フー君が思春期の青い衝動に振り回される話   作:kish

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昨日のうちに投稿したかったけど眠気には勝てなかったよ……


その衝動に名前をつけるなら

 

 

 

「一花が学校を辞める……?」

 

 寝巻き姿のままで二乃は呆然と呟いた。

 夏休み中のとある朝、四葉は先日偶然聞いてしまった事を姉妹に打ち明けた。

 一花はまだ寝ているので部屋から出てきていない。

 

「あの……聞き間違い、とかではないですか?」

「多分、違うと思う」

 

 聞き間違いにしたかったのは四葉も同じだが、残念ながらはっきりと聞いてしまった。

 一花本人に問いただせば話は早かったのだろうが、そこまでの踏ん切りはつかなかったので、こうして先に他の姉妹に打ち明けたのだが……

 

「信じられません。そんな素振りは全然見られなかったのに」

「きっと四葉の早とちり。プールでも楽しそうにしてた」

「そ、そうよ。どうせ一花は相談を受けてただけとか、そういうオチに決まってるわ」

「そうなのかなぁ……」

 

 三人は口々に否定したが、四葉の不安をぬぐい去る事はできなかった。

 そして不安が根付いたのは否定した本人達も同様だ。

 四人は重い空気の中で黙り込んでしまった。

 

「……こうなったらもう、手段は一つよ」

「何か名案があるのですか?」

「単純な話よ。本人に聞く、それが手っ取り早いわ」

「二乃、それはヤブヘビ――」

 

 言い終わる前に二乃は動き出した。

 止めようとした三玖の手は届かない。

 言わんとすることはわかるが、それでは何も進まない。

 待っているだけというのは、二乃の性に合わないのだ。

 一花の部屋のドアに手をかけ、勢い良く開け放つ。

 ここに戻ってきてからそう日は経ってないというのに、もはや床には衣類や雑誌が散乱して雑然としていた。

 部屋の主はベッドの上で寝息を立てている。

 汚部屋を突っ切って、二乃は一花の元へ。

 

「一花、起きなさい」

「う~ん……そこはダメだよぉ、フータロー君……」

 

 一体どんな夢を見ているのやら、必要以上に艶かしい声だった。

 夏場で暑いからか寝姿も相当にきわどい。

 かけられた薄布一枚の下は体のラインがくっきり出ていて、下着を着けているかどうかも怪しかった。

 とりあえずイラっときたので、二乃は一花の体を少々乱暴に揺すった。

 

「起きなさいったら」

「んぅ……あれ、二乃? フータロー君は?」

「いるわけないでしょうが」

「ふわぁ……なんだ、夢かぁ……ならもう一回」

「起きなさいって言ってんでしょ!」

 

 二度寝をカマそうとしたので、チョップを頭に落とす。

 さすがの一花も寝入ることはできず、渋々と身を起こした。

 

「おはよー……朝からどうしたのさ」

「あんた、学校辞めるって本当?」

「え、何それ?」

 

 それなりの覚悟をもっての問いだったが、一花の反応はあっさりとしたものだ。

 首を傾げるその姿に二乃は胸を撫で下ろした。

 部屋の入り口では妹たちが心配そうに見守っていた。

 四葉の杞憂だったのだと、からかってやろうと振り返る。

 しかし一花の次の言葉が二乃の動きを縫い止めた。

 

「なーんて……まぁ、いつまでも黙ってられないよね」

 

 藪をつついて出てきたのは蛇どころではない何かだった。

 三玖の不安は的中したのだった。

 

 

 

 

 

「押してダメなら引いてみろ……なるほど、そういうのもあるのか」

 

 自他共に認める勤勉な俺は病院の入口の前でも勉強に余念がない。

 待ち合わせまでの空き時間を、こうして参考書に目を通すことで有効活用していた。

 先人の知恵に基づいたテクニックは中々に奥が深い。

 気になる異性を如何にして振り向かせるかという話だが、正直こんな高等技術は使いこなせる気がしなかった。

 さじ加減を間違えれば相手が離れていってしまうだろうし、そもそも俺が引いたところであいつらが無遠慮に踏み込んでくる未来しか見えない。

 いや、別に気を引きたいとかそういうわけじゃないんだが。

 

「いや、待てよ……?」

 

 引けば寄ってくるというのならば、逆に押せば距離を取るのでは?

