アーサス   作:飛鳥 螢

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Ⅴ —闇の来訪—

 南棟を後にし、エイルは回廊を通って自分の部屋のある東棟に足を向ける。

 結局気分転換は出来なかったものの、ネールの出城の騎士団長によって思わぬ情報が得られた。

 あのエスカーの一件、やはり首謀者は今までの者と同じらしい。

 それと判らぬように内部に手の者を潜り込ませてから事を起こし、用無しとなった者は即座に始末する処など。用意周到に立ち回って一切の痕跡を残さない。

 その所為で首謀者が誰か見当が付いているものの、手にするのは何時もトカゲの尻尾でしかなく、未だに確かな証拠を掴む事もできなかった。

 ロドルバンが自分の願いを成就させるのも、まだまだ先になりそうだ。

 先程の皇子の侍従長の姿を思い浮かべ、暫くは皇子の部屋に行くのは止めようと心に決めたエイルは、梢に留まる鳥(ピクト)達の囀(さえず)りを耳にしながらのんびりと自分の部屋に向かった。

 さり気なく危険な目に合いそうなは所は避け、「何故こっちに来ない」「何時もここを通る筈なのに」などの物陰から聞こえる怨嗟の声をやり過ごし、自室のある東棟の二階へと無事に辿り着く。

 ホッと一息ついて扉に手を掛けようとして、ピクリとエイルは動きを止めた。

 軽く目を見開いた後、先程の近衛の長との話を思い出してじんわりと笑みを浮かべる。

 エイルはローブの懐から何やら取り出して口に含んだ。

 そして、鍵を開けてゆっくりと自室の扉を開く。

 中はテーブルと椅子、それに小物を置いた飾り棚と私物の書物がぎっしり詰まった書棚が置いてある、あまり飾り気のないこざっぱりとした部屋だった。

 テーブルの上には出て行った時と同じ、出しっ放しの資料が山積みにされ、その傍に書き掛けの羊皮紙がくるりと丸めて置いてある。窓際の天井には幾つもの乾燥させた薬草がぶら下がって独特の匂いを醸していた。

 そんな中に黒いフードを目深に被り、黒マントで全身を覆い隠した女が一人、物珍しそうに辺りを見渡していた。

 扉が開く音を耳にし、ゆっくりと被ったフードで口許しか見えない顔を向け、黒マントの女は入って来た淡い金髪(ペールブロンド)の優男を黙然と見やる。

「このような何もない所によくおいで下さいました」

 柔らかな笑みを浮かべ、後ろ手で扉を閉めてそっと鍵を掛けたエイルは、何気なさを装って自分の留守中に侵入した来客に言葉を掛けた。

「——エルメージュ様」

 ピクっと一瞬体を震わせた黒マントの女は、フードの下から覗く艶やかな紅(あか)い唇を微かに歪めた。

 マントから出した細い手でフードを取る。

 はらりと銀糸を思わせる長い髪が背中を流れ落ちた。透ける様に白い顔(かんばせ)に形良い細い眉、深紅(あか)い瞳に艶やかな唇が、この世の最高の美を形作って配されていた。

 そして、その額には細微に渡り細心の注意を払って細工を施された額冠(サークレット)の中央に緋(あか)い宝石が鈍い光を放っている。

「その名が、何故妾(わらわ)の名じゃと?」

 どこか探るようにアルビナの女が問う。透明感に溢れ、凛としたその声は薄い水晶のグラスを爪弾いた音を思わせる。

「貴方の額のサークレット、昔何かの古い文献の中で見た事があったと思いまして、それであちこちから集めた文献を隅々まで調べ、自分なりに考察してみたのです」

 目の前の美女に劣らぬ美貌を持つエイルはにこやかに答えた。

「お陰でここ暫く薬師を休業して、書庫の掃除夫をしていましたよ」

 実際書庫の奥深く埃に埋もれていた古い文献など、全部埃を払って綺麗にしてからでないと調べられなかったのだ。調べている内容は誰にも明かせない為手伝ってもらう訳にもいかず、やむを得ないとはいえ独りで黙々とそんな事をやっていれば、ついそんな風に思ってしまっても無理なからぬことだろう。

