深夜のトレセン学園。皆寝静まり、聞こえるのは虫の鳴き声だけ。
ネオユニヴァースとそのトレーナーは理事長に申請を出し、校舎の屋上で落ち合った。
『一晩でいいから“観測”に集中したい』
ネオユニヴァースはそう語った。これほどの夜中なら彼女の集中を乱すものが何も無い。
星空からなにかを受け取るように、あるいは世界に自分を溶かすようにネオユニヴァースは両手を広げて“観測”を行う。3分、4分と微動だにせずに別宇宙を見続けるその姿が、トレーナーにはある種の神聖さを持って見えた。
「……よかった。アッシュブライドのトレーナーはデブリを回避できたんだね」
そして、誰に聞かせるでもなくネオユニヴァースは口を開いた。蒼い瞳は当然のように遠く離れたフランスの出来事を見通している。
「『あなたたち』と、この宙域の『トレーナー』の違い。それがデブリを生じさせていた。でも、“観測”の揺らぎはまだ収まっていない。TRBL……原因の特定が必要」
ネオユニヴァースは“ともだち”が悲しむ未来が回避されたことに安堵するが、未だ解決していない問題に対処するためさらに“観測”の深度を深めていく。
「航路変更……いや、それよりも大規模な何かが多波長の増光を起こしている。別宇宙の観測に異常が……」
その異常について、トレーナーは以前から相談を受けていた。
ネオユニヴァースの“観測”とは無限に連なる並行世界の、最も近いひとつを見ることができる異能だ。しかし最近、ネオユニヴァースは今まで見えていた別宇宙が揺らぎ、重なるように全く異なる世界が見えることがあることに気づいたという。“観測”を幼い頃から続けてきたネオユニヴァースでないと気づけないくらい、うっすらとだが、確かに重なっていると。
そのふたつの宇宙とは、これまでずっと見てきた『未勝利ウマ娘サンドリヨンがいる宇宙』と『アッシュブライドがいる宇宙』だ。
「アッシュブライドは“遊星”。本来は恒星たりえないサンドリヨンが、この宙域においてのみ名前を変えて輝きを放つ……はず、なのに」
ありえないことに、ネオユニヴァースの“観測”は『アッシュブライドがいる宇宙』を認めている。そしてその宇宙は今まで見えていた“最も近いひとつ”を押し除けるように存在感を増していた。
原因は未だ未特定。ネオユニヴァースの類まれな頭脳と異能を運用してきた経験はいくつかの仮説を立ててはいたが、本人も多忙であったがためにそれらを検証するにまで至っていなかった。故に今日、こんな夜中に集中して“観測”を行っているのだ。
「遊星が、アッシュブライドが自ら輝けることをPLOF、証明して恒星として星図に加わろうとしているから……?」
星図に加わる。その言葉の意味するところを完全に理解するのはトレーナーには難しいが、この3年近くの付き合いで予想して察することはできる。
ネオユニヴァースのこれまでの言葉から、別宇宙といっても大まかな歴史という大きな視点で見たらさほど違いがないことはトレーナーの中で予想がついている。誰々というウマ娘がなになにというレースに出る、そして勝敗が宇宙ごとに変わろうと名ウマ娘は名ウマ娘として歴史に名を残すし、そうでないウマ娘がひとつの宇宙で急に成長するということはない。
しかし今回の場合、その大まかな流れを超克して結果を残しているウマ娘がいる。
アッシュブライドだ。
「兆候はあった。別宇宙の観測においてこの星域以外に存在しないはずの“アッシュブライドがいる宇宙”の幻視が……。星図の書き換えがここにきて本格化しているのかも……?」
ネオユニヴァースの表情がどんどん険しくなっていく。
一方トレーナーは漏れ聞こえてくるネオユニヴァースの思考の断片から、ある疑問を抱いていた。
「ユニヴァース、ちょっといいか?」
「どうしたの?」
「アッシュブライドのトレーナーから聞いた話なんだが、大阪杯の後アッシュブライドが言っていたらしいんだ。『別宇宙の春天で勝ったのは自分だ』って。その後すぐに敗北する別宇宙に変わったらしいけどこれっておかしくないか? 『アッシュブライドのいる宇宙』がユニヴァースでも今まで気づけないくらい存在感が薄かったなら、別宇宙の観測ができるようになったばかりのアッシュブライドからそんな発言が出てくるのは変だ」
