フー君が思春期の青い衝動に振り回される話   作:kish

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どうも、夜勤なので出勤前に失礼。

今回はタイトル通り三女の話です。


最後の祭りが三玖の場合

 

 

 

 学園祭初日から遡ること数日。

 中野家のキッチンにて、三玖はひたすらパンケーキを焼いていた。

 時刻はもう遅く、照明を落とした室内ではキッチンだけが浮かび上がるように明るい。

 三玖も納得がいく出来のものを作れたらすぐ寝る気でいるため、エプロンの下は寝巻きである。

 焼きあがった失敗作をどう処理するかに関しては、目を背けることにした。

 

「三玖、まだ起きていたのですか?」

 

 五月が薄暗いリビングに下りてくる。

 眼鏡をかけているので、今まで部屋で勉強していたのかもしれない。

 順当に考えて寝る前の準備に出てきたと見るべきだが、食べ物の匂いに釣られた可能性もある。

 

「中々上手にできなくて……二乃やお母さんのようにはいかないね」

 

 生地はともかくとして、焼き加減が問題だった。

 最初に焼いたものなどほぼ炭化している。

 それでも練習を重ねるうちに改善されているのだが、目標地点にはまだ達していない。

 

「あはは……こうしていると、修学旅行前を思い出しますね」

 

 三玖には、修学旅行に臨むにあたって、パンを焼く練習に明け暮れていた過去がある。

 そのお陰か、料理の中でもパン作りに関してならば、それなりにこなせるようになっていた。

 弊害として、二学期に入ってからの中野家の朝食は大体パンである。

 それはさて置き、五月は三玖のパン作りの練習に協力していた時のことを思い出していた。

 焼きすぎて炭化したパン、どういうわけか汁っ気が多いベチャッとしたパン。

 どれもこれも今となっては良い思い出である。

 報酬として三玖のバイト先の焼きたてパンを受け取っていたのだが、それは今溢れ出てきているよだれとは一切関係ないはずなのだ。

 関係ないったら関係ない。

 

「お付き合いしますよ。ちょうど小腹が空いていたので」

「ありがとう。もう少しでできそうだから」

 

 何事も同じだ。

 三玖はできないことに挑戦して、一歩ずつこなせるようになってきた。

 そしてそんな姉を、五月は信頼していた。

 だからか、一つ聞いてみたくなった。

 それが自分自身の答えにつながるのではと期待した。

 

「……三玖は、どうしてそんなに頑張るのですか?」

 

 何故と問われれば、理由は様々だ。

 まず、パンケーキの提案をした身としての責任がある。

 あそこで言い出さなければクラスも分断されなかったのでは、という思いがあった。

 次に、やりきれなかったという後悔はしたくない。

 最後の学園祭なのだから、できることをして気持ちよく終わらせたかった。

 そしてなによりも、どうせ作るのだからみんなに美味しいと言ってもらえるものを作りたい。

 その思いがどこから来ているのかというと――

 

「――好きだから、かな?」

 

 

 

 

 

 体育館での二乃のダンスに若干引いた後、三玖は屋台で調理当番を開始した。

 学園祭初日がスタートした直後の今は、通りに立ち並ぶ屋台の間を通る人も疎らである。

 よって他の女子にレクチャーしながらの実演だ。

 

「わー、おいしそー!」

「学園祭のクオリティじゃないよね」

 

 お客さんの第一号に焼いたベリーパンケーキは、好評を得られたようだ。

 夜遅くまで練習していた成果があったことに、三玖は内心でガッツポーズを取った。

 夜食に二十枚超のパンケーキをペロリと平らげた五月の胃袋にも感謝である。

 一緒に当番をしている女子たちにも、女子力が高いなどと褒められてしまった。

 最初期の、全然玉子に包まれていないオムライスからしたら目覚しい進歩だ。

 

「あ、あれもしかしてうちの男子じゃない?」

「きっと敵情視察よ。ほんと姑息なんだから」

 

 一緒に当番をしている二人のうちの一人、クラスメイトの愛未は特に男子を敵視していた。

 もう一方である松井は時折男子と一緒にいる場面を見かけるので、そうでもないようなのだが。

 決して悪意があるわけじゃなく、あくまでも対抗意識なのだが、容易に解決はできそうにない。

 

「あ、あの……クラスの男の子の話、なんだけど……」

 

 意地を張らずに仲良くしたほうがいい。

 そう言えれば良かったのだが、三玖にそんな勇気はなかった。

 女子内に限って言えば雰囲気も悪くないし、口を出せばかえって逆効果だろうか。

 言いよどんでいる間に、松井は何かを察して頷いた。

 

「大丈夫だよ、私は三玖ちゃんを応援してるから」

「え?」

「そーだよ! 毎朝お弁当渡してるなんて、健気で私キュンと来たもん!」

 

 にわかに興奮しだした二人。

 何の話かと思ったが、どうやら自分と風太郎の事らしい。

 夏休み前に弁当を作って渡していたのはしっかり周知されているようだ。

 ここで初めて三玖は自分も、いわゆる学級長の噂の中に組み込まれていることを悟った。

 そもそもとして最初期の四葉と風太郎が付き合っている、程度のことしか知らなかったのだが。

 そんな三玖の様子に、二人は意を決したように最新の噂を語った。

 五つ子全員を手篭めにしているだとか、校内で人目もはばからずにキスをしていただとか。

 真実かどうかはともかくとして、決して否定できない内容に三玖は閉口した。

 

「まぁ、噂は噂でしかないけど、三玖ちゃんが頑張ってたのは知ってるからさ」

「二乃ちゃんや四葉ちゃんは強敵だけど、私は断然三玖ちゃん推しかな」

「あ、ありがと……って、そうじゃなくて――」

「ねぇねぇ、もう告白したの?」

「まだなら後夜祭はどう? 告っちゃう?」

 

 迫ってくる二人に三玖はタジタジである。

 告白はしたのだが、返事はもらっていない。

 そして返事はもらってないにもかかわらず、キスより先のことまで済ませてしまっている。

 仮にそう答えたとして、風太郎が悪く思われたりしないだろうか。

 そもそも噂のせいでクラス内の風評はヤバイ事になっているのだが、三玖はそれを知らない。

 知らないが、風太郎が悪く思われるのは嫌なので軌道修正を図ることにした。

 

