フー君が思春期の青い衝動に振り回される話   作:kish

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遅めの時間に投稿。

今回は次女の話です。


最後の祭りが二乃の場合

 

 

 

『まずは、我が校が誇る女子生徒ユニットによるオープニングアクトです!』

 

 ステージの幕が上がる。

 立ち込めるスモーク、照明に照らされた二乃を出迎えたのは体育館内の観客の歓声だった。

 そして音楽がスタートし、二乃を中心に据えた五人組がそれに合わせて踊り始める。

 

(くっ……なんで私がこんな目に!)

 

 なんでかといえば、それは四葉の仕事を奪ったからである。

 働き過ぎな妹を慮って、二乃は事前練習が必須なこの役を半ば強引に引き受けたのだ。

 アイドルまがいの五人組のセンター、そして赤を基調とした衣装はどうやったって目立つ。

 しかし目立ちたがりというわけではないので、羞恥は募る一方だ。

 若干後悔しつつも、二乃のパフォーマンスは観客を大いに沸かせた。

 チラリと舞台袖に目を向ける。

 一番沸いてほしい人は、素知らぬ顔でこちらを見守っていた。

 こういった娯楽にはてんで疎いので、そもそもそういう感覚がないのかもしれない。

 全く期待していなかったわけではないが、十分予想されていた事ではある。

 切り替えて、二乃は歌い踊りながら体育館内に目を巡らせた。

 ステージ上からは想像以上に観客の顔が見える。

 目をキラキラさせている五月だとか、若干引き気味な三玖だとか、その他に友人の姿もあった。

 コンタクトをしているため、視界はバッチリである。

 しかし、それでも探している人物の姿は見つけられなかった。

 

(……まだ来てないだけかもしれないし、今はこっちに集中ね)

 

 そして、そもそもダメで元々なのだと、落胆を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

「あれー? こっちで見たと思ったんだけどなぁ」

 

 キョロキョロと何かを探しまわっている女生徒を尻目に、物陰に隠れるようにして歩く。

 さっきのオープニングセレモニーは大好評だったらしく、二乃はにわかに校内の人気者だった。

 どれぐらいかというと、普通に歩いていては声をかけられまくって動けない程度だ。

 なので、こうしてスニーキングしながらのミッションである。

 今日はフリーなので学園祭を回りたいところだが、それは難しそうだ。

 なので差し当たっての目的は、クラスの屋台の様子を見に行く事。

 そして出来ることなら、風太郎と合流するのが望ましい。

 せっかくのステージ衣装なので、近くで見て欲しいという思いがあった。

 そもそもこんな格好をしているから目立つのだが、そこは乙女心である。

 一応上に制服のブレザーを羽織っているが、防寒という側面以外では役に立っていない。

 約束の時間になれば確実に会えるが、その前に二人きりという状況が欲しかった。

 

「よし! これでチェックは大丈夫かな?」

 

 茂みに身を隠しながら進んでいる最中に、聞き覚えのある声。

 ぴょこぴょこと揺れるリボンに、日の出祭仕様のTシャツ――四葉だ。

 各学級長はこの学園祭の実行委員に任命されており、それは風太郎や四葉も例外ではない。

 あちこち動き回っているため足取りが中々掴めないのだが、ここで見つけられたのは幸いだ。

 同じ立場の四葉に聞けば、風太郎の動向もわかるだろう。

 声をかけるために茂みから顔を出した二乃だが……

 

「わっ、レッドだ!」

 

 その瞬間、複数人の生徒に見つかってしまった。

 レッドだと名乗った覚えはないが、衣装のカラーはレッドである。

 この場で他に特徴的な赤い人はいないので、間違いなく二乃を指している。

 褒められたり差し入れをされたりと悪い気分ではないのだが、何事にも限度がある。

 やや引きつった笑顔を浮かべて手を振ると、二乃はその場から退散した。

 一花が変装グッズを持ち歩く気持ちがわかるような気がした。

 もっとも今の二乃は衣装を変えない限り、他の姉妹に変装してもあまり意味はないのだが。

 

「まさかこんなことになるなんて……これじゃ、一花の事をとやかく言えないわね」

 

 差し入れのアメリカンドッグを口にしながら、校舎の中へと入る。

 校舎内でも展示や発表、模擬店などの催しが各教室で行われている。

 当然そちらにも人が流れていくのだが、反面使われていないスペースは人が少ない。

 それを期待して二乃は学食へ向かった。

 開放自体はされているが、食堂はお休みである。

 まだ学園祭はスタートして間もないので、いきなり腰を落ち着けるような生徒はいないだろう。

 

「二乃」

 

 不意に声をかけられて、思わず体が跳ねる。

 誰もいないと思われた食堂で、五月が一人問題集を開いていた。

 

「誰かと思えば五月じゃない。あー、ビックリした」

「ふふ、今やすっかり人気者ですね」

「笑い事じゃないわよ。声かけられまくってむず痒いったらないんだから」

「お見事なダンスでしたからね。学園祭という雰囲気にピッタリでした」

「そういうあんたは学園祭だっていうのに何やってるのよ」

「シフトは明日なので心配いりませんよ」

 

 もちろん二乃の心配はそういう意味ではない。

 こんなお祭りの最中に勉強なんて、とても正気の沙汰とは思えなかった。

 一緒に回る相手が見つからなかったのか、と勘ぐってしまいそうだった。

 

「約束の時間までには終わらせますのでご安心を」

「ま、ほどほどにね。せっかくの学園祭なんだから」

 

 五月の様子にネガティブな雰囲気はない。

 つまり、ただ単に勉強に対して意欲を燃やしているだけなのだろう。

 大学入試の判定結果は振るわなかったようだが、それで諦めてしまったわけではないようだ。

 打ち明けられた時からずっと気にかけていたので、二乃は内心で胸を撫で下ろした。

 もしかしたら、風太郎がなにかフォローをしてくれたのかもしれない。

 顔を思い浮かべたら、ますます会いたい気持ちが強くなってしまった。

 