 プールに誘ってからというもの、中野姉妹のマンションに何度か招かれている。

 会えなくて寂しいのなら会いに来ればいいのだと、ドヤ顔で言われてしまったのだ。

 否定したかったが、電話口でそんな事を言ったのは事実だ。

 そしてそれを認めてしまえば、あながち悪い提案とも思えなかった。

 なんたってあのマンションはエアコンが効いている。

 図書館もそうなのだが、今は夏休み中のためか利用者が多い。

 同じく受験生と思しき輩と席の取り合いをするよりは、こちらの方がマシということだ。

 実際に俺がリビングで黙々と勉強をしていようと、あいつらが邪魔してくることはなかった。

 むしろ飲み物やご飯の提供があったりと間違いなく待遇は良い……あくまで勉強している間は。

 問題はその後、これから帰ろうというタイミングで中野姉妹が動き出す。

 引き止めるのは序の口で、自分の部屋に連れ込もうとしたり息抜きと称して遊びに出ないかと誘ってきたり。

 せっかくだから汗を流して行けと言われた時は、身の危険を感じたので全力で辞退した。

 二乃の時と同じように、そんな状況で何かをされて平気でいられる自信はなかった。

 あのプールの一件で思い知ったが、夏休みに入ってからの俺はどうも中野姉妹に対するガードが甘くなってしまっている。

 ここで押すだの引くだのという話に戻るのだが、要は攻められっぱなしなのが問題なのだ。

 逆に俺が攻め込む姿勢を見せれば、あいつらも動揺して二の足を踏むかもしれない。

 重要なのは見せるだけじゃなく、実際にある程度行動に移すことだろう。

 下手な脅しでは一花のようにカウンターが飛んでくる可能性がある。

 その上で自分を制して踏みとどまらなければならないとなれば、相当に難易度が高い。

 しかしやってみる価値はあるように思えた。

 丁度今は二乃と待ち合わせている最中だ。

 店長の見舞いに行く約束をしているのだが、この機会に実践して感触を確かめてみよう。

 

「……お待たせ」

「二乃、来たか……」

 

 緊張で見舞い用に持ってきた花束を握る手に汗が滲む。

 異性に自分からアプローチするなんて、それこそどうすればいいのかわからない。

 参考書にはたしか……駄目だ、頭が真っ白になっている。

 いくら頭に知識を詰め込んだとしても、それを引き出せないようであれば意味がない。

 ぐるぐると空回りを繰り返した末、俺の頭はどうにか手をつないでみるという案を吐きだした。

 早速実行しようとしたのだが――

 

「早く行くわよ。ここ暑いし」

 

 既に二乃は病院内に入ろうとしていた。

 空振った俺はすごすごと後を追うしかない。

 

「……」

「あー、二乃」

「なに?」

「この花なんだが――」

「店長に持って来たんでしょ。いいんじゃない?」

 

 懸念事項の一つはとりあえず解消された。

 それっぽい花をいくつか選んでは来たものの、自信はなかったので元々二乃に意見を求めるつもりだったのだ。

 しかしそれ以上に気になるのは、こいつの態度だった。

 良いとか悪いとかそういう話じゃなく、単純にいつもと違って戸惑ってしまった。

 思えば最近は会うたびに抱きついてきたりと、とにかく接触があったのに今日はそれがない。

 普段より淡白というか素っ気ないというか……

 ベッタリとくっつかれても困るが、いきなりこれでは気になって仕方がない。

 この状況は……そう、まるで例の本に書かれていたテクニックのような――

 

「いや、まさかな……」

「どうかした?」

「な、なんでもない」

 

 なるほど、たしかにこれは効果的だ。

 動揺を悟られないようにするので精一杯だった。

 まさかとは思うが……二乃が意図的にやっているのだとしたら、慌ててしまってはこいつの思うつぼだ。

 そしてそうなのだとしたら、俺が踏み込もうとするのは相手の術中ということになる。

 ……危なかったぜ。

 

「やぁ、二人とも。元気にしてたかい?」

 

 受付を済ませてから病室に向かうと、いつも通りの態度の店長が出迎えた。

 左足には痛々しいギプスが嵌められていたが、それ以外は元気そうだった。

 手術も済んでおり、あとは経過を診て問題がなければ退院という流れらしい。

 

