グリダニア冒険者居住区、ラベンダーベッド。森と湖に囲まれ、柔らかな日差しとうっすら霧がかかる幻想的な居住区であり、特に自然を愛する冒険者から高い人気を得ている。そんな居住区の一角に、「猫」たちが働くカフェがオープンしたらしい。
そこはまるで童話に出て来そうな様々なお菓子で飾られた外観で、ふんわりと焼き菓子の甘い香りが漂ってくる気がする。胡桃の木を削って拵えた表札には、『喫茶店・猫ねこ』の文字が猫の装飾と共に彫られている。
「いらっしゃいませ〜。猫ねこにようこそ!」
ドアを潜ると、真っ先に鈴を転がすような可愛らしい声で店長が客を出迎えると、それに続いてスタッフが客に声をかける。
中は温もりを感じる木造の内装に、ファットキャットをあしらった可愛らしい調度品がたくさん設置されている。奥の方には大きな囲いのあるベビーベッドと、その周りにはたくさんのぬいぐるみが所狭しと並んでいる。
スタッフは皆『猫』として、訪れる客を時に癒し、時に楽しませている。
本物の猫さながらに振る舞い気ままにのんびりする者、客と世間話に華を咲かせる者、皆それぞれが楽しくゆったりまったりとした空間を作り出している…というのがこの喫茶店のコンセプトなのだが、残念な事に客足は伸びず今日も閑古鳥が鳴いている有様であった。
「どーゆーことにゃ?3都市でビラ配りしたし、SNSでも宣伝してるのに、お客さんが来ないにゃー!」
桃色の髪の可愛らしい顔をしたララフェル族の女性がカウンターの中でイライラした大声を出す。あまりにも怒りすぎて、頭に乗せた猫の耳を模したカチューシャがぷるぷる揺れている。
「まあ、焦っても仕方がないですよ店長。」
同じくプラチナブロンドのララフェル族の女性が、お皿を拭きながら店長と呼んだララフェルを宥めた。
「ニッチなコンカフェっスからねぇ…。」
今度はカウンターの隅で漫画を読んでいた、深い藍色の髪のロスガル族が興味なさそうにのそりと首を上げた。
「2人とももうちょい危機感を持つにゃ!このままだと赤字で閉店になっちゃうにゃ!」
この喫茶店はオープンから1週間経った今でもあらゆる手を尽くして宣伝してはいるものの、来客はゼロ。このままでは今月の支払いも怪しくなりそうだが、従業員達はのんびりしたものだ。
「怒ると血圧上がるっスよ。とりまお茶淹れますね。良いニルギリの茶葉が経費で落ちると聞いて買って来ちゃった〜。」
「いいね。ボクも喫茶店に良さそうなカップを経費で仕入れて来たから、それで飲んでみようか。」
ロスガルと金髪のララフェルがそれぞれ取り出した、高価そうな茶葉の缶と、鮮やかなコバルトブルーのカフェオレボウルを見て、店長の眉間の皺が更に濃くなったのは気のせいではないだろう。
「まーた勝手に買って来てるにゃ!?その経費稼ぐのも、客が来ないと話にならないっつー話をしてるんだにゃ!」
客がいない店内で、従業員達は怒る店長そっちのけでいそいそとお茶会の準備を楽しそうに始めてしまう。
コンロにかけたヤカンから激しく蒸気が立ち、ロスガルが茶葉の入ったポットに勢いよくお湯を注ぐと辺り一面に瑞々しいリンゴを思わせる華やかな香りが広がる。しかし、そんな華やかな香りも今の店長の機嫌を回復させるには至らないようで、いまだ膨れっ面の店長を店員が慰める。
「良い匂いに誘われて、お客さんが来てくれたりするかもしれませんよ。」
新品のカフェオレボウルに熱湯を注いで温めていると、入り口のドアが遂に開いた。
「い、い…いらっしゃいませにゃ〜!」
先程までこの世の終わりのように萎れていた店長の表情筋が、ぱあっと満開の笑顔を咲かせる。心なしか肌も潤い、声も普段よりワントーン高い。
「あの、初めてなんですが…。」
入り口から申し訳無さそうに入って来たのは、ヒューラン族の若い女性であった。
身につけている装備品から、戦闘をメインとして活動している冒険者のようだ。
アラガントームストーンの詩学やら因果やらをせっせと溜めれば、ある程度の装備は誰でも交換出来るのだが、戦闘に特化させた物となるとそれなりにギルも手間もかかる。
「ご新規大歓迎にゃー!!」
「お席にご案内しますね。」
喜びで大興奮の店長をサッと交わしながら、店員が客を席にエスコートする。カウンター前のファットキャットを模ったソファー席に案内すると、初めて客前に出す新品のメニュー表を差し出す。
