予告通り今回は五女の出番です。
むしろ五女以外の姉妹はほぼ出てきません。
しかも書いてるうちに膨らんでなんだか長くなりました。
五女が喪失する話です。
「それじゃあ、またよろしく頼むよ」
今ではなんだか見慣れてしまった外車が上杉家の前から走り去っていく。
時刻はもう午前十時前――朝とも昼ともつかない微妙な時間帯である。
今日は日曜日ではあるが、らいはも親父ももう起きて活動しているだろう。
昨夜は一花との撮影があり、その後色々あって泊まる羽目に。
本当ならば始発に乗って家族が起きる前に帰りたかったのだが、朝になって織田社長に捕まりなんやかんやあって遅れてしまった。
そのおかげと言ってはなんだが、送ってもらえたので移動費が節約できたのは幸いか。
「た、ただいまー」
恐る恐る家のドアを開ける。
返事はなく誰もいないのかと思ったが、らいはの靴はしっかりとある。
いつもならば天使のような笑顔で出迎えてくれるのだが、今日はそれがない。
安普請である事は見たまんまの部屋なので、ドア一つ隔てていても声は普通に届く。
もしかして具合が悪くて動けないのでは……!?
慌ててキッチン兼ダイニング兼寝室へとつながるドアを開ける。
「らいはっ」
果たしてらいはは無事だった。
部屋に飛び込んだ俺の真正面で仁王立ちしていた。
眉根にしわを寄せ、私怒ってますオーラを放っている。
そんな姿も可愛らしいのが俺の密かな自慢の一つだ。
「お兄ちゃん、お話があります」
問答無用で正座させられた。
その状態でらいはの説教が始まった。
うんまぁ、心配させた自覚はある。
遅くなるとは伝えたが、朝帰りするとまでは言っていない。
これが逆の立場だったら、いてもたってもいられなくなるのは間違いない。
ここは素直に反省しよう。
どうかこの一花の誘惑に負けてしまった情けない兄を許してくれ……
「もうっ! いつからそんな不良さんになっちゃったの?」
返す言葉もなかった。
夜遅く出歩いて朝帰りをかますのは、素行不良の見本のようなものだ。
加えて複数人と不純異性交遊を重ねているとなれば、最早言い逃れの余地は存在しない。
まぁ、そこらへんの事情は伝わっていないはずなので大丈夫だとは思うが。
……伝わってないよな?
「ともかく、私はすごーく心配しました」
「ごめんなさい、今後は気をつけます」
「はい、よろしい」
一度お玉で俺の頭を軽く小突くと、らいははいつも通りの笑顔を浮かべた。
ひとまず許してもらえたらしい。
正座を解いて食卓に突っ伏す。
一週間の疲れがのしかかってきているような気がした。
ここ最近はバイトや家庭教師のみならず、学園祭の準備にも追われている。
「そういえば親父は?」
「野暮用だって出かけちゃったよ」
今日は珍しく、親父の仕事は休みだ。
そういう場合は大抵は家でのんびりしているはずなのだが……外で遊ぶのにも金がかかるのだ。
ただ単に遊びに行ったのか、それとも誰かに会いに行ったのか。
なんにしてもたまの休日なのだ。
親父は思うように羽を伸ばせばそれでいい。
「お兄ちゃん、朝ごはんは?」
「悪い、むこうで食ってきた」
俺としてはそのつもりはなかったのだが、あの社長がご馳走してくれたのだ。
娘が世話になっている礼だ、とか言っていたが、それはそもそも頼まれた仕事の一部だ。
返すあてのない借りばかりが溜まっていくのはどうも座りが悪い。
それを正直に伝えたら大笑いされ、大人と子供の関係なんてそんなものだと言われてしまった。
「らいは、なにかあるなら手伝うぞ」
「んー、それよりもちょっと休んだら? 眠そうだよ」
指摘通り、ただ今絶賛寝不足気味だった。
昨夜は遅く、今朝は早かったので単純な睡眠不足だ。
これぐらいなら気合でなんとかならない事もないが、今日はフリーの日曜日だ。
バイトもなにもなく、時間だけが有り余っている。
それを勉強に費やすとして、昼までの時間を仮眠に充てたとしても罰は当たらないだろう。
「少し横になる。昼まで寝てたら起こしてくれ」
「はーい」
食卓から離れ、自分のリュックを枕にして畳の上に横になる。
布団を出すと場所を取るし、寝入ってしまうからこれぐらいでいい。
見るとらいはは食卓にノートを広げていた。
学校で出された宿題を片付けるつもりなのかもしれない。
さすがは俺の妹。
どこぞの五つ子と違ってしっかりしている。
しかしその矢先、来訪者を告げるチャイムの音が響いた。
「あ、お客さんだ」
「いい、俺が出る」
立ち上がろうとするらいはを制して玄関に向かう。
せっかくの勉強の時間なのだから、集中させてやりたい。
なに、寝る前のひと仕事と思えば大したことはない。
なんせ最近は返済が順調だから借金取りも来ないしな!
