ネオユニヴァースに恋した世界一の蹄跡   作:はやてだわきち

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8(実馬編) 皐月賞・馬主の気づき

「ということで、アッシュブライド号の次走は皐月賞になった」

 

 弥生賞で圧勝した日の夜。

 緋田源三調教師は皆にそう告げました。

 

「マジでッスか」

「騎手になってから順風満帆で正直怖いです」

 

 昼に皐月賞のトライアルレースでもある弥生賞に勝っているので当たり前といえば当たり前ではありますが、改めて皐月賞に出走できると聞かされると、厩舎の全員に緊張が走りました。

 

「……すごいことなのはわかるんですけどー、そんなにすごいことなんですか? 皆さん『これから国王に謁見するぞ!』みたいな顔してますよ」

 

 そう言ったのは、この場で最も競馬との関わりが薄かった、児童文学作家で新人馬主の島原伸二です。

 

 

 

 流石に空気が読めていない、お手本のような水を差す発言に厩務員の何人かが非難するような視線を向けるので、

 

「あっこれ空気読めてなかったやつだ。……真壁さん助けてください」

 

 居た堪れなくなった島原は、いつも付いてきて様々な解説をしてくれる若い厩務員に助けを求めました。

 

「……島原さんは1年におおよそ何頭の競走馬がデビューするか知ってるッスか?」

「うーん、200くらい?」

「大体生産されるのが7000頭で、デビュー出来るのが4000頭って言われてるッス」

「め、めっちゃ多いんですね」

「未勝利戦は年に1400くらいで年間1400頭が勝ち上がり、その中からさらに勝ち進み3歳馬しか出られないクラシックに間に合うのは本当に極僅かッス」

「さ、皐月賞の枠って確か……」

「18番までッス」

「やっぱり!? 4000頭の上位18頭ってことですか!?」

 

 全てが全て中長距離適性があるとは限らないので実際はもう少し『まし』な倍率になるとはいえ、とてつもない競争です。

 

 世代最高の競走馬を決めるとも言われるクラシック。それに出走出来る凄まじさを思い知って、1分ほど前の自分を恥じる島原でした。

 

「まあ競馬に今までまるで関わったことがないんですから仕方ないですよ。……ということで、今真壁くんが言っていた通り皐月賞に出走できるというのは大変な誉れだ。だけど、出るだけで満足しちゃだめだよ。せっかく出るなら勝ちにいく。緋田厩舎の全身全霊でアッシュブライド号を皐月賞馬にするぞ!」

 

 おおー! と湧き立つ厩務員たち。

 

 皐月賞まであと一月半。厩舎初のG1馬誕生を目指してそれぞれに出来ることをこなしていくのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼくには競走馬生涯を賭けてでも倒さないといけない敵が──いや、“恋”敵がいる。

 

 

 

 『皐月賞』に出るためのヤヨイ賞ってレースで勝つことが出来たぼくは、馬房の中で1()静かに考える。

 それはネオユニヴァースに乗る人間、騎手についてだ。

 

 その人間の名前は、M(マルコ)・ディモーロ。競走馬(ぼくたち)とも普通の人間とも違う言葉を話す不思議な人間。*1

 

 

 

 以前の、ぼくがソラから見ていた時のディモーロは、競馬*2のことあんまり知りませんみたいな可愛げな感じでネオユニヴァースに近づいて…………ネオユニヴァースの鞍上になったらなったで『ネオユニヴァースのことは僕が1番わかってます』みたいな顔して数々の名レースを繰り広げた。

 

 

 

 

 

 ネオユニヴァースのこと1番わかってるのはぼくだよ!?*3

 

 

 

 それに厩舎ではネオユニヴァースの首とか頭とか背中とかベタベタ触って! 羨ましい! ずるい! ぼくだってネオユニヴァースとグルーミング*4したいのに!!!! 牧場でぼくは嫌われちゃうかなって我慢してたのに!!!!!!!

