フー君が思春期の青い衝動に振り回される話   作:kish

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昨日の内に投稿するはずが、うっかり寝過ごしてこんな時間に……

それはそうとお久しぶりです。
最早三週間ペースが常になってしまっています。
もう少し間隔を狭めたいところですが、リバースも出たしなぁ……

それはそうと今回と次回は学園祭後のフー君の日常です。
この前と違ってほぼ五つ子との絡みしかありません。


青春クソ野郎と呼ばれた男・前編

 

 

 

「憂鬱だ……」

 

 週明けの登校の道すがら、地面に視線を落としつつ息を吐き出す。

 ブルーマンデーという言葉がある。

 これは憂鬱な月曜日を意味し、世の社会人や学生の多くが忌避しているものらしい。

 かく言う俺には学校の授業やテストはむしろウェルカムだったので、無関係なものだった。

 しかしこの過去形の表現が、今はそうではないという事実を端的に示している。

 そう、家庭教師業務を引き受けてから初めて、俺はブルーマンデーを実感したのだ。

 原因は言うまでもなく中野姉妹だ。

 あの問題児どもは、日曜が終わって月曜が来るという憂鬱を俺に覚えさせた。

 勉強漬けの休日が終わってしまう事に、これまでにない哀惜を抱いたのだ。

 しかしながら今この身に降りかかる憂鬱は、これまでのものとはまた別方面のものだ。

 中野姉妹に関係しているのは変わりないのだが、原因は俺自身にあると言っていい。

 学校が近づくと、同じ旭高校の生徒の姿もチラホラと増えていく。

 その視線がこちらに集中しているのが気のせいでないのは、先週の段階で身に滲みていた。

 

「おい、あれ上杉じゃねーか?」

「もしかしてあの学園祭の?」

「ああ、青春クソ野郎だ」

 

 本人達はヒソヒソ話のつもりなのだろうが、残念ながらバッチリと俺の耳に届いていた。

 青春クソ野郎……学園祭が終わり、中野姉妹との激しい戦いによるダウンから復帰して登校した俺を出迎えたのは、そんな呼び名だった。

 流石に面と向かって言ってくる者はいないが、学年問わずあちこちで言われ続ければ、普段からデリカシーがないだの鈍感だのと詰られている俺でも気づく。

 先週の水曜日、つまり学園祭以来の登校の際は気のせいだと思おうとした。

 その翌日の木曜日、無視しようと試みた。

 そのまた翌日の金曜日、流石に現状を認識せざるを得なかった。

 どうやら、俺は悪い方面で有名人になってしまったらしい、と。

 半ば予想していたことではあったが、実際に体験するのはまた違う。

 つーか、他の生徒はこんな地味な男に注目して何が楽しいのやら。

 あるいは、地味なのに目立っているのが気に食わないのかもしれない。

 いっそ昔のように髪を染めてピアスでもしてやろうか。

 二乃あたりは喜びそうだが、真面目な五月はまず許さないだろう。

 心が暗黒面に傾きつつあった。

 いや、多少見た目を変える程度でそれは言いすぎかもしれない。

 しかしストレスの蓄積は確かに感じられた。

 このブルーマンデー症候群が何よりの証拠だ。

 現実逃避気味に、改めて『青春クソ野郎』という言葉について考えてみる。

 ストレスの一端にもなっている呼び名だが、敵を知り己を知れば、とも言う。

 つまり、彼我の正確な認識こそが勝利への道なのだ。

 ……誰と戦って何に勝つのかはともかくとして。

 まず青春……言葉の意味としては、人生の若い時期を指す。

 それだけだと端的に過ぎるが、使用される際には専らある側面を強調される。

 春――即ち、萌芽の季節だ。

 若者が夢や希望、そして恋愛感情を抱き始める時期を指す言葉として使われる。

 なるほど、確かに俺の恥知らずな告白は、青春という言葉に当てはまるのかもしれない。

 思い出すと頭を打ち付けたくなる衝動に駆られるが、こんな往来でやればただの狂人だ。

 次にクソ野郎……これは考えるまでもなく直球の罵倒だろう。

 つまり、俺は後夜祭の出来事が原因で学校中で罵倒されていることになる。

 ……整理してみたところで、現状の再認識にしかならなかった。

 立てられる対策としては――

 

「人の噂も七十五日……よし、これで行くぞ」

 

 ただただじっと耐えて話題に登らなくなるのを待つ。

 およそ二ヶ月半……今からだと正月の三箇日が終わった後ぐらいだろうか。

 その頃には周囲の興味も薄れるだろう。

 幸いな事に精神力には自信がある。

 何があろうと勉強し続けていた、この数年間の賜物だろう。

 中野姉妹に対しては、いまいち能力を発揮してくれないのが悩みどころだが。

 

