「いやぁ、今日も暑いね」
「絶好のプール日和だね!」
「早くプールに入りたいです」
蝉の鳴き声が暑さを助長する今日この頃。
中野姉妹は風太郎の誘いで屋外レジャー施設を訪れていた。
目的はプール――この前は引越しで海に行けなかったので、そのリベンジも兼ねている。
「入れ墨はダメだって。二乃、大丈夫?」
「やってないわよ」
三玖が眺める看板には入れ墨・タトゥーの入場お断りの注意書き。
さすがの二乃もそこまではやっていない。
一瞬だけ『風』の一文字を入れた自分を想像したが、それだけである。
しかし姉妹の印象は違うようで……
「あはは、二乃なら似合うかも」
「いそうだよね、彼氏の名前から一文字とって入れる子」
「ありがち」
「あんたら私をどういう目で見てんのよ!」
散々な言われようだった。
五月なんかは本気で心配してペタペタと体を触って確かめ出す始末。
振り払うと二乃は腕を組んでそっぽを向いた。
そもそも、そんなものがなくたって風太郎自身を十分に刻まれているのだと。
無意識に下腹部に手を当ててしまう。
「むっ、なんで顔赤くしてるの?」
「な、なんでもないわよ!」
三玖の追求から逃れるように二乃は足早に進んでいく。
その様子に苦笑すると、一花も下腹部をさすった。
今度は一花にジト目を向けると、三玖は二乃の後を追っていった。
下二人は頭にハテナを浮かべていた。
「一花も二乃も、ひょっとしてお腹の調子が悪いのですか?」
「大変だ! 一花、大丈夫?」
「あはは……まぁ、その時は痛かったけど、もう心配ないよ」
五月はムッツリではあるがそれ以上に鈍感で、四葉はそういった事に疎いから気づいていない。
三玖は感づいているようだから動き出すのは時間の問題か。
各々にそう当たりを付ける一花だったが、問題は二乃だ。
夏休み前の様子から風太郎と関係を持ったことは明らかだった。
自分の悩みや四葉の事はさておいて、今日は風太郎にどれだけ迫れるか。
とはいうものの、ここは人の目が多い。
一花の初めては屋外だったが、あれは大雨という特殊な状況が重なったからこそのものだ。
本格的に仕掛けるとしたらプールの後になるだろう。
それまで風太郎のボルテージを高められるかが今回の課題だ。
(それにしても、こうして誘ってくるとはねぇ)
それが一番の驚きだった。
風太郎が自分たちとの体の接触や肌の露出を気にしているのは把握していた。
胸の谷間を見ようものならものすごい勢いで目をそらすため、非常にわかりやすい。
水着姿なんてものは、目の保養を通り越してそれこそ目の毒だろうに。
そこを押しのけてまで自分たちに会いたかったのだとすると、一花は頬が緩むのを抑えられなかった。
「一花、先行っちゃうよー?」
「ごめんごめん、行こうか」
「上杉君は遅れてくるみたいですし、先に入っちゃいましょう」
「あっちー……」
今日も今日とて照りつける太陽は相変わらず容赦がなかった。
気温的に言うと先日の海の時よりも暑い。
こうも暑いと好き好んでプールに行く連中の気持ちが少し分かる気がした。
人の流れに乗って入場口へ。
さっさと日の当たらない場所に入りたかった。
「そして例によって人が多いな」
ロッカーで水着に着替えるとプールのある区画へ。
海水浴場との単純な比較はできないが、人口密度の問題でここの方が人がより多く感じられた。
とはいえ、ここも十分に広い。
幸いにして特徴的なものが多いから迷うことはないだろうが、人を探すとなるとまた骨が折れそうだ。
あいつらとは特に待ち合わせ場所を決めていなかったが、失敗だったろうか。
携帯はロッカーに置いてきたため連絡手段はない。
迷子センターという手があるが、流石にそれは俺にとってもあいつらにとっても恥ずかしすぎる。
とりあえずと、フードコートに足を運ぶ。
確信があったわけではないが、無作為に動くよりはマシだろう。
丁度昼飯時なのでいればいいなという程度の期待だったが、果たしてそこには食い意地が張った真面目馬鹿の姿があった。
「ほいっ、焼きそば五人前お待ちっ」
「ありがとうございます」
「お前、マジかよ……」
常人離れした食欲だとは思っていたが、まさかそこまでだったとは……
絶句している俺の姿に気がつくと、五月は焼きそばが入ったビニール袋を提げたまま慌てふためいた。