 

 

 

 

 

 という風に、ぼくにとってマルコ・ディモーロという人間は絶対に倒すべき恋敵なのである。

 

 そんなディモーロがネオユニヴァースの鞍上になるのは再来週、フジTVスプリングステークスから。そのレースにぼくは出ないから、直接対決は皐月賞になる。

 どうしてくれようか。どっちがネオユニヴァースのことをわかってるかで議論してあげよう。ぼくが勝つから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 皐月賞当日。

 史上最も移動に弱い馬ことアッシュブライド号が馬運車が降りてくるのを、厩舎一同と馬主の島原が息を呑んで待っていました。

 

 扉が開き──

 

「めっちゃ元気ッスね」

 

 アッシュブライド号は尻尾を振り回し頭を上下させていて、見るからに元気な様子でした。

 

 それもひとえに恋の力です。

 

「きさらぎ賞では元気、弥生賞では疲労困憊。そして皐月賞では元気いっぱい。なんでッスか」

「……あっ」

 

 そんなアッシュブライド号を見て、何かに気づいた様子なのは島原です。

 しかし確証が得られないのか、それとも素人だから遠慮したのか、その気づきを誰かに伝えることはありません。

 

 そして、

 

「そういえば如月騎手、あんまり緊張してなさそうですねー」

「あっ、はい。なんかもう、実感が一切湧かなくて。デビューして初めて騎乗した馬が皐月賞とかどんな物語だって」

「ホントですよねー。小説家の商売上がったりって感じですよー。…………なるほど、うまくいきすぎると人間実感が湧かないものなんだメモ」

 

 気持ちを切り替えていつものように真剣にメモを取るようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パドックや返し馬を経て、ゲートイン。

 

 やはり如月の中に緊張はまるでありませんでした。頭にあるのは新人なりに戦うための作戦だけです。

 

「頑張ろっか、アッシュちゃん」

 

 しかし、しかしです。

 緊張を全くしていなかったのが僅かにレースへの集中力を奪ったようでした。

 

 

 

 

 

 最終コーナー。ネオユニヴァースとサクラの馬が加速して前団に向かう最中如月とアッシュブライドがどこにいたかといえば、まだ中段で燻っていました。

 

 前には馬の壁。端的に言ってしまえば、馬群に呑まれて前に出られなくなってしまったのです。

 

 正確には抜け出す隙間はありました。膨らんだ馬群は、技能のある騎手なら容易に通り抜けることが出来るでしょう。

 

 

 しかし如月にはまだそんな技術はありません。

 

「もっと早く外から回れたしょや*5私め……」

 

 そのままG1初出走で惨敗となってしまうのかと諦めかけて頭を下げた時、如月はアッシュブライド号の目を見ました。

 

 

 

 後に如月は取材でこう表現しました。

 

 あの時アッシュブライド号の目に炎を見ました。多分、ネオユニヴァース号が離れていくのが嫌だったんでしょうね。

 

 

 

 如月は覚悟を決めて、僅かな隙間にアッシュブライド号と共に飛び込みました。

 遠心力で転げ落ちそうになるのを必死に耐えて、かつアッシュブライド号が走りやすいように姿勢を整え続けます。

 

 そして、最終直線。

 

 

 

 先頭で競り合うネオユニヴァースとサクラの馬に必死に追いすがります。

 

 人馬一体となって加速する、なんてことは出来ないので、競馬学校で教わったことを思い出して全身全霊でアッシュブライド号が走りやすくなるように努力しました。

 

 

 

 その結果は、2着。

 

 G1初出走で勝利とまでは行きませんでしたが、その脅威の末脚は観衆の目に焼き付き、これまでの新人騎手のビギナーズラックという世間の評価を覆したのでした。

 

 

 

 世代最強を争う一頭として、様々なメディアで本格的に取り上げられるようになったのはこの皐月賞からです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緋田さん!」

「島原さん。すいませんでした。必ず勝つとお約束したのに……」

「正直それはいいです! そんなことより俺、馬主として出るレースに口出していいんですよね!?」

「え、あぁはい。これまでも私がいくつかレースを提示はしましたけど決めてきたのは島原さんですよ」

「じゃあこれからのレースは『ネオユニヴァースと被せてください』!」

 

 どうしてですかと理由を尋ねる緋田に島原はこう答えました。

 

「アッシュ、ネオユニヴァースに絶対恋してますよあれ! お話に活かせる取材が出来ますよこれは!」

*1
外国という概念を理解していない可愛い灰嫁ちゃん

*2
欧州の競馬はよく知ってる

*3
嫉妬

*4
馬の求愛行動

*5
回れたでしょと後悔している

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