「面白い男よの」

 可笑しそうにエルメージュが口許を綻ばせる。

「——それで、妾の何が判ったと言うのかえ?」

「色々と……皇子の精神(こころ)をショウと名乗る者と取り換えたのは貴女ですね?」

 面白がるように自分を見る銀髪の美女の表情を窺うようにエイルは問い掛ける。

「そして、三年前カムラス王を重篤な病(やまい)に伏せさせたのも」

「そうじゃ」

 エイルの問いに、臆面もなくエルメージュは応えた。

「皇子は良しとして、王にはもっと苦しんで貰おうと思っておったのだがの。まさか其方がヴァンデミーネの巫女の縁者であったとはな」

 思わぬ誤算にエルメージュは、憮然として目の前の優男を睨む。

「エルーラが手を貸したのであれば、思う様に行かぬのも道理じゃ」

「ですが、貴方がその力を解かぬ限り、王の病は完全には癒えません」

 自分がやったのは病状を出来るだけ詳しくエラドラに伝え、エルーラの知識を使ってそれを緩和させる薬を処方したに過ぎない。けれどそこが良くなったと思ったら、暫くしてまた別の所が悪くなる。その繰り返しだった。

「よう分かっておるのう」

 エルメージュは口許に笑みを浮かべる。

「じゃが、妾は解かぬ。王が自ら命を手放すまではな」

「——復讐、だからですか?」

「何故、そう思うのかえ?」

 エルメージュはすっと深紅の双眸を細め、淡い金髪(ペールブロンド)の薬師に刺す様な視線を向ける。

「今まで集めた情報から推察したのです」

 その情報源は勿論エラドラの記憶だ。あの中でこの女はソルティアを狙うのは因業深き故だと言っていた。それが何かはまだ分からないが、余程の恨みがあるのだろう、このソルティアに対して。

 事も無げに言うエイルに、エルメージュは軽く目を瞠(みは)った。

 殆ど残ってない筈の文献で、このサークレットからあの名に辿り着くのも並大抵ではないのに、この男は何処から得たのか、少ない情報でこちらの思惑を見事に言い当てた。

「ほんに、其方は一介の薬師にしておくには惜しい男よの」

 口許に手を添え、ころころと声を立てて嬌笑(わら)う。

「今日は其方のその命、貰い受けに来たのじゃが、気が変わった。妾はいずれ全てを手に入れる。この世界(アーサス)の全てをな。

 どうじゃ、床に伏した脆弱な王に忠義して一介の薬師として滅ぶより、妾の為にその叡智を役立て、妾と共にこの世を手にしたいとは思わぬかえ?」

 ねっとりとした甘美な声音(こわね)でエルメージュは誘いを掛ける。

 エルーラを手に入れても、アレは決して妾に応えないだろうが、この男が居れば全て事足りる。

「この世界の全てを……ですか……」

 思案深げにエイルが呟く。

「そうじゃ、ソルティアだけでなく、エルティアもアルティアも、全てが思いのままじゃ」

「ですが、ルゴス様はどうするのです?」

「ルゴスとな?」

「ええ、夜な夜な執務室で会っておいでなのでしょう? ——皇子を亡き者にする為に」

「彼奴(あやつ)など、もうどうでもよいわ」

 単に皇子の魂換(たまか)えに必要な力を蓄える時間稼ぎに唆(そそのか)したに過ぎない。それが済んだ今、自分のやる事に一々文句を言い、細々(こまごま)注文を付ける小難しい男など、もはや利用価値などありはしない。