「これ、つまらない物ですが」

「ありがとう」

「これ、花です」

「たしかに花だ。ありがとう」

 

 二乃は手に提げていた紙袋を、俺は持参した花束の一つを渡す。

 見舞いの作法はよく知らないが、とりあえず渡した物に店長が気分を害した様子はなかった。

 ただ、俺と二乃を見比べて自分の顎に手を当てだしたのは気になる。

 俺たちの格好になにか思うところがあったのだろうか。

 二乃の格好は普段とあまり変わらないように見えるし、俺は学校の制服だ。

 店長が何に疑問を抱いてるのかがわからなかった。

 

「ところで上杉君、彼女となにかあったのかい? 元気がなかったようだが」

 

 そして二乃が飲み物を買いに席を外した後にそう切り出してきた。

 元気がない……その言葉が妙に腑に落ちた。

 

「僕の経験上、あまり思いつめないうちにフォローした方がいい」

 

 そうだ、ここは押すだの引くだの考えている場合じゃない。

 せっかくここまで来たのにドロップアウトなんてされたら堪ったもんじゃない。

 あいつには特に手を焼かされたので尚更だ。

 そしてなにより、二乃が悲しんでいるのだとしたらそれをどうにかしたい。

 それが偽りのない俺の本心だった。

 

「店長、すみません」

「いいさ、また店でバイトする時に元気な姿を見せてくれ」

 

 病室を出て二乃を追う。

 どうすればいいかなんてわからなくても、動き出さずにはいられなかった。

 ここ最近で膨れ上がった、性欲とはまた違う青臭い衝動。

 思えば、この感情を一番に意識させてきたのは二乃だった。

 きっと人はそれを恋だとか呼んでいるのだろう。

 そしてそれが複数ある俺は、きっととんでもなく不誠実な男だ。

 

 

 

 

 

『まだはっきりとそう決めたわけじゃないんだけどさ。もう普通に通うのは厳しいと思う』

 

 病院のロビーを所在無く歩く二乃の頭の中では、一花の言葉がぐるぐると巡っていた。

 九月からの長期ロケが決まっていて、その撮影と稽古で日中の大部分の時間が取られてしまうらしい。

 撮影地も離れているので、下手をすれば家に帰れない日も多くなるのだとか。

 当然、学校に通うのは不可能だ。

 他の姉妹も動揺していたが、二乃のショックは大きかった。

 高校を出たら離れてしまうのだとしても、それまでは……いや、だからこそ卒業までの期間は一緒に過ごしたかった。

 風太郎に夢中な二乃でも、この状況では姉妹への想いが勝った。

 

「二乃君」

「……パパ」

 

 声をかけてきたのは、中野姉妹の父親であるマルオだった。

 仕事着である白衣を身につけていた。

 この病院の院長であるため、ここで顔を合わせるのもおかしな話ではない。

 

「一花君から聞いているよ。ようやく帰ってきてくれたみたいだね」

 

 マルオの口から出た名前に、二乃は拳を握り締めた。

 アパートを出る際に、一花があちこちへ連絡してくれていたことは知っている。

 当然、姉妹の父親であるマルオにも報告はしたのだろう。

 

「パパは……一花が学校辞めるって知ってたの?」

「……退学を考慮していると連絡は受けたよ」

「止めなかったの?」

「彼女の夢を考えるなら、確かに学校に通い続けるのは現実的じゃないね」

「答えになってないわ」

「すまないが、もう行かなくては」

 

 二乃と向かい合ったのも一時のことで、マルオはすぐに次の診療へと行ってしまった。

 不満はずっと募っていた。

 なんで家族なのに一緒にいてくれないのか、と。

 それでも普段はずっと飲み込んでいた。

 忙しいのは理解していたし、それが自分たちのためなのだとも思っていたからだ。

 不自由のない暮らしを与えてくれていることにも感謝している。

 しかし、この場においては踏み込んでこようとしない父親への不満が勝った。

 

「――いつもそう!」

「家にいても全然帰ってこない! 私たちに何かあっても全然連絡もくれない!」

「去年、私と五月が家出した時だって電話もメールもくれなかった!」

 

 二乃が喚き散らしてもマルオは一瞬足を止めただけで、すぐに歩き出してしまった。

 怒りと悔しさと悲しさとやるせなさ……様々な感情が混ざった涙で視界が滲む。

 周囲の人たちが何事かと目を向けるが、気にする余裕はなかった。

 フラフラと近くのソファーの背もたれに手をつく。

 

