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「一昨日の午前十一時頃、ミレニアム自治区内で電気羊を見た、という通報が入りました」明星ヒマリは空中に写し出されたマップを見ながら説明を始めた。「その後数分で同様の通報が三件、ほとんど同じ場所で入りましたが、到着した警察は電気羊を見つけられませんでした」
「それから昨日も二件、場所はミレニアム自治区内だけど、最初の通報があった場所とは少し離れてる」和泉元エイミも手元のタブレット端末を操作しながら言った。
「電気羊?」と先生は聞いた。おおよその状況は二人の説明を聞いて理解できたが、おそらくは話の主題である電気羊の姿を上手くイメージすることができなかったのだ。
「目撃者の証言によれば、機械で作られた羊のようだ、とのことです。金属部が露出しており、一目でロボットだと分かるものだと」ヒマリは自分もよく分かっていない、と言ったように首を傾げながら言った。
「ミレニアム自治区内には沢山の監視カメラが置かれてる。普通に移動すれば、二日間でそのどれかには映る。でも映ってなかった」
「カメラの映像が偽装された可能性は?」先生の問いに、ヒマリは首を横に振って答えた。
「今のところ、偽装された痕跡は見つかっていません。一応、ヴェリタスの子達に調べて貰ってはいますが」
「通報が嘘だった可能性は?」
「それも無いと思う。通報した五人の身元を調べたけど、面識は無さそうだし、仮に知り合いだったとしてもこんなことやる意味がない」とエイミがその可能性を否定した。
「デカグラマトン関係かな」
「可能性はあります。ですからこうして、先生をお呼びしました」
「分かった。取り敢えず、次に通報があった時にその周辺のカメラ映像をリアルタイムで追えるように準備しよう」
昨年の十一月に一度落ち着きを見せた特異現象が再びミレニアムに訪れたのは、八月の半ばの、夏の真っ盛りの頃だった。先生が学園を出ると、蝉の鳴き声がうるさく聴こえてきた。
◇
窓を閉め切ってカーテンをしているお陰で、夏の昼間だというのに部屋の中は暗く涼しく保たれていた。
ほとんどの学園がそうであるように、ミレニアムサイエンススクールにも夏休みが存在する。専らほとんどの学生にとっては、初秋にあるミレニアムプライスに向けた追い込みをかける期間になるが、ゲーム開発部は審議会から与えられた予算で購入した新作ゲームを遊ぶのに夢中になっていた。
「最近、部室にユウカが来る悪夢を見るよ……」と才羽モモイは苦しそうに言った。
「それはお姉ちゃんがシナリオ書かないせいで作り始められないからでしょ!」
「シャーレの当番休みになったからってイライラしないでよ」
モモイに図星を言い当てられて、才羽ミドリはなっ、と声を上げた。
「それとこれとは関係ないでしょ」
ミドリにシャーレの当番が休みになる連絡が入ったのは、当日の朝の事だった。少し早く起きてヘアセットをしようとした矢先の出来事だった。
久し振りに先生に会えると思っていたものが急になくなりショックを受けたのは事実だが、指摘されると腹が立つ。二人の間に一触即発の空気が流れ始め、ロッカーの中の花岡ユズが止める機会を窺っていると、部室の扉が勢いよく開いた。
「アリスはおつかいクエストをクリアしてきました!」
天童アリスは片手に買い物袋を提げて帰ってきた。おかえり、とモモイとミドリが迎えると、部室に漂っていた暗雲が払われたように感じられた。胸を撫で下ろしながらユズもロッカーから出てきて、買ってきたお菓子を食べていると、アリスが思い出したように話し始めた。
「そういえば、モモイは夢を見るんですか?」
「ユウカが怖い顔して部室を襲撃しに来る夢……思い出しただけで震えが止まらないよ」モモイは顔を青くして答えた。
「頻繁に見るんですか?」とアリスは聞いた。夢の内容についてよりも、夢を見ることそのものに興味を持っているような言い方だった。
「うん。アリスは夢見ないの?」
「今まではそうだったんです。でも、最近夢を見るようになったので、夢がどういうものなのか調査クエスト中です」
アリスちゃんも夢見るんだ、とミドリは少し驚いたような顔で言った。
「どんな夢?」とユズが聞くと、アリスも釈然としない表情で答えた。
「電気羊の夢です」
◇
