人生に絶望した男は自殺する。だがそれを止めたのは黒栗毛の娘、エイシンフラッシュだった。自殺を失敗し、死ねなくなってしまった彼は、人生をやり直すことを計画する

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ナイトメアフラッシュ

 

 

人生について考えていた。

 

小さい時から勉強も運動もそこそこで、いいとこなんて一つも無かった。

 

仕事は上手くいかず、友達も片手で数える程しか居ないし、彼女なんてのはもってのほか。

 

このまま生きていても、幸せにはなれない。そんな絶望が漂っていた。

 

逆転できない負け試合は誰だって投げ出したくなるし、続ける価値は無い。サレンダーして、さっさとニューゲームを始めた方がよっぽどマシだ。

 

この悪夢からさっさと抜け出してしまおう。

 

駅のホームで俺はそう結論付けた。

 

何が言いたいかっていうと ──

人間っていうものは、案外簡単に死ねてしまうっていうこと。

 

プワァァァァッッッ

 

けたたましい汽笛と共に、俺の身体は打ち砕かれる。

 

ハズだった。

 

「危ない!」

 

「おわっ!?」

 

「あっ!だ、大丈夫ですか!?」

 

強く手を引かれ、勢い余って倒れ込む。覗き込む影。ショートボブの黒鹿毛に、ちょこんと飛び出たウマ耳。彼女が、俺を"こちら"に引き戻した犯人らしい。

 

「なんで邪魔したんだよ!? クソが!」

 

「なっ! あと少しで電車に轢かれそうになったんですよ!? それなのになんて事を言うんですか!?」

 

「うるせぇ! 余計なお世話だ! 黙ってほっとけよ! 1人で死なせてくれ!」

 

「はぁ……自分勝手な人ですね……助けて貰ったら感謝の一言ぐらいするのが当たり前ですよ?」

 

「誰が助けてくれと頼んだ!?」

 

「お客様! お止め下さい! お客様!」

 

駅員が仲裁に入る。こんな小娘相手に感情を顕にするなんて、自分で思っても見なかった。だが、ここで怒っても何の得にもならない事は、沸き立った脳ミソでも理解できた。

 

「ハァ……クソが……」

 

 

〜〜〜〜〜⌚〜〜〜〜〜

 

 

その後、事務所に連れて行かれて、事情聴取をされた。一悶着のせいで会社には遅刻するし、小一時間ぐらい説教をくらった。

 

生きてさえいなければこんな苦しみを味わう事は無かったのに。怒りに怨みにも似た、泥のような感情が背中を押し潰す。

 

ただ、死ぬチャンスはいくらでもある。そう思って帰りのホームに立ったが、足は前に出なかった。

 

急に死ぬのが怖くなったのか? バカだな。

 

そうして、呑み込めない感情を抱いたまま家に帰って、床に就いた。

 

 

♢ ♢ ♢

 

「こんばんわ」

 

「アンタは……朝の……」

 

「あれから、生きているようで何よりです」

 

「まったく……誰のおかげなんだかな……」

 

「その様子なら大丈夫そうですね」

 

「ハァ!? 大丈夫な訳があるか!? お前のせいで俺は怒られる羽目になったんだぞ!?」

 

「でも、生きてるじゃないですか?」

 

「そうだよ! それが問題なんだよ! 俺がさっさと死んでりゃ、苦しむことも無かっただろうに!」

 

「……理解できません」

 

「ハッ、これだから困るね。生きる事に価値があるとか言う甘ちゃんはよ。人助けがしてぇなら他の所行けよな」

 

「ちょっと! 私だってアナタの事を心配しているんですよ!?」

 

「うっせ、ほっとけ」

 

これ以上論じても無駄だろう。そう考えてその場を離れようと……

 

まて、ここはどこなんだ? 周囲を見回しても、特筆すべき光景はない。むしろ何も無い、形容できないと言う方が正しい。歩くという感覚すらおかしい。何か、何かがおかしい。

 

「そろそろ時間ですね。また明日も来ますから」

 

Ziriririririri!!!!!!