「はぁ……フー君はどこにいるのかしら」

 

 

 

 

 

「二乃、わかった?」

「えっ、ごめんまだ」

 

 友人に声をかけられ、父親と娘の親子連れの二人組を眺めていた二乃は問題文に目を戻した。

 百円玉の絵の下に『20 0月0日に進め』という謎の文章である。

 こういう学力と関係なさそうな問題ならばと思ったが、さっぱりわからなかった。

 悔しいので是非とも解いてこの教室から出たかったが、約束の時間が近づきつつある。

 今や別のクラスになってしまった友人二人と頭をひねるも、答えは出そうになかった。

 

「中野二乃先輩だっけ?」

「そうそう、センターで一番目立ってた」

 

 廊下からの声に慌てて背中を向ける。

 男子二人が二乃の事を話題にしながら歩いていた。

 事情を理解してくれている友人達は、二乃を庇うように陣取ってくれた。

 

「広場にいるらしいぜ」

「行こうぜ、話してみてー」

 

 そのおかげか、男子達は教室内に目を留めることなく通り過ぎていった。

 しかし、その際にこぼしていった言葉が謎である。

 どうやら中野二乃は広場にいるらしい。

 

(なるほどねー、私が広場に……って、そんなわけないでしょうが!)

 

 現に二乃は広場なんて目立つ所には立ち寄っていないし、今は教室で謎と格闘中だ。

 一瞬ドッペルゲンガーなどと馬鹿げた考えが過ぎったが、順当に考えるなら誰かの変装だろう。

 しかし三玖は店番で忙しいと聞いていた。

 パンケーキの屋台は大盛況なようで、中々手を離せないのだとか。

 四葉にしても、あちこちに忙しなく走り回っているそうだ。

 唯一暇を持て余している五月は、食堂で問題集にかかりっきりのはずだ。

 何より性格上、無意味に姉妹になりすますような事はしないだろう。

 そして最もやりそうな一花は今日も撮影のはずである。

 目先の問題とは別に、謎は深まるばかりだった。

 教室から顔を出してみるが、男子二人の姿は既に人ごみに紛れて見えなかった。

 

「二乃、ここにいたか」

 

 そして風太郎の姿を認めた瞬間、推定ドッペルゲンガーの件は一気にどうでも良くなった。

 自分を探していたと聞いて、二乃は喜色を隠さずに抱きついた。

 これで人の目が集中しようとも、知ったことではないのだ。

 恥ずかしさよりも自分の欲求が先行していた。

 

「二乃ー、イチャついてないでさー」

「そうそう、この問題どうするー?」

「あ、ごめんごめん」

 

 いくら好きな人に会えたからといって、友人を蔑ろにするわけにはいかない。

 なんだかんだで学園祭を回れたのも、この二人のおかげなのである。

 教室に戻って、二乃は再び問題と向き合った。

 

「どれどれ」

 

 横から風太郎が問題文を覗き込んできた。

 どうやら一緒に考えてくれるようだ。

 得意の勉強とは分野が違うかもしれないが、それでも心強い事には変わりない。

 その真剣な横顔に二乃の胸は高鳴った。

 そんな様子を、友人二人が生温かく見守っていることには気づかなかった。

 女子高校生といえば恋バナであり、恋バナといえば女子高校生である。

 二乃とその友人達も結構な頻度でそういう話題に花を咲かせるのだが、いい相手がいないだの男子は子供っぽいだのと、やや不毛な方向へ行ってしまうのが常だった。

 そんな恋バナの中身が変化を遂げたのは、この春先のことだ。

 どうやら二乃に相手が見つかったらしい。

 本人は明言していなかったが、態度で丸分かりだった。

 盛大に惚気る二乃を例によって見守っていた二人だが、ここに来て唐突な答え合わせだ。

 上杉風太郎というのは、まぁ有名人と言っても差し支えない。

 前々から勉強ばかりしている変人として一部には認知されていたのだが、その名が本格的に学年中に広まったのは少し前――具体的に言うと、春先の模試の後からである。

 文句なしに有名人な武田祐輔が、事ある毎に風太郎を讃えるような言葉を口にしているせいだ。

 

『ところで上杉君を知っているかい? 彼は最高だよ』

『学内のトップのみならず、全国模試でも一位……ふふふ、彼こそ僕の生涯のライバルさ!』

 

 という感じで若干テンションがおかしかった。

 しかし頭がいいというのは伊達ではなく、三人が苦戦していた問題もサラッと解いてしまった。

 そんな風太郎を見つめる二乃の目は、間違いなく恋する乙女だった。

 本人が語っていた好みのタイプとは一致しないが、これでは疑いようもない。

 

「これでゲームクリアね。私はこれから約束あるけど、二人は?」

「私も同じだよ。親が仕事上がりに来るっぽくてさ」

「あー、私の家族ももう来てるみたい」

「ならすぐ行ってあげなさいよ。せっかく来てくれたんだから」

 

 家族との約束がある友人二人を、二乃は快く送り出した。

 しかしその胸の内には寂寥感が募る。

 同じ教室内で、一般客の父親とその娘が一緒に問題に取り組んでいるのが目の端にチラついた。

 二人きりになった二乃と風太郎は、集合場所の教室へ移動を開始した。

 期せずして得た望んでいた状況だが、時間があまりにも短い。

 色々と一緒にしたい事があったが、そんな余裕はなさそうだった。

 

「それよりも、いつまでそんな目立つ格好してんだよ。ステージの衣装だろ、それ」

「だって……フー君に見てほしかったんだもの」

「そ、そうか……うんまぁ、似合ってるんじゃないか?」

 