「上杉君!? ち、違います、これは皆で食べる分で……」
「にしても一人一人前かよ……あいつらは?」
他の姉妹の動向を訪ねたのだが、五月は答えない。
そして落ち着かない様子で辺りを見回したかと思うと、俺の手を取った。
「とりあえず、こちらへ来てください」
「お、おいっ」
そのまま歩き出す。
俺は手を引かれるままついていくしかない。
この先が集合場所なのだとしたら断る理由もない。
区画の外れ、比較的人のいない場所に着くと五月は足を止めた。
「まだ来てないみたいだな」
「ええ……み、みんな遅いですねー」
なんでだか、五月の話し方に違和感を覚えた。
妙に抑揚がないというか、一花の演技の練習に付き合っていた時の俺に似ているような……そう、棒読みだ。
とにかく怪しいことは確かだった。
「そ、それよりも! ……どうですか?」
「どう、とは?」
「あなたの好みは分からずじまいでしたが、水着を新調したんです。前のものは上の方が少々きつくなってしまいましたので」
最後の方は明らかに余計だった。
胸が成長しているなどと申告されてどうしろと言うのか。
こいつのことだから狙ってやっているわけではないのだろうが、俺の精神に揺さぶりをかけてくるのはやめて欲しいもんだ。
「ちょっと照れくさいんですけど、今年の流行の花柄も入れてみたんです」
「あ、ああ……」
「その……に、似合ってますか?」
「そうだな……い、いいと思う」
今朝は抜かりなく日課をいつもより多めにこなしてある。
よって今日の俺は胸の谷間程度では動じない。
だけど、そうやって照れたように笑うのは反則だ。
性欲と関係なしに心臓が跳ねてしまう。
不覚にもかわいいなんて思ってしまった。
……顔は赤くなっていないだろうか。
「二人とも、こんなところで何してるの?」
「「――っ!」」
今度は驚きで心臓が跳ねた。
いつの間にか三玖がそこにいた。
五月に意識を向けていたせいか、近づいているのに気がつかなかった。
「よ、よう……他のやつらはまだ来ないみたいだが、何してるんだろうな」
「集合場所は向こうのはずだけど」
三玖が指したのは、ここに来て手始めに向かったフードコートの方だ。
確かに、焼きそばを食べるのにこんなテーブルもなにもない場所を集合場所に選ぶのは不自然だ。
俺と三玖の視線が五月に集中する。
「え、ええっと……ちょっと勘違いしてたみたいですねー」
また例によって棒読み臭いセリフを残して、五月はそそくさとフードコートの方へ歩き去っていった。
あれは確実にやましい事があるときの態度だ。
そのやましい事がなんであるのかは……まぁ、置いておこう。
「……」
「どうした?」
そして今度は三玖と二人きりなったわけだが、こちらを凝視したまま動かなくなってしまった。
俺の顔を見てるのかと思えば、少し違う。
視線はそのやや下に――
ここに来て俺はようやく三玖が何を見ていたのかに気づいた。
咄嗟に首元を手で隠すが、もう既に見られてしまっている。
ここしばらく顔を合わせてないからすっかり油断していた。
夏休み前のとある日、三玖が予約と称して首元に残した痕。
消えるたびに更新と言ってまた残していくため、絆創膏を貼って周囲からは隠していたものだ。
当然、日が経って消えてしまっている。
それを目にした三玖がどういう行動に出るかは火を見るより明らかだった。
「こっち来て」
「おい、まさかこんなところで――」
「いいから」
三玖は俺の手を引っ張って物陰へと連れ込んだ。
抵抗することもできたが、そうしたらその場でされる危険性があった。
衆人環視に耐えられるほど俺の神経は図太くないのだ。
「じっとしててね」
「なぁ、せめてプールから出た後に――くぁっ」
こちらの提案などお構いなしに三玖が首筋に吸い付いた。
この感触にも慣れたものだが、離れる際にチロリと舐められて思わず変な声が出てしまった。
「うん、これでよし」
「よし、じゃねーだろ」
「フータローもする?」
三玖は顔をそらすと、水着の紐をずらして首元をあらわにした。
肌の白さが眩しい。
顔を背けようとしたが、三玖がそれを許さなかった。
俺の顔を両手でつかみ、自分の顔と向き合わせたのだ。
「それとも、あの時みたいにまたしてくれるの……?」
しかし自分からは動かず、あくまで俺が自発的に動くのを待っている。
