人々が行き交う
文官の出入りが多い王宮の西棟の二階中央にある宰相の執務室の続き部屋は、壁際に書棚が並んでいるのは執務室と同じだが、部屋の中央に円形の大きなテーブルが置いてあり、等間隔に椅子が並べられていた。
この部屋は部外者に聞かれたくない重要な案件を話し合う時になど使われる。その為部屋の扉は重厚で外からでは中の声は全く聞こえない。
「では、このように準備を進めることに致します」
話し合いが終わり、席を立った文官達が目の前に座ったままの宰相に一礼する。
「うむ、くれぐれも内密にな」
鷹揚に頷いたルゴスが念を押す。
それに対し、文官達は心得たように笑みを浮かべた。
「分かっております。これを戻った皇子が知ったら、さぞ驚かれる事でしょう」
「左様でございます。これで王も安心する事でしょう」
「では頼んだぞ」
満足そうに文官達を見やると、ルゴスは書類を手に部屋から出て行く彼等を見送った。
それと入れ違いに、廊下で待機していた女官と共にサウアーの侍従長が入って来る。仕える主が不在なマクアークは取り敢えずルゴスの許に身を寄せているらしい。
女官はテーブルの上にある使われたカップなどを片付けて早々に退出する。
その後でマクアークは新しく香草茶を
大事な案件が片付き、このままここで一息入れるつもりらしい。
「
テーブルの上に置かれた資料を見、マクアークは軽く眉を寄せた。
確かに毎年行う大切な行事であるが、その準備に取り掛かるのは秋に入ってからでも十分間に合う筈だ。
「今年は大々的に行う予定だ」
「それは……まさか——」
ルゴスの言葉にマクアークがゴクリと喉を鳴らした。
「フォルドの居ない今が好機だからな」
「ですが、まだサウアー様がお戻りになっておりません。それに肝心の剣も」
「実際開催する日はいつも通りだ」
難色を示す息子の侍従長にルゴスは冷然と告げる。その日までまだ猶予は十分にある。
「それ迄に剣と共に戻ればよし。でなければ、戻るまで儂が代わりを務めよう」
「ははっ。ではそのように、こちらでも準備を進めてまいりましょう」
それ以上反論を許さぬ言葉に、マクアークはそう言葉を返す。
満足して一口香草茶を口に含んだルゴスは、ふと思いついた様に口を開いた。
「時に、珍しくグレントが王宮に来ているようだな」
「はい、どうもまだエスカーの一件を調べているようです。帰城した騎士に亡くなったあの者について色々聞き回っているようで」
あれから随分経つというのに、なんともしつこい。
「抜かりはないのだな?」
「勿論でございます」
自信を持ってマクアークは応えた。
懐柔した地方の家族を通してあの者と手紙でやり取りし、読み終わった後は跡形も残さぬよう燃やさせた。その家族も
今更探った処で、こちらとの繋がりは何一つ出て来ない。
「ならばよいが、
「そ、それは、その……」
途端にマクアークの歯切れが悪くなる。
自信満々に必ず捕らえて連れて来ると請け合ったのに、騎士まで使いながら未だに優男の薬師一人捕らえることすら出来ないでいた。
「捕らえようと様々な
と、しどろもどろに弁明する。
「最近は捕らえようにも、部屋に籠って全く出歩かなくなってしまったので——」
「もうよい」
尚も続くマクアークの言い訳を、ルゴスは煩わしそうに遮った。
「事が次の段階に入った以上、もはや
と、テーブルの上に置かれた今年のフェルラーナの計画書に視線を落とす。
「これ以上邪魔はさせるな」
そうマクアークに厳命すると、一気に残りの香草茶を飲みほし、ルゴスは席を立った。
次の仕事に取り掛かるべく、フェルラーナの資料を手に執務室への扉を開く。
それを見送ると、マクアークも女官を呼んで後片付けを任せ、自分は執務室には行かずに直接廊下に続く扉を開けて外に出た。
途端に疲れたように大きく溜息をつく。
エイルの捕縛の失敗は何とか許して貰えたが、これからはあの男の行動に常に目を光らせ、邪魔になる様なら始末せねばならないとは。
マクアークは今回の事も何時ものようにあらゆる方面から手を尽くした。レグナント達を
が、エイルは元々その土地の者ではなく、十四年程前ふらりとやって来て、村の外れの森の奥にあったボロ小屋を直してそこに住み始めたというのだ。
村人との付き合いは程々あったようだが、一番親しいと言えたのは皇子の侍女の死んだ父親くらいだったという。
幼い頃はエルティアにいたという話もあるが、それ以外は全く分からず、村でも王宮でもエイルから昔の話を聞いたという者も、〈
これでは何時ものように弱みを楯にこちらの言いなりにする事も出来ない。それで逃がさぬようにヴェルズを使って人気のない場所に誘い出し、実力行使に踏み切ったのに、それもあっさり返り討ちにあってしまった。しかもエイルはアルビナの力のようなものは一切使わなかったのだ。