「パパなんて、パパなんて……」

 

 うわ言のように呟く。

 そんな二乃に触れようとするものはいなかった。

 ただ一人を除いて。

 

「二乃!」

「……フー君」

 

 

 

 

 

 二乃の手を引いて何処かを目指す。

 これからやろうとしている事を考えれば、できるだけ人がいない場所が望ましい。

 

「……」

 

 まるで糸が切れた人形のようにされるがままだった。

 ロビーで涙を浮かべた二乃を見つけた時、俺は自分を殴り倒したい衝動に駆られた。

 なんで気づいてやれなかったのか、と。

 二乃の様子がおかしいことは最初からわかっていたはずなのに。

 傲慢かもしれないが、俺にはこいつと向き合ってきたという自負がある。

 それだけに自分の不甲斐なさがただただ腹立たしい。

 

「二乃、大丈夫か?」

「……大丈夫、じゃないかも」

 

 その言葉に少しだけ安心する。

 大丈夫じゃないと言ってくれるということは、こちらに向けて助けを求めているということだ。

 助けを求められない奴は、こういう時にも大丈夫と言って誤魔化すのだ。

 一花と四葉の顔が浮かぶ……浮かぶといってもほぼ同じ顔なわけだが。

 あの二人は理由は違えど問題を抱え込む傾向にある。

 まぁ、俺も五月に叩かれて目を覚ましたぐらいだから人のことは言えないか。

 ともかく、今は二乃だ。

 人気のない廊下で立ち止まる。

 

「今から俺は自分がやりたいことをする。文句や不満、その他に言いたいことがあったらそれが終わってからにしてくれ」

 

 二乃は目を伏せたまま小さく頷いた。

 よし、とりあえずは了承を取った。

 あとは俺の踏ん切りだけ。

 なにも難しく考えることはないはずなんだ。

 いつもやられていることを、こいつにし返すだけなのだから。

 そうして深呼吸すると――俺は思い切り二乃を抱きしめた。

 

「――っ」

「どうだ、恥ずかしいか? 恥ずかしいだろ。俺はいつもこんな思いしてるんだぞ」

 

 フォローするなんて言っても具体的な方策が思いつかない俺は、もういっそ開き直って行動で示すことにした。

 離してなんてやらない、一人にしてなんかやらないのだと。

 ともすれば俺の執着から出た行動なのかもしれないが、ストレートな二乃には同じくストレートに、だ。

 いつか模試の時も同じようにしていたが、あの時のように必要に迫られてじゃない。

 俺は、俺がしたいからこうしている。

 

「フー君……」

「苦しいか? でももう少しだけ我慢してくれ」

「ううん、安心する」

 

 背中に二乃の手が回される。

 いつものようにいたずらに情欲を煽ろうとするものではなく、あくまでも優しい手つきだ。

 無言のまま抱き合い、しばらくしてからどちらともなく離れる。

 二乃の顔が見れないので天井の蛍光灯を見上げる。

 鼓動は早いのに気分は悪くなかった。

 

「フー君はいなくなったりしないで、ずっと傍にいてくれる?」

「……現実的には難しいな」

 

 高校を出て県外の大学に進学するという目標は変わらない。

 卒業してひと月も経てば俺は中野姉妹と物理的に離れざるを得なくなるだろう。

 五月に言ったように、距離が離れることで切れる関係もあるのかもしれない。

 

「だがあいにくと、俺はお前らとの関係を切る気はさらさらない」

 

 俺には中野姉妹を変えた責任があるらしい。

 そして俺から言わせれば、こいつらにも同様に俺を変えた責任がある。

 お互い様、というやつだ。

 

「なにそれ、ストーカー宣言?」

「何とでも言え。とりあえず、これだけ渡しておくわ」

 

 手に持った花束を二乃に渡す。

 元々そうしようと思って持ってきたものでもある。

 たしか、明日だったはずだ。

 

「花束? も、もしかして愛の告白かしら」

「お前にじゃねーよ。お前の母親にだ。命日は明日だったろ」

 

 詳しい日にちは前に四葉から聞いたことがある。

 月命日に毎回通っているのは五月だけだが、命日にはみんな揃って行くのだという。

 