ここは物陰ではあるが遮蔽物は少々心もとない。
大きな動きを取れば、すぐに周囲の人間に察知されてしまうだろう。
露骨なことはできない……が、キス程度の動きなら見咎められることもないだろう。
「んっ……」
吸い寄せられるように口付ける。
触れるだけのキス――ここがボーダーラインだった。
ここで三玖を抱き寄せてしまえば、もしくはもっと深いキスをしたならば、たちまち転がり落ちていってしまうだろう。
漏れ出る艶めいた声が理性にヤスリをかけてくるが、それぐらいならまだ耐えられる。
唇を離すと、三玖は不満そうな顔でこちらを見上げてきた。
しかしこれ以上は踏みとどまれなくなるので、その不満に応えてやることはできない。
多大な精神力を使って三玖から手を離す。
これで朝の日課を怠っていたなら、とっくにどうにかなっていたに違いない。
……一体、いつから俺はされる側からする側になってしまったのだろうか。
一花や二乃とのあれこれで、そういった行為へのハードルが下がったというのはある。
実際に夏休み前にも自分から三玖と五月にしてしまった。
しかし、今はそういった場合に感じる暴力的な衝動は薄い。
その代わりと言ってはなんだが、青臭いとでも形容できそうな感情だか衝動が心の中を占めていた。
「先に行っててくれ」
「フータローは?」
「ちょっとロッカーに忘れ物だ」
確か、荷物の中に絆創膏が残っていたはずだ。
このままにして他のやつらに見咎められたらまた面倒なので、この痕は隠しておきたい。
三玖を送り出してから足早にロッカーへ。
鏡を見るとバッチリ痕が残っていた。
覆うようにしっかりと貼り付ける。
防水タイプなので、これならプールに入っても大丈夫だろう。
後は集合場所に向かうだけなのだが……
「フー君! 会いたかった!」
「うおっ」
プールに戻った瞬間、横からの衝撃に襲われる。
なんなのかと思えばそれは二乃だった。
人目をはばかる事なく、これでもかというぐらい胸部の柔らかい塊を押し付けてくる。
理性をグラグラと揺さぶるその感触は、間違いなく故意のものだ。
朝の日課を入念にこなしておいて良かった。
普段通りの俺だったらここでヤられていたかもしれない。
「二乃、あんまりくっつくな――」
「えー? イヤよ、そんなの」
「ちょっと離れるだけだから――」
「コンタクト流されちゃったの。だからもっと近づかないとフー君の顔が見えないわ」
「……」
「ほら、もっと顔寄せなさいよ」
どうやら二乃の催促に応じないと話は進みそうになかった。
そろそろ周囲の目も痛くなってきたので、どうにかしないといけない。
仕方なく言うとおりに顔を寄せる。
二乃の顔が間近に迫る――今日の俺ならば取り乱したりはしない。
心臓の鼓動がうるさいが、大丈夫なはずなのだ。
しかしながら、この対応は迂闊だったと言わざるを得ない。
周囲の目があるから、なんて油断していたのがいけない。
防御を顧みない二乃のアグレッシブさが、この時は頭から抜け落ちていたのだ。
その舌なめずりを見てマズいなんて思ったときにはもう遅い。
二乃は俺の首に腕を回すとそのまま――
「はーい、ストップ」
「ちょっ、何するのよ一花!」
「二乃こそ何しようとしてたのかなー?」
今まさに動き出そうとしていた二乃を、一花が肩を掴んで制止していた。
浮かべる笑みは穏やかなものだが、指が肌に食い込んでいるところを見ると結構な力で掴んでいる。
……率直に言って怖い。
「なんでこんなところにいるのよ。集合場所はあっちでしょ」
「うん、その言葉は二乃にそっくりそのまま返すね」
火花が散った、ような気がした。
気のせいでないとしたらその原因は俺だろう。
もう自惚れでもなんでもいいが、それほどまでに好かれているのは事実であるらしいのだ。
諍いに発展する前に止めるためには、とにもかくにも原因である俺が遠ざかる必要があるだろう。
争う理由がなくなれば人は手を取り合えるのだと俺は信じている……ということにした。
幸い、今は二乃の意識が一花の方に向いている。
というわけで上杉風太郎はクールに去るとしよう。
「フータロー君?」
「フー君?」
しかし二人に肩を掴まれて失敗。
どこ行くんだコラ、という無言の圧力を感じた。
どうやら逃がしてはもらえないらしい。
そもそもの話として、中野姉妹を誘ったのは俺だ。