「あ、フータロー君。おっはー」

 

 どこぞのカフェの横を通りがかったところで、呼びかけてくる奴がいた。

 この甘さの裏に利発さを含ませた声は、一花のものだ。

 恐らくはコーヒー系の飲料が入った容器を手に、壁に背を預けていた。

 相変わらず眼鏡によるカモフラージュは続けているようだ。

 これが有名税というやつなのだろう。

 最早自意識過剰とは言えなくなってきたな。

 

「よう、一花。今朝は撮影はないのか?」

「これから向かうとこ」

「じゃあ仕事前の優雅なコーヒータイムってとこか」

「そ、君の顔も見たかったしね」

 

 度の入っていないレンズ越しに目を細めて、一花は微笑んだ。

 夏休み前は、結構な頻度でこうして待ち伏せていたのを思い出す。

 休学中の身で学校に用事はないので、今は当然制服は着ていない。

 今まではあくまで偶然という体は崩さなかったのだが、今回は直球だ。

 気恥かしさが先行するが、同時に嬉しいという感情も湧いてくる。

 この気持ち自体は以前からあったものだが、こうも素直に受け入れられるようになったのは、やはり自分の中で答えを定めたからだろう。

 憂鬱な月曜日の朝でも、好きな相手の顔を見れば多少はマシということだ。

 

「はい、どーぞ」

「わざわざ俺の分まで用意しなくてもな……」

「心配しないで。ちゃんと甘いやつ選んできたから」

「味の問題じゃないんだが」

 

 差し出された紙製のコップを受け取り、口をつけると抹茶風味だった。

 三玖の好きそうな味だと思ったが、あいつには少し甘すぎるかもしれない。

 俺としては苦味もなく飲みやすいのだが。

 しかしどうにも、コーヒーを飲むにはまだまだ修行が足りないようだ。

 そもそもとして、苦味を美味しいと感じる味覚は後天的に獲得するものだ。

 アクワイアードテイストと呼ばれるもので、酸味や辛味もここに分類される。

 だからこれは極々自然なことであって、俺が特別おかしいというわけではないのだ。

 貧乏舌なのは認めるが、子供舌ではない……はず。

 

「ごちそーさん、美味かったぞ」

「って、飲むの早っ」

「お前もあんまりのんびりしてたら遅刻するぞ。それじゃあ――」

「ちょっ、ストップストップ!」

「ぐぇっ」

 

 通学に戻ろうとしたら、後ろ襟を掴まれて阻止された。

 おかげでカエルのような変な声が出てしまった、

 どうにも、そそくさと立ち去ろうとしたことが気に入らないらしい。

 二乃ほどじゃないが、こいつも段々遠慮がなくなってきているな。

 いや、そもそも写真で脅してきたりと割とやりたい放題だったか……

 

「フータロー君、愛しい愛しい彼女に対してちょっと素っ気無さ過ぎない?」

「愛しいってな……そういうのは自分で言うもんか?」

「違うの?」

「……」

 

 困ったことに違っていなかった。

 一花の口にした『愛しい愛しい彼女』という言葉は、自意識過剰でもなんでもない。

 今も、この朝の時間を一緒に過ごしたいという気持ちはある。

 ただ流石にTPOは弁えるべきだろう。

 ただでさえ、今はお互い目立つ立場なのだ。

 加えて時間的な余裕もそれほどない。

 これで目的地が同じなら、また話は変わってくるのだが……

 そんな俺の中の葛藤を見抜いてか、一花はニマニマとこちらの顔を覗き込んできた。

 

「むふふ、だよねー。あんな情熱的な告白するぐらいだもんねー」

「……うるせー、あんまり調子乗んなよ大女優様」

「あ、そんなこと言っちゃっていいの? ……私で童貞捨てたくせに」

 

 なんでここでそんな話になるのか。

 あまりにも急角度で飛んできた言葉に絶句してしまう。

 確かに事実ではあるが、やはり飛躍を起こしていると思わざるを得ない。

 このままでは、更に危険なワードが飛び出してくる可能性もある。

 どうにかして黙らせたいところだが……

 

「黙らせたいって思ってるでしょ」

「わかってるなら、もう少し口を謹んでくれ……」

「じゃあ、無理やりにでも塞いじゃえばいいんじゃない?」

 