「それよりも——」

 用済みとなった男の顔を思い出し、一瞬優美な顔を歪めたエルメージュは、次の瞬間艶(あで)やかな笑みを浮かべて羽織っているマントを脱ぎ捨てた。

 雪花石膏(アラバスター)を思わせる白い肌をピッタリと包み込んだ漆黒のドレスが露(あら)わになる。

 それは見事な曲線美を描いた肢体を鮮明に浮き上がらせ、ぞくっとするほど艶(なま)めかしい。

 その姿に思わずエイルが息を呑む。

「其方の答えがまだなのじゃが?」

 つと滑るようにエルメージュが前に出る。

 ハッと目を瞠(みは)るエイルの前に、蠱惑的な笑みを浮かべる美貌のアルビナの顔があった。

 エイルの赤味がかった菫色の瞳に、エルメージュの額のサークレット中央に坐する緋(あか)い宝石が映る。

 その瞬間、宝石が妖しげに光輝いた。

 その光に瞳を射抜かれたエイルの表情(かお)から、ふっと感情が抜け落ちる。

 エルメージュはニンマリと口の端を吊り上げ、無表情な顔を自分に向ける優美な優男の頬に手を添えた。

「これからは、存分に妾に尽くして貰おうぞ」

 まずは無用になったルゴスの始末からじゃ。そしてあの王も一緒に。

 それを告げたら、あの皇子がどんな顔をするか見ものぞえ。

 くつくつと喉を鳴らし、悦に入りながらエルメージュは虜にした男を眺め回す。

「——にしても、ほんに其方は美しいのお……」

 自分と並んで見劣りしない美貌に、思わず感嘆の声を漏らす。

 ヴァンデミーネの巫女はこの男をアルビナではないと言っていたが、徒人(ただびと)でもこのような美を備えた者がいるとは驚きである。

 不意にエイルの顔が、するりと添えたエルメージュの手からずり落ちる。

 見上げる彼女の顔に迫り、そのまま互いの唇が触れ合った。

 同時に目を見開くエルメージュの体を、エイルの腕がしっかりと抱き竦める。

「っんん!?」

 重ね合う唇の隙間から苦しげな呻き声が漏れた。

 刹那深紅の瞳が濃さを増し、顔を歪めたエルメージュの体から、跳ね飛ばされるようにエイルの体が壁際の書棚に叩き付けられる。

 その振動でバラバラと書棚から書物が零れ落ち、エイルの頭の上に落ちてきた。

 喉を押さえて荒い息を吐きながら、エルメージュは妖艶な顔を朱に染めて自分の唇を奪った男を睨(ね)め付けた。

 意識を縛って木偶(でく)とした筈なのに、勝手に動くなど有り得なかった。

 ——どうやって妾の術を……

 今まで誰にも破られなかっただけに、エルメージュは信じられない思いだが、今はそれよりも——

「妾に、何を、呑ませたのじゃ!」

 喉が焼け付く様に痛い。激痛に頭が割れそうだった。

「コルキュラの実の他に、数種類の汁を混ぜたものです」

 ゴホゴホと激しく咳込みながら問い質すアルビナの女に、書物の当たった頭を痛そうに押さえ、立ち上がりながらエイルは応えた。

「普通の人ならば多少の頭痛や吐き気で済みますが、アルビナの貴女には少量でも劇薬同然。死にはしませんが只では済まないでしょう」

「お…のれ、術に、掛かった…フリをして、妾を……謀(たばか)った…のかえっ?」

「ええ、貴女はとても用心深そうでしたので」

 エルメージュの額の宝石の輝きを目にしたあの時、意識の中に潜り込んで来た漆黒の闇を、咄嗟に普段言霊(ことだま)で使う内なる力で吹き飛ばしたのだ。

 そして術に掛かったフリをして彼女の油断を誘い、口に含んでいたあの汁の小袋を嚙み切って口移しで飲ませたのである。

 にこやかに応えたエイルは、ローブの懐から一つの小瓶を取り出した。

「その痛みは、これを飲めばすぐに治まりますが、それ以外に治す方法はありません」

 と、怒りと激痛に顔を歪めるエルメージュに、これ見よがしに見せた小瓶を再び懐にしまい言葉を継ぐ。

「今すぐ貴女が王と皇子に掛けた術を解いてくださるなら、差し上げてもいいのですが」

「其方の、言葉に、妾が…頷く…とでも」

 ぎりりっとエルメージュは奥歯を軋ませる。

「でなければ、その苦しみはずっと続く事になりますよ」

「妾を、馬鹿に、するでないっ」

 エイルの脅しを、エルメージュは憤怒の形相で撥ね付けた。

「あの…時の、苦しみに…比べれば、この…程度の…苦痛なぞ、無きに、等しいわっ!」

 そう言い放つと同時に渦巻く感情に反応してアルビナの力が放たれる。

「くっ」

 横に跳び退きながらエイルは防御(まもり)の言霊(ことだま)を唱えたが、爆発的な力には抗えなかった。

 後ろの続き部屋の扉に激突し、壊れた扉ごと隣の部屋に転がり込む。

 痛みに意識が遠退きそうになりながらもエイルは体を起こし、隣の部屋を確認した。

 そこには既にエルメージュの姿は無く、脱ぎ捨てられた黒いマントだけが床に落ちていた。

 ——逃げられたか……

 できるなら心の赴くままあの女に、エラドラやウィドの邑の皆にした事の報いをくれてやりたかった。けれど今は出来ない。王と皇子を元に戻す方法が分からない以上、いきなり殺す訳にはいかなかった。