だというのに逃げてどうするというのか。
今にして思い返せば頭を打ち付けたくなるが、あの時こいつらの顔が見たいと言ったのは嘘じゃないのだ。
覚悟を決めて振り返る。
すると二人は左右から俺の腕を取って自分の腕を絡めてきた。
……前言撤回、やっぱ逃げたい。
「ねぇ、フー君? 今度また家にお邪魔してもいいかしら」
「また家にって、ちょっとは遠慮しないとフータロー君のご家族にも迷惑だよ?」
「挨拶しに行くだけだから大丈夫よ。まぁ、いないならそれはそれでいいんだけど」
「いないならそれこそ行く必要ないんじゃない?」
「あら、二人きりなら色々とできるじゃない。色々と」
二乃の指が俺の胸元を這い回る。
思わず変な声が漏れそうになるが、全力で堪えた。
そして熱っぽい視線も全力でスルー。
顔を背けた先で一花と目が合う。
ニッコリと笑ってしなだれかかってきた。
「フータロー君、また一緒に汗流しに行こうよ」
「汗流しに……って、どこ行く気よ!」
「えー? ちょっと二人で運動するだけだけど」
「運動ってまさか……!」
「やだなぁ、スポーツだよスポーツ。バドミントンとかさ」
どれだけアレな事を想像していたのかは知らないが、からかわれているのに気づいた二乃は顔を真っ赤にして一花を睨みつけた。
こうやって思わせぶりなことを言ってからかってくるのは一花の十八番だ。
それは生まれた時から一緒の二乃にもわかっているはずなのだ。
だと言うのに、こうも易々と引っかかったということは……こいつ今どんだけ頭の中ピンク色なんだよ。
睨みつけられても一花は柳に風で涼しい顔だ。
二乃は面白くなさそうにそっぽを向いてしまった……俺の腕は相変わらずホールドされているが。
そして注意がそれたのを見計らって、一花が俺の耳に顔を寄せて囁いた。
「次こそは一緒に汗流そうね……もちろん、エッチな意味でさ」
おまけと言わんばかりに、耳に息を吹きかけられる。
いい攻撃だ、ものすごくぐらついた。
しかし今日の俺のガードは鉄壁。
先程は三玖にいいようにされていた気がするが、とにかく鉄壁なのだ。
よってこの程度で動じたりはしない。
こうやって空を見上げているのも、この容赦なく照りつける日差しを味わっているにすぎないのだ。
「フー君の耳、すごく真っ赤だわ」
「ははは、こりゃ早速日に焼けちまったかな!?」
「汗かいてるね。もしかして緊張してる?」
「そりゃこの気温だしな! 汗もかくよな!」
あらためて、何なんだこの状況は。
俗に言う両手に花とはこんな状態を指すのかもしれないが、気分的には両手に爆弾だった。
誰かどうにかしてくれと投げ出したいところだが、そもそもの原因は俺が二人に手を出したことにある。
複数人の女性と関係を持った男……刃傷沙汰に痴情のもつれというのは非常に通りのいい並びだ。
もちろん、全く笑えたものではないが。
「あ、三人ともこんなところにいた!」
一際元気な声に空から目を戻す。
四葉がこちらに駆け寄ってきていた。
中々合流しない俺達を探しに来たのだろう。
腕に引っ付いていた二人は、ここらが潮時と判断したのかおとなしく離れていった。
その判断はもう少し早く下してほしかったぜ……
「上杉さん、お久しぶりです! 少し日焼けしましたか?」
「この前海に行ったからな……お前も相変わらず元気そうで良かった」
「おや? もはやお疲れのご様子ですね」
「わかるか? お手柔らかに頼むぜ」
「ししし、任せてください! さぁ、今日は遊び倒しますよー!」
任せろなんて言って胸を張った四葉だが、直後に遊び倒すなんて言葉が出てくるあたり絶対分かっていない。
解散する頃には体力を使い果たしているだろうか。
ため息と、ついでにこぼれた笑み。
勉強という要素を取り除いた状態で一堂に会するのに危機感を覚えないわけじゃない。
先ほどの一花と二乃のようなやり取りが繰り返されないとも限らないのだ。
だというのにこうして思わず笑みを漏らしてしまうのは、なんだかんだで中野姉妹と会うのを楽しみにしていたからなのだろう。
紆余曲折ありつつも合流を果たした風太郎と中野姉妹は、昼を済ませてからこの施設内において一際目立つアトラクションへと足を運んでいた。
ウォータースライダー……早い話が水を流した滑り台だが、滑り台とは言っても公園に備え付けられているような物とは規模が段違いだ。
