フー君が思春期の青い衝動に振り回される話   作:kish

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今回はちょっと短めです。


女の戦い~シスターズウォー準備段階~

 

 

 

「……」

「ははっ、たまにはこうして童心に戻るのも悪くないね」

 

 子供たちが遊ぶ声に交じってギコギコとブランコが揺れる音。

 いつか四葉と来た高台の公園で、俺と武田は二人並んでブランコに乗っていた。

 遊具は基本的に子供が使うことを想定しているため、サイズもそれなりだ。

 高校生二人がブランコを占拠している姿は、はたから見れば奇妙なことこの上ないだろう。

 

「……」

「ところでもうすぐ修学旅行だけど――」

「武田」

「なんだい?」

「一体どうして俺はお前とブランコを漕いでるんだ?」

 

 謎の状況だった。

 俺とこいつが昼間から公園にいるというのもそうだが、一緒にブランコを漕いでるというのは本当に訳が分からない。

 すると、武田はなにをわかりきったことを、とでも言うように首を振った。

 

「僕たちは幾度となくぶつかり合って友情を育んだ……こうして肩を並べることになんの違和感があるんだい?」

「むしろ違和感しかねぇよ――っと」

 

 ブランコから飛び出して着地する。

 靴だけを飛ばしたあの時と比べれば大した進歩だろう。

 だが四葉にはまだ到底届かない。

 というかあいつは身体能力がおかしい。

 そして五つ子であることを考えれば、他の四人も同等の潜在能力を秘めている可能性がある。

 それは他の分野にも言えることで、ちょうど得意分野が分かれてるあの五人は可能性の塊とも言えるだろう。

 しかし悲しいかな、勉強という分野においては押し並べて低空飛行なのだ。

 とはいえ初期に比べれば大分改善したので、これからも努力次第ということだろう。

 

「まぁ待ちたまえよ――っと」

 

 俺を追って武田もブランコから飛び出した。

 飛距離はこっちがわずかに勝っていた。

 

「ブランコはともかく、僕たちがここにいるのは呼び出されたからじゃないか」

「それはわかってる」

 

 そう、俺たちはあの姉妹の父親に呼び出されてここにいる。

 すると黒塗りの高級車が公園の入り口に停まった。

 あの車には見覚えがあるし乗ったこともある。

 つまり、中野姉妹の父親のお出ましだ。

 

「待たせてすまないね、二人とも」

「いえ、こちらこそお忙しい中、時間を割いていただき恐れ入ります」

 

 武田はかしこまっているが、俺は真っ直ぐ目をそらさない。

 ここには結果を叩きつけてやるために来たのだから。

 

「とりあえず座って話そうか」

 

 うながされて公園のベンチに座る。

 二つ並んだベンチの一方に俺と武田、もう一方に中野父。

 少しの間を置くと、中野父が話し始める。

 

「まずは武田君、全国八位おめでとう。君のように優秀な人材ならば、将来的にうちの病院に迎え入れるのもやぶさかではないが――」

「申し訳ございません。大変光栄な話ではありますが、今一度自分の進路について考えたいと思っています」

「そうかい。では返事が決まったら伝えてくれ」

 

 宇宙飛行士になりたいと、武田は学校の屋上で語った。

 それはこいつの親、理事長が用意したレールから外れた苦難の道だろう。

 かつての俺ならば歯牙にもかけていない。

 所詮他人事なのだと。

 だが今の俺は真面目馬鹿の夢を、そして夢追い馬鹿の努力を知っている。

 そして武田が俺に向ける感情も。

 ……他人事と無視を決め込むには少々しがらみが増えすぎたようだ。

 

「上杉君」

「はい」

 

 そして俺の番だ。

 さあどう来る?

 どんな難癖つけてきても全国一位の結果で叩き潰してやるぜ……!

