レースっていうのはウマ娘にとってある意味神聖視されているものである。
実際大昔にはその年の運勢を占う儀式としてだったり神事としてのレースが行われていたりもした。今でも流鏑メだったりウマ娘が主体となる神事は伝統として残っていたりする。
やっている側はそんな事考えはしないけれど、観ている側はレースに対してそういう思いを無意識のうちに持っているのだ。
それを知ってかしらずか、当人たちの望むか望まないかは別で模擬レースはいつしか神格化されたレースに変わっていた。
「そんじゃあ解説のウォッカ、注目は誰か教えてくれよ」
ゴールドシップ先輩が振ってきた。マイク、これいいのかな?入学早々にこんなことしてたら絶対目立つよな。別に目立ってナンボなところだけれどよ。
「いや解説じゃ……ああまあそうですね、戦績で言えばトウショウトドロキ先輩と会長ですかね。トゥインクル時代と変わらない脚の鍛え方してるようですし、多分あんまり衰えとかないんじゃないかな」
ウマ娘はピークが過ぎればそれ以降は緩やかにその実力を低下させていく。そうなればほとんどはトゥインクルシリーズを降りてドリームリーグに行くか完全にレースからは引退する。
例に漏れず2人とも既にドリームリーグに登録している。
しかしスタート位置に並んだ2人からはそんな老兵じみた感覚は出てこない。
むしろ現役なんじゃないか?
「ほーん?やっぱりあの2人が本命ってわけか」
「でも2人に勝ってるスズマッハ先輩もいますしシリウスシンボリ先輩は海外の開拓者ですし技術面で言えばあの2人も全然あり得るっすよ。あとはラモーヌ先輩とか……なんかオーラ出てますけど」
1人だけなんだよなあ、辺な紫とも青とも言い難い揺らめきが出ているの。トドロキ先輩も会長もそんなの出てないぞ。
「あんたも見える口か」
「え、?」
あれって全員に見えるものじゃないんっすか?
「始まるぞ」
位置について。
スタートの合図が聞こえた。騒がしかった会場が一斉に静かになった。走り始めるまでのこの一瞬。旗を持ったリギルのトレーナーさんに視線が集中する。このもどかしく、時間が引き延ばされる感覚。紛れもないレースの成せるものだ。
ヨーイ、ドン!!
スタートした。走り出しは全員互角だ。G1最前線で戦っていた人達だから驚くほど綺麗なスタートだ。多分踏み出しは全員同じタイミングじゃないかな。
トドロキ先輩だけが少し後ろに下がった。
逆に前に出たのはシリウス先輩だった。その後ろにラモーヌ先輩。200m地点。全体のバ群が整い出した。
「200m通過だ」
「前からシリウス先輩、ラモーヌ先輩。その後ろ4バ身開けてグランエルセニョールさんとチーフシンガーさんミスターシービー先輩が中団を形成。やや後ろ、会長。最後尾がトドロキ先輩とスズマッハ先輩っすね」
順位の上下が落ち着いた。2400mだと最後の500mくらいが勝負の仕掛けるタイミング。レースが大きく動くのはその辺りかな。
「仕掛けるまでは大体この位置固定だな」
「かなりハイペースですね。これは先頭だけじゃなくて後ろも厳しくなるんじゃないかな?」
全体の速度がかなり上がっている。多分トドロキ先輩かスズマッハ先輩のせいだ。後ろが300mを超えても追い上げるから全体の速度感覚が乱れる。全体が乱れたら収拾がつかなくなる。
「トドロキと会長はレースを荒らすのが得意なトリックスタータイプだ。そうなるさ」
「でもあそこの全員相当な実力者っすよね?そんな簡単にはいかないと思いますけど」
「だからこそあれで済んでるんだよ」
ええ……確かにトドロキ先輩も会長もレースでの暴れっぷりはすごいけど、あれで押さえ込まれているのか。
確かにシリウス先輩もラモーヌ先輩も速度を抑えようとしている。中団も後ろからの圧力を受け流そうとしている。
コーナーを回って俺らの前を駆け抜けていった。羽上げられた芝が舞い上がり、一瞬だけ緑色のカーテンが敷かれたように見える。
真剣な表情と嬉しさが混じった表情が見え隠れする。
あ、会長とトドロキ先輩が歩幅を変えた。
「もうすぐ1000m通過。足音が変わったな?」
「会長とトドロキ先輩が歩幅を広げたっすね。走りとしてはシービー先輩と同じ感じになってます」
歩調も合わせているっすね。あれは足音が完全に隠れる。
ウマ娘は走っている合間は恐ろしいほど視野狭窄に陥る。というかそうしないと時速60キロ近い速度を出しながらコンマ数秒先の進路の情報を得ることが出来ないからだ。だけど周囲の情報は確実に得る必要があって、ほとんどそういう場合に足音を聞き分けることで対応する。