 そう言って一花は挑発的に笑った。

 学園祭の初日に、黙らせるという名目でキスをしたことを思い出す。

 こいつも同じことを考えているのなら、これは明らかな誘い。

 どうやら、この流れに持っていくのが目的だったらしい。

 そうなると、今までのやや強引な飛躍にも納得がいく。

 しかしながら、その提案に素直に乗ってやる義務も道理もない。

 

「ねぇ……どうする?」

 

 それは単に乾燥した唇を湿らせようとしただけか、あるいは期待からの舌なめずりか。

 どちらにせよ、妖しく光る一花の瞳と唇に、他の選択肢は消え去った。

 手を掴んで、建物と建物の間に引きずり込む。

 奥まで進めば影の中、余計な物音を立てなければ注目する者もいない。

 

「んっ――」

 

 お望み通り口を塞いでやると、一花は甘い声を漏らした。

 理性が揺らされるが、グッと堪えて思いとどまった。

 ブレーキの踏みどころを見誤れば、戻ってこられなくなってしまう。

 触れるだけのキスを恐らくは十数秒――相変わらず時間の感覚は曖昧だ。

 互いの唇が離れると、一花は頬を薄赤く染めて艶然と微笑んだ。

 

「よくできました」

 

 あくまでも自分が優位であるかのような態度の一花に、とある欲求が首をもたげてくる。

 この余裕ぶった顔を崩してやったら、一体どんな表情を見せてくれるのだろうか。

 不覚にもそれでスイッチが入ってしまった。

 壁に押し付け、再度唇を塞ぐ。

 

「ちょっ、フータロー君……ダメ――」

 

 この焦ったような表情は演技か否か。

 大嘘つきの仮面を剥がすために、口づけをより深める。

 最初こそ抵抗の声を上げていたが、いつの間にやら一花の手は俺の背中に回されていた。

 これでいよいよブレーキの踏みどころがなくなった。

 最早崖から飛び出して、後は落ちてゆくのみだ。

 そもそも最初に誘ってきたのはこいつなので、たっぷりと責任を取ってもらうとしよう。

 

 

 

 

 

「確かに俺はクソ野郎だ……」

 

 一時限目の授業を終え、自己嫌悪に机に肘をついて項垂れる。

 あれだけTPOを気にしておきながら、結局は致してしまった。

 これでは例の『青春クソ野郎』という謗りも、甘んじて受け入れるしかない。

 この時間、いつもなら復習に予習とやることは色々あるのだが、今は精神的余裕がなかった。

 

『それじゃ、今度の撮影も楽しみにしてるね』

 

 俺の暴走の被害に遭ったにもかかわらず、一花は軽い調子で去っていった。

 撮影には間に合ったようだが、こちらは見事に遅刻した。

 丁度一時限目が始まる直前に、教室に滑り込んだ次第だ。

 学園祭でのやらかしもあってか、教室には色々といたたまれない空気が漂っていた。

 クラスメイトも敵意や害意を向けてくることはないが、隔意はあった。

 教室に顔を出した際、四葉がいつもと変わらぬ調子で挨拶してくれたのが救いだろうか。

 つくづく、あの能天気な声に救われてきたのだと実感した瞬間だった。

 

「おう、重役出勤かコラ」

「君が遅れてくるとはまた珍しい、ね」

「……ノーコメントで」

 

 俺に対して遠慮なく接してくる稀有な例がここにも二つ。

 後夜祭で共にステージをジャックした前田と武田である。

 自惚れを恐れずに言うのなら、こいつらこそ俺の友人と呼べるのかもしれない。

 小学生以来、長らくそんな存在がいなかったため、断言するのは少し憚られるのだが。

 ちなみにこの二人も俺と同様に宣言、もしくは告白を行ったはずだが、悪影響はなさそうだ。

 俺の告白と比べれば至極真っ当なので、当然といえば当然か。

 むしろ武田は夢への挑戦を宣言したことで、校内での人気を一層高めたようだ。

 先週の段階で、昼休みの度に取り囲まれていたのをしっかりと見ている。

 一方、前田は松井共々からかわれる様子が見受けられたが、今ではもう開き直っている。

 昼休みや放課後など、一緒に過ごす機会は増えているようだ。

 あの告白の後で何があったのかを知るのは当人達のみだが、悪い変化ではないのはよくわかる。

 率直に言えば、付き合い始めたということだろう。

 

「フータロー」

「ああ、三玖か。どうした?」

「今朝はまだ話せてなかったから……おはよ」

 