「あ、上杉君、おはようございます」
ぴょこんと飛び出た頭頂部のアホ毛に星のヘアピン。
真面目馬鹿の五月がそこにいた。
そっとドアを閉じる。
『待ってください! どうして閉めちゃうんですか!』
ドンドンガチャガチャと、ドアの外が途端に騒がしくなる。
こんな事をしたって現実が何も変わらないのはわかっている。
ただ、平穏な休日が終わりを告げた事から目をそらしたかっただけなのだ。
「もうっ、そういう意地悪なところは変わりませんね」
追い返すわけにもいかないので、結局は家に上げることになってしまった。
五月はプリプリとしながらも、お邪魔しますと我が家に踏み入った。
「あ、五月さんだ。いらっしゃい」
「お邪魔しますね、らいはちゃん」
「らいはは勉強中だ。手短にな」
「そうだったのですか……良ければ私が見てあげましょうか?」
「わー、五月さん先生みたい」
バッグから取り出した眼鏡をかける五月。
らいはの言葉にドヤ顔が隠しきれていなかった。
つーか何しに来たんだこいつ。
「待て、そもそもの用件はなんだ」
「あ、忘れてしまうところでした。こちらです」
五月が差し出してきたのは洋型の封筒だった。
手紙やハガキを入れるようなサイズだが、その中身は――
「なにこれ……学園祭の招待状?」
「四葉が上杉君に渡した覚えがないというので」
「……そういえばすっかり忘れてたな」
言い訳をするみたいだが、ここ最近の忙しさで招待状の事は忘れ去っていた。
管理を四葉に一任していたというのもあるだろう。
「わ、すごいよこれ。無料券や割引券も入ってる!」
「ふふ、是非私たちの屋台にも来てくださいね」
「五月さんありがとう! ほら、お兄ちゃんもお礼言って」
「ありがとな。このままだったら渡しそびれるとこだった」
「い、いえ……今日私が渡さなくても、その内四葉が気づいたと思いますし」
五月は頬を赤らめながらも、こちらにチラチラと視線を寄越してくる。
らいはの前では誤解されるから、そういうのはやめてほしいんだが……
いや、互いの感情を鑑みれば完全に誤解というわけではないのかもしれないが。
「五月さん、なにか飲む?」
「お水で構いませんよ」
「帰らないのかよ」
「せっかくですし、らいはちゃんのお勉強を見てあげようかと」
「わー、頼もしい」
女子二人は乗り気だった。
これはもうどうにもならないと悟った俺は、当初の予定通り仮眠する事にした。
「五月さん、この問題なんだけど……」
「ああ、こちらはですね――」
しかし中々眠れない。
物音だとか話し声だとか、人がいるせいではない。
ただ単純に、五月がらいはに勉強を教えるという事態が気になって仕方ない。
より具体的に言うと、五月に教師が務まるのかという不安だ。
最終的な目標はともかくとして、今は発展途上もいいところ。
得意科目のみなら姉妹にも教えていたから大丈夫だろうが、他の部分に関しては未知数だ。
もし間違った知識を教えようとしていたら、俺は断固として阻止しなければならない。
妹を守るのは兄の役目なのだ。
「へぇ、そういう風に考えればいいんだ。面白いね!」
「ええ、社会科はどれも暗記ばかりで退屈かもしれませんが、こうやって一つ一つを関連付けていけば覚えやすいんです」
が、心配に反して五月は実に丁寧に教えていた。
苦手な教科の内容でも問題なくこなしている。
まぁ、内容が中学一年のものなので、それぐらいの理解は当然なのかもしれないが。
ともかく教え方には実感がこもっており、時折身に覚えのあるやり方も見え隠れする。
『それでも、あなたは私の目標なんです』
修学旅行でそんな事を言われたのを思い出す。
俺が教えた事は、たしかにこいつの中で血肉となっているようだった。
そう考えると少しだけ照れくさく、それと同じだけ誇らしい。
不安はすっかり鳴りを潜めていた。
薄目に未来の教師の姿を収め、眠りにつこうとして――
「あ、そろそろお昼だ。お兄ちゃん起こさなきゃ」
どうやらいつの間にかそんなに時間が経っていたらしい。
……結局一睡もできなかった。
「「ごちそうさまでした」」
「おそまつさまでしたー」
そしてなんだかんだで五月も一緒に我が家で昼食をとった。
今日のメニューはチャーハン。
いつもより具が多めの大盤振る舞いだった。
「洗い物は任せてください!」
五月は三人分の食器をまとめると、スポンジを手に洗い物を始めてしまった。
その動きに淀みはない……というのも、家出中にここで寝泊まりしていた経験があるからか。
勝手知ったるなんとやらである。
「えへへー」
「楽しそうだな」
「うん、今の私は兄嫁を見守る小姑の気分かな」
水の音に混じって、何かがパリンと割れる音。
俺とらいはは揃って洗い物中の五月の背中に目を向けた。
なんだかプルプル震えていた。
「ごごご、ごめんなさい! すぐに片付けてしまいますので――あっ」
パリンパリンと、音が連続する。
慌てるあまり二次被害が出てしまったようだ。
流しを覗き込むと、元は三枚だったはずの皿が十数枚の破片へと変化していた。
さながらポケットに入れて叩いたビスケットのようである。
あわあわと破片をかき集める五月の手を取って止める。
こんな手つきでは、いつ指を切るかわかったもんじゃない。
「落ち着け」
「で、でも――」
「いいから落ち着け。破片は俺が集めるから新聞紙を持ってきてくれ。場所はわかるだろ」
「わかりましたっ」
五月はパタパタと慌ただしく押し入れに向かった。
布団の収納スペースだが、半分は物置になっている。
その一角に親父が時折持ち帰ってくる新聞などを備蓄してあるのだ。
あると何かと役に立つので馬鹿にはできない。
破片をあらかたまとめるとビニール袋を取り出す。
その中に五月が持ってきた新聞紙を敷き詰めて破片を放り込み、縛って密封する。
とりあえずはこんなところか。
それほど細かい破片がなかったのが幸いだった。
「ううぅ……すみません」
「それより怪我は?」
「ありません――ひゃっ」
五月の手を掴んでしっかりと確認する。
失敗をしたやつの自己申告はあてにならない事がある。
これ以上の心配をかけまいと隠そうとするからだ。
言った通り傷はなかった。
しかし、その白く細い指には似つかわしくないペンだこが出来ていた。
成果はともかくとして、ペンを握り続けている事に間違いはなさそうだ。
「あの、上杉君?」
「いい手だ。頑張ってるじゃねーか」
「あ、あ――」
瞬間湯沸かし器かなにかだろうか、五月の顔が真っ赤に染まった。
いや、ここでそんな反応されても困るんだが……
「天国のお母さん、私にお姉ちゃんが出来る日も遠くないかもしれません……」
「「――っ」」
弾かれるように離れる。
くそっ、らいはの前で迂闊な事をしちまった……!
