偽物の仮面と真実のアイ   作:ななち

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ゴールデンウィークなんてなかったので初投稿です。


★42話

 

 微睡みの中にいる。そうマナトが知覚出来たのは、窓辺から差し込む朝日が瞼を照らしていたからだった。光の線が、薄い皮膚を突き破って眼底に光を刺そうとする。

 鬱陶しい、と鈍った頭が他人事のような思考を描き出す。まだ寝ていたい、と嘆く身体とは裏腹に、意識だけが水面へ引きずりあげられるような感覚。少しの抵抗も虚しく、水上に釣り上げられた意識とともに、重たい瞼をゆっくりと持ち上げた。

 

 朝日に混ざるように、柔らかな光を降らせるリビングのライト。寝室とは違い、あまり見慣れてない天井は、生理的反応によって流れた涙で少し滲んでいる。

 

 

「…………?」

 

 

 寝室ではない、という理解がマナトの頭に染み込んでいく。背中越しに感じる長い毛のラグは、長い間掛かっていた自分の体重に耐えかねて、フローリングの堅さを直に伝えてきていた。

 昨日、何があったんだ──と考えて、ずきりと頭が傷んだ。今までにあまり感じた事のない系列の痛みだった。思い出そうとすればするほど、記憶に掛かった蓋が錆びついているのか、ガリガリと痛みを放っているように思える。

 

 痛みに耐え、無理やり思い出そうとして、断片だけが浮かんでくる。

 

 薄暗い室内、琥珀色の液体。溶けた氷がグラスと触れ合う乾いた音。やけに機嫌が良かった、壱護の笑い声。会話の内容こそ思い出せないが、普段なら口にしないような言葉を、酒の勢いに任せて交わした気がする。思い出せたのはそれだけだ。

 

 そこから先は、霧がかったように曖昧だった。どうやって自分が家についたのか、なぜリビングで寝ているのか。さっぱり検討もつかないが──わかりきった答えがある。

 

 

「……二日酔い、ですね」

 

 

 水分を取れず乾いた喉は、少しガラついた音を奏でた。それと同時に痛む頭が、身体に残った酒精をまだ処理しきれてない事を伝えてくる。舌の上に、まだピリリとしたアルコールが薄く残っているような気さえした。

 人間、限界を超えた未知の不快感に襲われると、案外冷静になるものらしい。少なくとも今のマナトは、己の失態を嘆くより先に、水が飲みたい、という極めて単純な欲求に支配されていた。

 

 上体を起こそうと、身体に力を入れる──それだけで、頭蓋の内側を鈍器で殴られたような痛みが走り、思わず眉をひそめる。自制は出来ていたつもりだったが、タガが外れて深酒したであろう自分を恥じる──次の機会があれば、許容量を超えないようにしよう、と。

 やっとの思いで上半身を起こし、痛む頭を手で押さえたところで、気付く。視界の端、ソファの上に見えた柔らかい黒色。

 

 ──アイが、ソファの上で横になって眠っていた。

 

 重力に流された艷やかな黒髪に、朝日が溶け込んで星空のように輝いている。無防備な寝顔が、その奥から覗いていた。星の煌めきを宿し、人を惹きつける瞳も、今は薄い瞼の下で静かに閉ざされている。口元は、良い夢でも見ているのか、かすかに笑みが浮かんでいた。

 

 

「……えへへ……マナトー……」

 

 

 ……なるほど。自分の夢を見ていたのか、と。マナトは惚けていた脳で思考する。「可愛いですね」と普段なら浮かぶであろう感想も、今は鳴りを潜めていた。

 

 数秒。数十秒。土偶のように固まっていたマナトの顔色が、じわじわと青へ寄っていく。

 なぜ自分が床で寝ていて、アイがソファで寝ているのか──そんな事は、もうどうでもよかった。記憶のない昨夜の自分が犯した失態が、いよいよ実体を伴って迫ってきている。少なくとも、マナトにはそう思えた。

 ……実際には、アイに抱きついたまま寝落ちしただけであり、それ以上の無体は働いていないのだが。それを教えてくれる者は、この場にいない。

 

 バッと、壁掛け時計へ顔を向ける。ずきりと頭が痛んだが、それどころではない。

 

 6:30。

 

 マナトは全神経を集中させ、アイの身体へ一切の負担を掛けぬよう姫抱きした。実は起きているのではないかと疑うほど自然な動きで、アイの腕が首へ回る。長年の積み重ねが成せる、もはや反射だった。

 

 6:32。

 

 忍者じみたすり足で、衝撃を膝で吸収しながら寝室へ向かう。扉は、愛久愛海と瑠美衣の夜泣きした場合への備えか、半開きのままだった。足先でそっと押し広げ、その隙間へ身体を滑り込ませる。