「俺は部外者だから大したことは出来んが、せめて花だけは贈らせてくれ」

「……ううん、そんなこと言わないで。フー君も一緒に来てほしい」

「いいのか?」

「聞いてもらいたいこともあるし……それに、お母さんに私の大好きな人を紹介したいの」

 

 照れながらも穏やかな笑顔。

 これだ、この顔が俺の青臭い衝動を一番揺り動かす。

 自然と二乃の頬に手が伸びた。

 二乃は俺の手をとって自分の頬に擦り付けると、目を閉じて顔を少し上に傾けた。

 行為自体は慣れたものだが、いざ自分からとなるとやはり緊張してしまう。

 それでも嫌な気は全くしない。

 俺は、吸い寄せられるように二乃と――

 

「何をしているのかね?」

「「――っ!」」

 

 その声に弾かれるように離れる。

 少し離れた廊下の先に中野父の姿があった。

 冷や汗がダラダラと流れ出す。

 い、一体いつからそこに……

 

「上杉君」

「は、はい」

「君の学業における成績は申し分なく素晴らしい」

「あ、ありがとうございます」

「家庭教師としての手腕ももはや疑うことはないね」

「きょ、恐縮です」

「娘達のために尽力してくれたことにも感謝している」

「そ、それほどのことでは……」

「しかし君はあくまでも家庭教師……僕の言いたいことはわかるね?」

 

 要約すると、娘に手を出したらタダじゃおかねぇぞ、だろう。

 家庭教師に復帰する際に散々釘を刺されたことを思い出す。

 コンプライアンス違反からのクビという図式が頭を過ぎった。

 

「くれぐれも……くれぐれも、よろしく頼むよ?」

「精一杯励みます!」

「よろしい。では、僕は失礼するよ」

 

 いつかと同じように、俺にたっぷりと圧をかけて中野父は去っていった。

 その背中が見えなくなるまで動くことができなかった。

 切れた時の親父にも匹敵するほどの迫力だった。

 

「……何しに来たのかしら。さっきはあんなに騒いでも振り向きもしなかったくせに」

「何ってお前な……」

 

 今の言葉から察すると、病院のロビーで二人は顔を合わせたようだ。

 その際に色々とあったのだろうが、中野父は忙しくしているのだと聞く。

 そんな人がこんな廊下の外れまでやってくる理由はそう多くないだろう。

 しかも去っていった方向を見るに、来た道を引き返していったようだ。

 これはもう、娘を心配して見に来た以外の答えは見つからなかった。

 俺からしたらかなり分かりやすいのだが、二乃からしたらそうではないのだろう。

 

「墓参り、親父さんは来ないのか?」

「……来るわけないでしょ」

 

 二乃は面白くなさそうに吐き捨てたが、俺にはそれが寂しさを堪えているように見えた。

 

 

 

 

 

 翌日、俺は五つ子にくっついて中野家の母の墓参りに来ていた。

 ここに来るのは二度目になるか。

 最初は丁度半年前、今とは正反対に寒い時期だった。

 あの時は五月の様子を見るために訪れたのだが、先生になるという夢を聞いたのもそれが最初だったか。

 

「どうかしましたか?」

「いや、今日は暑いな」

「今日は、と言うより今日も、と言うべきですね」

 

 五月は毎月律儀に墓参りに来ているらしい。

 周囲の墓石と比べて綺麗に見えるのは、こいつがこまめに掃除しているからだろうか。

 それだけ母親への思い入れが強い、ということか。

 姉妹の母親役を務めようとしているのも、そこに関係しているのかもしれない。

 

「っと、水はここでいいか?」

「うん、ありがとフータロー。四葉、雑巾出して」

「はいはーい」

 

 一応掃除のために水を汲んできたのだが、ほとんどすることはなかった。

 毎月の手入れが行き届いているからだろう。

 軽い掃除を終えて持参した花を供えると、中野姉妹は並んで手を合わせ始めた。

 各々が何を思っているのかはわからない。

 しかしひたむきに手を合わせる姿から、亡き母親への想いの強さが垣間見えた。

 俺も五つ子にならって手を合わせる。

 面識も何もない部外者だが、故人の冥福だけは祈らせてもらおう。

 あなたの娘達は精一杯元気にやっているぞ、と。

 

「そういえばこの花、だれのなんだろ」

 