 

「……ハッ!」

 

古臭いベル音が部屋の中を跳ね返る。

 

Ziriririririri!!!!!!

 

「あぁクソうるせぇ」

 

横に置いていたスマホのアラームを切る。起きなければならない時間というものはいつだって苦痛だ。

 

嫌気が差した頭の中に、はっきりと苛立ちが残っている。たぶんあれはきっと……

 

「夢か」

 

その夢の記憶は嫌にはっきりと、会話内容までも思い出すことができた。

 

[]

 

また、あのウマ娘だった。同じ夢を見ている。そうはっきりと分かった。

 

「こんばんは」

 

「はぁ……またアンタか……2日目だぞ…? また夢に出るなんてよ、俺ァどんだけ止められたのが悔しかったんだよ……」

 

「悔しいんですか?」

 

「ああ、悔しいね。また飛び込もうって思っても脚が出なくなっちまった。あの時死んでれば楽だったのにな」

 

「生きてるのならいいじゃないですか? 生きていればいい事も楽しい事もありますよ?」

 

「お前みたいな若くて綺麗なウマ娘ならそうかもしれねぇけど、生憎、俺は生きてたってどうしようもねぇんだよ」

 

「……一体何故そんなに死にたがるんですか? 何がアナタをそうさせるんですか? 教えて下さい」

 

「簡単だよ。未来に希望が無いからさ。仕事は上手く行かないし給料は安いし、趣味も仕事が忙しくてやめたし、遊ぶような友達も居ないし、何が楽しくて生きてんだか……」

 

自分で言っていて悲しくなった。そして、1度転がった感情を止めるのは難しかった。

 

「はぁ……人生は楽しく無い日々を送るだけだ……俺は結局一人なんだ。誰からも愛されないんだ……だったら、このまま独りで死んでいくんだったら、さっさと死んだ方がマシだね……」

 

「だから、あんなことを?」

 

「そういうこった。はぁ……彼女でも居りゃ、多少はマシだったかもしれねぇがな……」

 

と、ボヤいてしまう。何か一つでも上手く行けば、マシだったかもしれない、と。

 

「確かに、一人は寂しいですよね。ずっと一人で生きていく事は不安ですし、寂しくて辛いですよね…」

 

「何だよ。分かった風な口を聞きやがって……! お前なんかに俺の気持ちが分かってたまるかよ…! お前には分かるわけがない! この俺の気持ちはよぉ!」

 

何と言うか、下手な精神科医みたいな事を言ってやがる。俺の夢の癖に、いや、自分だから自分の事は良く分かってるって事か。

 

「では、アナタが死なないために、人生が楽しいと思って貰わなくてはいけませんね?」

 

「……はぁ? そんなんどうすんだよ?」

 

「夢の中で、現実の作成会議をしましょう。現実の生活をより良くするために、彼女さんを作りましょう。私がお手伝いします」

 

「お手伝いねぇ……」

 

「夢の中でもできることはたくさんありますから、一緒に頑張りましょうね?」

 

そう言って、微笑み掛けてくる。拒絶し、口汚く罵った俺に対して。

 

「何だよ……なんでそんなに俺に肩入れするんだよ……どんだけお人好しなんだよお前は……」

 

「お人好しだなんてそんな……私はただ、目の前の人が死んしまうのが耐えられないだけです」

 

「……それをお人好しって言うんだよ」

 

俺には無い、精神だ。

 

Ziriririririri!!!!!!

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

「こんばんは。今日も生きていて何よりです」

 

「うわ、また出た……毎日夢に出るって何なんだよお前は……」

 

「あ、自己紹介を忘れていましたね。私はエイシンフラッシュです。よろしくお願いします」

 

「エイシンフラッシュねぇ…」

 

「それと、私は"ナイトメア"ですから、人の夢に入れるんですよ?」

 

えっへん。と、このウマ娘は胸を張って答えた。

 

「ナイトメアって、あのおとぎ話の?」

 

「そうです。といっても、人に悪夢を見せたり、人を殺したりなんかはできません。ただ夢にお邪魔して、ちょっとだけ元気を貰うだけですけど」

 

