推理の皮を被ったサイコサスペンスがここに登場!!
今作品は作者が学生時代、卒業制作の時に執筆した脚本をこの度小説風にブラッシュアップしました。その為、若干脚本的描写がされている箇所があるかもしれませんが、ご了承下さい。
今回はいつも長編作品ではなく、代わりに短編小説を投稿します。
今作品は私が学生時代の卒業制作に作った脚本を小説風にブラッシュアップした作品となっています。
また、『小説家になろう』でも投稿しており、そちらでは春の推理2023という公式企画にも応募しているので、よろしければそちらでも応援よろしくお願いします。
ジリジリと太陽の光がアスファルトの地面を焼く夏真っ盛り。
和食、中華、洋食、ファーストフード店、カフェなど、多種多様な飲食店が立ち並ぶ繁華街。昼頃になると、いつも行き交う人でごった返す。が、全ての店にシャッターが閉められている。一軒ならまだしも、繁華街に立ち並ぶ全ての店が閉まっているのは異常事態。しかし、不満や文句を言う者は誰もいない。そう、現在この繁華街には文字通り人っ子一人いないのだ。
すると、そこに一台の車が通り掛かる。只の車ではない、それは緊急事態宣言による外出自粛を促す一台の広報カーが放送を流しながら走って来る。車内には、市長である吉田昭弘が乗っている。手には放送用のマイクが握られている。
『吉田市長からのお願いです。現在、緊急事態宣言が発令されています。国民の皆様は不要不急の外出を極力控え、マスクの着用や消毒などを徹底していただきますよう、ぜひともお願いします』
そのまま宣伝カーが繁華街を抜け、交番の前を通り過ぎる。更にその先に古ぼけた外観のアパートが見える。
二階へと上がる階段は木造で野晒し、所々にカビが生え、少し腐っているなど、アパートの古臭さを証明している。
そのすぐ横を電車が物凄い通過音で通り過ぎ、その度にアパート全体が揺れる。
そんなオンボロアパートの二階。201号室に住む就活生の岡本武。全開の窓から差し込んでくる太陽の光がジリジリと肌を焼き付け、額の汗をタオルで拭いながら、机の上に置かれているパソコンと睨めっこしている。画面には『トーロ株式会社エントリーシート』、と表示されている。電気代節約の為に開けているが、数分置きに窓から聞こえる電車の騒音に耐えられず、窓を乱暴に閉め、エアコンのスイッチを入れようとするが、リモコンが反応しない。愕然とする武。
それでも気を取り直して、パソコンと向かい合うと『株式会社ラースドルミ 書類選考のご通知』、というメールが届く。
「来た!!」
緊張から生唾を飲み込み、無意識に鼻息を荒くしながら恐る恐るメールを開く。
2022/07/25
岡本 武 様
株式会社 ラースドルミ
総務部 採用担当
書類選考結果のご通知
拝啓 時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
この度は、弊社の求人にご応募いただきまして、誠にありがとうございました。
さて、今回応募者が多数であったため書類選考をさせていただきましたが、貴殿におかれましては、誠に残念ながら採用を見送りとさせていただきましたのでご通知申し上げます。
重ねまして、ご応募に御礼申し上げますとともに、貴殿の今後のご活躍を祈念いたします。
敬 具
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株式会社 ラースドルミ
総務部 採用担当
〒〇〇〇-〇〇〇〇 東京都✖︎✖︎✖︎区✖︎✖︎✖︎町〇-〇〇
✖︎✖︎第✖︎ビル
tel :〇〇-〇〇〇〇-〇〇〇〇 fax :〇〇-〇〇〇〇-〇〇〇〇
mail :larsdlmi-soumu@larsdlmi.co.jp
URL :https://larsdlmi.jp/
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が、結果は惨敗。悔しさから両手で頭を掻き毟る武。
落ち込んでいると、隣からテレビの音が壁を突き抜ける程の大音量で聞こえて来る。
「またか……」
耳栓やイヤホンで音を紛らわそうとするが、効果は薄い。
「何でこんな事に……」
泣きそうな顔になりながら、じっと壁を見つめる武。
***
それは遡ること一週間前の出来事……。
その日、武は部屋を落ち着きの無い様子で歩き回っていた。携帯電話をチラリと見たかと思えば、すぐに視線を外した。かと思えば、また携帯電話をチラリと見た。事ある毎に携帯電話を確認する。そうしている中、今度は部屋のカレンダーを確認する。そこには一箇所だけ赤ペンで丸印が書き込まれている日があった。更に小さく『株式会社怪幼朝最終面接合否発表』と書かれている。
「まさか忘れられたりしてないよな……」
言い知れぬ不安に押し潰されそうになったその瞬間、携帯電話の着信音が鳴り響く。
慌てて携帯電話を持ち直し、深呼吸して逸る気持ちを落ち着かせ、通話ボタンを押す。
「はい、岡本です」
「株式会社怪幼朝の人事担当の坂上です。この度は、当社の採用選考に応募、ありがとうございました」
「こ、こちらこそありがとうございました」
