例によって場面が抜けてますが、あとで補完します。
学園祭の初日は、俺の体と精神にダメージを残しつつもどうにか終わった。
問題はまだまだ残っているものの、こうして無事に自宅で夕食にありつけている。
それで十分だと思おう。
「ぷっ、くくくく……」
「……」
だから親父、いい加減笑いを抑える努力をしてくれ。
俺の頬が面白い事になっているのは認めるが、学校で散々笑ったろうが。
にやけるクソ親父を意識から外す努力をしつつ、白米を口の中に放り込む。
口を動かすたびに痛みが走るが、これは当然の報いなので甘受する他ない。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「ああ、ちゃんとおいしいぞ」
「そうじゃなくて、そのほっぺただよ」
らいはが指差した俺の左頬は赤く腫れ上がっていた。
そして喋るのに支障をきたすほどじゃないが、動かせばそれなりに痛い。
これは俺の情けない告白に対する罰だ。
誰からのかと言うと、それはあの五人以外にありえない。
全員分ではないが、複数の手形が重なってただ赤いとしか認識できなくなっていた。
「ぶっ、ワハハハハハ!! ダメだっ、腹いてー!」
「もー! 痛がってるのに笑っちゃ可哀想でしょ!」
「すまんすまん。まぁ、笑ってやった方が良い事もあるってな……ぶふっ」
もっともらしい事を言った親父だが、直後にわざと咳き込んで笑いを誤魔化していた。
そんな姿を見せられては、残念ながら説得力に欠けていると言わざるをえない。
しかしながら、親父への怒りで多少は気が紛れているのも事実。
本当に今日は色々あったからな……
「ところで親父、ヒゲだのハゲだの怪しいおっさんだの、一体なんだったんだ?」
「そういやそれもあったな。その後見かけたりしなかったか?」
「そういえばお父さんずっと気にしてたよね。今日だって急に学園祭行くって言い出してさ」
一日目は来ないと言っていた親父が急に学校に来た理由。
それにそのおっさんが関係あるらしい。
なんとなく口ぶりから穏やかならざる雰囲気は感じ取れるが……
「ハゲでヒゲが特徴的なおっさんだったら見かけたけどな」
「ヒゲはこう……もさっとした感じじゃなかったか?」
「ああ、上下反対にしても顔になりそうなおっさんだった」
「そうか……やっぱ来てやがったか」
吐き捨てるように言うと、親父は頭をガシガシとかいて腕を組んだ。
大雑把だがおおらかで、他人への悪感情などほとんど見せる事はない。
そんな親父が、僅かではあるが敵意のようなものを見せていた。
「……そのおっさんがなんなんだよ」
「お前には伝えておいた方がいいかもな……その男の名は無堂仁之助」
親父は窓の外に視線を向けて、一瞬だけ言葉を途切れさせた。
「――五つ子の嬢ちゃん達の、実の父だ」
「上杉君の今日の仕事はなし!」
そんな通告を受けたのは、学園祭の二日目が始まった直後の事だった。
まさかのフリーである。
昨日の忙しさは幻だったのだろうか。
「今ある仕事は全部、他の学級長がやってくれてるみたい。せっかくだし、楽しんできなよ」
そんな感じで送り出されてしまった。
俺としては今日も仕事に追い立てられる覚悟をしていたため、このままでは暇を持て余す。
忙しければ気が紛れるという狙いもあったのだが、見事にご破産である。
空白の時間があれば昨日の事を嫌でも考えてしまう。
こんな精神状態で学園祭を楽しめるかどうかは、正直怪しい。
屋台を回ろうにも、懐事情を鑑みれば出来る事は少ない。
四葉に貰った無料券は昨日の集まりの際に使ってしまった。
「親父やらいはは今日も来るんだったっけな」
せっかくの機会なので一緒に行動するというのもありかもしれない。
そういえば前田や武田は何をしているだろうか。
あいつらもいきなりの宙ぶらりんで、暇を持て余しているはずだ。
様子を見に行くのも悪くはないが……
「……一番は、あいつらか」
しかし、何よりも気がかりなのは中野姉妹の事だった。
一晩経って腫れが引いた頬をさする。
結局誰も俺を見限らなかったのには驚きというか呆れというか、なにより少し安堵したのだが、昨日の事で気を揉んでいないわけがないというのは、俺の思い込みではないだろう。
