らかにする為に。
お久しぶりです。
暑さで茹だっています……