 内心で気落ちする二乃だったが、ステージ衣装を褒められた事で一気にボルテージが上がった。

 我ながらチョロいと思いつつも、素直に褒めてくる風太郎が悪いということにした。

 人の目を気にしない行動が目立つ二乃だが、実は気にしていないわけではない。

 ただ、自分の感情が振り切って制御不能になるだけなのだ。

 こう言うとまるで危険人物だが、風太郎の世間体という面から見れば概ね間違いではない。

 クラス内で風太郎が女癖の悪いヤベー奴だと認識される大体の原因は、二乃であると言える。

 しかしヤベー奴なのはともかくとして、中野姉妹限定で女癖が悪いのは事実である。

 

「やっぱお前、かわいいよな」

「~~っ」

 

 一応は人目を気にする二乃ではあるが、こうも感情が高ぶれば自制もどこかへすっ飛んでいく。

 振り切ったボルテージのまま、風太郎の首に腕を回して突撃ラブハートをかますのであった。

 

 

 

 

 

「まだ誰も来てないか」

 

 時刻は約束の十五時のちょっと前。

 二乃を連れて教室にやってきたのだが、まだ誰の姿もなかった。

 三玖と四葉は忙しいのだろうが、五月は問題集に苦戦しているのだろうか。

 やはりもう少しケツを叩いておいた方が良かったか。

 ちなみに一花はサプライズ演出のため、登場は最後ということになっている。

 

「二人きりなのね……ねぇ、フー君?」

「しねーぞ」

「まだなにも言ってないでしょ!」

「流れで大体わかるっての」

 

 加えて言えば、悔しそうな顔をしているのでほぼほぼ正解だろう。

 さっきは人前で盛大にキスしてきた二乃だが、まだその熱が冷めていないらしい。

 というか、他の姉妹がいつ来るともしれない状況でおっぱじめるのは、リスキーに過ぎる。

 三玖や五月はともかくとして、四葉に見られたら軽く死ねる。

 ちなみに一花は隣に待機しているので、事を始めたらまず音でバレる。

 

「そういえば、他の理由ってなんなんだ?」

「何の話よ」

「お前がステージで踊ってた理由だよ」

 

 大部分は四葉に無理をさせないためだとしても、わざわざステージに立つ理由にはならない。

 負担を減らすためなら、もっと他の仕事の肩代わりでいいはずなのだ。

 さっき他の理由があると言った時は照れ隠しだと思ったが、実際はどうなのだろうか。

 

「ああ、それね……舞台の上からなら、客席が見渡せると思ったのよ」

「誰か探してたのか?」

「パパよ。招待状を送ってみたんだけど、影も形もなかったわ」

 

 四葉と一緒に文面を考えて、あの鉄面皮の父親に招待状を送ったのだという。

 それでこいつが時折寂しげにしていた理由がわかった。

 家族の絆を大事にする二乃にとって、それは義理の父親でも例外ではないのだろう。

 いや、そもそも隔たっていると感じるからこそ、距離を詰めたいのかもしれない。

 

「ま、ダメで元々だし、別に気にしてないわ」

 

 それが強がりであることは、俺にだってわかる。

 しかし来てないと決め付けるのは早計だ。

 オープニング時にいなかっただけで、その後に入場しているかもしれない。

 そもそもとして、娘の事を人一倍気にかけているあの人が、誘いを無視するとは思えなかった。

 

「よし、ならこの後屋台の方を見に行こうぜ」

 

 そろそろこの親子のすれ違いも見飽きてきた頃だ。

 ここらでお互い素直になってもらうとしよう。

 強がりながらも、来ているかどうかは気になっていたのだろう。

 二乃は躊躇いがちに、静かに頷いた。

 

 

 

 

 

(ほんっと信じられない……!)

 

 教室での集まりの後、屋台が並ぶ通りを歩きながら二乃は憤慨していた。

 原因は風太郎の情けない告白である。

 

『さっぱりわからん! お前ら、どうにかしてくれ』

 

 二乃は自分も他の姉妹も、真剣に風太郎を想っていると実感している。

 それだけに、誰も選べないという選択は受け入れ難かった。

 自分を選んでくれるなら嬉しいし、他の姉妹を選ぶにしても例外を除いて渋々納得しただろう。

 それは各々の真剣な想いに向き合った結果だからだ。

 しかし風太郎は逃げた。

 その逃避が優しさから来るものだとしても、怒りは隠せなかった。

 

(……というか、あんな事があった後なのにどうして平然と私の手を引いてるのよ!)

 

 さらに信じられないのは、風太郎のこの行動だった。

 たしかに父が来ていないか、屋台の方を一緒に探す約束はしていた。

 しかしそれをこんな状況になってまで果たそうとするのには、怒りを通り越して呆れてしまう。

 これがご機嫌取りだというのならまだ分かるのだが、そうだとしたら確実に態度に出る。

 対人経験がロクにないせいか、風太郎は人への気遣い方が大変不器用なのだ。

 

(でもそんなとこも好き……って違う!)

 

 胸がキュンとしかけたところで怒りを奮い立たせる。

 油断するとすぐに許してしまいそうだった。

 しかし叩いてまで怒りを表現した手前、そんな態度を見せるわけにはいかない。

 あんな答えが許されるなんて思われては困るのだ。

 

「連絡は来てねーか?」

「き、来てないわよっ」

「ならこっちからしてみるか」

「それはやめて!」

 

 携帯を取り出して直接電話をかけようとする風太郎を、二乃は腕にしがみついて止めた。

 流石にそこまでの勇気はなかった。

 仮に来るつもりがないのだとしても、それを直接伝えられるのが怖かった。

 

「そもそもダメで元々って言ったでしょ。最初から期待なんてしてないわよ」

「それで納得できるのかよ」

「も、もうほっといてよ。えっと……そう! 汗臭いからあまり近寄らないでよね」

 