「そ、そうか……」

 

「信じていませんね? では少し失礼して……」

 

手を握られるとそこから何かエネルギーのようなものが、彼女の方へと流れ出して行ってしまうように感じられた。袋に小さな穴が空いて、そこから水が盛れ出して行くような。とめどなく、静かに、少しづつ。だんだんと身体が重くなって──

 

「お、おい! もういいだろ!?」

 

「……ハッ! す、すみません! 久しぶりだったもので、加減がわからなくてつい……」

 

「まぁ……アンタがその、"ナイトメア"だってのはよく分かった。俺の夢でも幻覚でもない、ちゃんとした一人のウマ娘ってこともな……」

 

彼女は現実で生きてるウマ娘で、俺の夢にわざわざお節介を焼きに来てたのだ。自殺を止めた恨みの幻影じゃあない。だとしたら、俺の今までの態度は、彼女にとって良くなかったのだろう。

 

「今まで酷い言葉を掛けてしまって、済まなかった」

 

「あら、ちゃんと謝れるんですね。偉いですよ」

 

「それぐらいの人間性は持ち合わせているさ。……ってか、元気を貰うんだったらこんな自殺志願者じゃなくて、もっとイキイキした人間の所に行けばいいじゃないか。なんでわざわざ俺なんだ?」

 

「だから言ったじゃないですか? "目の前の人が死んしまうのが耐えられない"って。生気を吸うことは目的ではありませんし、私はこの力を滅多に使いません」

 

「そうか……なら……まぁ……宜しく頼む。それで、作成会議っても何するんだ?」

 

「そうですね。まずは……って、そろそろ夢の時間も終わりですね。仕方ありません。また明日にしましょう。勝手に死んじゃ嫌ですよ?」

 

そう微笑む彼女は、チープなベルの音で打ち消された。

 

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

 

それから、彼女は俺の夢に毎日出てきて、俺にアドバイスをくれた。

 

「まずは……そのボサボサの髪をなんとかしましょう。美容院に行って、ビシッとキメて貰いましょう」

 

「えぇ……やだよ。高いじゃん」

 

「オシャレに出費は必須ですよ? そうですね……きっとこんな感じにカッコ良くなりますよ?」

 

彼女は、どこからともなく鏡を取り出して、俺に向けた。その中には、男性アイドルグループのような髪形の俺が居る。些か美化されているように感じたが……案外悪くないかもしれない。

 

「はぁ……まぁ、試してみるよ。明日休みだし」

 

 

 

Ziriririririri!!!!!!

 

 

 

「あ、あの、こんな感じにして貰えますか?」

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

「こんばんは……って、いいじゃないですか! なかなか似合っていますよ?」

 

「……ありがとう」

 

「では、次はその曲がった姿勢を正しましょう。まるでおじいちゃんみたいですよ」

 

「しょうがないだろそう生きてきたんだから……アダダダダダ! 痛い!」

 

「ほら、もっと肩をほぐして、胸を張って……」

 

「無理矢理動かそうとするな! イダダダダダ! 痛いって!」

 

「もっとこう、背中はこう! です! よ!」

 

「アーッ!!!」

 

 

 

Ziriririririri!!!!!!

 

 

 

「視点が少し高いって案外いいものだな……疲れるけど」

 

 

 

「どうですか? 背筋を伸ばして生活した感想は」

 

「これをいつも続けると思うとだいぶ辛いぞ……」

 

「でも、だいぶカッコ良くなってきましたよ?」

 

「まぁ……そう言われるぐらいなら頑張ってみるさ……」

 

「では今日は……お顔を改善しましょう!いつもそんな辛気臭い顔のままじゃあ印象が悪いですよ」

 

「うっせ、ほっとけよ。顔はどうしようもねぇんだから」

 

「なりますよ、笑顔になりましょう!笑顔になれば、印象も良くなると思いますよ? ほら、やってみて下さい?」

 

「まぁ、わかった……ん…………どうだ……?」

 

「うわ、全然変わってないですよ? 表情筋が硬いですね……少し失礼しますね」

 

「ちょっと? ほへっ!?」

 

「柔らかくなるようこねこねしますね〜」

 

「ほひ! ひゃめろ!(おい! やめろ!)」

 

「もっと口角をあげて下さいね〜」

 

「ひほほはほへはほふは!(人の顔で遊ぶな!)」

 

「いつも笑顔でいる事が大事ですよ? 意識して下さいね〜?」

 

「ははった! ははっははぁら!(わかった! わかったから!)」

 

 

 

Ziriririririri!!!!!!