これでは八方塞がりである。今までのやり方が使えないとなれば、何とか別の手段を早急に考えなければならなかった。
サウアー様に付いて行った息子達にしても、ネールの出城付近で「東に向かう」との連絡があった切り何処まで行ったのか、あれから何の便りも寄越さない。
まさかと思うが、フォルド様を追い
このところ上手くいかない事ばかりで、マクアークは頭が痛かった。
それでもやらなければならない。後もう少しで念願が叶うという処迄来たのだから。
それを張りのある男の声が呼び止めた。
「待て、マクアーク。話がある」
振り返って見ると、そこには先程話題に上がった男と共に近衛の長の姿があった。
「これはセイレム様」
マクアークはチラリとくすんだ金髪の男を見やり、声を掛けて来た近衛の長に応えて恭しく頭を下げる。
「私めに何か用でございますか?」
「ああ。だが用があるのは俺ではなくこいつだ」
と、顎で連れの男を示す。
それを受けてグレントが前に出た。
「少し聞きたい事がある。それで暫し付き合ってもらいたい」
「それは——」
噂をすればなんとやら。まさかあの件で自分に辿り着いたとは思わないが、用心するに越した事は無い。下手に応じて余計な詮索をされたくなかった。
そう思い、マクアークが忙しいのを理由に断ろうと口を開く前に、尚もグレントとセイレムが言葉を重ねた。
「そう時間は取らせない」
「安心しろ、宰相の許可はもう取ってある」
「さ、左様でございますか……」
安心などとてもできない。
さっきそれでルゴスがこの件を話題に上げたのだと漸く気付いたマクアークは、思わず心の中で盛大に文句を言った。
それならそうとはっきりとおっしゃってくだされば良いものを——と。
「それで、私めに聞きたい事とは?」
ゴクリと唾を呑み込み、マクアークは改まってネールの出城の騎士団長に尋ねる。
「まあ待て。部屋を用意してある」
そう言ってグレントとセイレムは
立ち話では済まない事にマクアークは舌打ちしたいのを何とか堪え、その後に付いて行く。
二人はマクアークを西棟の一階の端にある部屋に連れて行った。
中は狭く、多少の調度品で整えられているが、後は応接用のテーブルと椅子があるだけだった。
普段使っていない部屋を急いで整えたような感じだ。ここに来るまでの廊下の所々に騎士の姿があったのも人払いをする為だろう。おそらくは窓の外にも騎士がいるに違いない。
余程人に聞かれたくない話というか、自分にとってマズい状況に追い込まれたと考えるべきだろう。
警戒しながらマクアークはグレントに勧められるまま、テーブルを挟んだ向かいの椅子に腰を下ろした。
そこへ騎士見習いの少年がそれぞれに茶を
場が整った処で、マクアークは促すように再度訊いた。
「それで、私めに話とは?」
「この度行われた皇子の出城巡りの件だ」
グレントが用件を言い、その横で椅子の背もたれに身を預けて腕を組み、傍観するようにじっとセイレムが目付きの悪い顎鬚の男の表情を窺う。
「出城巡りでございますか?」
「ああ、残念な事に今回は騎士が命を落とす事態になった」
「王宮にずっといた私が、遠方の地であるエスカーの件など何も知りようがないではありませんか。特に死んだ騎士とは全く面識がありませんでしたからな」
即座にマクアークは無関係だと身の潔白を主張する。
「ほう、其方何故エスカーの牧草地での襲撃事件を知っている?」
「え?」
「あの襲撃事件は未だ襲撃者が不明な為、関係者以外には伏せられている筈なのだが」
椅子の背もたれに預けた身を起こし、自分の問いに目を瞬かせたマクアークに、セイレムはグレントと共に鋭い視線を向ける。
「そ、それはその——」
まさかあの件がそのような扱いになっていたとは。今思えば王宮で襲撃事件について誰も話題に上げなかった。でもそれは自分が流した皇子の噂の方が、皆の関心を集めていたからだと思っていたのだ。
自分が知っていた所為で思わぬ墓穴を掘ってしまったマクアークは、内心汗だらになりながら必死に考えを巡らせた。
「ル、ルゴス様でございます。ルゴス様から伺ったのでございます」
秘匿された件でも宰相の立場なら知っていてもおかしくはない筈だ。
「成程……」
確かに事が事だけに、一応王や宰相などには仔細は知らせてあった。そう言われてしまえば納得するしかない。
セイレムはつまらなそうに呟くとグレントに後を任せ、起こした身を椅子の背もたれに預けてまた傍観を決め込む。
「だが、マクアーク殿。なぜ私がエスカーの襲撃事件で死んだ騎士に付いて訊くと思ったのだ?」
自分は騎士が命を落としたと言っただけで、それに付いて聞きたいとは言っていない。
「それはその……この件はルゴス様から伺っておりましたし、王宮にいらした貴方様が出城巡りから戻った騎士や、その亡くなった騎士の部屋を
「そうか……」