 咄嗟に出てきた苦し紛れの言葉。

 こうくっついていては、自分がいつ我慢できなくなるかがわからないゆえの発言だ。

 ここでもしキスでも求めようものなら、色々と台無しなのである。

 二乃の言葉が響いたのか、風太郎は手を離して少し距離をとった

 自分がそう促したにもかかわらず、二乃は身を引き裂かれるような心地だった。

 内心では罪悪感やら、嫌われてしまわないだろうかという不安でいっぱいだった。

 

「……無理に連れ回しちまって悪かったな」

「ま、まったくよね!」

「お前がもういいって言うならそれでいいが、俺は一人でも探させてもらうぞ」

「え……ど、どうしてよ!?」

「せっかく勇気出して招待状送ったんだろ? それで来ないなら俺が納得できねーよ」

 

 今度こそ感情のボルテージが振り切れそうになる。

 しかし、怒っているという手前がある。

 怒りも怒りで本物なのだが、好きという感情がそれに勝りすぎているのだ。

 初動こそ凄まじかったものの、今では気を抜けばあっさり追い抜かれてしまいそうになる。

 そもそも直情径行の二乃は、その場の感情を抑えるのが苦手だ。

 それがこうも大きな感情だと、それはもう大変な努力を要するのである。

 なので一計を案じることにした。

 二乃は躓いたフリをして、風太郎の胸に飛び込んだ。

 

「おい、大丈夫か?」

「ちょっと足痛めちゃったかも……不本意だけど、もうちょっとこのままでいさせてもらうわ」

「いや、それはいいんだが……」

「はー、汗臭……最悪なんですけど」

 

 あくまで不本意という体は崩さない。

 そして胸元に顔を埋めたまま、大好きな人の匂いを堪能した。

 人目が集まっていることなど微塵も意に介していなかった。

 

「あ、お兄ちゃんがイチャついてる!」

 

 聞き覚えのある声がしたと思えば、風太郎の体がビクッと跳ねた。

 見ると、風太郎の妹であり二乃の将来の妹(予定)であるらいはが、こちらを指差していた。

 わたあめを片手に学園祭を楽しんでいるようだ。

 

「おう、風太郎。公衆の面前でとはお前も――ぶっ、ワハハハハハ! なんだその顔!」

 

 そして続いて現れた風太郎の父である勇也だが、いきなりの大笑いである。

 風太郎の真っ赤に晴れた頬を指しているようだ。

 その原因の一人である二乃は、思わず顔をそらした。

 

「親父、ちょっとむこうで話そうか」

「は、腹いてー! 頼むからこっち向くな!」

「いいから来い!」

 

 二乃をやんわりと引き剥がすと、風太郎は父親を引きずってどこかへ行ってしまった。

 取り残された二乃とらいはは、無言で見つめあった。

 

「二乃さん、わたあめ食べる?」

「そうね、一口いただこうかしら」

 

 

 

 

 

「そういや、たしかにマルオのやつ見てねーな」

「マル……?」

 

 事のあらましを伝えると、親父は神妙に首を捻った。

 先程のちょっとした肉体言語を交えた話し合いで、少し服が汚れているのはご愛嬌だ。

 ちなみに腫れた左頬は手で隠している。

 そのままにしておくとまた親父が笑い出すからだ。

 まったく……らいはは純粋に心配してくれるというのに。

 それよりもいきなり出てきた個人名だが、マルオというのはひょっとして中野父の事だろうか。

 

「父なら来てないみたいです」

「そうか。この前あいつのとこ行った時は招待状開けてあったから、てっきり来てるもんかと」

「……読んでくれたんだ」

 

 ひとまず招待状に目を通してくれた事に、二乃は少しばかり安堵したようだった。

 まぁ、今日は来ないにしても明日明後日も来ないとは限らない。

 というか、あの人なら娘の誘いを無視したりしないと断言できる。

 あんな事を言って怒らせた償いというわけではないが、どうにかしてやりたかった。

 それよりも気になるのは……

 

「親父達ってさ、もしかしなくても知り合いなんだよな?」

「まぁな」

「そういえば、家庭教師の仕事もお父さんが取ってきたんだよね」

 

 つまり、俺が中野姉妹の家庭教師に宛てがわれたのは、親父達が見知った仲だからという事か。

 聞くところによると、高校時代の同級生だったらしい。

 片やバリバリの不良、片や成績トップの生徒会長。

 二乃は不良の部分に感じ入っていたが、こいつの男の趣味は大丈夫なのだろうか。

 ちなみにこれはブーメランなので、直後に俺にぶっ刺さった。

 

「色々と対立したもんだが、不思議と関係が続いていてな。やっぱそれは先生のおかげかもな」

「先生……もしかしてお母さん?」

「いい女だったぜー? ま、うちの嫁さんの次にだがな」

 

 親父がこうやって女性を褒める場面というのは、実のところ珍しい。

 まぁ、それは俺達には見せないようにしているだけなのかもしれないが。

 そんな親父がいきなり余所の女性を褒めるものだから、らいはもビックリしたようだった。

 それでも、直後にお袋が一番だというのを聞いて安心したようだ。

 未練とも執着とも呼べるのかもしれないが、要は思い出を今でも大事にしているのだろう。

 その一途さが俺には少し、いやかなり眩しい。

 

「ま、あいつはめんどくせーやつだが、少しずつ歩み寄ろうとしてるのは確かだ」

「……」

「お嬢ちゃんたちもそうしてるんだし、いつかきっと分かり合えると思うぜ」

 

 親父の言葉に何を思ったのだろうか。

 黙り込む二乃に、俺はとある決意を固めた。

 

「安心しろ。このまま来ないようだったら、俺が乗り込んで引きずってきてやるよ」

「フー君……」

 

 二乃はそっと俺の手に触れてきたが、次の瞬間にはそっぽを向いてしまった。

 どうやらまだ機嫌は直っていないらしい。

 

「あんたに言われたからじゃないけど……もう少し待ってみることにするわ」

 

 

 

 

 

