フー君が思春期の青い衝動に振り回される話   作:kish

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よくよく考えれば原作の一番最初で五月エンドは否定されてたという。


五羽鶴の恩返し~おや!? 五女の様子が……!~

 

 

 

 早朝、らいはが起きてくる前に俺の朝は始まる。

 親父の手引きによって始めた日課を行うためだ。

 音を立てないように布団を出て、本棚から一際背の高いハードカバーの本を取り出す。

 前々からあったものだが、つい先日までは触れることのなかったものだ。

 というのも、本の持ち主である親父にそう厳命されていたからだ。

 曰く、俺の青春の一ページ、だとか。

 言われた当初は何のことだかさっぱりだったが、今ならわかる。

 これは間違いなく親父の青春を支えてきたアイテムなのだと。

 カバーの装飾は厳めしく、タイトルはギリシャ文字――さすがに読めなかった。

 あの親父がこんな本を所有していることに疑問を覚えるほどミスマッチだが、重要なのはその中身だ。

 トイレに入り施錠をして便座のフタを開けずにそのまま座り込む。

 そして本を開き、その中身を取り出す。

 そう、この本は読むための本ではなく、中に隠しておきたいものを収納しておくためのものなのだ。

 表紙以外のページが四角くくり抜かれており、そこにものを入れて保管しておくという寸法だ。

 渡してきたときの態度からして、親父も俺と同じ用途に使っていたことは察せられた。

 即ち、エロ本の隠し場所だ。

 この家は狭く、そもそも個室という概念すらない。

 そんな中でいかがわしいブツを置いておけば、たとえ他の本に紛れ込まれさせていたとしても遅かれ早かれらいはの目につくのは必定だ。

 そうなれば俺の兄としての威厳は失墜し、らいはからの信頼も損なわれてしまうだろう。

 買ったはいいが収納場所に窮した俺に、親父はこのハードカバーを渡してきた。

 こんなことで実感するのはどうかと思うが、親父は確かに人生の先輩なのだ。

 正直言って複雑だが、感謝と尊敬の念を込めつつ、俺は俺自身を抜き放った。

 

「よし、イクぜ」

 

 

 

 

 

「上杉君、この問題なのですが」

「ああ、見せてみろ」

 

 五月が差し出したプリントを風太郎が覗き込む。

 放課後の勉強会においてよく見られる光景だ。

 五つ子の中で一際勉強への意欲がある五月は、こうして風太郎に質問する機会が多い。

 それは、姉妹の中で一番風太郎の顔を間近で見る機会に恵まれているということだ。

 

(目の隈がすごいですね……)

 

 自分たちに勉強を教え、アルバイトをこなし、そして自分の勉強も欠かさない。

 かかる負担は尋常なものではないだろう。

 睡眠時間を削っていることは想像するに難くない。

 それでも授業は真面目に受けているし、昼休みは問題集にかじりついて、放課後は家庭教師の仕事をこなしている。

 ただでさえ体力が劣る風太郎は、まさに意志の力で立っているといっても過言ではない。

 

(……本音を言えば、ここまで無理している彼を休ませてあげたい)

 

 義理の父親や武田の言葉が五月の頭を過ぎる。

 自分たちは重荷なのだと、解放してあげるべきなのだと。

 

(でも、私は――)

 

 この関係を手放したくない、みんなで歩んでいきたい。

 風太郎と自分たちは、パートナーなのだから。

 

「おい、聞いてるのか?」

「え、あ……な、なんでしょうか?」

「まったく、質問してきたのはお前なんだぞ」

 