 

 6:33。

 

 ベビーベッドで眠る愛久愛海と瑠美衣を即座に確認。異常なし。同室のベッドへ、羽でも置くようにアイを寝かせた。

 

 6:34。

 

 アイの口の端から垂れた涎を、ティッシュで拭き取る。

 

 6:35。

 

 簡単なベッドメイクを済ませ、アイに布団を掛けると、今まで以上の無音で寝室から退出。そのままキッチンへ向かい、冷蔵庫を開帳。冷やしておいたレタスとミニトマト、卵などを取り出した。

 朝食の用意である。立てかけられた調理器具から小鍋を取り出すと、水を注ぎ入れ火にかけ始める。

 

 6:38。

 

 包丁を握る。まな板の上へレタスを置き、芯を避けるように刃を入れたところで、ずきりと頭痛が自己主張した。危ない。今の集中力で刃物はよろしくない。そう判断したマナトは、即座に包丁を置く。英断だった。

 代わりに、ミニトマトを洗う。これは切らなくていい。偉い野菜だ、と半ば本気で感心しながら、水滴を拭ってボウルへ移す。

 

 6:42。

 

 小鍋の湯がふつふつと泡立ち始める。卵を一つ、二つ、三つ。静かに沈める。茹で卵ならば大きな失敗は起こりにくい。二日酔いの朝に相応しい、実に堅実な選択だった。

 

 6:46。

 

 レタスを更に千切り入れ、作り置きしておいたドレッシングを回しかける。水洗いしてヘタを取ったミニトマトで彩りを添えると、一品が完成した。

 

 6:50。

 

 トマトを退けた事によって開いたボウルにお湯ごと、ゆで卵を流し移す。少しベコンと跳ねたシンクの音を聞きながら、蛇口から冷水を注ぎ入れて急冷し始める。それと同時進行で、厚切りの食パンを取り出し、迷いなくトースターに突っ込んだ。

 

 6:52。

 

 パンを焼いているトースターのジジジジという音をBGMに、ゆで卵を流水に晒しながら剥いていく。手慣れたもので、数個あった卵はすぐにでも丸裸にされ、手で乱暴に裂き割られてサラダを彩った。後はパンが焼けるのを待って、愛久愛海と瑠美衣用に哺乳瓶を殺菌して、朝食の準備は完了──と考えたところで。

 

 

 冷静になった。我に返った、と言い換えてもいい。

 何を当たり前のように朝食の準備をしているのか。

 なんというか、もっと他にやることあっただろう、と。

 

 

 例えば、アイを起こして昨日何があったのか確認する、とか。何かしてたなら謝る、あるいは感謝する、とか。それでなくても、普段はアイと一緒に準備をする事が多いのに、今日に限って全て自分でやってしまったのも含めて、正常な思考じゃなかった。というか、朝食にはまだ少し早い。

 

「……何をしているんだ、()は」

 

 キッチンの静寂に、ひどく真顔な声が落ちた。

 昨夜の記憶は曖昧。頭は痛い。喉は渇いている。精神状態は平常から程遠い。にもかかわらず、手元には完成したサラダ、トースターでは食パンが焼かれている。現場猫ですら1回は途中確認するぐらいに、あまりに淀みなく朝食が完成しようとしていた。

 

 ジンッ、とトースターから「パンが焼けたよ!」と告げる音がした。反射的に身体が動く。焼けたパンを取り出し、皿へ移し、バターナイフとスプーンを取り出しジャムを添える。完璧だった。

 

 ────……違う、そうじゃない。

 

 混乱の極致にあっても、身体は普段通りに行動するらしい。根底まで染みついてしまった習慣に、マナトは頭を抱えた。ずきり、と頭痛が咎めるように自己主張した。うるさい。

 

 

 7:10。

 

 

「まなとー……おみずー……」

 

 

 アイ、香ばしいパンの匂いに釣られて起床。両腕に愛久愛海と瑠美衣を抱えて、寝ぼけ顔で登場。即座にマナトが二人を受けとったのは、言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 ★

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し冷えてしまった食パンを温め直して、なんだかんだ早めの朝食を終えた。その際にアイへ確認してみれば、昨夜は壱護に連れて帰られ、そのままアイに抱き着いて寝てしまったのだ、という答えを聞かされ。マナトはそれはもう綺麗な平謝りを披露した。これが朝食後のダイジェストだった。

 

 ……アイとしては、普段見れないマナトの可愛い姿が見れたので役得だったのだが。当人が気にしてそうなので、言わない事にした。

 

 ────……というか、なんか気になる事言ってたような気がしたんだけどなぁ……。

 