「それで早速ですが、厳選なる審査の結果……」
緊張から心臓の鼓動がいつもより大きく感じる。瞬きすら忘れ、両目が渇いていく中、全神経を耳に集中させる。
「残念ながら、今回については採用を見送らせて頂く事になりました」
「そ、そうですか……」
「大変残念ですが、岡本様には今後のご活躍を……」
電話の向こうで何かを話しているが、あまりのショックに放心状態となり、それどころじゃない。
適当に相槌を打ち、通話を切る。そして携帯電話を投げ捨て、その場に蹲る。
「くぅ……うぅっ……」
真横を電車が通り、部屋全体が揺れる。
落ち込んでいると、隣から大音量で耳障りなテレビの音が聞こえてくる。それにより、武の怒りがピークに達する。
「うるせぇ!!」
壁を強く叩き、隣の住人に怒りをぶつける。すると音がピタリと止む。
「ふぅ……ふぅ……」
が、また直ぐに鳴り始める。
「なっ!? うるせぇって、言ってんだろが!!」
再度、壁を強く叩き、先程よりも大きな声で怒鳴った。するとまた音がピタリと止む。が、また直ぐに鳴り始める。
武は両手の人差し指で耳を塞ぎながら、鬼の形相で壁を睨み付ける。すると何を思ったのか、靴を履いて外へと飛び出した。
向かった先は勿論、隣の部屋。玄関前に立ち、呼び鈴を鳴らす。が、一向に出て来る気配が無い。何度も呼び鈴を鳴らし、ドアをノックするが効果無し。痺れを切らし、武はその場を離れて階段を降りる。
降りる度にミシミシと軋む音が鳴り響き、今にも壊れそうな階段を駆け降り、次に向かったのは一階の101号室。呼び鈴を鳴らすと、マスクをした大家の石川義夫が顔を見せる。白髪混じりの短髪にマスク越しからでも伝わる深いほうれい線。年相応といった容姿をしている。
「これは岡本さっ、ちょっとマスクはどうしたの!?」
相手が岡本だと分かり、挨拶しようとするも、マスクをしていない事に気が付き、指摘する。
岡本自身も怒りに任せて外に飛び出してしまった為、マスクするのを忘れていた。
「あっ、すみません」
「しょうがないな、これ付けて」
そう言うと石川は武に未開封のマスクを手渡す。
「ありがとうございます」
お礼を述べて、貰ったマスクを着ける。それは顔の下半分を覆い隠してしまう程、充分過ぎる大きさのマスクだった。息苦しさを感じるが、くれた本人の前で外せる訳も無く、我慢する事にした。
「それでどうしました?」
「実は隣の人のテレビが煩くて、どうにかしてくれませんか?」
こうした隣人ドラブルはなるべく本人同士で解決したいが、その当の本人が部屋から出て来ないのでは話にすらならない。そこで武が次に取った行動は、大家である石川に報告する事だった。
「隣……あぁ、確か岡本さんの部屋は201号室……でしたよね?」
「それが何か?」
「いや別に……分かりました」
何やら含みのある言い方に少し気にはなったが、大した事では無いなと考えない様にした。「お願いします」と武は頭を下げ、部屋に戻る。石川はそんな彼の後ろ姿を怪訝な目で見送る。
***
そして現在、未だに鳴り止まない爆音。
「(あれから一週間、一向に収まる気配が無い。大家さんはちゃんと注意してくれたのか?)」
イヤホンの上から枕を覆い、聞こえない様に工夫するが、全く効果が無い。そんな時、最悪のタイミングで隣からの騒音と電車の通過音が重なる。これにはさすがに耐えきれず、部屋を飛び出す。
向かったのは隣の部屋……では無く、大家の部屋……でも無く、近くの交番。中では武と警察官が向かい合って話し合っている。武はこれまでの経緯と被害の詳細を説明した。大家の石川が頼りにならないのなら、もう国家権力に縋るしか道は無いと判断した。しかし……。
「隣人トラブルですか、申し訳ありませんが事件性が無い場合、我々に出来る事はありません」
武が望む返答は得られなかった。だが、これでハイそうですかと引き下がる訳にもいかない。思わず前のめりになる程、興奮した様子で叫ぶ。
「そんな無責任な!?」
「ですので、万が一の時には、もう一度連絡して下さい。その時は迅速に対応させて頂きます」
こうした相談は多いのだろう、言い慣れた定型文の様な言い回しで軽く流す警察官。
「いや、でも……」
それでもどうにかして取り合って貰おうとする武だが、何を言っても警察官に適当にあしらわれてしまうのであった。
そうしてトボトボと帰路に着く武、重い足取りで二階の階段を上る。相変わらずミシミシと、今にも腐って落ちてしまいそうな音を立てる。やがて、自分の部屋の前まで辿り着くと、そこにカラスやネズミの死骸が置かれているのを目にする。
「何だよこれ……うっ!!」
マスク越しからでも臭って来る死臭。思わず顔を背ける。
「いった誰がこんな事……っ!!」
と、言い掛けた所で何かを思い付いた様な表情の武。踵を返し、隣の部屋の前に直行する。着くや否や、呼び鈴を何度も連続で鳴らす。が、一向に隣の住民は姿を現さない。耳を澄ますと、未だにテレビの爆音が鳴り響いている為、居留守だと確信する。
「おい、いい加減にしろ。人に迷惑を掛けてそんなに楽しいか!?」
