アーサス   作:飛鳥 螢

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第一章 《 陽 の 国(ソルティア) 》 Ⅳ ―病床の(しょう)

 ベッドの上で消化の良い食事をして人心地ついた(しょう)は、上半身をクッションにもたれ掛けてあの時朦朧とした意識の中で聞こえてきた声の事を考えた。

 ——直接自分の精神(こころ)に呼びかけてきたあの声は、おそらくこの体の本来の持ち主、フォルド皇子のものだろう。

 そう晶は確信していた。ずっと夢現(ゆめうつつ)ともつかぬ意識の中で、あれだけは現実(リアル)だった。だから今でも鮮明に思い出せる。

 晶はもう一度あの時聞いた声の内容を思い返してみた。

 ——確か、俺の肉体(からだ)と共にあるって言ってたよな。俺の事を僕の半身と言ってたし、(まった)き姿に戻りたければとも言ってた……ってことは、あいつも俺と似たような状態って事か?  

 フォルドも塔からの墜落のショックで意識を失っていた様だし、その時何かの原因で、お互いの(こころ)が入れ替ったんだろうか。

 とにかく、転生したわけじゃないと思えただけでも、晶はあのまま高熱に呑まれて死ななくて良かったと安堵した。

 ——けど、元の姿に戻りたければ、自分の許に来てくれって言われても、〈生命の丘(ヴィルドヒル)〉が何処にあるか、全然判んないんだよなぁ……

 晶は既にここが、過去にタイムスリップしたわけでなく、現在の日本でも外国でもない。ましてや地球上の何処かの国でもない事は、ずっと献身的に世話をしてくれた少女に、折に触れこの世界のことを色々質問して判っていた。

 ここにが〈神々の揺籠(アーサス)〉という名の異世界にある国の一つなのだということを。

「今日は大分お加減がよろしい様ですね」

 唐突にやわらかな男の声が聞こえ、晶は慌てて首を巡らせた。

 そこに白いローブを着た、淡い金色の髪をした青年が立っていた。

 フォルド皇子の主侍医、宮廷薬師のエイルである。深く考え込んでいて何時来たのか全く気付かなかった。

「ああ、もうそんな時間か……」

 エイルは晶の容態が安定した後は、こうして日に一度様子を見に来るようになっていた。

 一通り診察を済ませると、エイルは晶の目の前にドサリと幾つもの巻物を置いた。

「これは?」

「ベルティナ様からのお手紙です。会えないのなら、せめて手紙でもと押し付けられ…いえ、預かってきたので、お渡ししておきます」

 ——ベルティナって、確かフォルドの従妹だったよな……

 記憶がない(あるじ)に早く思い出して欲しいと、フォルドの侍従長の老人が、起きてる時やたらと昔話をするので、なんとなく皇子の家族、親族構成を覚えてしまった晶だった。

「出来れば、返事をしていただけるとよろしいかと」

「………」

 ——うわぁ、面倒臭そう……

 一瞬嫌な表情(かお)になったが、取りあえず目の前の巻物の一つを手に取り、それに掛かっているリボンを取って開いてみた晶は茫然となった。

 ——よ、読めない……

 見たこともない文字の羅列に、晶は固まった。

 最初晶は流暢(りゅうちょう)に日本語を話す外人ばかりだと思っていたが、実際はここの言葉を自分が脳内で馴染みのある日本語に自動変換していただけで、喋るのも同様の事が起こっていたらしかった。

 意識はともかく、体がこの世界の住人であるフォルド皇子のものだからこそ出来たのだろう。しかし、「文字」に関してはそれでは補えないらしい。

「どうかしましたか、皇子?」

 開いた手紙を手に固まってしまった晶を、エイルは不思議そうに見た。

 じっと赤みがかった菫色の瞳に見詰められ、晶は言いにくそうにボソリと呟いた。

「…——ない」

「え?」

「読めないんだ。文字が」

「文字が、読めない?」

 晶の言葉に、エイルは眉を(ひそ)めた。

 忘れ病は普通日常生活に支障が出る事は無いはずなのに、文字が読めないとは。これはどういう事なのだろうか。

 暫し考え込んだエイルは、確認するように訊いた。

「本当に全部? 全く? 一文字も?」

「ああ、そうだよ」

 何度もしつこく訊かれて、晶は憮然となった。

「そうですか……」

 小さく頷きながら、エイルは言葉を継いだ。

「では、手紙を読む前に、まず字を覚えることとしましょう」

「え?」

 ——読んでくれるんじゃなくて、俺が字を覚えるの!?

「すぐに戻りますので、そのままお待ちください」

 と、呆気に取られる晶を置いて部屋を出て行いったエイルは、暫くして戻ってきた時には両手一杯の書物や巻物を抱えていた。

 それから晶は手紙が読めるようになるまで、みっちりと勉強させられた。とはいえ、晶が思っていた程それは大変ではなかった。

 晶の頭が良く、基礎を教えてもらっただけで理解できた。というより、その勉強を通して、ど忘れしていたことを思い出したといった感じだった。

 文字を書く方も同じで、少し練習しただけで書き慣れた流麗な文字が書けるようになっていた。

 晶にこの世界の知識がなくとも、フォルド自身が今まで培ってきたもの全てをこの体はしっかりと憶えていたのだ。そしてそれをもう一度、一通り復習(さら)う事でその知識を呼び起こす事が出来るらしい。

 それに気付いたエイルは治療の一環として、まだベッドから離れられない晶の目の前に、暇潰しにこれを読むといいでしょうと、更なる大量の書物と巻物の山を積み上げていったのだった。

 面白みのないこの国の歴史書や祭典等、皇子として知っていなければならない諸々の知識に関する資料など本当は読みたくはない。だけど読まないで暇にしていれば、侍従長の老人がやって来てフォルド様との想い出話を延々聞かされる羽目になる。

 どっちがマシかと考えた晶は、仕方なく書物を読むことにしたのだった。

 ——あ~あ、早く外に出られる様になりたいなぁ……

 しみじみと、そう思う晶であった。

 そしてそれを望んでいたのは、何も晶だけではなかった。

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