 つま先をトントンと床へ打ち付け、靴の履き心地を確かめながら昨夜の記憶を辿る。だが、平謝りするマナトの真剣すぎる顔を思い出した途端、また笑いが込み上げてきて、思考にノイズが掛かる。どうにもあの表情がツボにハマってしまったのだ。

 

 ────……まぁ、忘れてるなら別に大した事じゃないか。

 

 

「それじゃ、レッスン行ってくるね」

「はい、道中お気をつけて」

 

 

 今日のアイの予定は、ダンスレッスンと番組の打ち合わせだった。逆にマナトはドラマ撮影の隙間がちょうど空いたため、スケジュール帳に丸一日空白が入る珍しい日だった。

 ……スケジュールが埋まっていない日がないのがおかしいと言えばおかしいのだが、そもそもマナトはタレント業をやりながら苺プロダクションの事務もやってる。その働き方はある意味社畜のソレだったが、本人がやりたがってやっている事もあり、止める人がいない。

 

 

「だーう」

 

 

 マナトの腕に抱えられた瑠美衣が、その小さな手をフリフリと動かす。その気になれば「ママ、行ってらっしゃい」と喋れもするが、アイとマナトの前では幼児の振りをしているのもあって、言葉になってない音と一緒に動かしただけだ。

 だが、それはアイの心をキュンと掴む、我が子の可愛い動きだった。しかも、どちらかと言えば「行ってらっしゃい」ではなくて「行かないで」と手を伸ばしているようにも見える。

 

 

「ルビー、ママがお仕事行くの寂しいの……? よし、今日は体調が悪──」

「アイさん」

「──くないんだよね。ごめんね、ルビー。ほら、行ってきますのチュー」

 

 

 マナトの窘めるような声に、アイは一切の抵抗なく仮病を使おうとした発言を取りやめた。もっとも、本気ではないのは声のトーンで分かるが。

 瑠美衣の額に、そっとアイが唇を落とす。 軽くリップ音を立てるだけの、触れるか触れないか絶妙なキスだ。親愛を伝えるためのそれは、瑠美衣にとってはある意味劇毒だった。頬がにへらと緩み、幼児にしたって人に見せられない表情になっている──マナトのもう片方の腕に抱えられていた愛久愛海は、盛大に引いた。

 

 

「ほら、アクアも」

 

 

 アイのサングラスの視線がこちらへ向いた事に気付いた愛久愛海は、次の展開を予想して身を強張らせた。嫌なわけではなく、単に緊張からだったが──流れるような動きで、アイが愛久愛海の額にも唇を落とす。リップ音。あまりに至近距離で見たアイに、少し鼓動が早くなる。瑠美衣の事をとやかく言えなかった。

 

 アイは愛しい我が子に「行ってきますのチュー」が出来た事にご満悦だった。帽子とサングラスで口元周りしか見えない状態でも、喜色が溢れ出ている。そしてそのまま、マナトの正面に向き直り、被っていた帽子を外すと。

 

 

「ん」

 

 

 ────そっと、マナトに向かって唇を突き出した。

 

 流れ的に、アイが求めている事はマナトじゃなくても分かるだろう。行ってきますのチュー、もとい唇へのキスである。帽子が邪魔になるだろう、と外す前フリ込みだった。

 アイとマナトの身長差では、アイが背伸びをしたとしてもマナトの唇には届かない。そのため、キスをするにはマナトが少し屈みこんであげる必要があった。まぁ、それでなくても相手からして欲しい、という乙女心もある。

 

 マナトは少しだけ苦笑を浮かべると、瑠美衣と愛久愛海に負担がかからないように腕を固定したまま、身を屈めた。そのまま唇を──アイの額に落とす。

 

 

「むー」

「平等に、ですよ」

 

 

 不満げな表情を浮かべたアイをマナトが宥める。瑠美衣や愛久愛海には額にキスをしたのだから、アイにも額にキスをした──というだけなのだが、言葉なく指定した箇所にキスをされなかったのが不満らしい。

 が、それもほんの少しの間だった。帰ったらここだからね、と唇を指差しクルリとアイが身をひるがえす。

 

 

「行ってきます!」

「はい、行ってらっしゃい」

 

 

 軽やかな足取りで玄関の外へとアイが姿を消した。ガチャリ、と鍵の掛かる音が聞こえた後、少し駆け足気味の足音が遠ざかっていく。

 

 

「さて、リビングに戻りましょうか」

「あーう(パパ、テレビ見たい)」

「はい、何が見たいですか?」

 

 

 きゅ、と小さな手でマナトのシャツを掴んだ瑠美衣が、母音だけの音を口にする。意味のある音ではなかったが、マナトはその言葉(?)にあった瑠美衣の願望をくみ取っていた。

 

 

「だー(7番のチャンネルー)」

「はい、これですね」

「うー(合ってるー)」

 