「と、とりあえず、もう一回教えるから見てて」

 

 パンケーキの生地はツノができるまでかき混ぜて、ホットプレートの上になるべく高く盛る。

 説明しながら実演してみせる。

 二乃や店長から習った、ふわふわなパンケーキを作るコツである。

 他には焼き加減の問題もあり、それを習得するのに三玖は相当の努力をした。

 生地が焼ける音と共に良い匂いが漂ってくる。

 フライ返しで危なげなくひっくり返す。

 これも何度も練習した作業である。

 慣れないうちは場外ホームランをカマしたりしていた。

 ここまで来たら、後は焼き上がりを待つだけだ。

 

「あ、上杉君だ」

 

 フライ返しを握ったまま、三玖は身を僅かに跳ねさせた。

 せっかくの軌道修正なのに、まさかの本人の登場である。

 こうして来てくれたことは嬉しいのだが、またタイミングが悪い。

 二人の興味は当然、安全点検に訪れた風太郎に向く。

 単刀直入に自分たちの関係について言及するものだから、三玖も思わず固まってしまった。

 

「上杉君、いくらなんでもそれはないよ」

「そーだよ、二乃ちゃんや四葉ちゃんのことだってあるのに」

 

 度々この二人の名前が挙げられるのは、それだけ風太郎と関係が深いと目されているからだ。

 四葉はそもそもの発端であるし、一緒にいる機会が多いのも事実だ。

 まぁ、それは学級長という立場からくるものなのだが。

 逆説的に、一緒にいたいから風太郎を推薦したと見られているようだ。

 二乃は、少し前にクラスの女子の前で堂々とキスしたことが話題になっているらしい。

 ブレーキが壊れた二乃のことだから、確かにそれぐらいはやりかねない。

 しかし納得はするものの、はいそうですかと受け入れられるわけではない。

 三玖は静かに、己の内で嫉妬の炎を燃やした。

 そんな心境に対応してか、なにやら焦げっぽい臭いも――

 

「……おい、なんか焦げてないか?」

「そんなことじゃごまかされない……ってホントだ!」

「三玖ちゃん、焦げてる焦げてる!」

「わっ、わっ」

 

 慌てて救出するが、すでに手遅れだった。

 ふわふわに仕上がるはずのパンケーキは、こげこげである。

 いくらなんでも別のことに気を取られすぎた。

 これでは、とてもじゃないが店に出すわけにはいかない。

 せっかくの材料を無駄にしてしまい、三玖は肩を落とした。

 

「これ、いらないのか?」

「売り物にはできないし、もう捨てるしか――」

「じゃあ貰ってくぞ」

 

 その無遠慮な声に三玖が顔を上げた時には、すでに風太郎はパンケーキを口に運んでいた。

 焼きたてで熱いだろうに手づかみである。

 初めて料理を振舞った時のことを思い出す。

 二乃の料理とは比べものにならないほどの出来の悪さにもかかわらず、風太郎は――

 

『うん、どっちも普通にうまいな』

 

「ごちそーさん、うまかったぞ」

「あ、ありがと……」

 

 それは本心なのかお世辞なのか、正直なところはわからない。

 だけど、こうやってそっと心に寄り添ってくれるようなところに、自分は恋をしたのだ。

 一花は可愛いし、距離感で言えばきっと姉妹で一番風太郎に寄り添っている。

 二乃は可愛いし、自分の想いをぶつけることに躊躇いがない。

 四葉は可愛いし、いつも風太郎を引っ張り回している。

 五月は可愛いし、妹気質だからか兄気質の風太郎と相性が良いように見える。

 なら自分は?

 いつも姉妹に対してコンプレックスを感じていた。

 一花と二乃が風太郎を好きになって、自分じゃとても敵わないと思ったこともあった。

 それでも、パンを焼けるようになったし、料理だって少しずつ勉強している。

 風太郎と出会って、出来ないことを出来るようになる喜びを三玖は知った。

 

(うん、そうだよ……諦める理由なんてないよね)

 

 自分の恋も、楽しい学園祭も。

 まだまだ仕事があるのか、風太郎は行ってしまった。

 その背中を見送りつつ、三玖は決意を固めた。

 

「あ、あの……今度は私が敵情視察、行ってみてもいいかな?」

 

 二人もなんだかんだで男子の屋台は気になっているようで、快く了承してくれた。

 エプロン姿のまま、早速と三玖は屋台から飛び出した。

 しかし、すぐに見覚えのある姿を見つけて立ち止まる。

 

「あれ、フータロー?」

「あー、聞こえちまったんだが、たこ焼き屋の方に行くんだろ?」

「うん、そうだけど」

「仕事がてら、ちょうど様子を見に行こうと思っててな。良かったら一緒に行くか?」

 

 恐らくは、待っていてくれたのだろう。

 もしかすると心配してくれているのかもしれない。

 いつもながらの不器用な優しさに、三玖は頬を緩ませた。

 そしてそっと、風太郎の手を握った。

 

 

 

 

 

「女子の奴らには負けねーぞ!」

「「おー!!」」

 

 たこ焼きの屋台の前で、うちのクラスの男子達が手を振り上げて気勢を上げていた。

 中心になっているのは坊主頭の男子……名前は残念ながら思い出せなかった。

 今は学園祭が始まって間もなく、まだ客の姿もない。

 俺と三玖は近くの木の陰に身を隠しながら、その様子を伺っていた。

 男子の屋台の方のチェック担当は確か四葉だ。

 よって俺がここに来るのは寄り道でしかないのだが、三玖が心配でつい着いてきてしまった。

 

「男子はこんな感じだが、女子はどうだった?」

「似たような感じ」

「そうか……想像以上に溝が深いな。お互い意固地になっていやがるな」

 

 要するにクラスでの話し合いの際の雰囲気を、そのまま引きずってきているのだろう。

 学園祭前は忙しくて、あまり気にかけてやれなかったのが悔やまれる。

 俺が間に入ったところでという話なのだが、四葉が仲裁に回れば多少話は違っていただろうか。

 いや、あいつは他人の意見を蔑ろにできないから、板挟みになって余計な気苦労を抱えそうだ。

 