 呆れたようにため息をつく風太郎を、五月はプリントに顔を向けたまま横目で伺う。

 それはもう一つの懸念事項の確認でもある。

 最近、風太郎の様子がおかしい。

 これは五月だけではなく、姉妹のだれもが感じていることだ。

 温泉での一件の後あたりだろうか、こちらを避けるようになったのだ。

 避けるとは言っても勉強会はきちんとこなしている――先日のように全くダメなパターンは珍しい。

 風太郎といえばノーデリカシーというのは姉妹共通の認識だが、その原因の一つに距離の詰め方がある。

 そのデリケートな問題にもズンズンと踏み込んでくるやり方は、顰蹙を買うのと同時にいくつかの問題の解決に寄与もしていた。

 普段の行動に当てはめるのなら、頭に手を置くなどの軽いスキンシップを何の気もなしにやってのける、といったところか。

 そんな風太郎が五月たちが近づいたら少し距離を取り、目が合おうものならただちに逸らすようになったのだ。

 それはまるで、異性を意識したかのような行動で――中野姉妹を女子として見ていない節すらあったというのに。

 

(やはり、温泉でなにかあったとしか思えません)

 

 気になるし心配でもあるが、五月は結局どうなってほしいのかが分からない。

 以前のようなデリカシーの無い態度は改めるべきだと常々思っていた。

 かといって今のように距離を取られては寂しい気持ちがある。

 パートナーという言葉の内実は判然としないが、そこには共に積み上げてきた時間があるはずなのだ。

 

(それに、このままでは三玖と四葉が……)

 

 五月は風太郎に想いを寄せているであろう二人のことを考える。

 自分よりも悲しい思いをしているのかもしれない、と。

 

「こらっ」

「あうっ」

「またよそ見しやがって。調子が悪いなら休め……ぶっ倒れたら元も子もないぞ」

「すみません……あれ、今チョップしましたか?」

「もうちょっと軽い音がすると思ったが、案外頭の中身は詰まってそうだな」

「なっ……!」

 

 大声をあげそうになるが、すんでのところで抑える。

 図書室で騒ぐのは迷惑になってしまうからだ。

 無言でチョップされた頭をさすって風太郎を睨みつける。

 一連の言動はノーデリカシーの名をほしいままにするいつもの風太郎だった。

 

(まったく……心配して損しました!)

 

 プリプリと怒りながらプリントに向き直ると、問題の図に数か所書き加えられた跡があった。

 風太郎が残した問題を解くための手引きだ。

 五月はそれを参考にペンを進める。

 

(すごい、本当に解けました……!)

 

 言動はさておき、家庭教師としての能力は疑う余地はない。

 それも風太郎が積み重ねてきた成果の一つだろう。

 成績の壊滅的な自分たちと向き合って半年余り。

 互いに信頼も育んできたはずなのだ。

 

『この仕事は俺にしかできない自負がある!!』

 

 五つ子の父親にそう宣言した風太郎の背中に、五月は自分の理想を見出した。

 

「上杉君、私は――」

「ん、今度はどこがわからないんだ?」

「……いえ、自分でやってみます」

 

 伝えようと思った言葉を飲み込んで、五月はプリントをめくる。

 この先を伝えるのならばそれに見合う根拠が必要だ。

 それがなにも返せない自分の、せめてもの贈り物なのだと。

 

「……ちょっと、まさか五月もってわけ?」

「フータローに向ける視線が熱い……」

 

 対面の姉二人は末っ子の様子に戦々恐々としていた。

 仕事で欠席している長女がいれば同じ感想を抱いただろう。

 ちなみに四女は折り鶴の内職がばれて大目玉をくらっていた。

 

 

 

 

 

 人がほとんどいなくなった図書室。

 勉強会を終え、中野姉妹を帰した後も俺は一人で勉強を続けていた。

 くどいようだが今はひたすら量をこなしたい。

 一人でいられるこの空間は集中するのにこの上ない環境だ。

 後は解いて、解いて、解いて、解いて――

 

「――っ」

 

 頭が眠気でぐらつく。

 さすがは三大欲求の一角。

 この抗いがたい強烈さは体が発する警告でもあるのだろう。

 つまり、お前もういい加減にして寝ろよ、と。

 しかしこんなところで屈するわけにはいかない。

 無理や無茶を通してでもやり遂げると決めたのだ。

 頬を張って、唇を噛んでペンを握りなおす。

 が、しかし……

 

「し、視界が歪む……」

 