 

 リビングに戻って、愛久愛海と瑠美衣をソファに座らせた後。マナトがリモコンを操作して表示させた番組は、まさしく瑠美衣が見たいと思った番組だった。お父さんスイッチもビックリの精度だった。

 

 

「二人共、いい子ですね。さて──おや?」

 

 

 prrr────

 

 マナトの思考を遮るように、この家ではあまり聞かない音が鳴り響いた。玄関付近に設置していた、据え置き型の電話機が着信を告げている。

 普段は、仕事関連にしろプライベート関連にしろ、手持ちのスマートフォンを使って連絡を取り合っている。自宅の電話番号自体を知っている者も限られている以上、家に電話が掛かってくる事は相当に珍しい。

 マナトはチラリ、とソファに座る瑠美衣と愛久愛海に視線を送る。二人ともテレビに視線を向けている事を確認して、そっとリビングから出ていった。それを隠れ見ていた愛久愛海が「ふぅ」と息をつく。

 

 

「なぁ」

「なに?」

 

 

 テレビから流れる朝のニュース番組──この後アニメが放送予定──のキャスターの声に紛れる程度の声量で、愛久愛海が瑠美衣に話しかける。別段ニュースの内容に興味の無かった瑠美衣は、あっさりとテレビから視線を外して、愛久愛海の視線と合わせる。

 

 

「……やっぱりおかしくないか? あの人」

「あの人……パパのこと?」

 

 

 キョトンとした表情を浮かべる瑠美衣に対して、愛久愛海が頷いた。

 傍から見れば異常な出来事も、慣れてしまえば当たり前になる。何をどうやったら、言葉にすらなってない赤子の声から、見たいテレビの番組まで把握できるのか。

 瑠美衣はもう気にもしていないが、愛久愛海は意識の目覚めが遅かったからか、あるいは生来のものなのか、未だマナト──というよりは瑠美衣以外に対しての警戒心が強かった。

 ともすれば、自分達が"転生"という常識外の事象で、既に自我を得ている事すら把握されているんじゃないか──そんな想像を口にした愛久愛海に、瑠美衣の表情が少し引きつる。

 

 

「さ、流石にないと思い……たいけど……」

 

 

 否定しきれない。特に何も言わずともこちらの意図を察してくれるマナトに対して「あーこれがスパダリってやつかー」とか「ママもこれにやられたんだなー」と、けっこう呑気に考えていた瑠美衣も、ちょっぴり不安になる。

 だがしかし、仮に自分達の正体(転生者)に気付いているというのであれば、と。瑠美衣の口が、でも、と否定の言葉を作り出す。

 

 

「気付いてたら、もうちょっと……なんかありそうじゃない? "君達は誰ですか? "みたいな……ひえっ……」

「自分で言っておいて鳥肌立てるなよ……俺もちょっと鳥肌立った」

 

 

 瑠美衣と愛久愛海の想像の中に出てきたのは、あの心を見透かしているかのような透明感のある碧い瞳と、一切崩れない微笑を浮かべながら問い詰めてくる姿。きっとそこには、感情のかの字も存在しない。

 ぞわりと産毛が総毛立つ。瑠美衣が自分の腕をさすりと撫で、身を震わせた。愛久愛海も同様である。ある意味双子らしい、シンクロした動きをしてしまったのが面白かったのか、瑠美衣の強張っていた表情が緩んだ。

 

 

「まぁ、でも……気付かないでしょ」

 

 

 勘が鋭かろうと、察しが良かろうと、辿り着くはずもない常識外の結論、というものは存在する。

 愛久愛海と瑠美衣が既に言葉を理解し、話せる事も、自我を強く持っている事も──多少強引だが、早熟という言葉で片付けられるだろう。

 そう、ある種の不安を自分に言い聞かせるように、口を開く瑠美衣。

 

 

 そのせいか、気付なかった。

 

 

 

 

 

「"転生"なんて、常識的に考えてあり得ないし──」

「──面白そうな話をしてますね」

 

 

 

 

 

 自分達の父親が、いわゆるパーソナルスペースと呼ばれる距離をすり抜けるように、人を油断させるのが上手い人で。

 既に、玄関先で電話を終えていたマナトが──足音も、気配も感じさせず戻ってきていた事に。

 

 ギギギ、と錆びたブリキの人形が動くような緩慢さで、瑠美衣の視線が頭上に向かう。そこには、まさに今話していた碧の瞳と、微笑みがあって。

 

 

 

 

 

「パパも混ぜてください」

 

 

 

 

 

 その瞳の中に、感情は──見えなかった。





余談:身長について

アイ:156cm(原作だと151cm)
マナト:180cm

B小町メンバー
ミネ:159cm
ニノ:166cm
ナベ:151cm
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