今度は拳で何度もドアを叩き、不満と文句を並べる。本当なら今すぐにでも警察に被害届け出を出したい。しかし、隣がやったという確たる証拠は無い。また、もし仮に事件に出来たとしても、事情聴取やら何やらで無駄に時間を取られ、せっかくの就活を棒に振りたくは無かった。
「次やったら警察を呼ぶからな!!」
すると、それまで鳴り響いていた騒音が嘘の様に止まった。さすがに警察を呼ばれるのはマズイと向こうも感じたのだろう。脅した後、仕返しと言わんばかりに部屋の前にあったカラスやネズミの死骸を、隣の部屋の前に移してから部屋に戻った。
その夜、とは言ったものの武は壁に耳を当て、騒音による更なる仕返しをされないかと怯えていた。
静かだ。まるで誰もいないみたいだった。やっと隣からの騒音に開放された事にホッとする。
「そうだ、メールとか来てないか?」
落ち着いた所で就活の事を思い出した武。パソコンを開き、メールボックスの『ZOMA株式会社第二次面接のご案内』を確認する。日付は明日、方式はオンラインによるグループ面接と記載されている。
「これがラストチャンスだ」
もう後が無い。これに落ちてしまったら、今年の就職は絶望的だ。失敗は許されない。何度もリモートの動作を確認し、グループ面接のデモンストレーションを繰り返す。一通り終えて、時計を確認すると時刻は既に十二時を回っていた。
「ヤバっ!!」
慌てて床に就こうとする武。が、目を瞑った次の瞬間、騒音がけたたましく鳴り響く。堪らず目を開け、耳栓やイヤホンで紛らわそうとするが、全く効果無し。
「うるさい!!」
壁を叩き返す。すると音がピタリと止む。ホッとし、再び目を瞑る。が、また直ぐに壁が叩き返される。今度はより強く壁を叩き返す。すると再び音がピタリと止む。が、また直ぐに壁が叩き返される。叩き返され、叩き返すというやり取りを永遠と繰り返す。
「頼むから、寝かせてくれぇええええええ!!!」
武の悲痛な叫びも虚しく、壁越しに聞こえてくる隣からの騒音は鳴り止む事は無かった。
朝日が昇る。日の光がアパートを照らす。雀のさえずりが聞こえる中、武の部屋から目覚まし時計の音が聞こえてくる。目覚まし時計を止める武。目の周りには濃い隈が浮き出ている。両手で髪の毛を上に引っ張り、頭皮ごと瞼を持ち上げる。ベッドから立ち上がるが、ふらふらと足が覚束ない。立ち眩みを起こし、思わずその場にしゃがみ込む。それでも何とか洗面台に辿り着き、顔を洗う。
リクルートスーツに着替え、下までビシッと身なりを整えると、パソコンを開き、面接室のURLを開く。
待機室、開始時刻になるまでソワソワ待ち続ける武。
やがて面接室を開くと、画面には武を含む三人の就活生が待機している。面接官 立花翼と表記された女性の姿が画面に映し出される。黒の短髪にシワ一つ無いスーツからは、画面越しからでも伝わる清潔感と面接官特有の威圧感を感じさせる。
「はい、皆さんおはようございます」
「おはようごさいます!!」
面接官に寝不足である事を悟られない様、元気良く挨拶をする。武に続いて、他の就活生達も挨拶する。会話が被らない様、全員が黙るのを待ってから立花が口を開く。
「それではZOMA株式会社第二次面接を始めさせて頂きます。本日、面接を担当させて頂きます立花と申します。よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」、と他の就活生達が挨拶する中、画面を見つめる目がショボショボし始め、瞬きの回数が多くなっていく。何度かあくびが出そうになるのを必死に堪え、涙腺に涙が溜まる一方で、立花による進行が淡々と進んでいく。
「早速ですが皆さんの当社に対する志望動機をお聞かせ下さい。では、安倍さんからお願いします」
「はい、私は御社の……」
他の就活生達が受け答えしている間、じっと待ち続ける武。その時、強烈な睡魔が武に襲い掛かる。瞼が重くなり、油断するとつい眠ってしまい、慌てて起きるが、また直ぐ睡魔に襲われてしまう。その流れが続いてしまい、頭が上下に揺れてしまう。
「ありがとうございます。それでは次、岡本さん、お願いします」
遂に武の番がやって来た。しかし、悲しい事に既に夢うつつと化していた。ウトウトしている武に立花がもう一度声を掛ける。
「岡本さん?」
「…………」
最早、立花の声は武の耳には届いていなかった。立花と他の就活生達は、気持ち良さそうに寝息を立てる武を呆れた様子で見るしかなかった。
「……では先に斉藤さん、お願いします」
「あっ、はい、私は昔から……」
やがて立花は武を起こすのを諦め、他の就活生達に番を回した。次に武が目を覚ました時には、ミーティング終了と表示されているパソコン画面。抜け殻状態の武。
「ああ……あああ……ああああ!!」
言葉にならない叫び声を上げる。机をひっくり返し、そこら辺に転がっているリモコンや本などの小物類をあちこちに投げ捨てる。それでも怒りが収まらず、椅子を掴んで部屋中暴れ回る。その際、壁に強く叩きつけてしまい、小さな穴が空いてしまう。
「やべっ!!」
一瞬で血の気が引き、椅子を放り投げ、慌てて空いた穴を確認する。その時、壁の向こう側で誰かの目と合った。血管が浮き出た血走った赤い目。