 整然と並んであるはずの文字はぐにゃぐにゃになって解読不能。

 まずい、意識が落ちる――

 

「呆れました。こんな時間まで自習だなんて」

「……五月か」

「これ、どうぞ」

 

 五月が机の上に置いたのは小ぶりなビン。

 カフェインを多分に含んだ、眠気覚まし効果がある清涼飲料水だ。

 フタを開けて一気に飲み干す。

 コーヒーっぽい味は苦手だが、文句は言ってられない。

 

「帰ったんじゃなかったのか」

「少々あなたに報告したいことがありまして」

「景気のいい話なら大歓迎だ」

 

 眠気の靄は晴れきらないが、視界の歪みはどうにか収まった。

 頭痛を堪えつつもペンを握る。

 

「バイト……と呼べるかどうかわかりませんが、塾講師のお手伝いをさせていただくことになりました」

「……ついでに勉強もってことか」

「あなたに教わったことへの理解を深める、またとない機会だと思います」

「……そうか」

 

『私……先生を目指します』

 

 二月の半ば、こいつが母親の墓前で語ったことを思い出す。

 教えることでまた学ぶこともあるのだと。

 まったくもってその通りだ。

 自分が理解していることがそのままの形で相手に伝わる、なんて都合のいい話はない。

 知識の土台が違えば、理解が及ぶ範囲にも影響してくるのだ。

 大事なのはレベルを合わせること――相手を引き上げるか自分が下がるかだ。

 しかし相手を育てるのは時間を要するし、自分から下がっていくのは手っ取り早いがそれにも限界がある。

 理解できないということを理解してやるのは想像以上に難しいのだ。

 こいつの現在の学力は、とてもじゃないが人に教えるというレベルじゃない。

 だが、それでも諦めず弛まずに積み上げて行けるのなら――

 

「お前はバカだ」

「……あなたはこんな時にまで――」

「だからこそ、同じようなやつの気持ちもわかってやれる……お前ならいい先生になれると思うぜ」

 

 京都での出会いの後、勉強に打ち込み始めた時のことを思い出す。

 真田に竹林……あいつらも俺に教えるのにだいぶ苦労をしていた。

 当時の俺は悪ガキで勉強などそっちのけだったのだから。

 迷惑をかけたと思っているし感謝もしている。

 あの二人に教わったからこそ、俺は五人の家庭教師をやってこられたのだろう。

 一花、二乃、三玖、四葉、そして五月。

 自分の道を見つけたやつもいれば、まだのやつもいる。

 学力だけじゃなく、これからはできるならあいつらの――

 頭を支えていた手から力が抜ける。

 くそ、同じ顔を五つも思い浮かべたせいで眠気が……

 頭を机に打ちつける音を最後に、俺の意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

「お前はバカだ」

「……あなたはこんな時にまで――」

「だからこそ、同じようなやつの気持ちもわかってやれる……お前ならいい先生になれると思うぜ」

 

 最後の風太郎の言葉に、五月は憎まれ口への反論をつぐまざるを得なかった。

 ズルいとも思った。

 これでは怒ればいいのか感謝すればいいのかわからなくなってしまう。

 狙ってやってるのかと問い詰めたくもなる。

 

(彼とはいつもこうですね……)

 

 五月と風太郎は何度となくぶつかり合ってきた。

 その度に不器用ながらも和解を果たし、同じだけ理解しあえた……と五月は思っている。

 最近はさすがにぶつかる機会は減ったが、それでも風太郎の発言にムッとすることはあった。

 ミスターノーデリカシーの名は伊達じゃないのだ。

 しかし、それを覆すぐらい五月の欲しい言葉もよこしてくる始末。

 これでは感情が右往左往して定まらなくなるのも仕方がない。

 

(上杉、くん……)

 

 自分の顔が熱を持っていることを五月は感じていた。

 日が落ちて外の光が途絶えた窓を見れば、紅潮している自分の顔。

 胸に手を当ててみれば、運動をしたわけでもないのに鼓動が早まっていた。

 風太郎に気付かれやしないかと焦るも、問題集に釘付けで振り向く気配はない。

 