「どうしよう、フータロー」

「必要なのは橋渡しと歩み寄りだろうが、俺には少し荷が重いな」

「そうかな……そうかも」

 

 そもそもとして他人との交流を断ってきた俺には、人望というものがない。

 最近は中野姉妹との関わりもあり、クラス内での評価は恐らくヤバイ事になっている。

 それは三玖も承知しているのか、否定してくるようなことはなかった。

 

「俺の直感でしかないが、お前だったらどうにかできるんじゃないかと思う」

「え……」

「対立陣営の、それも中核の方からの歩み寄りなら、あいつらの気持ちも変わるかもな」

 

 三玖ならば、クラス内の誰よりもうってつけだと思う。

 その理由をはっきりと言葉にできないから、あくまでも直感だ。

 まったく、答えがあっていたとしてもテストなら減点をくらっちまうな。

 

「まぁ、信じるかどうかは自由だ」

「……うん、フータローがそう言ってくれるなら、信じるよ」

 

 

 

 

 

「ヘイらっしゃい!」

「こ……こんにちは」

「中野さん!?」

「パンケーキのリーダーがなんの用だ?」

 

 意を決してたこ焼きの屋台を訪れた三玖だったが、案の定男子の反応は色好くない。

 坊主頭の山内は最初こそ歓迎してくれたものの、すぐに態度を硬化させた。

 女子の愛未と言い争う姿が目立つ男子で、代表のようなポジションに収まっている。

 今更ながらのリーダー扱いに戸惑ってしまう。

 確かに提案したのは自分なのだが、代表という意味では愛未とかの方が相応しい。

 

「あ、あのっ……たこ焼き、一つください!」

 

 硬い態度に気圧されそうになるが、三玖は踏みとどまった。

 大事なのは歩み寄りだ。

 ここで引き下がってしまったら、なんの意味もない。

 しかし男子達は素直に応じない。

 三玖が女子達に頼まれて、自分達をバカにしに来たと思い込んでいるようだ。

 被害妄想でしかないのだが、それほどまでに溝は深いのだろうか。

 自分には荷が重かったのだろうかと、三玖は途方にくれた。

 

「はいよ」

 

 しかし、男子の中にあって黙々とたこ焼きを調理する者が一人、注文に応じた。

 一際ガラの悪さが目立つ男子、前田だ。

 三玖には林間学校の件もあり、少々気まずい相手だ。

 

「前田、いいのかよ」

「最優秀店舗目指してんのに、んなこと気にしてらんねーよ」

 

 その年の学園祭において一番の売上を記録した店舗は、最優秀店舗として表彰される。

 女子の間でも話題に上がっていたが、男子はどうやら本気で狙っているらしい。

 前田は焼きあがったたこ焼きをプラスチックのトレイに乗せると、三玖の前に置いた。

 

「林間学校の時のことは、上杉や一花さんから聞いた。悪かったな、怖がらせちまったろ」

「ううん、騙したのはこっちだから……ごめんね」

 

 三玖の中の蟠りが一つ解消された。

 また一つ避けていたことと向き合えたのを実感しながら、出来たてのたこ焼きを口に運ぶ。

 アツアツでカリカリでフワフワだった。

 女子のパンケーキにも劣らない、おいしいたこ焼きだった。

 

「うまっ……あ、美味しいね」

「ハハハ! 流石五つ子だな!」

 

 思わず素の声が出てしまった三玖に、山内は大笑いした。

 理由もわからず戸惑ってしまうが、その笑いは気持ちのいいものだった。

 嘘やお世辞を並び立てているわけではないと、信用してくれたようだった。

 聞くところによると、たこ焼き屋の方も生地やコンロに手を加えたりと、試行錯誤したそうだ。

 女子も男子も、学園祭を全力で楽しみたいという思いに変わりはない。

 だからこそ、この現状をなんとかしたい。

 三玖はあらためてその思いを強くした。

 そして、ただ思うだけでは願いは叶わない。

 実現するために、一歩踏み出す。

 

「一日目が終わったら、私が女子のみんなを連れてくる」

「は?」

「だから、このたこ焼きを食べさせてあげてほしい」

「いや、しかしな……急に言われても困るっつーか」

「それはごめんなさい……でも、食べたらきっと男子のみんなが本気だって伝わるはずだから!」

「だ、誰があいつらのために……」

 

 なおも渋る男子達。

 見かねた風太郎が口を出そうとするが、それを三玖が制止した。

 ここで頼ってしまっては、できると言ってくれた風太郎の言葉を疑うことになる。

 

『もし目標があって、それを不安に思うなら思い出せよ。自分は壁を乗り越えてきたんだって』

 

 今また一つ壁を乗り越えるために、三玖は言葉を重ねた。

 

「このまま終わりなんて私は嫌だし、みんなもきっとそう思ってる」

「全部終わっていつか振り返ったとき、いい学園祭だったねって喜べるものにしたい!」

「だから……お願いします」

 

 頭を下げる三玖の言葉が響いたのか、男子達がどよめきだした。

 しかし、まだ応じる方へは向ききっていない。

 さらにもうひと押し、言葉を重ねる必要があるだろうか。

 全部吐き出したつもりの三玖には、次の言葉がすぐには見つからなかった。

 

「そういえば、前田君は松井さんに食べさせてあげてたよね」

「てめっ、それは言うなって……!」

「ふふっ、そうだったかい?」

 

 助け舟は意外なところからやってきた。

 席を外していた武田が戻ってきたかと思うと、いきなりそんなことを言ったのだ。

 男子達の指すような視線が前田に集中する。

 表面上は女子と対立している男子ではあるが、クラス内に気になる相手がいる者もいる。

 そんな手合いにとって、前田の行為は裏切りに他ならない。

 要するに、お前だけ抜け駆けしてズルい、である。

 堰を切ったように、男子達はそれぞれ食べさせたい相手の名前を叫んだ。

 その様子に三玖は恥ずかしくないのだろうかと思ったが、そこは学園祭のテンションか。

 なんにしても、ようやく素直な気持ちが聞けたことに安堵した。

 

