フー君が思春期の青い衝動に振り回される話   作:kish

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どうも、安定の三週間ペースです。

リバースのラスボスがアレだったので、次のラスボスは逆にアレではないのではと思う今日この頃です。

というわけで、後編です。


青春クソ野郎と呼ばれた男・後編

 

 

 

 日の出と共に俺の朝は始まる。

 親父とらいはを起こさないように布団を抜け出し、着替えを済ませる。

 善は急げ、もしくは鉄は熱いうちに打て、だろうか。

 今朝は昨夜にらいはに言った通り、体力作りのために走る予定だ。

 以前はこの時間を内なる青い衝動の発散にあてていたが、今ではその必要がない。

 何故なら、セルフバーニングが不要になるほどに中野姉妹に攻め立てられているからだ。

 そっと家を出て階段を下りる。

 

「……寒っ」

 

 流石に秋が深まるこの時期の早朝ともなれば、それなりに冷える。

 出鼻をくじかれそうになるが、肝心なのは最初の一歩だ。

 走っているうちに体は暖まるだろう。

 時間帯のせいか人の姿はない。

 とりあえず、まずは運動の前の準備からだ。

 体育の授業はあまり好きではないのだが、こうしていると決して無駄ではないことがわかる。

 この準備体操などは何度も反復させられて、覚える気がなくとも体に染み付いてしまっていた。

 一通り終えると、既に体はある程度暖まっていた。

 最後に一度大きく体を伸ばして、深く息を吸って吐き出す。

 

「よし、行くぜ」

 

 

 

 

 

「ゼェ……ゼェ……さ、流石に……飛ばし、すぎた……」

 

 額を伝い目に入った汗を拭う。

 足を引きずるようにして、近くの壁にもたれかかる。

 意気揚々と走り始めて、順調に進んでいたのはほんの数分。

 その後は徐々にスピードが落ち、ついには立ち止まってしまった。

 振り返れば反省点は多々あったような気がする。

 そもそも、素人が思いつきでやり始めたのが間違いといえばそうなのだが。

 とりあえずは最初から全力で走ったのがいけなかった。

 ペース配分という言葉の重要性をまざまざと思い知らされた。

 昨日の四葉との戦いが尾を引いていないといえば、嘘になるかもしれない。

 息を整えて、来た道を引き返す。

 移動スピードの低下を考えると、そろそろ帰った方がいいだろう。

 家に戻る頃には、既にらいはも起きているだろうか。

 帰ったら朝飯……の前に、まずはこの汗まみれの体をどうにかしないといけないか。

 うちは例によって暖房も必要最小限なので、下手をしたら風邪をひいてしまう。

 

「あら、フー君?」

 

 家に戻る道中、見知った姿を見つける。

 近所というほどではないが、俺の家と中野姉妹のマンションは歩いて通える範囲にある。

 なので、こうして出くわす可能性は無きにしも非ずだ。

 だがそれは、あくまでも自由時間が保証される放課後や休日の場合だ。

 ただでさえ余裕が少ないのが、平日の朝の時間帯だ。

 なので、出歩くのにはそれなりの理由があると見るべきだ。

 二乃はコートの下に制服こそ着ているが、こちらは学校とは違う方角だ。

 つまり、登校する前に済ませる用事があるということだろう。

 

「こんな所で何してるのよ」

「それはこっちのセリフなんだが」

「あんたの家に向かう途中よ」

 

 なるほど、確かにこれで早朝に出歩く理由にも一応の納得がいった。

 後は二乃が俺の家に向かう目的だけだ。

 以前はバイト帰りに、家族への挨拶という名目でついて来たことがあった。

 案内した我が家は残念ながら無人で、その目的は不発に終わったのだが。

 ……よくよく考えてみると、二乃はなんと挨拶するつもりだったのだろうか。

 当時はその部分に関してさほど気にしていなかったのだが、こいつには暴走癖がある。

 既成事実を成すためにと、とんでもない事を口にする可能性だってあったはずなのだ。

 そして俺はあの時、こいつが強引に押し倒してきたのを忘れてはいない。

 流石に家族がいる前で同じことをしてくるとは思わないが、何らかの強行突破の可能性もある。

 ぶっちゃけると、何をしてくるかわからないので遠慮したい。

 親父はともかくとして、らいはの前で何かあったら俺のメンタルがブレイクしてしまう。

 

「それで、フー君は?」

「俺はまぁ、軽い運動をだな……って、こんな時間にうちに何の用なんだよ」

「なんで警戒してるのよ。ただ朝御飯を一緒に食べようと思っただけよ」

 

 二乃は通学用のバッグとは別に、タッパーの入ったビニール袋を提げていた。

 いきなり朝飯にお邪魔することを考えてか、何かしら持ち込むつもりなのだろう。

 その気遣いは大いに結構だが、やはり不安はある。

 しかし、せっかく来てくれたのにという思いもあった。

 早起きをしてまで一緒に過ごしたいと言われて、悪い気がするはずがない。

 一年前の俺なら問答無用で断ることができただろうが、今はすっかり絆されている。

 

「……わかったよ。親父やらいはもいるし、あんま騒ぐなよ」

「当たり前でしょ。将来家族になるんだもの。失礼のないようにしなきゃ」

 

 将来とか家族とかそこらへんはさておき、二乃の外向きの面は十分に常識を弁えている。

 暴走したらその限りではないが、他でもない本人が失礼のないようにと言っている。

 きっと常識的に挨拶をして、常識的に食卓を囲むだけで終わってくれるだろう。

 ……というか、そう信じたい。

 