「うわぁ!?」
思わず声を上げて、後退りする武。が、すぐさま冷静さを取り戻し、同時に怒りの感情が奥底から湧き上がった。
「全部あいつのせいだ……」
しかし、今までの様に玄関から真正面に向かっても、居留守を使われてしまう。何とかその素顔だけでも見る事が出来れば、幾分か恐怖も和らぐだろう。
「でも何処から行けば……ん?」
武が頭を悩ましていると、丁度真横を電車が横切る。部屋全体が揺れるのと同時に窓のカーテンがたなびき、外のベランダが見えた。
「そうだ、ベランダを渡って行こう」
正気の沙汰とは思えないかもしれない。しかし、彼の精神は既に限界を超えていた。度重なる嫌がらせ、そして今回の面接失敗。それら全ての元凶がこの壁を隔てた先にいると分かっている以上、もう形振り構ってはいられなかった。
室外機のみ置かれている殺風景なベランダ。武はその室外機を踏み台に、手すりから身を乗り出すと隣の部屋へ飛び移ろうとする。
「どんなふざけた顔をしてるか、この目で確かめてやる」
必要なのは踏み出す勇気だけ。呼吸を整え、覚悟を決めた武が飛び移ろうとしたその先で、ベランダに隠れていた隣の住人が突然姿を現し、両手で勢い良く突き飛ばしてくる。
「うっ!!」
その一瞬、相手の顔を確認しようとするが、フードで覆われており、よく分からない。ベランダから落下し、激しく全身を地面に叩き付ける。咄嗟の出来事に受け身が取れなかった。
「いっ……て……」
悶え苦しむ武。何とか立ち上がり、ベランダを見上げるも、そこに隣の住民の姿は無い。すると、その部屋からあの忌々しい騒音が鳴り響く。
「ふざけやがって!!」
堪忍袋の緒が切れた。片足を引きずりながらも、急いでアパートの階段に回り込む。怒りから強く階段を踏む。今まで以上にミシミシと嫌な音が鳴る。壊れないのが不思議な位だ。だが、そんな事はお構い無しに階段を駆け上がり、隣の部屋の呼び鈴を鳴らしまくる。ドアを何度も叩き、ドアノブを回して無理やり入ろうとする。
「開けろ!! 開けろ!! 開けろ!!」
大声で叫ぶ武。遂に扉を蹴破ろうと試み始める。
「俺の人生、めちゃくちゃにしやがって!! 全部、お前のせいだ!!」
騒ぎを聞き付け、他の住民が部屋から出て来る。
「おい、何やってるんだ!?」
「決まってんだろ、文句言ってんだよ!!」
「何でそんな事、してんだよ?」
「この騒音が聞こえないのか!?」
武に言われ、耳を澄ませるが特に何も聞こえなかった。いつの間にか騒音は止んでいた。
「いや、電車の通過音にはいつも悩まされているけど……」
「それ以外の騒音なんて聞こえないぞ」
「はぁ!? お前ら耳がどうかしちまってるんじゃないのか!?」
やがて通行人も、武の奇行に思わず足を止め、携帯電話で撮影する。そんな怪訝な目で見てくる住民達に気が付き、咄嗟に威嚇する武。
「何だお前ら!? あっち行け!! 見世物じゃねぇぞ!!」
武の怒号に野次馬がそそくさと散らばる。そして再びドアを叩いて蹴ってを繰り返す。
「出て来い!! 白黒付けようじゃないか!? ビビってんのか!?」
下手に手を出せば、こっちが怪我させられそうで、誰もどうする事も出来ず、困っていた。そうこうしている内に、大家の石川が武の前にやって来る。
「何の騒ぎですか、これは!?」
「大家さん、丁度良かった!! この部屋の鍵を開けて下さい!!」
大家の石川なら話を聞いてくれる。そんな淡い希望を抱きながら、図々しくも部屋の鍵を開ける様に要求した。
「岡本さん、マスクは?」
しかし、というよりかは当然というべきか、石川の返答は武の望む物では無かった。それどころか、騒ぎ云々よりも、マスクの有無について指摘してきた。
「はぁ!? そんなのどうでもいいだろ!!」
勿論、頭に血が上り、それどころでは無い武。大家相手に横柄な態度を取ってしまう。すると次の瞬間、石川が武の胸ぐらを掴んで壁に追い詰める。
「そんな事だと!?」
突然人が変わったかの様に、声を荒げる石川。
「お前みたいな身勝手で無責任な奴がいるから、いつまで経ってもアフターコロナが収束しないんだ!!」
しかし、武も負けず劣らず激昂する石川に反論する。
「うるせぇ!! 今は隣の話だろ!! 関係ない話するんじゃねぇ!!」
「お前らは害悪だ!! 日本が生んだ膿だ!!」
「何だとクソジジイ!!」
売り言葉に買い言葉、会話がヒートアップした結果、遂には取っ組み合いの喧嘩を始めてしまう二人。その様子を見兼ねた他の住民達が慌てて止めに入る。
「落ち着けって!!」
「大家さんも冷静になって下さい!!」
住民達に取り押さえられながらも、息を荒げて睨み合う二人。やがて落ち着きを取り戻し、気まずい雰囲気になる。
「と、とにかく今度問題を起こしたら出て行って貰う!!」
先に口を開いたのは石川だった。住民達の拘束を振り払い、逃げる様に足早にその場を去って行く。その様子に住民の一人がボソリと言葉を漏らす。
「あんなに怒った大家さん初めて見たな……」
「いい加減、離せよ」
武も、住民達の手を振り払う。隣の部屋のドアを睨む様にじっと見つめるが、周囲からの視線に気が付き、足早に部屋へと戻る。