(本当に、ズルい)

 

 落ちこぼれの中野姉妹をここまで導いてきた風太郎は、明確に五月の目標の一つだ。

 同い年の家庭教師から受け取ったものは、これから進むであろう教職の道に確実に影響を及ぼすだろう。

 憧れ、と言ってもいいかもしれない。

 そんな風太郎に認めてもらえて、五月の心はかつてないほどに昂っていた。

 渡すべきものがあるが、声をかけるべきかどうか迷ってしまう。

 そもそも振り向かれでもしたら、赤く染まった顔を見られてしまう。

 

(ああ、私はどうすれば……!)

 

 不意にゴツンと硬い音が響く。

 風太郎の頭が机に落ちた音だった。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

 五月が声をかけるも返事はない。

 どうしたのかとさらに近くで様子をうかがうと、小さな寝息が聞こえてきた。

 どうやら眠気の限界をむかえてしまったようだ。

 

「……お疲れ様です、上杉君」

 

 風太郎の手にそっと自分の手を重ねて、五月は労わりの言葉をかけた。

 届いてはいないだろうが、それでも伝えておきたかったのだ。

 勉強会の時につぐんだ言葉の、その先も。

 

「上杉君、私はあなたを信じています。私たちもあなたに負けないくらい頑張ります。だから――」

 

 眠っている風太郎の頬に、そっと口づけを落とす。

 

「絶対に負けないで。私たち……私には君が必要なの」

 

 五月は風太郎から離れると、自分の鞄から今日渡すために用意したものを取り出した。

 自分と姉たちの分――合計五つ。

 

「誕生日、おめでとうございます」

 

 

 

 

 

「んあ……」

 

 目覚めると、そこは図書室だった。

 勉強の最中に眠ってしまったようだ。

 五月が来たような気がしたがすでに姿はない。

 時間も時間だし帰ったのだろう。

 つーか、なに話してたんだっけ?

 あまりの眠気だったため記憶はいまいち判然としない。

 なんとはなしに頬をさする。

 柔らかいなにかが触れた感触が残っているような気がした。

 携帯が震える。

 見ると、らいはからのメールだった。

 誕生日のお祝いをするから早く帰ってこい、とのことだ。

 

「そういえば今日だったな」

 

 メールに添付された画像にはバースデイケーキとらいはの姿。

 かわいい妹が待っている以上、勉強はここまでだな。

 勉強道具諸々をリュックに突っ込み、帰り支度をする。

 そこでふと、机の上に乗ってるものに気が付いた。

 

「なんだこれ、折り鶴が……五羽?」

 

 勉強会の際に四葉が鶴を折っていたのを思い出す。

 あれはちゃんとした折り紙だったがこれは……プリントか?

 白地の裏に罫線や文字が透けて見えた。

 そもそもこんなものを誰が置いて行ったんだか。

 折り目を解いて元の形に戻していく。

 するとそれは五枚の答案用紙だった。

 先日行われた五教科総合のミニテストのものだ。

 記名欄にはそれぞれあの五つ子の名前。

 

「……あいつら」

 

 見れば、解答欄のマルの数がバツの数よりも多い。

 赤点回避がせいぜいだった連中がよくもまぁ。

 頑張っているのは俺だけではない、そういうことだろう。

 

「ふっ、あのバカたちにしてはまともなプレゼントじゃねぇか」

 

 これは俺も絶対に負けられない――いや、負ける気がしない。

 なんたってこっちは6人なのだから。

 

 

 

 

 

「ただいまー、疲れたー」

 

 撮影帰りの一花はもうクタクタである。

 コートを脱ぎながらリビングに入ると、妹たちが出迎えた。

 

「あ、一花おかえり!」

「お風呂入りたいなぁ」

「お生憎様、今は五月が使用中よ」

「そっか、じゃあご飯かな」

「今用意する。待ってて」

「うん、ありがと」

 