気まずさはあるが、顔を合わせて話をしたいという気持ちはあった。
流石に今日は一花は来ないだろうが、あいつとは昨日のうちに一応話している。
たこ焼きの屋台の事もあるし、二乃は何をしているだろうか。
男女の和解を望んでいた三玖も、あんな事になって心を痛めているだろう。
四葉は今日も働いているはずだが、一度も姿を見ていない。
五月は当番と言っていたので、屋台の方にいるだろう。
まずは居場所がわかっているやつから当たるべきか。
『皆さーん、日の出祭も二日目! 楽しんでますかー?』
学校の敷地内に設置された巨大モニターに、見覚えのある姿が映った。
同じクラスの椿か葵か、名前がいまいちはっきりしない、サイドで髪を縛った女子である。
ちなみに今カメラに向けて名乗ったので、椿だという事がわかった。
放送部は来場者に対してインタビューを行っているらしく、それを流しているようだ。
『すごい盛り上がってるよね』
『パンケーキが美味しいって聞いて来ました』
一般客と思しき二人組の女子に対するインタビュー。
どうやらうちのクラスの屋台が話題になっているようだ。
昨日の時点で十分繁盛していたが、この分だと今日はそれ以上に混むかもしれない。
『中野さん見てる? 私のこと覚えてるよね? 会いに来たよ、まだ走って――』
『ちょっ、マイク取らないでください!』
『おい、マイク取り上げろ! 誰か止めてくれ!』
『邪魔しないで!』
なにやら放送事故が起きていた。
もしかしなくても見覚えがある人物が、マイクを独占しようとしていた。
あれは今年の春に卒業した陸上部の部長だったか。
口ぶりからして四葉に未練を残しているようだった。
映像がブツっと途切れる。
さて、こんなところでうだうだしていないで俺も動き出そう。
モニターに背を向けて歩き出したところで、中継が再開したようだ。
どうも聞き覚えのある、低く渋い男性の声が耳をかすめた。
今の声はまさか――
『すまない、失礼するよ』
『そんな~』
振り返ると、既に男性の姿はカメラから外れてしまっていた。
モニターには肩を落とした椿の後ろ姿しか映っていない。
……一応、後で確認しておくべきだろうか。
昨日の、二乃の寂しそうな横顔が浮かんだ。
『では気を取り直して……そこのお姉さん!』
次のインタビューのターゲットがモニターに映し出される。
俺もさっさと動き出そうとしたのだが、その姿にまた足を止めてしまった。
『私ですか?』
『はい! あなたは何しに学園祭へ?』
なんとなーく見覚えがあるような顔立ちに、なんとなーく聞き覚えのあるような声。
勉強ならば隙なしの俺だが、人の顔や名前を覚えるのはやや苦手だ。
少なくとも小学校の頃はそんな事はなかったのだから、その原因はそれ以降にある。
つまりは、勉強にかまけて他人を排するような生き方をしてきた弊害だろう。
だから見覚えがあるとは言っても、どこまで信用できるかはわからないのだ。
それになんとなくなんて言葉が付随するのだから、勘違いの可能性が高い。
中継から意識を切り離して、その場を離れるべく歩き出す。
しかしその声は、妙に耳に残るのだった。
『私は、幼馴染に会いに』
幼馴染――要するに幼い頃から付き合いのある関係。
俺にはそんな相手がいただろうか。
出来の悪いガキに勉強を教えてくれた、お人好し二人の顔が思い浮かぶ。
会わなくなって久しいので、細部までとなるとあやふやになってしまうのだが。
あの二人が幼馴染同士だというのは、京都行きの新幹線の中で聞いた話だ。
この事を思い出すと、ほんの少しほろ苦い感情が呼び起こされるのだが、今は平気だった。
中野姉妹との精神的、あるいは肉体的な接触が鮮烈すぎるからかもしれない。
それと比すると、幼い頃の情動が小川のせせらぎのように感じられてしまうのだ。
まぁ、あの当時はそういう感情に自覚が薄かったというのもあるのだろうが。
なんにしても、あの二人は元気でやっているだろうか。
諸々の問題が片付いたら、顔を合わせてみるのも悪くない。
焼きそばの屋台に足を向ける。
五月に会いにいくのなら、食べ物の差し入れがあったほうがいいだろう。
懐は痛いが、これであいつの機嫌が取れるならば安いものだ。