「ご注文お決まりになりましたら、お声がけ下さい。」
金髪のララフェル族の店員さんの頭につけられた白い猫耳のカチューシャが、お辞儀した時にピクピク揺れる。その様子に緊張した様子の客の女性の表情がふっと緩んだ。
「可愛い…。」
ぽろっと溢れた言葉に、店員はにっこりと笑ってみせる。
「ありがとうございます。」
「当店はスタッフが『猫』になって、お客様を癒しちゃうと言う喫茶店にゃ!お姉さんが来てくれてめちゃくちゃ嬉しいにゃ〜!」
猫の耳をつけた可愛らしいララフェル族の傍から、失礼しやーすと間延びした声と共にロスガルがカウンターの内側からのそりと動き、紅茶の入ったカフェオレボウルをカウンターに3つ乗せた。
「良かったらどうぞ。」
紅茶から立ち上るクセのない爽やかな香りの温かい湯気が、女性の顔を撫でる。
一口ゆっくり啜ると、果汁を思わせるほど甘い香りなのに、すっきりとした味わいが口に広がる。鼻から抜ける最後の香りまで、爽やかで美味い。
「これ…!美味しいです!」
女性の言葉にロスガルは照れくさそうに笑って軽く会釈を返すと、残った紅茶をガラスの保温用容器に移し替える作業に戻ってしまった。
「普段サボってるけど、バイト君の淹れる紅茶は美味しいんだにゃー。」
「移動販売とかさせたら幾らか稼げるかもしれませんね。」
「店員ちゃん!ナイスアイデアにゃ!」
「お二人とも、客の前っスよー。接客してくださーい。」
客の隣でちゃっかり店長と店員も、淹れたての紅茶を楽しんでいる。楽しそうに笑う店長達に、作業を終えたバイト君は漫画を読みながら尻尾をパタパタとやる気なさそうに振って適当に遇らっている。緩くまったりとした雰囲気に、ヒューランの女性はがもう一口紅茶に口を付けたところで、今まで必死に耐えていた涙が、ぽろりと溢れてしまう。
「あっ…すいません…!あれっ…?」
「にゃっ?!お姉さん大丈夫にゃ?誰かティッシュ持って来てにゃー!」
一度溢れてしまうとなかなか止められず、ぽたぽたと涙がカウンターに落ちて小さな水たまりを作る。あわてる店長に、店員が素早くティッシュの箱を渡し、バイト君は驚いた表情で固まっていた。
しゃくりあげながら何度も謝るお客さんに、オロオロと狼狽えるしか出来ない店員達。
「わ、私…、今の固定で、戦っていくのっ、辛くて…っ!」
ダムが決壊したかのようにヒューランの女性は、泣きながら今まで心に留めていた悲しみや悔しさを、貰ったティッシュで鼻を豪快にかんでから吐き出し始めた。
ヒューランの女性は、少し前から高難易度コンテンツと呼ばれる戦闘ミッションに参加し始めた。エオルゼアで冒険者それぞれが経験する冒険に出てくる敵よりも強い敵を討伐対象として、戦闘スキルを磨いたり豪華な報酬を手に入れたり出来るである。
その高難易度コンテンツに挑むには、特定のチームに属さずその場の状況に合わせて戦う所謂野良として参加するか、固定と呼ばれるチームを組み綿密な作戦を立ててから挑むか、大きく分けて2種類の方法がある。
ヒューランの女性は最近案内所の紹介で固定に入った新人戦闘員である。リーダーや高難易度経験者の先輩メンバーと共に戦闘訓練に日夜励み、毎日戦闘について予習と復習を重ね、漸く敵の攻撃パターンが掴めてなんとなく手応えを感じ始めて来た時だった。
「新人ちゃんって、やる気あんの?」
不意に先輩冒険者から言われた言葉が理解できずに、新人ちゃんは固まってしまう。先輩の顰められた眉や軽蔑の色が滲む目線を見て、先輩は自分に苛立っているらしい事が分かった。
「めっちゃ覚え悪いし、あそこの散開のタイミング間違えるの何回目?フォローするこっちの身にもなって欲しいんですけどー。いつまでも新人気分じゃ困るんだよねぇー。」
「す、すみません…。」
「え?何?なんなのその顔。ミスする時は大体新人ちゃんのせいじゃん。こっちが悪者な訳?うわー…。人が注意してやってんの。わかんないかな。」
効率を重視する傾向のある先輩は、他のメンバーのミスに敏感で度々アドバイスという名の世直しをしなければ気が済まないようであった。今回はその矛先が新人ちゃんに向いてしまったのだ。
先輩は如何に新人ちゃんが他のメンバーのやる気を削ぎ、貴重な時間を浪費し、戦闘技術や才能の無さなどに関して長々と『アドバイス』を行った。その間新人ちゃんはというと、心臓が悲しさで押しつぶされそうになりながらも出来るだけ真摯にアドバイスに耳を傾けて、己の行動を恥じ今後の改善に向けて前向きに先輩に向き合った。
