16-1 エリザベス女王杯にむけて
10月26日に菊花賞。
11月16日にエリザベス女王杯。
11月30日にジャパンカップ。
この1ヶ月に限って言えば、アッシュブライドは
それもこれも、ネオユニヴァースに迫る消失の危機『GATE』までに現在の“異界”=ABSSを観測する力を、
限りなく“異界”に近いこの世界の未来を、“異界”では出走しなかったエリザベス女王杯に勝利することで変化させれば、メイクデビューの日のように力を得ることが出来るという、ネオユニヴァースにも成功の可能性が高いとお墨付きをもらえた計画だ。
しかし、この計画には高いリスクがある。
ネオユニヴァース曰く、アッシュブライドは“遊星”、別宇宙では別の名前で走り、この世界でしか
そしてそんな特殊なウマ娘であるアッシュブライドが“窓”を完全に開く、別宇宙を観測する力を身につけた時の体への影響は予想がつかない。最悪、アッシュブライドがこの世界から消えてしまうかもしれないらしいのだ。
その対策として、計画を実行に移すエリザベス女王杯はネオユニヴァースに見にきてもらうということになっている。
私はただの新人トレーナーで、別宇宙というSFについてはてんで素人なのだ。
……本当はもっと安全な方法で別宇宙を観測できるようになって欲しい所だが、『GATE』春の天皇賞までに間に合わなくてネオユニヴァースが消失してしまうなんてことになれば、ネオユニヴァースに恋をしているアッシュブライドは自分を責めてしまうのだろう。
トレーナーはウマ娘に寄り添う仕事だ。そして寄り添うというのはきっと、ウマ娘の思いを無視して安全に走らせることではない。
と、昨夜の複雑怪奇な会話を整理して振り返っては見たものの、私に出来るのは結局後に控えるエリザベス女王杯とジャパンカップでアッシュブライドが勝てるようにトレーニングをすることだけだ。
完成したトレーニングメニュー表をトレーナー室のコルクボードに貼り付けて、更に次の仕事にかかる。
アグネスタキオンに相談して紹介してもらった論文を読んで、別宇宙に関するヒントがないか探すのだ。
そして、エリザベス女王杯当日がやってきた。
アッシュブライドとの最終調整を終えた私はバックヤードから出て観客席に向かった。
向かった先には、今日の助っ人ことネオユニヴァースがいる。
「誰もが“恒星”に夢中。観測する側も、スフィーラ、だね」
……「えーと?」
「……えーと?」
ネオユニヴァースは観客席の最前列で、パドックではなく観客たちを見てまたなにか難しいことを言っている。
私がそれに困惑すると、ネオユニヴァースは悲しそうな顔をするので出来ればわかるようになりたいが、これが中々難しい。
「ユニヴァースは走る側じゃなくて応援する側としてレースに来て熱気に驚いてるんですよ」
「ネオユニヴァースのトレーナーさん! 今日はわざわざ私たちのために時間を取ってくださってありがとうございます」
そしてネオユニヴァースのトレーナーもやってきた。
両手にドリンクを持っているので、売店に寄ってきたのだろう。
「アッシュブライドのトレーナー。“秘密”だよ」
「はい。ジャパンカップが終わってから話すんでしたね」
気をつけないといけないことがひとつある。
ネオユニヴァースは別宇宙を観測する力を持っていることをまだ担当トレーナーに明かしていないらしい。
まあやはり信じてもらえないのが怖いということだ。
アッシュブライドが私にウマ娘の魂の故郷“異界”を夢で見たと明かしてくれたのも、信じてもらえないかもという怯えよりも大好きなネオユニヴァースが消えるかもしれないという焦りが勝ったからで、そうでなければ今も隠し通していたのかもしれない。
そう思えばネオユニヴァースの気持ちもわかるので、本人が明かすと決めたジャパンカップまでは私からネオユニヴァースのトレーナーに力のことを明かすことはない。
「ユニヴァースの“未来予測”に関することなんですよね。確か……『アッシュブライドはネオユニヴァースと同じPREVを得ようとしている。しかしそれは危険な道のり。ネオユニヴァースの助けが必要かもしれない』だったかな。ユニヴァースにとって大事なことなら、たとえ俺には意味がわからないことでもなんでもするって決めたんです」
ネオユニヴァースのトレーナーはそう言った。