またビンタが飛んできたら……土下座でもしてみようか。
「あ、いたいた。すぐ見つかるなんてラッキーだね」
なんとなーく聞き覚えがある声に呼び止められる。
そこには、なんとなーく見覚えのある顔立ちの女性が立っていた。
先ほどインタビューを受けていた本人である。
「風太郎、大きくなったね」
「えっと……どちら様?」
「ははは、冗談きついよー。生き別れの姉が会いに来たのに」
そんな事を言われても、思い出せないものは仕方がない。
生き別れの姉なんて戯言を抜かしているのは置いておいて、一体何者なのか。
見覚えがあって、こうして親しげに声をかけてくる以上、知り合いだというのは確かなのだが。
しかし、どうにも喉元まで出かかっているような気がするのだが、決定打に欠ける。
「え、もしかして本当に覚えてない?」
「いや、うん、まぁ……」
「私だよ、私。小学生の頃に比べたら、お互い大きくなったよねー」
小学生……そのキーワードで細部があやふやだった顔が鮮明に蘇る。
昔と比べて髪は長くなっているが、動きやすそうな服を好むところは変わっていなかった。
「お前……竹林か!」
「やっと思い出した? 久しぶり、風太郎」
突然の来訪に驚きというか、戸惑いが先行した。
こいつは何故ここに……幼馴染に会いに来たと言っていたが。
もしかして、真田の奴が先行して学園祭に来ているのだろうか。
「じゃ、行こっか」
「いや待て、勝手に話を進めるな」
「いいから案内してよ。今日は風太郎の顔見に来たんだからさ」
どうやら俺はこいつの幼馴染だったらしい。
小学校からの付き合いだから、そう言えなくもないのかもしれない。
俺としてはあまりしっくりとは来ないが。
それでも、俺の事を覚えていて、こうして会いに来てくれたというのは少し嬉しい。
「……少しだけな。俺も暇じゃねーからな」
しかしながら、この時の判断を俺は後悔する事になる。
後に起きる事件を知っていたら、全力で同行を拒否しただろう。
まぁ、先に出来ないからこその後悔なのだが。
「あ、チュロスおいしそー。風太郎も買う?」
「いや、俺はいい」
「じゃあチョコ味一つおねがいしまーす」
「まいどー」
小学校の同級生との再会はもう少しぎこちないものになるかと思われたが、杞憂だったようだ。
竹林自身がイニシアチブを取りたがる性格だというのもあるだろう。
互いの近況を話すうちに、余計な隔意は消えたように思えた。
まぁ、それでも小学生の頃のようにとはいかないのだが。
竹林はともかくとして、俺があの頃のノリに戻れない。
話していてわかったのは、こいつと真田との付き合いが続いている事だ。
この六年でそれがどんな関係に変化したのかは興味があったが、詮索はしない事にした。
何故かというと、そういう方面で深掘りされて一番ダメージを受けるのは俺だからだ。
今の乱れに乱れた女性関係は、旧友といえどおいそれと話せるものではないのだ。
「家庭教師……風太郎が?」
「ああ、またとんだ問題児だらけでな」
「あはは、どの口が言ってるのかなー?」
隣を歩く竹林が軽く頬をつまんでくる。
今の俺は非の打ち所のな……くはない優等生だが、小学校時代はやんちゃだったのだ。
その頃を知っている竹林からしたら、異論を挟みたくもなるのだろう。
「それにしても、生徒が五つ子さんなんてね」
「信じられないだろうが、現実にそうなんだよ」
「あー、うん、信じるよ。そういう子達もいるもんね……あ! あれやろうよ、あれ」
前方を指差すと、竹林はとある屋台へと駆けていく。
屋台上の看板にはライフルと的の絵と、射的の文字。
見たまんまの射的の屋台だ。
追いつくと、既に料金を支払ってしまったらしい。
おもちゃのライフルを差し出すと、竹林はニッコリと笑った。
「はい、頑張ってね」
「俺がやるのかよ」
「いいからいいから」
「……ったく」
得物を受け取ると、適当な景品に狙いを定める。
一発目の弾は、目玉景品と思われるデカいぬいぐるみの胴体に当たった。
しかしほとんど揺らぐ事なく、ぬいぐるみは鎮座したまま。
……本当に取れるようになってるんだろうな、あれ。
「残念、次はもっと小さいの狙おうよ。あのキャラメルとかさ」
「はいはい、あれな」