部屋へと戻った武は、崩れ落ちるかの様にベッドへ倒れ込む。その時、携帯の着信音が鳴り響く。画面には『母』と表示されている。その一文字を目にした瞬間、ぶわっと嫌な汗が顔から吹き出した。出るべきかと数秒悩み、結局出る事にした。
「もしもし?」
「もしもし武、母さんだけど」
「何か用?」
今の現状を知られたくない。知られてしまったら、確実に田舎に連れ戻されてしまう。
「(そしたら、せっかく上京して来た意味が無い)」
母に悟られない様、毅然とした態度を振る舞おうとする。
「元気にしてる?」
「いや、まぁ、ぼちぼち……」
「ん? 何だか疲れてそうな声だけど、本当に大丈夫?」
「えっ、そんな事無いよ!! だ、大丈夫だよ、心配しないで」
さすがは母親だろうか。少しの会話で息子の健康状態を見抜かれてしまった。しかし、ここで認めてしまっては元も子もない。無理矢理にでも空元気を出して、平気なフリを続ける。
「それなら良いけど……今、就活で何かと忙しいと思うけど、あんまり詰め込み過ぎないでね。困った事があったら相談に乗るから……」
母の優しさが疲れてボロボロな心に染み渡る。今すぐにでも真実を言って楽になりたい。この苦痛から一刻も早く開放されたい。
「……母さん、俺……」
「なーんて、確り者の武なら大丈夫よね」
うっかり弱音を吐きそうになってしまった。武はグッと泣きそうなのを堪え、震え声を押し殺す。
「あ、当たり前だろ。就活だって順調だよ」
「それを聞いて安心した。落ち着いたら、こっちに顔を見せに来てね。立派になった武の姿を拝みたいわ」
「うん、楽しみに待っててよ……」
項垂れながら通話を切る。母の優しさが鎖となって自由を奪い、母の期待が重くのしかかる。そんな武に無情にも、隣から騒音がけたたましく聞こえて来る。何も出来ない。誰も助けてくれない。武は怯えた様子で布団に包まる。
「止めてくれ……止めてくれ……止めてくれ……止めてくれ……」
人差し指を耳に突っ込み、懇願する武。延々と言い続けるが、音は鳴り止まない。耐えきれず、再び直談判しようとベッドから起き上がる。しかし途中でその足を止める。武の脳裏に石川の言葉が呼び起こされる。
「今度問題を起こしたら、出て行って貰うからね!!」
こんなボロアパートでさえ節約して何とか生活出来ているレベルなのに、ここを追い出されてしまったら外でのたれ死んでしまう。もうどうする事も出来ないと、項垂れてその場に立ち尽くす事しか出来なかった。
***
あれからどの位の時間が過ぎたのだろうか。毎日……毎日……毎日……隣の壁から騒音が鳴り響く中、太陽と月が何回か顔を出しては沈んでいく。
次第に部屋も荒れ果てていき、枕がビリビリに引き裂かれ、床にはゴミ袋と壊れたパソコン、栄養ドリンクなどが転がっている。今尚、武は布団に包まりガタガタと震えている。真横を電車が通り、部屋全体が揺れる。人差し指で耳を塞ぐが、電車と隣からの騒音が頭に響き渡る。アパートの真横を電車が通り過ぎると、隣からの騒音が止む。
再び電車が通ると。隣からの騒音が再開する。止んで、再開を繰り返す。
「もういっそ殺してくれ……」
そのあまりの辛さに武は思わず涙を流す。
「ゴミ出し……行かなきゃ……」
しかし、それでも人間は生きなければならない。少なくとも、こんな汚部屋ではまともな生活を送る事は困難であろう。運良く今日はゴミ出しの日。ちょっとでも部屋を清潔に保つ為、武はゴミ袋を片手に外へと出る。
ゴミ置き場では住民達がゴミを出していく中、キチンと分別されているかどうか、確認する石川がいた。そこにゴミ袋を持った武が現れる。
「おはようございます……」
取っ組み合いの喧嘩をして以来、顔を合わせていなかった。少し恥ずかしい気持ちもあるが、勇気を持って声を掛けた。
「岡本さん……」
石川は驚きを隠せなかった。久し振りに会った武の体はガリガリに痩せ細っており、何日も風呂に入っていないのか、髪の毛もボサボサだった。更に何日も寝ていないのだろう、目が充血している。
「その……何だ……この間はすまなかったね。つい、カッとなってしまって……」
異様な姿へと変わってしまった武に対して、頭を掻いて気まずそうにしながらも冷静に謝罪する石川。
「いえ、俺も頭に血が上ってて……」
武の方も謝罪する気力はまだ残っていた。互いに非を認め合う形で落ち着いた。
「……」
「……」
が、やはりそれでもこの気不味い雰囲気が簡単に取り除かれる訳では無かった。どうにかこの状況を打開出来ないものかと石川が思案を巡らせる中、ふいに口を開く武。
「大家さん、お願いです。もう一度、隣の住民に静かにして貰える様、注意してくれませんか?」
それは武にとって、最後の懇願であった。もし、これを断られてしまったら……。
「岡本さん、前にも言ったが……」
「このままじゃ、おかしくなってしまう!! 毎日、朝昼晩、永遠に続く騒音!! お願いします!!」
涙を浮かべ、石川の足に縋り付く。そんな哀れとも言える武の姿をじっと見つめ、深い溜め息を漏らす。
「付いて来て下さい」
そう言うと石川は、二階へ行こうと歩き出す。
「え?」
「口で説明するよりも、実際に目にした方が早いと思うから」