 一花はほっこりしながら、これが大黒柱の気分かー、などとひたってみる。

 妹たちが甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる光景は、中々に心癒されるものだった。

 

「コラ、その辺に脱ぎ散らかさない!」

「えー? ちゃんと後で片づけるからいいじゃん」

「そう言って何回放置してたか覚えてるのかしら?」

「い、今片づけまーす」

 

 二乃の笑顔に威圧されて、一花はすごすごと散乱した自分の衣服を回収する。

 中野家のオカンは伊達ではなかった。

 そうこうしているうちに準備が終わり食卓につく。

 

「いただきます」

 

 レンジで温められた料理に舌鼓を打つ。

 出来たてでなくても二乃の料理はおいしかった。

 食事をする一花の右隣では三玖が、左隣では四葉がそれぞれペンを握ってプリントと向き合っていた。

 二乃はテレビと向かい合っているが、放映されているドラマよりも手元の単語帳に目が行っている。

 自分たちの家庭教師に負けじと、みんな頑張っているのだ。

 

「ごちそうさまー、おいしかったよ」

「洗い物は流しに置いておいてちょうだい」

「いいよ、これぐらいだったら自分で洗うし」

「そう? じゃあちょっと五月を急かしてくるわね」

「別に上がるまで待つよ?」

「さすがに長風呂すぎよ。もう入ってから一時間以上は経ってるんだから」

 

 単語帳を置いて二乃は風呂場へと五月の様子を見に行った。

 髪の長い五月はたしかに洗うのに時間がかかるが、それでも一時間は長い。

 

「五月ちゃん、もしかしたらお風呂で勉強してるのかもね」

「この前四葉がそれやってプリントをふにゃふにゃにしてた」

「えへへ、数式とにらめっこしてたらつい眠気がね」

「わかるなぁ、私も寝落ちする自信があるよ」

「一花はお風呂じゃなくても寝落ちが多い」

「み、耳に痛い……」

「まぁまぁ、それだけお仕事頑張ってるってことだよ」

 

 他愛のない会話をかわしながら洗い物を済ませる。

 五人分ともなれば大量だが、一人分ならあっという間だ。

 二乃の切羽詰まった声が響いてきたのはそんな時だった。

 

「ちょっと! 誰か来て、早く!」

 

 

 

 

 

「ううぅ~~、私はどうしてあんなことを……」

 

 湯船につかりながら五月は自分の行いを反芻していた。

 もうすっかり日が落ちて利用者がほとんどいなくなった図書室。

 言いたいことだけ言って寝てしまった風太郎に、五月も伝えたいことを一方的に伝え、そして――

 

(だ、大体、眠っている相手にだなんて卑怯です! 不純です!)

 

 思い返せば、今でも顔が熱くなってしまう。

 あのような行動に出てしまったのは気の迷いとしか言いようがなかったが、その時に抱いた想いは偽りようがなかった。

 

「私は、上杉君のことが……」

 

 水面に映る自分の顔。

 その表情は五月にも見覚えがあるものだった。

 風太郎と関わりあうようになってから、姉の幾人かが浮かべるようになったものとそっくりだったのだ。

 祖父の温泉で聞いた三玖の想い、そして五年以上前から風太郎を想い続けている四葉。

 

「……どうすればいいのでしょうか」

 

 五月はどうしても二人の姉と自分を比べてしまう。

 そこには申し訳ないという気持ちがあったし、自分なんかがという思いもあった。

 積み重ねた時間が必ずしも想いの大きさに直結するとは限らない。

 しかし、自覚したばかりの自分と二人ではその強さは歴然だろう。

 

「そうです、よね……今更私なんかが」

 

 顔の下半分を湯船に沈め、ブクブクと泡を浮かべる。

 泡と共にこの想いも吐き出せたら、などと益体もないことを考えてしまう。

 そもそも手放したくても手放せないからこそ人は悩むのだろう、と。

 

(お母さん、人を想うとはこんなに苦しいものだったのですね)

 