「ここまで言わせるとか普通無いから。常識的に考えて行動しなよ。こういうの俺ほんと嫌いなんだよね。」
先輩は必ずこの言葉で『アドバイス』を締め括り、スッキリして解散していった。
この『アドバイス』が一日で済むはずもなく、この地獄のような時間が1週間ほど続いてしまった頃には新人ちゃんも、その他のメンバーもすっかり心をすり減らしてしまった。
リーダーは何度も先輩に『アドバイス』を辞めるよう注意したのだが、「新人ちゃんのため」「みんなのため」と先輩は繰り返し、全く聞く耳を持たず。その内にメンバー同士がギクシャクし始め、細かいミスが増え、嬉々として先輩が重箱の隅をキツツキの如く突き回す悪循環に陥ってしまったのだった。
この空気に耐えかね、遂にリーダーの溜まりに溜まったフラストレーションが爆発してしまう事態になってしまった。
「このチームで、高難易度コンテンツをクリアするのは無理だ。」
メンバーを集めてからリーダーがやっと絞り出した一言に、空気は葬式より重くなり、その場の全員に石化のデバフがついたように体の動きが止まってしまった。くだんの先輩を除いて。
「やっぱり俺は反対だったんだよ!素人の新人入れるの!」
行ってやったとばかりにイキイキと輝く先輩の顔と反比例するように新人ちゃんの体から血の気が引き、他のメンバーの顔には疲労とストレスから来るほうれい線が頬にくっきり刻まれていく。
その場の空気に居た堪れず逃げ出した新人ちゃんがたどり着いたのが、喫茶店猫ねこであった。
「私なんか居ない方が良かったんでしょうか…。」
ひと通り話が終わる頃には涙も落ち着き、相変わらず新規客のいない店内には先ほどと変わらずまったりとした空気が流れている。
そろそろ空になるカフェオレボウルを抱えた店長と、相変わらず漫画を開いているバイト君、うんうんと頷く店員さんがそれぞれ同時のタイミングで口を開いた。
「偉い!」
全く同じ言葉がハモって、新人ちゃんは驚いて目を見開く。
「いやー。今までよく頑張ったにゃあ!偉すぎ!」
「お姉さんは頑張り屋さんなんですね。凄いですよ。」
「それな過ぎる。」
スタッフ一同それぞれ感心したように頷き、店長は残った紅茶をぐいっと勢いよく煽ってから、カウンターにどすんと肘を乗せた。その姿は酔っ払いのおっさんに似ていたとか似ていなかったとか。
「先輩っつー生き物って、後輩に自分を少しでも大きく見せたかったりカッコつけたかったりするモンなんだにゃー。行き過ぎは困りものだけどにゃ。」
「だけど、お姉さんも先輩の言葉を真摯に受け止め続けたのは…誰でも出来ることではないです。凄いことですよ!」
同じく紅茶を飲み干した店員さんが、首を縦に何度も振る。
「そうでしょうか?」
「お姉さんもリーダーさん達も優しい人だから、限界まで悩んで抱え込んじゃったんだと思うにゃ。敵の大攻撃は避けるが鉄則にゃ?だから、お姉さんは逃げて大正解だったのにゃ!」
「苦しかったら思い切って辞めちゃうのも、自分的には全然アリだと思うっス。」
不安そうにする新人ちゃんに、店長はどんと胸を張ってみせる。ララフェル族の体型だと、胸を張っても腹を突き出しているようにしか見えないのが可愛いが少し、悲しい。バイト君が空になったカフェオレボウルを下げてお冷の入ったグラスを3人分カウンターに乗せると、店員が温かいおしぼりを新人ちゃんにさりげなく渡す。
「よっしゃ!お姉さんの元気が出るように私が腕を奮っちゃうにゃ!店員ちゃん!バイト君!アシストよろしく!」
「はい!」
「アイサー。」
店長が小さな拳を掲げて集合をかけると、他の2人も腰を上げて軽く伸びを始める。
店長は張り切ってドードーの卵、薄力粉、砂糖、ベーキングパウダー、バター、メープルシロップなどの材料を調理台に並べていく。
その脇で店員とバイトはメニューがわかったのか「なるほど!」と頷いてから、各々準備を始める。
店長がボウルに卵を割り入れて黄身と砂糖を丁寧に擦り混ぜていく。ボウルの中に水切りしたヨーグルトと牛乳を加えて、ムラが出来ないように混ぜ合わせる。
次に店長は卵白に少量ずつ砂糖を加えながら丁寧に泡立てて、フワフワのメレンゲを作り出す。ララフェル族の小さな手がテキパキと一切の無駄なく動き回る様子を、新人ちゃんはじっと眺めてしまう。