「まったくこいつらは……だがまぁ、俺にも食わせたい相手がいないわけじゃない」

「え、じゃあ……」

「さっきはあんなこと言ったけど中野さん、やっぱり頼んでもいいか?」

「うん、もちろん!」

 

 男子を代表するように、山内が歩み寄ってくれた。

 三玖は当然快諾し、他の男子にも頭を下げてお礼を言った。

 なぜだか急に態度が軟化したが、気持ちが伝わったということだろう。

 

「もう平気そうだな。じゃあ、俺はそろそろ仕事の方に戻るぞ」

「うん、ありがとう……全部フータローのおかげ」

「いや、あいつらを動かしたのはお前だ。強くなったな、三玖」

 

 約束の時間を忘れるなと言い残して、風太郎は去っていった。

 その後ろ姿を見送りながら、三玖は己の内で壁を乗り越えた実感を噛み締めた。

 今まで何をするにも他の誰かより劣っていて、そんな自分が好きになれなかった。

 それでも努力をして勇気を出して、壁を乗り越えて……好きな人にも認めてもらえた。

 ようやく、自分のことが好きになれそうだった。

 

 

 

 

 

「ベリー1とメープル2お願い!」

「もう少しで焼けるから!」

 

 三玖の自信に後押しされるように、パンケーキの売れ行きは好調だった。

 用意していた材料は順調に捌けて、程なくして完売になるだろう。

 働き詰めの三玖ではあるが、疲労が気にならないほどに充実していた。

 

「三玖さーん!」

 

 そんなところに、元気いっぱいの声……風太郎の妹であるらいはだ。

 父親も伴って学園祭に遊びに来たらしい。

 

「らいはちゃん……とお父さん! お久しぶりです」

「おう、こっちこそな。チョコソース一つ頼むわ」

 

 注文を受けて、焼きたてのパンケーキを紙の皿の上に乗っける。

 その上にチョコソースをかければ完成だ。

 こうしてトッピングでメニューに幅が出るのは、初心者にはありがたいところだった。

 

「らいはちゃんこんにちはー。お兄ちゃんに会いに来たの?」

「お兄ちゃんにはさっき会えたんだけど、ここのパンケーキがおいしいって聞いて来ましたー」

「お、嬉しいねー。ね、三玖ちゃん?」

「う、うん……」

 

 らいはに親しげに話しかけているのは、クラスメイトの葵だった。

 何故こんなに距離が近いのかは謎だが、気にしないことにした。

 なんでかと言うと、今の三玖は自己肯定感にあふれているからだ。

 なので、自分の知らない風太郎の海でのエピソードなど気にならないし、そこでどれだけ他の女子と仲良くなっていようと気にならないのだ。

 自然と頬が膨れてしまうが、それとこれとは関係ない。

 関係ないったら関係ない。

 

「あ、そうだ三玖さん! 今度パンケーキ作り教えてください!」

「え……わ、私に?」

 

 上杉家の台所を牛耳っているのは、他でもないこのらいはである。

 そんな熟練者を相手に教えるなんて、恐れ多いもいいところだった。

 消極的な言葉が口をついて出そうになるが、だがしかしと考え直す。

 将を射んと欲すれば先ず馬を射よ、という言葉がある。

 元となるのは唐の詩の一節だが、日本の戦国時代を取り上げた作品で見る機会も多い。

 狙うものを直接叩くよりも、その支えとなるものを狙う方が上手く事が運ぶという意味合いだ。

 外堀を埋める、という言葉もそれに類するものだろう。

 これは城攻めの兵法に由来する言葉であり、また戦国時代と関連が深い。

 風太郎は妹であるらいはを溺愛しているし、頭も上がらない様子だった。

 即ち、妹を制する者が兄を制する。

 そこまで考えが至った瞬間、三玖は恐ろしい事実に気がついた。

 それは妹二人の行動だった。

 思えば出会って間もない頃から、らいはと親しげにしていたような気がする。

 それがもし、将を射るための動きだったとしたら?

 それがもし、本丸に攻め込むための下準備だとしたら?

 四葉はともかく、五月に関しては完全な勘違いなのだが、今の三玖はやや冷静じゃなかった。

 二人に負けぬよう、闘志を燃やして己を奮い立たせた。

 

「うん、じゃあ今度お休みの日にでも」

「やったー!」

 

 動機には少なからず打算があるが、仲良くしたいという気持ちは本物だ。

 なんせ三玖の妄想の中では、既に風太郎と結婚して子供だっているのだ。

 らいははもう妹のようなものである。

 なので、今日はいつもより欲張ってみることにした。

 遠からず、この屋台は材料切れで店じまいになるだろう。

 そうなったら、約束の時間まで一緒に学園祭を回るのも悪くない。

 あわよくば風太郎を捕まえて、家族共々親睦を深めよう。

 

「もし良かったら、これが片付いたら一緒に――」

「追加の材料買ってきたよ!」

 

 そして三玖の前に立ち並ぶパンケーキの材料。

 材料切れというゴールが遠のいた瞬間だった。

 この分では、約束の時間に間に合うかどうかも怪しい。

 その予想に違わず、パンケーキが完売となった頃には約束の時間を二十分ほど過ぎていた。

 労い合うクラスメイトたちに書き置きを残すと、三玖は急いで教室へ向かうのだった。

 

 

 

 

 

 学園祭の一日目が終了してまもなくの事だった。

 風太郎の告白に思うところがありつつも屋台の片付けに戻った三玖は、朝の約束通りに女子を連れて男子の屋台を訪れた。

 渋る女子に、男子の時と同様に頭を下げて頼み込んだ。

 パンケーキ屋台において、三玖は発案者であり功労者でもある。

 材料が切れるまで、調理にかかりきりだった姿も無関係ではなかっただろう。

 そこには、このままじゃいけないという思いもあったのかもしれない。

 そんな三玖の提案をそこまで言うのならと受け入れ、女子の数人は共に男子の屋台へと趣いた。

 食べてもらいさえすれば、きっと頑張りが伝わる。

 男子も、女子の屋台のパンケーキを食べればきっと認めてくれる。

 そして一丸とはなれずとも、そんなこともあったねと笑い合える思い出になる……はずだった。

 しかし、三玖の中に芽生えた自信と希望は、赤々とした炎の前に崩れ去ってしまった。

 

「うそ……」

 

 炎の熱と光が、肌の表面を舐めるように照らす。

 そこにはたこ焼きの屋台があるはずだった。

 避難誘導や、消火を急かす声もどこか遠い。

 現実の光景とは思えなかった。

 悪い夢であればどんなに良かっただろう。

 よろめいたところを、隣の二乃に支えられた。

 目の端に、呆然と立ち尽くす男子の姿が映った。

 どうにかしなければと心が急くが、どうすればいいのかがわからない。

 

(フータロー……こんな時はどうしたらいいの……?)