「わー……」
「い、意外と高いわね……」
四葉と二乃は手すりから下を覗き込んで、あまりの高さに声を震わせた。
滑り台である以上、位置エネルギーを利用する都合で大掛かりなものは必然的に高度もかさんでしまうのだ。
「ううぅ……や、やっぱりやめませんか?」
「大丈夫だって。なんだかんだでジェットコースターも楽しんでたじゃん」
その点を五月も非常に気にしており、いまだに躊躇しているところを一花に宥められていた。
しかし不安を口にしながらも三玖の体にサンオイルを塗る手を止めない。
日焼けは肌の大敵なのだ。
「フータローに塗ってもらいたかったのに……」
「五月ちゃん、次は私ね」
不満を口にする三玖だが、当の本人が拒否したのでこうして姉妹で塗り合っているのだ。
もし仮に応じていたなら、色々と大変なことになっていただろう。
姉妹の肌に触れ続けて平気でいられる自信が風太郎にはなかった。
今もサンオイルの塗り合いから必死に目をそらし続けているのだ。
「つーか結構並んでるなぁ……」
姉妹を視界から外せば人の多さが目につく。
目立つのは伊達でもなんでもなく、普通に人気アトラクションなのだ。
なんにしても最上階まで来たので、順番が来るまでそれほど時間はかからないだろう。
「フー君、店長が入院したって聞いた?」
「ああ、一度お見舞いに行くかって考えてたんだが……せっかくだし一緒に行くか?」
「行く!」
「じゃあ私も行く」
「あんたはなんの関係もないでしょ!」
「ていうかさ、フータロー君ちゃんとメール見てる?」
「いや、夏休みに入ってからほとんど開いてないな」
「やっぱり……では私たちが前の家に戻ったことも知らないのですね」
「え、そうだったのか?」
「今度遊びに来なよ」
「オートロックに締め出さなけりゃな。なぁ、二乃?」
「な、何の話かしらねー?」
様々な出来事を経て、風太郎と中野姉妹の関係は変わりつつある。
夏休み前は勉強という大義名分の元でなら一応の平静を保っていたのだが、それが無くなった時に一体どうなってしまうのか。
(なんだか大丈夫そうだね……)
以前と変わらない雰囲気に四葉は胸を撫で下ろした。
まだみんなでこうしていられるのだと。
「四葉、そろそろだぞ」
「いよいよですね、楽しみです!」
色々と心配なことはあるが、今はとにかく楽しもう。
そう誓った四葉なのだが――
「こちらのボートは二人乗りです。これから先は二人一組でお並びください」
空気が一気に凍りついたような錯覚。
牽制するように視線を交わし合う姉妹。
四葉には四人が何を考えているのかが容易に想像できた。
「フータロー君」
「フー君」
「フータロー」
「上杉君」
「ど、どうした……?」
「「「「誰と乗るの?」」」」
そしてそれから一悶着あり、結局はグーチョキパーでチームを分けることで落ち着いた。
その際も熾烈な心理戦が繰り広げられたのだが……
「どうしてこうなるのよ」
「結果は結果だから仕方ないよ」
「て、手は離さないでくださいね……?」
「あはは、そんな心配しなくても大丈夫だよ」
チーム分けの結果、二乃と三玖、五月と一花は先に滑り降りていった。
残るは風太郎と四葉のパーのチームである。
「いやぁ、まさかこの組み合わせになるとは。一体どれぐらいの確率なんですかね?」
「六人で二人一組のチームを三つ……組合せの問題だな。いい機会だ、ちょっと考えてみろよ」
「それだけはご勘弁をっ!」
四葉は全力で匙を投げた。
以前よりは改善したとは言え、それでも勉強には苦手意識がある。
ただでさえ家では風太郎に出された課題で四苦八苦しているというのに、外でまで勉強のことを考えたくなかった。
頭を抱えてしゃがみこんでしまう。
「くっ……ははは! 冗談だ、冗談」
「もうっ、上杉さんは意地悪です!」
「悪い悪い……さて」
前の組が滑り終わるまで待たなければいけないが、じきに出発だ。
乗り方については係員から説明があったのだが、その際の体勢が問題だった。
ボートの前に乗るか後ろに乗るか――前後の仕切りはなく、離れて乗るほどのスペースもないため必然的に密着してしまう。
具体的に言うと、後ろに乗った人の足の間にもう一人を挟み込む形になるのだが……
(私が後ろだと……う、上杉さんの頭が胸に!)