 前田と武田が席に戻ったかと思うと、後ろ手を組んだままの三玖が朝の挨拶をしてきた。

 こちらも挨拶を返すと、同じ教室内にいる二乃と五月に目を向ける。

 目が合うと二乃は軽く手を振り、五月は小さく会釈してきた。

 四葉は誰かに呼び出されて教室にはいない。

 昼休みや放課後となると話は別だが、授業の合間に中野姉妹が接触してくるのは珍しい。

 以前は五月がよく授業のわからない部分を尋ねに来ていたが、夏休み明けはその機会も減った。

 土台が出来上がってきて、答えに自力でたどり着けるようになったのだろう。

 教えている身としては、少しばかり寂しくも喜ばしいことだった。

 話を戻すが、こうして挨拶してくるのには、何か別の理由があるのかもしれない。

 その答えを示すように、三玖は背中に隠し持っていたものを、おずおずと机の上に乗せた。

 青い布に包まれた四角い何か――もしかしなくても弁当箱だ。

 夏休み前に何度かご馳走になった覚えがある。

 

「お昼、一緒に食べよ?」

 

 三玖は顔を近づけて声量を絞っていたが、決して少なくはない視線を感じた。

 辺りを見回すと、あからさまに顔を背けているクラスメイトの姿がチラホラと見える。

 その中には、面白くなさそうな顔をしている二乃もいた。

 三玖のアクションに機嫌を損ねているのかと思ったが、多分違う。

 そもそも気に入らないのなら、真っ先に割り込んでくるだろう。

 となれば、どういうわけか黙認していると見るべきか。

 もとより断る理由もない。

 弁当箱を受け取ると、三玖は嬉しそうに笑った。

 視界の端で武田がウィンクをしながら親指を立てていたので、とりあえずガンつけておいた。

 

 

 

 

 

「「いただきます」」

 

 昼休み、屋上の一角に陣取って、三玖と一緒に弁当箱を開ける。

 学校生活を送る上であまり訪れる機会のない屋上だが、特に出入りは禁止されていない。

 だと言うのにこの人気のなさは、単純に不人気スポットなのかもしれない。

 まあ、多少何か出来そうなスペースはあるが、ベンチなどは一切ない。

 柵もなく扶壁もそれほど高くないので、運動の類は禁止されている。

 ただただ発電や給水のための設備が置かれているだけなので、面白味はないだろう。

 加えて言えば、季節柄か外気温が下がってきている。

 今日は晴れていて風も然程ないため平気だが、寒さは利用者がいない立派な理由になる。

 そんな場所なので、人目を避けたい場合には丁度いいのかもしれないが。

 

「今日のは一段とカラフルだな」

「うん、うちの先生が見栄えも気にしろって」

 

 ご飯の上に黒い海苔、おかずは赤、緑、茶色、黄色……色とりどりだった。

 雑然とした印象はなく、素人目だがしっかり綺麗に並べられているように見えた。

 おかずの見た目自体は少し崩れている部分もあるが、食べる分には支障ない。

 ちなみに三玖の言う先生とは二乃のことだ。

 料理の味のみならず、見栄えも気にするあたりがなんともらしい。

 振る舞われる俺は貧乏舌の上、どちらかといえば食べられればいい寄りの考えだ。

 それでも、三玖の料理の技術が向上しているのはわかる。

 おはぎと見紛うほど黒焦げのコロッケを作っていた時とは違うということだ。

 

「どう、おいしい?」

「ああ、うまいぞ」

「ホント? この卵焼きは?」

「甘くてうまい」

 

 うちの朝食でも時々出てくる卵焼き。

 なんか縦に長い長方形のフライパンで、くるくると巻いて作るあれだ。

 味付けは我が家のシェフの気まぐれだが、三玖のは甘かった。

 本人は苦手そうな味つけなのだが、味のバランスを考えたのかもしれない。

 他のおかずは、どちらかといえばしょっぱい系の味付けだ。

 

「じゃあ、こっちのヤンニョムチキンは?」

「なんかピリッとしてうまい」

 

 そのヤンニョムチキンという料理名に聞き覚えはあるが、実物はこれが初めてだ。

 今日までは、なんとなく韓国の料理ということしか知らなかった。

 見た目のイメージとしては、赤っぽい唐揚げ。

 そしてその見た目を裏切ることなく、辛めの味付けだ。

 

「む~、感想が小学生」

「悪いが四葉みたいな引き出しはないぞ」

 

 もしあいつのような食レポを求められているのなら、残念ながら無理というしかない。

 あれは最早、一芸として昇華されているのではないだろうか。

 五月と一緒に食べ歩きをさせたら、面白いものが見られるかもしれない。

 

「ふふ、じゃあ一緒に練習だね」

「……まぁ、ぼちぼちな」

 