何の影響かはわからないが、最近の我が妹はマセてきているのだ。
「これはそういうのじゃなくてあれだっ、単なる治療行為に過ぎないのは確定的に明らかで――」
「うんうん、ちゃーんとわかってるよ」
どう考えてもわかっていない。
しかし、この状態でどんなに言葉を尽くしたところで焼け石に水。
せめて水量が増えればと五月に声をかけたが戦闘不能状態だった。
俺の兄としての威厳が損なわれつつあった。
……最近こんなのばっかだな。
休日のデパートはそれなりに混んでいる。
その一角、食器が置いてあるスペースに俺と五月は来ていた。
目的は割ってしまった皿を含む日用品の補充だ。
俺としては勉強する気が満々だったのだが、らいはの鶴の一声によってこの状況に至る。
「むむむ、どれにするか迷いますね……」
「んなもん何でもいいだろ」
「いいえ! 私が割ってしまったからには最高のものを選んでみせます!」
という感じで、しばらくこの場所から動けないでいた。
百均で売っているものでも十分なのだが、せっかくだからもう少し良いものを買うとのことだ。
確かに代えが効くと思っていると、扱いはぞんざいになってしまうかもしれない。
弁償代は出すと言っているので、ここは五月の選択に任せよう。
もちろん、あまりにも高価なものに手を伸ばすようだったら全力で止めるが。
そんなものを食器として使った日には、緊張で手を滑らせて割ってしまいかねない。
「決めました、これにしましょう」
五月が選んだのは、デザインとしてはシンプルなものだった。
アクセントとしてリボンやら星やらが散っているが、俺や親父が使うことを忘れてないか?
まぁ、やたら仰々しいものを持ってこられるよりはいいか。
値段はおよそ一枚千五百円。
俺からしたら高価なものだが、このサイズにしては安い方なのだという。
「良いものを買えましたね」
会計を済ませてきた五月は、自分の買い物じゃないというのにホクホクと満足顔だった。
女子というのは、買い物をするだけで何かしら満たされるものがあるのだろうか。
「お待たせしました。次はどこに向かいましょうか?」
「シャンプーとか歯磨き粉だな。今日は安くなってるらしい」
らいはからもらったリストに従って、買い物を消化していく。
量的には大したことはないので、この分だと夕方までには帰れるだろう。
そしてそこから先は俺の時間だ。
めくるめく勉強の世界が待っているのだ。
「あの、上杉君」
「……なんだ?」
「実は、ちょっと行きたい場所があるのですが……」
しかし、ようやく買い物も終わりかというところで、恐る恐ると切り出してきた。
反射的に断りそうになったのだが、また唸るだけの生物になられても困る。
そして何より、五月の提案を受けて俺自身がもう少し一緒にいたいと思ってしまった。
困った事に、中野姉妹に対する防御力の低さは相変わらずなのだ。
こんな薄弱な意志で受験生が務まるかどうかは疑問だが、今は置いておこう。
五月の先導でやってきたのは、デパート内にあるゲームコーナーだった。
俺には縁遠い場所だが、およそ一年前に似たような施設で遊んだ覚えがある。
あの時も五月と、そしてらいはも一緒だったか。
行きたい場所というから着いてきたが、目的がいまいちわからない。
こいつもあまりこういう場所には寄り付かないイメージなのだが。
「せっかく来たのに悪いが、俺には遊びに使える金がほとんどないぞ」
「大丈夫です。用があるのは一つだけですし、その費用も私が持ちます」
五月は毅然とした足取りで進んでいく。
その向かう先にあるのは果たして――
「こちらです」
「……マジかよ」
言うなれば、証明写真機の亜種になるだろうか。
見慣れない女優がプリントされた幕に覆われた筐体は、細かい差異はあれど見覚えがあった。
プリント倶楽部――略してプリクラ。
「おいまさか」
「二人で撮りましょう」
「よし、帰ろう」
「ま、待ってください!」
引き返そうとした俺を五月が引き止める。
例によって引き合いは拮抗し、結局俺は肩で息をしながらその場にとどまった。
……せめて、どういうつもりなのかぐらいは聞いてやるべきか。
「……どういうつもりだ。お前もこの手のものには抵抗があったはずだが」
「いえ、私はそれほど。あの時はあなたが一緒だったからです」
なるほど、納得だ。
たしかに大して親しくもない異性と一緒にやるものじゃないからな。
当時の俺と五月の関係は、最悪とは言わないまでも決して良いものではなかった。
あの頃に比べれば互いの距離は縮まり、関係もより近しくなった。
だからといってわざわざ、あえてここに来る理由はわからなかった。
これが二乃あたりだったら、普通に使っていても違和感はないのだが。
俺の押し付けになるが、有り体に言ってしまえば五月のイメージにはそぐわない。
「これ、覚えてますよね?」
五月はスマホをカバーから取り外すと、その背面をこちらに向けた。
笑顔のらいはと、それを挟むように並んだ俺達のプリクラ。
無理に笑おうとして顔が引きつったひどい写真だ。
一応と言って受け取った五月だが、常に持ち歩く程度には大事にしていたらしい。
「……ここにあなたと二人きりの思い出も加えたいと思うのは、欲張りでしょうか?」
まったく、勘弁してくれ。
そんな顔をされては俺に選択肢なんてなくなってしまう。
結局のところ、ここで問題となっているのは俺の羞恥心だ。
それをかなぐり捨てられるか――当然、出来る。
好きな相手のためなのだから、それぐらいはする。
「さっさと入るぞ」
五月の手を引いて幕の中へ。
やたらとキャピキャピとしたガイド音声が出迎えた。
「操作はよくわからんから任せる」
「あ、はい。じゃあ、えっと――」
しばらく何やら画面を触っていた五月だが、操作を終えたのか隣に並んだ。
作法なんてものがあるのかはわからないが、ただ立っているだけでいいのだろうか?