 学園祭二日目のパンケーキの屋台は、いきなり多くの客が並ぶという好スタートを切った。

 接客担当や調理担当は忙しそうにしているが、客引きの五月はほぼ立っているだけである。

 そんな妹の傍らのベンチに、二乃は腰掛けていた。

 

「たこ焼き屋さんの方は大丈夫なんでしょうか?」

「さぁ、どうなるのかしらね……」

 

 本来なら二乃はむこうの屋台に出ているはずなのだが、今はここで暇を持て余している。

 他の男子達の様子も気になるところだ。

 しかしながら、それは今考えてもどうしようもない事だった。

 自分達の手に負える事態ではないため、成り行きを見守るしかないのだ。

 それよりも、中野姉妹には共通の懸念事項がある。

 

「フー君、どうするつもりなのかしら」

「そればっかりはなんとも……」

 

 昨日の六人での集まりの後も一緒に行動する機会があった二乃だが、ツンツントゲトゲするのに忙しくて、風太郎の考えについては聞けずじまいだった。

 あのまま答えられないなんて言い続けるのは論外だし、もしそうなったら自分も覚悟を決める必要があると考えていたところだ。

 いわゆる既成事実……避妊具に密かに穴を空けてやろうかという考えがチラついていた。

 もちろん、二乃にも高校に通っている内にそのような暴挙に出ないだけの冷静さはあった。

 それで卒業出来ないなんて事態になれば、それこそ姉妹への裏切りだ。

 ちなみに、隣の末っ子にはリスク度外視で事に及んでいたという隠し事がある。

 幸いにも当人達以外には知られていないのだが、もし姉妹にバレたら波乱は必至である。

 

「それにしても、お客さんの数が昨日よりも増えてる気がしますね」

「なんか話題になってるみたいよ」

 

 今はまだ二日目が始まって間もないが、客足は明らかに初日の朝より増えている。

 この分なら昨日以上の売上が期待できるだろう。

 訪れる客の中に、二乃は父の姿を探した。

 現在は三年一組の屋台は一つだけのため、様子を見に来るのならまずここのはずだ。

 それがこうして五月に付き合っている最も大きな理由だった。

 

「やあ」

 

 こちらに呼びかける男性の声。

 期待して振り返った二乃だが、そこにいたのはケーキ屋の店長だった。

 何故だか敵視しているはずのパン屋の店長と一緒である。

 二人して自分達のクラスの屋台に遊びに来たようだ。

 二乃は笑顔で対応した。

 

「店長、来てくれたんですね!」

「あれ、今ガッカリしなかった?」

 

 内心に引っ込めたはずのガッカリ感が漏れていたらしい。

 それはそれで仕方ないので、笑顔でゴリ押すことにした。

 ケーキ屋の店長はこの夏に足を怪我したのだが、もうすっかり完治している。

 怪我の心配をした五月だが、隠しているはずのレビュアーの方の名前で呼ばれて焦っていた。

 少なくとも二乃にはバレバレなのだが、あくまで知らぬ存ぜぬを突き通すようだ。

 三玖が今は席を外していることを伝えると、二人はまた後でと去っていった。

 その際の会話から、どうやらバイクで二人乗りしてきたらしい。

 大人の恋愛の匂いを二乃は感じ取った。

 

「一瞬お父さんかと思いました」

 

 どうやら父が来たと思ったのは、五月も同じだったようだ。

 去っていく二人の背中を見送りながら、二乃は失望を押さえ込んだ。

 まだ今日は始まったばかりなのだ。

 

 

 

 

 

『最後に特別ゲスト、三年一組の中野三玖ちゃんにお越しいただきましたー!』

 

 巨大モニターに映し出される娘の姿を、マルオは遠目に見守った。

 先ほどのインタビューの要請は断ったが、その時の様子もこうして映っていたのだろうか。

 娘の一人である三玖は、自分たちの屋台――パンケーキの宣伝をしていた。

 中野姉妹にとってもそうであるように、マルオにとってもパンケーキは思い出深いものだ。

 それこそ、目を背けたくなる程度には。

 スマホの着信履歴を呼び出し、リダイヤルする。

 病院からの呼び出しだった。

 

「なんだい?」

『折り返しありがとうございます。お休みのところすみません。お取り込み中でしたか?』

 

 入院中の患者の容態に変化があったらしい。

 急を要さない事務的な手続きはともかく、命を預かる仕事柄応じないわけにはいかない。

 

「ああ、構わないよ。すぐ行こう」

 

 用件を聞き終えると、マルオはモニターに背を向けて歩き出した。

 内心で少し安堵を覚えたことに、罪悪感を抱きながら。

 

 

 

 

 

「いつもうちの風太郎がお世話になってます」

 

 いきなり現れた女は、そんな事を言って風太郎に頭を下げさせていた。

 一朝一夕の距離感ではない。

 他の有象無象ならともかくとして、二乃が警戒するには十分すぎた。

 隣の五月も同じことを思ったのか、声には少し険がこもっていた。

 

「初めまして、竹林と申します。風太郎とは小学校からの同級生です」

 

 なるほど、小学校時代の同級生。

 あまり昔話をしたがらない風太郎だが、当時は髪を染める程度にはヤンチャをしていたそうだ。

 こんな勉強の虫になる前ならば、そういう知り合いがいたとしてもおかしくはない。

 しかし、旧知だからといってこうも馴れ馴れしいものだろうか?

 長い黒髪でパンツスタイルの彼女は、中々の美少女だった。

 チリっと、心に不安がよぎった。

 

「あらそう。私たちも同級生だけど、もっと深い関係と言っても過言じゃないわ」

 

 少なからず危機感を覚えた二乃は、牽制球を放つことにした。

 自分達が体を重ねるほどの深い関係だというのは事実であり、なんなら両思いとも言える。

 その風太郎にとっての両思いの相手が複数いるのが問題なのだが、それはひとまず置いておく。

 そこに言及しだしたら話が進まないからだ。

 ともかく、いくら古い知り合いだからといって、簡単に割り込めると思われては困るのだ。

 

「は、ははは……自己紹介も済んだ事だし、ここらでいいよな?」

「待ちなさい。そちらの竹林さんとどういう関係なのか、じっくり聞きたいわ」

「どういうもなにも、さっきこいつが言ったまま――」

「あ、ひどーい! あんなに面倒見てあげたのに!」

 

 反応からして、単なる旧知の仲ではないことは明らかだった。

 面倒とは何の面倒だろうか?