 

 

 

そうやって、小さなことからコツコツとはじめていった。小さな変化だが、少しづつ自分がよく見えることはなかなか悪くないし、楽しかった。

 

そんな中、意外にもすぐに成果は現れた。

 

「あっ、〇〇先輩、おはようございます」

 

「ああ、おはよう」

 

彼女は会社の後輩で、時々面倒を見る。必要がある時だけしか話さないが、明るくて社交的で良い子だ。

 

「最近気になってたんですけど……先輩、だいぶ変わりましたね?」

 

「あ! ああ、そうなんだよ! イメチェンでもしようと思ってさ! ハハ!」

 

「いいですね! 前よりカッコいいですよ!」

 

「そ、そうかぁ! 嬉しいよ! ありがとう!」

 

お世辞だとは思うが、面と向かってカッコいいと言われて嬉しかった。俺の努力は間違っていなかった。そう実感できた。

 

「ヨシ、今日も1日頑張ろうか!」

 

その日の仕事はより一層身が入った。

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

 

「今日は……ってどうしたんですか? らしくない顔してますよ?」

 

「いやぁまぁ……後輩の女の子に褒められちゃってさ……」

 

「なるほど! いい兆候ですね! では、その子にアピールするのはどうでしょう?」

 

「あの子にか? ううん…………いや、アリだな」

 

「では、次のステップに行きましょう。アピールをするのでしたら、まずは会話からです。私をその女の子に見立てて、なにか話してみてください」

 

「ん……えっと……その、いい天気だね」

 

「ぷっ! もう全然ダメ! なんですかそのダメの見本のような切り出し方は!?」

 

「って言われても、こっちから切り出すことなんてねぇしよ……」

 

「少しでも話のきっかけを見抜いて、切り出すことが重要ですよ?」

 

「うーん……じゃあ……」

 

〜〜〜〜〜⌚〜〜〜〜〜

 

「そろそろ時間ですね。そんな感じで頑張ってみてください」

 

 

 

Ziriririririri!!!!!!

 

 

 

いつものように朝がやってくる。さて、どう声をかけたものか、どう話を繋げようか、などと考えたが、とにかく話しかけることにした

 

「おはよう、後輩ちゃん」

 

「おはようございます! 〇〇先輩!」

 

彼女の眩しい笑顔に負けじと、こちらも精一杯の笑顔で対抗する。なかなか表情筋も柔らかくなったようだ。

 

「今日の仕事はちょっと大変だろうけど、一緒に頑張ろうか?」

 

「はいっ! 頑張りましょう! ……そうだ先輩! 今度の飲み会に来ませんか?」

 

「えっ、飲み会かぁ……」

 

「だっていつも先輩来ないじゃないですか〜! 先輩も一緒に飲みましょうよ!」

 

飲み会、あまり行かないタチだ。あまり好きにはなれない。お酒を飲んでコミュニケーションをするというのが苦手なんだ。いつも断っているし、なんならここ数年は滅多に誘いが来なかった。

 

いつもなら断るところだが、後輩ちゃんと話すいい機会だ。より込み入った話もできるだろう。

 

「……せっかく誘ってくれたんだし行くことにするよ! ありがとう」

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

「という事があったんだ」

 

「いいじゃないですか! 飲み会の事はあまり分かりませんけど、良い話す機会です」

 

「久しぶりだから不安だけど……チャンスを活かしてアプローチするよ」

 

「そうです! その意気です! 大事なのは勇気を持って話すことです! ○○さんならきっと上手く行きます!」

 

「そうかな……? いや、そうかもしれないな」

 

「そうと決まれば、予定の大幅な変更をしなければなりません。これからしばらくは覚悟してて下さいね?」

 

「ああ、よろしく頼む」

 

 

 

Ziriririririri!!!!!!

