アーサス   作:飛鳥 螢

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第一章 《 陽 の 国(ソルティア) 》 Ⅸ ―旅立ち(2)―

 その夜半、静まり返った出城の中、見回る警備の騎士を避けるように出城の(うまや)に入る人影があった。

 旅支度を調(ととの)えた晶である。

「しーっ、静かにしろよ。他の奴等に見つかるとヤバいんだから」

 眠っていたのを起こされて不満一杯の白い毛並みの一角獣の首筋を軽く撫で、晶は暴れないように手綱を取った。

 一角獣を何とか落ち着かせ、鞍に荷物を括り付ける。

「今日は疲れただろうけど、もうひとっ走り頼むよ」

 ひらりと白い一角獣に跨がり、晶は脇腹を軽く蹴った。

 城内の者に気付かれないようにそっと裏門から出ていく。

 それから駈足(かけあし)で一気になだらかな丘を駆け降りた。

 丘を下り切ったところで手綱を引いて一旦止まり、今降りてきた丘の上を仰ぎ見る。

 途切れ途切れに流れる雲の合間から、柔らかな月の光が銀の帯を垂らしてネールの出城に降り注いでいた。

 三階の左から二番目の窓。あの部屋にアルフィーネが眠っている筈だった。

 ——アルフィーネ、君に元のフォルド皇子を返してあげるよ。

 そっと心の中で呟き、晶はふっと表情を(かげ)らせた。

 ——次会ったら、もう…判らないだろうな……

「さよなら、アルフィーネ」

「何処へ行かれるおつもりですか?」

 呟く自分の声に、詰問するような少女の声が続く。

 はっとして晶は振り返った。

 少し行った先に糸杉が三本立っている。

 その陰から一角獣を引いたアルフィーネが姿を現わした。すっかり旅支度を調えて。

「アルフィーネ……」

 呆然とする晶に、アルフィーネは一角獣を引いて近づいた。

 慌てて一角獣を降りた晶の前まで来ると、アルフィーネは柔らかに微笑んで言った。

「行くのでしょう。記憶を取り戻す為に〈生命の丘(ヴィルドヒル)〉へ」

「どうして、それを……」

「わたし、ずっと皇子と一緒だったのですよ」

 驚く晶に、アルフィーネくすりと微笑(わら)った。

 ずっと皇子を見てきた。熱心に何かを調べている事も知っていた。それがヴィルドヒルだと判ったのは、皇子がおじ様に場所を訊いた時だった。とても必死で、その場所が皇子にとって特別な意味を持つ場所なのだと感じた。

 そして、昨日のあの言葉を聞いた時から、湧き上がる不安がどうしても消えなかった。だからここで待っていた。皇子が寝室で休まれた後、直ぐに支度を調えてずっと。

「どうか一緒に連れて行ってください」

「いや、しかし……」

 ヴィルドヒルの正確な位置さえ判らない、どんな危険があるかもしれない先行き不安な旅なのだ。自分はどうしても行かなければならないが、それに女の子であるアルフィーネを巻き込むのはどうかと思う。

 躊躇(ためら)う晶を見据え、アルフィーネは服の上から胸元のペンダントを押さえて言った。

「わたしは、もう待っているだけなのは嫌なんです」

 七歳の時、アルフィーネは父オルフォートを失った。産まれて直ぐに母を亡くして唯一の肉親である父親を。

 その日の夜、オルフォートは『直ぐ帰るから、待っておいで』とアルフィーネに言い残し、迷子になった家畜を捜しに独りで嵐の中を出て行った。

 だが、その夜オルフォートは帰る事なく次の日の朝、隣家のおばさんからアルフィーネは、雷に撃たれて倒れた樹の下敷きになって死んだ父の事を聞かされたのだった。

「あの時父と一緒に行っていれば、助けを呼びに行くことくらいできたのに。そうすればすぐに怪我の手当だってして貰えたし、一晩中雨に打たれて冷たくなって死ぬこともなかった……」

 その時の事を思い出し、アルフィーネのセピア色の瞳が涙で滲む。

「だからもう、後悔したくないんです」

「アルフィーネ……」

 少女の悲痛な想いに触れ、晶は何も言えなくなった。

「——判った、一緒に行こう。俺の肉体(からだ)とフォルドの(こころ)がある〈生命の丘(ヴィルドヒル)〉へ」

「皇子の体……?」

 ——ここに居るのに、ヴィルドヒルにも体がある?

 意味が判らず、アルフィーネは小首を傾げた。

「ああ、信じる信じないは君の自由だけど、俺とフォルドはどういう理由(わけ)(こころ)肉体(からだ)が入れ替わってしまっているんだ」

 晶は夢で聞いたフォルドの言葉をアルフィーネに教えた。

体を取り戻したければ、ソーレスを持ってヴィルドヒルにいる自分の所に来いと。

「じゃあ、貴方は——」

「最初に言ったように別人だよ。倉橋晶。これが俺の本当の名前だ」

「クラ…ハシ……、ショウ——祖王と同じ名前……」

「祖王と同じ?」

 ——そう言えば最初エイルに会った時、同じ事を言われたような……

 ヴィルドヒルのある場所を知りたくて読んだ伝説の中に、祖王の名が書かれてあったような気もするが、ヴィルドヒルとは関係ないから気にも留めてなかった。それが自分と同じ名だったとは。

「はい、〈光輝(ショウ)〉とはこのソルティアを興した王の御名(みな)です」

 アルフィーネの言葉に刺激され、フォルドの記憶が呼び覚まされる。

 昔この大地(アーサス)が戦乱で荒れた時に、この大地に平和をもたらす為に立ち上がった英雄の一人。偉大過ぎる故に畏れ多くて今では誰一人この名を持つ者はいない。

「——ああ、そうだ。俺は〈光輝(ショウ)〉だ」

 今の自分は「倉橋晶」でも「ソルティアの皇子フォルド」でもない中途半端な存在なのだ。その上自分自身はこの姿でいる限り、誰にも存在すら認めて貰えない。

 ならば、誰も使わないという唯一無二のこの名前こそが、今の自分の名に相応しいように思う。

 そして、その名を名乗ることで、漸く晶はこの世界での自分自身の居場所を得たような気がした。

「行こう、アルフィーネ」

 晶——ショウは自分の一角獣に飛び乗った。

 同じく一角獣に跨がる少女と共に、軽やかな馬蹄の音を響かせる。

 雲間に覗く月の光を背に、二つの騎影は静寂な闇夜の中に溶け込んでいった。

 




これ以降、主人公の名前の表記を「晶」から「ショウ」に改めます。
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