隣の五月に目を向けると、ちょうど視線が絡んだ。
「……しないんですか?」
「は?」
「キス、しないんですか?」
一瞬何を言っているのかわからなかった。
これがプリクラの作法……いや、まさか。
混乱する俺に、五月は触れ合うほどに身を寄せてきた。
「二乃とキスしてたって噂になってます」
「いや、あれはその……」
「二乃のことだから、強引にしたのでしょうね。そうでなければ人前でなんてありえません」
大体当たっている。
その後に俺も自分からしてしまったのだが、そっちは黙っておこう。
「そうです、そんな公然とだなんて羨ま――じゃなくてありえません!」
なにやら本音が漏れているような気がするが、そういうことらしい。
あんなに堂々と仕掛けてくるのは二乃ぐらいだ。
それにしても、噂は順調に広まっているようだ。
……もはや俺の学級長としての信頼は底値だろうか。
「――今なら、誰も見ていませんよ?」
こちらを見上げる瞳が熱を帯びた……ような気がした。
そういえばと、夏休み前に水着の試着に付き合った時の事を思い出す。
あの時もこんな風に外から区切られた空間で、俺と五月は唇を重ねた。
今更だとは思うが、恋人同士ではない男女がこうして恋人のような行為を重ねるのは問題だ。
しかし、そんな事が些細に思えるほどに、今の俺はこいつの事で頭がいっぱいらしい。
「……五月」
「んっ――」
考えるのが馬鹿らしくなって、そのままキスをした。
その際に響いたシャッター音はどこか遠かった。
「今日はお付き合いいただき、ありがとうございました」
「むしろ付き合わせたのはこっちだろ」
デパートで用事を済ませた俺達は、最寄りの公園のベンチに腰をかけていた。
時刻はおやつの時間を過ぎ、もうじき日が傾いて空の色が変わり始めるだろう。
体がダルい……ここに来て寝不足の影響が出てきていた。
それもこれも、五月の要求で多大な精神力を消費したというのが大きい。
「……最後に一つだけいいですか?」
「まだ何かあるのかよ……」
「むしろこれが本日の本題といいますか」
もう割と気力の方が限界なので勘弁して欲しかった。
しかしいつになく五月の顔は真剣だった。
思いつめたような、バツが悪そうな……自分のおイタを告白しようとしている子供のような。
またつまみ食いの類かと考えたが、俺はつまみ食いされるようなものを持ち歩かない。
他に思い当たるとしたら、テストで悪い点を取ってしまった時の反応だ。
そしてふと、先日二乃から聞かされたとある情報が頭を過ぎった。
「……まずは何も言わずこちらを見てください」
五月が取り出したのは案の定、入試判定の結果だった。
記載された判定はD――その大学を狙うには少々心もとない。
「努力はしていたつもりなのですが、結果が思うように出ず……申し訳ないです」
「そうか」
「ってあれ? なんだか思ってたよりも反応が薄いような」
「そもそも二乃から聞いてたからな」
「えっ、それじゃあ私の葛藤は一体……」
肩透かしを食らったせいか、五月は力が抜けた様子だった。
こいつは力が入りすぎるきらいがあるから、これぐらいでいいのかもしれない。
「何か対策は考えているのか?」
「お手伝いさせていただいている塾講師の方に、相談に乗ってもらっています」
「なら俺から言う事は特にねーよ」
塾講師ならば受験生の面倒を見るのもお手の物だろう。
具体的な対策は任せるとして、俺は今まで通り勉強を見てやるだけだ。
まだ時間はあるだとか、諦めるには早いだとか、そんな事は誰にだって言える。
まぁ、あえて言ってやるとすれば――
「お前は要領が悪くて不器用だが、その努力だけは本物だ。信じてるぞ、五月」
「頭の二言は余計ですが……そこまで言われたら、諦めるわけにはいきませんね」
「ああ、頑張れよ。ここで転けたら俺の尽力も水の泡だからな」
全員笑顔で卒業という目標のためには、是非とも合格してもらわなければならない。
中野姉妹と過ごした時間を、失敗という形で終わらせたくはなかった。
「私はそうは思いません」
五月はきっぱりと否定した。
勉強を教える事だけが全てだったら、一花や三玖との時間はどうなるのだと。
返す言葉もなかった。
あの二人との時間が無駄だったなんて事はあるはずがないのだ。
「そもそもとして、もはや私たちの関係は単なる生徒と教師じゃ済まなくなっています」
「うっ、まあたしかに」
「反省してください」
またもや返す言葉もなかった。
俺の我慢が効かなくなった結果、なんかもうすごい事になっているのだ。
五月の言うとおり、反省する他ないだろう。
したとして、具体的にどうすればいいのかはさっぱりわからないのだが。
「ともかく……私たちがこの学校に来たこと、そしてあなたと出会ったことを後悔するということはありません。それだけは忘れないでください」