「それ、こっち寄こせよ」

「持ってくれるの? フー君、ありがと」

「別に大したことじゃねーよ」

「そんな風に優しいとこ、大好きよ」

「……だから、別に大したことじゃねーって」

 

 素直じゃない面も目立つ二乃だが、俺への好意はこうも真っ直ぐだ。

 熱くなった顔をそらしつつ、タッパーの入ったビニール袋を受け取る。

 重量では、何が入っているのか推測するのは無理そうだ。

 液体が動くような感触から、汁気が多い料理なのは辛うじてわかった。

 何にしても二乃のことだから、少なくとも不味いということはないだろう。

 三玖の腕も上達してきているが、やはり長年中野家の台所を担っててきたのは伊達ではない。

 貧乏舌が何を言ってるのかと思われるかもしれないが、流石に大まかな味の良し悪しはわかる。

 もしかしたら三玖の腕と同様に、俺の味覚も成長しているのかもしれない。

 

「じゃあ、行きましょ」

「そうだな」

 

 二乃が空いた手でこちらの腕を取ろうとしてくるのを、少し距離を空けることで避ける。

 別に意地悪をしているわけではないが、今の汗まみれの状態では少々躊躇してしまうのだ。

 恋人に対して汗臭いと思われたくないというのは、おかしなことではないはずだ。

 

「ちょっと、なんで避けるのよ」

「運動してたって言ったろ。汗かいてんだよ」

「へぇ、そうなの」

 

 二乃は悪戯っぽく笑ったかと思うと、今度は真正面から抱きついてきた。

 今回も避けようと思ったのだが、荷物を持ったせいで動きが制限されてしまった。

 あまり大きな動作で揺らしてしまうと、中の料理を台無しにしてしまうかもしれない。

 そんな俺の葛藤も知らず、二乃は俺の胸元に顔を埋めて深呼吸し始めた。

 

「うわ、本当に汗かいてるじゃない」

「だからそう言ったろ……」

「ふふ、ホント最悪……こんなの、我慢できなくなっちゃうわ」

 

 そして顔を上げたその瞳には危険な兆候。

 明らかに目の色が変わり始めていた。

 え、こいつまさか汗の臭いで発情したの?

 

「さ、最悪なら離れようぜ」

「イヤよ。昨日は三玖に譲ったけど、今朝は我慢なんてしないんだから」

 

 言ってることはさて置き、やろうとしていることは明白だ。

 我慢しないという宣言通り、二乃は躊躇なく唇を重ねてきた。

 ふんわりと漂うシャンプーやボディソープの匂いで、シャワーを浴びて間もないことがわかる。

 容赦なく情欲を煽られるが、なんとか踏みとどまった。

 これは昨日散々四葉に搾られたおかげだろう。

 侵入してこようとする舌は歯でブロックした。

 流石にそこまでされたら、今度はこっちが我慢できなくなってしまう。

 不満そうに顔をしかめる二乃を宥めつつ、家へと向かう。

 特に何も言わずに出ているので、あまり遅くなると心配されてしまうだろう。

 歩いている最中もずっと腕に抱きついてきたが、もう気にしないことにした。

 幸いなことに早朝なので、見ている者はほとんどいないはずだ。

 自分の汗臭さと人の目が気になるだけで、俺自身も二乃とこうしているのは嫌ではないのだ。

 

「ねぇ、あの人ってもしかして後夜祭の……」

「上杉先輩ね、青春クソ野郎の」

「うわぁ、昨日は別の女子と歩いてたのに」

 

 ……ところで、世の中には朝練という概念が存在するらしい。

 部活動からは縁遠い生活を送っていたので、すっかり失念していた。

 恐らくは後輩の、女子グループが向けてくる視線が痛かった。

 だがそんなことよりも、威嚇するようなオーラを発し始めた二乃が問題だ。

 歩いている人がほとんどいないせいで、小さくとも声ははっきりと届いてしまっていた。

 

「よせ、構うな」

「わかってるわよ。あんな風に言われてるのも、あんたの自業自得だもの」

 

 意外なことに二乃は冷静だった。

 その言う通り、これは俺が好き放題やった結果だ。

 だというのにこうして不機嫌になったのは、理解に納得が追いついていないからか。

 それはきっと、俺にとって中野姉妹がどうでもよくないように、二乃にとっても俺がどうでもよくない存在だからなのだろう。

 そう思い至ったら、今度は自分の中で青臭い衝動が強まってしまう。

 性欲とはまた違うこの感情の赴くまま、二乃の体を抱きしめる。

 

「ちょ、ちょっと……!」

「いいじゃねーか。見せつけてやろうぜ」

「顔真っ赤にして何言ってるのよ!」

「へぇ、そりゃ奇遇だ。お互い様ってやつだな」

「ホント最悪……汗臭いのよ、バカ……」

 

 言葉とは裏腹に、二乃はしばらく俺の胸に顔を埋めて離れなかった。

 

 

 

 

 

「あ、おかえりお兄ちゃん」

「ああ、起きてたか。おはよう」

「それに二乃さんもいらっしゃい」

「おはよう、らいはちゃん。お邪魔するわね」

 

 パタパタと朝食の準備を進めるらいはが、俺たちを出迎えた。

 炊飯器は沈黙しているので、恐らく今日の朝食のメインは食パンだ。

 となると洋食の雰囲気なので、目玉焼きでも作るつもりだろうか。

 まだ冷蔵庫にお徳用ウィンナーが余っていたはずなので、じきにあの四つ並んだ皿に食パンと目玉焼き共々乗っかることになるだろう。

 ――待て、何か違和感があったような……

 

「おう、二乃ちゃん。よく来たな」

「おはようございます、おじさま」

 