 

 心の中の問いに答える者がいるはずもなく、三玖はその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「く、クラスでパンケーキの屋台やってます。とてもおいしいので、ぜひ来てください」

「最後に特別ゲスト、三年一組の中野三玖ちゃんにお越しいただきましたー!」

 

 学園祭の二日目が開始してまもなく、三玖は屋台の紹介のためにカメラの前に立っていた。

 放送部が撮影するインタビューや屋台の紹介は、学内の巨大モニターで放送されているらしい。

 自分がそこに映し出されているのかと思うと、緊張でドキドキが止まらなかった。

 一花は常にこんなことをしているのだから、すごいとしか言い様がない。

 

「じゃ、三玖ちゃん頑張ってね」

 

 自分にマイクを向けていたクラスメイトの椿に見送られながら、その場を離れる。

 屋台が立ち並ぶ通りを歩きながら、三玖は風太郎の姿を探した。

 顔が見たかったし、声も聞きたかった。

 それとも、あんな事があって自分達とは顔を合わせづらいだろうか。

 昨日の集まりの際、風太郎の情けない告白を受けて動いたのは三人。

 一花と二乃と五月だ。

 それぞれ態度の違いはあれど、同じように風太郎の頬を張った。

 三玖は四葉とその介抱をしていたのだが、三人の気持ちがわからないわけではなかった。

 

(なのに、どうして私は動けなかったんだろう……)

 

 叩くのがかわいそうだと思ったから――それもある。

 嫌われたくないと思ったから――それもある。

 結局は自分に意気地がなかったのだと、三玖はそう結論づけた。

 

(やっぱり私、ダメなのかな? 乗り越えられなかったのかな……?)

 

 芽生えた自信はすっかり萎んでしまっていた。

 頑張ってもどうしようもない現実の前に、磨り潰されてしまっていた。

 俯きそうになる三玖の前を、ダンボール箱が通りすぎる。

 正確に言うとダンボール箱を抱えた人だが、重ねすぎて顔すら見えない。

 しかし三玖にはそれが誰なのか一瞬で分かった。

 何故なら、ダンボールの上からピコンとリボンがはみ出しているからだ。

 今朝、家を出る前から姿が見えなかった四葉だ。

 

「あ、四葉。フータローは?」

「三玖? ごめん、ずっと仕事してて私も会ってないんだ」

「そっか……」

 

 四葉にも見当がつかないとなると手がかりがない。

 やっぱり地道に歩いて探すしかなのだろうか。

 

「どうかしたの?」

「別に……ただ一緒に回りたかっただけ」

 

 嘘ではないが本当でもない。

 縋りつきたいし、思い切り抱いても欲しい。

 身を委ねて、嫌なことを全部忘れたかった。

 

「……三玖はすごいね。私は――」

「四葉?」

「ううん、なんでもない! あ、上杉さんの声だ。近くにいるかも!」

 

 ふと四葉の顔に影が差した気がしたが、次の瞬間には元通りだった。

 体育館の方をリボンで指すと、ダンボールを抱えたまま駆けていく。

 ダウジングかなにかだろうか?

 前が見えないのを心配して、三玖はその後を追った。

 

「おかしいなー、こっちだと思ったんだけど」

 

 ようやくダンボール箱を下ろした四葉が首を傾げた。

 どうやら届け先は体育館だったらしい。

 本当は荷物を置きに来ただけなのでは?

 そう思わなくもなかったが、四葉のことだ。

 本当にただの勘違いという可能性が高い。

 

「三玖、無理しないでね。昨日のこともあるし」

「もう平気。昨日は色々疲れてただけだから」

「そういえば、色々頑張ってたって聞いたよ」

「でも、結局……」

 

 男子を説得した、女子も説得した。

 互いの努力をわかってもらうための場も設けた。

 それでお互い認め合って、楽しい学園祭になるはずだった。

 けれど、その未来は呆気なく炎に巻かれて消えてしまった。

 

「出店停止ってお前のクラスの店だったのかよ!」

「そーだよ、マジでやってらんねーぜ」

 

 クラスメイトの山内だった。

 他クラスの友人と歩いているようだ。

 その会話の内容は、紛れもなく昨日のことだ。

 昨日のボヤ騒ぎは幸いにも小さな被害で済んだのだが、なんのお咎めもなしとはいかなかった。

 結果として、三年一組のたこ焼き屋は出店停止の処分を受けてしまった。

 もう男子と女子の仲直りどころではなくなってしまったのだ。

 去っていく山内の背中に声をかけようとするも、その口から意外な言葉を聞いて立ち止まる。

 

「今のって……」

「三玖! 上杉さん見つけた。知らない女の子と話してる!」

「えっ」

 

 深く考える前に、聞き捨てならない情報がもたらされた。

 四葉が示した方を見ると、風太郎が見知らぬ女子と屋台で遊んでいた。

 

「あれ誰?」

「さぁ……けど、多分偶然居合わせただけだよ。上杉さんを信じよう!」

「信じる……」

「だって昨日言ってたじゃん。私たちのことがす、す……好きだって」

 

 自分の好きになったものを信じる。

 それは風太郎が家庭教師に就いてからまもなく、三玖に贈った言葉だ。

 その言葉を、風太郎を信じてここまでやってきた。

 だからここもぐっと堪えて……無理だった。

 思わず嫉妬のオーラが噴出してしまった。

 何かを感じ取ったのか、風太郎の背中がビクッと跳ねた。

 