 本当に中野姉妹の笑顔は心臓に悪い。

 こんな関係になっても、まだまだ耐性がつかない。

 照れ隠しにキスでもしてやろうかと思ったが、それはやめておいた。

 今朝に一花とやらかしたばかりだからだ。

 正直に言って、踏みとどまる自信がない。

 

「ともかく、お前は目標に向かって順調なようでなによりだ」

「気にしてくれてたんだ」

「これでもお前の家庭教師だ。進路のことは気にかけてるつもりだ」

 

 とは言っても、専門外の分野なので現状は見守るしかできないのだが。

 三玖が目指しているのは調理師の専門学校だ。

 色んな分野があるため決して一括りにはできないが、概して専門学校は大学よりも入りやすい。

 そもそも筆記試験がない場合もあり、あったとしても難易度は高くないらしい。

 こいつならば問題なく通過できるだろう。

 なので、今やっているのは入った後を見据えた土台作りだ。

 調理師を目指すにあたって、全く知識が必要ないかと言われればそうではないが、やはり重きが置かれるのは技術の面だろう。

 そうなると俺はお手上げなので、こうして努力の成果をいただくのみとなっている。

 

「そういえば、フータローはどうするの?」

「……行く大学は決めた」

「学部とかは?」

「さて、どうだろうな」

「あ、決まってないんだ」

 

 図星だった。

 誤魔化したつもりだったが、あっさりと見破られてしまった。

 しかしなんというか、三玖とは五月以上に進路について話す機会が多い。

 あの食いしん坊の場合は道筋がしっかりしているから、改めて相談する必要がないだけか。

 そう言えば、適当な大学に進学すると言っている二乃はともかく、四葉はどうするのだろうか。

 人のことは言えないが、そろそろ決めないとまずいだろう。

 

「じゃあ、将来の夢は?」

「残念ながら思い浮かばん」

「目標は?」

「金を稼ぐ」

「そこだけは揺るぎないんだ……なら、どんな人間になりたいとかは?」

「……誰かに必要とされるような、そんな人間だな」

 

 五月にも話してはいるが、改めて言わされるのはやはり少し照れくさい。

 こんなことを言っておきながら、中野姉妹と出会うまでの俺はその誰かを寄せ付けない生き方をしてきたのだから、それもそのはずだ。

 つーか、なんで俺が進路相談する形になってるんだよ。

 これでは教師と生徒の立場が逆になってしまっている。

 進路を既に定めた三玖は、確かに先達と言えるのかもしれないが。

 

「それなら、もう叶ってるね。だって、私はフータローがいないとダメだもん」

「……そうかよ」

 

 それにしても顔が熱い。

 この日差しのせいだろうか。

 肩に預けられた頭の重さが妙に心地よかった。

 こうなれば否応なしに心が緩んでいく。

 

「そういえば、夢ってほど大袈裟じゃないが叶えたいことはあったな」

「うん、聞かせて?」

「いや……やっぱ恥ずいわ」

「聞かせて?」

「…………」

「聞かせて?」

「……お前達と、ずっと一緒にいること」

 

 そして心が緩くなれば口も緩む。

 それとも、これは三玖の圧力に負けたというべきか。

 ……日差しが強いので、言わされたということにしておこう。

 あまりにも顔が熱いので手で遮ってみるが、まるで効果はなかった。

 

「……三玖?」

 

 不意に肩の重みがなくなる。

 見ると、なにやら膝を抱えて悶えていた。

 ひょっとして寒いのだろうか。

 

「んんっ……だ、だめ……私たち、まだ学生なのに……」

「おい、大丈夫か?」

「ううん、ウソ……もっとしてほしい……もっと滅茶苦茶にして……!」

「三玖? おーい、三玖さーん?」

 

 どうやら寒さに震えているわけではなく、別の世界に旅立っているようだった。

 少しぐらい揺さぶった程度では戻ってきそうになかった。

 そもそも、学生の身で最早婚前交渉まで済ませているというのに、こいつの頭の中では一体何が繰り広げられているというのか。

 気にはなるが、藪をつついたら蛇どころか竜が出てくる可能性もある。

 こういう時は黙々と別のことをするに限る。

 弁当はまだ残っているので、今のうちに食べてしまおう。

 米とおかずを交互に口に放り込む。

 海苔の下のご飯はただの白米ではなく、かつお節と醤油で薄らと色づいていた。

 焼肉のない焼肉定食を平気で食べられるにしても、やはり味気があるに越したことはない。

 大袈裟かもしれないが、俺は今幸せを噛み締めているのかもしれない。

 

「――フータロー……」

「ようやく戻ってきたか。あんまりのんびり食べてたら、昼休みが終わっちまうぞ」

「子供の名前、どうしよう?」

 