ふらふらと武は石川の後に付いて行く。階段をミシミシと鳴らしながら上り、二階の例の部屋の前まで行く。石川はポケットから合鍵を取り出してドアノブに差し込む。ガチャリと音を立て、鍵を開ける。
「ほら、自分の目で確かめるといい」
扉を開けて、中へと促す石川。恐る恐る足を踏み入れる。遂に隣の住民が誰なのか分かる……そう思っていたのだが、そこには何にも無い空間が広がっている。住民は勿論、家具などの類も一切置いていない。そんな空っぽな部屋の中を見回す武。いったい何がどうなっているのか混乱していると、石川が後から入って来る。
「これはいったい?」
「見た通り、空き部屋だ」
信じられない言葉を耳にした。何を言っているのか、理解するまで数十秒掛かった。
「空き部屋……?」
「この部屋は何年も前から空室だよ」
「そんな、嘘だ!! ありえない!! だって、だって俺は聞いたんだ!! この耳で音がするのを!!」
そう言って自分の部屋がある壁を叩いて見せる。あの出来事が全部妄想だと言われているのだ。認められる訳がない。いや、認めたくなかった。自然と呼吸が荒くなる。
「そうは言ってもね、事実なんだ」
「そうだ、死骸!! 先日、隣の住民からネズミやカラスの死骸を部屋の前に置かれたんです!!」
まだ、武には切り札があった。例え、騒音自体が妄想だったとしてもさすがにネズミやカラスの死骸まで妄想で片付けられる筈が無い。きっとそこに犯人の手掛かりが残されていると信じていた。
「……」
そんな武の想いを裏切るかの様に、石川はポケットから二枚のレシートを取り出し、武に手渡す。そこに書かれた品名は、冷凍マウスと剥製のカラス。
「これは……?」
「あんたのゴミ袋から見つけた」
「そんなまさか!? 俺が!? 嘘だ!! こんなの全部デタラメだ!!」
唯一の希望だと思っていた出来事が、武の妄想だと決定付ける証拠となってしまった。それでも頑なに信じない武。レシートをビリビリに破く。そんな武を引いた目で見る石川。
「こんな事を言うのもあれだが……一度、病院で診て貰ったらどうだ? その、妄想に取り憑かれている様だから……」
「病院? どうして病院に行く必要があるんですか!? 俺は正常だ!! 俺は正常だ!! 俺は正常だ!!」
そう言って、同じ言葉を何度も繰り返す。何度も……何度も……何度も……。
***
結局、一連の騒動は全て武の妄想という形で決着が付いた。しかし当の本人は荒れた部屋の中、一人自問自答を繰り返していた。
「妄想なんかじゃない。妄想なんかじゃない。俺は正常だ」
その時、突如として足元に無数のゴミ袋が広がり始めた。中には、解凍されて腐ったマウスやカラスの剥製が入っている。それを見て、慌てて後退りする武。その瞬間、武に目掛けて迫って来る半透明の電車。慌てて避けようするが間に合わない。
「……っ!?」
ぶつかる。と、思った次の瞬間、半透明な電車は武の体をすり抜けた。そして気が付くと足元にあった無数のゴミ袋や、半透明な電車は消えていた。全て武が見た幻だった。
「全部、俺の妄想だった? そんな……そんな……」
受け入れ難い事実に泣き崩れる武。すると、隣から壁を叩く音とテレビの音が聞こえて来る。
「違う……あれは幻聴なんだ。隣は空き部屋だったじゃないか!! あれは幻聴なんだ!!」
頭を叩いて、自分に言い聞かせる。が、騒音はどんどん激しさを増す。加えて、迷惑そうな顔をする通行人と怪訝な目で見つめる住民達、そして遂には不敵な笑みを浮かべる石川が脳裏に浮かぶ。
「止めろ……そんな目で俺を見るな……」
自分以外誰もいない部屋で手を振り回し、何かを払おうとする。丁度その時、携帯から着信音が鳴る。画面にはエントリーしたトーロ株式会社の文字が表示されており、武は最後の気力を振り絞って携帯電話を手に取る。
「……もしもし」
「私、トーロ株式会社人事課の荻野と申します。こちらは岡本武さんのお電話でしょうか?」
「そうですけど……」
「先日の最終面接の結果ですが、無事通過した事をご連絡させて頂きました」
「はぁ……」
念願の内定に反応の薄い武。
「つきましては、入社後の流れを確認したいのでご都合が良い日を……」
直後、何の脈略も無く笑い出す武。
「あはは、あははははは!!」
「岡本さん?」
「誰が騙されるか!! どうせこれも幻聴かなんかなんだろ!?」
「何の話ですか?」
「耳障りなんだよ、消えろ!!」
最早、何も信じられない。武は怒りに任せて携帯電話を投げ捨てる。携帯から微かに荻野の声が漏れる。が、少ししたら切れてしまった。
「そうだ……これは陰謀だ。俺を就職させまいとする大家の妨害工作だったんだ!! つまり隣の住民の正体は大家!! あいつなら合鍵でどの部屋だって素通りじゃないか!? 全部俺の妄想に仕立て上げるつもりだったんだ!!」
妄想は被害妄想へと姿を変え、石川が犯人だと言い始めた。また、電車が通り過ぎると、隣からの騒音も止む。
「思い返せば、騒音がしたのは決まって電車が通るタイミングだった、他の住民は電車の通過音に紛れて聞こえないかもしれないが、壁を隔てた隣の俺だけにはハッキリ…心をズタズタにするこの騒音が、もしそうなら電車が通る時、一階は不在の筈……」