 

「君に再度、娘たちの家庭教師を頼みたい」

「えっ」

 

 しかし予想していたような言葉はなく、中野父から出たのは素直な家庭教師の依頼だった。

 正直に言って拍子抜けだった。

 そのあとに続くのは報酬や仕事場の雰囲気についての言及。

 相場の五倍だのアットホームだの、どれもどこぞで聞いた内容と同じだ。

 それと俺が関わることへの小さな不満もあったが、それに関しては身に覚えがありすぎた。

 

「プロの手にすら余る仕事だが……君にしかできないらしい。どうだろう、やってくれるかい」

「――勿論!」

 

 答えは決まっていた。

 今までやっていたことがこれからも続くだけのこと。

 そこに給料が加わるなら願ったり叶ったりだ。

 こうして俺は中野姉妹の家庭教師に復帰することになった。

 

 

 

 

 

 黒塗りの高級車から降りる。

 中野姉妹の住居であるアパートの前に送ってもらったのだ。

 乗り心地は良かったが、同乗者の放つプレッシャーのおかげであまり気は休まらなかった。

 

「それでは上杉君、励みたまえよ」

「娘さんたちには会っていかないんですか?」

「今日はやめておこう。それと上杉君」

「はい」

「くれぐれも頼むよ」

「は、はい……」

 

 俺にたっぷりと圧をかけて中野父は去っていった。

 冷や汗を拭う。

 こちらに対する目や当たりが厳しいのも、ひとえにあいつらへの思いからだろう。

 再度の家庭教師の依頼を受けた後、中野父は釘を刺すように言ってきた。

 

『君はあくまで家庭教師。娘たちには紳士的に接してくれると信じているよ』

 

 年頃の娘を持つ親としては当然の心配であると思う。

 俺もらいはに悪い虫がつくようなことがあれば、万難を排してでもそいつを排除する自信がある。

 だからその言葉に対する答えは勿論イエスだ。

 イエス、なのだが……

 

『だ、だから……また相手してあげるって言ってんのよ!』

 

 俺が一線を引いたとして、それを飛び越えてきそうなやつがいるのも確かなのだ。

 そして最後までいたしてないものの、そういう行為があったというのは事実。

 これからはより一層、自分の中の青い衝動をコントロールしていかなければならないだろう。

 もし俺が自分の欲望に負けるようなことがあったら、あいつらのパートナーとして資格が疑わしいものになってしまう。

 それはあまり面白くない未来だ。

 

「う、上杉君……?」

 

 決意を新たにアパートの前で佇んでいると、横から声をかけられる。

 外出帰りであろう五月がそこにいた。

 男女の仲という点において、こいつだったら余計な心配はいらないだろう。

 

「今、もしかしてお父さんの車に乗ってきたのですか……?」

「ああ、家庭教師に復帰だ」

「おめでとうございます! ようやく認めてもらえたのですね!」

 

 五月は俺の手を掴んでまるで自分のことのように喜んだ。

 喜んでもらえるのは結構だが……油断してたぜ。

 こいつは興奮すると距離感がバグるところがあったのだった。

 中野父に言われた手前もあるし、ここはやんわりと――

 

「あ……す、すみません」

 

 俺が何か言う前に五月は自分から離れていった。

 自分から気づいてくれるのは結構だが、いつもとどこか様子が異なるのは気になる。

 いつもより態度が柔らかめというか、低反発というか。

 しおらしいという形容詞が思い浮かぶ。

 訝しんで顔を覗きこもうとしたら全力でそらされた。

 

「さ、さあ、こんなところで立ってないで中に入ってください」

 

 促しはするものの、手を引っ張るだとか背中を押すとかそういった接触はない。

 当然といえば当然なのだが……不自然な距離の取り方をしているように見えた。

 その動きには覚えがある。

 そう、思春期の昂ぶりを持て余していた頃の俺だ。

 いや、こいつに限ってまさかな……

 

「あ、上杉さんいらっしゃーい!」

「も~、やっと来てくれた」

「遅刻よ遅刻。なにしてたのよ」

 

 中野宅に上がると三人が出迎えた。

 ここにいない三玖はバイトで遅れると言っていたか。

 しかし、そもそも部屋が狭いからか距離が近い。

 特に一花と二乃は容赦なしに距離を詰めてくる。

 二人の顔――特に唇から目をそらすと、視界に開いたダンボール箱が飛び込んできた。

 よく見れば部屋の中は、ガサ入れでもされたのかというレベルで散らかっていた。

 

「ってなんだこの部屋!」

「あはは、落ち着かなくてごめんね」

「なにを隠そう、絶賛大掃除中なのです!」

「おいおい、今日は楽しい試験の反省会じゃなかったのかよ」

 

 三人は揃って曖昧な表情を浮かべた。

 こいつらまさか……このまま片付けでうやむやにする気じゃねぇだろうな……?