五月は穏やかに笑った。
ああ、どうやら俺はまた道を示されたようだ。
安心とともに、猛烈な眠気が襲ってきた。
まぶたは重く、頭はふらつき、意識が飛びそうになる。
タスクが重なった上での疲れもあるのだろうが、この程度の寝不足でこうなるとは。
やはり体力作りはしておいたほうがいいな。
体が傾いで隣に座る五月と、肩と肩が接触してしまう。
「っと、悪い」
「眠いのですか? 家でも仮眠をとってましたよね」
「寝不足気味でな」
浅く座って背もたれに体重を預ける。
これで横に倒れ込むことはないだろう。
そうして体の力を抜いた瞬間、意識が途切れる。
途中で体が横に引っ張られて倒れていく感覚があったが、何が起きたのかはわからなかった。
「や、やってしまいました……」
風太郎の頭を太ももの上に乗せた状態で、五月は戦々恐々と呟いた。
いわゆる膝枕の体勢である。
寝不足で眠たそうにしている風太郎を見かねて行動に移したのだが、大胆すぎただろうか。
思い返せば今日のデート(五月の中ではそういう認識)は少々抑えが効いていなかった。
それはここ最近のストレスが主な原因だろう。
勉強の成果は思うように出ず、好きな人との時間も取れない。
一花は撮影と称したマンツーマン授業、二乃と三玖はバイトで一緒になる機会がある。
そして四葉は同じ学級長という立場から、一緒に行動する事が多い。
他の姉妹と比べて、五月は風太郎と二人きりになる時間が明確に少ないのだ。
白状してしまえば、招待券を届けに行ったのは口実でしかなかった。
判定結果の報告が本当の目的で、そこには別の期待がほんの少し。
風太郎と一緒にらいはにお使いを頼まれた事は、五月にとって千載一遇のチャンスだった。
「だけど、あなたが悪いんですよ?」
五月がプリクラ撮影に踏み切った直接的な要因は、二乃と風太郎の噂である。
数日前に教室でクラスの女子の会話を聞きとがめたのが発端だ。
当事者である中野姉妹には遠慮していたのだが、そこは半ば強引に聞き出した。
そもそも前々から学級長の噂は流れていたらしいのだが、五月が知ったのはこの時が初めてだ。
ともかく、もたらされた情報は五月の心を甚く揺さぶり、それが今日の行動につながったのだ。
「姉妹全員を誑かしている極悪人……ええ、まったくもってその通りです」
頬を軽く抓ると、風太郎は小さくうめき声を上げた。
痛みに反応したのか、それとも悪夢でも見ているのか。
むっつりとしたいつもの表情とは違い、その横顔はどこかあどけない。
こうして寝入ってから十数分ほど経つが、起きる気配はない。
五月は周囲を見回して、人の有無を確認した。
この状態でも十分に恥ずかしいのだが、これからする事はさらにその上だ。
遠目に歩いている人の姿があるが、近くで自分達に注目している者はいない。
意を決すると、いつかと同じように五月は風太郎の頬に自分の唇をそっと触れさせた。
「これは、いけませんね……」
えも言われぬ充足感があった。
相手が自分の手の内にあるという安心感がそう感じさせるのだろうか。
せっかくだから、もう少しなにかしておきたい。
風太郎との時間を少しでも形に残しておきたい
色々と考えた結果、五月は自分のスマホを取り出した。
「ここは一枚、写真に収めておきましょうか」
芒洋とした世界の中を、俺はひたすら歩いていた。
ここがどこなのかも、どこへ向かっているのかもわからない。
ただ目の前には道があり、他には何もなかった。
立ち止まっていても仕方ないので、こうして歩いている。
「……なんだこりゃ?」
しかし、唐突に一つだった道は五つに枝分かれした。
ご丁寧に数字が振られており、色分けもされている。
足を止める――果たしてどの道が正解なのか。
そもそも、目的もなく歩いているのに正解もクソもあるのか。
そう言う意味では、どの道を選んだとしても変わらないのかもしれない。
開き直って進もうとしたら、地面が激しく揺れだした。
立っていられなくなり地面に座り込む。
目の前の道が変容を遂げようとしていた。
五つに分かれた道は捻れて絡み合い、宙を走ってジェットコースターさながらにローリング。
とてもじゃないが歩いて進める道ではなくなっていた。
いや、どうすりゃいいんだよ。
先に進む事ができなくなって、俺は後ろを振り返った。
歩いてきたはずの道は、すぐ近くまで迫った断崖によって隔たれていた。
どうやら後戻りもできないらしい。
一体なんなんだここは?
なんでこうもおかしなことが立て続けに――
そこまで考えて、俺の頭はある合理的な答えを導き出した。
「なんだ、夢かよこれ」
意識が浮上していく。
左の頬にしっとりとした柔らかい感触。
薄目を開ける――体が横倒しになっているようだった。
何かを枕にしているようで、温もりが伝わってくる。
ん? 温もり?