どんどんエスカレートしていく。ここまで被害妄想を拗らせれば、ある種の推理とも呼べるのかもしれない。憶測だらけのとんでも推理ではあるが……。そうこうしている内に真横を電車が通り、同時に隣からの騒音が聞こえ始める。
「こうしちゃいられない!!」
自身の妄想を信じ、急いで部屋を後にする。鼻息を荒くしながら、階段を駆け降りる。何度聞いたか分からないミシミシと軋む音を無視して、石川の部屋の前まで辿り着くと、ゆっくりドアノブを捻る。なんと、鍵が開いている。疑惑が確信に変わり、無断で部屋の中に突入する武。
部屋は電気が付いておらず、大量の段ボール箱が置かれている。ダンボールの中にはマスクが詰められており、それに負けない位、至る所にアルコール消毒の入った霧吹きが並べられている。四方の壁に打ち付けられたコルクボードには、コロナに関する新聞の切り抜きが、隙間無く張り巡らされている。部屋の一番奥には、妻らしき女性と息子らしき若い男性が石川と一緒に笑顔で写っている写真が飾られ、手前には花が添えられている。
更に奥へと進むと、花の横に衣服が丁寧に折り畳まれて置かれている。何となく手に取り、広げて見る。それはあろう事か、武がベランダで遭遇した、隣の住民が着ていたフードと全く同じ物である。
「やっぱり……大家が……っ!!?」
まさかの被害妄想が真実を解き明かしてしまった瞬間である。武が証拠のフードを握り締めて驚愕していると、その背後で金属バットを振り上げる人影に気が付いた。振り下ろされる金属バットを紙一重で避ける武。
「大家さん、どうして……」
そこに立っていたのは大家の石川本人であった。それまで見せていた人当たりの良い雰囲気から一変して、暗く冷たい眼差しをしていた。武からすれば偶然とはいえ、犯人を言い当てた喜びがある反面、純粋な疑問も生まれていた。そう、動機だ。そしてどうやら、その問い掛けに石川は答えるつもりらしい。徐に飾られている家族の写真を手に取る。
「……苦労して掴み取った大学合格。息子は怠けず、毎日一生懸命に大学生活に取り組んでいた。その姿を見て、私も亡くなった妻も誇らしかった。だが、そんなあの子の努力も虚しく、卒業する前に新型コロナウイルスに感染し、亡くなってしまった」
突如、雷が鳴り響く。外では雨が降り出した様だ。大量の雨粒が窓に叩きつけられる。
「だけどそれは……」
「あぁ、予期せぬ悲劇だ。悲しいが、運が悪かったと思うしかなかった……感染原因を聞かされるまではな」
石川は金属バットで段ボール箱を殴る。中のマスクが外に溢れ出る。
「若者達によるノーマスクでの路上飲み会。人一倍正義感の強いあの子は注意した。癪に触ったそいつらに掴み掛かられ、その時、飛沫感染をした」
今度は近くにあったアルコール消毒を何度も手に吹き掛け、びちゃびちゃになった両手によく馴染ませる。
「それなのに、原因となった若者達は完治、罪にも問われず、何事も無かった様に就職した」
長々と動機を語る石川、その隙に逃げようとする武。それに気が付いた石川は、武目掛けて金属バットを振り下ろす。その攻撃をギリギリの所で避ける。
「だから祐介に代わり、私がお前らの様な無責任な就活生に、この上ない恐怖と絶望を与え、復讐してやる事にした!!」
向かい合う武と石川。
「……食らえ!!」
「がっ!!?」
咄嗟の機転で近くにあったアルコールスプレーを石川の顔に吹き付け、怯ませる。その隙に全力で逃げる武。
「逃すか!!」
顔を拭い、慌てて後を追い掛ける石川。
雨が激しさを増す。部屋から勢い良く飛び出す武。しかし、これからどうするべきなのか、何も考えていない。
「どうしたら……交番!!」
考え抜いた末、導き出したのはシンプルな回答。だが、こんな状況だからこそ最適解とも言える。武は一直線に交番へと向かう。
常夜灯も無い暗闇の中、ずぶ濡れになりながら交番に駆け込む武。息を切らしながらも、必死に訴える。
「助けて下さい!! 殺されそうなんです!! 助けて下さい!!」
武の呼び掛けに対して、返事は返って来ない。異様な様子に疑問を抱きながらも、再度呼び掛ける。
「すみません!! 誰かいませんか!?」
その時、暗闇の中、うごめく人影を発見する。思わず笑みが溢れ、側に駆け寄る。
「あ、あの!! 助けて下さい!! 殺されそうなんです!! そこのアパートの大家がバットで俺を……」
次の瞬間、落雷で一瞬だけ辺りが明るくなる。そこに立っていたのは、なんと先回りしていた石川であった。
「残念、パトロール中だ」
そう言って、机の上に置いてあったパトロール中という置き札を見せ付ける。
「うわぁあああああ!!」
恐怖のあまり叫び声を上げて、尻餅を付く武。ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべ、ゆっくりと近づいて来る石川から慌てて逃げる。
土砂降りの中、急いで階段を上ろうとして、足を滑らせてしまい、転びそうになるも、何とか持ち堪え、自分の部屋へと駆け込み、そこら辺にあった家具で扉を塞ぐ。数秒遅れて石川が追い掛けて来るが、合鍵を差し込んで開けようとするも、中に入る事が出来ない。