 

「それより最近疲れはどう? アロマ使ってみた? それでも取れないならまた私が――」

「す、ストーップ!」

 

 息をつかせる間もなく迫る二乃。

 そして割り込むアホ毛こと五月。

 ただでさえ狭いというのにこいつらめ……

 

「なによ」

「えぇっと、これはその……」

「文句があるならはっきり言いなさいよね」

「ううぅ~~」

 

 割り込んできたはいいものの、五月は二乃の追求に唸るのみ。

 いや、お前はなにしに来たんだよ。

 まぁ、あのタイミングで割り込んでくれて助かったといえば助かったが。

 

「フータロー君、私のプレゼント使ってみた?」

「いや、まだだけど。あれはお金の代わりに使えるってことでいいのか?」

「そうそう。あれでらいはちゃんになにか買ってあげてよ」

「そういう使い方もありか! サンキューな一花!」

「ちょっと一花! 抜けがけは――」

「私の千羽鶴はどうでしたかー? なにかご利益ありました?」

「み、みんな! 落ち着いてくださーい!」

 

 押し寄せる姉達を食い止める末妹という防波堤。

 この狭い部屋の中でワイワイガヤガヤと騒がしいことこの上ない。

 つーか、今日なにしに来たんでしたっけ?

 

「よし、帰る!」

「え、もう帰っちゃうの? まだなにもしてないじゃない」

「そうだよ。お姉さんがもてなしてあげるから、ね?」

「私は上杉さんのコリというコリをほぐしちゃいますよ!」

 

 ええい、こんなかしましい空間にいられるか!

 というわけで部屋の外に退避。

 あいつらも弁えているのか、無理に止めてくることはなかった。

 

「ふぅ……」

 

 正直に言うと、どう接したらいいのかわからないというのはある。

 ついこの前までは、全国模試という大きな課題があったからあまり考えずにいられた。

 しかし平常運転に戻りつつある今、浮き彫りになってきた問題がある。

 一花と二乃だ。

 俺を好きだと言ってきた二人。

 特に二乃との関係は、不純異性交遊の領域に足を突っ込んでいる。

 そして事あるごとに意味深な視線を送ってくるもんだから始末に負えない。

 少なくとも家庭教師と生徒という関係が続く限り、これ以上の間違いはあってはならないのだ。

 

「上杉君、少しいいですか?」

 

 中野宅のドアから五月が顔を出していた。

 そして外に出てきたかと思うと、俺から数歩離れる。

 ……こいつはこいつでやりにくいな。

 

「俺にたかるのは金銭的に不毛だ。諦めろ」

「誰がたかりますか。あなたには常々尋ねなければと思っていたことがあります」

「なんだよ」

「あなたは、その……わ、私たちのことをどう思っているんですか?」

「めんどくさい」

「即答!?」

 

 総合的に見てそれ以外の答えはなかった。

 というかこいつは何を意図してこんなことを聞いてきたのか。

 まさか、一花や二乃の件を察して釘を刺しに来たのか?

 

「そんな切り捨てる感じじゃなくもっと詳細にお願いします!」

「今まさにめんどくさい」

「ぐっ……それでしたら私も隠し事を一つあなたに教えますから」

「いや、興味ない」

「もっと他人に興味を持って! 聞けばあなたも驚くこと間違いなしですよ!」

 

 なにをそんなに必死になっているのやら。

 こっちに詰め寄ってくるもんだから、だんだんと距離が……あ、離れた。

 こいつの秘密に特段興味はないが、絡まれ続けるのも面倒だ。

 簡潔にだが答えてやろう。

 

「上から順に夢追い馬鹿、身内馬鹿、卑屈馬鹿、脳筋馬鹿、そして真面目馬鹿」

「……また、真面目馬鹿って」

「お前らは揃いも揃ってめんどくせーが、そうだな……お前や一花の夢も含めて、次の道に進むまでは付き合うつもりだ」

 

 勢いあまってこっぱずかしいことを言ってしまった気がするが、これは偽らざる俺の本心だ。

 さて、帰ろう。

 平気な顔をしたままこの場に留まれるほど、俺の面の皮は厚くない。

 