 戻ってきたと思ったのは勘違いだったらしい。

 

 

 

 

 

「ごちそうさま」

「お粗末さまでした」

 

 どうにか三玖を別世界から引っ張り戻して、昼食を終える。

 サイズの違う弁当箱が二つ、空になった状態で布にくるまれていた。

 

「そろそろ戻るか」

「うん」

 

 階段を下りて教室に向かう道中、すれ違う生徒の幾人かがこちらに目を向けてくる。

 例の呼び名が耳をかすめるが、ここで気にしていてもしかたない。

 所詮他人事だろうから、時間が経てば興味もなくなるだろう。

 幸いにも、一緒に居る三玖のことを悪し様に語る声はなかった。

 もしそんなことを言う奴がいたら、流石に黙っていられなくなる。

 自分がどうでもよくないことに対して我慢弱いのは、先日の学園祭で思い知ったばかりだ。

 

「そういえば、フータローは今みたいに先生になろうとか考えてないの?」

「全く考えなかったわけじゃないが、お前らでお腹一杯だ」

 

 しかし教職のみに絞るならば教育学部になるが、他学部でも免許の取得自体は可能だ。

 もちろん相応に苦労するだろうが、どこに行くにしても考慮してみてもいいかもしれない。

 

「しかし、そういえば五月にも教師が合ってると言われたな」

「五月の場合は自分の夢のこともあるし、そうだったらいいなって思ったのかな?」

「ちなみに三玖はどう思う?」

「うーん……」

 

 そこまで真剣に受け止めてくれなくてもいいのだが、三玖は悩みだしてしまった。

 何かの参考になればいいと尋ねてみたが、失敗だったか。

 そう思いつつも、口からは小さな笑みが漏れてしまう。

 きっと、こんな風に誰かの為に直向きになれるから、俺は中野姉妹が大好きなのだろう。

 

「……私がここまで歩いてこれたのは、フータローのおかげ」

「そんなことは――あるな。お前らが自分達だけで赤点を回避できたとは思えん」

「勉強のことだけじゃなくて、フータローが寄り添ってくれたから、私は前を向けたんだ」

「……俺がやったのはせいぜいが補助輪だ。お前はいつだって、自分でペダルを漕いでたはずだ」

「ふふ、それだけで十分だよ。だから、別の誰かにもそうやって寄り添ってあげて欲しいかな」

 

 誰かに寄り添う。

 言葉にしてみれば簡単だが、具体的にというと想像がつかなかった。

 今までの家庭教師という仕事がそうなのかと言われれば、またよくわからない。

 距離感を考える暇もなく、ガンガンやってきた結果が今の関係だ。

 間違っていたと言うつもりはないが、一般的かと言われれば絶対に違う。

 俺のやってきたことは中野父の言う通り、職務の範疇を明らかに逸脱している。

 

「あ、でも浮気したらダメだからね」

「お腹一杯だっつってんだろ。これ以上食ったら胃もたれ起こすわ」

「でも別腹って言葉もあるし」

「生憎と、そっちも一杯だ」

「へぇ、じゃあもう別の誰かに手を出したんだ……」

 

 三玖の目元に影がかかり、にわかに威圧感を発し始めた。

 何故そんな結論に至るのか。

 それとも、俺は誰彼構わず手を出す節操なしに見えるというのか。

 ……あまり否定する材料がないのが、頭の痛いところだった。

 だが、俺が手を出すのは誓って中野姉妹だけだ。

 

「む~~」

「……」

「む~~~~!」

「…………はぁ、わかったわかった」

 

 不満そうな声を上げる三玖の手を引いて、教室に戻ろうとする流れに逆行する。

 昼休みの残り時間は十分と少し。

 それだけでどこまで説得できるかが勝負だ。

 失敗したら、午後の授業には遅刻する羽目になるだろう。

 

 

 

 

 

「クソみたいに疲れたな……」

 

 もうほとんど人のいない教室で、机に突っ伏して疲労を吐き出す。

 昼はそれなりに苦戦したが、なんとか午後の授業には間に合った。

 しかし三玖は満足したわけではないらしく、次の予約と称して首元に痕を残していった。

 やはり本番まで行かないと駄目ということだろうか。

 というわけで、週明けだというのに早速疲れてしまった。

 今は放課後ということで吹奏楽部の演奏や、運動部の掛け声が遠雷のように響いてくる。

 時刻は午後の五時過ぎ。

 もう太陽は姿を隠してしまっていた。

 秋の日はつるべ落としと言うが、本当に日が沈むのが早くなったように思える。

 今日はバイトの予定はなかったが、中野姉妹との予定が合わず勉強会もない。

 なので後は帰るだけなのだが、実を言うと四葉を待っている。

 先程まで一緒に学級長の仕事、もとい雑用をしていたのだが、その後にあいつは先生に呼び出されて職員室へと行ってしまった。

 どれだけ時間がかかるかわからないから、先に帰っても構わないとは言われている。

 しかしながら、俺にとっては時間を潰すことなど造作もない。

 こうして問題集を開けば、みるみると時間が溶けていくというもの。

 そもそも帰っても同じことをするだけなので、多少場所が違おうが関係ないのだ。

 