俺はたしか、ベンチに座っていたはずだ。
薄目の視界から見える景色からして移動はしていない。
そして隣には五月が座っていたはずで、横に倒れたとなると……
頭を動かさずに目だけを動かす。
なにやら見覚えのある色の布地が顔の下に敷かれていた。
「これは、いけませんね……」
上方からそんな独り言が聞こえた。
どうやら、俺は五月の太ももを枕としているらしい。
どうしてこうなったかはともかくとして、また判断に困る状況である。
このまま平然と起きていいものか、それとも無難なタイミングを見計らうべきか。
五月の暴走などを考慮した結果、とりあえず現状維持に努める事にした。
決して枕の感触が惜しいとかじゃない。
はっきりとした記憶はないが、一花のものよりは柔らかい気がした。
そして正直、時折頬や髪に触れてくる五月の手の感触は不快じゃない。
いっそ開き直って、このままもう一眠り――
「ここは一枚、写真に収めておきましょうか」
――していられなくなった。
知らぬ間に撮られていた写真で、一花に何度やり込められてきたか……
こいつが同じ事をするという確証はないが、しないという保証もない。
余計な弱味は握られる前に潰すに限るのだ。
「……肖像権の侵害で訴えるぞ」
「――ひゃあ!」
五月は勢いよく立ち上がった。
振り落とされて地面に頭をぶつける前に、背もたれに手をかける。
あらかじめどんな行動に出るか読んでいた甲斐があった。
ベンチにあらためて座りなおす。
顔を真っ赤にした五月は、落ち着き無くわなわなと震えていた。
「おおお、起きていたのですか!?」
「目を覚ましたのはついさっきだが」
なんとはなしに左頬をさする。
すると、何故か五月が更に慌てふためきだした。
「~~っ、失礼しますー!!」
そして自分のバッグを引っ掴んで走り去っていった。
取り残された俺は、もう何がなんだかわけがわからない。
キスをせがんでくるくせに、膝枕であんなに恥ずかしがるのはおかしいだろ。
どう考えても羞恥心がバグっているとしか思えない。
フォローは後でするとして、とりあえず帰ろう。
間髪いれずに追いかけるよりは、少し頭を冷やす時間があった方がいい。
「……ん?」
荷物を掴んで立ち上がり、足元に何かが落ちているのに気づく。
……五月の携帯だった。
あいつめ、慌てるあまり落としていきやがった。
顔を合わせるかどうかはともかくとして、どうやら中野家まで赴く必要があるようだ。
「ううううううう~~!」
「……どうしたの?」
日曜午後の中野家のリビング。
五月はソファーの上でクッションに顔をうずめ、唸るだけの生き物と化していた。
帰ってくるなりずっとこの状態の妹を見かねて、出かける準備をしていた三玖が声をかけた。
「な、なんでもないのでお気になさらず」
「それでなんでもないは無理がある」
「うっ……」
姉の指摘に五月は声を詰まらせた。
確かに他の姉妹が同じ状態だったら、自分でも同じように心配をする。
しかし、事情が事情だけに言うのははばかられた。
中野姉妹は仲良しではあるが、同時にライバルでもあるのだ。
五月が話したとして、姉妹が塩を送るような真似は……いかにもしそうだった。
散々修学旅行で世話になった事を思い出す。
「ほ、本当になんでもないので!」
ソファーから立ち上がって、五月は足早に自室へと向かった。
そもそも話してどうにかなるわけではないし、風太郎とのデートが知られるのも良くない。
吊し上げをくらい、ご飯抜きにされる可能性は捨てきれないのだ。
それに、この思い出は自分だけのものにしておきたかった。
悶えるような恥ずかしいものでも、好きな人と過ごした時間なのだ。
ベッドに横になり、天井を見上げる。
そして自分の胸に手を当てて、風太郎の手の感触を思い出す。
「んっ……」
甘い痺れのような刺激が走った。
この手の行為は自分には関係ないものと思っていたし、性欲とも無縁だと思っていた。
それを目覚めさせたのはやはり風太郎で、本当に罪深くてどうしようもない。
だから想像の中で汚してしまってもいいのだと、五月は自分の中で言い訳を立てた。
「うえ、すぎくん……上杉君上杉君上杉君……!」
名前を呼ぶたびに五月の中の昂ぶりは増していく。
その熱に促されるまま、さらに行為に没頭していく。
だからか、ドアが開けられた事には気づきもしなかった。
エレベーターが最上階に到達する。
相変わらずの高層っぷりで、最上階ともなれば昇降に少々時間がかかる。
自分の足で昇りきった初回はどうかしていたとしか言い様がない。
中野家の部屋のドアを開けて中に入る。
マンションの入口で応対してくれたのは三玖だったが、鍵を開けておくと言っていた。
さっさと五月の携帯を置いて帰ろう。
「あ、フータロー」
「お、早速で悪いんだが――」
三玖と鉢合わせたので携帯を渡そうとしたのだが、その格好は今まさに出かける風体だった。
もしかしたら急いでいるのかもしれない。
「出るのか?」
「うん、ちょっと店長に練習に付き合ってもらうんだ」
どうやら三玖はパン屋の店長とパンケーキの練習に励むつもりのようだ。
今日はたしか店は早めに閉まる。
その後の時間を利用して練習を行うのだろう。
言いだしっぺであるからか、三玖のやる気は高かった。
結局、うちのクラスはたこ焼きとパンケーキの両方をやる事になってしまった。
しかし、この分だったら女子側は大丈夫そうだな。
なんせリーダーの気合が十分なのだ。
「五月は部屋にいるから」
「……なにか言ってたか?」
「特に何も。でも、ちゃんと謝らなきゃダメだよ?」