 二乃は既に起きていた親父に挨拶すると、持参したタッパーを持って台所に立った。

 ともかく今は疲労で頭の回りが悪い。

 水道代的にはあまりよろしくないが、サッとシャワーを浴びてしまおう。

 流石に来客の前を裸でうろつくわけにはいかないので、着替えも持参する。

 我が家の浴室はお世辞にも広いとは言えないが、湯船もちゃんとある。

 疲労の回復を意図するならお湯につかりたいところだが、それこそ贅沢だ。

 手始めに頭からシャワーを被り、二乃のことを考える。

 思えば、あいつとの初めてもこの浴室だったか。

 攻めているうちは強気なものの、いざ受身になるとされるがままなのも二乃の可愛いところだ。

 そんな事を考えていたら、下半身に血流が集中し始めてしまった。

 昨日あれだけ酷使されたというのに、最早回復の兆しを見せている。

 煩悩を追い出すためにシャワーを冷水に切り替える。

 その上でひたすらに化学式を思い浮かべていたら、なんとか鎮まってくれた。

 そして同時に頭も冷え、先ほどの違和感が疑問へと変わった。

 

「って、なんで親父もらいはも普通に受け入れてんだよ!」

「お兄ちゃん! ちゃんと体拭いてよ、もー!」

「あ、すまん」

「風太郎、いくら気心知れた仲だからといっても、お客さんの前だぞ」

「ぐっ、確かに」

 

 すごすごと引き返し、体を拭いて着替えを済ませてから再び舞い戻る。

 朝食の準備はすっかり終わっていて、なにやら甘い匂いが漂っていた。

 皿の上には予想通りの目玉焼きとウィンナー、それと申し訳程度の野菜。

 しかしメインは食パンではなかった。

 正確に言うと、ただの食パンではなくしっかりと調理されていた。

 白い部分は黄色く染まり、所々些細な焦げ目が付いている。

 甘い匂いはこのトーストから発せられていた。

 

「二乃さんがフレンチトースト焼いてくれたの」

「へぇ、フレンチトースト。あれだろ? フレンチなトースト」

「あんた絶対わかってないでしょ」

 

 俺の知ったかぶりは一瞬で見破られてしまった。

 言い訳させてもらえるのなら、全く知らないわけではないと言いたい。

 例によって名前しか知らないというアレだが。

 名前から察するに、きっと多分フランス発祥の料理なのだろう。

 なにはともあれ、二乃が下拵えしたものをこちらで焼いたらしい。

 持ってきたタッパーの中身はそれだったようだ。

 

「せっかく二乃ちゃんが作ってくれたんだ。冷めないうちに食っちまうぞ」

「いただきまーす!」

「って、だからなんで普通に受け入れてんだよ!」

「そりゃあ、事前に連絡受けてたからな」

「お兄ちゃんにも言おうとしたけど、昨日はすぐ寝ちゃったし」

「そ、そうか……」

 

 昨夜は疲れ果てていたので、確かに話を聞く余裕はなかったかもしれない。

 しかし、こうして家に突撃してくるあたり、やはり二乃の行動力は抜群だ。

 これが少しは勉強の方に向いてくれたらとは思うが、恐らく無理だろう。

 それでも出会った頃と比べたら学力は格段に上がったので、高望みはするまい。

 後は本人の目標に合わせて、俺が必要に応じて後押しをしてやればいいのだ。

 

 

 

 

 

「「ごちそうさまでした」」

「「お粗末さまでした」」

 

 食べるオンリーの俺と親父、作る側のらいはと二乃。

 食後の挨拶は男組と女組で綺麗に別れた。

 作ってもらった分は感謝とささやかな労働で返すとしよう。

 食器を回収して下げようとしたのだが、二乃に先んじられてしまった。

 

「私がやるから、あんたは座ってなさい」

 

 そう言ってさっさと洗い物を始めてしまった。

 うちに来たのは二回目だというのに、最早台所を使いこなしている。

 五月とは家事の経験の地が違うということか。

 

「わー、二乃さんありがとうございます!」

「そんなにかしこまらないで。もっとフランクに……そうね、お姉ちゃんなんてどう?」

 

 こいつ……外堀を埋めにかかってやがる……!

 どうやら二乃の今朝の目的の一つは、親父とらいはへの良い嫁アピールのようだ。

 将来的にそういう関係になることを考えれば、取り立てて止める理由はない。

 ただ俺の羞恥心と、らいはへの説明がデリケートなのが少々問題か。

 どう口を挟んだものかと思案していると、らいはが天使のような笑顔で口を開いた。

 

「そっか、お兄ちゃんと五月さんが結婚したら、二乃さんもお姉ちゃんだもんね!」

「へー、そうなのね」

 

 表面上は平静を保った二乃だが、その声音の微妙な変化を見逃す俺ではない。

 こうしている間にも、どういうことか説明しろという雰囲気が漂ってきていた。

 勿論それは俺と二乃の共通認識があって成り立つものなので、親父ととらいはは気づかない。

 

「ぷっ、くくくくく……」

 

 前言撤回、親父はしっかりと察している。

 そうでなければ、こうして笑いを堪えているのはおかしい。

 抗議の視線を送ると、いい笑顔で親指を立てられた。

 

「らいはちゃん、五月とは随分仲良しなのね」

「えへへ、五月さんがしばらく泊まってた時も、お姉ちゃんができたみたいで嬉しかったなぁ」

「へ、へー……しばらく、泊まってた……」

 

 二乃は声を震わせていたものの、どこかの末っ子と違って動揺して皿を割ることはなかった。

 やはり家事の年季が違うのだろう。

 いやぁ、それにしてもうちの妹の可愛さは留まることを知らないな。

 

「い~つ~き~~!」

 

 そんな現実逃避は、二乃の小さく低い唸り声によって阻止されてしまった。

 ここは五月(もしくは俺)の冥福を祈っておこう。

 それはそうと、腹を抱えて床を叩いてる親父に一発入れても許されるだろうか?