他の姉妹と比較するとそういった意識が薄い四葉だが、流石にこんなに肌を晒していては意識してしまう。
逆のパターンも考えてみたが、風太郎に後ろから抱かれているようで、これはこれで恥ずかしい。
「どうする、やめとくか?」
「……いえ、行きましょう!」
意を決して四葉はボートに乗り込み、風太郎もそれに続く。
後ろが四葉で前が風太郎の位置取りだ。
なし崩し的に決まってしまったが、もはやこれで行くしかない。
風太郎も乗り込んで体が密着してしまい、四葉は騒ぎ出しそうな心臓を鎮めるのに精一杯だった。
「もしかして緊張してるのか?」
「それは……いえ、実はちょっと」
「一花じゃないが、不安なら手ぐらい貸すぞ」
ドキドキは相変わらずだが、同時に穏やかな気持ちが満ちていく。
だけどそこまでだ。
自分の想いを出すわけにはいかないのだと、四葉は心の蓋を押さえつけた。
「いーえ、上杉さんが飛んでいったら大変ですので。飛ばされないようにしっかりとボートに掴まっていてくださいね」
ボートが滑り出す。
流れる景色と水しぶきの中で、そっと風太郎の腕に指を触れさせる。
(このぐらいなら、いいよね……?)
「楽しかったー!」
「結構スピード出てたな……」
ウォータースライダーを滑り終えてプールから上がる。
周囲に四葉以外の姉妹の姿は見えなかった。
「もう一回やりません?」
「その前に他のやつらと合流だ」
「あ、そうでしたね」
合流場所も設定していないため、このまま離れたらまた面倒なことになる。
そんなに時間が経ってないからまだ近くにいると思うが……
「あれ……上杉さん、その腕の傷は」
「ん? ああ、いつの間に。少し血が出てるな……どこかに引っ掛けたか?」
「……ごめんなさい、もしかしたら私の爪が当たっちゃったかもです」
「いいって、気にするな。大した傷じゃないから」
「いけません! 放っておいたらバイ菌が入っちゃうかもしれませんよ!」
絆創膏も残っているし、この程度の傷なら慌てる必要はない。
しかし四葉にとってはそうじゃないようで……もしかしなくても責任を感じているのだろう。
ずっと心配され続けるのも肩がこるので、すぐに絆創膏を取りに行くべきだろうか。
「失礼しますっ」
四葉は俺の右上腕を掴むと、何を思ったか傷口に口をつけた。
唇と舌の感触に、思わず声が漏れそうになる。
そして更に毒を吸い出すかのように吸い付いてきた。
三玖との一件がなければ、情けなく声を上げていたかもしれない。
ツバをつけておけば治るなんて話もあるが……まさかこいつ、治療のつもりか?
