扉の閉まる音を耳にした後、晶はのろのろと
自分以外居なくなった部屋の中、ワードローブ脇の壁に目を向ける。
そこには全身を映す姿見があった。普段使わない時は上にタペストリーを掛けておいてあるのだ。それを知ったのは、再びここで目覚め、傍にいた亜麻色の髪の少女に世話されて飲みやすいポタージュや少し癖のある味の薬湯を飲んでようやく人心地付いた後、もう一度自分の姿を確かめたくて鏡の在処を少女に訊いたからだ。
晶は、さっき見た鏡に映った自分の姿を脳裏に思い浮かべた。
太陽の光で染め上げたような鮮やかな金の髪に、深く澄んだ紺碧の空を思わせる蒼い瞳の端整な顔立ちをした、自分より大人びた感じの同年代の少年。——それが、鏡に映った今現在の自分の姿だった。自分の知る姿とは似ても似つかない。勿論、かつらや特殊メイクではなく完全に本物だ。
これでは、誰も自分の言葉を信じてはくれないのも当然だった。
はぁっと溜息をついて、晶は天井を見上げた。
花園の中で聖母が、変わらぬ柔らかな微笑みを湛えて晶を見下ろす。
——どうして、こんなことになってしまったんだろう……
ぼんやりとそれを眺めながら、晶はとりとめも無く今までのことを考えた。
——野球ボール顔面に喰らって気絶して、気がついたら体が別人って……そういや、井原の妹がハマってるW e b小説に似たような感じのがあったよな。転生もので、頭打ったり、高熱出したショックで前世の記憶思い出すってヤツ。前世の記憶に引っ張られて人格まで変わったりして……
などと、考えが段々現実逃避気味になっていく。
——あれもある意味、体が別人になったようなものだよな。記憶だけで体は本来の自分のものじゃないんだから。で、舞台は大体現世の方が前世より文明が遅れた中世ヨーロッパ風の異世界かなんかで……
そこまで考えた晶は、ぎくっとして部屋の中を見回した。
——中世……ヨーロッパ…風……
「いやいや、待て待て待てっ」
がばっと上半身を預けていたクッションから跳ね起き、晶は激しく
今のは小説の話だから。俺のこの記憶が前世の記憶だなんてそんなわけないだろ。第一転生した記憶を思い出しても現世の記憶はしっかりあるのが
と、心の中で自分で自分にツッコミを入れ、ふと思い浮かんだ不吉な考えを晶は振り払った。
前世イコール死亡。
しかも、死因が野球ボールの顔面直撃だなんて、余りにも情けなさすぎる。
——と、
遠慮がちなノックの音がした。
見ると、そっと扉を開けてこちらの様子を窺う亜麻色の髪の少女がいた。
——確か、アルフィーネだったっけ……
目が合うと、少女はためらいがちに声を掛けてきた。
「あの、今声が聞こえましたが、お呼びでしょうか?」
「あ…いや、呼んでないよ」
「そうですか。申し訳ございません」
淋しそうに頭を下げ、アルフィーネは扉を閉めようとした。
「あ、待って」と、思わず晶はそれを止めた。
「えっと…そうだ、スマホ。スマホ貸して貰えないかな?」
目が覚める前も覚めた後も、次々と非現実的な事ばかりが続き過ぎてつい失念していたが、さっきW e b小説のことを思い出してようやく晶はその便利な
「ス…マホ、ですか?」
「そう、スマホ」
いくらばあちゃんや、呑気な親父に破天荒な母さんでも、こんな姿のヤツがお宅の息子ですと言った処で信じちゃくれないだろう。でも声だけなら分からない。せめて無事であることを家族に知らせたかった。
だが、アルフィーネは困惑したように頬に手を当てた。
どうやらないらしい。そう察してなおも晶は言いつのった。
「ないなら、タブレットでもいいし」
「タブ…レット……」
「パソコンとかでもいいんだけど……」
晶が言う度にますます困惑したような
「申し訳ございません。それらがどのようなものなのか、わたしには判らなくて……」
「あ、いや、いいよ」
——判らない? 持ってないんじゃなくて?
晶は眉を
それを打ち払うには、とにかく情報が欲しかった。
「じゃぁさ、テレビとかある?」
「テレビ……」
「ラジオでもいいんだけど」
と、訊いた自分の言葉に途方に暮れる少女を見て、晶はますます心配になってきた。
——そういやこの部屋も電灯とか、電気を使う類いの物が全く無いよな。
『現世は前世より文明が遅れた中世ヨーロッパ風の異世界で……』
さっき思い出していたW e b小説のことが頭をよぎる。
——いや待て、まだ確かめる方法がないわけじゃないっ。
慌ててそれを振り払い、晶は何かないか考えた。そして——
「そ…うだ、外っ」
外に出れば、ここに居るよりもっと色んな情報が手に入る筈だ。