 

 

 

 

 

「おっはようございまーす!」

 

 教室に元気のいい挨拶が響き渡った。

 この能天気で底抜けに明るい太陽のような声は、四葉のものだ。

 目を向けると、男女問わずクラスメイトに声をかけられ、律儀にも一人一人に対応していた。

 続けて入ってきたのは三玖と五月で、今日も一緒に登校してきたのだろう。

 二乃と俺は一足早く登校したため、既に席に着いて思い思い過ごしていた。

 それは例えばクラスメイトと談笑したり、机に伏せていたり。

 ちなみに二乃は前者で、俺は後者である。

 昨日の疲れと、素人判断で行ったランニングの反動が如実に表れていた。

 それに加えて、今朝の登校での出来事もある。

 クラスの女子と話している二乃に目を向けると、意味深な笑顔を返された。

 俺がこうして机に伏せている原因の半分は、登校途中のあいつの行動によるものだ。

 詳細は省くが、男女で腕を組んで登校してる奴がいたら、それはもう目立つのである。

 当然俺もされるがままではなく、抗議したのだが……

 

『いいでしょ、別に。見せつけてやればいいじゃない』

 

 この一点張りだった。

 どこかで、しかもごく最近聞いた言葉のような気がするが、きっと気のせいだろう。

 でないと原因が巡り巡って、俺の所に帰着してしまう。

 二乃はがっちりホールドしてくる上に、俺の力は余りにも頼りなかった。

 早朝と違って人の姿は決して少なくなかったし、うちの学校の生徒も当然いた。

 人の噂も七十五日とは言うが、その噂を現在進行形で更新するとどうなるのだろうか。

 およそ二ヶ月半の期間もその都度延長し、結局卒業まで続くのでは?

 ……考えると気が重くなるのでやめておこう。

 というわけで、今朝も今朝とて疲弊しているのだ。

 しかも今日は肉体面と精神面のダブルパンチだ。

 

「フータロー、こんな早いなんて珍しいね」

「ちょっと早起きしたもんでな……」

「それにしてもお疲れのご様子ですね。上杉さん、夜ふかしはいけませんよ?」

「四葉……お前、ちょっと自分の胸に手を当てて考えてみろ」

「私は当然快眠で早寝早起きです!」

 

 どうやら四葉には、俺の言いたいことが伝わらなかったらしい。

 一方、三玖は何か察したのか無言で頬を膨らませていた。

 放たれる圧からは顔をそらして目も背けておいた。

 先送りでしかないが、後で機嫌を取っておこう。

 

「上杉君、ちょっといいですか?」

「なんだ? 悪いが食料の持ち合わせはないぞ」

「私を腹ペコキャラに仕立て上げようとするのはやめてくださいっ」

「ちなみに今はカツ丼と天丼、どっちの気分だ?」

「難しい質問ですが、今朝は天丼の気分ですね。揚げたてのサクサクの状態でも、甘~いタレが染みてしんなりした状態でもイケます! 海老天は基本としてイカ天も捨てがたいですねっ! 他にもししとうやナス、根菜の天ぷらもイイですし、かき揚げという選択肢も悪くありませんっ!!」

「お、おう……」

 

 誘導尋問を意図したわけではないのだが、結果的にズルズルと釣れてしまった。

 本人は気づいていないかもしれないが、段々とヒートアップしてボリュームアップしている。

 からかっていたのは事実だが、これでは自分で腹ペコキャラだと喧伝したようなものだ。

 もっとも、そんな事をしなくてもそれは十分に知れ渡っているわけだが。

 実際に周囲の反応は苦笑といった感じで、これはこいつのキャラが定着している証拠だろう。

 自分が何を口走ったのかにようやく気付いたのか、五月は顔を僅かに赤くして小さく咳払い。

 ここで仕切り直すつもりか。

 

「実は、教室に入った時から二乃が妙な視線を向けてきて……」

「気になるなら直接聞けばいいだろ」

「それが出来たらとっくにそうしてますっ」

 

 泣きついてきた五月に促されるまま二乃の方を見ると、これまた意味深な笑顔を返された。

 しかし先ほどのものとは趣が違う。

 端的に言えば、目が笑っていない。

 その原因に覚えがある俺は、五月に同情の視線を向けるしか出来なかった。

 

「五月……強く生きろよ」

「どう言う意味ですか!?」

 

 

 

 

 

 昼休みの学食、いつもの定位置。

 一人で焼肉抜きの焼肉定食に手をつけようとした所、向かいの椅子に五月が腰を下ろした。

 今日は珍しく一人の昼食の予定だったのだが、どういうつもりだろうか。

 しかし、この状況は出会った日のことを思い出す。

 一緒のテーブルに着いた俺達を見て、周囲がヒソヒソ言っているのも同じだ。

 五月は少し照れくさそうにしているものの、あの時のように無理をしている様子はない。

 食欲を我慢するつもりもないようで、トレイの上には相変わらず贅沢なメニューが並んでいた。

 今朝熱く語っていた天丼、の上に更なる追加トッピングと添えられた汁物。

 例によってデザートも完備しており、栄養の偏りを気にしなければ隙のない布陣ってところか。

 かく言う俺の食事も栄養の偏り、というよりも不足に関しては人の事を言えない。

 

「……まずは何も言わずにこちらを」

 