顔に愛想笑いを浮かべながら言い募るマクアークを見やり、グレントは小さく息をついた。
一瞬動揺を見せたものの、すぐに取り繕って平静を取り戻す辺り、やはり一筋縄では行かない男だ。
「では、去年の暮れ、ダルの森で起こったオーシグルに襲撃された商隊についてなのだが」
グレントは話題を変えた。
「その時負傷したアルティアの男を保護した商人に、お前が完治するまでその男の面倒見るように申し付けたそうだな」
「は、はあ……」
いきなり出城巡りとは関係ない話を振られ、身構えていたマクアークはグレントの真意を測り損ねて思わず間の抜けた声を上げた。
「それが、何か?」
「その商人は完治したアルティアの男は、お前に引き取られたと言っていた」
淡々とグレントは得た情報を口にして先を続ける。
「その男に少々聞きたい事がある。会わせてもらいたい」
「会わせろとおっしゃられても……、その男に何の用が?」
言い淀みながら、マクアークは探るようにグレントの顔色を窺う。
あの男はずっと自分の許——セスラの別邸にいたのだ。ソルティアへの商隊の護衛もあの時が初めてだと言っていた。ネールの出城の騎士団長に目を付けられる様な事はしていない筈だ。なのに何故あの男に会いたがる。
「皇子が我がネールの出城に寄り、東のフェデルへ向けて出発された後の事だ。例のエスカーの件で捜査していた私の部下が二人行方不明になり、後に遺体で発見された」
淡々とグレントは事実を告げた。
「それについて近くの町で聞き込んだ処、不審人物が二人確認された。その内の一人がそのアルティアの男である事が判明したのだ」
「な、なんですとっ!?」
マクアークは目を剥いた。
最後に届いた息子の便りに、そのような事を匂わせるような言葉は何処にもなかった。第一この国で只でさえ目立つあの者を人前に
「し、しかし、あの者はアルティアの者でございます」
内心で愚息を罵倒しながら、マクアークはすぐさま顔に愛想笑いを張り付ける。
「傷が癒え、郷愁に駆られた
「確かにそうだが、その者が町の者に聞き回っていたのはダルの森ではなく、我が出城と皇子の出城巡りについてだった。それも部下達が行方不明になると同時に町から姿を消している。何故だろうな?」
真っ直ぐに目付きの悪い男の顔を見据え、グレントが問う。
「さ、さあ、何故でしょうな。あの者が何を考えておるのか私には判りかねます」
そう応えるマクアークの笑みが微妙に引き
「だろうな。だから私は直接会って聞きたいと思っているのだ。——騎士殺しの重要参考人としてな」
グレントが決定的な言葉を口にする。
「それは、余りにも早計ではございませんか?」
すかさずマクアークがそれに異を唱えた。
「あの者は騎士の方々が行方不明になった時、たまたまその近くに居合わせただけございましょう。それともあの者が騎士殺しに関係あるという確たる証拠でもあるのでしょうか?」
「証拠か……」
それがあれば苦労はないのだが。
そんな想いを押し殺し、グレントは言葉を継いだ。
「殺された騎士達は二人とも、抵抗できぬまま剣の一突きで絶命させられていた。騎士相手にそのような芸当が出来る者となると限られてくる。
そのアルティアの男はオーシグルの襲撃で、商隊で唯一生き残った警備の者だ。この事からその男はかなりの剣の使い手であると思われる。それに、その殺された二人はその者と顔見知りでな。誘い出すにしても、油断を誘って殺すにしても
と、確たる証拠というより、そこに至る根拠を上げでマクアークの反応を見る。
それにマクアークは慎重に言葉を返した。
「それは……確かにそうかもしれませんが、それだけでその者を騎士殺しの重要参考人とするのは、やはり無理があるのではないかと」
決定的な証拠もなく、全てが状況証拠でしかない。
「そうか? あの近辺で騎士以外にそのような真似が出来たのは、その時居合わせたあの男しかおらぬと思うが」
「ですが、こう言っては何ですが、それは全てグレント様の憶測ではございませんか」
微かに嘲りを含んだ声音でそう言うと、更にマクアークは申し訳なさそうに言葉を連ねる。
「それと言い忘れておりましたが、その者は傷が完治した後、好きにするように申し付けてありましてな。今は何処でどうしているかは、私でも把握しておりませんので、先程の要望にお応えしたくても出来ないのでございます」
「そういう事であれば、致し方あるまいな」
マクアークの言い分に頷き、セイレムは椅子の背もたれから身を起こしてグレントの肩を叩いた。
お久しぶりです。
どうしてヒマな時はとことんヒマなのに、忙しくなると次から次へと面倒事が舞い込んで来るのか。
特に面倒な後始末の丸投げは止めて欲しい。忙し過ぎて不貞寝したい気分です。
でも、誰も代わりにやってくれないから、やるしかないんだけどね。はぁ……