「あ、ふうた――上杉さん」

 

 問題集を開いてさほど経たないうちに四葉が帰ってきた。

 教室にクラスメイトが残っているのに気づいてか、咄嗟にいつも通りの呼び方に変えたようだ。

 俺としてはどちらでも構わないのだが、本人からしたら恥ずかしいらしい。

 

「待っててくれたんですか?」

「別にどこで勉強しようと変わらないからな」

「わぁ、流石です! 一度は言ってみたいセリフにランクインですよ」

 

 相変わらず大袈裟なやつだ。

 しかしその笑顔は俺の心に効く。

 問題集に取り掛かっている最中だというのに、思わず笑ってしまった。

 

「それじゃあ、帰りましょうか」

「待て、まだこの大問が終わっていない」

「えぇ……本末転倒なのでは?」

「すぐ終わるから少し待ってろ」

 

 四葉の言う通りこれでは本末転倒だ。

 言葉をちゃんと使えているのは、学力が上がった証拠だろうか。

 ともかく、中途半端では座りが悪い。

 用事があれば話は別だが、少し待っていてもらおう。

 こちらに付き合うと決めたのか、四葉は俺の前の席に座った。

 

「じゃあね、四葉ちゃん。それに学級長も」

 

 最後に残っていたクラスメイトが教室から出ていく。

 四葉は笑顔で手を振り、ついで扱いの俺も適当に手を振った。

 こちらに対する遠慮は見えるが、ああやって挨拶してくるだけマシな方だろうか。

 

「~~♪」

「……で、お前は何してんだ?」

「風太郎君を見てるんだよ」

 

 机に肘をついて頬杖をついた四葉は、ハミングをしてご機嫌な様子だった。

 こうしていられるのが嬉しい、と言っているように見えるのは俺の自惚れだろうか。

 二人きりになったからか、呼び方も変わっている。

 タメ口にチャレンジしようとして失敗続きの五月に比べれば、ずっと器用なものだ。

 

「よし、終わったぞ。待たせたな」

「本当? じゃあ――」

 

 問題集や筆記用具を片付けると、四葉は何を思ったか机を引いて俺の膝の上に座ってきた。

 人一人分の体重がかかるが、これぐらいなら問題ない。

 詳細は省くが、こうして上に乗られることには慣れている。

 しかしながら、こうやって頭に頬を擦り付けられるのは話が別だ。

 やはりマーキングでもされているのだろうか?

 

「もしかして、今朝一花と会った?」

「藪から棒になんだ」

「うん、やっぱり一花の匂いがする」

 

 こいつの嗅覚はどうなっているのだろうか。

 確かに一花との接触はあったが、時間は大分経っているというのに。

 それとも、もしかしてカマをかけられているのか?

 

「うーん、三玖のはお昼の時のだよね?」

「……お前は犬か」

「でも一花の方がなんか匂いが強いような……どうしてかな?」

「さ、さあ……なんでなんだろうな?」

 

 なんだか尋問されているような気分になってきた。

 気圧されて、一花と会ったことを誤魔化しそこねてしまった。

 そこでのあれこれが遅刻の原因だと知られたら、流石に呆れられてしまうだろう。

 こういう時は話題を変えるに限る。

 

「そういえば、先生の話って何だったんだよ」

「あ、それならあとで話そうと思ってたんだけど……進路のことでちょっと」

 

 そろそろ聞くべきだとは思っていたが、まさかそっちから進路の話があるとは。

 いまいち進路の定まらない四葉に対して担任がせっついたのかと思ったが、それは違うらしい。

 なんでも、とある体育大学から声がかかっているのだとか。

 あちこちに助っ人として参加して、大会にも記録を残していたのが目に留まったそうだ。

 

「良かったな。お前のお節介は無駄じゃなかったってことだ」

「ししし、情けは人のためならず、だね」

 

 そう言って笑う四葉だったが、次の瞬間には困った表情でリボンをしおれさせた。

 体育大学への推薦となればこいつにとってこの上ないと思うのだが、問題があるのだろうか。

 