 神妙な顔をした五月が差し出してきたのは、天丼の具の中でもメインと目される海老天だった。

 ……本格的にどういうつもりだろうか。

 こいつが何の理由もなしに食べ物を譲るなんて……まぁ、なくはないかもしれないが。

 ともかく、その何も言わずにという前置きがまず怪しい。

 訝しむこちらの視線に観念したのか、五月は携帯を差し出してとあるメッセージを見せてきた。

 

『五つ子裁判のお知らせ』

『時間:放課後』

『場所:家のリビング』

『被告人:五月』

『罪状:フー君の家での長期間のお泊り』

『判決:一週間晩御飯のおかず一品抜き』

 

 お知らせというか、裁判を開くまでもなく最早判決が下っていた。

 色々すっ飛ばした結論は二乃らしいが、食らわされる立場からしたら堪ったもんじゃない。

 やはり五月には同情しておこう。

 

「大変そうだな。めげずに頑張れよ」

「なに無関係そうな顔をしているんですか」

「俺に何をしろと?」

「上杉君も証言してください」

 

 正直に言って、この話題になった時点で展開も読めていた。

 五月が事情を知る俺に助けを求めるのは、自然な流れだろう。

 しかし、俺には応じる事が出来ない理由がある。

 

 出来ないというよりも、意味がないと言ったほうが正しいか。

 何故ならその件に関して二乃に情報を流したのが、他ならぬ俺自身だからだ。

 俺だって無事だったわけではなく、登校の途中にしっかりと尋問されていたのだ。

 らいはの口から漏れてしまった以上、隠すのは難しい。

 それならばと、二乃の尋問にかこつけて全部洗いざらい話させてもらった。

 なので、今更特に話せる事情はないのだ。

 

「――ごちそうさまでした」

「って食べるの早っ……ま、待ってください!」

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ……み、見つけましたよ!」

「げ、マジかよ……」

 

 早々に飯を食べ終えて不人気スポットである屋上に身を隠したが、秒で見つかってしまった。

 ここなら見つからないと踏んで雲隠れを決め込んだというのに……

 もしかしてあのアホ毛には、センサー的な役割があるのだろうか。

 

「ふぅ……あなたは自分が有名人だというのを自覚したほうがいいですね」

 

 どうやらそこらの生徒に聞いて足取りを掴んだらしい。

 思ったよりも真っ当な探し方だった。

 くそっ、探偵の真似なんてしやがって……!

 なんて心中で悪態を吐いている間にも、五月は距離を詰めてきた。

 扶壁を背に座る俺の前で腕を組んで仁王立ち。

 ムッとした表情も相まって、絶対に逃がさないという気概だけは伝わってきた。

 

「五月、悪いことは言わないから観念しろ」

「イヤです! 一週間もおかずが一品減るだなんて死んでしまいます!」

「俺が二乃にその情報を流したと言ってもか?」

「なっ……う、裏切ったのですか!?」

 

 裏切るもなにも、ただ暗黙の了解で黙っていただけで、特に約束を交わした覚えはない。

 それにこれは俺にとっても仕方のないことだったのだ。

 その事を理解してもらうために、ここで魔法の言葉を一つ。

 

「……らいはがな、喋っちまったんだよ……」

「まさか、そんな……」

 

 五月は愕然としてワナワナと震えた。

 らいはというカードを切れば、その時点でゲームセットだ。

 勿論、俺だってこうなる。

 うちの妹がかわいすぎるから畜生……!

 

「で、ですが……私もリスクを冒している以上、このまま引き下がるわけにはいきません!」

「いや、リスクとか流石に大袈裟すぎだろ。わけわかんねー」

「それは、その……今日は私の番ではないといいますか……」

 

 そこにどんな事情があるのかはわからないが、何らかの順番が決まっているらしい。

 どうも話が見えてこないが、ふと今朝の二乃の言葉が頭を過ぎった。

 

『イヤよ。昨日は三玖に譲ったけど、今朝は我慢なんてしないんだから』

 

 関連があると仮定して推測すると、昨日は三玖の番で今日は五月の番ではないと。

 そして二乃の口ぶりからして、俺が関係しているのは間違いない。

 昨日俺と三玖がしたことといえば、一緒に昼飯を食べたぐらいだが……

 

「私たちもあなたと二人きりの時間が欲しいので、お昼休みを利用しようという話になってます」

 

 五月の話によると、月から金までの平日を一花を除いた四人で分担しているらしい。

 そうなると一日余るわけだが、そこは俺の自由にしてもいいとのことだ。

 ……ここは一日の自由を喜ぶべきなのか、それ以外の不自由を嘆くべきなのか。

 そもそもとして、俺に対する確認が一切ないのはどういうことなのか。

 ちなみにその自由日は今日に当たるらしいが、見事にこいつによって潰されている。

 本人が言うには、リスクを冒しているそうなのだが。

 

「こんな面倒な姉妹に手を出したのはあなたなんです。これぐらい甘んじて受け入れてください」

「クーリングオフってまだ有効か?」

「残念ながら期間外です。全部引き取ってもらいます」

「冗談だ。手放してなんかやんねーよ」

 

 夢や進路があやふやな俺でも、それだけははっきりと言うことができた。

 五月の手を引いて抱き寄せる。

 やはり抱き心地はこいつが一番だ。

 胸が柔らかいのはどいつも一緒だが、五月は全体的に柔らかい。

 上に乗っかられた時の重量感も一番なのだが、これは機嫌が悪くなるので口には出さない。

 からかうのにも時と場合を選ぶ必要があるのだ。

 

「むむっ、何やら邪念を感じます」

「……気のせいじゃねーの?」

「怪しいですね……」

 

 至近距離からの訝しむ視線を、目を背けてやり過ごす。

 しかしそれがかえって疑いを助長したのか、今度は頬を膨らませ始めた。

 一卵性なだけあって、その表情は三玖そっくりだった。

 

「あれ? この痕は……」

 

 果たして、それは三玖のことを考えていたせいか。

 五月は俺の首元を覗き込んで、何かを見つけたようだった。

 そんな所にあるものといえば、答えは自ずと限られる。

 三玖が残したキスマークだ。

 俺の五人全員という答えを受け入れたからといって、姉妹間での対抗意識はなくなっていない。

 実を言うと、昨日の四葉があそこまで燃え上がった理由も、この痕を見たせいなのだ。

 ……実はあいつが一番独占欲が強いんじゃないだろうか?