 

 

 

そんなこんなで、飲み会の日。会社の飲み会故に人数は多かった。その中で同じ卓に着いたのは同期の男と女性の先輩、そして目当ての後輩ちゃんだった。

 

「「「「乾杯〜!」」」」

 

「いや〜、○○君が来るなんて珍しいわね?」

 

「そうだよ。○○は会社の飲み会嫌いって言ってなかったか?」

 

「いやいや、久しぶりに飲みたくなったんですよ」

 

「いいじゃないですか! せっかくなんですし、今日はいっぱい楽しんじゃいましょう!」

 

〜〜〜〜〜⌚〜〜〜〜〜

 

料理も運ばれて、酒も一層進む頃合。同期は突然切り出した。

 

「そういやよ、〇〇、最近色々変わったよなお前」

 

「そうよ〜! あの〇〇君がねぇ!」

 

「そうなんですよ! 〇〇先輩はイメチェンしたんですって!」

 

どうやら、皆は俺の変化には不思議に思っていたような口ぶり。良い風に見られているといいんだが……

 

「ま、まぁ、色々あったんですよ」

 

「色々ってなんだよおめぇよぉ〜!?」

 

「そうよ〜アタシその話聞きた〜い!」

 

「そういえば、先輩が変わった理由聞いてなかったです!」

 

「そ、それはだな……」

 

教えろ教えろとせがむ3人。事情を話すのは気が引けたし、恥ずかしかった。だが、しつこく聞いてくる彼等に押され、折れて話してしまった。ただ、話したのは、「彼女が欲しいから、頑張ることにした」というだけで、自殺未遂の話も、夢の協力者の事も話さなかったが。

 

「へぇ〜…万年陰キャって感じのお前がなぁ……」

 

「うっせ、ほっとけ」

 

「いやいや、頑張って欲しいよ全く、お前にはな……いでっ!?」

 

同期のやけにニヤケた顔に腹立った。だから脇腹を軽く小突いてやった。

 

「でも、偉いよ○○君は。やろうと思って行動に移せるんだから。それも才能だと思うわ。だから頑張って?」

 

「ありがとうございます、頑張ります」

 

「私なんてもう親から結婚しろだんんてせがまれちゃって……もう面倒ったらありゃしないの!」

 

「先輩こそ頑張ってくださいよ……」

 

それからすぐに話題は移り、他愛も無い愚痴やら何やらの世間話に花を咲かせた。結論から言って、後輩ちゃんとは十分話せた。

 

〜〜〜〜〜⌚〜〜〜〜〜

 

夜も更け、飲み会も終わり、これから帰ろうかという頃。

 

「じゃあ、俺らこっちだから」

 

「じゃあまた来週〜!」

 

家の方向の電車に残ったのは、俺と後輩ちゃんだった。酔いと疲れと眠気のせいで、口数は少なくなる。

 

「先輩……さっきの彼女が欲しいって話ですけど、本気ですか?」

 

いつになく真剣な表情で聞く後輩ちゃん。声のトーンも1段低い。

 

「ああ、本気さ。でなきゃ、こうやって色々頑張ったりしないさ」

 

「じゃあ……私が立候補します」

 

「なっ──!」

 

予想外の一言だった。

 

「先輩、最近変わって、案外いいな〜って思ったんです。それと、先輩なら、ちゃんと私の事見てくれそうって思うんです」

 

「そうか……! なら……!」

 

「でも、付き合うのはちゃんと審査してからにしませんか? 今度の土曜日、デートに行きましょう。お互いがお互いのお眼鏡に叶うかどうか、見極めましょう。どうです? 先輩?」

 

「……いいね、そうしよう!」

 

渡りに船どころか、何処へでもドアレベルの提案だった。

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

「聞いてくれよ! 例の後輩ちゃんとデートすることになったんだ!」

 

「おおっ! おめでとうございます! 大きな一歩ですね! ○○さんの努力の結果です!」

 

