「「「お帰りなさい、栗畑さん!」」」
夏も終わりジャパンカップに向けて着々と準備を整える10月。
昨年に腰の怪我で入院し、退院してからも復帰とまではいかなかった緋田厩舎の所属騎手『栗畑五郎』が緋田厩舎に帰ってきました。
「栗畑さん、これ復帰祝いのクッキーです! みくちゃんと四葉ちゃんと焼いたんですよ!」
「お、美味そうだなぁ! じっくり味わあせてもらうよ」
女三人衆が主に企画した復帰祝いが進んでいく中、この場にいる人間で唯一栗畑と面識のない島原はなんとも言えない居心地の悪さを感じていましたが、そんなの自分らしくないと思い直したのでずんずんと肩で風を切って栗畑に歩み寄りました。
「初めまして! 昨年から緋田厩舎の皆さんにアッシュブライドを預けさせていただいてます、作家の島原伸二と申します! 栗畑騎手、これからよろしくお願いします!」
「これはこれは丁寧に……。騎手をやっている栗畑五郎です」
「栗畑さんは緋田厩舎の発足からずっと緋田さんと二人三脚でやってきたベテランなんスよ」
島原は一度打ち解ければテンションが高くなって行くタイプなので、復帰祝いはより騒がしさを増していきました。
そして騒ぎが落ち着いてきた頃、緋田が雰囲気を切り替えて真面目な様子で話し出しました。
その内容は、
「栗畑が復帰したのは喜ばしいことだけど……ジャパンカップは如月くんに乗ってもらおうと思ってる」
「え? 私てっきり栗畑さんに交代するものかと」
「栗畑は長くやってるだけあって技術はあるけど、怪我明けなのもあるしアッシュブライド号のことは如月くんの方がわかってるだろうからね。栗畑には来月くる予定の馬に乗ってもらう予定だよ」
緋田はしれっと、『新しい競走馬を迎え入れる』と言いました。
それはつまり、
「緋田さんまだ調教師続けてくれるってことッスね!?」
「ああー、まあ、頑張るよ」
去年、厩舎を畳むと言っていた頃とは違い、仕事に対してのやる気が復活したということです。
「え、もうみんなわかってくれてると思ってたけど」
「いや! 緋田さん最近調子いいみたいだなーとは思ってましたけど続ける決断をしてるとまではわかりませんでしたよ!?」
「四葉ちゃんの言う通りです!」
「なになにどういう話これ。俺知らないですよー?」
厩舎の面々が喜ぶ中、空気に取り残されているのは緋田が一時厩舎を畳むと発言するまでに疲れていたことを知らない島原と栗畑です。
しかし他の全員は喜びに満たされて、いつもの解説役こと真壁も誰に与えられたともわからないその役割を放棄してしまっていました。
なので、疎外感を感じた2人が結束して仲良くなるのは自然なことなのでした。
18 先輩のいるジャパンカップ
ジャパンカップ当日。
これまで如月は復帰したことで教導しやすくなった栗畑との練習に明け暮れていました。
171cmという長身もあって筋肉をつけすぎると今度は重くなってしまうので、技術面を強化しようと日々努力していたのです。
そんな如月に対しての世間の評価は見事に割れていました。
前述の通り身長というハンデや新人ゆえの技術の無さ。牝馬には限界という理由であまり評価をしていない『ある程度競馬を知っている』層と、牝馬と新人の快進撃に惹かれて応援している『アッシュブライド号のファン』の層にです。
もちろん如月は自分とアッシュブライドが勝つと意気込んで練習に励んだ訳ですが、それでも新人では世の中の評価を完全に割り切ることはできずに少し落ち込み気味でした。
「気にするな、とは言えないよねぇ」
「栗畑さん……」
「だから俺なりの考え方でも伝えとくね。いい、よぉく聞いとくんだよ一回しか言わないよ」
「は、はい!」
「人気順とか新聞の評価とか全部ねじ伏せて俺が勝つって闘争心で誤魔化すんだ。……まあちょっと行きがりすぎて腰やっちゃった訳だから強くは言えないけどね」
この言葉を受けて、如月は呆れるような納得するような思いになりました。
どっちにしろ、世間を気にして暗くなっていた気分が晴れたことは事実です。
こうして如月とアッシュブライド号はジャパンカップに挑むのでした。
ファンファーレが鳴り響き、海外馬との決戦の舞台ジャパンカップがスタートしました。
先頭を行ったのは最内から飛び出したタップダンスシチーです。
そこから大きく離されて2番手、3番手と続いていきます。
ネオユニヴァースは12番手でついていきます。
そしてアッシュブライドは、
「待って、焦らないで……! 最後の方に追い込んでいこうね」
セントライト記念ぶりに出遅れて
如月が手綱を繰ってそのまま追い込みの態勢に移行します。
そしてやはりレースは
レース中盤、如月とアッシュブライド号は他よりも早くスパートをかけ始めます。
いつもの、全力を維持するロングスパートではなく、基本に忠実な段々に加速するロングスパートでスタミナと相談しながら追い抜いていくのですが、
「アッシュちゃん……? 大丈夫、ネオユニヴァース号ならきっとついてくるよ。追い越されたら困るけどね」
ネオユニヴァース号に並んで追い越そうとした時、明らかにネオユニヴァース号の方を向いて何かを気にしている様子がありました。
如月にはまるでネオユニヴァース号を心配しているように思えましたが、気にしすぎてもよくないと勝つことに意識を向け直しました。
そして、最終コーナーを回って4番手。
ロングスパートの最終段階、残った体力で出せる最高速に移行しようと指示を出しました。
しかしアッシュブライドがそれ以上速くなることはありませんでした。
体力が切れたのです。
「ごめん、ペース間違えたね……っ」
アッシュブライド号は後方から加速してきた競走馬に抜かれてさらに順位を落とし、結果は8着。
初めて入着を逃しました。