 もし、仮に、万が一、二人が過去にそういう関係だったとしたら……?

 同級生の中には、小学生のうちに初体験を済ませたという女子もいる。

 不安が一気に膨れ上がった。

 風太郎の焦った様子もそれに拍車をかけていた。

 

「何回も何回もお願いされて、こっちがもうダメーってなってるのにお構いなしで」

「――えっ……」

 

 そしてその不安を裏付けるかのような言葉。

 二乃の脳裏に嫌な想像が広がっていく。

 一度焼けた木の杭は燃えやすくなるらしい。

 昨日はビンタしてしまったし、辛辣に当たってしまった。

 そこで偶然出会った昔の彼女と……なんてのはよくある展開だ。

 風太郎が自分達を捨てて元カノと寄りを戻すという、最悪の未来が思い浮かんだ。

 

「ぐすっ、ひっく……やだやだやだやだぁ、おねがいだから捨てないでぇ……」

 

 一度思い込んでしまったらもう止まらなかった。

 強気な態度が目立つ二乃だが、それは傷つきやすい内面の裏返しだ。

 泣き崩れてその場に座り込むと、二乃は風太郎の足に縋り付いた。

 

 

 

 

 

「二乃、大丈夫?」

「だから大丈夫だってば」

「でも、あんなに泣いてたし」

「なんのことかしらねー? きっと目にゴミでも入ったのよ、うん」

 

 苦しすぎる言い訳だが、二乃はそれで押し通すことにした。

 三玖が呆れたような視線を向けてくるが、視界に入れなければ気にならない。

 風太郎と別れ、竹林も去り、五月は当番に穴を開けているので一足先に屋台へ戻っていった。

 

「まぁ、フー君の話が聞けたのは収穫だったわね」

「あの人、風太郎の先生だったんだ」

「フー君も最初から勉強できたわけじゃなかったのね」

 

 竹林の口から語られる風太郎の過去に二乃は大興奮だったのだが、三玖と五月はそれほどでもないように見えた。

 興味深げに聞いてたのは確かなのだが、しきりに頷いていたのが気になった。

 まるで既に知っている事を確認しているような、そんな印象を覚えた。

 

(それにしても……思い出の女の子、ね)

 

 竹林の話に出てきた、六年前の京都で風太郎と約束を交わしたという少女。

 それは四葉のことで間違いないだろう。

 風太郎は、その時に一緒に撮った写真を大事にしていたのだという。

 かつて、生徒手帳を預かった時のことを思い出す。

 金髪の少年――昔の風太郎の写真は中途半端な大きさだった。

 生徒手帳に収めるために、切って加工したのだろうと思っていた。

 でもそれがもし、半分に折っていただけなのだとしたら。

 その残り半分に写っているのが四葉なのだとしたら。

 風太郎が本当に好きなのは……

 

「どうしたの?」

「……なんでもないわ」

 

 無意識に握りしめていた拳を解く。

 それはとっくにわかっていた事だ。

 先ほど泣いてしまったせいか、弱気が残ってしまっていたらしい。

 頭を振って、蟠る雑念を追い出す。

 何があっても自分の想いは変わらない。

 それを真っ直ぐに貫くのだと、二乃は自分を奮い立たせた。

 

「それより三玖、あんた今日も当番なの?」

「うん、調理係は私が見たほうがいいだろうし」

「なら代わりなさい。暇で暇でしょうがないわ」

 

 

 

 

 

『皆さま、お疲れ様でした。これにて旭高校学園祭二日目を終了とします』

 

 時計は午後五時を回り、二日目終了のアナウンスが流れる。

 パンケーキの屋台は、材料を多めにしたおかげで売り切れることこそなかったものの、その分忙しさは初日の比ではなかった。

 二乃も調理当番を三玖に譲ってもらったことを、少し後悔したほどだ。

 立ち並ぶ屋台の中の生徒達は、一日の終わりを受けて思い思いに労いの言葉を掛け合っていた。

 その中で一人落胆を押し殺す。

 こうして屋台に立っているのには、父が来るのを待つという目的があった。

 しかし姿を現さないまま、今日も終わってしまった。

 

「えっ、何?」

「かっけー」

「つーか誰?」

 

 にわかに、屋台の前の人ごみがどよめきだした。

 聞き覚えのある排気音。

 そして人の切れ間から見えた、見覚えのあるバイクの姿。

 あれは確かケーキ屋の店長のものだ。

 

「二乃、行くぞ」

 

 ヘルメット姿の風太郎が、バイクに跨ったまま自分の後ろのスペースを指差した。

 後ろに乗れということらしい。

 思わず告白してしまった時のことを思い出して、二乃の胸が高鳴った。

 しかし目的がわからない。

 どこへ連れて行こうとしているのだろうか。

 

「直談判だ。お前の親父に文句言いに行くぞ」

「え……い、いやよ。もういいの」

「それで納得できるのかよ」

「だってパパは招待状を読んだのに来てくれなかった……私たちのことなんてどうでもいいのよ」

「……」

「明日もあるけどきっと来ないわ。それなら最初から期待しない方がずっとマシよ……!」

 

 期待すればするほど、裏切られた時の落胆も大きくなる。

 叶わないのなら、後悔するだけなら、望まなければいいだけ。

 後ろ向きな考えが泥濘のように二乃の足を止めていた。

 

「正直言って俺は部外者だし、お前らの親子関係も普通とは違うって事しかわからない」

「なら、もういいでしょ」

「だけどな、あの人が俺に会うたびになんて言ってるか知ってるか?」

 