「くそっ!!」
一方、荒れた部屋の中で必死に携帯電話を探す武。重なったゴミ袋の底から、埋もれた携帯電話を見つける。
「あった!!」
急いで警察に電話する。
「こちら110番、どうされましたか?」
「た、助けて下さい!! 襲われているんです!!」
「落ち着いて下さい。詳しい状況を教えて下さい」
「だから!! 隣の住民だと思ってたのが大家で!! 大家は息子をコロナで亡くして、その原因が若者にあるって事で、俺を殺そうと……」
こんな状況で落ち着ける訳が無いだろう。と、パニックになりながらも、必死に警察に教えようとしていると、隣の壁が強く叩かれる。
「うわぁ!!?」
「どうされました!!?」
今まで聞こえていた物とは比べ物にならない程、大きな音が響き渡った。恐る恐る以前空いていた壁の穴から隣を覗くと、石川が金属バットで壁を破壊しようとしていた。
「殺される!!」
「今、何処ですか!!?」
「二丁目の夕焼けアパートです!!」
「近くで巡回中の者をすぐに向かわせます!!」
そう言うと警察との通話が切れる。
「もしもし!? もしもし!!」
壁に金属バットが当たる度、空いた穴が少しずつ大きくなっていく。雨が止み、電車の通過音も無く、いつの間にか静かになっていた為、その音だけが異様に響く。石川が大きくなった穴から武の様子を窺う。護身用に台所から包丁を取り出す武。壁が崩れる瞬間を狙い、向こう側から見えぬ様、死角で包丁を構える。少しずつ穴が大きくなる。緊張と異常な喉の渇きから、唾を飲み込む。やがて、壁が音を立てて崩れ落ちる。壁の一部が飛び散り、表の窓ガラスを突き破る。室内だけに響いていた騒音がそのタイミングで外へと漏れ出す。石川が部屋に入ったその瞬間、包丁を振り下ろす武。
が、あっさりと避けられて金属バットで弾き落とされてしまう。急いで包丁を拾おうとするも、石川が遠くに蹴飛ばす。
「あぁ!!」
「無駄な足掻きを……」
腰が抜け、立ち上がれない武。必死で後退りする武に近付き、石川は金属バットを振り上げる。
「これで終わりだ」
もうダメだと思われたその瞬間、フラッシュが焚かれる。
「「!?」」
一瞬、何が起こったのか分からなかった。すると再び、フラッシュが焚かれる。振り向くとそこには騒音を聞きつけ、割れた窓ガラス越しから携帯電話で撮影するアパートの住民達が立っていた。
「っ!?」
石川は慌てて部屋を飛び出す。
石川が部屋を飛び出すと、アパートの住民達が待ち構えている。
「大家さん、何かあったんですか?」
「いや、これは違うんだ!!」
「何がどう違うんですか!?」
「それはえっと……」
弁論する言葉を探そうとするも見つからない。その間にも、住民達からの質問攻めは止まらない。
「さっき岡本さんにバッドを振り下ろそうとしてましたよね?」
「そんな事していない、酷い誤解だ!!」
やっとそれらしい言葉を見つけるが、弁論の言葉としては勿論、言い訳としてもあまりに弱い。遂には怪訝な目で石川を見つめ始める住民達。すると……。
「……陰謀だ、これは陰謀だ!! お前ら、あいつとグルだったな!?」
今度は石川の方が被害妄想に取り憑かれてしまった。血管が浮き出た血走った目で住民達を睨み付ける。
「いったい何の事……」
「来るな!! 来るんじゃない!! 俺の側に近寄るな!!」
近づいて来る住民達から離れる様に金属バットで振り払いながら後ろに下がり、一階に降りようとしたその時、遂にミシミシという音を立てていた古ぼけた階段の板を踏み抜き、階段から転げ落ちてしまう。そして打ち所が悪く、頭から大量の血を流す。遠くからパトカーのサイレンが聞こえて来る。
***
あれから一ヶ月後、武は小綺麗なマンションの前に立っていた。バッグ片手に身軽な格好で、下からマンションを見上げる。
「(アパートは引き払った。代わりに今日からこのマンションに引っ越した。親のスネに感謝しないとな)」
マンションの入り口を通り、エレベーターに乗り込む。
「(事件になってしまった以上、両親にはこれまでの事をちゃんと説明した。てっきり田舎に連れ戻されると思ったけど、そこは寛容なウチの両親。都内にいる事を許してくれた)」
やがて自分の住まう階層に着き、エレベーターを出ると部屋まで歩く。ドアを開けて部屋に入る武。部屋には既に荷物が運び込まれており、段ボール箱が積み重なっている。
「(結局、就職は出来なかったが、諦めた訳じゃない。来年こそ、就職して見せる。この静かな環境で)」
部屋に入るとマスクを外し、リュックを放り投げると、その場で横になる。
「けど、今だけは束の間の休息を味わおうかな」
目を瞑り、眠ろうとする武。すると隣の壁から騒がしいテレビ音と家族の賑やかな笑い声が聞こえて来る。
目を開ける武。
「うるさいな……」
そして武は、壁の前に立ち、拳を振り上げる。
如何だったでしょうか。
人の精神が如何に脆いものか、痛感させられる内容だったのではないでしょうか。
今後も、こうした短編をふとしたタイミングで投稿するかもしれませんので、どうぞお楽しみに!!
現在、投稿中の長編シリーズも応援よろしくお願いします。