残りの弾は二発。
今撃ってみた感触からすると、小型のものなら当たれば問題なく取れるだろう。
言われた通りに箱入りのキャラメルに狙いを定める。
「そうそう、もうちょっと右に寄せて……って行きすぎ! 左、左だってば」
竹林をスポッターに置いた二射目は、標的のやや右に外れた。
つーかうるさくて集中できん。
口うるさいところは相変わらずなようだった。
「風太郎の下手くそ! だからもっと左だって」
「隣でやかましくされたら狙いもブレるわ! ったく、仕切りたがりは変わんねーな」
「すっかり忘れてたくせによく言うよ」
「ただでさえ長らく会ってねーのに、髪型変えられたらわからんわ」
「あ、それ風太郎が言うんだ」
俺と竹林とで、どちらが外見的に変わったかといえば、間違いなく俺だ。
髪の色の変化はそれほどまでに印象を変えるのだ。
後はそう、日々の勉強で培った溢れ出るような知性もそれを後押ししているのは明らかだ。
それを言ったら鼻で笑われた……解せん。
「そういうおバカなとこは相変わらずだよね」
「誰が馬鹿だと」
「あ、次あれ狙ってよ」
「チッ、次は横でうるさくすんなよ」
次の標的は大きめだが、接地面は広くはない。
恐らくは、誰がやっても取りやすいように配慮していると思われる。
最後の一発なので、全敗という不名誉は避けたいところだ。
「――っ!?」
「あ~」
しかしながら、突然の悪寒に俺の体は震えて、狙いは思い切りそれた。
ただならぬ威圧感というか、そういう気配が漂っている……ような気がする。
周囲を見回しても、そんなオーラを放ちそうな存在は見当たらない。
気のせいだったのだろうか……。
「あれー? 今回は何も言ってないんだけどなー」
「……悪かった、せっかくやらせてもらったのにな」
「いいよ別に、楽しかったし」
射的の屋台を離れ、次はどこに向かうのやら。
竹林は興味を引く屋台を探してか、歩きながらあちこちに目を向けている。
うちの屋台でも勧めようと思ったが、店番を勤めているであろう五月の反応が未知数すぎる。
こいつとはやましい間柄ではないと断言できるが、どう判断するかは相手次第なのだ。
ましてや昨日のあんな告白の後では、何が起きるかわかったものではない。
ん? それならこうして竹林と歩き回っている時点で結構ヤバいのでは?
今もこの瞬間、他の姉妹に見られていないとも限らないのだ。
「むこうになんだか珍しい屋台があるんだって、行ってみようよ」
「いや、俺はちょっと川へ芝刈りに行かないと……」
「なに訳わかんない事言ってるの。こっち来て」
「お、おいっ」
竹林は俺の言う事を一蹴して、こちらの手を引いて進んでいく。
まぁ、言ったこちらとしても意味がわからないので、残念だが当然である。
川へは洗濯に行くもので、そこで大きな桃を拾うのだ。
……違う、そうじゃない。
今重要なのは、竹林と一緒にいるところを中野姉妹に見られるかどうかだ。
強引に手を引かれている状態なので、見ようによっては手をつないでいるようにも――
「パンケーキいかかで――」
しかも向かう先がジャストで悪かった。
うん、そうだね、パンケーキの屋台って珍しいよね。
呼び込みをしている五月と何故か一緒にいる二乃が、こちらを見たまま固まっていた。
気のせいかもしれないが、目から光が消えているような気がする……怖い。
恐れていた事態の発生に、俺の頭はフリーズを起こして役に立たなくなった。
しかし俺達の事情に竹林は関係ないし、関知もしていない。
だからこそこちらなどお構いなしに行動もする。
その声が能天気に聞こえてしまうのは、こちらの勝手な押しつけなのだ。
「風太郎、パンケーキだって。食べようよ」
「あ、ああ……ここはうちのクラスの屋台なんだ」
「へぇ、そうなんだ」
俺の名前が呼ばれた瞬間、二人の眉と頬がひくついたのを俺は見逃さなかった。
……気づかない方が良かったかもしれない。
そして竹林は俺の背中に手を添えると、お辞儀でもさせるように折り曲げてきやがった。
「いつもうちの風太郎がお世話になってます」
「うちの……」
「どちら様ですかー?」
二人の声に苛立ちが混じっているのが理解できてしまう。
これも付き合いが長くなった証拠なのだろうが、知らぬが仏という言葉もある。