 娘に手を出したらタダじゃおかない。

 要約するとそんな事を毎度言われているのだと、風太郎は震えながら語った。

 本当に気にかけていないのなら、そんな警戒心は見せないはずなのだと。

 

「あんな怖い目ができるんだ。よっぽどお前らのことが大切なんだろうな」

「……」

 

 夏休み、怪我をした店長を見舞った日。

 喚き散らした自分に目もくれずに去っていく背中。

 それなのに、風太郎と良い雰囲気になったところで水を差すようにやって来て……

 そう、わざわざ特別用事がなければ訪れない廊下の外れにだ。

 もしそれが、自分を心配していたのだとしたら。

 そう思い至っても、二乃の足は泥濘から抜け出せない。

 父親が自分たちを避けるような態度を取っているのも事実だからだ。

 期待の反動は大きかった。

 

「おーい、上杉君!」

 

 二乃の後ろから、クラスメイトの椿が走り寄ってきた。

 風太郎に用事があるようで、タブレットを掲げていた。

 

「捜してるのってこの人だよね? インタビュー断られたから、よく覚えてるよ」

「ああ、間違いない。二乃、見てくれ。椿、ちょっと前に戻せるか?」

「オッケー」

 

 促されて、タブレットの画面を覗き込む。

 四葉の熱狂的なファンがマイクを奪う様子が途切れたかと思うと、父の姿が映し出された。

 

「フー君、これって……」

「俺も映像を見たわけじゃないが、聞き覚えのある声だったからな。頼んで調べてもらったんだ」

 

 インタビューを受けた父が、病院からの連絡を受けて去っていく……ただそれだけの映像。

 ほんの短い、それこそ一分にも満たない映像だが、二乃の背中を押すには十分だった。

 

「椿さん、見せてくれてありがと」

「事情はよくわからないけど、役に立ったなら良かったよー」

「二乃、どうする? お前が行かなくても俺一人で乗り込むつもりだが」

「そんなの決まってるでしょ」

 

 そして大好きな人が手を引いてくれている。

 二乃は弱気という泥濘から抜け出して一歩踏み出した。

 

「――パパの所に連れてって!」

 

 

 

 

 

「僕のためにすみません……」

「医者として当然のことだよ。気にせずいつでも呼んでくれ」

 

 マルオの急な仕事が一段落着く頃には、空は既に暗くなり始めていた。

 時計を見ると、すでに午後五時を過ぎていた。

 今頃は学園祭二日目の片付けをしている頃だろうか。

 仕方ないと自分に言い聞かせつつ、残務処理をするために院長室のドアを開けた。

 

「どうも、お借りした娘さんを返しに来ました」

 

 室内には二乃と風太郎の姿があった。

 正式な手続きをしてここにいるようで、入館許可証を引っ提げている。

 マルオの姿を認めると、風太郎がソファーから立ち上がった。

 何か言いたいことがあるという目だ。

 

「暗くなる前に帰りたまえ」

 

 風太郎が口を開く前に、マルオは機先を制した。

 まともに取り合う気はないという意思の表れでもある。

 しかしそれで引き下がるほど、二人は利口な子供ではなかった。

 

「待って、もうすぐ焼けるから」

 

 あえて意識から外していた二乃に目を向ける。

 エプロンを身につけて、ホットプレートと向き合っていた。

 その鉄板の上で調理しているのはパンケーキだろうか。

 焼ける匂いはマルオの中の思い出を刺激した。

 

『パンケーキ……ですか?』

『意外と安く作れて、娘たちも喜んでくれるのです』

 

 病室のベッドに背を預ける、恩師であり最愛の人の姿。

 少しでも長く生きていて欲しかったが、それは叶わなかった。

 それでも、多くのものを残してくれた。

 彼女が漏らした心残り――五つ子の成長を見届ける事がマルオの生きる目的になった。

 

『退院した際はぜひご馳走させてください。君もきっと気に入ってくれると思いますよ』

 

 そしてこの世を去る少し前にご馳走してくれたパンケーキは、一生忘れられない味になった。

 あれ以来、マルオは一口もパンケーキを口にしていない。

 

「この生地、三玖が作ったの」

 

 二乃は焼きあがったパンケーキを紙の皿の上に乗っけると、テーブルの上にそっと置いた。

 

「はっきり言って美味しいわ。あの子、あんなに料理が下手っぴだったのにね」

「三玖は……ううん、私たち全員、あの頃よりもずっと成長したわ」

「そしてこの先もきっと……お父さんには、それをそばで見ていてほしいの」

 

 娘が自分と向き合おうとしている。

 それは父であるマルオにとっては喜ぶべきことのはずだった。

 それでも避けていたのは、同時に恐れていたからだ。

 五つ子たちと向き合うと、どうしても最愛の人の死がチラつく。

 パンケーキを口にしないのも同じ理由からだ。

 あるいは、あの時の味をずっと思い出の中に残しておきたかったのかもしれない。

 二乃の対面に座り、紙の皿を手に取る。

 

『君たちは、僕が責任を持って引き受ける』

 

 それは母の死に涙に暮れる娘たちに向けた言葉であり、自分自身へ向けたものでもあった。

 そしてなにより、亡き最愛の人へ向けた誓いの言葉だったはずだ。

 

『少しは父親らしいことしろよ、馬鹿野郎が!』

 

 今になって、二乃の隣に座る少年の言葉が心の内に響いた。

 まったくもってその通り。

 自分は父親なのだから、いつまでも逃げているわけにはいかない。

 マルオはフォークを手に、パンケーキを一口分だけ口に運んだ。

 思い出を呼び起こす、懐かしい味だった。

 娘たちが、母の死から逃げずに向き合ってきたのがよく伝わってきた。

 

「この味は零奈さんの……君たちのお母さんの味とそっくりだね」

「えっ……」

「しかし、この量は僕だけでは食べきれそうにない……だから、次は家族全員で食べよう」

 