「いやいや、フラッシュちゃんのおかげだよ。……ありがとう」

 

あんな俺をここまで引き上げてくれた彼女には頭が上がらない思いだ。そんな気持ちが高じたのか

 

「なぁ、気が早いかもしれないが、お礼をさせて欲しい。何か俺に出来ることはないだろうか?」

 

と、申し出る。

 

「ふむ……そうですね……では、元気を少し頂いてもいいですか? 今の貴方は活力に満ち溢れていて美味しそうですので」

 

「それぐらいなら。……動けなくなるまで吸うのは勘弁だけど」

 

「では、失礼して……」

 

あの流れ出ていく感覚に身構える。体から力が抜けていくような、深淵へと落ちて行くような、冷たい感覚を味わう。今度は美味しいらしく、より多くの元気を吸われてしまうだろう。だが、フラッシュちゃんへの感謝料だと思えば案外簡単に耐えることができた。

 

「ふぅ……ありがとうございます。美味しかったです」

 

「あ、ああ……なら、よかった……」

 

 

 

その日からは、彼女の立てた計画に則り、デートの戦略を練った。デートコース、女の子の褒め方、会話の想定……出来る限りの事はやった。

 

だが、その希望は呆気なく打ち砕かれる。

 

 

 

金曜日の昼休みの事だった。昼休みの最中、俺はトイレに行きたくなった。その途中、給湯室から声が聞こえた。

 

「〇〇さんさぁ……最近ヤバいわよね……!?」

 

「確かに! あんなダサい人間が調子乗ってるのキモ過ぎるわ!」

 

「そ、そうですね!」

 

その声の主は"お局"と、いつも一緒にいる"コンさん"だった。2人はボス格で、いつも女性社員を纏めていた。もう1人いるようだが、良く聞こえず誰か分からなかった。

 

「最近は若者みたいに髪切ったと思ったら、性格もなんかウザくなるし、今更ジャニーズでも目指してるのかしら?」

 

「本当にもう気持ち悪いわよねぇ……あんな男に言い寄られたらと思うと……ひぃ〜!」

 

「い、嫌ですよねぇ〜私も彼氏には絶対にしたくないですね〜」

 

「そうよね! 私だって嫌だわあんな男!」

 

ただの悪口なら良かったかもしれない。だが、チラリと見えた横顔は、確かに後輩ちゃんだった。

 

「──〜〜〜!」

 

一瞬でトイレに駆け込んだ。

 

「ハァ、ハァ、ハァ、」

 

確かに見た。確かに聞いた。彼女が俺の悪口を言っているのを。

 

やっぱり上手くいくなんてただの幻想に過ぎなかった。

 

俺のような人間がどれだけ努力したとしても、皆に笑い物にされ、蔑まれ、踏み躙られる。

 

誰かに愛される事など絶対に無い。俺は1人だ。ただ1人で唾を吐きかけられ、石を投げられる。

 

また、あの時のような絶望が戻ってきた。いや、戻ってきたというよりは忘れていただけに過ぎない。

 

行き止まりだ。何をしても無駄だ。愛されることは無い。

 

 

 

しばらくトイレに篭ってから、何も連絡せずに家に帰った。帰りの電車に飛び込もうと思ったが、足は前に出なかった。俺は自殺さえ満足に出来ない出来損ないだった。

 

なれば、と、微かな希望だけを頼りに俺は眠りに就いた。

 

♢ ♢ ♢

 

「こんばんは。今日は……ってどうしたんですか?」

 

「俺を……俺を殺してくれ……!」

 

「なっ──」

 

「もう嫌なんだ何もかもが! 面白くない日々も! 独りの人生も! 俺が何をしたっていうんだ!」

 

「落ち着いてください、本当にどうしたんです?」

 

「後輩は俺を嘲笑ってた! 気持ち悪い奴だって! 掌で踊らされてマヌケな奴だって! 俺は騙されたんだ!」

 

「本当にそんな事言ってたんですか?」

 

「本当だとも……俺はこの耳で聞いた……!」

 

