「外?」
いきなり上げた晶の言葉に、アルフィーネは目を瞬いた。
「ああ、外に行きたいんだ」
と、ベッド脇にあるブーツを引き寄せる晶を、アルフィーネは慌てて止めに入った。
「いけません。まだ安静にしていなくては」
「もう大丈夫だよ」
さっき散々歩き回ったお陰で、手足はすっかりスムーズに動くようになったし、空腹もポタージュを飲んで一応解消されている。
「ちょっと行って、直ぐ帰って来るから」
「いいえ、いけません。皇子の身に何かありましたら——」
「何を騒いでおるんじゃ?」
なおも必死に晶を止めようとするアルフィーネの声を遮るように、ひょいと居間に続く扉から禿頭の老人が顔を出した。
さっきから話し声がするようになったので、様子を見に来たのだ。
それ見てアルフィーネがほっとした
「ロドルバン様、急に皇子が外に行くと言われまして」
「何? 外にじゃと」
片眉を軽くつり上げ、ロドルバンはブーツを履いて立ち上がった晶を心配そうに見た。
「フォルド様、もう動かれても大丈夫なのでございますか?」
「あ…あぁ……」
やっぱり「フォルド」と言われる事には抵抗はあるが、この姿では何を言っても無駄だ。
複雑な心情を押し殺して晶は頷いた。
ふと、さっきこの老人が話しかけてきた時、意地を張って思いっ切り無視した事を思い出す。
同時に「悪いと思ったら潔く謝る」と、ビシッと指を突き付けて幼い晶を
「あの、さっきは無視して大変失礼しました」
晶は深々と禿頭の老人に頭を下げて、非礼を詫びた。
「い、いや、そのような事は……、頭をお上げくだされ、フォルド様。爺はもう何とも思っておりませんわい」
それを聞いて、晶はほっとして頭を上げた。
「じゃあ、ちょっと外に行ってくるから」
と、そのままさり気なく部屋を出て行こうとする。
「いけません、皇子」
はっとして慌ててアルフィーネは晶の腕を掴んで引き留め、禿頭の老人に助力を求めた。
「ロドルバン様、皇子を止めてください」
「ふむ、フォルド様。どうしても外へ行きたいとおっしゃるのですかな」
「ああ、ちょっと外を見てみたいんだ。どうしても」
白い顎髭を撫でつけて自分を見る老人を見据え、晶はきっぱりと言った。
「ならば、儂が外までお連れ致しましょう」
「ロドルバン様っ」
侍従長の裏切りに、思わずアルフィーネは非難の目を向けた。
「まあ、その様な怖い顔をせんでも、フォルド様を連れて行くのはこの上じゃよ」
と、ロドルバンは天井を指差した。
この南棟の端にここより更に高い塔があった。その上はとても見晴らしが良く、城壁の外にある城下の街を一望に見渡す事ができる。そこなら外とはいえこの南棟を出るわけではないので、双方の意見を容れた妥協案といえる。
「——…まぁ、それでしたら……」
と、暫し考え込んだ後、アルフィーネは渋々その案を受け入れた。
晶の腕を放してベッドの方に行くと、柄に
「これは?」
「宝剣〈
「………」
——俺は「皇子」じゃないんだけどな……
その言葉を呑み込み、晶は黙って皇子の侍女から剣帯を受け取り、多少まごつきながら腰に剣帯を付ける。そして、ソーレスを手に取った。剣のずっしりとした重さにちょっと驚きつつもそれを佩く。
「では、フォルド様、儂の後に付いてこられよ」
支度の出来た晶に声を掛け、意気揚々とロドルバンは先導して歩き出した。
その後に、晶とアルフィーネが続く。
南棟の塔の上までは然程距離はなかった。二階にあるあの部屋から廊下奥を突き当たりまで行き、更に三階分程階段を登っただけである。
ただ、今の晶にはちょっとキツかった。平坦な廊下を歩くらいならまだいいが、ひたすら階段を登るというのが中々の重労働である。自分でも情けないと思いながら、三階分を登る間に二回の休憩を挟んでようやくのことで塔を制覇した。
「さあ、フォルド様。ここから城下が一望に見渡せますぞ」
疲れ果てた晶に向かって、疲労の「ひ」の字も見られないロドルバンが塔の上に出る扉を開け放ち、元気一杯に言い放った。
「やっと……」
応える晶は、息絶え絶えである。
塔の上に出た途端、爽やかな風が全身を包み込むように駆け抜けていく。強風よりもやや弱めの風は、疲れ切った汗だくの体には実に心地よい。
晶は塔の上に立ち、暫し目をつぶってその心地よさに身を浸して疲れを癒やした。
それから呼吸を整えると、晶は意を決して塔の端に立った。
そして、晶は見た。
遙か彼方に、緩やかな緑なす稜線が左右に果てしなく広がる様を。そこから流れゆく大河を挟み、大地に整然と綾なす美しい田園の姿を。眼下の丘の下に赤煉瓦色の屋根に白く輝く
そこには、近代的なビルに街灯、鉄塔など何もない。見渡す限り何処か中世風めいたヨーロッパを思わせる景色が広がっていた。
——まさか……本当に……
晶は、ふっと全身の力が抜けるのを感じた。
膝ががくがくと笑い、へたへたとその場にへたり込む。
……俺は、死んだのか——
果てしない絶望に囚われていく自分を、もはや晶はとめることは出来なかった。