 しきりにマーキングのようなことをしてくるのも、その表れなのかもしれない。

 ともかく、この痕を見た五月の反応が問題だ。

 更に頬を膨らませるのか、それとも唸るだけの生き物になるのか。

 

「昨日は三玖とお楽しみだったみたいですね」

 

 しかし、予想していたよりもその声は冷静だった。

 どうやら余計な心配だったようだ。

 身構えて若干強ばっていた体の力が抜ける。

 そもそも、分担だか順番だか当番だか知らないが、決めているのはこいつらだ。

 仮にそんな事があったとして、予想の範囲内なのだろう。

 ……ちなみに、首より下には四葉が残した痕がたくさんあるのだが、そっちはまずいだろうか。

 Tシャツを着ているためそこまでは見えないだろうが、一応用心しておこう。

 そして五月に目を戻すと、眉根を寄せて唇を引き結ぶ我慢の表情。

 声音は冷静だったが、内心はそうではないようだ。

 

「ううううう……」

「……」

「ううううううう……」

「い、五月? 二乃からのメッセージの件はどうなったんだよ」

「……はっ、そうでした!」

 

 その上唸り声まで漏れ出してきたので、軌道修正を図る。

 あまり触れたくない話題なのだが、致し方ない。

 このままそっちへ進んでいくことの方がまずい。

 昨日の四葉との戦いで、近藤さんが討ち死にしているのだ。

 

「上杉君、どうか私の弁護をお願いします!」

 

 立ち上がって頭を下げてくる五月に対して、多少の申し訳なさを感じてしまった。

 しかしながら、俺に出来ることがあるかといえば微妙な所だ。

 なんでかと言うと、二乃に話す過程で、情状酌量の余地がありそうな部分も伝えたからだ。

 二乃と五月の仲違いの件や、財布を忘れて家出した件についてだ、

 流石に前者に関してはあいつも言葉を濁らせていたが、その上で五つ子裁判なのだ。

 実際には何もなかったのだが、寝食を共にしたという事実が許しがたいのだろう。

 

「そ、そうです! 上杉君、デザートはいかがですか?」

「なんだ藪から棒に」

 

 中々首を縦に振らない俺を懐柔するためか、五月がそんなことを言いだした。

 確かに物足りない昼食だったが、こんな事で靡くと思われては困る。

 五月自身がそうやって懐柔されてる立場なので、何か勘違いしているのかもしれない。

 まぁ、正直金銭にだったら靡かない自信はないが。

 最近は中野姉妹との(性的な)付き合いがあったり、その他にも何かと入用なのだ。

 受験勉強もあるというのに、悩ましい限りだった。

 

「わわわ私の自前のプリン……い、いかがでしょうかっ」

「……は?」

 

 一瞬何を言っているのかがわからなかった。

 五月は自分の胸を、両手で下から掬い上げるように強調していた。

 もしかしてこいつは、自分を食べろなどと言い出すつもりだろうか。

 顔は火を噴くんじゃないかと危ぶむほど真っ赤だし、テンパって目もぐるぐるしていた。

 無理をしているのが見え見えだった。

 人の振り見て我が振り直せと言うように、自分が怒ろうとした時にもっと激怒している人がいると、かえって冷静になるものだ。

 誘惑しようとしているのはわかるが、仕掛けてくる側がそんなに取り乱していては逆効果だ。

 おかげでこっちはすっかり落ち着いてしまった。

 迫ってくる五月の肩に宥めるように手を置いて、やんわりと首を横に振る。

 

「五月、お前に色仕掛けは無理だ。諦めろ」

「そんなこと言わずに! 大きさも柔らかさも姉妹一の自慢の一品ですからっ!」

「いいから落ち着け、このっ」

「むぐぐ……!」

 

 五月は、他の姉妹に聞かれたら吊るし上げられそうなことを叫んでいた。

 屋外というロケーションは遮蔽物がなく開放的だ。

 開けっぴろげ過ぎて、この大声がどこに届くかわかったもんじゃない。

 なので、とりあえず口を塞いで黙ってもらうことにした。

 さて、次はどうしたものか。

 涙目で睨んでくるこいつが、手を離した瞬間に噛み付いてこないとも限らない。

 五月は余計な感情さえ入らなければ、比較的言う事を聞く方だ。

 つまり、説得をしようにも落ち着かせなければ始まらない。

 この状況で何をすれば冷静になってくれるだろうか。

 残念ながら妙案は思い浮かばなかった。

 ただ、捨て身の策なら一つだけ。

 

「ちょっ――う、上杉君!?」

「なんだ、こうして欲しいんじゃなかったのかよ」

「だけど、こんないきなりだなんて――んむっ」

 