「……まぁ、とにかく、貴方は失恋した。そういう事ですね?」

 

「ああそうさ……」

 

「でも、失恋は誰にだってありますよ? 次の恋を探せばいいじゃないですか?」

 

「もういい……いいんだ……! 俺はもう……どんなに頑張ったって無駄なんだ……望んだものは手に入らないんだよ……」

 

「……」

 

「俺はゴミでクズで出来損ないだ……生きる価値の無い人間なんだよ……だから俺は死ぬべきなんだよ……でもな、俺は自殺出来なかった! フラッシュ……アンタに止められたせいで……俺は死ねなくなっちまったんだよ……!」

 

俺は手を握り、跪く。

 

「だから……だから俺を殺してくれ……お願いだ……もう……生きていたくない……」

 

どうしようもなく、心の叫びだった。

 

「…………」

 

彼女はしばらく黙ったままだった。

 

「ナイトメアに夢で殺されると現実でも死ぬらしい。でも、俺を殺したところで、ただ男が独りで孤独死してるだけだ。つまり、君は罪に問われ無い。だから、いいだろ? なぁ……?」

 

「はぁ……」

 

少し諦めたような顔をして言った。

 

「貴方という人は……本当に仕方がありませんね……。しょうがないので殺して差し上げます」

 

「あぁ……! ありがとう……!」

 

「ただし、貴方の命を吸い取って殺す事はできません。吸い取れる量は限られていますので」

 

「そうか……じゃあ、どうするんだ……?」

 

「簡単です。私の手で殺害するだけです。私──ナイトメアには他人の夢に干渉できますから。夢の中での殺人という芸当が成立します」

 

尤も、私は殺人なんてしたことはありませんが……と彼女は付け加える。やはり噂は本当だろう。何より、毎日他人の夢にお邪魔できるし、生気を奪うこともできるのだから、出来てもおかしくは無い。

 

「とにかく、できるなら何でもいい。殺してくれ……」

 

「……では、○○さん。そちらに寝て下さい」

 

「ああ……」

 

言われるがままに寝転ぶ。すると、彼女は俺の胸の上に座り込んだ。

 

「道具の力を借りずに、私の力だけで殺害する方が良いでしょう。ですが、それはとても大変です」

 

その言葉を聞いて、このまま、顔面を滅多に殴られ、脳へのダメージで死ぬ様子を想像した。あまりにも痛々しく苦しいが、案外悪くないなとも思った。俺はそれぐらい苦しんで死ぬべきだからだ。そんな事を考えていると、艶やかで滑らかな、甘い匂いのするものが首に回される。

 

「ですので、私の尻尾を使います。準備は良いですか? 辞世の句ぐらいは聞いてあげますよ?」

 

「フラッシュちゃん……ありがとう……それだけだ……早く始めてくれ」

 

「では、失礼して……!」

 

実は、ウマ娘の尻尾は見えているより短い。根元から30センチ程度が本体で、残りは毛だ。だから、綺麗に手入れされた尾の毛を束ねれば、十分な強度と長さを持つロープになる。

 

彼女は絞殺ワイヤーの要領で、俺の首に回された尻尾を使って絞め殺そうとする。首に巻き付け、左右を力一杯引き続ける。上質な細い繊維の束が、俺の首に食い込む。今までに感じた中で不思議な感覚だった。

 

髪は垂れ下がり、力の篭った表情で、俺を見下ろし、見つめている。純粋な殺意の篭った目だ。彼女がウマ娘だからだろうか? 顔が近いからだろうか? 温もりが伝わるからだろうか? そんな彼女を見て初めて、綺麗だと思った。

 

皮肉にも、そんな光景を楽しんでいる余裕は無かった。たった数秒の呼吸が制限されただけで、脳は危険信号を出していた。ただ単に、首を締め付けられ痛いし、息が出来ないというのも苦しい。

 

加えて、またあの流れ出ていくような感覚がした。今度は違う。命を奪われていく感覚。死へと転がり込んでいく。視界は段々とぼやけていく。

 