「へぇ、昨日私たちにあんな告白しといて今日はこれなんだ」

「ま、まぁまぁ……たまたまだよ、きっと、うん……絶対」

 

 四葉が自分に言い聞かせるようなフォローをするが、三玖の頭の中には妄想が展開されていた。

 風太郎が自分たちに愛想を尽かして見知らぬ女子と去っていくという、負の妄想である。

 いつもとは逆ベクトルのトリップに四葉もマズイと思ったのか、フォローにも力が入る。

 

「こ、こんなの何かの間違いだよ! ほら、あの上杉さんが即仲良くなるなんてありえないよ!」

「そ、そうだよね……フータローは噛めば噛むほど味が出るタイプ――」

 

 どうにか持ち直そうとした二人だが、謎の女子が風太郎の手を取ったことで絶句してしまった。

 固まっている間に、二人は先へ進んでいく。

 あの方向には確か――

 

「パンケーキいかがで――」

 

 三年一組のパンケーキの屋台である。

 風太郎と謎の女子は、二乃と五月と鉢合わせしていた。

 そして案の定、揉めだした。

 とはいえ、これは三玖と四葉にも無関係ではない。

 隠れつつ近寄って、四人の会話に耳を傾けた。

 

「初めまして、竹林と申します。風太郎とは小学校からの同級生です」

 

 それでわかったのは、謎の女子の名前と風太郎との関係だ。

 だからといって馴れ馴れしすぎるのでは?

 ふつふつと、三玖の嫉妬ゲージが溜まっていく。

 後ろから四葉が抑えなければ、飛び出してしまいそうだった。

 そしてそれが振り切れたのは二乃が泣き出した直後。

 いつの間にか拘束はなくなっていて、飛び出した三玖は短くもはっきりと感情を吐き出した。

 

「フータローは渡さないから」

 

 この瞬間だけは、ずっと蟠っていたモヤモヤがなくなっていた。

 

 

 

 

 

「もうちょっと、もうちょっとだけでいいから!」

「ええぇ……もうそんな面白エピソードありませんって」

「なら写真! フー君の小学生の頃の写真とか!」

「昔の携帯にはあったかもですけど、今の手持ちには……」

「じゃあ家にはあるのね!?」

 

 風太郎の昔話をその幼馴染から聞いた後も、二乃はしつこく食い下がっていた。

 よっぽど竹林の話がお気に召したのだろう。

 冷めない興奮のままに詰め寄っていた。

 このまま放っておけば、住所を聞き出して家にまで押しかけそうだ。

 

「……フータローもずっと頑張ってきたんだね」

「ええ、だからこそ私たちにも根気強く付き合ってくれたのかもしれません」

 

 もちろん、目先の金銭が大きな目的だったことに違いはないだろう。

 それでも三玖は風太郎に多くのものを受け取った。

 それは好きなものを信じるという言葉だったり、何かを出来るようになる喜びだったり。

 そして、今もこの胸で息づく恋心だったり。

 この気持ちがあったからこそ、三玖はここまで進んでこられた。

 

『……三玖は、どうしてそんなに頑張るのですか?』

 

 自分の中の好きを信じて、この学園祭でも頑張ってきた。

 しかしクラスは分断され、男子と女子の仲直りの機会も失われた。

 結果として残ったのは、男子の屋台の出店停止という事実だ。

 どうしようもない現実の前に、足がすくんでしまっていた。

 自分が進んできた道が間違いなのかと、弱気が差し込んだ。

 

「……五月は、自分の選択が間違いかもしれなかったら、どうするの?」

「えっと、いきなりなんです?」

「自分の中の好きを信じて進んで、でもそれが他の人に迷惑をかけてたら?」

「三玖……もしかして、後悔しているのですか?」

「したくない……けど、そうなっちゃいそう」

 

 足を止めてしまった三玖は、後ろ向きな考えにとらわれてしまった。

 やっぱり自分は何も変われていなかったのだろうか。

 積み上げてきたものが、突けば崩れるほど脆いものに感じられた。

 

「……たしかに自分の好きを貫けば、誰かと衝突することはあると思います」

「……うん」

「それは辛くて苦しいかもしれないけど、そうすることで理解できることもきっとあります」

「そう、なのかな」

「これは、三玖が私に教えてくれたことですよ?」

「え……」

 

 五月は修学旅行の二日目の出来事を回顧した。

 塞ぎ込む自分と、それに寄り添ってくれた優しい姉。

 三玖の尽力がなければきっと、五月は自分の想いを抱えきれずに潰れていただろう。

 

「三玖はもっと自分勝手になっていいんだと思います」

「そんな……迷惑かかるよ」

「ならそれで構いません。今度は私が微力ながら三玖を支えますから」

「……」

「まだ言いたいこと、溜め込んでるんじゃないですか?」

 

 五月の言うとおりだった。

 三玖は大体の場合において、自分の意見を控える傾向にある。

 それはこの学園祭においても例外じゃない。

 女子と男子の仲違いに、居心地の悪さを感じながらも言い出せずにいた。

 もっと早く勇気を出していれば、違った結果があったかもしれない。

 後先を考えないで動き出せる二乃が羨ましかった。

 可愛くて、自信に溢れていて、いつだって自分の気持ちに正直。

 そんな二乃が泣き出した時、自分は何を思って飛び出したのだろうか。

 

「そ、それじゃあ私はここら辺で……」

「あ、まだ聞きたいことが――」

「これ以上は見過ごせません!」

「ちょっ、五月! 離しなさいよ!」

 

 三玖が考え事から現実に意識を戻すと、暴走気味の二乃が五月に取り押さえられていた。

 ようやく自由になり、竹林は離脱していった。

 その背中が見えなくなると、二乃は残念そうにため息をついた。

 

「はぁ~……せっかくのチャンスだったのに」

「あそこまではやりすぎです。もっと人の迷惑を考えてください」

「なによ、さっきはあんただって興味津々だったじゃない」

「まぁ、私は写真を持って――い、いえ、なんでもありません!」

「は? なにそれ、ちょっと詳しく聞かせなさいよ」

「わ、私は当番があるので!」

 

 自分に矛先が向きそうになり、五月は慌てて二乃から距離を取った。

 確かに当番に穴を空けているのは事実である。

 そして去り際に三玖に向き直ると……

 