警備局に電気羊関連の通報が入ったら特異現象捜査部に流すように命令しておいたお陰で、通報から三十秒も経たない内に位置情報と通報の内容が送られてきた。ヒマリはその周辺の監視カメラを複数表示し、電気羊を探し始めた。
ほとんど同時に、先生は事前に立てた作戦通りにバイクを出して指定の座標に向かう。緊急車両として扱っているため、信号や法定速度を無視して走らせることができるのは、スリルと楽しさを伴う体験だった。
「見つけました。座標を更新します」無線からヒマリの声が届き、目的地を表すピンが少し動いた。ここから一分もかからない位置だ。
「えっ、消えた」直後、無線からエイミのほとんど独り言のような声が届く。
「おそらく自分が写っていることに気づいて映像を差し替えたんでしょう。他のカメラにはまだ映っています。先生、大きく移動されれば見つけるのは困難です。急いで下さい」
「オーケー」
〇
「見つけた」
バイクがギリギリ通れる幅の裏道で、電気羊は道に迷っている様子だった。確かにそれは電気羊としか形容できない、機械仕掛けの羊だった。もこもことした毛皮の代わりに硬そうな金属で体が覆われている。電気羊という表現は言い得て妙だな、と思った。バイクで猛進してくる先生に気が付くと、電気羊は大急ぎで逃げ出した。
「速っ」
狭い路地で最高速が出せていないこともあり、電気羊に追いつける気配は無く、どんどんと距離を開かれていく。結局角を曲がった所で見失ってしまい、先生はバイクをそこで停めた。
「ごめん、見失った」
「こちらもです。周辺のカメラに先生が映っていないので、既に差し替えられてしまったようです」
「もう追跡はムリだね。先生、帰ってきていいよ」
◇
段々と寒くなってくると、その小さな羊の体はもこもことした白い毛に覆われることになった。辺りを見渡すと水平線までライ麦畑が広がっていて、視界の端の方では針葉樹が描画される。風への靡き方や、雲の動きが美しく繊細に表現されている。勿論それらは作り物でしかないことを彼女は知っているのだが。
それは何か確固たる証拠に基づくものではなく、夢の中にはそういった不思議な力──原因のない結果や、卵のない鶏のようなもの──がある、というのをアリスはその夢の中で初めて知ることになった。そして非現実を意識し始めた途端、景色はゲームの電源を切ったように切り替わり、あの廃墟へと姿を変える。アリスがずっと眠っていた場所だ。ライ麦畑も、風も、空すらもすっかりなくなってしまう。しかし羊だけは姿を変えてそこにいた。もこもことした毛は無くなってしまったのは残念だが、金属の肌が複雑に組み合わさった電気羊は、先ほどと変わらず撫でられるのを待っているように見えた。そして手で触れようとすると、いつもそこで目が覚める。
〇
アリスが最近毎日の様に見る夢の話をすると、部室はしんと静まってしまった。どう反応すればいいのか分からなくなってしまった空気を打破したのはアリス自身だった。
「アリスにもよく分かりません」
「ちょっと待って! アリス、今電気羊って言った?」
ゲームを切り上げてテレビを見ていたモモイは、リモコンを握ったままアリスを振り返った。テレビの画面にはチャンネルを回している途中で偶然付けたニュース番組が流れていた。
「はい? モモイは電気羊を知っているのですか?」
「そうじゃなくて、ちょっとテレビ見て!」
正体不明の電気羊が出没、という見出しのニュースは、いくつかの写真と共にミレニアム自治区に機械の羊が出没していることを知らせていた。
えっ、とミドリとユズが驚いて声を漏らす中、アリスは無言でそのテレビが次のニュースに切り替わるのを見ていた。
「アリスが見たのはあの羊です。間違いありません」
「偶然……じゃなさそうだし」
「先生に報告しに行く?」
モモイがそう切り出すと、話は賛成の方向で流れていった。モモトークでアリスが電気羊の夢を見るようになったことと、その羊がニュースで報道されているものと同じだったことを伝える。
特異現象捜査部まで来て欲しい、と返信が来たのは一時間もしない内だった。
◇
「なるほど」
ヒマリはゲーム開発部の説明を聞くと、顎に指を当てて黙ってしまった。脳内ではあらゆる可能性を辿っているのだろうな、と先生は思った。
「夢を見る理由の完全な解明はされていませんが、脳が記憶の整理を行うためだという説が一般的です。少なくとも、全く知らないものを夢の中で見る、というのはあり得ません」
「アリスは羊を見たことある?」ヒマリの説明を受けて先生が聞くと、アリスは無い、と答えた。