 その言葉が二乃にとってはどんな意味があったのか。

 涙ぐみながらも、笑みを浮かべて隣の風太郎と顔を見合わせていた。

 いつもなら厳しい目を向けるマルオだが、今は目をつぶることにした。

 思い出したようにツンツンし始めた二乃の言葉も、微笑ましいものに感じられた。

 

「良かったな、二乃。それじゃ、俺はちょっとトイレに……」

 

 ずっと居心地悪そうにしていた風太郎がソファーから立ち上がった。

 部屋から出ていこうとする背中をマルオは呼び止めた。

 

「上杉君、待ちたまえ。これは君の計画かい?」

「違います」

「そうよ、彼がここまで連れてきてくれたの」

 

 二人の意見は食い違っているようだった。

 どちらかが嘘をついているのか、あるいはどちらも本当のことを言っているのか。

 ひとまず、マルオは娘の言を信じることにした。

 

「常々言っているが、君はあくまで家庭教師……それはわかっているね?」

「そ、それはもちろん!」

「だが、君には感謝しなければいけないね。君に娘たちを任せて本当に良かった」

 

 そもそも役割に徹するだけならば、この場が設けられることはなかっただろう。

 手放しに認めるわけにはいかないが、彼は自分たちに必要な人間だった。

 自然とそう思うことができた。

 

「じゃ、じゃあ今度こそ俺は――」

「お父さん、紹介したい人がいるんだけど構わないかしら?」

「ちょっ、二乃!?」

 

 今度こそ部屋を出ていこうとする風太郎だが、二乃がそれを引き止めた。

 何事かと思ったが、マルオはとりあえず続きを待つことにした。

 

「彼、私の好きな人なの」

「……ほう?」

 

 二乃は風太郎に抱きついて、風太郎は顔を青ざめさせた。

 視線を向けると、滝のように冷や汗を流していた。

 たっぷりと圧をかけていたマルオだったが、目を閉じると口元を緩めて僅かに笑った。

 

「そうかい」

「え……あの、それだけですか?」

「君たちももう高校生だ。そういうこともあるだろう」

 

 力が抜けたようで、風太郎は再びソファーに座り込んだ。

 どこの馬の骨とも知れない相手ならば、マルオも口出ししただろう。

 しかし風太郎は、この一年あまりで実績と信頼を積み上げてきた。

 

「だがくれぐれも……くれぐれも軽はずみな行いは慎むように……いいね?」

「は、はい……軽率な行動は控えます……」

「よろしい。では、よろしく頼むよ」

 

 マルオは席を立つと部屋の出口へと向かった。

 少ししゃべりすぎたのか、喉が渇いたのだ。

 そして部屋を出る直前に、二乃に呼び止められる。

 

「お父さん」

「ん、なんだい?」

「フー君を家庭教師に選んでくれてありがと!」

 

 出会ってから向けられたことのない、満面の笑みだった。

 部屋の外に出て、マルオは窓から暗色に移りつつある空を見上げた。

 久しぶりにアルコールを摂りたい気分だった。

 

 

 

 

 

「お前な……なんてこと言ってくれちゃったんだよ……」

「い、言っちゃったものは仕方ないじゃない!」

 

 院長室から出て、病院の廊下で俺は頭を抱えた。

 どうやら、俺と二乃は親公認の関係になったらしい。

 それはそれでいい事なのかもしれないが、問題は他の姉妹との関係である。

 今日の件を聞きつけたら、間違いなく一悶着ある。

 その結果、下手したら全てが明るみに出てしまうかもしれない。

 他の姉妹とも二乃と同じような関係を築いてますと言って、あの父親が納得するだろうか?

 答えは火を見るよりも明らかで、控えめに見てもぶっ飛ばされる未来しか見えない。

 

「それよりも……ねぇ、フー君?」

「……なんだよ」

 

 聞き返しつつも、二乃が何を求めているのかは大体わかる。

 わかってしまうようになった、と言った方が正しいか。

 目の色が変わった二乃の唇に、意識が向いてしまう。

 餌を待つヒナのように、二乃は目を閉じて顔を少し上に傾けた。

 それに応じて口付ける。

 ほんの一瞬の、軽く触れるだけのキス。

 あまりやりすぎると、二乃が暴走し出すからだ。

 

「……足りないんですけど」

「あれから機嫌悪そうにしてたし、あまり馴れ馴れしくするのもな」

「なにそれ、全っ然記憶にないわ」

 

 随分と都合のいい記憶喪失だ。

 しかしここは場所が悪すぎる。

 認められたとは言え、院長室の前でイチャつく胆力は俺にはない。

 それから不満を漏らす二乃を躱し続けていたのだが、痺れを切らしてしまったらしい。

 飛び込んでくるように強引に、唇を奪われてしまった。

 

「――あ、ヤバっ」

「まさかお前の親父が――」

 

 中野父が院長室に戻ってきたのかと思ったが、それは違うらしい。

 二乃は俺の手を引いて無人の廊下を歩き出した。

 

「おい、どこ行く気だよ」

「トイレよ。あそこなら誰にも見られないでしょ」

「まさかお前……」

 

 どう考えても、真っ当にトイレを使用することが目的とは思えなかった。

 その証拠に、二乃の息遣いは不自然に荒い。

 これはそう、まるで事の真っ最中のような……つまり、完全にスイッチが入っている。

 抵抗してみたが、暴走機関車が止まることはなかった。

 

「もう我慢できないわ。私のことが好きなら、言葉だけじゃなくて行動でも示しなさいよね」

 

 不覚にも、その言葉でこっちのスイッチも入ってしまった。

 そしてブレーキがなくなった今、結果はご察しの通りである。

 

 

 




やったね! マルオさんの許可がもらえたよ!
なお、この学園祭中に他の関係も露呈する模様。

来週は多分死んでるので投稿できるかどうか……
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