ネオユニヴァースの秘密を漠然と知りながら本人がまだ話せないと言ったら詮索せず、ネオユニヴァースが求めるのならなんでもする、と。
素直に見習いたい精神だ。私は何度か詮索をして聞き出したから。
じきにファンファーレが鳴り響き、エリザベス女王杯が始まった。
16-2 エリザベス女王杯
アッシュブライドは完璧なスタートを切った。
ネオユニヴァースがいなくてもいつも通りの中団後方につけて体力を温存、元々優れたスタミナを活かしてトップスピードのロングスパートをゴールまで維持する構えだ。
「まだ、何も起こりませんね……」
「出走するだけじゃそこまで大きな変化は起こらない。勝つウマ娘が変わるくらいの“インパクト”が必要だね」
私はいつ何があっても気付けるように双眼鏡を使ってアッシュブライドを見つめ続ける。
何も起こらないことを祈るあまり、嫌な手汗が双眼鏡を濡らした。
『2番人気アッシュブライド動いた! 最終コーナー前の直線でアッシュブライド動きました!』
中盤も終わる頃、アッシュブライドが加速を始めた。
しかし進路が悪い。いつものようにネオユニヴァースの通った道をトレースして抜け出すことが出来ないので、他のウマ娘のいない大外に近いルートを通っている。
「体力が持たないかもしれない……?」
「はい。アッシュのロングスパートは少し特殊で、スタミナに任せて全力に近いペースを維持しています。アッシュの武器はスタミナですが、いつもスタミナはギリギリの勝負をしているんです。加速するタイミングは事前に打ち合わせているのですが……ああも外側を通ると」
体力が切れてしまうかもしれない。
ネオユニヴァースがいないのは分かり切っていたので、いつもより多少細い道でも通っていくトレーニングを積んできていたが──緊張か、それとも道が見つけられなかったのか大外を通っている。
『最終コーナーを回って最初に立ち上がったのはアッシュブライド!』
道が広い分先頭に出るのは早くなったが、既にアッシュブライドは少し苦しそうな表情をしている。
まるで逃げウマ娘のように、後方から迫るウマ娘から逃げ切る戦いになったのだ。
足の回転が少しずつ遅くなって、僅かな差が縮まってくる。
──それでもアッシュブライドは強かった。
『アッシュブライド最後は辛かったが先頭を譲らなかった! エリザベス女王杯を征しました!』
双眼鏡越しに見るアッシュブライドの表情は、喜びと焦燥がありありと浮かんでいた。
ひと目見てわかった。
アッシュブライドは──
16-3 エリザベス女王杯の後に・トリガーは……
「どうしようトレーナー!? 勝ったのに、勝ったのに見えないよ!?」
アッシュブライドは、別宇宙が見えるようにならなかったようだ。
「落ち着いてください。まだ方法は……」
「それは間に合うの!? 『GATE』に!」
エリザベス女王杯に勝てば別宇宙が見れるようになると信じていたアッシュブライドはとても取り乱している。
なんとか落ち着いて貰わないと──
「ローンチのトリガーは──“夢”だよ」
レースが終わってから一言も口を開いていなかったネオユニヴァースが、ここで手を差し伸べてくれた。
「夢!? 寝ればきみの役に立てるようになるの!?」
「『はじまり』も、昏倒がトリガーだった」
その言葉を聞いて、私の脳裏で点と点が繋がった。
アッシュブライドが力に目覚めた切っ掛けも、メイクデビューの疲れで倒れてしまった時に見た夢だった。
だから『トリガーは夢』なんだ。
「アッシュ。今日のところは帰りましょう。ネオユニヴァースの言う通り、一度寝るといいかもしれません。ジャパンカップも近いですし」
「……うん」
こうしてトレセン学園に戻ったのだが、今度はレースとは別の障害がアッシュブライドに立ち塞がった。
『夢がトリガーなら、アッシュブライドが寝ている時に“何か”が起こるかもしれない』
『だからって同じベッドで寝る必要があるの!?』
『同室のウマ娘を追い出すわけにもいかないよ……?』
なんてやり取りをしてる所が目に浮かぶ、とウマ娘寮に立ち入り出来ない
「……ああでも、万が一のことがあったら駆けつけられるようにたづなさんに話を通しておかないといけないのか」
私がいつ何があってもいいように徹夜を決めたこの日の夜──
アッシュブライドは“窓”を完全に開いた。
そして、この世界から消失した。