「あの電気羊と接触したことがある、と考えるのが自然だね」とエイミが言うと、ヒマリも頷いた。おおよそ意見は一致ということだろう。
「でも、アリスは覚えていないんです」
「……ケイ?」
後ろで話を聞いていたユズが漏らすと、部屋中の視線がユズに集まった。いきなり注目されて目が泳ぎ、冷や汗が出てきた。
「あっ、あるかも! ケイの記憶なんじゃない?」とモモイが言うと、ヒマリはなるほど、とまた考え込むように黙ってしまった。
「……先生、アリスをこのパーティーに参加させて下さい」しばらくの沈黙の後、アリスが言った。
「危険だよ。まだ相手が何だか分かってないのに」
エイミが伝えるが、アリスはそれでも変わらない眼差しで言った。
「それでもアリスは気になるんです。ケイのことを、少しでも知れるなら」
「うん」と先生はアリスを見て言った。「一時的に協力してもらおうかな」
「他のゲーム開発部の皆さんは、心苦しいですがお引き取り下さい」
「えーっ! アリスが行くなら私達も行くよ!」
「いや、やめた方がいい」と先生もヒマリに賛同した。「電気羊は多分、アリスを探している。警戒させないように、できるだけ少数部隊で行きたい」
「先生がそう言うなら、ここは帰ろう? お姉ちゃん」
「でも!」
「モモイは、シナリオ書かないと……」
◇
日が落ち始めると、ライ麦畑は海のように美しく輝き始めた。斜陽を反射し、波の様に穂が揺らいだ。
「もう、小屋へ帰らないといけませんね」
小屋に帰らなければいけない時間だった。日が落ちてしまえば、街灯のないこの辺りは影が支配してしまうから、その前に小屋へ帰る必要があるのだ。歩き始めると、羊もついてくる。小屋の外の、小さな羊のための柵の中に入れてから、彼女は小屋の中へ入っていった。
キノコのスープと、パンを夕食として食べて、お風呂に入って、それから安楽椅子に座ると、温かい暖炉やベッドは消えてしまい、ただの液晶に戻ってしまった。そうだ、夢を見ていたのだ、と彼女はそこで思い出した。
〇
アリスが目を覚ましたのは、朝の四時過ぎのことだった。空が白みだした頃で、カーテンの隙間を通ってきた風が少し肌寒かった。学校が始まる時間にはまだ早かったが、二度寝するほど眠気がある訳ではなかった。仕方なくゲームを起動して暇を潰すことにした。そういえば何か夢を見た気がする。何の夢だったか、思い出せなかった。
◇
「アンドロイドは夢を見るの?」
先生が投げかけた疑問は、ミレニアムが誇る超天才病弱美少女の脳を以てしてもしばらく思考を要する問いだったようだ。より正確に言えば、ヒマリは夢の話をアリスから聞いた時から思考しており、今はそれを適切に伝える言葉を思考していた。
「見ない、というのが私の結論です」
「でもアリスは夢を見た」
「はい。嘘や勘違いでもないでしょう。事実として、アリスは夢を見た」
ヒマリは手を伸ばし、机の上のティーカップを取った。まだ生徒達が登校してくる前の学園は何の音も聞こえてこず、静まり返っていた。窓の外を眺めていると、鳩が歩きながら変な鳴き声で鳴いていた。朝にしか聞かない鳴き声だ。
「アンドロイドは電気羊の夢を見ません」ヒマリはティーカップを空にしてから話し始めた。「ストレージに記憶を記録できるコンピュータにとって、夢という方法で記憶を整理するのは非合理的です」
「つまり、アリスはそういう記憶の仕方をしていない」
「はい。先生は機械情報と社会情報の違いをご存じですか?」
「感情の有無?」
ヒマリは頷いた。
「記録はストレージに収納できます。しかし記憶はそういった方法では収納できません。もっと体系的な収納方法が必要です。さしずめ、人間の脳の様な」
「アリスは感情を覚えるために、そうやって記憶していると」
「はい。おそらく無意識的にそうしたのでしょう。彼女を取り巻く環境が、記録ではなく記憶を必要とした」
「それはもう、アンドロイドではないね」
ヒマリはもう一度深く頷いた。
◇
エイミとアリスがやってきたのは、BDの授業が終わった午後のことだった。今日はまだ通報が入っていないことを説明すると、どこかに隠れているのだろう、とエイミが予想した。ヒマリも同意見だった。
「先生に追われたことから警戒しているのでしょう」
「でもそうなると困難だね。こっちからじゃ見つけられない」
エイミは小さくため息をついた。
「きっと、お腹が空いていると思います」アリスは悲しそうな顔をして言った。