 本人が言うところの自前のプリンを、服越しではなく直に味わう。

 その自己申告に間違いはなく、柔らかさと重量感だったら確かに一番だ。

 姉妹間でそこまで大差があるわけではないが、何度も触っていると違いがわかる。

 そしてついでに、やっぱりうるさいので口も塞いでおいた。

 カスタードとカラメルソースの味――こいつ、しっかりデザートまで平らげてやがったか。

 普段よりも執拗に、激しく責め立てる。

 今の俺が我を忘れていると見せかけなければならない。

 こっちが暴走していると思い知れば、こいつもいくらか冷静になるだろう。

 そう、人の振り見て我が振り直せ、というやつだ。

 この作戦の重要なポイントは一つ。

 それは、俺が本当に暴走してしまわないことだ。

 スイッチが入りきってしまえば、最早自分で自分を止める自信がない。

 新選組局長不在の今では、それは余りにも危険なのだ。

 

「~~~~~っ」

 

 合わせた唇の隙間から漏れ出た声が、一際高くなる。

 同時に、若干の抵抗を見せていた五月の体が脱力した。

 これで多少は落ち着くだろう。

 

「大丈夫か、いつき――」

 

 力の抜けた五月を座らせようと屈もうとして、そのまま前のめりに倒れてしまった。

 どうにか下敷きにしないように手をついたが、起き上がることができない。

 慣れ親しんだ重量感が首から伝わってくる。

 目の前の真面目馬鹿の目の色は、すっかり変わっていた。

 状況が見えればなんてことはなく、こうして俺を引き倒したのはこいつだったというだけだ。

 自分の我慢を考えるあまり、もう一つの重要なポイントが頭から抜け落ちていた。

 それは、五月が冷静になるどころかもっと暴走する可能性だ。

 真面目なこいつのことだから学校では自重するかと思ったが、そんなことはないようだ。

 いや、そもそも自前のプリンとか言い出した時点で、頭が茹だってたのかもしれない。

 

「こ、このままだと起き上がれないんだが」

「こんなこと、イケないってわかっているのに……」

「だよなっ、なら続きは後日ってことで……!」

「全部全部、君が悪いんだから」

 

 引き寄せようとしてくる力に対抗するが、俺が下がらなければ五月の体が持ち上がるだけ。

 唇が再び重なり、俺の腕から抵抗の意思が削がれた。

 二人分の体重を支えていた柱がなくなり、再び体は重力に従い引き戻された。

 地面に打ち付けないよう、五月の後頭部と背中に手を回す。

 抱き合うような格好になったのは、きっと気のせいだ。

 間近に迫った目が嬉しそうに細められたのを見て、不覚にも胸が高鳴ってしまった。

 活発になった心臓の動きに乗じた血の巡りの影響か、体が熱くなってきた。

 このままでは、こちらのスイッチが完全に入るのも時間の問題だ。

 しかし、これ以上踏み込めない理由がある。

 身を切られるような思いだが、ここはお預けにするしかない。

 

「……悪いが、今は避妊具がないんだ。だからまた今度に――」

「大丈夫。こんなこともあると思って……」

 

 五月はそう言うと、スカートのポケットを探り始めた。

 まさか、こいつも一花や二乃のように近藤さんを持ち歩いているのか?

 そうなると無理に断る理由がなくなる。

 その事が残念なわけはなく、むしろ期待に体が更に熱くなった。

 しかしポケットから出てきたものは、俺の予想の上を行くものだった。

 PTPシート……錠剤を保管するための包装だ。

 しかし俺が知っているものより内容量が多く、ざっと30錠近くの収納だ。

 既に半分近く使用済みで、その分は空になっていた。

 これは一体なんなのか……こちらが考えるよりも先に、五月が答えを口にした。

 

「避妊薬、飲んでるの」

「え……は? ひ、避妊薬?」

 

 中々言葉を受け止めきれず、オウム返ししてしまう。

 すると五月は、はにかみながら俺の手を取った。

 

「君といつでも出来るように、準備してるんだから」

 

 俺の精神に、ガツンと鈍器で殴られたような衝撃が走った。

 衝動をなんとか抑え込んでいた自制心の鎖が、激しく揺さぶられる。

 喉がカラカラに渇いてしかたない。

 それを潤すために取るべき行動は、分かりきっていた。

 

「ずっとずっと、君と直に触れ合いたかったの」

 

 掴まれた手がスカートの中へ導かれる。

 そしてどこか柔らかくて濡れた場所に触れ、小さく水音が鳴った。

 

「だから……いっぱいいっぱい、召し上がって……ね?」

 

 自分の頭の中で、何かが切れる音がした。

 結果から言うと、俺は五月の色仕掛けに見事に引っかかったのだった。

 

 

 

 

 

「はーい、これで今日の撮影は終了だね」

「そうか……お疲れさん」

「って、ちょっと待ってよ。なんで私が取り仕切ってるのさ」

 

 俺に代わって監督に就任した一花が突っ込んできた。

 今日は自主制作映画の撮影日だ。

 だというのに、俺は一花に課題を与えるのが精一杯で、こうしてダウンしている。

 疲労を抱えた体を引きずってこのホテルまでやってきたのだが、この有様だ。

 

「すまん、連日の疲れがな……」

「頑張ってるのはわかるけど、無理して体壊したら元も子もないんだよ?」

「わかってる……これでも自重はしてるつもりなんだ」

「ほら、こっち来て休みなよ」

 

 ベッドの上に座り込んだ一花が、自分の太ももを軽く叩いて示した。

 誘いのままそこに頭を乗せる。

 柔らかく弾力のある感触と、ふんわりと漂う一花自身の匂い。

 まるで包まれているかのような安心感。

 下手をするとこのまま眠ってしまいそうだった。

 

「そんなに疲れてるんだったらさ、ちょっと休んでいったら?」

「今寝たら帰れなくなるだろ……ふわぁ」

「アクビしてるじゃん。もう泊まっていきなよ」

「そういうわけにもいかねーだろ。お前だって明日早いんじゃないのか?」

 