「アッシュブライドには、『アッシュブライドのいる宇宙』が見えている。INTI。そのEXINは未知だね。……アッシュブライドは、教えてくれなかった」
表情は変わっていないが、そのことを聞いてネオユニヴァースの心中には少しの悲しみが生まれた。普段から好意を向けてきてくれる『ともだち』がそんな重要なことを隠していたという想像が、自分を信頼してもらえてないのではないかという疑念に繋がった。
「でもあのアッシュブライドのことだ。そんな重要なことをユニヴァースに伝えないなんてこと絶対ないだろうし、重要だって気づいていなかったんだと思う。……そうだ、もしかしたらユニヴァースとアッシュブライドで見えている別宇宙が違うって可能性はないか?」
「REVS。ビッグバンの時点から『似て非なるもの』だった可能性は検討していなかった。窓を開いて別宇宙の観測を始めた最初から、アッシュブライドはABSSではない航路を……『アッシュブライドがいる宇宙』を観測していた。THRF、ネオユニヴァースと違う別宇宙を観測していると『想像もしていなかった』なのかも」
ネオユニヴァースは再び思考の渦に沈んでいったが、今度の浮上までさほど時間は掛からなかった。
「やっぱり『生まれている』ね」
宇宙を望んでいた両手を降ろし、ネオユニヴァースはそう言った。
「生まれている?」
「アファーマティブ。遊星だったアッシュブライドは勝つたびに、走るたびに、人々の記憶に残ることで『わたしたち』の歴史という大きな流れにアッシュブライドというウマ娘を刻みつけているんだ。最初は本当にこの宙域にしか存在しなかった。でも少しずつ、アッシュブライドの存在が大いなる流れに認められつつある。幾千億の多次元宇宙の中に『アッシュブライドがいる宇宙』が少しずつ生まれている……。それがネオユニヴァースの観測を混線させていたんだ」
「一方アッシュブライドの観測は、この世界以外にも『アッシュブライドがいる宇宙』が生まれてから覚醒したものだから観測が混線することなく『アッシュブライドがいる宇宙』を見ていた……ってことであってるか?」
ネオユニヴァースは首肯して答えた。少し前まではいなかった、自分の言葉を理解してくれるトレーナーの存在がとてもうれしく思えて、口角がほんの僅かに上がっていた。
観測に乱れが生じている理由はわかった。アッシュブライドの活躍がネオユニヴァースの言うところの大いなる流れに認められるたびに『アッシュブライドのいる宇宙』の勢力が増していっている。ネオユニヴァースの瞳はこれまで見続けてきた別宇宙と新勢力のどちらを見ればいいのか分からず異常をきたしていたのだ。
「観測の乱れはアッシュブライドがフランスに行ってから本格化した。THRF、アッシュブライドという星の航路において凱旋門賞への挑戦はMORTなんだと思う」
「最重要事項、か」
ネオユニヴァースのトレーナーは、凱旋門賞がアッシュブライドの最重要事項だと聞いて思い当たることがあった。
アッシュブライドはネオユニヴァースに相応しい花嫁になるために花束として勝利を集めている。その中でも最上のものとして狙っているのが凱旋門賞だという話はアッシュブライドのトレーナーから聞いていた。
しかしトレーナーは、それをネオユニヴァースに伝えてもいいものだろうかと躊躇した。自分はアッシュブライドのトレーナーのように色ボケてはいない自負があるので、他人のそういうことに言及するのはいけないと踏みとどまったのだ。
しかしそんなトレーナーの複雑な表情を見て不思議そうに首を傾げ、
「トレーナー、REQUだよ。何かあるなら教えて欲しい」
と聞いてくる。
それはネオユニヴァースにしては珍しく、非常に強い意思を露わにした言葉だった。トレーナーにはネオユニヴァースが焦りのような感情を抱いている理由がよくわかった。
日本に残ったネオユニヴァースはゼンノロブロイに集中していたが、アッシュブライドもネオユニヴァースの大切な『ともだち』であることに変わりはない。地球の裏側からでも何かできないかという思いがずっとあったのだろう。
しかし、だからこそ、トレーナーは胸の内の言葉をネオユニヴァースに伝えることを躊躇した。