「……そうだ、電動ならいずれ電力切れする」
エイミがそう言っている間に、ヒマリは仮想キーボードを叩いて何かの作業を始めた。しばらくして、三枚の画像を空中に投影した。
「電気羊が目撃された三ヶ所は、いずれも屋外にコンセントが露出しています」
「そこから電気を食べてたんだ」
「捕獲トラップのようなものは作れないでしょうか」とアリスが独り言の様に呟くと、エイミが首を横に振った。
「無理だよ。コンセントが露出してる場所なんて無数にある。つまり、エサを食べられるポイントは特定できない。計画停電できるような権限も無いし、できたとしてもそんなことのために使えない」
「いや、できるんじゃないかな」と先生は何かを思いついたように言った。「エリドゥに誘い込めれば」
「なるほど」とヒマリが納得して言った。「あそこなら大規模停電を行っても被害が無い」
「そう、問題はどうやってエリドゥに誘い込むかだけど」
「どうにかできないかな、部長」
「この天才病弱美少女に不可能はありません」ヒマリは自信たっぷりの顔で言った。「あの女のへそくりシティが役立つ時が来ましたね」
◇
案外あっさりと羊は捕まった。綺麗に区画分けされ、それらが独立して外壁を創り出せるエリドゥの構造が捕獲に向いていたのが大きかった。
「どうやってエリドゥに誘導したの?」と先生は聞いた。ヒマリがその日の内に誘導を成功させてしまったから、一体どんな魔法を使ったのだろうと気になっていた。
監視カメラのクラッキングについて違和感を持っていた、とヒマリは語った。居場所を隠すためであれば、ずっと隠れていればいい。つまり監視カメラのクラッキングには別の目的があった。彼女はそれを、天童アリス──より正確にはケイの捜索だと考えた。
「しかし見つけられなかった。学園内の監視カメラは自治区とは別の管理システムで動いていますから。それで仕方なく、電気羊本体が動いたのでしょう」とヒマリは想像を語った。
「なるほど」
「ですから、アリスにエリドゥ付近へ行って貰い、学園外の監視カメラに映って貰いました。そこから先は、先生もご覧になった通りです」
〇
電気羊は角に追いやられて逃げ場をなくしていた。攻撃はしないで欲しい、というアリスとの約束に則り、エイミも銃を仕舞う。エリドゥの近郊は人が寄るような場所でもないため、恐ろしい程静かだった。
「怖がる必要はありません」
アリスは右手を電気羊に向けて言った。
「きっとケイを探しに来たんですよね」
アリスに攻撃の意思が無いことを直感すると、電気羊も警戒のレベルを落としたように感じられた。その仕草は機械というよりも本物の羊のように見えた。
「ケイは……しばらくしたら帰ってくると思います。それまで、アリスと一緒に暮らしませんか?」
電気羊はしばらく迷って、それからゆっくりと、本当に一歩ずつアリスはにじり寄って、その右手に頭を擦りつけた。
「一緒に帰ろう」と先生が言った。
◇
電気羊の騒動から一週間が経とうとしていた。しばらくは事後処理でミレニアムに通っていたが、それもそろそろ終わりそうだ、と先生は言った。
「お疲れ様です。ところで、電気羊について色々と調べましたが、デカグラマトンは関係ない、と見るべきでしょう」とヒマリは言った。今日はハーブティーを飲んでいた。
「良かった。あの後電気羊は?」
「ゲーム開発部の部室で飼っているそうです。食べる電気もそれ程大きくはありませんし、悪さもしていないようですから」
「未知のロボットなんて、ミレニアムの学生に狙われるんじゃない?」
先生は一部の生徒をイメージしながら聞いた。ヒマリも大方誰をイメージしているのか想像が付く、といった苦笑いで答えた。
「勿論、解体してみようという興味ある学生はいたそうです。しかしアリスが頼むと、それ以降いなくなったとか」
「人望だね」
「アリスはミレニアムの孫のような子ですからね」
「電気羊の飼い主はケイなのかな」
ヒマリはしばらく考えた後で、わかりませんね、と答えた。その可能性が高いが、機械の羊を本物に見立てて飼うことに合理性が無い、というのが彼女の見解だった。
先生はブラックコーヒーの缶を飲み干した。もしかすると電気羊以上に高燃費かもしれない。
「例えば人が夢を見ることのように」と先生は言った。「一見非合理的なことが、一番理にかなっている、ということは往々にしてある」
「電気羊を飼うことも?」
ヒマリが聞くと、先生はにこりと笑った。