「えっ、私の話は聞いてかないのですかっ」

「どうせつまみ食いしたとかだろ。興味ねぇよ」

「そ、それもありますが」

「あるのかよ」

 

 五月の食い意地は相変わらずだった。

 そして今回わかったことが一つ。

 つまみ食いを除いて、こいつには少なくとも二つ隠し事がある。

 有名レビュワーの件と、あと一つは……まぁ、今はいいか。

 そっちに関しては少し考える時間がほしい。

 アパートを後にしつつ、武田が公園で口に出しかけた話題を思い出す。

 

「そういえば、修学旅行はもうすぐか」

 

 行先は……またしても京都だったか。

 五月の隠し事も含めて、面倒なことになりそうな予感がするのは確かだった。

 

 

 

 

 

(今日は上手にできた)

 

 バイト先からの帰り道を三玖は小走りで駆けていく。

 胸元に抱いた紙袋には自作のクロワッサン。

 何度も失敗し続けて、ようやく店長から及第点をもらえた一品だ。

 風太郎に食べてもらうにはまだ早いが、姉妹の誰かの感想はほしかった。

 

(そういえばフータロー、来てるかな?)

 

 今日はたしか先日の模試の反省会だったはずだ。

 前もって遅れる旨は伝えていたが、どうにか終わる前に帰りたい。

 最近、風太郎と一緒に過ごせる時間が減っているのが三玖の悩みだった。

 息を切らしながらも、アパートに到着。

 運動が苦手な三玖にとっては小走りでも結構な消耗だ。

 

「あれ、五月……?」

「三玖……帰ってきたのですね」

 

 肩で呼吸する三玖を出迎えたのは五月だった。

 なぜかアパートの二階部分へと上がる階段の前で佇んでいた。

 まさか本当に自分を待っていたのかと首を傾げるが、少し沈んだ顔をしているのが気になる。

 

「良かったらこれ、食べる?」

 

 紙袋を五月に差し出す。

 中野姉妹の末っ子の一喜一憂は、大体が食事関連である。

 本人が聞けば否定するだろうが、食べ物を与えておけば機嫌が良くなるのも事実だ。

 

「これは、もしやバイト先でもらって――」

「私が作った」

「……」

 

 期待に目を輝かせた五月の目が一瞬で曇った。

 家事能力――とくに炊事においては姉妹で二乃の右に出る者はいないが、三玖はまた別格だった。

 料理をすれば不思議な力が働いてなぜか失敗する、と教える人間に言わしめるほどの腕前なのだ。

 もちろん本人もそれは承知している。

 だからこそ最近は多めにバイトを入れて、パンを焼く練習に明け暮れていた。

 

「食べて」

「きょ、今日はちょっとお腹の調子が――」

 

 きゅるる、と控えめだが確かな音が響く。

 五月の腹の虫だった。

 もう時刻は昼を過ぎ、おやつの時間が近づいている。

 

「食べて」

「……はい」

 

 いつになく圧が強い姉の要求に五月は頷いた。

 

 

 

 

 

 風太郎が帰った後も中野姉妹の部屋は大掃除の真っ最中である。

 散らかった室内でちょっと落ち着くなー、などと思いながらも一花はダンボール箱の中身を検める。

 箱には誰のものかわかるように隅の方にしっかりと名前が書いてある。

 もちろん姉妹のものに触れる際は許可が必要だ。

 五つ子といえどプライバシーは大事なのだ。

 

「あれ、これなんだろう?」

 

 次のダンボールに取り掛かるも、どこにも何も書いていない。

 共用のものかと思いつつ、封を解く。

 そして箱を開けようとして一花は手を止めた。

 

(そういえば、共用なら共用って書いてあったよね?)

