ネオユニヴァースに恋した世界一の蹄跡   作:はやてだわきち

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5 馬主 島原伸二

 アッシュブライド号のメイクデビュー辛勝から一週間が経ちました。

 馬運車での移動が非常にストレスになり体重が落ちてしまうので今まで休養を取らせていましたが、今日から本格的な調教が再開されました。

 

「へぇ、競走馬ってこうやって特訓するんですねー。メモとっておこう」

「これは曳き運動っていって……まあ準備運動ッス。ああやって人間が引き綱を持って後ろから指示して歩かせるわけッスね」

 

 トレーニングセンターにはアッシュブライド号の馬主である島原伸二の姿もありました。横では厩務員の真壁一平が調教の解説をしています。

 アニメ化した大人気児童文学作家の島原ですが、作品に馬を出してみたいとのことで時折こうしてトレーニングセンターに見学に来ていました。もちろん厩舎の頂点である緋田調教師の他栗東トレーニングセンターの運営担当者にも許可を取り正式に見学しています。

 曳き運動を行いながらじっくりと厩舎の周りを周回します。競走馬が全力で走るには入念な準備運動が欠かせません。

 

 十分に体がほぐれたと判断したら、緋田は曳き運動をやめるように指示しました。すると厩舎のメンバーは次の調教のために移動の準備に取り掛かります。

 

「この後は調教コースに移動して調教を行うんスけど、そっちも見てくんスか?」

「もちろん。取材だからいっぱい勉強させてもらいます!」

 

 年齢に見合わない爽やかさでそう答えた島原は自分の荷物を整えて、真壁の案内でコースに向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5 馬主 島原伸二

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「島原さん、今いいですか?」

 

 島原が三日月のように口角を上げてメモを取っている最中、緋田調教師が島原に声を掛けました。

 

「え、まあ俺は大丈夫ですけどー、調教は……」

「如月くんに坂路コースを練習するように指示を出しときました。基本コースの中には必要以上に入らないんですよ。調教師は厩舎の所属騎手に指示だけ出してこうやって高みの見物です」

 

 それはそれとして、と緋田は本題を切り出しました。

 その内容は『次のレースをどうするか』です。

 

「デビュー戦の時みたいに緋田さんが決めていいですよー。俺はてんで素人なんで」

「いや次のレースは私も悩んでましてね。あんまり長距離の移動をさせちゃうとまたガレちゃうだろうから出来れば近場の会場にしたいわけですけど……これ見てもらえますか」

「なになに、これって走った距離別のタイムですかー? なんか2400メートル前後がいい感じですね」

「はい。まあ典型的な中長距離が合ってそうな差し馬なのがわかるわけです。それを考えて次に狙いたいレースはこっちにまとめてあります」

「うーん、見てもよくわからないんですけど、この一番上のがいいんじゃないですか? 阪神のOPレース。近いし」

 

 島原が指差したのは、緋田もアッシュブライドに一番合っていると思っていたレース条件でした。

 ならそれで決定、としたいところですが一つ問題がありました。

 

「阪神のこの距離は直線の坂が2回あって、さらにスローペースになりやすい傾向があってかなり騎手の腕前が問われるんです。恥ずかしながらうちの厩舎のエースは入院していて、新人の如月くんしかいない現状だとちょっと厳しいかもしれません」

「そういうものなんですか。ここから乗ってるのを見る分には他の騎手さんと遜色ないんだけどなぁ……」

「本人も頑張ってはいるんですけど、経験のなさはどうにもできませんから。本当に申し訳ないです」

 

 馬には一番合っているけれど、騎手にはまだ難しいレース条件ということです。

 島原はしばらく考え込みました。この条件を選ぶか、別の条件にするか。

 

 そして島原の出した結論は、

 

「うん、このレースにしましょう!」

「いいんですか? アッシュブライド号には一番合っているとは思いますが……」

「さっき緋田さん、如月騎手には経験が足りないって言ってたじゃないですか。やっぱり挑戦しないと経験は手に入りませんからね。あの、エースの栗畑さん? が復帰しても如月騎手に乗ってもらう機会はあると思うし。後個人的には美人と素質馬のタッグにちょっと燃えてるんですよ。王道展開キタコレって。だから如月騎手に経験を積んでもらうって意味でもこのレースでお願いします」