思えば、俺の人生はいつも良くは無かった。最悪という訳では無いが、いい思い出は無い。これからもそういう人生を送るのだろう。そう思うと耐えられなかった。深い海の底をアテもなく彷徨うような、深い穴の底でエサを待つネズミのような、救われないという絶望。

 

だが、そんな人生ともオサラバだ。これでやっと死ねる。ああ、ああ、あぁ……

 

蕩けていく感覚、視界が真っ黒に染まる。

 

が、首の拘束は緩められ、意識は引き戻される。

 

「っ! ゲホッ! ゲホッ! オエッ! 、ハァッ! ハァッ! は、は、なん、で、」

 

「そんなに簡単に死なせる訳無いじゃないですか」

 

体は生きようとして、一気に生命活動を始める。その揺り戻しのせいで、まともに息をすることが出来なかった。

 

「そん、な、はァ、はぁ、はーーっ、はぁーーっ………殺して、くれ……」

 

「ダメです。貴方は苦しんで、苦しんで、どうしようもなく苦しんで、苦しいまま生き続けてから死ぬんです」

 

「殺してくれ……殺してくれよ……頼む……!」

 

「ダメです」

 

絞り出した俺の懇願は、呆気無く断られた。

 

「フォアグラって知ってますか? ガチョウやアヒルに大量のエサを食べさせて、肝臓を肥大化させて作るという食材です」

 

何故、その話をするのか分からなかった。俺の混乱をよそに、彼女は話を続ける。

 

「人も同じだと、ナイトメアの間では言われています。心にストレスを溜め込み、ぎゅうぎゅうにパンパンになって、壊れた人間の心というのは美味しい。そういう風に」

 

そんな、まさか、

 

「先程、貴方の生気を吸わせてもらいました。端的に言うと……実に甘美でした。これ以上無いぐらいには……ですので、私は貴方を飼う事にしました」

 

いやだ、殺してくれ、頼む! 殺してくれ! お願いだ!

 

「ダメです。貴方はそのまま、辛く苦しい思いをしたまま生きて、私に食べられていてください」

 

そんな……殺してくれ……

 

「そんなに殺して欲しいんですか……? ……そうですね……私が貴方に飽きたら殺してあげます。ですから、それまで頑張って生きていてくださいね?」

 

あぁ……そんな……そんな……

 

 

 

♢ ♢ ♢

 

 

 

 

「あぁ……フラッシュ様……殺してください……」

 

跪いて"命乞い"をする彼に、私は尻尾を巻き、引き締めました。

 

「ぐぅ……っ!」

 

顔を真っ赤にして、とても苦しそうな表情をしている彼、そんな彼の生気を少しづつ、ゆっくりと頂くのです。例えるなら……シロップを数ミリリットルづつ口に含むような風に。その味はシロップなどとは比べ物にならないほど甘露ですが。

 

「ぁ……! ぁ……! ……っ!」

 

彼は私の脚を激しく抱き締めます。死にたいのに、生きようと助けを求めてしまうのは本能なのでしょう。

 

顔を向けさせ、その表情をじっくりと眺めました。いつの間にか、みっともなくぐちゃぐちゃになった顔を見ながら、命を吸うことが、私のささやかな楽しみになっていました。

 

生殺与奪を握っていると思うと、興奮するのも事実です。

 

「今日はもう、おしまいです」

 

「ぁ、は、はぁーっ……はぁーっ……」

 

「今日もよく頑張りました。ご褒美をあげましょう」

 

彼の手を引き、身体を預けさせました。

 

「フラッシュ、さま……」

 

すぐに私の身体を抱き締め、赤子のように胸に甘えてきます。

 

「いいこ、いいこ……」

 

疲れ果てるほど生気を吸えば、仕事でミスをする。ミスをすれば、彼はストレスを貯める。ストレスを貯めれば、生気が美味しくなる。

 

これを毎日。彼の心が壊れきってしまわないよう、綱渡りのようにアメとムチを調整しています。現実が彼にとっての悪夢のまま囚われてもらいます。

 

唯一の逃げ場のように、私に縋る彼を見て、昏い満足感を味わうのでした。

 

 

 


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