「凄い…。あっという間にボウルいっぱいになってる!」
「にゃはは!修行の成果にゃー!」
褒められて嬉しそうな店長は、砂糖とベーキングパウダーを合わせて丁寧に振るう工程に入る。大きなザルをトントンと軽く叩くと、きめ細かな粉が雪の層に降り注ぐ。粉と卵の入った生地をゴムベラで何度か縦になぞると、フワフワのパンケーキの生地が瞬く間に完成した。
「先輩、透明なグラス使って良いっスか?」
「あ。使うならこっちが良いかな。」
「あざす。」
カウンターの端では、大きな手を器用に使ってバイト君がカットした桃にグラニュー糖をあえたものをガラスのポットに入れながら、店員さんに声をかけている。店長さんは瓶を模ったグラスを棚から取り出してバイト君の前に置くと、再び食器棚と睨めっこをしパンケーキ用の皿を吟味し始めた。
「私が買ったファットキャット柄の皿あったにゃ?それ使うにゃ!」
「いや、あれダサいじゃないですか…。」
「にゃー?ダサくないにゃー!」
店長と店長さんが皿で揉める脇で、我関せずのバイト君は桃の入ったポットに先程から保温しておいたニルギリの紅茶を注ぎ入れる。甘く熟した桃の濃厚な香りが紅茶の爽やかな香りと混じり合い、あたりに広がっていく。
「わあ。良い香り。」
「味も多分、美味いはずなんで。期待してて下さい。」
良い香りにうっとりする新人ちゃんに、バイト君も照れくさそうに笑う。
バイト君が紅茶と桃を馴染ませる間、店長は年季の入った鉄のフライパンをコンロの火にかけ、弱火で温め始める。バターをひと匙フライパンの上に落として、フライパンを軽く回して溶けていくバターを広げていく。
おたま杓子で生地を掬ってフライパンの上に乗せると、どこか懐かしい甘い香りがふんわりと漂い、桃や紅茶の香りと合わさって幸せな空気で満たされていく。
店員さんがこだわり抜いて選んだ黄色い皿に店長がフワフワに焼き上がったパンケーキを乗せて、仕上げにバターとメープルシロップを添える。
ガラス瓶型のグラスに氷と、桃の果汁がたっぷり溶けた紅茶を注ぎ入れれば、喫茶店猫ねこ自慢のメニューの完成だ。
「元気の出るフワフワパンケーキと、桃のフルーツアイスティーです。ごゆっくりどうぞ。」
フォークで突くとふるふる震えるほどに柔らかいパンケーキを一口頬張ると、噛むほどに甘く優しく口の中で溶けていく。桃のフルーツティーはほのかに甘くさっぱりと、喉を滑り降りていく。
今まで抱えていた重たい気持ちが、なんとなく軽くなったような。そんな気がした。
「美味しい…!」
一口、もう一口と軽い口当たりのパンケーキを食べ進めて、気がつけばあっという間に食べ終えてしまっていた。空になった皿に少しだけ名残惜しさを感じるも、新人ちゃんのお腹も心も幸せで満ちている。
嫌な事もあるけど、もう一回頑張ってみよう。ダメなら違う方法を探そう。
新人ちゃんはそう心の中で呟きながら、膨れたお腹をさすった。
「ごちそうさまでした。パンケーキもアイスティーもとっても美味しかったです!」
「嬉しいにゃ〜!」
「あの…本当にお代は…。」
「気にしないで大丈夫にゃ!お姉さんの気持ちが楽になったなら嬉しいにゃ!」
お代はタダという店長に心配そうにする新人ちゃんだったが、店長の圧に押し切られ何度も頭を下げながら喫茶店を後にした。
「…マジで、大丈夫なんスか?」
「大丈夫な訳ないにゃ!赤字確定にゃー!うわあー!」
「えー…。何でキレてんスか…。」
ドアが閉まり客の気配がなくなると、喫茶店は大騒ぎだ。カッコつけてタダにしたは良いものの、売り上げはゼロのまま。ピンチなのには変わりない。
「まあまあ。帰りがけにお店のコースターお渡ししたから、きっとリピートしてくれますよ。」
店員さんがお客さんに渡した、喫茶猫ねこのロゴと住所が印字されているコースターが次のお客さんを呼んでくれると祈りを込めるしかない。
「イケメンの青燐水王が来ると良いっスねー。」
「はいはい。店長!そろそろ閉店準備しますよ。」
「お前らはもっと危機感を持てにゃー!」
従業員達が粛々と閉店準備を進める店内に、店長の叫びが虚しくこだました。
ファイナルファンタジー14のゲーム内にあるユーザー主催のカフェがモデルとなっています。
実際のカフェや登場人物とは異なる、完全なる架空の設定のお話です。