「無責任かもしれませんが、私は三玖を信じています。だから、諦めないでください」

 

 五月の背中を見送る。

 諦めなかったとして、果たして自分に何ができるのだろうか。

 その信頼が、三玖には少し重たく感じた。

 

 

 

 

 

(どうして五月は、こんな私を信頼しているんだろう……)

 

 モヤモヤを抱えたまま、三玖は父の病院に向かっていた。

 四葉が病院に運ばれた。

 三玖がそれを知ったのは、学園祭の二日目が終わって家に帰った後だった。

 二乃からのメールを見たときは大いに心配したが、大事はないらしい。

 それでも心配なことには変わりないので、こうして見舞いに向かっているのだ。

 

「あ、三玖。早かったわね」

「四葉は?」

「ベッドの上でおとなしくしてるわ。五月は?」

「一応声かけたけど、今は外に出たくないって」

「そう……」

 

 五月のことも心配だったが、今の三玖には手を差し伸べるだけの余裕がなかった。

 こんな薄情な姉でも、信じていると言ってくれるのだろうか。

 

「そういえば、なんでエプロン?」

「ああ、これね」

 

 四葉の見舞いで病院に来たのであろう二乃は、何故だかエプロンを身につけていた。

 二日目の終わり頃に、風太郎とバイクでどこかへ行ってしまったことは三玖も聞き及んでいる。

 クラスメイトから知らされた時は、思わず頬を膨らませてしまった。

 それが四葉の件だったのかもしれないが、だとすると二乃だけというのが腑に落ちない。

 自分達に連絡が来るまで、ここまで時間がかかったのも疑問だ。

 もしかすると、二乃が病院を訪れた理由は違うところにあるのかもしれない。

 

「みんなには後で話すつもりだったんだけど……」

 

 答え合わせをするように、二乃は父にパンケーキを振舞ったことを語った。

 あの父が、次は家族全員で食べようと言ったのだという。

 

「あんたのおかげよ、三玖」

「私の?」

「あのパンケーキの味、お母さんのにそっくりだって」

「……」

 

 深夜のキッチンでのパンケーキの練習。

 最後に焼きあがったひと皿。

 それを口にした五月は、何故か涙を流していた。

 

『ど、どうしたの? そんなに不味かった……?』

『いえ……ちゃんと美味しいです。でも、なんだか懐かしくて……』

 

「そっか……私、ちゃんと出来てたんだ」

 

 三玖の中に芽生えたのは、小さくも確かな自信だった。

 それを足がかりに、再び前を向く。

 

(風太郎も五月も、私を信じてくれた……だから、今度は私が自分を信じる番)

(私の好きを間違いにしないために、これからも出来ることを頑張っていくんだ……!)

 

 

 

 

 

 疲れの抜けきっていない体を引きずって、今日も屋台のチェックに歩き回る。

 学園祭も最終日だが、昨日のように仕事がなしというわけにはいかなかった。

 まぁ、それはいい。

 二日目は四葉が必要以上に負担を引き受けてくれたからこそ、俺が暇になったのだ。

 しかしながら、この体の疲労は少し辛い。

 昨日の夕方から夜にかけての体力の消費が今日に響いている。

 今はまだ十時前で、学園祭三日目はまだ始まっていない。

 この間にうちのクラスの様子を見に行ってみようか。

 昨日の調子で混めば、近づくのも容易じゃなくなるからな。

 

「はぁ……やっと今日で終わる……」

「もう疲れたね……」

「なんで他のクラスはあんなに元気なのかな……?」

「ほら、弱音吐いてないでやるよー」

 

 うちのクラスの女子は中々にくたびれていた。

 昨日は宣伝効果も相まって相当繁盛したらしいから、それも無理はない。

 四葉みたいに倒れるやつが出ないといいんだが。

 三玖の姿を探す。

 竹林と話してた時の様子だとまだ元気そうだったが、心労は溜まっているだろう。

 俺もその原因の一端だと言われると弱いのだが、気になるものは気になる。

 あいつは男子の屋台の事を、人一倍気にしているはずなのだ。

 今となってはどうしようもない事なのはわかっている。

 俺が何をしても出店停止が取り消されるわけではないし、クラスの問題も片付きはしない。

 それでも、三玖を放っておくことはできなかった。

 せめてこの学園祭が終わる前に、声をかけておきたい。

 

「三玖、昨日ぶりだな」

「……」

 

 他の女子達と話すでもなく、三玖は屋台の中で一人静かに佇んでいた。

 まだ電源を入れていないホットプレートを前に、何を思っているのだろうか。

 

「男子の屋台の件は残念だったが――」

「フータロー、ついてきて」

 

 俺の言葉を待たず、三玖は屋台を出て歩き始めた。

 ついてこいとのことだが、どこへ向かっているのだろうか。

 

「どこ行くんだ?」

「屋上」

「学園祭期間中は立ち入り禁止のはずだが」

「うん、だからだよ」

 

 返答はいまいち要領を得ない。

 一体屋上で何をするつもりなのか。

 昇降口を登りきると、三玖はこちらを振り返った。

 

「ここなら、他の人に迷惑かけないでしょ?」

 

 そして屋上へのドアに手をかけ、開け放った。

 

 

 

 

 

「ふざけんな! どうせ俺らが出店停止食らったのを笑ってたんだろ!」

「だから誰もそんなこと言ってないじゃん! そもそも事故起こしたのが悪いんでしょ!」

 

 屋上に入った瞬間、言い争う声が三玖と風太郎を出迎えた。

 愛未と山内……共に男女の代表的立場である。

 三玖は事前にこの二人を呼び出していた。

 

「あいつら、まだ喧嘩してやがったか……まぁ、ここなら他人に迷惑はかからないだろうが」

「違うよ。迷惑をかけるのは私」

 

 疑問符を浮かべる風太郎を余所に、三玖は二人へと歩み寄っていく。

 近づいてくるのに気づいてか、言い争いが止まった。

 口々に三玖へどうして呼び出したのかと問いかけるが――

 

「仲っ! 良くっ! してっ!」

 