 

 もしかしたら誰かが名前を書き忘れたのかもしれない。

 そう思い至って一花は近くにいる四葉に声をかけた。

 

「四葉、これ誰のかわかる? 押し入れに入ってたんだけど」

「う~ん……あっ、それだったら五月のかも」

「そっか。じゃあとりあえず避けておくね」

 

 ダンボール箱を部屋の隅に移すと、中から紙切れが一枚滑り落ちた。

 拾い上げると、それは紙切れではなく半分に畳まれた一枚の写真だった。

 そこに映ってたのは、自分たちの家庭教師の面影がある金髪の少年と――長い髪の少女だ。

 

「これ、京都の……」

 

 ちらりと四葉を見る。

 この写真の少年少女に一花は見覚えがあるどころかよく知っていた。

 しかしそれだと、これが五月の荷物に入っていることに疑問が生じる。

 

「ねぇ、これ本当に見覚えない?」

「五月のだったと思うけど……そうだ、見てもらえばいいよね! ちょっと呼んでくるよ」

「ううん、いいよ。他のから片そうか」

 

 四葉を制止して作業に戻る。

 写真は箱の中へ戻しておいた。

 

「四葉、修学旅行楽しみだね」

「うん! 上杉さんにも楽しんでもらいたいな」

 

 そして片付けの最中に出てきたトランプを手にとって、一花は修学旅行に思いを馳せた。

 

 

 

 

 

「いよいよね」

 

 中野家においては自分の領域である台所で、二乃は誰に言うでもなく呟いた。

 他の場所と違って普段から整理整頓しているので、片付けも早くに終わっている。

 今はおやつの時間に向けての準備中である。

 しかしその頭の中にあるのは好きな相手――風太郎のことだ。

 二年の終わり頃に、二乃の内面は激動の変化を遂げた。

 それは自身の恋心への自覚であり、その時の爆発の熱は今も続いている。

 新学期には同じクラスになり、同じバイト先で働き始め、そして先の模試の件である。

 緊急事態だったとはいえ、キスやその先のいくらかまで済ませたのだ。

 後は本番の行為にまで漕ぎ着ければコンプリートである。

 他の姉妹と比べて明確にアドバンテージがある、と二乃は自認している。

 同時に、だからといって油断できないのもわかっていた。

 個々の性格や言動に差はあれど、五つ子である以上ライバルも自分と同じく顔は可愛くスタイルだって良い。

 差をつけられるうちにつけておきたい、というのが本音だった。

 

「修学旅行、行き先は京都――ここで決めるわ」

 

 二乃の手には修学旅行のしおり。

 風太郎の心を自分のものにする絶好の舞台。

 唇にそっと手を触れて、二乃は決意を新たにした。

 

 

 

 

 

「すごい、おいしいです!」

 

 恐る恐る三玖が作ってきたパンを口にした五月から感嘆の声が漏れる。

 妹がパンを食べる様を固唾を飲んで見守っていた三玖は、胸を撫で下ろして笑った。

 食にこだわりがある五月は味の評価も正確だ。

 その口からおいしいという言葉が出たのならば、中野家的に合格点なのである。

 

「良かった……実はずっと練習してた」

「でも私が食べてしまっても良かったのですか? もう少し早ければ、上杉君がいたのですが」

 

 そういえばと、五月は三玖がしばらく風太郎にチョコを毎日食べさせていたのを思い出す。

 あの時は三玖の恋心にまったく気づいていなかったが、あれはバレンタインのための練習だったのだと。

 渡す本人をその練習台にするのはアグレッシブすぎるが、そんな不意打ちじみた大胆さも三玖の特徴だった。

 

「フータローが帰っちゃったのは残念だけど、食べてもらうならとっておきの舞台って決めてるから」

「とっておき……もしかして修学旅行で?」

「うん」

 

 修学旅行……行き先はまたしても京都。

 三玖の努力、四葉の思い出、そして自分の――

 五月の心は否応なしに揺れてしまう。

 

(京都は上杉君にとっても思い出の場所のはずです)

 

 風太郎を見極めると決めた以上、その思いを知っておかなければならない。

 しかし、五月が聞いて素直に答えるかといえば怪しいところだろう。

 でもそれが思い出の少女なら?

 ボートの上で語ったように、普段秘めている思いをさらけ出してくれるかもしれない。

 そのためには、もう一度隠し事を引っ張り出す必要がある。

 

(ごめんなさい、上杉君……私はまたあなたに嘘をつきます)

 

 押さえつけるように胸元に手を当てると、五月は目を閉じた。

 心の中でこれは姉妹のためだと言い聞かせ、自分の想いから目をそらして。

 

「大丈夫?」

「ええ、中に入りましょう。実は今、大掃除中なんです。三玖も手伝ってください」

 

 来る修学旅行に向けて姉妹は想いを募らせる。

 立夏の空には戦いの兆しがわだかまっていた。

 

 

 




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