7-1目標達成の後に・疑念
『凱旋門賞』という特大の花束に向かって準備を始めた1年が終わった。
そしてアッシュブライドは──
「トレーナー、ぼくは
「はい。好成績を残したので来年も契約の継続が可能です。……凱旋門賞にむけて頑張りましょう」
小さい体という不利をものともせず多くのレースで良い結果を残すことができた。
しかし──
「そろそろ聞かせてもらえませんか? どうして凱旋門賞を花束に選んだのか」
「っそれは……。ごめんね、まだ……」
アッシュブライドが倒れ、凱旋門賞を最終目標に定めたあの日。
私は知らないが、あの日に日本のウマ娘が誰一人として果たしたことのない凱旋門賞の勝利を望むようになる出来事があったはずだ。
知らないからこそ、どうして凱旋門賞なのかと聞こうとすると、アッシュブライドはとても申し訳なさそうで、何かに怯えているような顔をする。
そんな様子だから無理には聞き出せないのだが、やはりウマ娘との相互理解はトレーナーとして大事なことだと思うのだ。
「本当に、ごめん。いつか絶対伝えるけど……今はまだ」
「はい。その日を楽しみにしています」
とりあえずこの話は終わりだ。
今日のうちに決めておきたいことがあるので、その話に移ろう。
「凱旋門賞は世界最高のレースのひとつです。今のアッシュではまだ挑めない高みとも言えますね」
「うん」
「だからまずは、日本国内で実力を示しましょう。ネオユニヴァースを迎えにいく時の花束が多くて困ることはないでしょう?」
そう。事実としてジュニア級が終わろうとしている今のアッシュブライドが挑めるほど『凱旋門賞』は甘くない。
例えば、エルコンドルパサー。彼女は黄金世代の一角として揺るぎない実力を示した後海外レースの道に進み、そして凱旋門賞に進んだ。
世界への挑戦には日本最高峰の実力が不可欠なのだ。
「じゃあ、日本で取る花束は何がいいと思う?」
「もちろん、皐月賞、日本ダービー、菊花賞です」
「奇遇だね。ぼくもそう思っていたところ」
「はい。凱旋門賞に挑戦するのは早くてもシニア級の1年目になるでしょう。クラシック級では誰もが目指す王道路線に挑むのが脚質的にも最善だと考えます」
「……模倣は気に食わないけど」
「模倣、ですか?」
「っいや、なんでもないよ」
やはり、アッシュブライドは私には話せない何かを抱えている。
しかしそればかり気にしていられるほどの余裕はない。
来年も、私は私にできる全力でアッシュブライドを支えよう──
7-2新年の抱負
「なんで……悲しすぎるよこんなの……」
「年が明けて一言目がそれなのは不吉なのでやり直してください」
「え? もう明けたの?」
「はい」
大晦日のトレーニングを終えた後、アッシュブライドはトレーナー室でお気に入りの文庫本を読んでいた。そして深夜、年が明けて最初の言葉がこれだった。まあやり直せというのは冗談だ。
しかし、アッシュブライドが泣いているところは初めて見たかもしれない。
「そんなに悲しいお話なんですか?」
「うん。ヒロインが攫われちゃって……」
そう言って涙を流しながらその挿絵を見せてくるアッシュブライド。
「あれ、それって」
「知ってるの?」
「はい。私も小さな頃に読んだことがあります」
アッシュブライドが見せてきたのは、ある有名な児童文学作家の作品だった。読んだ時の記憶が蘇ってきてなんだか懐かしくなってきた。
「じゃあトレーナー、この作品は知ってる?」
「ああ、ありますよ。懐かしいですね」
「これも?」
「はい」
「じゃあこれは?」
「……ないかもしれません」
「じゃあ貸してあげるから読んでみてよ。面白いからさ」
「ではお借りしますね」
いつもネオユニヴァースについて話している時とは方向の違うテンションの高さだ。
意外な一面を発見してしまったかもしれない。
それはそれとして、トレーナーとして年が明けたらやってみたいことがあるのだ。
「それでは、新年の抱負発表会を開催します! アッシュの新年の抱負はなんですか?」
「え? クラシック三冠路線でいい成績を残すこと、かな? どうしたの急に」
「私の目標は──トレーナーとしてアッシュにいい成績を取ってもらえるように尽力するのは当然として、アッシュとネオユニヴァースの距離をもう少しだけ縮めたいと思います」
「余計なお世話だよ!?」
アッシュは顔を真っ赤にして怒ってしまった。
確かに夜中まで仕事をしていてテンションがおかしくなってデリカシーに欠けていたかもしれない。
「もうトレーナーなんて知らない!」
アッシュはそのまま怒ってトレーナー室を飛び出してしまった。
だがアッシュブライドは一瞬だけ戻ってきて──
「……言い忘れてた。明けましておめでとう」
「アッシュ……っ。はいっ、今年もよろしくお願いします」
そしてまた飛び出して行った。
今年も頑張ろうと思えた時間だった。*1
7-3皐月賞にむけて
クラシック三冠初戦『皐月賞』。
中長距離の王道路線にはもちろん──
「ネオユニヴァース……っ。トレーナー、ネオユニヴァースが可愛すぎて辛いので保健室に」
「ここはレース場ですが。後どこからネオユニヴァース分を摂取しているんですか」
アッシュブライドがいたく気に入っているウマ娘、ネオユニヴァースも出走する。
しかしここは控え室。ネオユニヴァースの姿は影も形も掴めないはずだが──
「ネオユニヴァースと同じレースを走れるんだよ!? そりゃこうもなるよ!」
「ごめんなさい。正直アッシュのネオユニヴァースへの思いの丈を舐めていました」
まさか、あれだけの体調不良を、ネオユニヴァースがいるという一点だけでひっくり返してしまうなんて──
レース場への車の中では酷く乗り物酔いをしていたというのに、レース場についた瞬間こうなってしまった。
まあ好調なのはいいことだ。
「皐月賞、頑張ってください」
「うん! デート楽しんでくるね!」
「勝ってきてくださいね?」
この調子だと、ネオユニヴァースの隣につけてずっと顔を見ていたせいで2着、なんて嫌な未来が見えてしまったが、頭を振って振り払った。