 遠き日の母の言葉を思い出す。

 伴侶とする男性は、よく見極めなければならないと。

 その言葉に母の人生の後悔があったことは疑いようがない。

 事実として、姉妹は実の父の顔すら知らないのだから。

 五月の男女関係に対する潔癖さはここに端を発するものだ。

 

(そうです、私は見極めなければなりません)

 

 上杉風太郎が信頼に値する人間かどうか。

 最早答えの出た問いに、五月は再び向かい合う。

 テストにおいて答案の見直しが大事なように、万が一の見落としがないようにと。

 姉が泣いてしまうような未来だけは絶対に回避しなくてはならない。

 そのためには近くで見続ける必要がある。

 できるだけ長く、納得のいく答えが見つかるまで。

 

(あぁ、でも――)

 

『一人でよく頑張ったな』

 

 二学期中間試験の前、意地を張った自分に嘘をついてまで寄り添ってくれた。

 

『いくら俺だってな、それくらいはお前たちのことを知ってる』

 

 林間学校の折、嘘が引っ込められなくなった自分を見つけてくれた。

 

『……お前ならいい先生になれると思うぜ』

 

 そして今日、夢に向かう自分の背中を押してくれた。

 

「――答えなんて、見つからなければいいのに」

 

 こぼれるように漏らした言葉は、五月のまぎれもない本心だった。

 

「ちょっと、五月ー? あんたどれだけ長風呂してるのよ」

 

 ドア越しに自分を呼ぶ声で思考の海から引き戻される。

 時計がないため正確な時間はわからないが、相当長く湯船につかっていたようだ。

 

「ごめんなさい、今出ま――」

 

 そこから先は言葉が続かなかった。

 揺らぐ視界、傾ぐ体、近づく床――自分の体が倒れる音は、どこか現実感のない遠雷のようだった。

 

「……五月? ――五月っ!? ちょっと! 誰か来て、早く!」

 

 慌てふためく二乃の声もどこか遠い。

 涙すら浮かべた姉に謝罪しようとして、五月の意識はそこで途切れた。

 

 

 

 

 

「まったく……のぼせるまで湯船につかってるとか、人騒がせにもほどがあるわよ」

「ううぅ……ごめんなさい」

「二乃なんてもう涙目でさ。五月が死んじゃうーって」

「ちょっ、一花!」

「症状としては軽い熱中症だし、しばらく安静にしてれば大丈夫だよ、五月」

「新しい氷嚢持ってきた。古いのと取り換えるよ」

「みんな……ありがとうございます」

 

 姉たちの優しさが心身に沁み渡る。

 この暖かい家族を守るのだと、五月は改めて心に誓った。

 かつて自分たちを守り育ててくれた母のように。

 

「私はずっとみんなの味方ですから」

「ししし、じゃあ私も!」

「これまでもずっと一緒だったもんね」

「なに当たり前のこと言ってるのよ」

「大丈夫だよ、みんな五月ちゃんのそばにいるから」

 

 五人で手を結び合わせて輪を作る。

 幼いころから変わらない姉妹の絆の象徴。

 この手が離れても、心は離れないのだと。

 

 

 

 

 

「お兄ちゃん、なんで折り鶴吊るしてるの?」

「ちょっとしたゲン担ぎだ」

 

 窓のわきに五つ連なって吊るされた折り鶴。

 それはあいつらの努力の証であると同時に俺の尽力の成果とも言える。

 あの赤点常習犯どもが五割の壁を突破したのだ。

 目に見えるところに置いて多少感慨に浸ったところで罰は当たらないだろう。

 

「……こんなことにやりがいを感じるようになっちまったとはな」

 

 まるで本当に教師にでもなったかのような気分だった。

 思えばこれまで色々あった。

 長女に振り回され――寝起きのほぼ裸の光景が思い浮かぶ。

 次女に手を焼かされ――風呂上がりのバスタオル姿が思い浮かぶ。

 三女に骨を折り――温泉旅館で抱きつかれた時の胸の感触がよみがえる。

 四女に頭を抱え――試着室での衣擦れの音がよみがえる。

 五女は御しがたく――混浴に突撃してきた時のことを思い出す。

 ……まずい、下半身に血が集中し始めた。

 くそっ、朝処理しただけじゃ足りなかったっていうのか!