だから音を隠すというのは有効な手段でもあり、そしてとてつもなく難しい技術なのだ。
指紋のように走る癖は人それぞれ。それを相手に同調させて消し去るのは並大抵の技術ではない。しかもそれでいて体力も速度も必要以上に消耗しないとなれば変幻自在のトリックスターだ。
「さあレースも面白くなってきた!!折り返し地点を通過して後半戦突入だ」
バ群全体はまだ動かない。中団が少し順位が入れ替わるけれど距離が狭まっているからコーナーの位置どりで少し前に出たりするだけだ。
直線に入って後ろが少しだけ動き出した。
「スズマッハ先輩がペースを上げたっすね」
後ろと中団の合間は会長を挟んで1バ身だ。そこから先頭を狙うとなるとスパート前までに距離を詰めておかないと厳しくなるはずだ。
「もうすぐ残り900m!!お!!中団がスパートをかけたぞ!3人揃ってロングスパートだ!」
「早すぎる気がするけどシリウス先輩を捉えたいんでしょうね」
それとイギリスから来た2人は体力にものを言わせるつもりなんだろう。体格も他と違って大柄だしパワー勝負になったら確実にあの2人が有利だ。
その2人を風除けにしてシービー先輩も上がっていく。
「トドロキが仕掛けた!合わせてルドルフとスズマッハも加速していく!」
トドロキ先輩が数秒早く前に出た。それに追従してルドルフ先輩とスズマッハ先輩が加速する。あ、シリウス先輩が減速した。入れ替わるように後ろにいたラモーヌ先輩が前に出た。
「でも逃げ切るには長すぎる。あれは追いつかれる」
「ほう、分かるのか」
「直感ですけどね」
先行…というより逃げの走りはスパートをかけられない。先頭を走り続ける代償は最後のスパートにのしかかってくる。
再び目の前を通過する。
歓声が大きくなった。残り300m。
ゴールドシップ先輩が何かを言っていたけれど、俺はもう景色に夢中だった。
トドロキ先輩が外から全員を捲って前に出た。
だけどそれはほんの一瞬で、グランエルセニョールさんが並んだ。
ラモーヌ先輩も抜かされたけど会長が並んできたのを見て再加速した。逆にスズマッハ先輩は競り合いきれなくて前に出れなかった。
ゴールまで100m。
速度は完全に頭打ち。ほぼ4人の一騎打ち。
ちょっとだけ前に出たり抜き返したりの応酬だ。
あれを制して抜け出るのは誰か。
後ろから全員が上がってきた。でも間に合わない。
残り10m、バ群に差がない状態になった。誰だ、誰が速いんだ。
並んだままゴールラインを通過していった。
「うわーー!団子になったままゴールだ!」
「先頭と最後尾の時間差が0.4秒内に収まっちゃってる!」
着順がほとんどわからない。
並んで横一直線じゃないから多少の前後差はあるけれどここまで大接戦だと訳がわからない。
見えたところだとほぼ同着の会長とトドロキ先輩、グランエルセニョールさん。数センチ差でラモーヌ先輩。
その後ろはシリウスさんとスズマッハさんが並んでるところまでは見えた。
歓声が鳴り止んだ。でも誰が勝ったのか、その疑問がいろんなところで飛び交い始めた。ただ静かなのはレースを走り抜けた8人だ。勝ち負けなど関係ないと言わんばかりに和気藹々としている。
「写真判定するしかねえか」
「できるんですか?」
ゴールドシップ先輩が立ち上がった。そのまま早足で歩き出す。
「あそこのカメラクルーの映像を使うんだよ」
ゴールドシップ先輩曰くちょうどゴールの位置で撮影していたカメラがあったらしい。レースに夢中でそこまで見ていなかった。
映像はすんなり手に入った。だけどなかなか分からない。
「わ…わかんねえ、ハナさんどう見える?」
「これは難題ね、専門家に見てもらわないと無理よ」
リギルのトレーナーさんとスピカのトレーナーさんも頭を抱えていた。
先頭の3人以外はなんとかわかった。
だけど肝心の1着は分からないままだった。
「えー!トレ公、このままだと見にきた人達全員納得しねーぜ」
「そうは言っても無理だろ」
「本当に無理ね、もう3人同着で良いんじゃないかしら」
ふとコースに目を向けると、3人が談笑していた。
あの3人の中ではもう決着はついているみたいだ。
でも結果は聞かない方がいいかな。きっとあのレースには勝ち負けはないのかもしれない。なんか、そんな感じがした。
「ところでこれウィニングライブするのか?」
「我の招待状には舞踏会までは含まれていないが」
「模擬レースとはいえここまで大々的になったんだ。やらなければ締まりが悪いな」
「音源がうまぴょい伝説しかないらしいけど」
「「「え?」」」
もちろん踊った。