どんな顔をしているのかが恐ろしくて、顔を上げられなかった。
「初めまして、竹林と申します。風太郎とは小学校からの同級生です」
「あらそう。私たちも同級生だけど、もっと深い関係と言っても過言じゃないわ」
竹林の自己紹介に、二乃は対抗するように意味深な言葉を吐いた。
嘘は言っていない。
俺と二乃は、紛れもなく深い関係にあると言っていい。
言っていいのだが……やはり場所を考えて欲しい。
クラスメイト間では、もはや学級長の噂はどうしようもなく広まっているのだが、外は別だ。
ここには他のクラスの屋台もあるし、一般の客だっている。
つまり、俺の世間体のピンチだ。
「は、ははは……自己紹介も済んだ事だし、ここらでいいよな?」
「待ちなさい。そちらの竹林さんとどういう関係なのか、じっくり聞きたいわ」
「どういうもなにも、さっきこいつが言ったまま――」
「あ、ひどーい! あんなに面倒見てあげたのに!」
なんとか場を収めようとしたのだが、ここで竹林が不満の声を上げた。
面倒を見たとは、勉強を教えたという意味に他ならない。
しかし事情を知らない人間が聞けば、どう取られるのかは未知数なのである。
「へ、へぇ……面倒って一体なんなのかしら?」
「風太郎、今はこんな感じですけど、昔はもっとやんちゃだったといいますか」
「おい、昔の話は――むぐっ」
「上杉君は黙ってましょうねー?」
五月に物理的に口を塞がれてしまった。
こいつ笑ってるのにすごい怖いんだが……
つーか話なら俺に聞け!
しかしそんな意見も、口を塞がれていればモガモガと意味不明な呻き声なのである。
今更ながら貧弱な自分の体が恨めしい。
「何回も何回もお願いされて、こっちがもうダメーってなってるのにお構いなしで」
「――えっ……」
「こんなマジメ君な見た目に育ったけど、とにかくもうあの頃は問題児だったんです――あれ?」
竹林の言葉が途切れる。
俺も抵抗をやめて呆然としてしまった。
二乃が、泣いていた。
「ぐすっ、ひっく……やだやだやだやだぁ、おねがいだから捨てないでぇ……」
その場に座り込むと、二乃は俺の足に縋り付いて涙混じりの声を上げた。
反射的に体が動いた。
その場に屈みこんで二乃を抱きしめる。
五月の拘束はいつの間にかなくなっていた。
しかし、それはあくまで体の反応で、頭の方は見事に真っ白だった。
なんだか、物凄く人聞きの悪い事を言われたような気がする。
「フータローは渡さないから」
背中から抱きつかれる――三玖だった。
いつの間にか近くに来ていたらしい
いきなりな事に俺はもちろん、竹林も困惑している。
すると、五月が一歩前に歩み出た。
「初めまして、中野五月と申します」
「ど、どうも」
「うえすぎく――風太郎さんとは、身も心も深い関係にあります」
威圧感が半端ない。
明らかに竹林も気圧されている。
そしてさっきからこいつらのワードチョイスは、明らかに俺の世間体を殺しにかかっている。
「まだ出会ってほんの一年と少しですが、その深さはあなたにも負けるつもりはありません!」
「……そっか」
言い放った五月に、納得するように目を伏せる竹林。
なにかが解決したような雰囲気を醸し出しているが、俺が置かれている状況は率直に地獄だ。
こんなやりとりは、人目がある場所でやるべきではないのである。
「……お前ら、場所変えるぞ。これ以上は(俺の世間体が)ヤバい」
三玖が背中に張り付いた状態で二乃の頭を撫でながら、そう提案するのであった。
「ごめんなさいっ」
全員で人目のない場所に移動すると、竹林は勢いよく頭を下げた。
こいつが謝る事は……あるな。
意図は分からないが、先程は明らかに二乃を煽りにかかっていた。
「ちょっとからかうつもりが、反応が予想以上で……」
「何がしたかったんだよ、お前……」
「だってまさかそんな関係だとは思わないでしょ。もー、これじゃあ私、悪者じゃん!」
竹林は頭を抱えているが、それをしたいのはこちらだ。
ひょっとしたら俺の世間体は再起不能かもしれない。
「本当に二人はそういう関係じゃなかったの?」
「だからそうだって言ってるだろ」
「む~~、本当の本当に?」
「本当の本当の本当にだ!」