だって残酷なことではないか。ネオユニヴァースがアッシュブライドのことを友達だとしか思っていないのは明白だ。もちろん大切な友達で、ネオユニヴァースにとっての最上の好意なのだろうが……。
「トレーナー……?」
ネオユニヴァースは不安そうな顔でトレーナーを見つめていた。その罪悪感に負け、トレーナーはついに“そのこと”を口に出してしまった。
「……ユニヴァース、アッシュブライドが宣言通り凱旋門賞を獲って帰ってきたら、どうする?」
「どうする……? とてもGRSS、凱旋門賞の勝利は日本初のTIPS。『おおいに喜ぶ』になるよ」
「そうだな。でも、その後のことだ」
「その後?」
「ああ。アッシュブライドはユニヴァースに相応しい花嫁になるために走っているそうだ。そんなアッシュブライドが最大の花束を得てやることなんてひとつ」
告白、あるいは勢いあまってプロポーズもありえる。トレーナーは口にこそ出さなかったが、言葉の意味はネオユニヴァースにも十分伝わった。
そして、ネオユニヴァースは黙りこくってしまった。
本人もわかってはいただろう。アッシュブライドがネオユニヴァースのことが恋愛の意味で好きだというのはもはや公然の秘密と化している。トレセン学園にいる以上耳にしたことはあったはずだ。
「…………IKNW。そうだね、ネオユニヴァースは目を逸らしていた。アッシュブライドの好意をREVSして、友愛だと思い込もうとしていた」
「ユニヴァースはどうしたい?」
「ネガティブ。わからない、GATEに気づいてからずっと超えることを考えてきた。わからないんだ、どうしたらいいのか」
「だよな……ユニヴァースがそういうタイプだってことは俺もよくわかってた。でも、アッシュブライドが凱旋門賞を勝ったらこれまで通りではいられない。ユニヴァースはアッシュブライドにしっかり返事をしないといけない」
トレーナーは胸の中で自嘲した。こんなことはトレーナーの仕事ではない。ネオユニヴァースに入れ込むのはいいことだが、恋愛にまで口を出すのはよくない。それなのに、ずっと孤独だったからか神秘性の奥底に幼さを感じるこの少女におせっかいを焼いてしまいたくなっている。
「……アッシュブライドは友達。ネオユニヴァースとCMINしてくれる、大切な友達。どうしたらいいんだろう」
「俺はユニヴァースがどんな返事をしようとそれを肯定する。でも、それでユニヴァースが傷つく結果にはなってほしくないと思ってる」
「ネガティブ、ネオユニヴァースはどうしてもデコーヒレンスが恐ろしい。ネオユニヴァースの言葉次第でアッシュブライドと『ともだち』でいられなくなるかもしれない。でも……わからない、わからないんだ。『ぼく』と『あの子』の幸せそうな光景を見ても、ネオユニヴァースはネオユニヴァース自身の感情をASEMできない」
語弊を恐れずに表現するなら、ネオユニヴァースは人間関係の経験が小学生以下だ。これまで友達が作れず、トレセン学園に来てからやっと少しずつ作れるようになってきた。そんなネオユニヴァースに恋愛なんて問題は早すぎるのだろう。トレーナーはあのまま誤魔化せばよかったと後悔した。
そして、「ごめん、追い詰めすぎた。今は気にしすぎないで秋シニア三冠レースに気持ちを切り替えよう」と話題を変えようと口を開く直前、俯いたネオユニヴァースが言葉を発した。
「わからない。まだ、わからないけど……アッシュブライドの想いには誠意をもってRACTしたい。トレーナー……アッシュブライドが帰ってくるまで、相談に乗ってほしい」
友達でなくなってしまうかもしれない恐怖、恋愛というよくわからない感情、障害はたくさんあるがネオユニヴァースはそう言った。アッシュブライドの気持ちから逃げることはしないと。
トレーナーは驚いた。強い子だということはよく知っていたが、この場面で誠意をもって応えたいという言葉を出せるほどとは思ってなかった。予想を超えられた。
「わかった。ユニヴァースが一番納得できる答えを探そう」
日付もとうに変わっている夜の闇の中、ネオユニヴァースの蒼い瞳にまっすぐ見つめられてトレーナーは背筋がビンとたつ感覚を覚えた。この子のことを自分の全力で支えるのがトレーナーの仕事だが、トレーナーの胸中で湧き出てくるそれは教師が受験勉強を頑張る生徒を応援するような、仕事だからというだけではない強い思いだった。