「んっ……とりあえず血は止まりましたね」
「四葉、お前……」
「後は絆創膏か何かで……あっ」
ようやく自分が何をしていたのかに気づいたのか、四葉は顔を赤くして慌て始めた。
取り乱したいのはこちらだというのに、先に冷静さを失われるとかえって冷静になってしまう。
腕を見るとやっぱりというかなんというか、痕が残っていた。
「あ、いたいた。フータロー、四葉、こっちこっち」
「フー君フー君、次こそは一緒に乗るわよ」
「ど、どうしてもと言うなら私も付き合わなくもありませんが」
「五月ちゃん……これはジェットコースターと同じパターンかな?」
そしてまた間が悪いことに姉妹が集合してくる。
先ほどの集まりの悪さは一体なんだったのか。
とにかく、見られる前にまた隠さないといけない。
「ちょっと絆創膏を取りに行ってくるな」
「あ、あはは……すみません」
「いいって。それよりまだまだ遊ぶんだからよろしく頼むぜ」
「もちろんです!」
「いっぱい泳いだねー」
「俺はもうグッタリだぞ……」
あの後は例によって各々に引っ張り回され、最終的に五月とのウォータースライダーがトドメになった。
余程気に入ったのかリピートが半端なかった。
最初こそ体が触れたりなんだったりと気にする余地があったのだが、そんな余裕は途中から吹っ飛んでいた。
思えば他の姉妹がすんなり許したのがおかしかったのだ。
あれはこうなることを予見していたに違いない。
俺も初めは断ろうと思ったのだが、五月が唸り始めたので応じざるを得なくなった。
「五月、まだジンジンするんだが」
「ご、ごめんなさい……でも、あんな事言った上杉君も悪いと思います!」
「腹を枕みたいって言った事か?」
「また言いましたね!?」
最後の方はもうグロッキーでさながらゾンビ状態だった。
そのせいで体に力が入らず、五月に思い切り身を預けることになってしまったのだが、それが予想以上に心地が良かったのがいけない。
疲れ切っててベッドにぶっ倒れたいと思っていたことも関係しているだろう。
そして思わず正直な感想を口にしてしまい、頬に赤い手形が残ったわけだ。
「ひと夏の思い出って感じだねぇ……あ、四葉も水着の跡ついてるね」
「わー、本当だ!」
「あんた、ちゃんとクリーム塗らなかったでしょ」
四葉の首周りに白い線。
なにかいけないものを見ている気がして、目をそらす。
「フータローも真っ赤だよ」
「おぉ、確かに」
「日焼けしたフー君……アリね! ついでに髪も染めてみない?」
「やらないぞ」
「あれ? フータロー君、そこも怪我してたんだ」
一花が指しているのは右腕に貼った絆創膏だった。
四葉に吸われた痕でもあるのだが、それを言ったところで誰も幸せにならないだろう。
「……本当に怪我?」
「寸分の疑いもなくまごう事なく純然たる怪我だ。間違いない」
「むー、怪しい」
しかし三玖は右腕と首の絆創膏を見比べて疑ってきた。
こいつ、自分がやったもんだから気にしているのだろう。
その疑いはハズレではないが、怪我をしたのも事実。
ここはなんと言おうと言い張らせてもらうぜ……!
「あ、絆創膏が剥がれかかってますよ。新しいものを持っているので貼り替えますね」
五月のお節介でペリッと剥がされてしまった。
上三人の視線が右上腕に集中するのをありありと感じる。
隠そうとしたが、その前に一花が俺の手を掴んで止めた。
そこにあったのは絆創膏型の日焼け跡の中の小さな傷と、それを覆うような内出血の痕。
「なんですかこれ……虫刺され?」
「いや、キスマークでしょ」
一花がズバリ答えを言ってしまった事で、四人の視線が俺の顔に集中する。
後ろで四葉が口を押さえて顔を赤くしていたが、誰も気づかない。
まぁ、気づかれていたら一瞬で犯人がバレるのでそれは良しとしよう。
「む~~、やっぱり!」
「へぇ、私にはあんまりくっつくなって言っておいて、他の子にはこんなことさせてたのね」
「ううぅ……私もしてみたいです」
三玖は頬を膨らませて、二乃は笑顔だが目が笑っていない。
五月に至っては自分の願望を垂れ流しにしていた。
そんな目を向けられても、この場で俺に一体何ができるというのか。
そして一花はあくまで優しく俺の肩に手を置いた。
「とりあえず、話は家で聞こうかな」
その後、懐かしのマンションにて五つ子裁判が執り行われた。
色々と一方的な裁判になったのは言うまでもない。
とりあえず四葉は挙動不審が過ぎて、あっという間に被告人席送りになったとだけ言っておこう。
もう少しだけとか、これぐらいならとか考えているうちは抜け出せないことに四葉が気づくのはいつなのか。
気づいたとしてもその時には手遅れかもしれません。
次回は二乃とか一花の話になると思います。