「何故俺が悪いのが前提なんだ」
「そもそも二人で出かけてたこと自体初耳だったんだけど」
「は、ははは……いやまぁ、なりゆきでな?」
「む~~」
俺が五月の携帯を届けに来たという事は、一緒に行動していたと白状するようなものだ。
三玖のむくれ顔に、今更そんな当たり前の事に気がつく。
なんとか宥めて送り出したが、玄関に残った靴は一足。
つまり、現在この家には五月しかいない。
どうやら他の姉妹に携帯を託すというのは無理そうだ。
「五月ー?」
とりあえず荷物を置いてリビングから呼びかけてみるが、当然返事はない。
階段を上って五月の部屋の前へ。
ノックしてみたが、またもや返事はない。
寝ているのかと思ったが、かすかに呻き声のようなものが聞こえた。
そして切羽詰ったように俺の名を呼ぶ声。
躊躇いを吹き飛ばすのには十分だった。
ドアに手をかけて開け放つ。
「五月、大丈夫か――」
ベッドに横たわる五月の姿を目にした瞬間、俺は後悔した。
書置きでも残して帰ればよかったのだと。
五月の息は荒く、目は虚ろでこちらを認識しているかどうかは怪しかった。
しかし重要なのはそこじゃない。
床に脱ぎ捨てられたスカートと、上の服はまくれ上がって下着が見えてしまっていた。
これは問題ではあるが、最重要ではない。
五月の手は自分の胸と股間に伸びており、なにやらもぞもぞとしていた。
どうみてもセルフバーニングの真っ最中だった。
漫画で読んだから俺は詳しいのだ。
「んんっ、ふあっ……う、うえすぎくん……!」
俺の名前を呼んでいるが、その目に俺の姿は映っていないだろう。
気づかれないうちに引き返すのが言うまでもなく最良だ。
しかし、俺の足は縫い付けられたかのように動かない。
見蕩れてしまっていた。
そして俺の手から五月の携帯が滑り落ち、床にあたって音を立てた。
「――っ、う、上杉君!? ど、どうしてここに!?」
「け、携帯をな? 届けに来たんだが……」
今更遅いと知りつつも、目をそらす。
もちろん、その程度でどうにかなるわけがない。
「~~~~~~っ」
五月の声にならない悲鳴が大絶叫に変わったのはその直後だった。
「ううううううう~~」
ひとしきり叫んだ後、五月は布団を被って唸るだけの生物になってしまった。
もうどうすればいいのかさっぱりだが、当初の目的だけは果たさねばならない。
床に落ちた携帯を拾って五月の机に向かう。
ここに置いておけば大丈夫だろう。
そうして入口に引き返そうとして、何かに引き止められた。
振り返ると、布団の中から伸びた五月の手が俺の服の裾を掴んでいた。
「……不公平です」
「……は?」
「私だけこんなに恥ずかしい思いをするのは不公平です!」
妖怪布団籠もりが何かのたまっていた。
そんな事を言われても、俺に何をしろというのか。
握った手の力は強く、絶対にこのままでは帰さないという意思だけは伝わってきた。
「……どうすりゃいいんだよ」
「上杉君も同じ思いをすればおあいこだと思います!」
つまり、こいつの前で俺にセルフバーニングを実演しろと。
……本格的におかしな事を言い出しやがった。
もう混乱が極まって、自分でも何を言っているのかわかっていない可能性がある。
「もしくは……責任をとってください」
五月が布団の中から顔を出した。
目尻に涙を貯めた、不安気な表情。
ああ、これは実に効果的だ。
中野姉妹にこんな顔をされたら、放置するという選択肢がなくなってしまう。
言葉の意味は誤解のしようがない。
しかし、俺にはそれに応じる事ができない理由があった。
「責任を取れってのは、そういう事でいいのか?」
「い、言わせないでください」
「それなら無理だ。避妊具がない」
そう、昨日の一花との戦いで切らしてしまったのだ。
あればヤってもいいという理由にはならないが、ないのならばヤらない理由になる。
五月はその存在を失念していたのか、唖然とした顔をしていた。
しかし、次の瞬間にはとんでもない事を言い出した。
「そ、それならご安心を……今日は大丈夫な日なので!」
つまり、裸一貫で行為に及べと。
ちなみに、妊娠しにくい日はあっても完全に妊娠しない日は存在しない。
安全日というのは、つまるところ幻想なのだ。
……頭が痛くなってきた。
いくら家庭教師とは言っても性教育は管轄外だぞ。
「五月、とりあえず頭を冷やせ。話はそれからだ」
「こんな状況で冷静でいられる方がおかしいんですよ!」
五月の言っている事はもっともだった。
俺の上三人とのやらかしも、冷静な頭だったらまず起こり得なかった事だ。
冷静でないからこそ、普段取らないような行動に踏み切れるのだ。
だからといって五月の言葉を肯定するわけにはいかない。
だって生はまずいだろ、生は。
「ううううう……」
「……」
「ううううううう……」
「……」
いくら唸ろうが応じるわけにはいかない。
というかあんまり揺さぶらないで欲しい。
中野姉妹に対して、俺は自分の自制心に全く自信がないのだ。
正直に言えば、今だってその誘惑に必死に抗っているのだから。
しかしそんな願いも虚しく、五月は最終手段に打って出た。
「こ、この前いただいた権利を行使しますっ。私の言うことを聞いてください!」
ここでまさかのジョーカーが切られてしまった。
夏休み中に俺が一花を除く姉妹に渡した、なんでも一つ言う事を聞くという権利。
長女を思うあまり暴走しそうな妹達を止めるための苦肉の策だが、やはり軽はずみだったか。
なんでもという魔法のワードは、おいそれと使っていいものではないのだ。
こうなった以上、俺は五月には逆らえない。