しつこく疑ってくるのは三玖だ。
前々から思っていたが、俺と他の女子との接触に敏感すぎる。
お前らだけで手一杯だというのに、他に手を出す余裕なんてあるはずがない。
「ま、私は信じてたけど」
「二乃、メイクちょっと崩れてるよ」
「え、ウソっ、やだフー君見ないで!」
三玖の指摘に、二乃は慌てて背中を向けた。
メイクもなにも、何度もすっぴんを見ているので今更な話だ。
口に出せば、またデリカシー法に抵触するので言わないが。
「……本当にごめんなさい」
「いえ、私もつい熱くなってしまい、申し訳ないです」
「それは私のせいだと思うんですけど……」
五月と話している竹林の目がこちらに向けられる。
じとっとした、言いたい事がありますと語る目だ。
顔をそらしてみたが、肩を掴まれては無視できない。
諦めて、俺はその場に座り込んだ。
「身も心も深い関係なんだって?」
「……黙秘権を行使する」
「それ白状してるのと同じでしょ……はぁ、まさかこんな事になってるなんて」
第三者に乱れた関係について指摘されるのは、それはもう居心地が悪いものだ。
それが久しぶりに会った旧友ならば尚更である。
「せっかくマジメ君に育ったと思ったのに、そっち方面でやんちゃしてるとは」
「保護者面やめろ」
「私は風太郎の先生なんだからいいでしょ」
その通りだ。
そしてそれがこいつに頭が上がらない理由だ。
こいつと真田に対する恩は、全然返せていないのだ。
「あの、それって一体どういうことなんでしょうか?」
「あ、聞きたいですか?」
「ぜひっ」
五月が食いついたかと思えば、他の二人も大きく頷いていた。
俺以外の満場一致で、黒歴史の御開帳となりそうだった。
大きく息を吐きだしてから立ち上がる。
「風太郎、どこ行くの?」
「自分の昔話なんて素面じゃ聞いてらんねーよ」
もうガールズトークでもなんでもしててくれ。
四人に背を向けて歩き出す。
散々な目にあったが、二乃と三玖と五月の様子が見られて良かった。
その分は、竹林に感謝しておこう。
いつの間にやら、時刻は正午を過ぎていた。
来場者の数も、時間が経つにつれて増えてきているようだ。
そんな中で忙しく走り回っているであろう四葉を探す。
どうせ暇なのなら、あいつの仕事を奪ってやるのも悪くない。
「お、いたいた。学級長!」
呼び止められて立ち止まる。
学級長と呼ばれる事も珍しくはない俺だが、呼び方自体が個人を指すわけではない。
他にも学級長はうろついているので、勘違いの可能性もある。
しかし声の主はこちらに近づいてくるので、その心配はなさそうだ。
あれは同じクラスの……誰だっけ?
「中野さん見なかった?」
「どの中野だよ」
「上杉の相方だよ」
相方と言われると、またどれも当てはまりそうで困る。
しかし学校内の立場で一番それっぽいのといえば……
「四葉の事でいいのか?」
「そうそう。ライブ明日だけど、今日のうちにお礼言っときたくてさ」
明日のライブステージへの参加の申請と、練習場所の確保で四葉に世話になったらしい。
もし見かけたら伝えておいてくれと頼まれてしまった。
「あ、上杉ー!」
「学級長、いいところに」
その後も何かと呼び止められてしまった。
被服部の出し物について相談に乗ってもらったという二人。
親戚への招待状を手配してもらったという女子。
どいつも四葉が目当てで、例によって人を伝言板に仕立てて去っていった。
「……誰かに必要とされる人間、か」
六年前に交わした約束を思い出す。
家族を助けるために立派な大人になると誓い合ったあの日。
当時は小学生だった俺達にとって、勉強というのが身近でわかりやすい手段だった。
だけどそんなものは、道の一つでしかなかったのだ。
四葉を見ていると、そう思える。
「う、上杉君、大変!」
一人の女子が、血相を変えてこちらに駆けてくる。
彼女は同じく学級長で、今朝は俺に仕事の割り振りをしてくれた女子だ。
その結果、今日はフリーになったのだが、なにかトラブルでも起きたのだろうか。
「中野さんが……!」
どうやら一日目に引き続き、二日目も無事には終わってくれないようだ。
ちなみに屋台前での修羅場は後に語り草になったそうな。
フー君のライフ(学校内での風評)はもうゼロです。