 このホテルに泊まるとなれば、ほぼ間違いなく体力を消耗させられる。

 明日も学校があるため、それは避けたいところだった。

 

「んー、純粋に休んだらどうかなって言ってるんだけどね」

「……もちろんわかってたぞ?」

「あはは、フータロー君は誤魔化すの下手だよねぇ」

「逆にお前は上手すぎんだよ。この大嘘つきめ」

「やだなぁ、演技って言ってよ。私、女優だよ?」

 

 抗議のつもりなのか、一花が頬を抓ってきた。

 しかし力は弱く痛みはない。

 そうやってしばらく俺の頬肉を弄んでいたが、次第に頭を撫でる方へシフトした。

 その優しい手つきが、また睡魔を助長させる。

 半開きの視界の中で、一花は穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「四葉から聞いたよ、裁判じゃ大立ち回りだったんだって?」

「結局最後は吊るし上げられたけどな」

「なにそれ面白そう。ちょっとお姉さんに話してみてよ」

「野次馬根性丸出しかよ」

 

 どこまで聞いたのかはわからないが、この様子だとほんのさわりだけだろう。

 眠気覚ましがてら、膝枕のサービス代としてはちょうどいい。

 五つ子裁判には巻き込まれたくなかったが、そもそも今日は家庭教師の日だった。

 なので、俺は弁護側に回って速攻で終わらせにかかった。

 五月サイドに付いたことに二乃は抗議してきたが、そこは色仕掛けに引っかかった手前がある。

 もっとも、やった事としては弁護するというより、原告を攻撃したようなものだ。

 攻撃材料は今朝の件。

 確認した所によると、姉妹が分担しているのは平日の昼休みだけらしい。

 こちらの勉強時間を考えたのか、朝と放課後は自重することになっているそうだ。

 つまり今朝二乃が押しかけてきた件は、立派なレギュレーション違反に当たる。

 事前にうちに連絡を寄越したという証拠もしっかりとある。

 昨日の四葉の件は……まぁ、俺から誘ったようなものなので例外だろう。

 ちなみに、登校する際に偶然一緒になる程度ならセーフらしい。

 昨日の朝は一花と一緒だったが、それはあくまでも『偶然』だ。

 実際には偶然というよりも蓋然なのだが、少なくともこいつはそう主張するだろう。

 他の姉妹は一緒に登校することが多いだろうから、それ自体が互いへの監視になっている。

 そんな中で一人だけライフスタイルが違うこいつは、そんな立ち回りが出来るわけだ。

 何というか、時折二乃が女狐呼ばわりしているのにも納得だ。、

 ……話を戻すが、俺は二乃のレギュレーション違反と相殺する形で裁判を終わらせようとした。

 ようとした……のだが、真面目馬鹿がうっかり口を滑らせて昼間の事が明るみに出てしまった。

 そうなると静観していた三玖が騒ぎだし、その場で予約の遂行を求めてくる始末。

 そして四葉は不自然に大人しいのが逆に疑惑を招き、昨日の件もあっさりとバレてしまった。

 その後はカオスが極まって、最早裁判どころではなかった。

 最終的には一致団結して、何故か俺が悪いとの結論に至ったわけだが。

 まぁ、そもそもの話をするなら、こんな関係になった落ち度は間違いなく俺にある。

 幸か不幸か、俺に対する判決が下る前に中野父が帰宅し、状況は沈静化した。

 結果、雇い主に見張られながら仕事をするという、胃に悪い事態になったのだが……

 授業参観の際の教師の心境がよく理解できた一件だった。

 

「えらいえらい、フータロー君はよく頑張ったよ」

「……ガキ扱いすんな」

「そう? ならやーめた」

 

 一花はあっさりとこちらの頭を撫でるのをやめた。

 それどころか太ももという枕も取り上げられ、頭がベッドに着地する。

 もしかして、機嫌を損ねてしまったのだろうか。

 目元を手で覆い、どう宥めたものか考えようとして、不意に腰のあたりに重みがかかる。

 手を退けると、俺の上に一花が跨っていた。

 

「子供扱いが嫌なら、大人扱いしちゃおうかな」

「おい、どういうつもりだ」

「やだなぁ、言わなくてもわかるよね?」

 

 表情こそ笑顔だが、これは裏に確実に何かある。

 その答え合わせをするように、一花はムスッとした顔で俺の胸に手をついた。

 どうやら不満を隠す気はないようだ。

 

「あのさ、他のみんなとイチャイチャしてましたーって話聞いて、我慢していられると思う?」

「あ、明日は学校があるんだが」

「うん、私も朝から撮影があるんだ」

「じゃあ、今日のところは……」

「そうだね、寝坊しないように二人で頑張ろっか」

「い、一花……待て――」

「待ちませーん」

 

 制止も虚しく、唇を塞がれて眠気も理性もどこかへ飛んでいった。

 明日の朝の寝不足が確定した瞬間だった。

 余談だが、らいはにはきっちりと朝帰りを叱られてしまった。

 

 

 




というわけで終了。
裁判に関しては長くなりそうなので割愛しました。

次女に分量割き過ぎたかなと思って五女を少し抑えようと思ったら、それ以上に増えてしまいました。
ソフト&ウェットとはいやらしさ全開でしたね。
これ以上はR18の壁が立ちはだかっているため無理です。
そして軽い気持ちでオチに置いた長女が強いこと……

ちなみにフレンチトーストはアメリカのフレンチさんが開発しただけで、フランスとは関係ないらしいです。

次はもうちょっと早く投稿したいところです。
出来れば一周年を迎える前に終わらせたい……
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