 今回は取り敢えず用意したあの汁を飲ませられただけでも良しとしよう。

 身の危険に反応する純粋なアルビナの力を削ぐのは難しいが、あの汁の影響で二、三ケ月程まともに言霊を唱えられない筈だ。これで当分の間皇子達にも手出しは出来なくなるだろう。

 ——まあ自分も似たようなものか……

 壊れた扉近くの壁に背を預け、エイルは胸を押さえて咳込んだ。

 口を押えた掌がべったりと鮮血に染まる。

 肋骨が何本か折れたようだ。肺にも傷が付いたらしい。

 咄嗟に言霊を唱えて防御した筈なのにこの様(ざま)である。

「——やはり、純粋なアルビナの力は凄まじいな……」

 言霊を使って指向性を持たせたものとは違い、追い詰められ、ただ感情を爆発させただけだというのに。

 念の為騎士達にはあの卵をアルビナの女にぶつけた後は捕らえようとせず、王の周りを固めて護りに徹するように言い含めておいて良かった。

 そっと溜息をつき、ふとさっきの衝撃で床に落ちた鏡に目を留める。

 ひび割れたその中に映る自分の瞳が深紅(あか)く染まったままだった。

 言霊を使って内なる力を使うと、その影響で瞳の色が一時的に濃密な深紅へと変化するのだ。いつもならすぐに戻るのにまだ元に戻っていなかった。怪我の所為もあるのだろうが、口に含んでいたあの汁の影響も多少はあるようだ。

 これでは瞳の色が元に戻るまで、外に出られない。

 エルメージュに会った事で色々と確証が得られたが、この体では当分無理はできそうもなかった。

 ——王への報告が、更に遅れる事になりそうだ……

 痛む胸を押さえ浅く息をつきながら、エイルは薙ぎ倒された書棚に混じり倒れたテーブルの傍に散らばる資料に目をやった。

 

          § § §

 

 そこは金銀を縁取りにして孔雀石(くじゃくせき)や斑碧玉(まだらへきぎょく)に瑪瑙(めのう)などの様々な貴石が美しい文様を成して柱を彩り、壁にはそれに加え青石(サフィール)、紅石(リビール)、夜石(エメジェス)、緑石(エメルディ)、水石(アクアール)等の宝石(いし)で細微に至るまで細やかな装飾が施されてあった。

 そのどれもが丹念に磨かれ、手入れの行き届いた宮殿の一室である。

 だが、そこに人々の気配は微塵もなく、その全てを静寂が支配していた。

 ——と、

 その豪奢な部屋の中央、星を散りばめた様な黒大理石の床の上の大気がゆらりと揺れ、次の瞬間苦しげに喉を押さえて立ち尽くす銀髪紅眼の美貌の女がいた。

 ソルティアの王宮のエイルの部屋からここまで、一瞬で転移してのけたエルメージュである。

 その額のサークレットに嵌め込まれた緋(あか)い宝石(いし)は、今の転移で力を使い果たしたように輝きを失っていた。

「ぐっ……」

 倒れ込むようにその場に膝を付き、エルメージュは激しく咳込んだ。

 喉の中が切れ、鮮血が黒大理石の床に咳と共に飛び散る。

「お…のれ……」

 ゼイゼイと肩で息をし、エルメージュは何もない虚空を睨み付けた。

 その深紅の双眸には、先程の憎き男の幻が映っていた。

 ——邪魔はさせぬ……

 やっとあの忌々しいソーレスを封じ、漸く長きに渡る悲願が叶うのじゃから。

 よろりと立ち上がり、一歩、二歩とふらつきながら目の前の窓へと向かう。

 開け放たれた窓の外は、どんよりとした空の下に小高い丘が広がっていた。

 その丘全体にオベリスクの様な高さ一フィノ程の方尖柱(ほうせんちゅう)が、等間隔にずらりと並んでいる。

 それは遠目からだと、まるで窓辺に立つ闇の女王に跪(ひざまず)く臣下のように見えた。

 その眼下に見える柱群の中央、丘の一番上には一際大きく立派な造りの三本の方尖柱が並んで立っている。

 ——誰であろうと、絶対に。

 喉と頭の激痛に堪えながら狂おしい想いを胸に、エルメージュはそれらを何時までも見詰め続けていた。

 




 お久しぶりです。
 やっと台風が去ったと思ったらまた台風。
 秋雨前線もまた出来て、いい加減晴れやかな秋晴れの空が恋しくなります。
 でも晴れると今度は汗ばむほど暑くなるから、それも嫌だなあ。
 丁度良い気候って、もう無いんだろうか……
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