 

「お腹痛いの?」

「そ、そうだな……ちょっと下腹部が」

「大変っ、横にならなきゃ!」

「い、いや、それは……」

 

 今横になるのはまずい。

 横になったら、鎌首をもたげ始めたヤツが存在を主張してしまう……!

 今すぐトイレに避難を――いや、このタイミングではハードカバーを取りに行く余裕がない。

 あれをもってトイレに入れば、らいはは間違いなく疑問を抱くだろう。

 そうなってしまえば、遠からず中身に触れてしまうかもしれない。

 ……一巻の終わりだ。

 ならばもうブツ抜きでことを済ませるか?

 それはつまり俺の体験――あいつらとのあれこれを使うということだ。

 確実に明日から顔を合わせられなくなる自信がある。

 身近な人間を使うのは両刃の剣なのだ。

 間違っても家庭教師の業務に支障をきたすわけにはいかない。

 

「お兄ちゃん、お布団の用意できたよ!」

 

 うだうだ迷っているうちにらいはが準備を終えてしまった。

 真剣な表情が本気で心配していることを物語っている。

 ああ、こんな俺には過ぎた妹すぎるぜ……

 

「まったく、青臭ぇな風太郎!」

「お、親父」

「らいは、薬買いに行くぞ」

「でもお兄ちゃんをほっとけないよっ」

「こいつならとりあえず横になっときゃなんとかなる。そうだろ?」

「そ、そうだな……親父酒飲んでるし、一緒についていってやってくれ」

「むぅ……おとなしくしてなきゃダメなんだからね?」

「ああ、わかってる」

 

 親父に連れられてらいはは出かけて行った。

 こっちの状況を把握されてるのは複雑だが、助かったと言わざるを得ない。

 ありがとう、親父。

 

「よし、じゃあてっとり早くイクか」

 

 

 

 

 

 ことを済ませ、後片付けをして布団に寝転がる。

 沸き上がる昂ぶりから解放された賢者の時間。

 まだ親父たちは帰ってきていない。

 静寂の中であいつらの顔を思い浮かべてみる。

 倒れそうになった一花を支えた時。

 無理にでも意識させてやると二乃に迫られた時。

 諸共に畳の床に倒れて三玖と向かい合った時。

 今は懐かしいあのマンションで四葉に嘘の告白をされた時。

 そして――鐘の下で五月の格好をした誰かとキスをした時。

 

「……ダメだな」

 

 落ちついたところで顔を思い浮かべても、なぜだか心臓が早鐘を打つばかりだ。

 こんな風になるのはきっとまだ元気で余裕があるせいだ。

 となれば、脳を酷使していい感じに疲れるしかない。

 さ、勉強しよ。

 

「あ、お兄ちゃん勉強してる!」

「おう、きっちり済ませたか?」

 

 ちょうど勉強道具を出したタイミングで二人が帰ってきた。

 親父は訳知り顔で頷いており、らいはは目を吊り上げて俺からペンと問題集を取り上げた。

 

「おとなしくしててって言ったのに、もぉ」

「いや、ちょうど痛みも治まったから」

「だ~め! お勉強は大切だけど体壊しちゃ意味ないんだから!」

 

 あれよあれよと布団に押し戻されてしまった。

 アイコンタクトで親父に助けを求めてみる――肩を竦めて首を横に振られた。

 

「がはは、ちっと早いが寝ちまうか!」

「え、俺まだ勉強――」

「いいから寝るの!」

 

 こうして俺は勉強の時間を奪われて寝るはめになったとさ。

 疲労が蓄積していたせいか、布団に入ったらすぐに寝てしまった。

 早く寝たおかげか、次の日はすこぶる快調だった。

 まぁ、これはこれで良かったのかもしれない。

 

 

 




五女にフラグ立て
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