「でも、最低限の学力が条件だって……」

「そ、そうか……」

 

 普通の生徒にとっては大したことのない条件だろうが、赤点を免れてはいても未だに低空飛行を続ける四葉には少し辛いだろう。

 結局のところ、勉強からは逃れられないということだ。

 それなら、家庭教師として俺のやることは決まっている。

 

「まぁ、なんだ? 今日は時間があるし、たまにはマンツーマンでやってみるか?」

「ま、マンツーマン……マウストゥーマウスじゃダメ?」

「お前は何を言ってるんだ」

 

 何をどう取り違えたら一対一が口から口へと変わるのか。

 国語力は上がってきても、英語の方はまだまだのようだ。

 これはみっちりしごいてやらねばなるまい。

 久しぶりにスパルタモードで行くとしよう。

 

「くくく……楽しみだぜ」

「うわぁ……風太郎君が生き生きしてる」

「善は急げだな。早速行くぞ!」

「ストップ!」

「ぐぇっ」

 

 四葉を下ろして教室を出ようとしたところ、後ろ襟を掴まれて引き止められた。

 今朝と同じようにカエルの鳴き声が出たわけだが、一花と行動がシンクロしている。

 そんなとこで同調するのは勘弁してもらいたい。

 

「私、頑張るよ!」

「ああ、わかってる」

「うん、頑張る……けど、ご褒美とかあったらもっと頑張れる、かも」

 

 両手の人差し指を突き合わせて、こちらをチラチラとうかがう四葉。

 そこにそういった期待が含まれているのを、俺は見逃さなかった。

 今まで四葉は、ずっと本心を隠してきたはずだ。

 それがこうも甘えてくるようになって、嬉しくないはずがない。

 だがしかし、もし外れていたら恥ずかしいので予防線ぐらいは張っておこう。

 

「なら、やる気が出るように少しなら前払いでも――」

 

 次の瞬間、四葉が飛びかかってきて唇を奪われた。

 壁に押し付けられ、唇を離しては合わせるのを何度も繰り返す。

 これではやる前に答え合わせをしているようなものだ。

 

「――四葉、続きは勉強の後でいいか?」

「うん。私も頑張るから、風太郎君も頑張ってね?」

「お、おう」

 

 ここで俺は四葉のそのお願いを安易に受けるのが、どれほど危険なのかを思い出した。

 貧弱な俺と体力バカの四葉では相性が悪すぎる。

 小手先の技術でカバーするには限界があるのだ。

 いや、だが絶望にはまだ早い。

 その前のマンツーマン授業で消耗させてやれば、いくらかはマシになるかもしれない。

 ならば俺も気張るしかない。

 四葉の進学と身の安全のために、心を鬼にして教鞭を執るのだ。

 

「~~♪」

 

 これから地獄が待ち受けているとも知らず、四葉はご機嫌にハミングしていた。

 くくく、どこまでその余裕が持つか見ものだぜ。

 俺は自分の勝利を確信して疑わなかった。

 

 

 

 

 

「た、ただいま……」

「ふわぁ……おかえりお兄ちゃん。遅かったね」

 

 ボロボロの状態で帰宅する。

 もう日はとっぷりと暮れて、いつも就寝する時間の手前だった。

 最早足腰は限界だった。

 この貧弱な体で四葉に対抗しようというのが愚かだったんだ。

 四葉には勝てなかったよ……

 開けてない近藤さんが丸々一箱全滅したと言えば、その恐ろしさがわかるだろう。

 単にゴムが切れたから終わっただけで、あいつ自身はまだ余裕そうだったのがまた恐ろしい。

 あの体力バカに対抗するには、俺も現状に甘んじるわけにはいかないのかもしれない。

 

「らいは、決めたぞ」

「いきなりどうしたのさ」

「俺は明日から走り込むぞ……!」

「それはいいけど、寝るなら玄関じゃなくてお布団にしてよ」

 

 拳を握りしめて宣言したが、倒れたままでは格好がつかなかった。

 立ち上がろうとしたが、四葉との戦いで足腰がやられていた。

 

「すまん、らいは。起き上がれない」

「もー、しかたないなぁ。ほら、掴まって」

「ううぅ……持つべきものは天使のような妹だな……!」

 

 

 




Q:どうして時間が経っているのに長女の匂いの方が強かったのでしょうか?
A:口以外の粘膜でも濃厚接触したからです。

Q:どうして三女の方が匂いの方が薄かったのでしょうか?
A:フー君が口と手で必死に説得して本番行為に至らなかったからです。

というわけで終了です。
今回出番のなかった二人は次回登場予定です。

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