 四葉が指したのは俺達が来る前から供えられていたものだ。

 可能性として一番ありそうなのは中野父か。

 あの爺さんという可能性もあるが、島から出てくるのならこいつらも把握しているだろう。

 もちろんその他の生前の関係者という線もある。

 なんにしても、こうして考えたところで答えはわからない。

 

「お父さんじゃない?」

「まさか、そんなわけないでしょ」

 

 三玖の言葉を否定する二乃。

 意固地になっている気がするが、多分気のせいではない。

 思えば、三月の旅行の時以外であの父親とこいつらが一緒にいるのを見たことがない。

 職業柄忙しいのは理解できるが、休みの日にも全く顔を合わせないのは少々不自然だ。

 しかし無関心なのかといえば、それは違うと断言できる。

 本当にどうでもいいのなら、娘達に悪い虫が近づいたとしても気にかけたりはしない。

 いや、決して俺が悪い虫だというわけじゃないんだが。

 

「さ、一通り済ませたし帰ろっか」

「その前に少しいいかしら」

「どうかした? あ、せっかくフータロー君もいるし皆でご飯食べてく?」

「言わなきゃいけない事、あるでしょ」

「……」

 

 真剣な表情の二乃に対して、一花は気まずそうにしていた。

 見守る他三人もどこか表情が硬い。

 楽しい話題ではないのは雰囲気で嫌でもわかってしまう。

 二乃が昨日言っていた『聞いてもらいたいこと』がそうなのか。

 病院では詳しい話は聞けなかったため、俺は一花の言葉を待つしかない。

 目をそらして黙り込んでいた一花だが、意を決するように深呼吸。

 そして静かに口を開いた。

 

「……実は、学校を辞めようか迷ってるんだ」

 

 学校を辞める……つまりは一花がいなくなる。

 以前も同じような事を言われたことがある。

 だと言うのに、その言葉は決して少なくない衝撃を伴って俺の中に突き刺さった。

 あの時と違いがあるとすれば、それは俺の中の感情だ。

 受け入れがたい喪失感が俺の心臓を鷲掴みにしようとしていた。

 

「林間学校の時もそんな事を言っていたな」

「そうだね……」

「今回もなんとかならないのか?」

「長期ロケで学校に通ってる時間が全然ないんだ。家に帰れない日だってあると思う」

 

 今まで一花は女優業と学校を両立させてきた。

 穴を開けることもあったが、基本的な軸は学校生活にあったはずだ。

 それは事務所側の配慮があったのかもしれないし、そもそも駆け出しゆえに多大な影響を及ぼすほどの仕事がなかったのかもしれない。

 なんにせよ、一花自身の努力でカバーできる範囲だったのだ。

 

「社長も心配してくれてさ。私の意思を尊重するって言ってくれたけど、正直今まで通りっていうのは難しいだろうって」

「そう、か……」

「ねぇ、フータロー君……私、どうしたらいいのかな?」

 

 震えた声と、縋るような目。

 妹達の前で張っていた長女としての意地は剥がれていた。

 そして平静を失っているのは俺も同じだった。

 こいつが自分の夢にどれだけ直向きなのかはよく知っている。

 女優としての成功を望むのならば、あの社長の言うとおりにすべきだろう。

 しかし、俺の中の青臭い衝動がそれを認めない。

 理性は背中を押すべきだと訴え、感情は引き止めろと喚き散らす。

 そのせめぎ合いの中でやっと出たのは、逃げの言葉だった。

 

「……それはお前自身が決めることだろ」

「そっか、そうだよね……ごめんね、困らせちゃって」

 

 一花は寂しそうに笑った。

 見ていられなくて、堪らず目をそらす。

 自分の無力さに怒りが湧いてくる。

 必要とされる人間になるために勉強をしてきたはずだった。

 だというのに、必要とされた時に何もしてやれない。

 俺は、一花のこんな笑顔が見たいわけじゃないというのに。

 

「悪い、先に帰らせてもらう」

「フー君!」

「すまん、少し一人で考えたいんだ」

 

 二乃の声に背を向けて歩き出す。

 俺を頼ってくれたというのに、文字通り合わせる顔がなかった。

 そしてこの日の夕方、中野父から電話が来た。

 一花を家庭教師の対象から外す――内容は簡潔だが受け入れがたいものだった。

 

 

 




長くなりそうなのでここらで切ります。
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