 その問いかけは、あらんばかりの声を振り絞った大音声にかき消された。

 その後も滝のように流れる三玖の大声。

 相対してる二人は圧倒され、これでは口を挟む余地がない。

 

「ずっと我慢してた! もう限界!」

 

 ずっと溜め込んでいたものを、自分勝手に叩きつける。

 学園祭をこのままで終わらせないために、好きを間違いにしないために。

 風太郎を、姉妹を……そしてなにより自分を信じて、三玖は形振り構うのをやめた。

 

「愛未ちゃん!」

「な、なにっ?」

「最終日前なのに、もうみんな疲れてる」

「そ、それは昨日も混んでたからで……」

「違う。他のクラスが男女で分担してるのを、女子だけでやってるからだよ」

「うっ……」

「今日も一杯人が来るなら、この調子じゃ絶対乗り切れない……わかってる?」

「う、うん……」

 

 三玖の指摘に、愛未はバツが悪そうに頷いた。

 それもそのはず。

 男子への意地から認められなかっただけで、本当はわかっていたことなのだ。

 

「山内くん!」

「は、はいっ」

「出店停止は残念だったよね……みんな頑張ってたの知ってるから、気持ちはわかるよ」

「……」

「でも昨日、お友達にパンケーキ勧めてたよね?」

 

『出店停止ってお前のクラスの店だったのかよ!』

『そーだよ、マジでやってらんねーぜ』

『おいおい、じゃあこの空腹どうしてくれんだよ』

『んー、じゃあ……パンケーキなんてどうよ?』

 

 二日目の朝に偶然聞いたその言葉で、三玖は男子が女子を目の敵にしていないことを確信した。

 山内も他の男子も、クラスに食べさせたい女子がいると言っていた。

 たとえ離れているように見えても、足がかりさえあれば歩み寄ることができる。

 一度目の機会は潰えてしまって、それで足を止めてしまったが、三玖は再び歩き出した。

 学園祭はまだ終わっていないのだから、諦める理由はどこにもないのだ。

 

「えっ、嘘……な、なんであんたがそんなことを……」

「……本気で最優秀店舗を狙ってたんだ。他のとこに渡すぐらいなら、お前らの方がまだマシだ」

「も、もっと早く言ってよ!」

「言ったところでどうすんだよ!」

「わかんないけど、言ってくれなきゃどうしようもないでしょ!」

「また喧嘩してる……」

 

 再びヒートアップし出す二人を、三玖は一睨みで黙らせた。

 そして深く息を吐き出すと、意を決した。

 他ならぬ自分自身が、その足がかりになるのだと。

 

「パンケーキ屋さんの裏方を男の子に手伝ってもらおう」

 

 形式としては他のクラスと同じになるだけ。

 しかし、そこには学園祭前から続く溝がある。

 提案を受けた二人は、当然躊躇した。

 自分は良くても、他の者が何と言うかわからないと。

 

「任せて。私が説得するから――」

 

 それらをひっくるめて、三玖は受け止めた。

 

「――私を信じて」

 

 そして、迷い無く言い切った。

 

 

 

 

 

 三玖の説得を受けて、三年一組の男女の代表は屋上から去っていった。

 ここに来た時の険悪っぷりはすっかり消えていた。

 これをあの三玖が成し遂げたのだと思えば、驚きと同時に感服する他なかった。

 これではもう、卑屈馬鹿なんて言えないな。

 

「ふぅ……」

「まさか、あんな大声が出たなんてな。屋台の方はなんとかなりそうか?」

「とりあえず、わかってもらえたみたい……自分勝手だったかもだけど、言えて良かった」

「そうか」

 

 三玖は晴れやかに笑った。

 憂いのないその様は、こいつが逃げずに立ち向かった証拠だろう。

 少し、眩しい。

 

「実を言うと、修復は不可能だって思い込んでたんだが……まさか、お前に教えられるとはな」

 

 屋上を伝う配管の上に座り込む。

 すると、三玖が俺の膝の上に向かい合うように腰を下ろした。

 ……今度は一体何だろうか。

 

「フータロー」

「な、なんだ?」

「じっとしてて」

 

 三玖は俺の両肩に手を置くと、まっすぐ俺の顔を見据えた。

 そしてゆっくりと顔を近づけ……そのまま左肩に噛み付いてきた。

 

「いづっ!?」

「ごめん、痛かった?」

「い、いきなりなんなんだ?」

「あの時の告白、私だって納得したわけじゃないもん」

 

 三玖は頬を膨らませて不満を訴えた。

 つまり、これはあの時のビンタ代わりということらしい。

 今までずっと溜め込んでいたのだろう。

 それはこいつの優しさなのかもしれない。

 しかし、そうじゃないところも見たいというのは俺の我侭だろうか。

 まったく、あの三人は躊躇なく叩いてきたというのに。

 

「まぁ、こうして噛み付いてくれて良かったのかもな」

「……マゾ?」

「ちげーよ。俺に対して遠慮なんかするなってことだ」

「そう? なら……んっ――」

 

 次の瞬間、三玖は躊躇なく唇を重ねてきた。

 一分以上はそのままだったろうか。

 長いキスだった。

 

「……満足か?」

「ううん、全然」

 

 三玖の目の色はすっかり変わっていた。

 これはもう完全にスイッチが入っている。

 こちらの情欲を煽るように、さっき自分が噛んだ場所に舌を這わせてきた。

 ゾクゾクと、背筋に走る快感がこちらの理性を侵食していく。

 

「み、三玖さん? そろそろ屋台の方に戻った方がいいんじゃ……」

「大丈夫、一回ぐらいならする時間はあるから」

 

 一回とか何をするんだとかさっぱりわからん。

 わからないということにしておかないと、押し負けてしまいそうだった。

 昨日の夕方から、二乃や一花との戦いで疲労が溜まっているのだ。

 

「ね、フータロー……えっちしよ?」

「……せめて人目につかない場所でな」

 

 そんな目ではっきりとせがまれてしまえば、断れるはずもなかった。

 そうして俺はズルズルと、物陰に引きずられていくのであった。

 

 

 




というわけで終了。

ガッツリ焦点当てて思いましたが、三女が一番書くの難しいかもしれません。

次回は末っ子の話になると思います。
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