 

 こうしてアッシュブライド号の次走が決まりました。

 メイクデビューではスパートの指示しかできなかったと嘆いていた如月は、次走が技巧の問われるレースだと緋田から告げられると、

 

「え、阪神の2400? いやクラシック三冠取れるような騎手になるとは言いましたけど段階ってものが……いややりますやらせてくださいめっちゃけっぱっちゃいますよぉ*1!?」

 

 と覚悟を新たにするのでした。少しヤケが入ってはいましたが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてレース当日。

 

「ガレては、ギリギリないッスね」

「色々対策した甲斐があったね……」

 

 馬運車から出てきたアッシュブライド号は、疲れた様子ではありましたが見るからに痩せこけていたりはしませんでした。

 それもこれも、運輸会社の人に無理を言ってさまざまなストレス対策をしたお陰です。具体的にはアッシュブライド号が懐いている女性厩務員を同乗させたり、少し迂回していつもより揺れにくい舗装し直されたばかりの道を通ってもらったりしました。

 

「早じかけとロングスパート早じかけとロングスパート早じかけとロングスパート早じかけとロング」

「如月君は緊張しすぎ。後早じかけを意識しすぎて馬の体力削りすぎないようにな」

「はっはい!」

 

 そして島原は今日も熱心にメモを取っていました。

 

「馬運車からパドック、本馬場入場、返し馬……。勉強になります! やっぱり観戦席からじゃ見えないものがありますねー」

「馬主席行かなくていいんスか?」

「いや行きますよ? 馬主って人種ももっと知りたいし。でも次のレースでかなー行くのは。今日は競走馬がレースに出る流れを知りたいからさ」

 

 ちなみに、馬主席は社会的に成功した人物が集まる一種の社交界の様相を博しているという噂があります。そうそうお目にかかれるような環境ではないのでメモを取るにはいい場所かもしれませんが児童文学に使えるネタになるかというとならなさそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゲートインが完了しました。

 アッシュブライド号は疲労が見え隠れし、鞍上の如月は緊張で固くなっている、お世辞にもいいコンディションではありませんがレースは始まろうとしています。

 それでも如月はやるべきこと、早めのスパートで捲ること、だけは忘れないように頭の中で繰り返し言い聞かせていました。

 

 

 

 

 

 

 そして出走。

 

 作戦通り中団に控えると、目の前に馬の壁が出来上がっていました。一瞬『これじゃあ追い越せない』と焦りますがまだ序盤だと外側に出たくなる気持ちを抑えます。

 

 一周目の上り坂。まだ序盤ですから馬群の状況は変わりません。

 次の直線。まだ変化なし。

 

 次の下り坂の最終コーナーを抜ければ最後の直線から2回目の上り坂を駆け上がるのみです。

 このままだとスパートのタイミングを逸してしまう、そう思った矢先のことです。如月とアッシュブライド号以外の馬、特に周りに陣取っていた差し追い込み馬が一斉にスパートをかけ始めました。

 

 このレース条件はロングスパートが有利。そんなことは常識です。十分なスタミナがある馬に乗っているなら誰もがロングスパートを選択するでしょう。

 

「もうわや*2だよ!?」

 

 如月も一足遅れてアッシュブライドに加速する指示を出しますが、先に加速し始めた他の馬になかなか追いつけません。

 

 まさに絶体絶命と思われた最終直線。必死に追走するも追い越すことが出来ません。追い越そうと外に回ればより離されてしまいます。

 

 

 

 しかし奇跡はありました。目の前で馬の壁を形成していた一頭がロングスパートに耐えきれず失速、目の前にわずかな隙間ができたのです。

 如月は必死に手綱を操り、アッシュブライド号をその隙間に飛び込ませます。

 

 

 

 そして二周目の上り坂。前さえ開ければもう勝利は目の前です。

 散々練習してきた上り坂での姿勢制御も相まってアッシュブライド号はその才能を遺憾なく発揮し上り坂をものともせず先頭に躍り出ました。

 

 

 

 二周目の上り坂を越えると、そのままの勢いでゴールイン。

 アッシュブライド号はOP戦を制し、その獲得賞金で重賞レースへの参加条件を満たしました。

*1
『頑張る』

*2
手がつけられないの意

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