「……お願いですから、逃げないでください」
しかしその声は弱々しく震えていた。
相手を自由にできる権利を握った者には、とてもじゃないが似つかわしくない。
立ち尽くす俺に五月は静かに歩み寄り、すがりつくように身を寄せてきた。
「私のことが嫌いならしかたありません……けど、そうじゃないなら」
「私があなたに抱く想いの欠片でも、同じ気持ちがあるのなら――」
言葉を遮るように唇を塞いだ。
なんて出来レースだ。
俺が五月を嫌っているなんて、それこそありえない。
そんな事は、今まで一緒に過ごしてきたこいつならわからないわけがないのだ。
もし仮にわからないのだとしたら、わからせてやらねばならない。
俺は中野姉妹が――中野五月が好きで好きでたまらないのだという事を。
冷静さが吹き飛ばされ、頭の中で明確にスイッチが入った。
五月を抱えて、そのままベッドに押し倒す。
「――嬉しいです、上杉君」
熱情に潤んだ瞳が俺を見上げてくる。
最早この衝動を縛るものはない。
「いっぱいいっぱい、愛してください」
気怠い体を横たえたまま、見慣れずとも見覚えはある天井を見上げる。
内装は姉妹それぞれでも、天井までは手を加えていないらしい。
以前泊まったのは三玖の部屋だったが、そこで見たのと変わらないような気がした。
あの時も今と同じように部屋の主が隣で寝ていて、どうしたものかと頭を悩ませたものだ。
……やっちまった。
ついに新選組局長不在のまま行為に及んでしまった。
始めた当初は外に出せばなんて考えもあったはずなのだが、いざクライマックスとなると、そんな事はすっかり綺麗に頭から吹っ飛んでいた。
一応言い訳をするのなら、五月ががっちりホールドしてきたと言えなくもない。
しかし、結局は誘いに応じてしまった俺の責任だろう。
本人は大丈夫な日と言っていたが、もし命中してしまったらと考えると気が重くなる。
当然受験にも差し障るだろうし、そもそも無事に卒業できるのかも怪しい。
そうなると次々と不安が湧いてくる負のスパイラルだ。
俺がこんなに気を揉んでいるというのに、どんな暢気な顔をして寝ているのやら。
隣の五月に首を回して目を向けると、視線が絡んだ。
どうやら起きていたようで、はにかむように微笑まれた。
こんな事で気が軽くなる自分に呆れてしまう。
誤魔化すように抱き寄せてみる。
柔らかい感触が、俺の胸に余すとこなく密着した。
「……お前、抱き心地いいよな」
「それ、反応に困るんですけど」
「栄養を蓄えてるせいかもな。他の姉妹と比べると胸のボリュームも――」
瞬間、五月の目の色が変わった。
信じられないものを見るかのように目を見開いていた。
その変化でようやく、俺は自分の失言を悟った。
今の発言は、他の姉妹とも同じ事をしましたと言ってるようなものだ。
「――不潔ですっ、最低ですっ! キスのみならずこんなことまでしてたなんて!」
「い、五月、落ち着――」
顔に枕が振り下ろされて喋る事もままならない。
五月の反応は当然だ。
むしろ容認した上三人が特殊なのだ。
以前は手を出したとだけ言って具体的にはぼかしていたが、やはりアウトだったらしい。
俺としても言い訳のしようがないため、このまま殴られておく事にした。
幸い、枕は柔らかいためそれほどの痛みはない。
「はぁ、はぁ……」
「……落ち着いたか?」
「こうなったら、私も負けるわけにはいきません」
「……は?」
散々枕で殴りつけてきたかと思うと、五月は寝そべる俺の上に跨ってきた。
当然隠すものは何もないため、色々と露わになってしまっている。
その気はなくとも、俺の分身は勝手に反応してしまった。
「おかわりを要求します」
五月の負けず嫌いがここで発揮されてしまったらしい。
どうやら延長戦のようだった。
「お、風太郎。お前も今帰りか?」
「親父か。たまの休みだったのにどこ行ってたんだよ」
「昔のダチとちょっとな」
すっかり暗くなった中野家からの帰り道。
出かけていたはずの親父と帰り道が一緒になった。
その交友関係に関してはよくわからないが、少なくとも危ない人物ではないだろう、多分。
「お前は買い物の帰りか?」
「らいはにお使いを頼まれて五月とな」
「そうか。ところで、嬢ちゃん達は何か言ってなかったか?」
「何かってなんだよ」
「そうだな……例えば、怪しい人に声をかけられたとか」
親父が何を心配しているのかがいまいちわからない。
不審者がうろついているという話は特に耳に入ってこない。
そんな事があれば、学校の方からも注意喚起があるだろう。
「ま、何もなければそれでいい」
「だからなんなんだよ」
「ところで、今朝は帰ってなかったな」
「うっ……」
朝帰りを指摘されると、俺は口をつぐまざるを得ない。
そもそも今だってあれこれした後の帰りなので、突っ込まれると非常に困る。
気まずそうな顔をした俺を見て、親父は豪快に笑った。
「道に外れたことさえなきゃ、それでいいさ」
その言葉は俺への信頼なのかもしれないが、どうにも痛い。
複数人と肉体関係を築いてまで、道に外れていないと言う厚顔さは俺にはなかった。
いずれは清算しなければならない。
しかし、その時は一体いつになるのか。
そもそもとして、俺に決断が下せるのか。
そんな迷いは余所に、時間は流れる。
運命の契機――学園祭が近づきつつあった。
ちなみに致した後にシャワーを浴びた五女ですが、色々と汚れたシーツを洗濯しようとしたところで帰ってきた次女に遭遇。
挙動不審が過ぎたためにシーツを検められて血痕が発覚。
その後、関係者間で裁判が執り行われたそうです。